第四七話 ユニティ 一三 ヴェレパスム
一行の全員が治療室から出ると、ミレイリが血相を変えてクローシェに詰め寄る。
「ドメスカは被害の最小化に成功している、と言っていたじゃないか!?」
ドメスカが時代を超えて再びロギシーンに出没するようになったことは、ウラスに来るまでの馬車内でミレイリに説明してある。ただし、今晩になってドメスカ被害が増えていることはクローシェたちも知らなかったのだから、説明のしようがあるはずもない。
「謀ったわけではありません。情報は常に新しくなる。それだけのことです」
「……はっ! そういうことにしておくさ」
ミレイリは大きく舌打ちして前のめりの身を引き戻す。
「それで……。マルティナ先生が言っていた“声の主”やら瘴気の発生源やら、話が入り組んできたが、結論から言って俺が地下に行っても意味はない。行くんなら――」
「そこをなんとかミレイリさんも付いてきてください。お願いします」
クローシェはミレイリにみなまで言わせず、先回りして頼み込む。
「地下に巣食うものは単体ではなく集団と考えて間違いないと思います。大半が地下を去った後だとしても、片割れくらいは残っているかもしれませんし、全員がいなくなっていたとしても、痕跡くらいは残されているはずです。そして、それを見つけられる可能性が高いのは、恥ずかしながら私たちではなく、ハンターであるあなたです。だから、なんとしても地下に付いてきていただきたい。できるかぎり短時間に努めますので」
クローシェはもったいぶった遠回しな表現はせず、できる限りハンターのミレイリに届きやすい言い回しを選ぶ。
ミレイリはアッシュの魔道具をチラリと見て逡巡する。
「そう言われてもな……。フランシスさんはアッシュと一緒に地下を一度調べたんだろ?」
「同じハンターでも、罠や抜け道探しに関しては、ミレイリさんのほうが上、と総大将から聞いています」
「二体目をしばらく野放しにしてでも、時間を費やす価値があるんだろうな?」
やや皮肉が込められたミレイリの問いに、クローシェは力を込めて頷く。
「俺がどう答えようと、あんたは地下に行く。不本意だが仕方ない。俺も付いていこう。さっさと行ってチャチャッと片付けるぞ」
ミレイリでも単独では成すべきことを成せないからこそクローシェと行動を共にしている。それが分かっているから、ミレイリは折れてくれた。
仮にもチタンクラスのハンターなのだ。心から賛同しての同行ではないにせよ、地下で何かあれば必ず力になってくれる。
ミレイリの協力を改めて取り付けたクローシェは未だにギンガと押し問答を続けていたグレータを回収し、ウラス地下へ向かった。
◇◇
地下階へ繋がる階段の前に四人が立つ。
(何か妙だ……)
どこがどう違うのかは明確に表現できないが、地下へ下りずとも階段前に立つだけで、前回との何らかの違いを肌で感じる。
「前とは何か違う印象を受けます。一体、何が違うのでしょう……」
厳しい顔をしたビークが、クローシェと全く同じ所感を漏らす。
「そうですね。かすかに音が聞こえるような気がします」
ウラス地下を訪れるのが二度目となるクローシェとビークに対し、ミレイリとグレータはあまり同意した風もなく首を傾げる。
「俺は別に階段下から気配の類は感じないな。まあいい。下りてみないことには始まるまい」
ミレイリはボヤき口調でクローシェらを励ますと、一段一段慎重に階段を下りていく。
地下に到達し、奥へ向かって歩を進めること数歩、深く腰を落としていたミレイリが不意にすっと背筋を伸ばした。
片手のグローブを外し、指先を舌で軽く湿らせる。
「おかしい。ここには風の流れがある……」
「それのどこがおかしいのです。ここは民家の地下ではなく治癒院の地下なのです。人為的に作られた風の流れがあっても……」
工業の原材料となる鉱石や化学薬品というものは、しばしば物性瘴気を生み出す。そのため、どこの国でもそれら危険物の保管場所や保管方法、保管施設基準が厳しく法で定められている。瘴気溜まりを作らないために一定以上の換気効率が得られるよう設計された風流も、そうした施設基準のひとつである。
ミレイリは、クローシェの異議に納得の姿勢を示す。
「そうだったな。治癒院の地下であれば、風が無いほうがおかしい。俺の勘違いだ。今の一言は忘れてくれ」
「いえ……」
クローシェは自分の理性と直感に大きな隔たりがあるように感じ、虚ろに返事する。そしてすぐさま隔たりの原因を理解する。
「……勘違いしていたのは私たちの方です。ミレイリさんの発言は何も誤っていません。ウラスでは、そういった物性瘴気を生じうる化学薬品の類を地下では保管していないのでした。換気装置についてまでは詳しく調査を行っていませんが、ここが民家地下と同程度の低換気空間であったとしても、何もおかしくありません」
「実際のところどうなっているかは、誰か構造を熟知している人間に聞かなければ分からんな。こんな夜中、建てた奴はおろか管理技師すら建物内にいるか怪しい。つまり、自分で調べるしかない、ってことだ」
仮に通風孔などの換気装置が設置されていなかったとして、それでも風が流れる理由。それは単純明快、抜け穴の存在を意味している。
前回、クローシェとアッシュとウラス地下を訪れた際、全員が瘴気を警戒し、風向きに十分な注意を払っていた。だが、風が流れていること自体には誰も何も疑問を抱かなかった。
無自覚に抱いていた偏見を振り払い、地下を流れる風に再度、集中する。
あの日も今夜も風の強さは至軽風である。ミレイリのように皮膚を湿らせるなり、火でも灯して煙を立てるなりしないと、風向きまでは分からない。
風速、温度、湿度は前回と概ね同じようであるにもかかわらず、今夜の風はいやに気色が悪い。ただし、その気色の悪さを感じているのはクローシェとビークだけであり、それがどうにも解せない。
ただの気の持ちようなのか、あるいは二度目だからこそ分かる微細な悪しきものを含んでいるのか……。
クローシェとビークから数歩先をミレイリがゆっくりと進む。ミレイリは専らソロで活動しているだけあり、ペアハントに勤しんでいたアッシュよりも野伏的な危険察知能力が高い。マルティナの治療室に入る前に使った罠探知の魔道具といい、先頭役にはうってつけである。
そのミレイリの歩様が安定しない。数歩進んでは止まり、その場でしばし迷った様子を見せ、しばらくすると数歩進み、また止まる。
何をしているのか問うと、風の流れから“地図”を頭の中に描いている、と答えが返ってくる。どうやら、風の流れから導き出される“地図”は相当複雑なようだ。
また少し進んで立ち止まったミレイリが低く唸る。そしてすぐに唸るのを止め、ふぅ、と大きく溜め息を衝いた。
「そうか、分かったぞ。これでは、まるで“クレト”だな……」
(クレト?)
聞き慣れない単語が強くクローシェの気を引く。
「クレトとは何でしょう。建物の構造や装置でしょうか?」
「ああ、そういえば共通語ではなかったな。誰かから指摘されないと、自分の喋っている言葉が方言なのやら古代語なのやら自覚できないものだ」
ミレイリは味わい深げに何度か頷く。
「クレトとは、現代風に言うとマウルのことだ」
ミレイリの口から、彼が知るはずのないゴルティア軍の符牒が飛び出し、クローシェの身体に電流を走らせる。
「この地下に棲むヤツの異常性ってやつが、俺にも少しだけ分かってきた。こいつは……」
ミレイリの言葉は尻すぼみとなり、文章をひとつ言い切る前に口が閉じてしまう。
言葉よりも行動で示す。そんな様子で、頬を伝う汗を拭いながら、装備の中から魔道具をひとつ取り出す。
ミレイリが指先でちょんと抓むのは、厳しい格好のハンターには似合わないかわいらしい赤色の細紐だ。紐の先には木イチゴほどの大きさの小ぶりの鈴が付いている。治療室突入前に使用した魔道具である。
その場でかがみ込んだミレイリが石造の床板の直上で鈴を鳴らす。
小さく、高く、涼やかな鈴の音が鳴り響いた後、ミレイリは徐に床板へ手をかけた。
床板を剥がし上げながら、ミレイリは言う。
「この出入り口に罠は仕掛けられていない」
ミレイリが重量たっぷりの床板を完全に剥がすと、そこにあったのはポッカリと開いた穴だった。穴は、大人二人くらいなら同時に下っていけそうなだけの幅がある。しかしながら、上り下りに必要な梯子や、それに相当する構造が全く見当たらない。
秘密の出入り口は、地上階に繋がる階段からすぐの場所にあった。しかも、隠そうと思えば大量にある物資を使っていくらでも隠せるはずなのに、出入り口は物資の影や真下にではなく、ふてぶてしくも通路の真ん中に作られている。
(何ということだ。前回、私たちはそうとも知らずに出入り口の上を往復していた。危ないところだった……)
クローシェの背筋に冷たいものが走る。
「これが地下の“影”の……マルティナ女史に干渉していた“声”の主の出入り口ですね」
独り言じみたクローシェの呟きに、ミレイリは一瞥することもなく黙って首を左右に振る。
「これは、出入り口用に使っていた穴ではない、と?」
「そういう意味ではない……」
「では、どういう意味なのです」
ミレイリはクローシェやビークの横を抜け、地上階へ伸びる階段の方向へ十歩ほど戻った。そして、その場所でしゃがみ込み、再び鈴を鳴らす。
「まさか……」
「そのまさかのようだぞ。フランシスさん」
安全を確かめたミレイリが二枚目の床板を剥がすと、そこにも先程と瓜二つの穴が開いているではないか。
ミレイリは忌々しげに穴を睨みながら言う。
「穴の数は五個や十個ではきかない。風の感じからいって、おそらく、数十以上開いている。ひょっとすると、全ての床板の下に穴を作っているのかもしれない。しかも……」
ミレイリは開いた穴に、また別の魔道具鈴をかざし入れて鳴らすと、床に伏せって反響音に耳をそばだてる。
「魔道具の反応と音の反響具合からするに、地下空間は相当広い。総延長も、床面積もな。大雑把に地上地図と重ね合わせた場合、下手をすると通り三つか四つ分くらいはあるかもしれん」
「大雑把だなんて、とんでもない。推測とは思えないほど極めて正確な測量です」
「どうしてそう言い切れる?」
「ミリエ通り四番地を中心に通り三つ分、それが、瘴気の発生範囲だからです」
薄々感づいていたことのはずなのに、まざまざと見せつけられた“敵”の拠点の大きさに、ややもすると気が遠くなりかける。
瘴気の発生範囲は地下で全て繋がっている。どの穴にも梯子が無いことからするに、穴の奥はどこまで行ってもヒトが動き回るに容易な通路や空間は無いものと思われる。
この地下拠点は事前に想定していた『隠し通路に小部屋がいくつか付属した程度』のささやかなものではなさそうだ。時機を改めてまとまった人員を投入しても全体構造の把握には相当な時間がかかるに違いない。ましてや少人数で飛び込んでしまうと、下手をせずとも迷路構造から抜け出せなくなるかもしれない。
ミレイリは鈴状の魔道具をしまうと、再びアッシュから預かった魔道具を手に持ってその場の全員から見えやすい位置にかざす。
「繰り返しになるが、本当にここを今から調べるのか。ゴブリンキングのいない、この広い地下空間を」
方位磁針代わりとなる魔道具球体の中の針は、下方向ではなく明らかに地上方向を指し示している。
クローシェたちが救護施設でミレイリと会っていた時、ゴブリンキングはまだこの地下拠点内にいたのかもしれない。しかし、ウラスに到着するまでの馬車内で一行は針先が、明らかに動いていることに気付いた。
ゴブリンキングがウラスから去った後であると、全員がとうに知っていたのだ。
それでも、ほんの僅かでもいいから“敵”の尻尾を掴み、殲滅への道標となる何かが見つかることを願ってクローシェはマルティナの治療室に押し入り、次いで地下に足を伸ばした。
しかし、その選択は“敵”の引き出しの多さと度を越した異常性を見せつけられる結果にしかならず、クローシェは臍を噬む。
「地下拠点の規模がもっと小さめだったならばそうしたかったのですが……方針を変えます。地上に出てゴブリンキングを追い、可及的速やかに討伐しましょう」
地下深くに続く暗い穴は、何人たりとも侵入を許さぬ拒絶感と、それとは真逆のあらゆる物を飲み込んでしまいそうな強欲さの両方を兼ね備えている。
穴の奥にまだあるかもしれない何かと、ここを根城としていた“敵”の不気味さに恐怖しながらも、それとは言わずに引き返す。
出ると決めたら、こんな場所、すぐにでも脱出したい。ボヤボヤしていると、穴から音もなく伸びてきた手に引きずり込まれてしまいそうだ。
「分かってくれて何よりだ。さあ、ここを出よう」
表面的な動機は違えど奥底にある思いは同じだったらしく、ミレイリはそそくさと階段を駆け上がっていった。
◇◇
アッシュの魔道具に導かれて一行はロギシーンの街を走る。最高速度は高くとも小回りの利かない馬車は捨て、自らの脚で走る。
ゴブリンキングのほうも常時移動しているらしく、クローシェらが走る脚を止めると針は少しずつ向きを変えていく。
走れど走れど、ゴブリンキングの存在を匂わせる徒党を組んだゴブリンの姿は見えないが、魔道具にはまる蛍光石の色が少しずつ赤に近い色に変化していることから、目標との距離が縮まっているのは間違いないだろう。
針の角速度から推測される目標の移動速度はかなりのものだ。襲歩の馬ほどは速くないだろうが、ヒトの脚で小走りで追っていてはいつまで経っても追いつかない、それくらいの速さだ。これで魔道具がなかったら、街の中にゴブリンキングがいることに気付いたとしても、昨夜や一昨夜と変わらない『夜遊び』に興じる羽目になっていたであろう。
情報系の魔法や魔道具とは得てしてそういうものである。活用次第で作戦どころか戦術を根本から覆す可能性を秘めている。
クローシェはふと、聞いておくべき大事な質問がされていなかったことを思い出す。
「ミレイリさん。あなたはドメスカを倒せますか?」
「ドメスカに試してみたい、温めておいた技がある。だが、それが通用するかは正直、分からん。なにせ、ドメスカを見たことすらないんだからな」
ミレイリ本人としては、ユニティに気を持たせすぎないように言ったつもりかもしれないが、ユニティ側からしてみれば、これまでで最も頼もしい発言だった。
実体不定のシェイプシフターであるドメスカを殲滅できるかもしれない。そういう含みを持たせた言葉を聞かせてくれたのはミレイリが初めてだ。
ゴブリンキングを排除する過程にドメスカが挟まってくるかはまだ分からない。だが、厄介な魔物を討伐する可能性を見せただけで十分に心強い。
「差し支えなければ、ミレイリさんがやろうとしている技や、あるいは倒し方を私たちにも教えてほしいです」
「差し支えるに決まっている。俺はハンターなんだぞ」
「そこを何とか」
鉄面皮なクローシェの要求に、ミレイリは辟易とした顔で唾棄する。
緊急事態とはいえ、図々しいにも度が過ぎていたかもしれない。
「噂に違わず押しが強いな。だが、そうでもないと、軍隊ひとつをまとめ上げられないか」
ここにもひとり、ユニティを軍隊と勘違いした人間をクローシェは見つけてしまう。ユニティやクローシェにとって重大な違いでも、一般人からすれば些事である。揚げ足を取るような真似を慎む代償として、クローシェの中にまたひとつ、発散できない不満が蓄積する。
心の奥側に積んだはずの不満は、思いがけず表情の端に溢れてしまっていたのか、ミレイリはクローシェの顔を見て嘆息し、補足を始める。
「ドメスカはシェイプシフターの例に漏れず、非実体系の魔物だ。こういうヤツらは核を叩くに限る」
「なるほど。して、核を見つけるにはどうすればいいでしょう。私たちは何度もドメスカと交戦しましたが、実体を失って崩れ去るドメスカを思い返しても、核に相当しそうな構造にはトンと覚えがありません。諸ハンターは核を浮かび上がらせるスキルでもあるのでしょうか?」
「これ以上は言わん。自分で考えろ」
ミレイリはそれきり、口を閉じてしまう。
尋問を諦めたクローシェは空を見上げる。ロギシーンはどちらかというと曇天が多い土地のはずなのに、最近は晴れがちだ。今日の夜空にいたってはよりにもよって、ここ数日で最もよく晴れていて、空に浮かぶ雲は疎らだ。
晴れ渡る空は本来、人を爽快な気分にしてくれるものであるはずなのに、この奇妙な雰囲気を帯びた晴れ空はとことんまでにクローシェを不安にさせる。
「それでしたら、混在した集団と会敵した場合、ドメスカはあなたに任せます」
「俺がアッシュに頼まれたのはゴブリンキング退治だ」
「では、ドメスカの倒し方を教えていただけますか?」
「はあ……。仕方ない。ドメスカは俺が討伐しよう」
ミレイリは溜め息混じりに、やれやれ、と呟きながらアッシュに託された魔道具に目を落とす。
針の動く速度は目に見えて速い。蛍光石はまた更に赤味が増した色合いになっているが、距離を教えてくれる蛍光石よりも、針の大きな角速度のほうがゴブリンキングとの距離が狭まっているという事実をより如実に表している。
敵のすぐ傍まで迫っていることを確信した一行は走る速度を上げた。
◇◇
「くそっ! この魔道具、走っている間に壊れてしまったんじゃないか?」
腹に据えかねたミレイリが、そのまま投げ捨てて破壊してしまいかねない剣幕で魔道具を睨む。
「ミレイリさん、落ち着いて」
立場上、ミレイリを宥めるクローシェも、隠した思いはほぼ等しい。
魔道具を信じるならば、目標との距離は交差点ひとつ分とか、ともすれば一行のいる場所横にある建物の裏手とか、すぐそこのはずなのに、いざそこまで行っても、ゴブリンキングはいないのだ。
では、魔道具が完全に壊れているのか、というと、そうとも思えない。
先程から一行は交戦音と思しき『何かが暴れる音』を幾度となく聞いている。音の発信源には交戦痕が残されていることもしばしばだ。
それなのに、いるはずの目標は影も形もない。
まさか『鏡の中の世界』に目標が隠れているオチはないかと、クローシェは訝る。そうなると、もう手も足も出ない。
眉を顰めたグレータが進言する。
「フランシス次将。敵はこちらの動きを読んで逃げ回っているのかもしれません」
「ううん……」
時空間のズレよりはよほど現実的とはいえ、こちらの動きが読まれているとなると、闇雲に追うだけではいつまで経っても接敵できない。それに、脚の差も無視できない。馬を捨てたのは早計だったかもしれない。
「少し追い方を変えてみましょうか」
「……どうやらその必要はなさそうだぞ」
皮肉なもので、諦めかけたそばから、一行の目の前に複数の人影が現れる。
(もしや、あれが?)
針の向きと蛍光石の色を確かめるべくミレイリの手元へ目を向けるも、その手にもはや魔道具はなく、代わりに抜き身の剣が握られている。
「追い撃ちは任せる」
作戦とは呼べない“私見”を簡潔に述べたミレイリの身体が爆発的な速度で前方へ突っ込んでいく。
得意の風魔法を駆使して先制の一撃で標的を沈めるミレイリの得意技だ。
(誤認だけはやめてくれ……)
有無を言わさぬミレイリの攻撃開始に面食らいながらも、クローシェは背中を追う。
目にも留まらぬ速度で目標との間合いに入ったミレイリが斬撃を見舞う。
(殺った……。もう間違いでは済まされない)
見惚れるほど美しいミレイリの剣に、クローシェは必殺を確信する。
しかし、次の瞬間、小さな火花と控えめな金属音が上がる。
斬撃を弾かれたミレイリは雪の残る路上を滑り、斬り合いの間合いから外れていく。
「今の一撃が防がれるとは……」
ミレイリは風魔法使い特有の癖のある動きで急制動し、体勢を立て直しながら毒づく。
それに対し、いきなりのミレイリの剣を難なく捌いた人影と、その周囲に立つ数名はいたって平然としている。ダメージが無いのはもちろんのこと、慌てる素振りすら全く見られない。
集団の人数は五、六……。冬とはいえ、明るいとは言えない夜道、しかも人影は皆、ゆとりあるローブを纏って狭い範囲に身を寄せ合っているため数えにくい。
それでもどうにかこうにか数えてみたところ、どうやら人数は十前後のようだ。いるのは二本足の者ばかりではない。クローシェがこれまで一度も見たことがないほど雄大な体を持つ馬が二頭、馬らしからぬ静かさで立っている。
細かな特徴を挙げればキリはないが、とにかく言えるのは、その集団が“異常”だ、ということだ。ヒトの世界に居てはいけない、完全なる異物。それがついにユニティの前に姿を現した。
“敵”との相対を確信したクローシェはブルリと身体を震わせる。
集団の中からひとり、異様な出で立ちの人物が数歩分だけ前に進み出てミレイリを見下ろす。背丈は常人よりも頭ひとつ分ほど高く、不自然なほどに膨らんだせむしはローブの下に隠された異形をクローシェに強く想起させる。
せむしの人物が喋る。
「随分しつこく追ってくる奴らがいるから誰かと思えば、ミレイリ……さんではありませんか。オレツノに向かったはずのあなたがどうしてこちらにいるのでしょう。そこの毒婦に良からぬことでも吹き込まれましたか?」
声は女のものだった。声質は似ても似つかぬものの、語調や抑揚といった喋り方全体の雰囲気が“異変”中のマルティナに酷似している。
叫びたくなるほどの怒りを既のところで堪え、ワナワナと震える声でクローシェは言葉を紡ぐ。
「ついに見つけたぞ……。ワイルドハント!」
せむしの女がミレイリからクローシェに視線を移す。
冬の夜特有の薄暗さのなか、フードに下にあった女の顔は、こういう状況でなかったらクローシェですら溜め息を衝いてしまいそうな怪しい婀娜やかしさがあった。
(あれがドレーナのポーラか)
西伐軍本隊から送られてきた人相描きとは少々異なっているものの、ドレーナがその気になれば人相などあってないようなもの。
よくよく見れば、ポーラは背中が曲がっているのではなく別のワイルドハントに背負われている。
ポーラは整った顔を顰めて上から下まで舐め回すようにシゲシゲとクローシェを眺め、声に侮蔑の色を乗せて言う。
「クローシェ・フランシス……。あなたとは時間を取ってゆっくりと話をしたかったのですが、問答無用で実力行使に出るとは……。自分に都合が悪いものは否応なく抹消する。ゴルティアを象徴するような行動です」
「何を言う!」
仕える相手を愚弄されてビークが吠える。
「時代の流れに消えていった魔物を蘇らせたかと思えば、今度はゴブリンを操り街を襲わせる。正義など無く殺戮に興じるワイルドハントが、どの口でほざく!」
悪を糾弾するビークを、ポーラは冷めた哀れみの目で見ている。
「飼いイヌをよく仕込んで……。いや、洗脳できているではありませんか。大国ゴルティアが送り込んできただけあります」
早速のワイルドハントの仕掛けに、クローシェは従者たちに小さな合図を出す。
その心は、『口車に乗るな。冷静になれ』といったところだ。
疑心を呼び起こして仲違いさせるのがワイルドハントの手口だ。怒りに我を忘れては敵の思う壺である。
激情しているかのように見えたビークだったが、クローシェの合図は見落とすことなく反応する。見かけよりも落ち着いている。
クローシェは少しだけ安心して、ビークの言葉の続きを引き継ぐ。
「ドメスカにゴブリンキング。いずれとも無関係と言い張るつもりか」
クローシェの追及に、ポーラの表情が少し沈む。
「……ゴブリンの大発生が事実だとは思っていませんでした。てっきりゴルティアの流言だとばかり。それに、経験も仇になりました。ゴブリンキングに関しては……」
ポーラは少々言い淀む。
「……あれは諸々の事情によって望まぬ誕生を果たしてしまったもの。そうですね。不幸な事故と言う外ありません」
「ふざけるな!」
悪びれずにゴブリンキングとの関係を認めたワイルドハントに、今度はミレイリが大喝する。
「お前らワイルドハントのせいで、“グイツァ”が復活してしまった!」
「グイツァ?」
ミレイリの指摘にポーラは怪訝な顔をする。演技らしさはどこにもなかった。
「グイツァ? 今、グイツァと言ったのか?」
突如、予期せぬ方向から声が上がった。
クローシェが振り向くと、そこには街中の治安維持を担う部隊のひとつがあった。ワイルドハントとの遣り取りに集中するあまり、近付いてくる部隊に気付いていなかった。
一行の迂闊な大声が、無用に僚員を危険な場所に招き寄せてしまっていた。
治安維持部隊が互いに呟き合う。
「ドメスカにゴブリンキングにグイツァ……。どうしてこんなにも一度に色々と起こる。大変だ。大変なことになった」
「おい、なんだよグイツァって?」
「なんで知らないんだよ。学校の遠足で皆行くイウォナにボロい祠があっただろ? あそこに封印されたドラゴンだ」
「いや、俺学校行ってないし……。でも、封印されたドラゴンの話なら、婆ちゃんがよく喋ってた」
「ああ! あのグイツァか!」
ゴブリンキング討伐の混乱の中、封印獣であるグイツァは復活を果たし、ミレイリは一部始終をその目で見ていた。前もってミレイリから教えられていたその時の様子や、グイツァという名前を聞いた瞬間のポーラの反応を考えるに、グイツァの復活はワイルドハントにとっても予定外の出来事だったと思われる。もしかしたら、グイツァという魔物の存在すら知らなかったかもしれない。
なればこそ、黙っていればグイツァの情報は駆け引きの材料になったかもしれないというのに、細かな事情を知らない治安維持部隊隊員たちはグイツァの概要をワイルドハントに説明してしまった。
仕方がないこととはいえ、ミレイリはクローシェの指示を仰がない。さらに治安維持部隊までいたのでは、駆け引きも何もあったものではない。
「ドラゴンを意図的にこの世に生み出し、ドラゴンの衝撃に揺れる隙を突いて悠々と相手国に攻め入る。ゴルティアならではのやり口です。そして今度はドメスカ、ゴブリンの大発生、最後にグイツァまで責任の所在を我々になすりつけですか。戦争に『卑怯』という概念がないとはいえ、あまりといえばあまりです」
ポーラはいやみったらしく長く白い息を吐く。
「ドラゴンを意図的に生み出した?」
「もしかして、あのドラゴンは……“フチヴィラス”はゴルティアが誕生させたのか?」
ワイルドハントの手口を知らぬ治安維持部隊は、ポーラの口から紡がれるまやかしにいくつか触れただけで激しく動揺している。
クローシェですら次から次に飛び出す新たな脅威に絶望しかけているのだから、隊員の動揺は一概に責められたものではない。
「愚か者! ワイルドハントの虚誕に耳を貸すな!」
ビークが一喝してどよめきを鎮める。
隊の混乱進行は一先ず止まった。しかし、隊員全員が心の底から納得したわけではないだろう。少なからぬ隊員の目に疑惑の光が灯っている。
「虚誕ねえ……。どうやらロギシーンの人々は、“誰”が“どういった経緯”でドラゴン誕生に関わったのか、教えてもらっていない様子です。あなたは知っているのでしょう、クローシェ・フランシス? 今、ここで迷える者たちに真実とやらを説明してあげたらいかがです」
クローシェには真相を打ち明けることができない、とワイルドハントは分かったうえで言っている。
しかも、おいそれと嘘を付いて切り抜けるわけにはいかない。何せ、ワイルドハントは審理の結界陣を持っている。超級魔道具である審理の結界陣持ちを相手に嘘で渡り合いたければ、こちらも超級に分類される情報魔道具を用意するか、それこそ精霊宝具でも持ち出さなければならない。
(嘘は厳禁……。しかし、大事なのは言い負かすことでも言い逃れることでもない。相手の調子に合わせないことだ)
「ゴブリンキングを生み出した罪から逃れようとしても、そうはいかない」
クローシェの答えに、ポーラは大いに落胆の様子を見せる。
「我々の責任を追及する体を装い、その実、自分たちの罪業を有耶無耶にしている。あなたは本当に我々の期待を悪い方にばかり裏切ってくれますね……」
どこか寂しげに語っていたポーラの顔色が瞬時に変化し、柳眉はギリリと逆立つ。
「なぜアッシュと一緒に行かなかった。我々はあれほど頼んだではないか!」
いきなり荒ぶりをみせたポーラの語気に、その場の全員が圧倒される。
情けないことに、クローシェも気圧されている。ただし、ポーラの怒声に恐怖したのではない。
ポーラの怒りの重心が思いがけない所にあったこと、怒りの裏に深い悲しみを感じたこと、そしてもうひとつ、急激な変化を繰り返すポーラの感情にどうしようもないほどの不安定性を感じたこと、これらの複合的な理由によって迷いが生じた、と表現するのが正しいだろう。
(聞いていたよりもポーラは情緒不安定だ。そういう感情面の脆さなど、報告には一度も上がっていない。どうしていきなりそうなった。……まさか、ワイルドハントの内部でも何か不測の事態が生じている?)
垣間見えたワイルドハントの隙について思考を及ばせつつ、クローシェは反論する。
「災厄の元凶であるワイルドハントにどうこう言われる筋合いはない!」
ポーラは、「埒が明かぬ!」と吐き捨て、次に怒りをミレイリに向ける。
「ゴルティアのクズはどうしようもないにせよ、お前の責任も重いぞ、ミレイリ! グイツァが強梁な魔物だというならば、なぜお前だけノコノコとロギシーンに帰ってきた。どうしてアッシュと共に戦わない!」
「そ、それがアッシュから託された願いだからだ! アッシュはグイツァを追った。俺はゴブリンキングを倒す!」
ポーラがギリリと歯ぎしりする。
「……どうやらお前は嘘を言ってないようだ。今回は見逃してやろう、ミレイリ。剣を引くならば、初撃の非は不問とする。それに、我々はこの街を出る。ゴブリンキングにまつわる諸問題は我々がどうにかしよう」
ポーラがミレイリに提案しているのは停戦協定だ。それをワイルドハントの弱気と勘違いしたのか、強気を取り戻した治安維持部隊が一斉に噛み付く。
「ムシがいいことを言ってんじゃねえ! 形勢不利だからって口先だけで逃げられると思うなよ!」
「ここで滅びやがれ!」
過熱気味の治安維持部隊に落ち着きを取り戻すよう、クローシェは手で制する。
その様子をポーラは目だけで人を殺せそうなほどの厳しい眼差しで見ている。
「本当はお前から、できれば穏便に入手したい情報がいくつもあった。だが、それはどうやら無理なようだ。善悪二元論など馬鹿げていると思ってはいたが、お前を見ていると、“完全なる悪”というものの実在をうっかり信じてしまいそうになる」
ワイルドハントの構成員たちがそれぞれ剣を構える。
「お前の好きにはさせんぞ、クローシェ・フランシス。“悪”にいいように操られたアッシュは我々が守ってみせる。アッシュが愛したこの街もお前らに壊させはしない。ゴルティアの野望は我々がひとつ残らず潰す。本来の目的であった“真実”のほうは、野望が全て潰えて襤褸布となった後のお前の身体から絞り出してやる」
(対話は終わりか)
クローシェも確かめておきたい“真実”があった。しかし、ワイルドハントにそれを尋ねようと思ったら、こちらも多少の秘密を打ち明けなければならない。僅かな隙を狙って離間の計を仕込む芸に長じたワイルドハントが一度秘密を知れば、必ずやそこを突いてくる。
二つに手を伸ばすのは下策。両方を取り逃すことにしかならない。手に入るとしてもひとつだけだ。どちらを優先すべきか、それは考えるまでもない。
そして、いずれを選ぶにしても衝突はもはや避けられない。
(被害はできる限り減らしたかったが……。嘆くばかりでもない。治安維持部隊にも実力者はいる。それが良い方向にはたらくことを祈ろう)
「私も、あなたたちワイルドハントに伝えておくべきことがあります。もしかしたら、それはいご……」
『遺言かもしれない』
言葉にすると真実になってしまうような気がして、口にしかけた台詞を飲み込む。
刺突剣を持たぬほうの手を懐に差し入れると、ぶつかったのは預かり物の魔道具だ。
(ヒューラン様。私に力を!!)
何度となく試行を繰り返した手順で素早く魔道具を起動すると同時に懐から引っ張り出し、頭上に高く掲げる。
その場にいる全ての者の視線がクローシェの掲げた魔道具に集中する。
「ノエル!! あの魔道具は――」
魔道具が起動する直前、ポーラとは別のワイルドハント構成員が何かを叫ぼうとした。しかし、それよりもクローシェのほうが早い。
「ヴェレパスムよ、邪を打ち滅ぼせ!!」
アウェルの同志、ホーリエ・ヒューランから託された超級魔道具がクローシェの詠唱に応え、燦然と輝きを放ち始める。
アンデッドを滅する聖なる極光が、その場を眩しく照らした。




