第三三話 追想 ジェシカ 一
「誰も通んねぇなぁ……」
何度目か分からぬ愚痴をこぼす女が居るのは、一本の細い街道の脇にある高台の上だった。高台にあるのは彼女たちの拠点。拠点には自然構造を活かした展望台が備わっていて、女はその展望台の一画に腰を掛けて作業をしていた。手先を淀みなく動かす傍らで視線は街道に置き、そこを通りがかる商人やハンター、旅人がいないか抜かりなく監視している。
「毎度のことながらジェシカの器用さには溜め息が出るぜ」
拠点を守る副首領のひとり、ロスが女の並行作業に賛辞を呈する。代わり映えのない、いつもの褒め言葉だ。毎日繰り返される一連の行為を、毎度同じ言葉で褒められたところで心に響くはずもない。せめて少しなりとも言い回しを変えれば違った効果をもたらすかもしれないが、表現に変化をつけるには教養が足りない。
「しかも美人だしよ」
「ジェシカには足りないもんがねえ」
ジェシカと呼ばれた女は目新しさのない賛辞に何も反応を示さない。手は作業を続け、目は監視を怠らず、口はさして意味のない愚痴を留まることなく垂れ流す。
彼女の手がこなす作業というのは刺繍刺しだ。街から調達した無垢の生地に、ジェシカは目にも留まらぬ早さで刺繍を刺していく。手元を見ずとも刺し間違うことはない。ジェシカは昔から手先が器用なのだ。それに口だって今は独り言を漏らしているが、刺繍刺しと街道監視を続けたまま誰かと会話することだって簡単だ。その気になれば、二人か三人くらいなら同時に会話できるかもしれない。
ジェシカら盗賊の一団がその高台に拠点を構えてから、もうしばらくになる。最初のうちは調子よく旅人を襲撃し、収穫を得られていた。しかし、本当に最初の頃だけだ。盗賊が出る、という噂が立ったためか、それとも季節が移ろい気温が下がり人々の活動性が下がったためか、この拠点での活動開始からいくらもせずに街道から人通りが消えた。このところはめっきり獲物にありつけていない。
理由は他にもまだあった。通行者が少ない最大の原因、それは街道そのものである。ジェシカが所属する盗賊団“スペルジーチェ”が狙いをつけた街道は、主要街道とは言えない細道だった。商隊と呼ぶに相応しい団体客はこんな細道を商品の輸送経路に用いない。商人はしばしば馬車を使う。この馬車というのはある意味で不便なものであり、整備の行き届いた大きな街道しか通ることができない。商隊はこの街道を使わない、というよりも、使えないのだ。こういった細い街道を使うのは、金のある商家ではなく、小さな利益を求めて細々と商いを行う個人商人くらいのものである。暖かい時期であれば旅行者も稀には通るが、冬の旅行者は個人商人以上に少ない。
では、大きな街道で盗賊活動を行えばいいか、というと、必ずしも良い選択とはいえない。重要度の高い大きな街道ほど整備がよく行き届いている。街道整備という言葉が意味するのは、道の轍の補修だけではない。街道に出没する魔物や盗賊の排除もまた立派な街道整備なのである。大きな街道は、盗みをはたらくに適当な標的がさぞかし大量に往来しているであろう。しかし、そのような太街道で大成功を収めるのは難しい。一度や二度なら上手くいくかもしれないが、何度も成功を継続させるのは限りなく困難だ。すぐに衛兵や賞金首ハンターが無法者を捕らえにやってくる。
二十歳そこそこの駆け出しハンター数人がスペルジーチェを捕らえにやってきたとしても撃退は容易だ。スペルジーチェの首領クレイブや副首領のロスは百人力の強さがある。カッパークラスやシルバークラスのハンター数人にかちこまれたとしても、軽々倒せるであろう。しかし、ハンターをひとりも逃さずに始末できるか、となると、話が変わってくる。もしもひとりでも逃してしまえば、その逃げた者は正義の大集団を引き連れて戻ってくる。
それに、ハンターというのは時折、信じがたいほどに能力の高い者がいる。クレイブの戦闘力は、ハンター換算でおよそゴールドクラス上位。並の人間を寄せ付けない強さではあるが、世界とは広いものであり、上には上がいる。ゴールドクラスが百人力であれば、プラチナクラスは一騎当千、チタンクラスともなればそれ以上であり、万夫不当という表現すら過言ではなくなる。そのレベルの強者にバウンティハンターとして来られた日には、スペルジーチェなど簡単に壊滅する。特別な逃走手段でもあれば違うのだが、生憎とスペルジーチェに特殊能力を有する人間はいない。
特殊な能力や特別な才能を持つ者はひとりもおらず、クレイブを筆頭として少しばかり腕っぷしの強い無法者の集まり。つまりはごくありふれた盗賊団。それがスペルジーチェの正体である。平凡な盗賊団のスペルジーチェにとって、主要街道は仕事場として難し過ぎる。それでももし主要街道で仕事をするならば、周到に準備してうえで単発的に略奪し、成功しても失敗しても即座に街道から離脱するに尽きる。主要街道近くに拠点を構えるなど以ての外だ。
そんな理由があり、街道整備の手薄な細道でスペルジーチェは細々と盗賊稼業を営んでいる。盗賊業だけでは生きていけないため、拠点の裏手には畑がある。畑の収穫は盗賊業の収入と同じかそれ以上に重要だ。しかし、雪下野菜の手法など知らないスペルジーチェには冬場、畑を活用する術がない。そのため、こうやって街道を観察しながら内職に勤しむことになる。内職で作った商品は人間社会に持ち込んで誰かに売らないと金にならない。内職で得た金を使うには、人間社会に置かれた店に行かなければならない。そう、スペルジーチェのような社会のはみ出し者であっても、社会と接点を持たなくては生きていけないのだ。
他者との接触を完全に断絶して生活する覚悟を決めない限り、どうやっても人間社会と接点を持たざるをえないのだから、盗賊稼業からは足を洗って真っ当な仕事に従事したほうがずっと生活は安定し、より多くの金を得ることができるのだが、分かっていてもそれができないか、あるいは、そうしたほうがいい、と分からない人間だからこそ盗賊などという賤業を営んでいる。
この盗賊という稼業は、時に大きな一時収入にありつくことがある。狙いをつけた標的が思わぬ大金、一財産を持っていた場合はしばらくの間、仕事を忘れて放蕩生活をおくることができる。そういう鮮烈な成功体験は、元より鈍い彼らの思考を更に曇らせる。それに無言の同調圧力というものの存在も大きい。構成員は、誰も「盗賊をやめよう」などとは言い出さない。そんなことを自分ひとり口にした人には仲間から締め出されるか、下手をすると殺されてしまうかもしれない。『もしかしたら、コイツもアイツも盗賊をやめたいと思っているかも……』と、心の中では思いながらも、集団全体に反旗を翻すような危険は犯せない。半端な犯罪集団はそうやって犯罪をズルズルと続ける。半端ではない覚悟を持った犯罪集団は、案外と少ない。むしろ、何をやらせても半端だからこそ犯罪者に落ちぶれ、そのまま甘んじている。止むに止まれぬ事情で犯罪に手を染めた者であれば、その立場に長居せずに身を持ち直す。
何かしらの問題を抱えていたからこそ、彼らは盗賊になった。では、その問題が、環境や境遇といった、本人の外にあるものかというと、それは違う。問題があったのは彼ら自身。大半の団員が、知性や良心といった精神のどこかに問題を抱えていた。そんなスペルジーチェの中において、ジェシカは頭の良い人間に分類される。
ジェシカは常々、盗賊を辞めたい、と思っていた。しかし、ジェシカは知っている。ジェシカの男である首領のクレイブにそんなことを言っても無駄だ、と。善悪や損得の問題ではないのだ。クレイブは盗賊という仕事を好んでいる。人を殺すこと、奪うことに楽しみを見出している。冬場になって盗賊業の収益が少々悪化したくらいでは、この仕事を決して辞めないだろう。
(……んでも、一回くらいはあいつに言ってみようかなぁ)
気分屋のクレイブに“転職”を迫った日には、彼女が殴られることになるかもしれない。それでも、クレイブは怒りの炎が長続きする人間ではない。ならば、一度くらいは、物は試し、と聞いてみてもいいかもしれない。
歯車が何かの拍子に上手く噛み合って話し合いに成功すれば、もう少し暖かい家で冬を越すことができる。美味しいものだって今より頻繁に食べられる。綺麗な服も買えるかもしれない。
ジェシカは、首領の女、という座を与えられていて、食事は他の女よりも少しだけ多め。仲間の男たちもジェシカに愛想よく接してくれる。頼めば馬鹿なりに大体のことはやってくれる。しかし、それでは美人という利点を活かしきれていない。盗賊は所詮盗賊。できる贅沢はたかが知れている。そして最期は惨めに死んでいくしかない。
容姿という武器が最大効力を発揮する場所は、文明が存在する街の中にこそある。だから、彼女は街に戻りたい。街に戻り、権力者の心を射止めることに成功すれば、クレイブにこだわる理由はなくなる。ジェシカはクレイブの女だが、クレイブのことを特別に好いてなどいない。首領の女という席がスペルジーチェの中では最も座り心地のいい椅子だった。それだけの話だ。
より座り心地のいい席を探すために何より大事なのは、この辺境の地を捨てて人間が暮らす街に帰ること。こんな細街道脇の高台に構えられた拠点で寒さに震えながら内職を続けていては、儚い人間の美しさなど猛烈な勢いで失われていく。
ジェシカは刺繍を刺す手を止め、黄橙色の複雑な色をした髪の毛を撫でる。彼女の髪の根元は概ね一様の薄紅色をしている。それが毛先にいくにつれて斑に褪色し、ある毛束は桃色に、ある毛束は黄色になって立体感のあるバレイヤージュを作り上げている。彼女が自慢としている美しい身体の部分のひとつだ。
髪の指通りの滑らかさが変わっていないことに満足したジェシカは再び手を動かして刺繍を刺す。作業再開から数分後、ジェシカの目は街道を歩く人影を誰よりも早く捉えた。
「あ、誰か来た」
「えっ、マジ!?」
「よく縫い物しながら見つけられるな」
団員たちが次々に展望台から身を乗り出して人影を探す。
(お前ら低能な男と一緒にするな)
男というのは概して並行作業が苦手であり、複数の物事を同時に行えない。ひとつの行動にひとつの思考。それが男に備わった能力の限界だ。男が無心に身体を動かしている間、それを眺める女がどれだけ多くの物事を考えているものなのか、男はきっと分かっていない。男女の能力差はこの展望台においても顕著に表れている。内職と街道監視を同時に行っているのは全員女だ。内職は立派な仕事のひとつであり、内職に勤しむ女性陣が人影に気付かないのは言い訳も立とう。しかし、男連中は誰も内職をしていない。監視しかしていないならば、男のほうがジェシカよりも先に人影に気付いて然るべきなのだ。それをできない無能な男たちをジェシカは心の中で散々に罵倒する。
副首領のロスはクレイブに次いで腕が立つ。ただし、他に長所は何もない。気配察知能力も遠方視力も凡庸そのもの。その凡庸な能力でも、集中して監視していればジェシカよりも先に人影を見つけられたはずなのだ。目は確かに街道に向いているが意識は街道に向かず、ボンヤリと別のことを考えている。とどのつまり監視のフリをしていたに過ぎない。
「あー。ありゃあ行商人じゃねえ。クレイブたちだ」
街道監視ひとつすら真っ当にこなせないロスは拠点に唯一ある高級品の遠眼鏡で人影を遠望すると、それが獲物ではないことを仲間に告げる。
「うへえ。街に行ってきたにしては戻りが早いな」
「拠点の収穫がなーんもないことを知ったら、クレイブは怒るぞ……」
「しゃあねえよ。この時期、誰も通んねえもん、こんな道」
「ま、みんなで怒られようぜ。クレイブは酒を買って帰ってきたはずだから、説教はすぐに終わるさ」
男たちは諦め半分に笑っている。クレイブが街で買ってきたであろう上等な酒のおこぼれに与ることを夢想し、酒盛りの前にあるはずの叱責時間は始まる前から忘れようとしてる。
(本当、馬鹿な奴らだ)
ジェシカは仲間の阿呆面から隠れるように渋面を作り、拠点に少しずつ近付いてくるクレイブ一行の影を強く睨んだ。
◇◇
「ういーっす! お前ら、元気してたか?」
拠点に戻ってきたクレイブはヤケに上機嫌だった。クレイブは元来分かりやすい人間であり、容姿に秀でた女に対しては多弁かつ接触多めで、容姿に劣った女には無愛想だ。それなのに、普段であれば声すら掛けないはずの美しさに欠けた女盗賊に対してまで笑顔で帰着の挨拶をしている。
(娼館で丁寧な奉仕でも受けたか、カードで大勝したか、でなきゃ希少な酒でも手に入ったか、そんなところだろう)
今までの経験から、ジェシカはクレイブの上機嫌の理由を推測する。クレイブの趣味はさして多くない。クレイブの機嫌を良くする要因は決して多くない。上機嫌が危険な嗜好性向精神薬の影響でなければそれでいい。
「ういっす! ジェシカ、俺がいなくて寂しかったか」
「冬の寒さが身に沁みたよ、クレイブ」
そうかそうか、とクレイブはジェシカを満面の笑みで抱き締める。機嫌がいいときも悪いときも子供のような男だ。機嫌がいいときのクレイブのことは、ジェシカは決して嫌いではない。大事な話をするなら、できるだけこの上機嫌が続いているうちがいい。下手に仲間内でカードでも始めて大負けした日には、せっかくのこの上機嫌が消え失せてしまう。
「ねえ、すぐに部屋に行こうよ」
今日のクレイブはいつになく抱きついている時間が長い。機嫌がいいだけでは説明がつきにくい。拠点に残留した人間には知りえない“何か”が、街へ出張していた首領の機嫌を良くしている。その“何か”の正体はまだ分からないが、ジェシカにとってあまり良いものではなさそうだ。
クレイブが変なことを言い出す前に大切な話を切り出すため、ジェシカはクレイブ専用の首領部屋へ誘う。するとクレイブは俄にジェシカから身体を離した。
「まあそう言うなよ。俺には首領として先にやらなきゃいけないことがある」
少しわざとらしさがあるものの、クレイブは首領としての責任感やら威厳やらを醸し出しながら真面目な顔を作り、後ろで愛想笑いを浮かべている仲間たちを振り返った。
「お前ら、みんな揃ってるな?」
クレイブの様子が普段と異なっていることは、その場の全員が気付いている。そのクレイブがどんな戯けを言い出すやら、はたまた、表情には何の意味もなく、これから拠点残留組の無収穫に対する叱責が始まるのか、団員は程度の差があれ、全員、表情を強張らせている。
ぎこちない笑顔を浮かべる部下を前に、クレイブは大きな声で宣言する。
「引っ越しするぞ、引っ越し!」
「はあ?」
街への移動を願っていたジェシカだったが、このクレイブの指す『引っ越し』なるものはジェシカが希っているものと同じではないだろう。では、引っ越しとはどこへ何の目的でするのか。
抱擁の間、クレイブの身体から酒の匂いなど漂ってはこなかった。それでこんな意味不明なことを言うのだから、本当に危険ドラッグに手を伸ばしてしまったのかもしれない。冬の乾いた風が吹く寒空の下、ジェシカはそんな懸念を抱くのだった。
◇◇
話し合いを続けるには、拠点前は寒すぎる。場を拠点の建物の中に移し、引っ越しの意味するところを団員全員でクレイブに尋ねる。すると、クレイブの横に立つ副首領のボロゴンが引っ越しの真意を解説する。
ロスと並んで副首領を務めるこの男、戦闘力はからきしだが、クレイブの昔からの悪友である。頭の出来は平団員と変わらないのにスペルジーチェの参謀を気取っている。
ボロゴンが参謀役を担うようになったのには少々の経緯がある。首領であるクレイブは、ジェシカに対して優しいには優しいのだが、こと、スペルジーチェという集団全体の戦略を練るにあたっては、ジェシカの意見を採用しようとしない。彼女の意見が当を得ているかどうかはクレイブにとって問題ではない。色女の意見に左右されて集団の舵取りをする、というのは、首領として、男としての自尊心が許さない。
クレイブのつまらないプライドを悟っているジェシカは、何か良案が思いつく度にボロゴンに自案をそれとなく伝える。ボロゴンはそれをあたかも自分の意見のようにクレイブに提示する。ジェシカの意見は頑として聞かないクレイブだが、ボロゴンの案は割と素直に採用する。この一連の遣り取りを繰り返した結果、現在のボロゴンの参謀としての立ち位置は確立された。
当のボロゴンは自分の参謀という立ち位置がジェシカの頭脳に頼ったものであることを自覚していない。それは別にボロゴンが人の手柄を横取りして悦に入るような悪辣な性格の持ち主だからではない。悪いのは彼の思考力なのだ。それほど彼の頭脳には問題があった。
その薄ら馬鹿のボロゴンがどんなことを言い出すのか、ジェシカは不安で仕方なかった。
ボロゴンの解説によると、引っ越すべき理由はこうだ。
まず、現在のスペルジーチェの拠点は、マディオフの王都南方、ややソリゴルイスク寄りに位置している。周囲に大都市はなく、大都市同士を繋ぐ街道も走っていない。そういう辺鄙な場所だからこそ、スペルジーチェは捕物に捕まることなく盗賊業を続けられている。しかし、その立地がスペルジーチェの運営状態を悪化させていることもまた、紛れもない事実だ。クレイブは前々からそのことを憂いていた。
補足すると、この場所に拠点を構えようと言い出したのが、他でもないクレイブなのだが、クレイブもボロゴンも、そんなことはついぞ忘れてしまっているのだろう。
ここに拠点を構えた経緯はどうあれ、クレイブは集団の先を憂う、悩める首領であり続けた。そこでこの度、先の見えない細街道での仕事に見切りをつけ、でかく一稼ぎするための特大情報を街の手配師から仕入れてきた。その稼ぎの手段とは、“人質と身代金”だ。
拠点からずっと東方にアーチボルクという街がある。ソリゴルイスクやロギシーンと並ぶ、マディオフ三大都市のひとつだ。大都市ある所、産業あり。マディオフの近郊には、“墳墓”というダンジョンがある。この墳墓に出現する無数のアンデッドを訓練相手と定め、修道士を目指す多くの学生が墳墓に通っている。アーチボルクという街がひとつの大きな修道士養成場なのだ。培養の母体となるのが、信学生の所属する信学校、東天教と紅炎教の教会下部組織である。宗教方面に進路を定めている者は、十四歳からアーチボルクの信学校に在籍する。今年度の在籍学生の中にひとり、紅炎教の大物司祭の子供が混じっており、それを捕らえて身代金をせしめよう、というのが、今回の案だ。
得意気に案を語るボロゴンを見て、ジェシカは苛立ちを募らせる。
「さっすがクレイブとボロゴン! 俺たちじゃあ考えつかないことを考えるぜ」
「よくそんな大きな情報を仕入れたなあ」
「偉い司祭様の子供かあ。きっといいモン食べて育ったんだろうなあ……」
「知ってるか。偉い司祭は“司祭”じゃなくて、“司教”って言うんだぜ。もしかしたら、大司教かもしれねえ」
身代金奪取がもう成功した気になっている仲間たちは、嬉しそうに語らい合っている。物事を楽観的に考えがちなのも、盗賊団によく見られる特徴のひとつである。悪い面に目を向ける能力に乏しいのだ。計画の成否を案じているのは、スペルジーチェ全体のごく少数でしかない。
その少数の切れ者のひとりが身代金奪取の懸念に言及する。
「でも、そんな上手くいくかや? 司教様の子供ともなれば護衛がいるんじゃねえの?」
「どんなに偉くとも子供はただの子供だ。墳墓に行くとき、周りにいるのは同じような子供と引率の修道士だけだ。本職の用心棒や衛兵なんていねえよ」
想像力に乏しい団員たちは問題を提起されても深刻さを理解せず、威勢よく、ガハハ、と笑い飛ばす。
切れ者たちは仲間の知性が当てにならないと最初から分かっている。無能を晒す哄笑は無視し、なおも懸念点について考える。
問題が予想されるのは子供を捕縛する時だけではない。人質と身代金を交換するためには、司教にスペルジーチェの要求を告げる必要がある。何らかの情報交換の手段を複数回に渡って用意しなければならない。その手段とやらはどうするのか、必要な人員をどうやって確保するのか。少し考えただけで問題はいくらでも思い浮かぶ。
「渡りはつけてあるの?」
ジェシカは怒りにも似た不満を抱きつつも、それら負の感情をおくびにも出さずにクレイブに尋ねる。
「ああ。問題ない。矮石化蛇が支援してくれる。つーよりな、こいつは矮石化蛇の幹部、モラドさん肝煎りの作戦なんだぜ!」
マディオフの裏社会を牛耳る“矮石化蛇”という悪の力が漲った単語が飛び出し、一同はドッと沸き立つ。矮石化蛇との共同作戦であれば成功間違いなし、とでも考えているのだろう。雑り気のない満悦の表情がその場には並んでいる。
此度、クレイブが訪れていた街パナシェは地方の小都市に過ぎない。表社会の人間だろうが裏社会の人間だろうが、力ある者は都に住む。陬遠にいるのは力なき小者ばかり。矮石化蛇の幹部ともあろう人物が、そんな場所にいるはずはない。クレイブが話をつけた相手というのは、矮石化蛇の中心人物を騙る詐欺師か、あるいは本当に矮石化蛇の一員だとしても、精々中堅、下手をすると最下級構成員かもしれない。ジェシカはそのように考える。
(矮石化蛇絡みの作戦を手配師から仕入れる? ……やるまでもなく分かる。この作戦は失敗だ)
ジェシカと同じように考えているのだろう、不安を表情に出す仲間がチラホラ見える。だが、盗賊団全体の趨勢は誘拐に傾いてしまっている。ここからクレイブに方針を変えさせる方便などジェシカは思い浮かばない。
ジェシカは少し気が遠のくように感じた。




