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第四二話 ユニティ 八 ドメスカ 前

 庁舎に帰り着くと、アッシュはすぐさまストライカーチームの代表者として準備万端の部隊に連れて行かれた。鎮圧部隊撃退に始まって緊急会議にウラスの視察、そこから休む間もなくゴブリンキング討伐への出立なのだからアッシュと戦闘部隊の疲労蓄積は推して知るべし。


 アッシュらの心配ばかりはしていられない。アッシュを見送った後、クローシェは執務室に戻って溜まった業務を手掛けながら脳の片隅で思案する。


 アッシュらストライカーチームが不在の間、ロギシーン防衛はクローシェの肩にかかっている。具体的に残留組に求められのは、ゴブリンの大発生ヒュージアウトブレイク及びゴブリンキング発生の余波から街を守ることだ。


 ストライカーチームはまだ街を発ったばかりであり、どれだけ順調でもすぐにはゴブリンキング討伐と相成らない。討伐までは、それなりの日数が見込まれる。その間、ゴブリンの群れのひとつや二つが街に流れてくるかもしれない。普通のゴブリンの十や二十ならいざ知らず、ゴブリンキング発生によって強化されたゴブリンが百も二百も大群(ホード)となって襲来した場合の防衛難度はそれなりに高い。人的被害と建造物や農地への被害を最小限に食い止めつつロギシーン全域を守らなければならないのだから、ロギシーン残留組の使命も決して軽くない。


 しかも、ゴブリンだけに気を払ってはいられない。ロギシーンは鎮圧部隊からも狙われている。もしも鎮圧部隊が全力で攻めてきた場合、ユニティは一旦、都市を明け渡す算段でいる。それというのも、残留組には鎮圧部隊を退けるほどの力がないからだ。ストライカーチームには確実にゴブリンキングを討伐してもらうため、ユニティの中でも腕利きの戦闘員を選出した。アッシュや精鋭戦闘員多数を欠いた残留組ではリディア・カーターやエルザ・ネイゲルを擁する鎮圧部隊に歯が立たない。


 鎮圧部隊がマディオフ正規軍である以上、彼らがロギシーンの街の破壊に及んだり、民間人を殺害したりする心配はない。ユニティの戦闘部隊と中核構成員がそっくりそのまま街から逃げれば、ユニティに代わって鎮圧部隊がロギシーンの街をゴブリン災禍から守ってくれる。


 ユニティは緊急避難場所でストライカーチームの任務完遂と帰還を待ち、然る後、ロギシーンを奪還する、という寸法だ。


 ユニティは鎮圧部隊を相手に何度もロギシーンを防衛してきた。経験量の差や戦場補正に助けられることでそこまで危なげなく防衛できたが、攻守が入れ替わって街を奪還するとなると難易度は跳ね上がる。だが、ストライカーチーム抜きでゴブリンの群れと鎮圧部隊、両方を同時に相手取って戦うことを考えれば、奪還戦のほうがよほど堅実な策と言えよう。


 それに、鎮圧部隊が攻め込んでくる可能性は高くない。ユニティと鎮圧部隊が最後に交戦したのは、ほんの半日前だ。交戦間隔は次第に詰まってきているものの、鎮圧部隊が今日、明日攻めてくるとは考えにくい。一度武力衝突を経た後は傷兵の治療や装備の補修をはじめとした改修作業があり、再度戦闘態勢を整えるまでにはそれなりに時間を要する。


 さらに、ユニティ側からゴブリンキング出現の情報を各所に流してある。情報は当然、巡り巡って鎮圧部隊の耳にも入るはずだ。このタイミングでユニティと鎮圧部隊が争うと、事態がどう転んでもゴブリン災禍から受ける街の被害は拡大する。


 これで鎮圧部隊の将が、『ユニティを壊滅させるためならば、街にどれだけ大きな被害が出ても構わない』という迷妄じみた破壊的執念に囚われているならば話は変わるが、これまでの交戦からそのような危険な印象を受けた(ためし)はない。


 油断は禁物ながら、過剰に鎮圧部隊を不安視せずともよい。クローシェにとって鎮圧部隊よりも気がかりなのは、“確定”させられなかったマルティナと見つからなかったウラス地下の“影”だ。


 本日の視察で確実になったのは、マルティナが王族の呪い(ロイヤルカース)に代表される呪いの類には冒されていない、ということだけだ。他に掴んだのは、今のマルティナがアッシュやクローシェの過去について何やら知っていそうだ、ということくらいのもので、地下の瘴気にいたっては肝心な部分が新たに何も分からなかった。瘴気出現の周期性については確かに新情報ではあるのだが、それもマルティナの口から語られたものでしかなく、信憑性は何とも言い難い。視察は総じて、収穫が極めて少なかった、と評さざるをえないのだ。


 地下の“影”の正体が“ギキサント”の尖兵として蠢くワイルドハントであれば、ユニティが戦力を二分したこの時機を逃さずに必ず動く。レンベルク砦北の荒れ地でオルシネーヴァ兵を大虐殺したように、今晩からでもロギシーンの無辜の民を次々に手にかけていくかもしれない。あるいは慎重を期し、アッシュたちストライカーチームが十分にロギシーンから遠ざかるのを待って、明日、明後日から活動を始めるかもしれない。


 地下の“影”、災害化したゴブリン、鎮圧部隊、クローシェの前に立ちはだかる困難は増えていく一方だ。どれかに上手く対応できたとしても、対応した数以上に新しい困難が姿を見せるのは想像に難くない。


 街の守りを託された残留組を率いるクローシェには、普段にまして眠るに眠れぬ夜が待ち構えている。




    ◇◇    




 その日の夕食も、ビーク一押しの“美味しい料理”だった。ビークは配膳時、献立について何も言っていなかったが、自分で調理したわけでもないのに自信満々の顔をしていたから、きっとこの土地ではそれなりに名が売れ、好評を博している料理なのだろう。


 ロギシーン住民の舌を喜ばせる名物料理によって意欲を著しく挫かれたクローシェが食器を下げさせ、いざ夜の執務に取り掛からん、という時に、平穏の終わりを告げる切迫したノックの音が執務室に鳴り響く。


 ビークと並んで執務室に入室してきたのは、治安維持部隊として衛兵と共にロギシーンの街を警邏する巡察官だった。巡察官は凄みのある表情でクローシェに報告する。曰く、街中の複数箇所において、連続して殺傷事件が起こっているらしい。


 報告を聞いてもクローシェの顔はピクとも動かないが、内心はそれなりに驚いている。


 クローシェを驚かせているのは、事件が発生したこと自体ではなく、発生したタイミングだ。なにせ、ストライカーチームが街を発ってから、まだ数時間しか経っていない。


(“敵”が仕掛けてくるとすれば今晩よりも、明日以降のほうが可能性としては高いと思っていた。これほど早く仕掛けてくるとは……。こちらの虚を衝こうとしてのことか、それとも単に性急なだけなのか、あるいは“敵”なりの事情があるのか……)


 元より“敵”は異質な存在なのだから、常識に当てはめて考えるのは詮無きことかもしれない。しかし、先方が全く秩序の無い集団かというと、それもまた違うようである。その集団なりの行動原理や判断原則があるならば、それを掴んでおくに越したことはない。


 表情を変えずに考え込むクローシェに、ビークが問いかける。


「いかが致しましょう。フランシス次将」

「そうですね……」


 ゴブリンキング発生を受けて街の防衛態勢は平時よりも引き上げられており、準備万端の治安維持部隊が殺傷事件に対して型どおりの対応を始めている。


 初動は問題ない。しかし、“敵”の仕掛けに対し、事前に策定された定型的な対応しか取らないのは手落ちだろう。相手が異質であればあるほど、応手は融通無碍が求められる。


 現場の士気高揚の観点からも、クローシェの個別対応は重要だ。ビークよりも巡察官のほうが、クローシェにより強く期待する視線を向けている。


 このような場合に対応を現場に丸投げしてしまうと、士気が著しく落ちるのは目に見えている。


 では、クローシェが即座に現場に出るのが良いかというと、それはそれで早計なように思われる。


 敵がやっていることは陽動、(おび)き出しだ。事件が一箇所ではなく同時に複数箇所で起こっている点を踏まえて考えても、ユニティの戦力を更に細かく分散させて各個撃破しようという、思惑が透けて見えている。


 そこに罠があるならば、罠が仕掛けられた場所を迂回するか、後の安全を確保するために解除しておくのが鉄則だ。しかし、一足で飛び越えて“敵”の喉元に迫れるのであればどうだろう。


(敵は私たちを各個撃破できると思っている。むしろ、そこに付け入る隙があるかもしれない)


「陣頭指揮は引き続きバートン団長に任せます」


 街の治安維持の最高責任者は、マディオフ統治時代から引き続いて衛兵団団長のガイネス・バートンが担当している。期待外れのクローシェの一言に、巡察官は落胆の表情を浮かべる。


「私の決定に不満があるようですね」

「いっ……いえ。決してそのようなことは思っておりません!」


 不満を表情に出した巡察官をクローシェがチクリと責めると、巡察官は泡を食って否定した。


「心配せずとも、こちらはこちらで動きます。私たちは、通常の治安維持部隊とは稼働軸を全く異にする別働隊として街を見回りましょう。つきましては、以降の緊急報告をユニティ統括丞相のスターシャに行うようお願いします」


 現場の人間たちが最も期待しているのは、クローシェが現場で陣頭指揮を執ることだろう。クローシェもそれは分かっている。しかし、型に嵌まっていては、“敵”の思うツボだ。


 完全に願いどおりにならなかったとはいえ、クローシェが現場に出ると分かった巡察官の表情に忠誠心と意気が戻る。


 その後、二つ三つ激励の言葉を与えられた巡察官は、力強く敬礼して執務室から出ていった。


 遠ざかっていく巡察官の足音を聞きながら、ビークがクローシェに問いかける。


「フランシス次将が別働隊を率いるのですね。人員は誰を集めましょう?」

「私とビークの二人だけです」

「それはっ……!」


 クローシェの返答が全くの想定外のものだったためか、ビークはしばし言葉を失う。


「……御冗談でしょう?」

「承服できないのであれば、私はひとりでも行きます」

「そうは申しません。私は自分の不出来な耳を疑っただけです。それがフランシス次将の決定であれば、私は従います」


 ジバクマのワイルドハントは構成員一人ひとりが信じがたい強さだ。短期間に積み重ねた戦歴が彼らの戦闘力を何よりも雄弁に証明している。


 剣を得手としないはずの魔法使いのひとりでさえ、ゴルティア正規軍が誇る西伐軍第一軍副隊長、アデーレ・ウルナードを剣で討ち取れるだけの技量があるというのだから、目を覆い、耳を塞ぎたくなるような悪夢だ。


 だが、ワイルドハントに弱点が無いか、と言うと、それは違うように思われる。衝撃的な情報の陰に隠された“付け入る隙”が何度も見え隠れしている。


 ユニティの戦闘部隊を各個撃破しようと目論むワイルドハントを、逆にクローシェとビークで各個撃破する。そのために必要となるのは電光石火の機動力だ。


 別働隊の部隊人数を迂闊に増やすと行動速度は確実に鈍る。気配も多く漏らすことになる。軽妙に隠密裏に動いてこそ反撃は成功する。


「ありがとう、ビーク。あなたにはユニティの中でも最も危険な任務ばかり付き合わせてしまい、申し訳なく思っています」

「何を(おっしゃ)います。その危険な任務にフランシス次将ご自身も身を投じているではありませんか。この世界で生きることは常に命懸けです。次将の横で命を懸けられることを私は誇りに思っております」


 そう言ってビークは自慢げに笑う。


 クローシェはこの忠臣に物理的にも精神的にも何度となく救われている。


 こうやって今もクローシェを感動させる素晴らしい忠義の言葉を残している。ひとつだけ無理矢理に不満点を挙げるとすれば、自慢げな顔が“美味しい夕食”を置いていった時と同じものであることくらいか。


「さて……。では、急ぎ丞相に代表役を託す旨を伝えて、私たちも街に出ましょう。遅くなればなるほど被害が拡大してしまいます」

「かしこまりました」


 クローシェは懐に手を伸ばし、ぎゅっと一度()()してから立ち上がる。そして、もう戻って来られないかもしれない執務室を見回して部屋を出た。




    ◇◇    




 ストライカーチーム出立の翌朝、ユニティ本部において連日となる緊急会議が招集される。会議の議題は言わずもがな、街で起こった連続殺傷事件だ。


 昨日の日没から本日早朝にかけての治安維持部隊の報告を聞いたクローシェは無表情を維持したまま、心の中でがっくりと肩を落とす。脱力具合はひどく、気を抜くと椅子から滑り落ちてしまいそうなほどだ。


 報告は、昨夜クローシェの執務室で巡察官を通して聞いた時よりもずっと整然とまとめられている。一言で言ってしまえば、捜査状況には進展らしき進展が無かった、ということだ。


 別働隊としてビークと二人でロギシーンの街を夜通し駆け回ったクローシェは独自の新情報を全く得られなかったため、治安維持部隊本隊の報告を大いに期待していた。


 疲れを感じにくい体質のクローシェではあるが、さすがに一晩駆けずり回って何も成果が得られなかったところに、本隊からも芳しくない成果を告げられては、意気消沈となって強い疲労を自覚しても仕方ないだろう。


 捜査に劇的な進展が無かった理由はいくつあるが、最大の理由は犯行時刻の集中だ。連続して事件が起こったのは、宵の口のわずかな時間だけで、治安維持部隊やクローシェら別働隊が本格的に行動を開始して以降、深夜から早朝にかけての時間に新たな事件はひとつも起こらなかった。


 クローシェはてっきり、治安維持部隊と“影”の大きな武力衝突が夜半に何度も起こるものとばかり思っていた。それが、蓋を開けてみればこれである。特にクローシェとビークの別働隊は走り回って体力を消耗し、“影”の奇襲に備えて気疲れするばかりで、本当に何も実りが無かったのだから、自らの判断の不明さに泣きたくなってくる。


 しかし、クローシェと違って本隊の方は実りが全く無かったわけではない。そのわずかな実りである捜査情報をクローシェは頭の中で振り返る。




 連続殺傷事件において被害に遭ったのは、いずれも単独で屋外にいた者ばかりだ。屋内にいた人間や、複数人で外を歩いていた者たちは誰も被害に遭っていない。


 犯行方法は一定しておらず、刃物で斬りつけられたような傷を負って殺された者、魔物や家畜による咬傷のようなものを負って殺された者、挙げ句には、先の尖った農具で突き殺されそうになった農夫など、様々だ。


 いずれの事件においても、成り行きを安全な場所から見ていた、いわゆる目撃者はただのひとりもいない。いるのは、被害から辛くも逃げおおせた生存者数名だけだ。その生存者のひとりが先の農夫である。


 目撃者がいない以上、捜査進展の鍵を握るのは生存者になる。治安維持部隊は農夫の怪我の治療完了を待たずに事情を聴取した。


 農夫は自分を襲った犯人の正体を、事件発生のつい十数分前まで一緒にいた同業の友人、と証言した。


 農夫が偽証でもしていないかぎり、犯人が明確になった傷害事件の解決など時間の問題だ。警戒態勢の街から犯人が外に易易と逃げられるはずもない。“友人”を逮捕して締め上げれば農夫殺害未遂だけでなく、多発する他の事件の実行犯や、ひいては主犯の存在も突き止められる。


 真っ当かつ自然な思考に基づいて治安維持部隊は犯人と目される“友人”宅へ向かった。しかし、いざ部隊が突入してみると、宅内に広がっていたのは平和な、ありふれた一家団欒だった。突入した隊員たち誰の目にも、晩の食卓を囲む友人とその家族たちの姿が、とても家族ぐるみで殺人未遂の罪を隠そうとしているようには映らなかった。


 とはいえ、見た目の印象だけで無罪放免とできるはずがない。治安維持部隊は容疑者である“友人”から事情聴取を行う。しかし、“友人”の話には不審な点が見当たらない。どうも雲行きがおかしい、ということで、怪我の治療を受ける農夫に改めて聴取を行うも、両者の人間関係には刃傷沙汰の原因となりそうな動機が一向に見えてこない。


 はたして農夫の殺人未遂事件を他の殺人事件と結びつけて考えてよいものか、治安維持部隊は悩む。




 農夫以外にも、未遂に終わった事件があるため、生存者は他にもいるにはいる。だが、それら生存者が語る事件の前後関係は農夫殺人未遂事件と似たようなものだ。いずれの被害者も、事件の直前まで一緒にいた人物から相応の理由なく攻撃を受けている。攻撃を行ったとされる容疑者たちは、一様に犯行を否定しているし、治安維持部隊が一晩調べたかぎりでは犯行動機も存在しない。


 被害に遭ったのはヒトだけではない。屋外にいた家畜や愛玩動物にもそれなりの数の被害が生じている。


 動機も真犯人も不明の連続殺傷事件。


 ゴブリンキング発生に緊張するロギシーンの街は、ゴブリン災害とは全く別種の恐怖によって震撼することとなった。




 集めた性質(たち)の悪い情報を机の上に並べるだけでは事件の真相が見えてこない。ユニティの知恵者たちは、それぞれ事件の予想全体図を思い描く。描き上がる全体図はてんでバラバラだ。ただし、真犯人としてワイルドハントを候補に挙げなかった点だけは共通しており、そのことがクローシェの不満を大きくする。誰かひとりくらい、『ワイルドハント真犯人説』を唱えてもらわないことには、会議におけるクローシェの立場が心許なくなってしまう。


 クローシェは、全ての事件がワイルドハントの引き起こしたものであることを確信しながらも、それを口には出せずにいた。


 (くだん)のワイルドハントにはポーラを名乗るヒト型吸血種のドレーナがいる。変装魔法(ディスガイズ)をお手の物とするドレーナならば、友人らの姿に扮して事件を起こすのは至極容易である。魔物に襲われたような傷を負わせるのは、ヒトの手だとひと手間要るが、レッドキャットの構成員がいるワイルドハントであれば何の手間もかからない。むしろ、事件の特殊性からして、犯人はワイルドハント以外ありえない、と言っていい。


 事件の被害者たちの一部が生存できたのも、偶然や成り行きなどではない。全てはワイルドハントの想定どおりに決まっている。ワイルドハントがわざと標的を見逃した理由、それはおそらく捜査の撹乱だ。


 人間を一挙に鏖殺する力を持ちながらもあえて少しずつ殺し、震え上がる住民たちを見て楽しむ。アンデッドらしくはないものの、悪趣味なギキサントの遣いならではとも言える。


 (はかりごと)としても功を奏しており、治安維持部隊には動揺が広がっている。寝ずに捜査にあたった実働部隊は疲弊し、次々と上がる報告から事件を俯瞰する頭脳部隊は混乱している。


 (ちな)みに昨夜のマルティナの動向もユニティはきっちりと把握している。マルティナはずっと治癒院ウラスの建物内にいて、運び込まれた被害者たちの緊急治療に従事していた。一歩たりとも屋外には出ていない。各事件が発生した時刻と被害者たちがウラスに到着した時刻には少しずつズレがあるため、犯行時刻の正にその瞬間の現場不在証明があるとまでは言えないのだが、マルティナが事件の実行犯ではないことは、ほぼ確実となっている。


 会議は混迷を極めている。動揺を鎮め、組織を安定化するためにも、一連の事件の犯人がワイルドハントだ、とクローシェは高らかに宣言したい。しかし、そんなことをすると、ワイルドハントがユニティを標的と定める理由に言及せねばならなくなる。クローシェが秘密を暴露できない以上、中途半端な自説を唱えても混乱に拍車がかかりばかりで、下手をするとクローシェと世界の寿命が縮まることになる。ワイルドハント打倒を目標にユニティの結束力が高まることなどないのだ。


 クローシェが出席者たちの前でできるのは“断言”ではなく“控えめな提唱”だ。変装魔法(ディスガイズ)を操る者ならば事件を起こせること、ジバクマに出現したワイルドハントがその能力を持っていることを説明し、ワイルドハントが『真犯人候補のひとつ』として矛盾しないことを、それとなくに控えめに提唱し、会議出席者から胡乱な目で見られたところで、クローシェの精一杯の意思表示は終わった。


 犯人がワイルドハントにせよ、それ以外にせよ、ロギシーンが非常事態にあるのは間違いない。会議出席者たちもそれは分かっている。ただ、現状を理解したところで取り立てて良策が出ることはなく、アッシュらストライカーチームが任務に成功して帰還するまでの間、街には戒厳令が敷かれることになって会議は終了した。




 散会後、再びロギシーンの街に繰り出そうとするクローシェをスターシャが引き止める。


 何かと思って話を聞いてみると、「フランシス次将は見回りに出ず、庁舎で休息を取るように」とスターシャは主張する。


 スターシャらしい、ごく普通の主張だ。何も変なことは言っていない。


 では、正論を退けるにはどうするべきか、冴えぬ頭でクローシェは考える。


 しかし、少し考えてみたところで目の前に立つユニティの頭脳を論破できるようには思われない。


 何も言わずには始まらない。良い言い訳が思いつかぬまま、クローシェは反論を始める。


「犯人として最も可能性が高いのはワイルドハントです。ワイルドハントの活動は何も夜間に限られたものではありません。日中に犯行が起こらない保証はないのです。見回りに行かせてください、丞相」

「許可できません。フランシス次将は不眠不休で街を捜査し続けました。そうでなくとも鎮圧部隊と交戦したばかりなのです。今の次将は蓄積疲労により身体も精神も正常な状態ではありません。私の判断にしたがってください。治安維持部隊には交代で警邏にあたらせます。もしも犯人が高い戦闘力を持つ者だと判明したら、そのときは次将の力を貸してほしいと思います。次将はロギシーン防衛の要です。戒厳令中であっても休息は義務であり、実利の期待できない無謀な行動は将として厳に自粛、自重しなければなりません」

「しかしですね――」

「私からもお願いします。フランシス次将」


 幹部間での討議には口を挟める立場にないビークが割って入った。分を弁えているビークには異例のことである。


 クローシェに付き従っていたビークもまた疲労の極致にある。しかし、ビークは自分が休みたくてそのようなことを言う人間ではない。それが分かるクローシェだからこそ、意志がグラリと揺り動かされてしまう。


「治安維持部隊は全力で捜査と警邏にあたってくれます。どうか彼らを信じてやってください。犯人の正体がワイルドハントであれば、確かに治安維持部隊だけではどうしようもないでしょう。彼らが犯人を見つけた時こそ、次将のお力を必要とします。その時のためにも、次将は休める時に身体を休めてください」


 スターシャ同様、ビークもまた真っ当なことを言う。確かに、クローシェとビークの二人が広いロギシーンを昼夜走り回ったところで被害を未然に防げる可能性は極めて低い。敵とて馬鹿ではないのだから、ユニティをジワジワと弱らせることが目的であればクローシェの姿が見える場所では犯行に及ばないだろう。ロギシーンは仮にもマディオフの三大都市なのだ。クローシェにも治安維持部隊本隊にも見つからずに事件を起こせる場所など、いくらだってある。


 ならばいっそのこと事件の未然防止は最初から諦め、事後対応を迅速かつ確実に行う、というのも選択肢である。


 事後対応案では、クローシェが密かに掲げている“各個撃破”の目標からは遠ざかることになる。だが、自分の体力という現実的な側面をかなぐり捨ててしまっては、成せること、果たせることも達成不可能になってしまう。


「少し気が(はや)っていたようです。分かりました。少しだけ休む時間を頂戴します」


 クローシェの休息宣言を聞き、厳しかったスターシャとビークの表情が同時に緩んだ。




    ◇◇    




 説得に折れたクローシェは執務室に戻り、安楽椅子に深く腰をかける。


 アッシュの不在、ゴブリンキング発生、地下の“影”、連続殺傷事件、これら種々の要因によりクローシェの覚醒度は極めて高くあったはずなのに、椅子に腰掛けた途端、意識は急速に霧がかっていく。


 意識が完全に途切れる瞬間まで、クローシェは考える。


 マルティナはこう言っていた。『日中は瘴気発生頻度が高い』と。それはつまり、地下に潜む“影”が、日中こそ人を遠ざけておきたい、と思っていることの顕れだ。


(もしも今、ウラスの地下を訪れたら、そこで何を見ることになるだろう? 民間人殺害に成功したワイルドハントが、まさに祝杯を上げる現場があるのではなかろうか……)


 微睡(まどろ)むクローシェは安楽椅子の上で夢を見る。


 治癒院ウラスの地下から瘴気がモクモクと噴きだす。その勢いは、火事が起こった家から立ち上る黒煙さながらだ。瘴気は天高く上っていくだけでなく、ウラスから円状にロギシーンの街、四方八方へ広がっていく。


 (けぶ)る瘴気はいつの間にか濃縮してヒトに似た形状となる。光が照らす下では存在できぬ実体を持たない影が、光を遮る煙の中で半実体を得たかのようだ。受肉した影は罪のないロギシーンの民を次々に襲い、命を奪う。


 非現実的な夢の世界においては、実体がないはずの影は半実体を持ち、空中に漂うだけのクローシェの意識はそれこそ実体が本当に無い。剣を持って戦う肉体が無い以上、クローシェは影の凶行を眺めていることしかできない。叫んで影の気を引こうにも、喉がないから声すら出せない。そこに居て、見ていることしかできないクローシェの意識は、折り重なっていく死体の数を音もなく慟哭しながら、ただ数えている。


 クローシェの意識は惨劇を食い止めるための手段を探す。存在しない目を見開き、血眼になって希望を探すと、濃い灰色の瘴気の中にひとつ、他とは趣を異にする影を見つけた。


 他と何がどう違うのか? 曖昧な夢の中では、相違点が何なのかよく分からない。しかし、クローシェは直感的に、それが影の“核”であるように思った。


 実体のないクローシェの意識では、半実体を持った影を止められない。しかし、影の根源とも言うべきこの核ならば、干渉して破壊できるのではないかと考える。


 意識は影の核に近付いていく。


 近付いて、どうすればいい? 自分には何ができる?


 クローシェは何だってできる。何せ、ゴルティア軍の工作員に選ばれるほどの万能の秀才だ。


 しかし、クローシェは分かっている。


 万能の秀才は、万能の天才ではない。“何でもできる”は、転じて“何もできない”ことを意味している。


 足は速いが、遠がけ名人ほど長く速くは走れない。目は良いはずなのに、斥候のように遠くの敵を迅速かつ的確に見つけられない。魔法を使えば本職から鼻で笑われる。物を作っても、誰かから選ばれて購入されるほどの完成度にならない。


 クローシェに唯一できるのは、近接戦闘武器の中では比較的軽量な刺突剣を操って標的を貫くことだ。それだけは胸を張って、『できる』と言える。


 核が間近に迫り、クローシェの意識は刺突剣に姿を変える。何百万、何千万と撃ってきた剣だ。集中すれば、それが形になる。


 完全に剣となり目標を観測する手段を失ったクローシェは核の貫通と破壊を目指して光の無い世界を真っ直ぐに進む。


 今、剣の先が何かにぶつかった。


 剣や鎧を穿った時とは違う、何とも表現し難い軟らかさが剣身に伝わり、クローシェをとても不快な気分にした。


 何はともあれ、剣は確かに何かを貫いた。


 クローシェは剣の形を止めて元のフワフワした意識に戻る。


 影を討ち滅ぼすため、ひいては世界を救うために事を成したはずのクローシェの意識がそこで見るは、烟っていた影とは比較にならないほどの猛烈な勢いで膨張し、世界を飲み込もうとする深い闇だった。


 クローシェが壊したのは本当に影の核なのか、それとも……。

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