第四八話 浄罪の奇跡
クローシェ・フランシスが懐から取り出した魔道具は、紅炎教の祭具として好んで用いられそうな気取った外観をしていた。
生者であるルカの審美眼は、装飾具としてその華美な見た目を好意的に受け止めていた。
ところが、シーワらアンデッドたちの目にはそう映らない。極めて禍々しい、とても言葉では言い表せないほどに邪悪で、危険な物体に見えていた。
「ヴェレパスムよ、邪を打ち滅ぼせ!!」
クローシェが呪文を唱えた瞬間、精石に蓄えられていた魔力が魔道具に実装されている回路に従って魔法という事象に急速に変換されていく。
魔道具から放たれるのは、ただの無害な光ではない。アンデッドの肉体を冒す極めて有害な聖属性の波動、俗に言う浄罪の光だ。
こちらも溜めていた魔力を直ちに解放し、土壁を数重に作り上げる。
可視光の遮蔽を思えば、私が作った土壁は無駄なほどに厚い。注ぎ込んだ魔力は厚さに増して過剰なほど多量だ。
しかし、重く、分厚く、魔力密度の大きな土壁であっても、聖光を幾分か減衰させるばかりで、完全には遮蔽できない。
減衰してなお高い傷害性を保つ聖光がアンデッドの身体を激しく焼き焦がす。
アンデッドの身体は生者と違って痛みには全く鈍いはずなのに、拷問を受けている最中の生体でもここまで酷いものは稀というほどの想像を絶する激痛が全身を暴れ狂う。そして、アンデッドの手足が受けた痛みはまとめて全部、私の脳に集中する。
「ぐあああああああああ!!!!」
聖光に焼かれているのは傀儡ばかりではない。
アルバート・ネイゲルの肉体とは直結していないはずのアンデッド化した腕からも、意識が飛びそうになるほどの痛みが走る。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い……痛い!!
痛みで頭が回らない……!
このアンデッドの両腕……腹立たしいほど使い勝手が悪いくせに、全く求めていない強すぎる痛みだけは、物の見事にきっちりと伝えてくる。
浄罪の痛みにのたうつ我々に、絶好機とばかりにミレイリが斬りかかってくる。
ミレイリが操るは、ハンターの得物にしてはやや細身の剣だ。とかく頼りなく見える細い剣にミレイリはありえないほどの膂力を乗せ、力ずくで土壁を砕く。
そして、そのままチタンクラスの名に恥じぬ強い魔力を乗せた剣をクルーヴァに撃つ。
なぜだ。
なぜミレイリは正確にクルーヴァを狙う。
出会い頭の一撃もそうだった。
ミレイリはクルーヴァをゴブリンと確信している。
それを可能にしたのは魔道具か、スキルか……。
少なくともそんな魔道具を知らないぞ、私は。
グレンよろしく、財布の中身は通年すっからかんの貧乏ハンターのくせして、私が死んだ後に購入したのか!?
絶対に今、考える必要のない下らぬ思考が、大半を痛みに占拠された脳内の無垢の部分を駆け巡る。
混乱した頭では、より適当な応手を考えることができず、極めて凡庸な工夫のない守りの剣でミレイリの一撃を防ぐ。
私の操作が少しばかり遅れても、急激な変化を果たしたクルーヴァは強靭すぎるほど強靭な身体能力を存分に活かしてなんとか守りの剣を間に合わせた。
ミレイリは一撃を防がれても、そのまま独特の変化で二の剣、三の剣に繋げる。
そ、そうだ。
こいつはこれがあるから素直に受けてはいけない。
ミレイリが撃つのは、正道を突き詰めた剣ではない。
簡潔に言うならば、正道を外れて捻りに捻り、初見殺しに特化した剣だ。全てはグレンに勝つために選んだ邪道。
正道を行けばミスリルクラスに到達できたはずなのに、それでは決してグレンに勝てない。
目指したのは一流ではなく、強敵と認めた相手から拾うただの一勝。そのためにミレイリは正道を捨てた。
ミレイリに素直な剣を撃ってはならない。特に受けるときは、必ずミレイリの狙う変化を封じる受け方をしなくてはならない。
受けやすい受け方を選んでは、ミレイリの思う壺だ。
白く霞む思考の中、大慌てでミレイリの剣の記憶を拾い集め、それを頼りにクルーヴァを操作してミレイリの変化を一合、二合とギリギリで防いでいく。
「むうっ、貴様……!?」
自慢の型を防がれてミレイリの表情が険しさを増し、さらに応手の難しい剣を撃ってくる。
だ、大丈夫だ。
ハッキリとではないが、ミレイリの剣筋は思い出してきた。記憶が朧であっても、今のクルーヴァであれば身体能力で反応の遅れを取り戻すことができる。完全に未知の変化やスキルでも披露されないかぎり、応用を利かせた程度ならクルーヴァは対応できる。
ミレイリはなんとかなる……が、戦況概観は芳しくない。
ミレイリが斬りかかってきたのを皮切りに、クローシェとその従者たちも我々に攻撃を開始している。
衛兵主体の治安維持部隊は、実力的にこの戦いに入ってこられないのか、武器を構えて土壁を取り囲むばかりの者が大半だ。ただし、いつでも放てるように魔法を構築して発射の時を今か今かと待ち構えている者たちが一部いる。
練り上がった魔法には、我々に痛烈打を与えるのに十分な魔力が込められている。あれは舐めてかからないほうがいい。
そして、我々を最も苦しめる聖光源を持ったクローシェは、魔道具を大事に守って後方に控えていればいいものを、片手が塞がり不安定な体勢をしていながら果敢に攻め入ってくる。
これが本当に辛い。
ヴェレパスムとかいう魔道具の放つ聖光は、修道士たちが繰り出す聖属性攻撃とは少々異なる特性があるようで、魔道具を持ったクローシェがこちらとの距離を縮めれば縮めるほど、アンデッドの手足が受ける痛みは激増する。
逆に考えれば、ほんの少し距離が離れるだけで、ヴェレパスムの放つ聖光のアンデッド侵害力は急減衰するということでもある。
片手を自由に動かせない以上、クローシェは本来の戦闘力を発揮できない。しつこく我々に迫ってくるクローシェからどうにかして距離を取るべきだ。
掌底でも押し蹴りでもぶちかましでも風魔法でも何でもいい。ヒトの形をした手足であれば、クローシェを吹っ飛ばす手はいくつも思い浮かぶ。
しかし、実際にクローシェに相対させているのは四脚の傀儡、フルードだ。
フルードでは、身体に噛み付いて思い切り振り回して放り投げるくらいしか、クローシェを遠ざけるための方法が思い浮かばない。
片手持ちした刺突剣で我々に襲いかかるクローシェは決して強くないというのに……。
正確に言うと、強いには強いが、私の恐れていたほどの強さがない。少なくとも、エヴァの域には全く到達していない。片手が塞がっていることを差し引いても、ギリギリでミスリルクラスあるかどうか、という半端な強さしかない。
確かに私はクローシェに恐怖した。
私の作った土壁をしなやかな跳躍で飛び越す様は、敵ながら見事としか言いようがなかった。
そして、そのまま刺突剣を構えた時は、正直、心臓が潰れてしまうのではないか、というほど怖かった。
だが、エヴァの姿をしたクローシェの撃つ突きには、まるでエヴァの切れがなかった。
私は徴兵明けに始まり、逮捕されるまでの間、エヴァの剣を何度も何度も見てきた。
グレンの操る対人剣とはまた違った方向に発展を遂げたエヴァの剣を完璧に破る方法を、私は未だに編み出せていない。
それに、私が見てきたのはエヴァが撃つ対魔物の剣であって、対人剣は一度も見たことがない。
どれだけ念入りに対抗策を練ったとしても、エヴァが繰り出す初見の対人剣の前に、数合と渡り合えずに敗れ去るかもしれない。
私は、そんな恐怖を抱いていた。
私の心臓を危うく押し潰しかけた恐怖という名の炸裂弾は、練度の不足したクローシェの剣を見ると、ブスブスと捨て台詞のように音を立てて不発に終わったことを告げる白い煙を上げた。
二度の接触と対話の中で何度も私の期待に背いたクローシェは、繰り出す剣までも“紛い物”だった。
贋作は発見と同時に破壊すべきである。
しかし、本体のほうが紛い物だったとしても、手にした魔道具は本物だ。そして、クローシェの剣に、こちらも剣で応じきる自信のなかった私は、ブルーウォーウルフのフルードを受け手に選んでいた。
フルードなら急所さえ確実に守っておけば、大森林を長く生きた魔物としての風格すら漂わせる分厚い毛皮が、わたりの短い刺突剣から繰り出される攻撃を防ぎきってくれる。
それに、対人剣は見たことがなくとも、対魔物の剣なら私は知っているのだから、剣で応じるよりも魔物で応じたほうが、まだ可能性はある。さらに付け加えると、浄罪の光は生者であるフルードにとって全くの無害だ。
そういった各種、後ろ向きの言い訳をして半ば犠牲のつもりで出したフルードは、完全な正着とも全くの失着とも言い難い。
フルードは魔力を惜しみなく注ぎ込んだ闘衣に身を包み、守りを固める。
後衛たる我々本体を防御するためには、クローシェの攻撃全てを回避してはならない。ある程度は突きを敢えて身に受け、後ろを守る。そういうつもりでいた。
フェイントにも近い威力に欠けた突きは問題なく避け、膂力と魔力の乗った強い一撃は、深く身体に刺さらぬよう、浅く角度を付けて受ける。
致命傷にさえならなければ、中等度の負傷は覚悟したうえで選んだ防御方法だったものの、クローシェの一撃は想定していたよりも威力が低く、中等傷どころか軽傷で済んでしまう。
しかも、一撃が弱いだけでなく、連撃そのものの攻撃密度が小さい。
クローシェの実力がこの程度であれば、腕のないフルードにとって難しい『吹っ飛ばし』を無理矢理やらせる必要はない。隙あらば反撃して、そのまま倒してしまえばいい。
捕えられれば理想的だが、最悪、クローシェが死んでしまわなければいいだろう。
突きの雨が途絶える僅かな隙に、こちらからも牙を打ち込む。
片手の塞がったクローシェは姿勢維持に難儀しつつも、フルードの牙を無理に剣で受けずに身体捌きで巧みに躱す。
これでエヴァであれば回避からそのまま攻撃に移るところを、クローシェは躊躇なく後方へ飛び退く。
クローシェの後退分を埋めるかのごとく即座に飛び込んできたのは、クローシェが引き連れてきた従者たちだ。
男ひとり、女ひとりの従者二名はどちらもチタンクラス相当の魔力を有している。
フルード一頭で受けきれないことはないが、無理をするとクローシェに狙い撃ちにされる。
慌ててフルードを下げ、やむをえずアンデッドの手足を前に出し、応戦する。
すると、すかさずクローシェもまた前に出てくるので、それをフルードに応じさせる。
傀儡の操作量が増えると、動かす私の処理が次第に追いつかなくなっていく。
従者二名は、ミレイリと比べればやや劣る程度の、受け方を間違えると一撃で確実にこちらを葬る、威力の確かな剣を撃ってくる。
実力が本物とはいえ、従者は所詮チタンクラス、しかもマディオフ人に非ざる者だ。私が手加減してやる理由など存在しない。
従者の剣など簡単に弾き返し、返す刃で首をたたっ斬りたいところなのだが、聖光に炙られたアンデッドたちでは一流半の剣にすら満足に応じられない。
それどころか、従者たちが撃つ剣の全てを受けきれず、一部の斬撃は、鮮やかさとは無縁のヨロヨロと力のない動きでギリギリ避ける。
無様な回避は、さらに次の応手を難しくする。
従者たちは、こちらの体勢崩れを逃すまいと追撃の剣を繰り出す。
そのまま振り抜かれてしまうとよもや、という攻撃を、ウリトラスに魔法を放たせて妨げる。
ヴィゾークとイデナが聖光に苦しむ中、最も精妙に魔法を放てるのがウリトラスだ。
二度目の死の淵から蘇ったばかりの半死半生の魔法使いが、この散々なパーティーの中で最強なのだから、傀儡事情の苦しさは顕然である。
せめてウリトラスがヴェギエリ砦でゴルティアの西伐軍を焼き尽くした時と同じくらいの体調を維持できていたならば、魔法ひとつで従者二人は倒せていた。
ただ、それはあくまでも仮定の中における話。
ユニティに一時的に占領されているとはいえ、ロギシーンはマディオフの領土。マディオフ人の目があるマディオフの街中で実際にウリトラスの火魔法を大解放させるわけにもいくまい。
これは破壊無用、あいつは殺すな、その技は使ってはならぬ。
最初から分かっていたこととはいえ、私にとって禁忌尽くしの、前提諸々からして不利な挑戦だ。
苦境に喘ぐ我々に、ミレイリもクローシェも従者たちも、全員が容赦のない攻撃を浴びせる。
休みなく手足を操作していると、次第に思考は追いつかないどころか、混乱し始めていく。
せめて、せめて一呼吸置きたい。
一瞬、仕切り直しの間が得られるだけで、応手を考え、手足を操作する頭が追いつく。
しかし、“悪”の息がかかった者たちは、何が何でも我々を滅ぼしたいらしく、攻撃の手を緩めようとしない。
一息に勝負を決する。
そんな断固たる気迫で、後先考えずに全力で攻めてくる。
守って守って持久戦に持ち込めば、自動的に勝てるのがアンデッド主体の我々の普段である。ところが、生者を主体に戦っている現在のパーティーは、相手と同様かそれ以上の速度で疲労が進む。
それでも、致命の一撃だけは受けぬよう、浅い負傷はある程度許容しながら忙しく手足を動かし、無数に飛び交う攻撃をどうにかこうにか捌くものの、斬り結びの余波で土壁が次第に崩れ去っていく。
土壁の崩壊は、射線の開通を意味する。
万端の準備をしていた治安維持部隊の魔法使い数名は、今が好機、と魔法を撃ち、ついでに別の数名も投擲攻撃を放つ。
本来なら難なく払いのけられるそよ風が、今は呼吸すらできなくなる強風だ。
あれを防ぐには足りない。手が……満足に動かせる手が足りない。
自分の体調不良、見通しの利かないウリトラスの容態、聖光に焼かれる手足、そして精神まで焦がす異常なまでに強い痛み。
霞んだ頭でボロボロの手足を操ったところで、損害無しにあの遠距離攻撃を防ぐのは無理だろう。
火傷で白く濁り曇った目で、迫りくる矢と魔法を不可避の天啓のように呆然と眺める。
ああ……。私はまた手足を数本、失うことになりそうだ。いや、手足どころか、本体も……。
これで死ぬのは何度目だ。
せめて二人には死体に唾を吐かれぬ場所を尸所として与えたかった。
生を諦め、死後に思いを馳せた瞬間、青く荒々しい風が飛来する矢の全てと魔法攻撃粗方の軌道を逸らす。
直撃軌道を保っているのは治安維持部隊最強の人員が放った魔法たったひとつだけ。
これならば防げる。
応戦がほとんどできていなかった手足の二つを強制的に動かし、至急作った不格好な魔法で目の前まで迫った魔法を相殺する。
手足は……全て無事だ。
必死と思われた斉射から、脱落する手足無く乗り切ったことに只只驚く。
形勢に決定的な傾きが生じると確信していたのは、私だけではない。
ユニティの連中や治安維持部隊も、矢と魔法の斉射がよもや蹉跌をきたすとは考えていなかったことだろう。
双方が確信していた未来を覆したのは、私の理解を何度となく超えてきた融通無碍の才、ラムサスだ。
絶望の一幕を風の一吹きでバラバラに割いたラムサスが続けざまに風魔法を放つ。
今度の魔法は荒く放散せず、そこはかとない精妙さのある収斂性を備えて一点を狙う。風が伸びる先にあるのはクローシェが大事に持ったヴェレパスムだ。
高弾速の風魔法から繊細な魔道具を守るためにクローシェは身体で庇い、直撃と相成って後方へ吹き飛んでいく。
待ちに待った距離ができた。
クローシェという切り込みの起点を失い、従者たち二人も慌てて後ろへ下がる。
局面が大きく変わって、なお変わらないのは、もはや意地になって攻め手を試し続けるミレイリだけだ。
周りが全く見えていないのか、それともそんなものはハナから気にしていないのか……。
失着を重ねるミレイリへの心証が急激に悪化する。
引き際を知らず、醜く、愚かだ。
お前を殺めるつもりはなかったが、もういい。邪魔だ。ここで眠るがいい。
一撃必殺の慈悲を込めてウリトラスに火魔法を放たせる。
虚を衝けたかと思ったが、そこまで視野狭窄に陥っていなかったのか、ミレイリは得意の風魔法を駆使して精度にイマイチ欠けるウリトラスの魔法をギリギリで躱すと、そのまま後方へ距離を取る。
ようやく……ようやくの『一呼吸』だ。これでやっと戦況を冷静に俯瞰できる。クローシェが遠ざかってくれたおかげで、聖光によるダメージが激減した。痛みが減れば、どうにかこうにか頭も回る。
起死回生の妙手を打ったラムサスが苛立ち気味の声で言う。
「いつになく諦めが早い。そんなに眠たい?」
「今は眠気を自覚していません……が、勝負所を迎えてなお頭が冴えないのは否定できません。体調管理の大切さを痛感します」
「だから、あれほど言ったのに……」
欲張った挙げ句、失態を晒してしまったのは事実だ。とはいえ、責任の一端はラムサスにもある。
「最初にロギシーンの民を守りたがったのは、サナではありませんか」
「自分たちの負担が過多になる方針は一度だって提案していない」
最大の負担をロギシーンの民に押し付けることで迅速性を重んじようとする私の方針と、ロギシーンの被害もユニティの被害も抑えつつ事を運ぼうとするラムサスの方針。
私としてはそれらを折衷できていたつもりだったが、ラムサスは私の判断の誤りを非難する。
今、私が客観的な視点を持ってその評価に同意することはできないが、きっともっと後になって振り返れば私も納得するのだろう。
情けないことに、見識にしても判断にしても、毎度毎度、私はラムサスに劣っている。
「それで……。魔道具から放たれる聖光はどれくらい拙い?」
「例えて言うならば、今にもかき消えそうなほど頼りない闘衣、それこそ塵よりも微弱な闘衣しか纏わずに濃厚な瘴気の中を歩いているようなものです。身体はドンドンと冒されています」
聖属性の波動は、火魔法や土魔法をはじめとした四属性の攻撃魔法とまるで異なる厄介な特性を持っている。
聖なる打撃にしろ、ホーリーボルトにししろ、ヴェレパスムが放つ強い光にしろ、破壊的効果をもたらすのはアンデッドに対してのみ。
誤解を恐れずに言うならば、聖波動にアンデッド側が勝手に苦しんでいるだけで、聖波動そのものは攻撃魔法ならではの特性をまるで持ち合わせていない。ゆえに、闘衣や防御魔法ではほとんど全くといっていいほど防げない。
オルシネーヴァ軍やゴルティアの西伐軍と戦う中で、私はそれを重々学んだ。
以来、聖光に対抗するべく新たなスキルや魔法を鋭意開発しているが、いずれも要改良の点が腐るほどあり、これっぽっちも信頼が置けない。
一応、現在もその未完成技術でアンデッドの身体を覆ってはいるが、実際にどれだけの効果が得られているのか自分でもよく分からない。
期待した分の効果はきっちり発揮してなお我々がここまで苦しんでいるのやら、あるいはヴェレパスムの光が強すぎて聖光を妨げる意味を全くなしていないのやら……。
「数十秒や数分浴びた程度で滅びまで至ることはないでしょうが、それでも今時点で既に偽りの生命力をごっそり奪われているのは間違いありません」
「持久戦に持ち込んでも待っているのは絶望か……アンデッドなのに。状況の厳しさは分かった。ここは退こう」
「醜態を晒している私が言っても説得力はないでしょうが、それでもこの状況は好機なのです。今を逃すと次にこれ以上の機会が得られるかどうか……。それに、逃げるにしても態勢作りというものがあります」
諸刃の機会を手放しきれない私に、ラムサスは憐憫の顔となる。
戦闘勘だけは劣っていないつもりだったが、とかく現在の私の頭は自分でも信用できない。ここはラムサスの判断を信じるべきだ。
「未練がましい物言いをしてしまいましたが、ここは退くつもりです。……それでもまだ不満ですか?」
「私が疑問なのは、あなたは逃げるために必要な技術を色々と持っているのに、すぐにそれを使おうとしないこと。制圧に固執しているとは思っていない」
「“紛い物”とはいえ、せっかくやっと見えたのです。上面を眺めるばかりではなく、皮のひとつでも剥いで臓腑の色合いくらいは確かめておきたいではありませんか」
「言い方!」
欲張るのは禁物だと学んだばかりではあるが、早速、欲張らせてもらおう。
確かに我々は劣勢に置かれている。それでも、得るものなく退散はしない。“真実”に近付く情報を、あとひとつくらいは持って帰らせてもらう。
「クローシェ・フランシス! 喜ぶがいい。お前にかかっていた“容疑”のひとつが晴れそうだぞ」
風魔法による吹き飛ばしから悠然と戻ってきたクローシェは、私の揺さぶりにも全く表情を変えない。
元から“容疑者”ではないミレイリもまた同様だ。
しかし、この場にいる者たちの数名は私の示唆に対し、複雑な表情を浮かべる。
意味も分からず不安を煽られただけなのか、それとも、この者たちもまた“真実”に近付きつつあるのか。
答え合わせは当分できそうにない。
当分どころか、そんな機会があるかどうかすら分からないが、それでも表情を変えた奴らの顔は覚えておこう。
「何が容疑だ。お前らが悪の権化だろうに!」
「アンデッドなりの命乞いか~?」
「今更後悔しても遅いんだよ!!」
がなり立てているのは、示唆が含まれていることにすら気付かない無知性個体どもだ。
さあ、これでハッキリするぞ。だんまりを決め込むお前はどちらかな、クローシェ・フランシスううううぅぅ!!
「ワイルドハントなりの陽動だ。くどいようだが、耳を貸すな。お前たち」
クローシェが部下という名の操り人形どもに警告する。
「そして……さようなら、ワイルドハント」
クローシェは、風魔法から無事に守りきった至高の魔道具を持ったまま重心を下げ、刺突剣の剣尖に魔力を集中させる。私の知らない技を披露してくれそうだ。
顔に浮かぶは、これで勝負を決められる、と思い込んでいる表情だ。憎しみに、決意や覚悟、そして僅かばかりの切なさが窺える。
……切なさ?
我々という難敵をついに滅ぼせるとあって、一種の哀切でも感じているのだろうか。
何か違うような気がする……。
我々を滅ぼすことで、クローシェも何か失うものがある?
表情の謎、クローシェが撃とうとしている技、いずれも気になる。余裕さえあれば見ておきたいところなのだが、もう十分に欲張った。これ以上は欲するまい。
そして、機は熟した。引き伸ばしも調整も無用。
ラムサス以外、この場の誰も私の誘導の本質に気がついていない。
それは即ち、こいつらが、ある一点に関してだけ、『無罪』であることを意味している。
「愚かなるクローシェ・フランシス! 天は私に味方したぞ!!」
どこまでが偶然で、どこまでが理詰めの悪意なのか、私にもまだ分からない。
しかし、今この時だけは、“天変”が私に利している。
クローシェは、私の言葉が空っぽの“偽物”などではない、中身の詰まった“本物”であることを理解している。クローシェ自身は“紛い物”のくせに。
理解しているからこそ、私の言葉を聞いてクローシェが仰天する。豹変してしまった、この空を。
指揮官が上方を見れば、従者も治安維持部隊も一斉に空を見る。
相手方における唯一の例外は、ユニティとは別の位置に立つミレイリだけだ。物理的な意味でも、関係性という意味でも。
ミレイリの前に立つクルーヴァが真正面のミレイリに睨みを利かせているのだ。熟練の剣士たるミレイリは、クローシェたちにつられて上を向き、ムザムザ隙を晒す真似はしない。
ミレイリの認知は正しいようで正しくない。
変装魔法と死面でミレイリからは分からないだろうが、クルーヴァはもうしばらくミレイリの姿を見ていない。
クルーヴァはずっと、ミレイリもミレイリが撃つ剣も見ないまま戦っていた。
どれだけ洞察力が高かろうと、危険察知の能力に秀でていようと、ラムサスのように反則的な情報魔法の力がなければ、ドミネートの特性を活かした私の目論見には気付かない。
崩れた土壁もそれなりに役に立った。
初見殺しの技術に頼ってひとり突出したのが仇になったな、ミレイリ。私のためにここで舞い踊れ!
ゴキン。
それは、失敗の音だった。
空を見上げていた全員が、音の発信源に目を向ける。
音は、金属と金属がぶつかり合う音。
闘衣を纏った霊石同士の激突では決して生じない、失敗の音。
闘衣に失敗したからこそ生じる、武器破損の音だ。
「く……くそっ!」
ミレイリは舞う。
舞いながら撃つのは、ミレイリの得意な攻めの剣ではない。
ミレイリが苦手とする、相手の攻撃に耐えるための守りの剣だ。
苦手な剣を、曲がってしまった愛剣で撃ち、ミレイリは舞う。
「なんなんだ、こいつらは! どこから現れた!」
二体から同時に攻め立てられるミレイリが叫んだ。
混乱するミレイリにクローシェの従者が大声で助言する。
「それがドメスカです。ミレイリさん!」
従者に続き、クローシェも大声を発する。
「落ち着いて捌いてください。ドメスカはそれほど強い魔物ではありません。冷静になれば――」
思い込みでクローシェは見当違いなことを言った。
お前は本当に“紛い物”だな、クローシェ・フランシス……。
確かに、そう強くない魔物だろうよ。ドメスカの並個体はな。
だが、違う、違う、違う、違う、違う、違うのだ。
そいつらだけは違うぞ、クローシェ・フランシス。
見た瞬間に分からない凡眼が……。だからこそ、お前も操られる。
クローシェが青筋を立て、血走った目でこちらを睨む。
「やはり、キサマらが操っていたのではないか。ドメスカを!」
「“真実”は、それに相応しい者だけが知っていればいいでしょう。暗愚なお前には些か勿体ないです」
ミレイリの命懸けの演舞は、我々が逃走するのに十分、観客の目を引きつけてくれる演目だ。
さらに欲張ってクローシェの制圧を試みる考えが頭をよぎるが、そうするには私の状態があまりにも悪い。
予定どおり、手足を一本、また一本と下がらせる。
クローシェは逃走する我々に向かって迷いがちに足を半歩だけ進め、叫ぶ。
「逃げる気か!」
「そうさせてもらいます。我々に付いてきたい、と言うならばどうぞそうしてください。ミレイリや治安維持部隊がどれほど死のうとも、愚かなあなたにとっては何でもないこと、いえ、むしろ理想的な展開なのでしょうから。ふふふ」
クローシェは謎の“切なさ”を抱いているようだが、我々を滅ぼしたがっているのもまた偽らざる事実であり、本音では我々に追撃をかけたいのだろう。
ここで問題となるのはミレイリだ。予備武器を持たない貧乏ハンターのミレイリでは、あの強力な二個体、“ドメスカロジツェ”を退けられない。
従者がこの場に残ってミレイリに加勢すれば、ドメスカロジツェの一時的撃退はできるだろうが、そうするとクローシェは実質的に単身で我々を追うことになる。
ヴェレパスムがあったとしても、クローシェひとりであれば、我々は簡単に制圧できる。治安維持部隊にいるそれなりの腕の魔法使いがクローシェに付いてきたとしても同じこと。
クローシェが我々を追いかけてこようが、ミレイリの加勢に残ろうが、いずれにしても我々にとって問題はない。
好きにすればいい。
迷いにより完全に足が止まったクローシェを尻目に、我々はその場を後にする。
クローシェは我々の後ろ姿に恨みの視線をたっぷりと送ってから、ミレイリを攻め立てるドメスカロジツェに向かっていった。




