第一七話 メタルタートル 一
タイニーベアの大個体を倒した日から、私は槍のスキルの練習を始めた。剣のスキルのバッシュにしても、槍のスキルのピアースにしても、誰にも教えられることなく自然習得することは十分ある話だ。それでも、対外的に自然な形を演出するのに越したことはない。
カールが奥の手を隠している、とは相当前から睨んでいた。カールの強さはスキルを習得するのに十分なレベルだ。しかし、奥の手だけあってなかなか披露する素振りを見せない。そんな時に我々の前に現れたあの熊は、私にとってうってつけの役者であった。
安全を期して熊を避けることはできたし、倒すにしても、もっと楽な方法などいくらでもあった。そこを、あえて私が熊との戦闘で苦戦してみせることで、カールの危機感を煽り、奥の手であるスキルを引っ張り出す。熊とタッグを組み、カールに一芝居うった、という訳だ。
カールのピアースを目に焼き付けた私が、その日以降ピアースの習得に勤しむ。実に自然な流れである。
ピアースは未習得のスキルだったため、練習をしなければいけなかった。練習する演技ではなく、本気の練習である。身体の中に練り上げた魔力を、腕を伝わせて槍へと込め、一気に噴出させるようなイメージで、槍とともに突き出す。
魔力の操作と同時に身体を操作するのは、慣れないとかなり難しい。リアナの前で儀式を行ったときのように、数分練習しただけでできるようにはならない。時間がかかることは織り込み済みだ。
朝一番に手配広場へ向かい、四人パーティーで東の森へ足を伸ばす。たっぷりと獲物が得られたところで街に戻って精算する。カールと家に帰ったら、カールの退勤時刻まで槍の修練を行う。カールの勤務時間が終わったら、スキルの練習の始まりだ。
ハントで消費した魔力の残りを慎重に使ってスキルを練習する。何度も何度も失敗し、数日かけてようやっと形ができ始める。不格好でも形さえできれば、後はそれを整えていけばいい。一週間ほどの時間を費やすことで、私はピアースを習得した。
習得後、デモンストレーションのため、カールの前で披露した。そしてピアースから一週間ほど遅れる形で、剣のスキル、バッシュを習得したことにして、これもカールに披露した。
実際のところ、バッシュは前から使えた。試したことこそ無かったが、使える、という確信があった。ただ、成長しきっていない肉体がバッシュに耐えられるかどうかは自信が無かった。
今回、ピアースを習得できたことで、おそらく現在の身体能力があれば武器スキルを使っても身体に過剰な負荷がかかることはない、と不安をぬぐい去ることができた。なまじ使い方を分かっているばっかりに、バッシュを使ってもいいかどうか、自分の身体に尋ねることができなかったのだ。その答えをピアースが教えてくれた。
これでようやく名実ともに前衛スキルを解禁できるようになった。奥の手としてピアースを隠したがるカールと違い、私はスキル習得のエピソードさえ書き上げて披露してしまえば、以後、自分のバッシュもピアースも隠すつもりはなかった。
カールの気持ちを尊重するため、カールがピアースを使えることは特に言いふらしていない。言いふらす、と言っても、パーティーメンバーのダナとグロッグは遠目ながらも自分の目で見ているわけだし、他にハントについて話す相手は家族くらいしかいないのだが。
さて、攻撃魔法も武器スキルも使えるようになり、ハントできる対象がぐっと広がった。貧弱な物理攻撃では苦戦必至の、防御力の高い魔物も今後は相手取れるようになるわけだ。今の私は前衛としても後衛としてもダメージディーラーになれる。
決して使いたがりはしなくても、カールもピアースがあるから緊急時を考えれば心強い。カールの場合、緊急時には精神状態のほうに不安が残るが、あくまで保険である。
ダナは強い魔物に対する攻撃力としては物足りないものの、遠くまで見通す目はそれだけで存在価値があるし、集団戦の多い東の森では、人数としていてくれると大助かりだ。
ポーターのグロッグは私やカールほど戦闘で前に出張ることこそないが、戦闘力は自衛力として求められる分以上に持ち合わせている。ゴブリンどころかウルフに囲まれても問題なく自衛できるし、近接戦闘力はダナよりも優れている。荷物を背負ったままでも、シルバークラス一歩手前の戦闘力がある。これで荷物を下ろしたら……それは別にいいか。ハントについての知識は私よりも多く、土地鑑は間違いがなく、植生や魔物の分布を把握していることは、その時その時のパーティーの力量に合わせた狩場の決定に役立った。
この都市のハンター達に一番人気の南の森は、金銭効率こそが魅力となっている。赤字にさえならなければ金銭効率にはそこまで拘りのない私にとっては特別惹かれる狩場ではなかった。南の森に行かなくても、自分の実力を高めるのに丁度いい敵のいる狩場には事欠かなかったし、南の森にさえ行かなければ人間同士の諍いとは無関係でいられる、という意味で、我々以外の多くのハンターを集める南の森の存在は逆に有難かった。
たまに手配師からの討伐依頼を受けつつ、東の森を主狩場として、時には都市の北側の森にも行ったりしながら、実力を高める日々が過ぎていった。
ダナとグロッグが加入して以降、それ以上メンバーを増員する必要性を感じなかったため、四人でのハントがずっと続いた。
◇◇
そんなある日、珍しく手配師の側から提案が舞い込んできた。朝いつも通り手配広場に顔を出したところ手配師のほうから我々に話しかけてくる。
「よう、アール。お前ら向けのハントがあるけど、受けてかないか」
「討伐対象はなんだ?」
「メタルタートルさ」
メタルタートルか。前世では狩ったことがあっても、現世では未討伐、というか見た事すらない。メタルタートルは物理攻撃に対しても魔法攻撃に対しても非常に高い防御力を持っている。物理攻撃では、スキルを使わないと私ではおそらくダメージが通らないし、魔法にしても生半可なものは通用しない。
メタルタートル自身の攻撃力はそこまで高くないが、それでもタイニーベアくらいの破壊力がある。今の我々であれば、楽勝とまではいかなくとも、パーティーを半壊させられるほどの心配はないだろう。適度な難度の相手だ。
ただし、生息数が少なく、歩く鉱物と言われるほど換金率の高い魔物のため、ハンターに見つかるとあっという間に狩られてしまう。ハンターの側から選んで狩れる類の魔物ではない。出会えれば幸運な魔物、ということだ。
「珍しいな。そんな魔物の討伐依頼なんて、情報料をしこたまハネられそうだ」
「こっちも仕事だからね。今回メタルタートルが見つかったのは南の森ではないから、お前らに先に教えてあげよう、という俺の優しささ。で、どうするの、受けるの受けないの?」
メタルタートルは確かに魅力的な魔物ではあるが、手配師が理由もなく我々に優先的に仕事を回してくれる訳がない。こういう場合、詳しい話だけ聞いて依頼を受けなければ情報料だけ取られる上に、受けた場合と同様、対象の位置情報には守秘義務が生じる。ただ、懐かしい魔物の名前になんとなく興味を惹かれ話を聞いてみることとした。
案の定、メタルタートルが発見された場所は街からかなり遠くであった。日帰りできるような距離ではなく、往復日数を見越して計算する必要がある。しかも手配師が言うことには、今回発見されたメタルタートルはかなりの大物だ。こうなると討伐した後に運ぶのがきつい。
もちろんそこは専らグロッグの仕事だが、メタルタートルをグロッグに任せたら、他の荷物を今度は我々が持つことになる。ポーターでもないのに重量物を抱えて何日も移動するなど、考えただけで気が滅入る。
カールはあまり意見を言わないからいいとして、ダナも私と同様に否定的だろうと思い、ダナに意見を聞いてみると、意外なことにダナは乗り気だった。ダナは、危険な魔物に挑戦する際など、何かに対して強く反対する、ということはままあっても、強く賛成する、というのは珍しい。
泊まり移動や体力的な負担を考えると、私やカールよりもダナのほうが嫌がりそうなものだ。もちろん今まで泊りがけのハントをしたことはあるにはあるが、それを彼女が好んでいた印象はない。
「メタルタートルが上々の収入になるのは分かるけど、やけに乗り気な理由を教えてくれないか?」
ダナに直接尋ねてみる。
「それは……別に……」
少し顔を赤らめたかと思うと顔を背けて口ごもっている。考えるまでもなくダナは何かを隠している。表情から察するに、謀の類ではないようだ。
一抹の不安を感じたものの、情報料だけ払ってハントを回避するほどの大層な秘密をダナが隠しているようにも思えず、せっかくパーティーメンバーが受けたがっているのだから受けていいだろう、と判断し、手配師から依頼を受諾する。
泊まりの準備のために一旦家に立ち寄り、使用人に行き先を告げる。それから手配広場で再集合し、我々は北の森深く、メタルタートルが目撃されたという地点を目指してアーチボルクを出発した。
都市から北側もこれまでにある程度はマッピングしている。しかし、それは一泊で帰ってこられる距離に限った話である。グロッグは北側深くも来たことがあるようだが、数えるほどの回数で、しかも何年も前の話ということだから、参考程度ということになる。森へ分け入って行く際は、完全に新規の探索地域と考えたほうがよいだろう。
距離を稼ぐため、まずは北への街道を進んでいく。王都への道ということもあり、商隊を始めとした人通りが多く、魔物の襲撃もなければ野盗と出くわすこともなかった。
休憩、野営を挟みながら一日半ほど進んだところで、街道を離れて森の中へと進むことになる。森へ分け入る直前、街道のやや高みとなったところから目標地点を見下ろす。
森なのだから、少し高所から見下ろす程度では、魔物がいるかどうかなんて分からない。仮に見通しの利く場所だったとしても、私の目で遠く離れた目標地点にいるメタルタートルを見つけ出すことなど到底不可能である。一応、遠目のきくダナに聞くだけ聞いてみても、木々の切れ間の見える範囲にメタルタートルはいない、ということだった。
我々は普段の森で新規の地域を探索するときよりも慎重さを持ちながら、森へと足を踏み入れた。
街道を離れて一時間と経たないうちに、チラホラと魔物を見かけ始める。メタルタートル以外は狩ったところで持ち帰ることができないから、戦闘は時間の浪費にしかならない。普段ならば喜んでハントの対象とする魔物を見かけても我慢しなければならなかった。
レッサーモスやレッドウルフなど、向こうからかかってくる火の粉だけを振り払いつつ、攻撃性の低いノンアクティブの魔物は横を素通りしていく。目標地点への接近を最優先とした甲斐があり、二日目の日没前には目標地点の目前にまで迫ることができた。
暗くなってから強敵と戦いたくはない。その日の移動は終了にして、早めに野営を整え、ゆっくり身体を休める。
そして、迎える三日目の朝。携行食で小腹を満たし設営を回収した後、目標地点へと移動すると、探すまでもなく至るところにメタルタートルの足跡がついている。足跡のサイズをみるに、以前狩ったタイニーベアの大個体よりも大きそうだ。
「手配師から得た情報の地点はここで間違いないだろう。足跡もそう古いものではないようだし、追える限り足跡を追おう」
「でもこの足跡……」
「一頭分じゃないな」
ダナとグロッグの言う通り、足跡の形状やサイズをよく見比べると、その種類は脚四本分以上ある。最低でも二頭のメタルタートルがいることになる。
「メタルタートルが群れをつくる、とは聞いたことがないから、数はそんなに多くないと思う。というかそうじゃないと狩れない」
「相手が一頭じゃない、ってだけで難易度は段違いだ」
「本で読んだ知識通りの強さなら、私もカールも時間さえかければ一人で一頭を倒せるはず。それ以上数が多いとなると、敵のヘイトがどう向くかが問題だ。全員がめいめい一頭を相手取ることになって各個撃破されるのは避けないといけない」
前世の知識に基づけば、私は問題なくメタルタートルを倒せるはずだ。それが種の平均を大きく上回るような強大な個体でない限り。
ただ、高威力の攻撃手段を持たないダナとグロッグはメタルタートルにダメージを与えられない。倒せないにしても、こちらが一頭倒すまでの間、別の個体を引き付けてもらえれば御の字である。
それができるかと言うと、結構難しいかもしれない。メタルタートルほど防御が硬いと、ちょっかいを出してヘイトを引き付けることすら難しい。ダナの矢が当たっても、メタルタートルは『攻撃された』と気付かないかもしれない。
「たとえ群れであっても戦い方が無いわけじゃない。追跡中、メタルタートルに気を取られすぎて別の魔物から奇襲を受けたりしないように気を付けてくれ」
地面に深く刻みこまれた足跡を追っていく。身体の大きさだけならメタルタートルより大きい魔物なんていくらでもいる。メタルタートルは大きさこそ"それなり"でしかないが、比重が大きいために身体の大きさ以上に重さがある。
その重さが仇となり、水中に入らない限り足跡を残さずに移動することは困難だ。湿地程度の浅い水辺を通ったとしても、足跡が分かりにくくなる代わりに今度はユンクスのようなしっかりとした茎を持ち、強い力でポッキリと折れやすい植物がなぎ倒されることで、メタルタートルが通った跡ははっきりと残る。ハンターにとってチェイスの難易度は相当低い獲物である。
昨日、今日ついた足跡ではないから、標的がどれほど遠くまで移動しているかが問題だ。それも、より新しい痕跡を見つけることで、推測可能になるだろう。
三日目は、そのまま日が暮れるまで足跡を辿り続けた。メタルタートルまで到達することなく追跡を中断し、野営を行う。
四日目、夜が明けきらない時間帯、空が白み始める頃からチェイスを再開する。追跡する足跡は比較的新しい。もしかしたら今日中に追いつけるかもしれない。接敵するならば日が昇り切らないうちが良い。そんな私の逸る気持ちに拍車をかけるように、メタルタートルの痕跡は匂いまで上がってきそうなほど、どんどんと新鮮なものになっていく。かなり近い。
わずかに視界が開けたところで少しパーティーを移動させる速度を落とし、虫を上空へ飛ばす。遠方視力のあまり良くない虫の目ではあるが、接敵前に周辺地形を少しでも把握しておきたい。
空から見回したところでメタルタートルを見つけることは当然できない。しかし、前方には沼地が広がっていることを知る。水が近くにあることが分かった上で鼻を凝らしてみると、確かに泥臭い水の匂いをわずかに感じる。
「前方から水の匂いがする。足跡はそちらへ続いているから、メタルタートルはそこにいる可能性が高いと思う。慎重に近づこう」
メンバーに改めて注意を促して沼地へと向かっていく。しばらく進むと、木々の先に沼が見えてきた。湖ばりに大きな沼ではなく、対岸が視認可能な程度だ。ただ、濁った水のせいで足跡が追えない。
チェイスの問題だけでなく、自分の足を取られるのも上手くない。沼地から少し距離を取りながら、風下へ回り込むように沼の周囲を回る。
自分本体の観察力は沼の外周へ向け、虫は沼の中心側へ積極的に飛ばし、外と内の両方を索敵する。どちらにも亀らしきものは見当たらない。
ふと、ダナが声を発した。
「ねぇ。あれ、メタルタートルじゃないかな……」
彼女が指さす先に我々も目を凝らす。特にそれらしきものは見当たらない。虫をその方面に飛ばしてみる、が、やはり分からない。でかい岩があるだけだ。
ん、岩?
傀儡ではなく、自分でもう一度、岩を見てみる。微動だにしないため、虫の目には岩にしか見えなかったものが、人間の目でみると、確かに亀の甲羅のように見える。いや、一度亀の甲羅だと分かると、そうにしか見えない。
「完全に沼の茶色に溶け込んでしまっている。よく気付いた」
「俺はまだ見えない」
「私も見えません」
大抵一番遅くまで気付かないカールだけでなく、グロッグも見つけられないようだ。私の目には亀の甲羅が二つ見える。
「甲羅が二つ、か。このまま沼の周囲を回りながら他にもいないか確認しよう」
甲羅があるのは沼の真ん中あたり、と言って差し支えない。外周部に他の甲羅がないか、ゆっくりと沼地の周囲を回りながらクリアリングを続ける。沼の周りを半周ほど歩いて、こちら半分には他にメタルタートルがいないことを確認する。
「結局最初に見つけた二つの甲羅以外にメタルタートルらしきものは見当たらない。けれど、他の魔物はどうか分からない。沼地には、他にも攻撃的な魔物がいそうだ。何より足場の悪い沼地の真ん中でメタルタートルを狩るのは難しい。狩ったところで陸地まで引き上げるのもこれまた難しい。なんとかおびき出す必要がある」
「元々陸ガメだから、水場には長居しないんじゃない?」
それはどうだろうか。メタルタートルなんて、人間に見つかったらすぐに我々のようなハンターに寄ってたかられ、すぐに狩られてしまう生き物だ。生態なんて分かったものじゃない。陸地に上がった個体が狩られているだけで、実は一生の大半を水辺で過ごす、なんてことがあれば、我々はここで延々待ちぼうけをくらうことになる。
「行動パターンを把握している訳でもないのに、彼らが自分から陸に上がるのを待つのは好ましくない。日程的にも、もうアーチボルクを出て四日目。そろそろ戻ることを考えないといけない」
「食料はともかく、水が減ってきているからな。この沼の水が飲めるかも分からない」
「陸地に彼らをおびき出す方法……」
「単純なのは、ここから魔法を撃ち込むことだ。彼らは手を出されると反撃に向かってくるから、それを迎え撃てばいい」
ダナの弓矢だと無理でも、私の魔法であれば僅かなりとダメージを与えられるはずだ。
「二頭いるってのが厄介だ。一頭だけ釣られてくれるとありがたいな」
「後は他の魔物までついでに出てこないといいね」
「もしメタルタートル以外の魔物が出てくるようであれば、そっちの魔物を先に倒そう。メタルタートルはちょっとやそっとじゃ倒せない。その間、延々他の魔物からの攻撃を受け続ける理由は無い。ダナはグロッグと一緒に少し離れたところから観察して、メタルタートル以外の魔物の動きに注意を払ってくれ」
ダナがゆっくり頷く。
ダナとグロッグをその場に置き、私とカールの二人でメタルタートルへと距離を縮める。機敏に逃げ回るような魔物ではない。沼にあまり近づきすぎない距離からファイアボルト放つ。細かく狙いを定めなくとも、図体がでかいために当てるのは容易だ。
強めに魔力を込めたファイアボルトを練り上げて、大きなほうの甲羅に向かって魔法を放つ。斜め上方に向かって私が放ったファイアボルトが描く軌跡は、弾速の遅い火矢のようだ。
ファイアボルトが放物線を描いて甲羅に直撃する。甲羅に着いた炎に気づいたメタールタートルが大儀そうに首を上げてこちらを向く。
よし、そうだ。こっちへ来い。
我々を確認したメタルタートルの一頭は、こちらへ向かってくる……とばかり思いきや、そっぽを向いて、のそのそと我々とは逆方向へ歩き始めた。
「なっ、そうじゃない。こっちに来い!! メタルタートルだろ!? 攻撃されてなぜかかってこない。こちらとは距離が離れているからか? それとも沼地だからか?」
攻撃されたので逃げる。野生に生きるものとして、ある意味当たり前の行動なのだが、私の想定とは全く異なる。なぜ逃げる? 特別臆病な個体なのか?
「カール、追うぞ」
期待を裏切られたことにわずかな苛立ちを感じながら、メタルタートルが向かう側へ我々も走り出す。沼地の外周を反時計回りに走ること半周強、背の高い植物の茂る藪地に突き当たる。足元はかなり泥濘んでいる。
「こちら側はクリアリングしていない。危険だが……」
「進まれるのでしょう?」
カールは分かっているようだ。ハンドシグナルでダナに合図を送り、我々だけ藪地へと入っていく。非常に視界が悪い。待ち伏せが凶悪な効果を発揮しそうだ。虫を呼び寄せて周囲の警戒に当たらせる。だが心許ない。
動かないものは虫の目では見えにくい。クロコダイルが泥地に伏していたとして、果たしてそれを見つけられるかというとなかなか難しいだろう。
しばらく進んでいったところで、藪の奥から一瞬だけ物音が聞こえる。合図を出してカールを止まらせ、物音がしたポイントへと虫を飛ばす。だが何も見えない。今の物音……気のせい、とは思えない。
これまで以上に気配を殺し、ポイントから少し距離を空ける形で慎重に横を通り過ぎていく。視線は特に感じない。もう少し近付いてみよう。
ポイントにもう数歩、歩み寄ろうとした瞬間、藪から"何か"が飛び出してきた。何かは私ではなく、カールへとすさまじい速さでとびかかっていった。カールは槍を突き出すこともできずに、何かにのしかかられて泥濘へと押し倒された。
最初からカールだけを見ていたのか!! 道理で視線感知で捕捉できないわけだ。
一足飛びでカールへと近づき、何かへと剣を振り下ろす。剣が当たる直前に何かはカールから飛びのき、そのまま藪の中へと消えていく。見えなくなる直前に、一瞬だけこちらを振り向いたことで、何かの顔が見えた。あれはウォーウルフだ。
「カール、大丈夫か!?」
「牙は槍で防ぎました。倒れたところは泥濘でしたし、怪我はありません」
奇襲の一撃はなんとか防ぐことができていたようだ。
「ウォーウルフは、通常のウルフよりも少数の群れを作る種だったか。一体あたりの強さはウルフを遥かに凌ぐ。そんなやつにこの視界の悪い中で複数襲い掛かられては分が悪い。一旦引くとしよう」
カールの手を引き、立ち上がらせる。だが、我々が元来たほうからウォーウルフのものと思われる藪中を走る音がする。ここから最も近い藪の切れ目の側にウォーウルフは回り込んでいるようだ。こちらの様子を窺うウォーウルフの視線を度々感じる。
妙だ。なぜ完全に気配を消さない。我々を藪の奥に追い立てようとしているのか。仲間が奥にいるということだろうか。
私が感じるウォーウルフの視線は一体分で、他のウォーウルフの視線は感じない。普通のウルフであれば、一体襲い掛かってくれば仲間も次々と現れ、右から左から引っ切り無しに攻めて来て、無理矢理にでもこちらの隙を作ろうとしてくる。ウォーウルフもそうなのか分からない。
知識としては知っていても、前世を含めて実物のウォーウルフを見るのは初めてだ。知識も簡潔に言ってしまえば、個の力が強い代わりに群れは小さい、ということと、顔の模様がウルフとは違う特徴的なアイブラックを有していること、くらいのものだ。
いずれにしてもこのまま奥へ進むのは危険だ。藪の奥に逃げて数の暴力に晒される危険性を考えるならば、我々を追い立てようとする目の前の一体を排除するほうがずっと容易いだろう。
「藪の切れ目まで戻るぞ、私の背中を槍の射程に保ったままついてこい」
剣よりも槍のほうが射程は長い。ウォーウルフの初撃を私が防げば、あとはカールの攻撃で倒せる。そう考えていたところでウォーウルフが遠吠を上げた。
「遠吠え? やはり仲間がいるのか」
上がった遠吠えは一つだけで、呼応するものは無い。だが、沈黙を保ったまま近づいてくる仲間がいるかもしれない。藪からの脱出を急がないといけない。
遠吠えが上がった方向から斜めに向かって私は走った。この角度で走れば、向こうが近づいてこない限り接触を避けられる。
見当はついているんだ。向うから近づいて来れば……動いてさえいれば接敵されるより前に虫で発見できる。私ではなくカールを狙ったとしても視線感知で見つけ辛いのと反撃がしにくいだけで、藪から脱出する分には問題にならない。
走り続け、藪の切れ目までもう少しとなったところで我々の背後からウォーウルフが走ってきた。やはりだ。動いてさえいれば見つけられる。
「カール、後ろだ!」
カールが振り返り、槍を構える。だが、ウォーウルフはカールには襲い掛からずに、横へと走ったかと思うと、私の前方へと回り込んで飛びかかってきた。この身の切り返しの速さはかなりものだ。しかし、反応できないほどのものではない。
噛みつきの一撃に剣を合わせて防ぐ。無理にカウンターをとらなくとも、私は防ぐだけでカールに突かせればいい。そんな私の目論見は空振りに終わる。
攻撃を防がれたウォーウルフは私を蹴り飛ばし、すぐに離れていった。ネコ科の魔物だったら蹴り飛ばしではなく爪の振り下ろしが繰り出されて私は死んでいたな……
ウォーウルフは遠ざかったかと思うと、再び切り返して飛びかかってくる。私にもカールにも一撃と離脱を繰り返し、大きな隙を見せない。瞬間的に牙を見せ、我々がそちらを向くと離れていく。
これはウルフが群れで狩りを行うときのやり方だ。さっきの遠吠えといい、やはり仲間がどこかにいる!
ウォーウルフの相手をしていると、藪の奥から巨体を揺らしてメタルタートルが姿を現した。
「カール、メタルタートルだ。気を付けろ」
沼地から泥濘まで上がってきたメタルタートルは、最初の目測よりもかなり体高がある。メタルタートルは迷いなくこちらへ進んでくる。なぜだ。先ほどは我々から逃げていたのに。
メタルタートルは、より自身に近いカールに向かって振り上げた足を下していく。そこまで速い動きではない。十分に避けられるはず……だが、メタルタートルに気を取られているカールへ向かってウォーウルフが走っていく。
「連携? 共生関係か、こいつら」
咄嗟にファイアボルトをウォーウルフとカールの直線上に向かって放つ。魔法を避けるためにウォーウルフが身を逸らす。その直後にメタルタートルの足がカールの場所へと足を沈み込ませた。
大丈夫だ、間一髪なんとか避けられている。
「早く離脱しろ」
「すみません、アール様」
ウォーウルフへ向かって牽制のファイアボルトを放ちつつ、カールを先に藪から脱出させる。ファイアボルトにより藪の奥が燃え広がっていく。こんな湿気った場所だ、そこまで延焼はしないはず。
広く燃え上がらなくても、湿気った植物が少し燃えるだけで煙が立ち込める。更にもう一頭のメタルタートルが来られては、我々はどうしようもなくなる。これが煙幕になってくれれば、囲まれることを避けられるかもしれない。こちらの視界も悪くなるから、危険を伴う手段ではあるが、藪の出口はすぐそこだ。
煙が我々に有利に働くことを願ってファイアボルトを放ちながら、カールに遅れて私も藪から抜け出す。
藪からすぐの場所にダナとグロッグがいる。彼らもこちらに回り込んできていたようだ。カールが叫び、彼らにウォーウルフとメタルタートルの存在を伝える。
藪から距離を取りながら、飛び出してくるウォーウルフに備えて態勢を整える。すると、ウォーウルフは藪からひょいと身を乗り出し、こちらを窺う姿勢を見せた。視線を動かし、こちらにも仲間がいることを理解すると、小さく跳ねるように身を翻し、煙の立ち込める藪の中へと消えていった。




