表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
172/214

第四五話 ユニティ 一一

 初めて見つけたドメスカに逃げられた後も、クローシェたちは夜を徹して街を歩き回った。だが、空を覆う雲の量が増えたせいか、件の魔物が再び姿を現すことはなかった。


 寒空の下、二日連続で来光を拝んだクローシェは従者と共に庁舎へ帰還する。


 自室でいくらかの休息を取った後、届いたばかりの昨晩の報告書を読む。真っ先に目を通すのは、当然、治安維持部隊による警邏の成果だ。


 それなりに期待して読んでいくものの、すぐに結果が芳しくないと分かってしまい、文書を読み進める速度は急落する。


 報告によると、昨晩、ドメスカと接触したのは、クローシェたちだけではなかった。


 治安維持部隊は、いくつもの分隊に分かれて広いロギシーンを巡回している。そのうちの複数隊がドメスカと遭遇し、交戦していた。いずれの部隊もドメスカを撃退することには成功したものの、残念ながらどの部隊も“殲滅”できていない。


 ドメスカは一定以上の攻撃を受けると変身を解除して非実体化する。非実体化したドメスカの倒し方や捕らえ方は、治安維持部隊の誰も知らない。非実体化した魔物を何人で取り囲もうとも、包囲としての意味はない。昨晩出現したドメスカに全て逃げられたのは致し方ないことであろう。


 せめてもの救いは、ユニティ側が受けた被害が軽微だったことか。軽傷者が数名出ただけで、死者や重傷、中等傷者は零だ。民間人には軽傷者すら出ていない。その代わりに、ドメスカの実態を調査するための囮として敢えて外に出しておいた禽獣が各所でチラホラと殺されている。


 総被害は想定よりもずっと少なく済んだ。しかし、想定よりも多かったものがある。それは、出現したドメスカの数だ。被害が少なかったとはいえ、ドメスカの推定個体数はスターシャやクローシェの読みよりもかなり多い。これでは、被害の少なさを手放しに喜べるはずがない。


 治安維持部隊の報告以外にも、クローシェを悩ませる憂鬱な報告がある。


 治癒院ウラスに連日連夜、寝泊まりしているはずのマルティナは、昨晩、どこかに行方を(くら)ましていた。マルティナがウラスにひょっこりと戻ってきたのは薄明の頃である。その時のマルティナはどういうことか寝ぼけ(まなこ)で、同僚から、『今までどこに行っていたのか?』と問われても、『全く覚えていない』と白を切る。そして、朝を迎えるとしゃっきり目を覚まし、素知らぬ顔でウラスの通常業務に就いた。


 一昨夜に引き続き、ウラスにはユニティから監視人員を配置している。まんまとマルティナに脱走されてしまった監視役の者は、さぞかし苦々しい思いで今朝の報告書を書き上げたことだろう。




 残念無念の報告ばかりが記された書類をクローシェは机の上に放り投げると、心中を表現するように安楽椅子へ深く身を沈める。


 マルティナが動くとしても、事を起こす場所はウラスの中だけだろう、と思っていた。逃げ出す可能性くらいなら少しは考えていたが、夜の間だけ姿を隠し、朝が近づいてから堂々と戻ってくるとは、さすがに予想していなかった。


 監視の目を逃れて外へ出た手口、マルティナが行った場所、そこで取った行動、ドメスカとの関連。マルティナの勝手な行動ひとつで、クローシェたちの考えなければならない謎が三つも四つも増えてしまった。


(実はあのマルティナは別人ですらなく、マルティナの姿に化けたドメスカなのでは?)


 クローシェはマルティナの身体の魔力網を自分で綿密に調査している。そういう目的での調査ではなかったとはいえ、いくらなんでもヒトの魔力網と魔物の魔力網の違いに気付かないほど呆けてはいない。馬鹿げたことと分かっていても、そう考えずにはいられない。


 他の謎についてもあれこれと考えてはみるものの、真実は一向に見えてこない。人は思考の袋小路に迷い込むと、手持ちの情報に過度に目を近づけてしまいがちだ。だが、近くから凝視するばかりだと、見抜けるはずの真実も見抜けなくなってしまう。


 手掛かりとなるものが折角、複数あるのだから、ここは思い切って距離を取り、全体の並びや位置関係を俯瞰してみるのもいいだろう。


 クローシェは大前提に立ち返る。幸運にも、クローシェは“敵”の最終的な狙いに見当がつく。ならば、“敵”視点では、一連の事態がどう見えるだろうか。


 純粋な戦闘力を考えたとき、ドメスカは魔物としてそこまで強くない。ドメスカを厄介な魔物たらしめているのは、強さではなく倒しにくさだ。


 秘伝の討伐方法を代々引き継ぐハンター家系出身の純ハンターでなければドメスカは倒せない。少し腕が立つだけの一代ハンターではドメスカの討伐要員として不適当だ。


 ところが、由緒正しい家柄のハンター陣はユニティの依頼を受け、ゴブリン討伐のためにロギシーンを留守にしている。ドメスカを倒す手段を、ユニティは自ら手放した格好である。“敵”ながら、よく考えられた計略だ。


 ドメスカを殲滅できないならば、次に考えるのはドメスカから受ける被害を抑えることだ。これは別に難しくない。民間人、ユニティ全てが夜間、建物内に退避するだけでドメスカ被害は完全に防げる。ただし、それを実際に行ってしまうと、ロギシーンはドメスカ以外のあらゆる侵略に対して無防備になる。


 ドメスカ、鎮圧部隊、大発生ヒュージアウトブレイクを起こしているゴブリン、ワイルドハントと思しき“影”、これら全てがロギシーンを脅かしている。ドメスカ怖し、と建物の中に引き籠っていては、それ以外の脅威に蹂躙されることになる。


 問題というのは同時に起きると対応難度が途端に跳ね上がる。しかも、今回、ロギシーンに並んだ問題はどれも脅威度が極めて高い。並びを考えると、ドメスカ問題が一番、易しいくらいのものである。


(“敵”の目論見を(くじ)くには、どこで何をやればいい? 敵は、私たちにどう動かれるのを嫌っている?)


 ゴブリンキングの討伐、ドメスカ殲滅方法の確立、マルティナ監視体制の増強、対鎮圧部隊防衛施設の造成、やりたいことはいくらでも思い浮かぶ。だが、それらはどれも問題の根幹に迫るものではないように思われる。


 ここはひとつ、誰か信頼できる切れ者に相談したい。こういう込み入った相談の相手をしてくれる知恵者ときたら、スターシャを()いて他にいない。


 ウラス近辺に異変が生じる前ならば、迷うことなくスターシャの所に相談へ駆け込んでいた。だが、今は軽い気持ちで丞相執務室を訪れられない。訪室には、それなりの決意が要る。


 訪室するための自分を納得させられる理由を考えるうち、ひとつの疑問が浮かぶ。


(今更ながら、スターシャは本当にアッシュを嫌っているのだろうか?)


 スターシャはアッシュの行動や言葉遣い、振る舞いから果ては居住まいにまでイチイチ難癖をつける。最初はそれを、アッシュを立派な指導者に育て上げるための教育のようなものだと思っていた。途中からは、好悪の感情に基づくものと考えるようになった。それが今は、感情とは別の、もっと明確な理由があってのことのように思える。


(自分が属する組織の代表者を邪魔して、スターシャが何か利を得られるか?)


 答えは分かりそうで分からない。


(疑いの目でスターシャを見ても、やはりスターシャがギキサントに感化されているとは思えない。裏切りとは違う、また別の理由だ。もう少し違う角度で眺めれば……)


 クローシェは悩んだ末にある気付きを得る。


(私には()()があった。その驕りを捨てれば、見えてくるものがあるかもしれない)


 重い腰を上げたクローシェは足早にスターシャの執務室へ向かった。




    ◇◇    




 スターシャの部屋を訪れたクローシェはすぐに本題に入り、丞相として温めている問題解決の手段を聞く。そして、たったそれだけで大いに気落ちする。


 スターシャに提示されたのは、どれも現実に即して検討された堅実かつ姑息的な手段で、起死回生の妙手ではなかった。刺し違えてでもいいから“敵”の心臓を抉り取ろうと、とは、露ほども考えていないのだ。


 クローシェが苦い表情を浮かべると、スターシャは物憂げな顔で言う。


「フランシス次将はより大きな危険を伴ってもいいから、問題を一掃できる大胆な策をお望みのようですね」

「そ、そんなことは――」

「いえ、いいのです。隠さずとも」


 スターシャは椅子から立ち上がって机の前に回り込むと、机の端を立ち椅子の代わりとしてより掛かる。


「次将は、本当は後押ししてほしかったのではありませんか?」


 クローシェが今回、スターシャの部屋を訪れた目的は、問題対応の名案がないか尋ねること、そして、スターシャという人間を見定めることの大きく二つだった。後押ししてほしい、とはまるで考えていなかった。だが、スターシャに自信ありげに言われると、そういう願望が実際に自分の心の奥底に隠れているような気がしてくる。


「『後押し』とは、具体的に何を意味したものでしょう?」

「……私たちは立場上、憶測の域を出ない根拠に欠けた発言は慎まなければなりません。しかし、確実な根拠が無いもののほうが多いものです。これはそういう、私の憶測、あるいは邪推のひとつです。それでもいいですか?」

「もちろんです。聞かせてください」


 スターシャは躊躇いを吹き飛ばすように、一度咳払いする。


「次将が今、最も強く願っていることは、ドメスカを殲滅することでも、ゴブリンキングを討伐することでも、鎮圧部隊一切を捕えることでもありません。それらは全て放りおいてロギシーンに残っている戦力の粋を結集し、直ちにウラスの地下を急襲して、そこに巣食う謎の存在を滅ぼしたい。これが、私の考えた“次将の一番の願い”です」


 自分でも可視化できていなかったクローシェの願望を、スターシャはズバリ言い当てた。


 言葉にされることで、クローシェははっきりと自らの内に潜む衝動を自覚する。


“敵”は様々な策を弄し、あらゆる方面からロギシーンとユニティを攻めている。ゴブリンキングもドメスカも、言ってしまえば小細工でしかない。小細工と全力で向き合ったところで、いつまで経っても“敵”は倒せない。


 真の“敵”の居場所は、オレツノではなくウラスの地下、クローシェはそう確信している。


 しかも、ウラスはロギシーン庁舎からすぐそこにある。一昨日、アッシュと訪れた際は調査にかけられる時間が短すぎて価値のある情報は何も得られなかった。もし、再度ウラスの地下に赴き、時間をかけて調査すれば、今度こそ違う結果を得られそうに思う。


 心を水面の上に引き上げられたクローシェは、裏表のない素直な気持ちでスターシャに問う。


「私が肯定したら、丞相はそれを現実のものにするために手を尽くしてくれますか?」


 スターシャは首を左右に振る。


「私は絶対に反対です。()()()()がいるならば、なおのこと総大将やハンター陣が戻ってきてからにすべきです」


 スターシャの微妙な含みのある言い回しに、クローシェは言葉の裏側を読む。


「次将は魔物討伐の専門家ではありません。従者たちもその点は同じです。焦って無謀な攻めに転じるのではなく、守勢に徹し、耐えて耐えて耐え忍ぶべきだと考えます。急いて攻めに転じると、守れるものも守れなくなってしまいます。今は穴ぐらに籠もる魔物のように固く守ることこそが、敵を困らせる最善手だと考えます」

「なるほど、説得力のある表現です。しかし、言い回しの妙に頼るならば、別の言い回しもまたできるでしょう。私はこう思います。ゴブリンキングもドメスカも、火にかけた鍋の蒸気穴から噴出する湯気に過ぎない、と。湯気と戦おうとか、蒸気穴を塞ごうと励むのは全くの無駄。私たちは鍋を熱する火を消すべきなのです」


 クローシェの語りを聞き、スターシャはこめかみを細い指で支える。


「総大将は以前、次将に問いました。『次将は地下の影がワイルドハントだと考えているのか?』と。次将はその問いに明確に答えていません。答えられないというならば、質問を少し変えましょう。次将の側ではなく、“影”に視点を移すのです。さて、ではこの“影”。一体、何を目的として、何と戦っているのでしょう? 次将の考えを聞かせてください」


 スターシャは、あらゆる質問の中で最も答えにくいものをクローシェに投げかけた。


『“影”はギキサントに通じている』


 その一言で全ては説明できる。だが、それを言ってしまうのは、クローシェがアウェルの一員であると暴露するようなものだ。今日まで長きにわたって日陰で命脈を繋いできたアウェルの努力を、先人たちによる長年の積み重ねを、自棄(やけ)になってたった一言でふいにするなど、あってはならない。


 嘘は言わず、なおかつアウェルについて隠し通すため、いつものように一般化された抽象的返答で逃げることにする。


「“影”の究極目標は私たち全てを滅ぼすこと。そのように思います」


 スターシャはがっかりとした顔で両の手掌を天に向けた。


「ジバクマとオルシネーヴァの戦争において、かのワイルドハントは武力の高さを誇示しました。ヒトの命も数多く奪っています。しかし、猟奇性の片鱗や極端な殺戮性向は見せていません」


 ワイルドハントの実績をなぞるスターシャは、あたかもクローシェの不明を嘆いているかのようだ。


「知識に不足した多くのヒトは、生者を殺すアンデッドという種族を、“猟奇殺害を愛してやまない魔物”と勘違いしています。次将もご存じかもしれませんが、アンデッドは生者を殺める際、獲物の苦しむ様を楽しむことはありません。もっと淡々と作業的に殺します。殺しを娯楽化するのは、アンデッドではなく生者の特徴です」


 クローシェの考えの矛盾を浮き彫りにするべく、スターシャはアンデッドの一般論から切り込んでいく。


 スターシャの言おうとしていることは間違っていない。けれども、一般論はそこから逸脱する特殊例に対してあまりにも無力だ。人間にも異常な嗜癖を持つ者がいるように、アンデッドにも例外は存在する。その数がひとつや二つでないことをこの切れ者が知らないはずはない。


 それなのに、どうしてスターシャが確信めいてワイルドハントを庇うような発言をするのか、クローシェには理解できない。


「ワイルドハントの戦闘力を考えれば、街に潜入した時点で勝負はついています。その気になれば、いつでもロギシーンの全てを壊滅させられるのです。ゴブリンキングを故意に発生させて総大将を街から引き離し、(いにし)えの魔物であるドメスカを蘇らせて住民と戦闘員をチマチマ攻撃する理由を、次将は綺麗に説明できますか? できないはずです。それはそうでしょう。偶然、同時に起こった出来事を無理矢理に一本線で結ぼうとするからです」


 スターシャはひとつひとつ丁寧にクローシェの脆い部分を突き崩していく。


「しかしながら、次将はなぜか、全てをワイルドハントのせいにしたがっている。普通に考えれば、ワイルドハントがそんな異常な手段を選ぶはずがないのに。さて、ではここで視点を“影”ではなく、次将に戻しましょう。次将は情報力に長けた方ですから、“影”の正体をワイルドハントだと確信しているのは、必ずしも不思議ではないでしょう。でも、いつからそのことを知っていたのかは気になる部分です。まさか、“影”がこの地に現れる前から分かっていたのでしょうか?」


 熱を帯びたスターシャの語りは、クローシェの口内をカラカラに乾燥させる。飲む唾のないクローシェは唾液代わりに空気をゴクリと飲み込む。


「私が考えるワイルドハントの目的とは、ユニティを壊滅させることでもロギシーンを滅ぼすことでもありません」

「丞相が考える本当の目的とは……?」


 スターシャの目つきが一変し、悲しみを湛えた目でクローシェを射抜く。


「ワイルドハントの目的は次将、あなたです」


 いきなり飛躍したユニティ丞相の結論に、クローシェは目をぱちくりとさせる。


「ゴルティア本国の諜報部には劣りますが、私たちも独自の情報網を有しています。それを通じ、ジバクマのワイルドハントがアンデッドにドレーナ、そしてレッドキャットといった多種族の構成員を抱えていることは知っています」


(やはりそうだった。情報力の絶対的な格差など、存在しなかった)


「構成員の多様性という意味では、ワイルドハントはゴルティアを象徴するような存在であるというのに、なぜか転地転戦を続けてゴルティアと敵対する行動を取り続けています。その奇矯な集団がフランシス次将の(おっしゃ)るとおり、今度はロギシーンに現れたとしましょう。ワイルドハントはなぜか表に出ず、陰でこれまた奇妙な行動を取り、シュピタルウラゾエに大きな影響を与えています。異変後、印象深い存在となったマルティナも、その影響下にあるのは間違いないでしょう。ユニティの指導者二人がシュピタルウラゾエを視察した際にマルティナが取った総大将への対応と次将への対応がまるで異なっていたのもまた、とても興味深いです。特に次将に対しては、昔からの私怨があるとしか思えない非友好的な態度を取りました」


 長語りするスターシャは大きく息を吸う。


 クローシェは呼吸も忘れて、スターシャが次に並べる言葉を待ち焦がれる。


「私怨の原因として考えやすいのは、“勧誘”です。ワイルドハントはおそらく、かなり前から次将を仲間にひき入れるべく、何度も勧誘を行ってきたのでしょう。次将にはその度、断られるものの、諦め悪くマディオフの北西端まで追いかけてきたのです。どうです? これなら、フランシス次将がシュピタルウラゾエ地下に潜む謎の存在の正体を知っていても、何も不思議はありません。暴力の象徴であるはずのワイルドハントが破壊活動に勤しまずに、あたかもユニティに手を貸すような妙な行動を取る理由も明快に説明できます」


 スターシャの唱える異説に、クローシェの全身から冷や汗が吹き出す。


(視点変われば、とはよく言うが、まさかスターシャからはそんな風に見えていたとは……)


 クローシェはこれまでワイルドハントと濃厚な縁のありそうな人物と接触を持ったことがない。正真正銘、異変後のウラスへ視察に行った時が初めてだ。身に覚えがないのだから、勧誘を受けた記憶もあるはずがない。


(ワイルドハントはまさかここまで考えていた……? 侮っていた……戦闘力や変装能力に意識が行き過ぎていた……。本当に恐れるべきは、内部から切り崩す権謀術数だった)


 どう答えればスターシャの誤解を解けるか、クローシェは慌てて考える。苦し紛れの嘘は、絶対についてはならない。後から嘘がバレた時、埋めるのが困難な深い溝になってしまう。墓穴となってしまいそうな虚飾表現は極力排し、率直に結論だけを述べる。


「ワイルドハントから勧誘を受けたことなど、ただの一度もありません」

「そうですか。そんな(おび)えた顔をせずとも、私が述べたのはただの邪推に過ぎません。ただ、もう一点だけ、意地悪な追及をさせてください。記憶を喪失していることになっている治癒師マルティナが総大将と次将に対して不可解な表情を見せた件について、次将はどのように考えていますか? 演技以外に思いつく理由を教えてください」


(くそっ……この質問も本当に意地悪だ。今の今まで私は何も思い当たらず困っていたというのに、身内から疑惑の目で見られていることを意識した途端に、ひとつそれらしい理由に思い当たってしまった)


「どうやら答えられないようですね。では、また質問を変えるとしましょう。これは、私がウラス視察時の詳細を従者から聞いた時に、真っ先に疑問に思ったことです。次将のその美しいお顔、それは本当にあなたの顔なのですか?」


 最後の最後にスターシャの口から飛び出した容赦のない追及は、心臓の拍動が止まりかねないほど強くクローシェの胸を圧迫する。


(拙い、拙い、拙い! 何とか……何とか上手く切り抜けなければ)


「もちろん、私は昔からこういう顔で――」

()とは?」


 幼少期から顔立ちの系統は大きく変化していない、と言いたかっただけなのに、少し幅のある言葉を選ぶだけで即座に追及の手が入る。日頃、アッシュにネチネチ苦言を呈しているだけのことはある。


「大人になった今の顔にも、幼き日の面影が残っている、と言ったつもりです。深い意味はありません。より直接的に言うならば、変装をしていない、ということです。揚げ足を取るような解釈はやめてください」

「そのとおりです」

「え……!?」


 スターシャは無作法に机により掛かるのを止めると、椅子がある元の場所に戻っていく。


「言ったはずですよ。これはただの邪推だと。疑い深く考えれば、そういう憶測もできる、ということを、失礼ながら次将にも分かってもらいたかったのです」


 椅子にかけたスターシャの表情はすっかり緩んでいる。それと同時に、張り詰めた室内の空気が一気に弛緩する。


「指導的立場にある人間や、戦術、戦略を考える立場の人間は、常に様々な可能性を見据えなければなりません。不確かなものの中から選択や決断を強いられることはいくらでもありますが、シュピタルウラゾエの異変を聞いてからの次将は、確信するあまりに他の可能性を全く考慮していないような節があります」


 クローシェの身体から、嫌な汗がひいていく。スターシャを試すつもりでここに来たというのに、すっかり自分のほうが試されてしまっていた。


「次将には、“影”の正体を確信するだけの根拠があるのでしょう。確信が正しかったとしても、地下を再訪するのは総大将が戻ってきてからにしてください。これは邪推でもなければ個人的なお願いでもありません。丞相として次将に正式に意見いたします」

「その意見の是非を論ずる前に、聞いておくべきことがあります。昨晩姿を消していたマルティナ女史への対応を、丞相はどうしようと思っていますか?」

「治癒師マルティナにつける見張りの数を増やします。……そうですね。昨晩の記憶が無いのですから、睡眠時遊行症、いわゆる夢遊病の可能性があります。無意識に夜間、建物外に出歩くのは、ドメスカの出没する現在のロギシーンにおいては、非常に危険なことです。治癒師マルティナはユニティにとってもロギシーンにとっても替えの利かない重要な人物なのですから、もう遠巻きの見守りなどという(ぬる)い監視ではなく、日没の少し前から日の出を過ぎるまでの間、横につきっきりの見張りを配置して然るべきでしょう」

「比較的ユニティと友好な関係を保っているとはいえ、ウラスは紅炎教傘下の治癒院ですよ。まるでユニティの監視下に置かれるような扱いを容認するものでしょうか」


 ユニティによる統治はロギシーンの全団体、あらゆる組織から受け入れられているわけではない。とりわけ国と結びつきの強い紅炎教関連の団体は、今もなおユニティへの反発を根強く残している。


 ウラスは紅炎教の関連団体の中では反発が少ないほうだが、負傷者の続出するユニティ戦闘員の治療をこなしている、という経緯があるからこそ、反発が控え目となっている。ユニティの方針に諸手を挙げて賛成しているわけではない。そこへユニティが高圧的態度を見せた日には、周囲の関連団体と同等か、それ以上の反発を招くのは必至だ。


 真剣に懸念を示されたというのに、スターシャは不敵に笑う。


「それは問題ありません。次将が先日、治癒師見習いのピルビットを招いたのが役に立ちました。あの話から、ウラスの院長が内側からの働きかけに極端に弱いと判明しています」

「その内側からの圧力をどうやって……」


 クローシェは言いかけて気付く。マルティナの異変によって、ウラスの内部事情は相当、不安定になっている。既に生じている内部紛争に乗じれば、さほど苦労することなくウラスの方針に介入できる。


「丞相がどれだけ抜かり無く監視体制を整えても、マルティナ女史が本当に敵の手の者であれば、必ずや監視を突破して治癒院を抜け出すでしょう」

「その時は状況に合わせて次善の策を講じるだけです。それに大丈夫ですよ」


 スターシャの笑みは、今度は曖昧だった。


「どう大丈夫なのです、丞相?」

「それは言えません」

「そんな大切な部分を秘密にするのは――」

「秘密保持が許されるのは次将だけですか?」


 そう切り返されると、クローシェは黙るしかない。


「未来へ至る道はひとつではありません。しかし、語ることで途絶えてしまう道もあります。次将だってそう考えているからこそ、秘密を秘密のままにしているはずです」


 スターシャはクローシェを黙らせる方法をよく心得ている。


 思惑どおりに黙ってしまうのは癪なため、クローシェは質問に質問を返す。


「では、ひとつ、かなり趣の違う質問をさせてください。丞相が思い描く未来の世界において、丞相自身は生き残っているのですか?」

「無論です。愛他(あいた)や自己犠牲の精神に溢れる人間がそうそういるとは思わないほうがいいですよ」


 クローシェが不安になったのは、スターシャが持つ自己犠牲願望の多寡ではない。華々しく散ることを過剰に高く評価する危険な破滅思想に染まっていないかどうかを危惧したのだ。


 今の返答を聞く限りだと、そういった不安はしなくてもよさそうだ。


「そうですか。では、丞相の指示を了承するとしましょう。ウラス地下の再調査は当面、延期とします」

「私がしたのは“指示”ではなく“意見”です。つまり、再調査の延期は私と次将の合意に基づいた決定、いえ二人の約束ということになります。いいですか、忘れないでください」


 スターシャはクローシェの行動を言葉の縄で二重三重にグルグルに縛る。解釈はいくつか考えておけ、と言われたばかりではあるが、スターシャがクローシェを束縛しようとする理由は敵対的感情ではなく、もっと好意的なものとみて間違いないだろう。


「覚えておきます。ですが、夜の警邏は今後も続けますよ。構いませんね?」

「次将が溜まった仕事を片付け、さらに適切な長さの睡眠を確保した上で()()()に励む分には、私も目を瞑りましょう」


 崇高なる街の治安維持活動を夜遊び呼ばわりされ、クローシェは思わず苦笑してしまう。


「目は瞑りますが、警邏続行もお勧めはしません。ドメスカの殲滅方法は引き続き調査させていますが、かつて確立されていたはずの殲滅方法をどうにも突き止められません。手配師などは、『ドメスカを討伐したいなら、アッシュよりも、伝統あるハンター家系の人間を頼ったほうがいい』と言っています。純粋な強さよりも知識が大切となる好例なのでしょう」

「もしかしたら、必要なのは特殊な知識ではなく、容易には身につけられない特別な技能かもしれませんよ、丞相」

「その可能性は低いと思います。常人には習得困難な技能であれば、わざわざ秘匿する必要などありません。むしろ、ハンターが自分から、希少技術を習得している、と大々的に宣伝し始めてもいいくらいです」

「なるほど、それは一理あります」


 クローシェがこのまま警邏を続けたところで、ドメスカを討伐できる可能性は極めて低い。そういう意味では、『夜遊び』という表現があながち間違いではない。


 ただ、クローシェはドメスカ討伐以外にも、ワイルドハントの各個撃破という内緒の野望を持っている。たとえ夜遊び呼ばわりされて溜め息を衝かれても、警邏から手を引くつもりはない。


 それに、スターシャの言い分の見方を変えれば、過去のハンターがドメスカ殲滅方法を隠したがったのは、やり方さえ知ってしまえば別の者でも真似できる方法だから、ということになる。


 ドメスカに立ち向かった先人たちだって、最初の頃はクローシェと似たような状態で試行と失敗トライアルアンドエラーを繰り返し、手探りで正解を探し当てたはずだ。ならば、クローシェにも正解を見つけられない道理はない。


「正解を見つける手段は(ふる)きを温めるばかりではありません。オレツノに向かった“正解”たちがゴブリンキングを倒してロギシーンに帰ってくるよりも先に、私は私の独自の正解を導き出せるように足掻いてみるつもりです」


 クローシェの所信を聞くスターシャは、もうこちらを向いていない。少しだけ困ったような顔で笑いながら、ドメスカとは無関係の書類に目を通している。


(こういうなおざりな反応をされると、俄然ドメスカ討伐への意欲が湧く)


「では、私はこれで失礼します」


 塩対応を始めた丞相にクローシェはやる気を刺激され、力強い足取りで執務室を後にする。




    ◇◇    




 自室へ戻る道すがら、クローシェは斜め後ろを歩く従者に問う。


「ビーク。あなたの地元では、シェイドエリミネーターとやらを倒す手段は周知されていないのですか?」

「申し訳ありません。一般人が知っているのはシェイドエリミネーターの被害を回避する手段ばかりです。魔物の討伐手段というのは専門業者であるハンターの飯の種であり、一般公開されるものではありません。ああ、でも――」


 クローシェがチラと後ろを振り向くと、いかにも『いいことを思い出した』という明るい顔をした従者がいた。


 しかし、ビークの表情からは瞬く間に輝きが消える。後に残るは、申し訳無さで一杯の、いつものビークの顔だ。


「今、言いかけた言葉を途中で引っ込めましたね、ビーク? 正誤や現実味は問いませんから、飲み込んだ言葉を言ってください」

「そ、それでは申し上げます。非実体の魔物は、魔法使いならば比較的簡単に殲滅できる、という話を聞いたことがあります。ただし、比較的簡単といっても、最低でもプラチナクラス以上の魔法能力を要求されます」


 ビークの説明は具体性に欠けている。それでも言いたいことは何となくクローシェにも伝わった。


 剣でチマチマと狭い範囲を切ったり突いたりするのではなく、広範囲殲滅力のある魔法でシェイドエリミネーターがいる辺りをまとめて薙ぎ払え。そういうことをぼかして言ったのだろう。


 攻撃魔法をひとつも実用水準で習得できなかったクローシェには、五色の息を一時に吐けども不可能な殲滅方法である。




 クローシェは自室に戻って書類仕事に取り掛かる。……が、なかなか集中できず、形を確かめるように自らの頬を手で撫でながら、スターシャの言葉を思い出す。


『次将の顔は、本当にあなたの顔ですか?』


 脳内に反響する追及の文言は、否が応でも古い記憶を呼び覚ます。


(もし、計略ではないとしたら、あのワイルドハントは、ひょっとすると……)


 自分の胸に渦巻く感情が期待なのか、恐怖なのか自分でも分からず、やおら立ち上がる。


 心がざわつき、書類仕事はまるで手に付かない。滅多にないことではあるが、心を落ち着かせる手っ取り早い方法がある。


 鞘からスルリと剣を抜いて、誰もいない室内で構えを取る。剣先をピタリと一点で固定すると、まるで剣に呼応するように心が静まる。


 完全に平静を取り戻すには、もう少し時間が必要だ。クローシェは剣を構えたまま、新技について考える。思案の果てに、魔法による範囲殲滅を擬似的に模した技を編み出せれば、心を落ち着かせるためだけのこの時間が、より意義深いものに変わる。


 鋭く尖った刺突剣の先を眺めながら、しばし、土着のシェイプシフターの倒し方を模索するクローシェだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] とてもおもしろいです。まずは他人の一人称で主人公が手で来るので彼女と一緒にアールが何をしようとしているのか考えるのは面白いです [気になる点] エヴァっぽい?また長く一人称が続いているので…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ