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第一六話 ポーターと歩く東の森

 ダナは翌日も我々のパーティーに加わってくれた。私の中で、ダナはもう正式なパーティーメンバーである。ポーターの追加を提案したところ、ダナは賛同してくれた。


 パーティーメンバー全員から賛成が得られ、手配師にポーターの依頼をかける。アーチボルクのポーター事情が分からないことから、特に細かい注文を入れない、シェフのお任せ、ならぬ、手配師のお任せだ。


 ダナや我々のような、新人ないし若手のポーターを紹介してくれるかと思ったら、手配師が紹介してくれたのはグロッグという中堅の男のポーターだった。見た目的には仕事一筋二十年、勤勉実直が売りの堅物男、といった感じである。


 挨拶を交わし、雇用条件の確認へと進む。グロッグはハントの成果配分だけでなく最低日当保障を要求してきた。かなり強気の交渉だ。


 ハンターだけでハントのパーティーを構成した場合、フィールドの巡り合わせで何も狩れずに一日終わってしまっても、成果配分で揉めることはない。狩れれば収入になり、狩れなければ無収入。しかし、それはハンターにとっての話だ。


 ポーターの仕事は大きく二つ。帯同することと荷を運ぶこと。ハントのパーティーについて回るだけで、自分の仕事はこなしている、と言える。固定パーティーの専任ポーターならいざ知らず、新規のパーティーに日雇いポーターとして帯同するのであれば、最低日当保障は当然のことなのだろう。しかもグロッグは新人ではなく中堅だ。我々と組まなくとも、ポーターとして金を稼ぐルートはいくらでもある。


 我々の側に目を向け、昨日ダナと行ったハントの様子から考えると、有能なポーターさえいればハントの効率はかなりの上昇が見込まれる。不運が続いて二、三日獲物と巡り会えない日が続いたとしても、私は野草の鑑定ができるから、グロッグ分の赤字で資金がショートすることはないだろう。


 もしグロッグが権利を主張するばかりで仕事のできないポーターであれば、数日で関係を終了させるだけ。これも勉強料だと思って割り切ればいい。


 我々はグロッグの要求を呑み、彼と契約を結んだ。




 グロッグが加わったことで私、カール、ダナ、グロッグの四人パーティーが出来上がった。メンツが増えても行く場所は今までと同じ東の森。


 採用経費の嵩むグロッグが果たしてどれだけ仕事をするのか、と彼を価値付けるくらいのつもりで向かった四人パーティーの初日にしてすぐに、私は彼の仕事ぶりに瞠目することになる。


『ポーターの仕事? ハントで仕留めた獲物を背負うことでしょ?』


 これがグロッグと契約する前の私の思考だ。典型的な素人考え、というやつである。もちろんそれだけでも十分だった。


 獲物を背負ってもらえるだけで、グロッグへの報酬を差し引いても我々の収入は増える。そういう見積もりでポーターを加入させたのだから。




 東の森で最初に遭遇した魔物は、普段と変わらないゴブリンの集団だった。十五を数えるゴブリンは、小集団というには少し多め。


 しかし所詮はゴブリン。色もブルーではない。ポーターのグロッグに怪我を負わせないように注意する必要があるだけで、問題なく倒せる。


 口で説明するよりも、実際に魔物と戦ったほうが、ハンターとしてよほど手っ取り早いお互いの自己紹介になる。グロッグへ、そしてゴブリンへの挨拶代わりに、私とダナで遠距離攻撃を放つ。


 ダナは普段どおりに狙いをすまし、接敵までに二体のゴブリンを屠る。私は普段よりも少しだけ実力を出し、ファイアボルトで四体のゴブリンを屠る。これで残りのゴブリンは九体。


 私とカールとダナの三人が、それぞれ三体のゴブリンを受け持てばグロッグは安全。ダナが少しきつそうだから、私かカールが早めに自分の分担のゴブリンを倒し、ダナに加勢しないといけない。


 ……と思っていたら、グロッグまでゴブリンを相手取り始める。そして普通にゴブリンを鈍器で殴り倒す。近接戦闘に限ればダナよりも間違いなく強い。


 私が剣で三体のゴブリンを倒すよりも早く、ダナとグロッグが三体のゴブリンを倒してしまう。ハンターのお株を奪う見事な戦いっぷりだった。しかも荷物を背負ったままである。


 手の空いたグロッグは私を、ダナがカールを手伝う。"人間二人"対"ゴブリン三体"の構図が二つできあがり、すぐに戦闘が終わる。


 ゴブリンが全て倒れると、グロッグは休むことなくアンチアンデッド化処理を始める。ハンターだけ手を遊ばせる訳にもいかず、グロッグに続いて断頭を始める。


 私がゴブリン一体の断頭を終えるよりも、グロッグが二体、三体と流れるように断頭するほうが早い。あれよあれよという間に断頭は終わり、今度はゴブリンを埋める穴を掘っていく。


 ゴブリン十五体分の穴となると、それなりの作業だ。一寸休憩を取ってから掘削を始めたい、という私の怠け心を鼻で笑うかのようにグロッグは黙々と穴を掘る。


 一つ一つの動きだけ見れば、別にシャカリキに急いではいないし、焦っている様子だってない。とにかく手を休めない。淀まない。迷わない。『何をすれば良いか分かっている。後は手と身体を動かすだけ』と、仕事で語るかのようだ。


 グロッグの働きっぷりに引きずられるように我々も穴を掘る。何十分要するか、と思われた墓穴掘りは、グロッグの馬車馬のような働きで十分とかからずに終わってしまう。


 ゴブリンとの戦闘の処理を終えたグロッグは、何を言うでもなく荷物を持ったまま立つ。何も言わなくても分かる。さっさと獲物探しを再開しろ、とグロッグの立ちっぷりが語っている。休憩を挟むことなく我々は獲物を求めてパーティー移動を開始する。




 ゴブリンではない、本当の最初の獲物はディアー(シカ)だった。ディアーの群れの中から、私とダナに狙われた二頭の不運なディアーが地に倒れる。


 一頭のディアーはグロッグが一人で解体を担当する。もう一頭は我々三人が解体を担当する。両後脚掛けでディアーを吊し上げ、頸部の血管を切って血を抜き、皮を剥いでいく。毛皮は売れるから、無駄に傷を付けないように丁寧に剥いでいく。


 我々が一頭のディアーの皮を剥ぎ終える頃、グロッグは一頭の処理を終えていた。


 グロッグは一人でディアーを吊るし、血抜きし、皮を剥ぎ、腹腔(ふくこう)を開け、臓側(ぞうそく)腹膜(ふくまく)に余計な傷一つ付けずに綺麗なまま内臓を分け、頭を落とし、腱と関節を断ち、すぐにでも小売できそうなほどに見事な"シカ肉"へと作り上げ、荷物として背負える形へ縛って纏め上げた。


 仕事が早すぎる。しかも美しいまでに丁寧だ。


 一頭のディアーの処理を終えると、グロッグは我々の前に来て、「後は任せな」と言ってディアーを解体していく。我々の半端な仕事に文句の一つを言うこともなく、一頭目と同じスピードでさっさとディアーを解体すると、二頭のディアーを担ぎ上げて、その場に立つ。我々は口を半開きにしてグロッグの仕事を見ているばかりだった。


 これがプロのポーター……


 単に運ぶ人手が増えた、と喜ぶ私は、何も知らない素人だった、と、つい数時間前の自分を恥じる。


 グロッグは、私一人で背負える荷物の数倍の重さを軽々と背負い、全く遅れずに行動ができる。移動するどころか、戦闘すらそのままでこなす。


 更に、我々よりもずっと地理に詳しく、見通しも正確だった。彼にとって、本来の仕事場ではないはずの東の森の知識をしっかりと持っていた。


 グロッグが加入したことで、ハントの効率は私の見込みの何倍にも膨れ上がった。


 グロッグの能力を価値付けるどころの話ではない。『グロッグのポーター能力を腐らせない、彼に見合った討伐能力を私が有しているだろうか』と、気を揉まされるまでに、彼は有能だった。


 遅れながら、手配師が彼を我々に紹介した意図を理解する。手配師は、我々三人の置かれた状況や実力を見抜いた上で、我々の成長を見込んで敢えて格上のポーターを紹介してくれたのだ。純粋にパーティーの実力に見合ったポーターを紹介するのであれば、もっと能力の低い人間が選ばれていたはずだ。手配師もなかなか憎い仕事をしてくれる。


 一日のハントを終え、頼み込むような思いで、これからもグロッグに帯同してもらえるように契約の延長を請願する。喜ぶことも嫌がることもなく、淡々とグロッグは契約延長に応じてくれた。




 翌日から、グロッグに引っ張り上げられるような形のハントが続く。カールと二人だけのぬるま湯ハント、レジャーにも等しいお気楽なハントの日々は終わり。パーティーメンバーとしてグロッグに肩を並べられるだけのハンターになろう、という意気込みで、フィールドを駆ける。


 足を止めず、手を止めず、狩っては移動し、狩っては移動し、重量限界に達するまで獲物を得たらフィールドでチンタラせずに街へと戻る。早く街へ戻ることができれば、カールと修練をこなす時間も長くとれる。


 グロッグが加入したことで、ハンターとして真に成長する日々が始まった。




    ◇◇    




 四人でハントをするようになることしばらく。ある日、私は今までにない生き物を見つけた。


「みんな、止まって」


 パーティーの移動を止めて、虫で対象を観察する。


 普通、森に生きる魔物は気配を隠していることが多い。鳥や猿のように、安全地帯から大きな鳴き声を上げるものもいるが、一般に他の魔物に見つからないように息を潜めるのが野生というものである。


 しかし、こいつは違う。行動の中に「身を守るために気配を隠す」という意思が無い。これは大物だ。


 獲物を肉眼で視認するため、私は獲物を中心に円を描くようにパーティーを移動させた。獲物の風下にあたる高台に移動したところで、ダナが誰よりも早く獲物を見つける。


「大きい熊……」


 溜息を吐くようにダナが零す。


「ブラウンベアか」


 ダナに遅れて私も獲物を肉眼で捉える。


「いや、この辺りにブラウンベアはいない筈だ」


 ポーターのグロッグが口を挟む。


「かなり大きいけれど、あれはブラウンベアじゃない。ブラウンベアとは毛色が違うし、タイニーベアの巨大個体だと思う」


 タイニー(小さい)なのに大きいとはむず痒い言い回しだ。だが冗談どころではなく、かなり大きい。これだけ距離を取って観察しているというのに、身体から汗が噴き出す。今の我々からしてみれば、かなりの強敵だ。


 子熊が周りにいる様子は見受けられない。あれだけ立派な熊でこの時期に一頭ということは雄熊だろうか。


「カール、あいつ倒せると思う?」

「かなり手ごわいと思います。おそらく勝率は五分五分かと」


 カールも額にかなり汗を浮かべている。下手をせずとも命を失いかねない相手だと理解しているらしい。


 今までのタイニーベアとのハントでは、致命傷は全てカールが与えてきた。私の剣だと、熊の分厚い毛皮を貫いて有効なダメージを与えることができない。


 熊から一撃を貰わぬようにしながら私が熊のヘイトを引きつけることで、カールに落ち着いて一撃を入れてもらう。そうすることで、今までの熊は倒してきたのだ。もしカールがおびえて腰が入らない、なんてことになれば、手持ちの戦力だけではあの熊を倒せないことになる。


「ふーん、じゃあいけそうだ」

「いけませんアール様!! あの熊は危険です。旦那様と約束したではありませんか。安全第一だと」

「えっ、本当に戦うの?」


 ダナは及び腰だ。場所がフィールドだけあって、カールは大声こそ出してはいないが、彼の反対姿勢もかなり強い。ダナもカールも、でかいタイニーベアを相手にするのは厭ならしい。


「だから安全に帰れるように、カールはちゃんと攻撃してくれれば大丈夫」

「目先の利益にとらわれて判断を誤ってはいけません。あの熊は確かに大物ですが、アール様がこのまま強くなれば、いずれ余裕をもっていくらでも倒せるようになります。今はまだその時期ではありません」


 カールは分かっていない。あの熊は確かに今までで一番金になるだろうが、私にとってそんな事などどうでもいい。私の目的は他にあるし、手段さえ選ばなければ倒す方法などいくらでもある。


 魔物の中では比較的頭が切れるといっても所詮は熊だ。身体が大きく力が強いだけでは、絶対的強者たり得ない。


「怖いのなら、カールは隠れていてもいいよ。私一人で倒すから」

「アール様……!!」


 倒すだけなら私一人のほうが簡単なのは本当かもしれない。だが、こう言われたら流石にカールも引けないだろう。


「分かりました。私も戦います。ただし、もし倒せないと判断した場合は、絶対に逃げてください、アール様」

「逃げなきゃいけないかどうかは、カールにかかっているわけだ。そうならないように願っているよ。それで、ダナはどうする?」

「確かにカールは強いけど、安定して勝てるとは思えない。私は反対」

「いいよ。ダナとグロッグは安全な距離をとって見ていてくれ。私が負けたら、街に戻って衛兵に連絡してくれればいい」


 グロッグは特に反対するでもなかった。経験豊富な彼なら、私とカール、そして熊の力量の差から言ってハントを止めると思っていたから、意外である。


「もしも熊に距離を詰められすぎたら、ダメもとで鼻を叩け。致命傷にはなりえないが、距離をとることはできるかもしれない。あと、これを持ってけ」


 そう言ってグロッグは私に小さな袋を投げてよこした。


「それを潰すと強い臭いがでる。鼻が利くやつほど辛い臭いだ。本当は魔物に近づかれる前に使うものだ。それを使えば、もしかしたら臭いを嫌がって離れてくれるかもしれん。戦闘中であれば、望みは乏しいがな」

「ありがとう。もちろん、使わずに済むように立ち回るよ」




 ダナとグロッグが十分に距離をとったのを見届けてから、私は熊へとにじり寄る。戦闘イメージ、という意味での準備はすでに整っている。


 状況によっては簡単に殺されてしまうのは間違いないから、気を引き締めてかかる必要がある。


 熊から少し離れた場所で、私はファイアボルトの溜め(チャージ)を始めた。魔力の高まりに気付いたのか、私の気配遮断が甘くなったのか、"彼"がこちらへ頭を向ける。だが、一目では私を見つけきれない。


 私を探す彼に向かってファイアボルトを放った。


 発射の瞬間を見られなかった彼は、胴体にファイアボルトを直撃させ、面食らってその場で狼狽え始める。動きを見るに、彼のダメージは軽微。


 私はゆっくりと近づきながら、ファイアボルトを連発する。身体に魔法の直撃を数発受けた彼が、ようやく私を完全に見つける。生まれてこの方、魔法攻撃など食らったことが無いのだろう。私を探す彼の視線には紛れもなく恐怖の色が見え隠れしていたが、いざ私を見つけ、私の身体が彼よりもずっと小さいことを認識すると、怒りを露わにしてこちらに突進してきた。


 そうだ。彼はこの辺りで最強の存在。彼より強いものなどいるはずがない。彼の強さへの自信こそが、我々ハンターにとって格好の餌食だ。


 私はファイアボルトを放ちながら、彼との間に樹木を挟むように動く。彼は樹木を回り込んで、前脚をこちらに振り下ろしてきた。寸でのところで飛びのいて身を躱す。続けざまにとびかかってくる彼の、前脚の振り回し攻撃を全て躱しながら、剣を構えて低地へと立ち位置を動かしていく。


 熊は確かに強い。足も速い。単純にかけっこをしたら、魔法で俊敏性を上げたところですぐに追いつかれてしまうだろうし、どれだけ筋力を強化しても、今の私ではあの振り回しの一発すら無傷で受け切ることはできない。


 だが、いくら身体が大きくとも、小さい熊より振り下ろしが速い訳ではない。もちろん、間合いは小さい熊よりもずっと長いから、距離には十分に注意しなければならないが、攻撃速度に関していえば、熊の振り回しよりもリディアの剣のほうが早い。


 何もない平らな空間で振り回しを避け続けることはできなくても、ここは森の中。さっき彼は樹を避けた。つまり彼は樹木を一撃で薙ぎ倒せない。彼にとってのホームであるフィールドには、攻撃の障害物になりうるものがある、ということだ。


 これで樹木を一撃で薙げるのであれば、樹木は私の障害物にしかならないのだから、話は変わる。お互いにとっての障害物が点在する以上、森というフィールドは視界の広い私のほうに有利な戦闘舞台である。


 熊は獲物の死角を理解している。本能的に私を逃げ場のないところに追い込むように、方向を選んで回り込んでは攻撃を繰り出してくる。これも熊の賢さだ。私には通用しない浅知恵とも言える。


 虫を飛ばして常に周囲の観察をしているために、熊が考える私の死角、というものは、実際には存在しない。逃げ場の無い窪みに追い込もうとする彼の意図に私が嵌まることは無い。


 更に彼は、思ったように体を動かせていない。所詮彼はタイニーベア。身体は大きくとも魔法抵抗は強くない。ドミネートで支配できるか、と言われると厳しいところだが、距離を詰められる直前に放った弱体化魔法を抵抗(レジスト)できず、俊敏性が落ちている。


 パーティーメンバーの目がある手前、私は彼の攻撃をギリギリで避けている。都合上、ギリギリを演出しているだけで、傍目から見えているよりも実は余裕がある。私の狙いは、私自身が彼をどうこうすることではなく、カールにどうにかさせることだ。カールが動き出すのを待ち、私は彼の攻撃を避け続ける。


 だが、いくら待ってもカールの援護がこない。


 カールが何をしているか、というと、熊に襲われる私を見ながら、一人恐怖と戦っていた。一歩も足を動かさずに、震える手で槍を握りしめている。こういう恐怖と戦う"間"も、舞台には必要な時間である、と諦め、私は熊と演舞を続ける。


 数十秒か一分ほどか分からないが、戦いの中では長すぎるほどの時間をかけ、ようやく迷いを断ち切り、カールはそろりそろりと熊の背後から歩み寄ってきた。


 彼にカールの存在を気取られてはならない。私は彼の視線がカールに向かないよう、避ける方向に気を付けながら彼の視線を誘導する。


 タップリと時間をかけて熊を間合いに収めるまでに近寄ったカールは、よく分からないタイミングでやっとこさ槍の一撃を背後から彼に当てた。


 遅い、弱い、浅い。


 あれでは到底内臓に届いていない。いつものカールの槍の冴えが見られないし、そもそもこの大きな熊の分厚い毛皮は、「いつもの攻撃」では致命傷を与えるのが難しい。


 私以外は見えていなかったはずの彼が、槍に突かれたことで周辺への注意力を取り戻す。上半身をぐるりと回して、槍の主であるカールを見つけると、彼のヘイトは必然的にカールへと向かう。


 私は自分に俊敏性強化の魔法をかけているから彼の攻撃を避けられる。恐怖で身体が固くなっている上に、魔法のかかっていない素の状態のカールでは熊の攻撃を躱せない。彼の攻撃を避けることを最初から諦めているのか、カールは槍を前に構える。


 恐れおののくカールに彼の前足が襲いかかる……が、振り回しはカールに当たることなく空を切る。


 攻撃を外した理由は、彼の眼球の真ん前に大きめの羽虫が止まった。ただそれだけ。それだけで彼は目測がつかなくなる。


 熊は、獲物を切り裂く鈎爪と強靭な前脚は持っていても、顔に止まった虫を払う手なんて持っていない。平常時とかハチの巣を漁っている時であれば前脚で優しく掻くなり、顔を地面に擦り付けるなりして虫を払えるだろう。だが興奮状態の今は無理だ。


 ドミネートした虫で目を塞いでやるだけで、彼は我々に攻撃を当てることができない。遠近感を伴っていない攻撃を繰り出し続ける彼から、やっとのことでカールが距離をとる。


 カールの体勢が整ったところで、彼の目から虫を外してやり、再びファイアボルトを浴びせる。


 同じ手段がいつまでも続くとは考えないほうがいい。今度は全力のファイアボルトだ。アールの肉体で初めて放つ全力のファイアボルトだ、有り難く頂戴しろ。


 今までで最も強力な一撃を受けて、彼は咆哮を上げる。地面まで震えるような大きな唸り声だ。こんな声を浴びせられたら、大抵の生き物は竦み上がってしまうだろう。


 だが私は熊の獲物ではなく、熊を獲物とするハンターだ。ハンターはそうは捉えない。大声を上げる、ということは、ファイアボルトがそれだけ効いている、ということだ。


 どうやら本気のファイアボルトはダメージソースとして有効らしい。私に自信を与えてくれる彼の咆哮に後押しされ、ファイアボルトを連発する。


 魔法を放ち続ける私に再び彼が突っ込んでくる。攻撃を避けながら、また、防戦の形となったところで、立ち尽くすカールに檄を飛ばす。


「腑抜けた姿を見せるんじゃない!! 戦えカール!!」


 だが、カールは動かない。腰が抜けてはいないのだけが救いか。彼の振り回しを躱しながら、カールの足元へファイアボルトを放つ。


 カールは、燃え上がる火柱に一瞬だけ身体を怯ませた後、彼の背後へと再び近寄り始めた。ファイアボルトの炎は、上手くカールの目に闘志を灯らせてくれた。カールの目はしっかりとハンターになっている。


 彼の背後で身を屈めるカールは、今まで見たこともないほど魔力を高めていた。機を窺っているのだ。隙を作るならここしかない。


 私は、今日一番の出力を込めたファイアボルトを彼の顔面へと食らわせた。至近距離での命中に、炎の余波が私の表面を焦がす。


 顔面を燃やす火柱によって彼は視界を奪われ呼吸すらままならず、どうしていいか分からなくなり、二本足で高く立ち上がる。


「いまだ、カール!!」

「うおおおおおおおお!!!!」


 雄たけびを上げながら、カールは魔力の籠った槍の一撃を放つ。


 彼は今まで自身を守り続けた無敵の毛皮を貫通する強力な一撃を胸に受け、声もなく悶え苦しみ始めた。炎の中で息も吸えず、定まらない足取りで身体を動かし続けること数分、彼はようやく地に伏した。




    ◇◇    




 我々の勝利を見届けたダナとグロッグを交え、絶命した巨大タイニーベアの傍らに四人して立つ。


「いやー、カールのおかげで助かったよ。今までで一番の大物を仕留められた」

「恥ずかしながら恐怖で身体が動かず、援護が遅れてしまいました。面目ありません」

「そんなことないよ。最後の一撃は凄かった。あんな必殺技があるのを内緒にしてたなんて。もっと早く使ってくれてもよかったのに」

「あれは槍のスキルのピアースだろ? シルバークラスの槍の使い手なら半分くらいの奴が使えるスキルだ」


 無知を演じる私にグロッグが教えてくれる。


「槍ならピアース、剣ならバッシュ。投擲にしろ矢にしろ、ある程度強いやつらは武器で何らかのスキルを使える。小僧も年の割にはやるようだから、そのうち習得できると思うぞ」

「だってさ、カール。いつまでもしょげてないで、私に負い目を感じるなら、帰ってから必殺技を教えてくれよ。それにあくまで熊を倒したのはカールなんだから、負い目どころか、誇っていいはずだ」

「最後の一撃も、全てアール様にお膳立てしてもらったものです。それまで私は醜態しか晒していません。誇ることなど到底できません」

「カールは真面目だな……」


 カールは大物を仕留めていい気分になるどころか、今にも項垂れだしかねない気弱な発言だ。


「さて、お喋りもそろそろにしよう。ここは結構街道から距離がある。戻る準備を始めないといかん」

「これだけ大物だと、流石のグロッグも担ぐのは無理だよね?」

「いや……。取り敢えずこいつを沢へ降ろそう。そこで腑分けだ」




 四人がかりで、ほとんど引きずりおろす形で熊を沢へ降ろすと、グロッグは手際よく熊を解体し始めた。内臓には傷一つつけず、綺麗に解体を進めていく。


 これだけの大物なのだから"精石"を持っているのではないかと睨んでいたところ、やはり身体からは小粒ながら精石が一つ出てくる。


 体内で結晶化した魔力の塊ともいうべき精石を回収し、毛皮を剥ぎ、内臓を抜き、いつもの手際であっという間にタイニーベアを骨と肉だけにすると、回収する部分を縄ひもでコンパクトにまとめ上げ、綺麗に担げる形へとしたためた。内臓は、全部持って帰るには重すぎたことから、肝や胆嚢など、需要の高い部分だけを下処理し、腸は地中深くに埋めた。


 骨と肉だけ、とはいえ、今まで仕留めたタイニーベアを優に上回る重さの本体をグロッグは眉一つ動かさずに担ぎ上げる。ポーターがポーターたる所以の、見事な重量物挙上だ。


 残る毛皮全体はカールが担ぎ、持ち帰る分の内臓は二つの革袋に分けて私とダナが担いだ。丁寧に下処理をされ、革袋に(くる)まっているにも関わらず、強烈な内臓の臭いが私とダナを苦しめる。


 一番重い本体を担ぐグロッグが弱音一つ吐かない手前、文句を言う訳にも行かず、私もダナも無言のままで街まで帰った。




 持ち帰った熊の各部位は余すことなく売り捌き、今までのハントで最も我々の懐は潤った。現世のハントで初めて入手した精石は、現世での素材の売却における過去最高額を叩き出してくれた。


 ホクホクで成果を分配し、良い気分で家へと向かいながら、一日を振り返る。


 熊との戦闘では、何種類も魔法を使い、ファイアボルトに至っては全力で放った。魔法も立ち回りも、全てが目論見通りに上手くいった。カールにとどめを刺させることで、ピアースを間近で見ることができた。戦闘内容は満点をつけたいくらい充実したものだ。


 精石というレアアイテムまで手に入り、素材の売上は上々。文句の付け所のない今日の成果に、果実水でも用いて祝杯を上げたいくらいだ。


 私は浮かれた気分で家へと帰るのだった。



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