第三一話 インターミッション
王都潜入後にフィラーガ地区へ向かうと、街区端で闇ポタのひとりが待っていた。聞けば、街区各所にあらかじめ人を回しておいた、と言う。どうやら、我々がこの地区を徘徊することによって生じかねない問題を嫌気したようだ。
闇ポタに案内され、そこはかとない懐かしさを感じるうらぶれた街区を進む。修繕されていない建物、清掃という概念を知らないゴミだらけの道、残飯や吐瀉物、排泄物が醸し出す悪臭、金をせびることと盗むことしか考えていない子供、屯する若者、伝染性疾患に複数罹患していそうな中年、どれも見慣れたものだ。一般住民が去り、貧民、不良、犯罪者の巣窟となった場所というのは、あたかも示し合わせたかのように同じ空気を湛えている。
闇ポタに案内されて辿り着いた集会場地下の倉庫にはフォニアとセルツァがいた。南の森で別れたときよりも幾分か血色の良くなったセルツァの姿に安堵する。
セルツァと矮石化蛇は素材売却のための全ての段取りを整えてくれていた。倉庫に素材を保管していたのはほんの数時間であり、その後、素材はオークション会場へ移送された。検査員によって査定を受けた素材は臨時開催の非公開オークションにかけられ、財力を持て余した金満家たちによって、一片残らず食い尽くされた。
処分したのはツェルヴォネコートの素材ばかりではない。マディオフ入りしてから増えに増えていた素材やゴルティア軍からの鹵獲品を一挙に全てグレイブレイダーに買い取ってもらい、売掛金とオークションでの取り分との合算分を使ってセルツァから装備を購入する。
ゴルティア軍との戦闘で痛感したのは防御力の不足だ。高火力や、アンデッドの各種高耐性で押し切れるのは二流相手だけ。ネームドモンスターやミスリルクラスと事を構えるには、優秀な防具がないと話が始まらない。
パーティー最前部で白兵戦を担うシーワやフルルには資金が許す限りの最上等防具を宛行い、最前部には立たないが中枢を担う私やヴィゾークにはシーワらに次いで上等な防具を買い、残金で適当に防具や魔道具、消耗品や精石を買っておく。
ついでにラムサスの精神を安定させる魔道具か、気晴らしになる遊具でも買えれば良かったのだが、セルツァに相談しても提示されるのは嗜好性向精神薬ばかりだった。アルコールよりずっと安全なドラッグなどいくらでもある。しかし、どれだけ安全であろうともラムサスの感情はそれらを忌避しているのだから、これみよがしに与えたところで逆効果にしかならない。
安易な手法による心のケアを諦めた私は結局実用品を購入することにした。遠距離攻撃から自動的に身を守ってくれる護身の魔道具を買ってラムサスに与えたところ、彼女は複雑な笑みを浮かべた。喜ぶには微妙な物を贈られ、それでも一応形式的に喜んだフリをしてくれている。
この魔道具は、エルザの成人祝に贈った物と機能的に同じである。性能的にはエルザに贈った物のほうが高性能だが、本質的な違いはない。私は人を使ってエルザに送り届けたため、受け取ったエルザの反応を見ていない。ラムサスの反応から類推する限り、エルザもそれほど喜ばなかったに違いない。エルザの身を守ってくれさえすれば役目は十分に果たしているのだが、一生に一度しかない成人の機会、大切な妹を喜ばせられなかったのは千載の痛恨だ。私は家族を誰ひとりとして幸福にできない。
万屋セルツァで大散財した結果、手元にほとんど現金は残らなかった。これは私の予定どおりである。いざというときに必要となる額さえ手元にあれば、それ以上に大金を持ち歩くべき理由はない。下手に現金を所持していると、偽金捜査官に目をつけられた際に無意味に現金を失う羽目になる。偽金捜査官の目を眩ます方法などいくつもあるが、事前に危険を整理しておくに越したことはない。
素材という名の資産を装備や魔道具等の実物に変換したことに私が満足する一方、ラムサスは、最終的に現金がほとんど手に入らなかった、と悄然としている。緊急用途として保有する現金の価値は、比較的低い額で頭打ちになる。我々は理財できる立場にないのだから、あとは全て実用品を買うが正解だ。買うべきものを買わないのは倹約ではなく吝嗇。性格的にラムサスはおそらく、いざというときに回復剤を使えない。物惜しみして使い所を逃すに決まっている。所有者の性格とは無関係に自動で発動する魔道具を買って大正解だった。
◇◇
グレイブレイダーとの精算を完了した我々は晴れて王都の借家へ向かう。見知らぬ人間と行動を共にする窮屈さから解放され、足取りは自然と軽くなる。
三四半年ぶりに借家の前に立って思う。屋根の雪は下ろされ、玄関前の雪は除けられている。大家が手入れに人を寄越してくれていたようだ。オスカルは思った以上に物件をきちんと管理している。
ドアの凍結を溶かして家に入り、中の様子を慎重に確かめる。前回の帰宅時と違い、特に違和感はない。念には念を入れ、罠が仕掛けられていないか上から下まで調査して安全を確かめる。
私の探索でもラムサスの小妖精の探索でも何も見つからず、借家は一時的に安全な空間となった。
「ううう~寒い。外よりも家の中のほうが寒いような気がする~」
安全が確かめられて緊張から解放されたラムサスは身を抱いて擦る。寒さの苦手なジバクマ人らしい反応だ。
「掃除をすると身体が温まりますよ」
「どうせ掃除をしてもすぐに家を出る。掃除しなくてもよくない? 今日だけ少し良い宿に泊まるという手もある」
「この家に求めているのは居住実態です。ハンターパーティーである我々が家を長期間空けるのは自然でも、戻ってきたときに家に立ち寄らない、夜を過ごさないのは不自然です」
「この家に生活実態を作っておく意味があるとは思えない」
家を借りたときは喜んでいたのに、長居できない家を手入れするのはお気に召さないようだ。
「無言の行に疲れたサナは休んでいていいですよ。掃除はこちらでやっておきます」
フカフカの冬毛が生え揃ったフルードの身体をクルンと丸め、ラムサスの身体を包み込む。フルードは大森林が生んだ天然の暖房だ。薪の代わりに肉を燃料としている。冬のフィールドでラムサスを温めてくれたのがフルード暖房と私の手製の魔道具だ。フルードはたまに存在そのものが邪魔になるものの、総合的に勘案するとこのブルーウォーウルフを傀儡に組み込んだのは好判断だった。
「あー、フルードは温かい……」
ラムサスにはウルフセラピーを受けさせる傍ら、私は他の傀儡を操作して大掃除を行う。生体管理を思えば、借家の掃除など簡単なものだ。数日放置すれば全滅してしまう生体と違い、借家は年に数回掃除するだけで問題ない。
掃除の後は食事だ。暖炉の熱で作った料理は、魔法の火で作った料理とは一風異なる味わいがある。現在のマディオフではロギシーン失陥による穀物不足に便乗して薪まで値上がりしている。高額な薪を使って作ったのだから、今日の料理は食材が変わり映えせずとも贅沢な高級料理である。
フルード暖房の微睡みから目覚めたラムサスは高級料理をパクパク頬張っては、この二週間弱喋れなかった分を取り戻すように怒涛の如く喋るわ、喋る。
「――だから、セルツァは冷たい物言いしかしないけれど、本当はクリフォードのことを凄い好いていると思うんだよね。分からないのが、感情を隠す理由。フォニアに気を遣っている、というのは理由として自然なのに、私は何故だかそうではないような気がする。でも、他に適当な理由も思い当たらなくて、実際のところがどうなのか凄く気になる。私が尋ねるわけにはいかないし、ノエルは全然聞こうとしないし……ねえ、ちゃんと話聞いてる?」
一方的に喋り続けておきながら、ラムサスはこうやって定期的に私が話を聞いているか尋ねてくる。相槌や返事が欲しければ、もう少し会話に間を挟むべきだ。
「はい、聞いています。セルツァがとても仲間思いなことは分かりますが、私は彼女の隠し持つクリフォードへの恋心とやらを見抜けませんでした。能力の反則さがよく分かります」
「能力はより確信する要因になっただけ。能力に告げられる前から、そうなんじゃないかな、と私は思っていた。それでね、フォニアのほうはクリフォードと一見仲良くしているけれど、実は――」
ラムサスが私に求めるのは傾聴だ。聞いていることが重要なのであって、こちらからの返事の中身には何も期待していない。ラムサスは引き続きグレイブレイダーを見て感じたこと、思ったことを止め処なく話す。緘黙を強いられている間、ずっとグレイブレイダーのことを考えていたのだろうか。いつまで経っても話が終わらない。
私は今のところグレイブレイダーを倒すつもりがない。ただし、状況や展開によって話は変わる。グレイブレイダーが我々の敵として立ちはだかった場合は躊躇なく排除する。そのときにラムサスが反対しそうな気がしてならない。
食事終了後もラムサスはそのまま話し続け、喋って喋って数時間が経過し、ようやっとトーンダウンする。
頃合いと判断した私は必要な話を切りだす。
「さて、そろそろ我々の次の目標について話しましょうか」
これだけ自由に喋らせてもまだ喋り足りないのか、話を遮られたラムサスは顔に慍色を浮かべる。
「今日ぐらいはつまらない話をせずにゆっくり休み、思案するのも行動開始も、全ては明日からにしますか?」
「……何を言う。そういうのは今日話すべき」
理性を取り戻したラムサスは問題の先送りを良しとせず、話題の転換に同意する。
「我々の掲げていた目標のひとつ、大氾濫の収束はほぼ達成したと考えていいでしょう。消しきれなかった残波は人間のハンターに任せようと思います」
「残波と断じるには数が多い。でも、国が危機的状況にさえ陥らないのであれば、ハンターの手はある程度塞がっていたほうがいい」
「時間さえ掛ければ、ミスリルクラスのハンター抜きでも残りの魔物を十分に掃討できると思います」
「なら、特に反対はない」
「では、残る目標を改めて確認しましょう。私が考えているのは大きく三つ。ひとつはゴルティアのサルの完全駆除。もうひとつは異端者の全容解明。最後のひとつはロギシーンの反乱軍の鎮圧です」
「ゴルティア人をあれだけ殺しておいてまだ怒りが冷めないの? 全殺害という猟奇的野望は一刻も早く捨てるべき。遅くなればなるほど将来の禍根が深く大きくなる」
禍根とやらを大きくする最大の要因は駆除の中途断念だ。完全駆除に成功すれば生じ得ない問題である。ではそれが可能かというと、あまり現実的ではない。たとえ私が精霊殺し並に強かったとしても、広大なゴルティアに分布するサルを隅々まで完全に駆除するのはほとんど不可能。世界から油虫を根絶しようというのに近い。
ラムサスは常々私よりも正しいことを言う。無視すべき意見ではないが、私の感情が受容するかどうかを顧慮していない理想論だ。
「なんでそんなものを私が気にしなければならないのです。そういうのは人間が気にするべき問題であり、基盤のない存在かつアンデッドたる我々が泥むものではない」
「やめよう、ノエル。あなたは倒そうとしていたクリフォードだって、いざ会ってみたら討伐方針を撤回して救助した」
「それは倒す理由がなくなったからです」
「その答え方では本心を説明しきれていない。あなたはあの人たちを実際に目にして、好感を抱いた。話をして、殺したくないと思ってしまった。これはグレイブレイダーに限らない話。あなたは何もかもを破壊し、殺しつくすなんて望んでいない。このまま怒りに呑まれてゴルティア人を殺し続けると、あなたはいずれ必ず後悔する」
我々と敵対しないのであれば、グレイブレイダーを排除したいとは思わない。これはラムサスの指摘どおりだ。彼らは生き残るに値する能力優秀な個体だ。私に害をなさず、ミスリルクラスのハンターとしてマディオフの魔物の討伐にあたってくれればそれでいい。今後も我々と取り引きの相手になれば、なおいい。エルザに被害が及ぶ可能性は低い以上、性犯罪関連はどうでもいい。
では、ゴルティアのサルを駆除して私が後悔することなどあるだろうか? あの中に生かしておくべき個体など……
……おかしい。これもラムサスの言うとおり、いるような気がする。
レッテル効果か? 違うぞ。私の深層意識は誰かひとり、明確な個人を思い浮かべている。誰だ、私は誰を思い浮かべている?
私が“融合”によって取り込んだ最初の人間、ダグラスの出身地はおそらくゴルティア。生かしておくべき個体とは、ダグラスの家族だろうか。
フライリッツで話を聞いた老手配師の話から計算すると、ダグラスが人間として生きていれば現在六、七十歳。その家族が生きているはずはない。子供であれば話は別だが、子供がいた記憶を私は全く持っていない。ダグラスをはじめ、取り込んだ人間は誰も子供がいない。これはまず間違いない。
ならば、反目していた妻のことか? それも違うだろう。あれが生きていようが死んでいようが、私は何も興味がない。
生かしておくべきゴルティアの個体。それが誰なのか、私はまだ思い出せない。もう少し切っ掛けが必要だ。
「相談役を自称するなら、その生かすべき標的とやらを拾い上げつつ、残る全てを効率的に殲滅する方策を考えてもらえませんかね」
「あなたはゴルティア人全てを憎んでなんていない。感情だけでなく、理性で物事を考えて」
「私は感情だけでなく、理性に基づいてゴルティアを排除すべき、と考えています。綺麗事ばかりを宣う相手は理性的に考えれば考えるほど、信用ならない。そうは思いませんか?」
「その理性はおかしい。国が信用ならなくても、国民個々人は全く別。私の故郷を助けたときだって、あなたは必要以上に人間を殺さなかった。社会全体は信じずとも、私たちのことは信じてくれた。ゴルティアに生きる人間ひとりひとりの顔が見えてから無節操な殺害を嘆いても遅い」
ゴルティアのサルの完全駆除という目標が理性に基づくものにせよ、感情に基づくものにせよ、これを撤回するには具体性をもつ代案が必要だ。
ラムサスは合理性のある代案を挙げずに説得を試み、その正義の心が私を強く苛立たせる。
こういう博愛の精神を持つ人間が嫌いなのか、というと、そんなことはない。とても貴重で好ましい人間だと思う。しかし、正義を全面に押し出すラムサスに対し、私の心は激しくざわついている。
今まであまりこういうことはなかった。徒話を長時間聞かされることで精神的に疲労しているのかもしれない。
「どうなの、ノエル。あなたが考えていること、思っていることをちゃんと自分の口で答えて」
「……解釈は個人に委ねられている。私の心も勝手に推し量ればいい。……だが、追及はよせ。特に今、私はとても不愉快だ。感情的な答えしか返せない」
「それでいい。結論は後で聞く。でも、答えはもう出ている。心が憎しみ一色なら、時間なんて必要ないのだから」
ラムサスが問うている問題と、私の中で荒れ狂っている感情は焦点が異なっている。ラムサスは勘違いしたまま私に目論見どおりの影響を及ぼせた気になっている。
「私は――」
「今は言わなくていい。今は、ね。焦って結論を出しても悪い結果にしか繋がらない。どんな結論を出しても、ゴルティア軍や本国と接触するのはまだ先の話。取り敢えず、残る二つの目標について話しておこう」
言いたいことを言い終えたラムサスは、話題を次へ移行させる。
「ノエルは多分、明日すぐにでもロギシーンに向かおうと思っているかもしれない」
「それが何か拙いのか?」
「私は王都で情報を探るべきだと思う」
「情報を入手するにしても、王都ではなくロギシーンに潜入してからのほうが正確なものを手に入れられる」
ラムサスは壁を向いては首を横に振る。正対する方角にあるのは王都の中心だ。
「反乱軍だけの話ではない。全体の潮流を読むためにも、マディオフ全域の情報やドラゴンに襲撃されたゴルティア軍のその後の動向も調べておいたほうがいい」
「サナの読みでは、ゴルティア軍は冬の間、砦に籠もって雪解けを切々と待っている、という話だった」
「読みなんて往々にして外れる。砦の襲撃から結構な日数が経っているのだから、何かしら動きがあればマディオフ軍はそれを察知しているはず。多分、手配師もね。ノエルの信頼するテベスのところに話を聞きに行こう」
ゴルティア軍の動きが不安なのであれば、砦を襲撃した際にもっと徹底的に叩いておけばよかったのではないだろうか。軍略コンサルタントの思考は理解容易ならざるものだ。
ルカの表情という形で疑問を呈する私に、ラムサスは諭すように問う。
「大森林のネームドモンスターは何柱?」
「四柱だ。全て倒しただろ。忘れたのか」
「その四柱ってさ、誰が決めたの?」
「それは……」
ラムサスが遠回しに言わんとしている内容を理解した私は、デスマスクの下でつい唇を噛む。
命名された四柱以外にも大森林にはネームドモンスター相当の魔物が存在するかもしれない。そういう未知の魔物が登場する可能性を私は何も考えていなかった。ハンターならざる疎漏だ。アーチボルクで手配師のラナックは何も言っていなかったが、王都のテベスからも確認しておくべきだ。こういう重大な情報の入手が遅れるのはかなり拙い。
「情報は大切でしょ」
「分かった。明日の午前中は情報収集に費やす」
「特別な情報が無かったら午後は王都の近郊で狩りをして“ナジェーヤ”に顔を出さない?」
「随分と悠長なことだ。それほど子供が好きなのか?」
「子供に興味津津なのはノエルでしょ。私は別に子供が好きじゃない」
昨年一度訪れただけの孤児院ナジェーヤのことをラムサスは覚えていた。私もすっかり忘れていたのに、記憶力がいい奴だ。
「小児性愛者のように言ってくれるな」
「冗談。それくらいは分かっている」
◇◇
昔、ハントのパートナー探しに奔走していた頃、血迷った私は苗買いでもしたかったのか、うっかり孤児院を見に行ってしまった。年齢の割に魔力が高い子供がいないか見たかっただけなのに、そこの女性職員はやたらと丁寧に施設を案内し、子どもたちに私を紹介してくれた。
見た目は悪くないが、対応の面倒なあの女の名前は何だったか。……ああ、リズだ。
それほど広くない施設を隅々まで回り、全ての子どもを紹介し終えてもリズは私を解放せず、養育の苦労を切なげに語る。リズの熱心な姿勢に私は少し誤解しかけたが、しばらく話を聞くうちにリズが何を求めて私を束縛しているか理解した。
用済みの孤児院からさっさと立ち去りたかった私はリズに孤児院への寄付を申し出た。涙金を受け取ったリズは私を解放してくれた。
上手く立ち回ったつもりだった。結果的にこれは大間違いだった。
ナジェーヤを視察してからというもの、定期的に孤児院の施設長が私の下を訪ねてくるようになった。一度詐欺師に騙されると、後々、新たな詐欺師が続々と顔を見せるようになる、という訓話にどこか似たものがある。私は孤児院ナジェーヤに金蔓として認識されてしまったのだ。
テベスに匹敵する悪人面の施設長、ニカウは金をせびるだけでなく、「アルバート君に会えるのを楽しみにしている子供が何人もいます。君はとても忙しいことと思いますが、寄付だけでなく、是非顔を見せに来てください」と、しつこく要求してくる。どれほど固辞してもニカウはニタニタと笑うばかりであり、次に来るときは全く同じことを言うのだ。
私はナジェーヤを訪れたとき、子供と会話なんてしていない。子供たちから好かれる要素などどこにもない。おそらくリズがニカウにほら話を吹き込んだのだ。一度ニカウと一緒にナジェーヤを訪れ、私の嫌われっぷりを見せつければ、ニカウは今後私を施設に誘わないだろう。寄付を受け取るだけで満足して帰ってくれるはず。そう考えた私は、もうこれが最後、というつもりで、ニカウと共にナジェーヤを再訪することにした。結果的にこれも大間違いだった。
孤児院には二種類ある。子供を食い物にする孤児院と、子供を守ろうとする孤児院だ。後に調べたところでは、マディオフには前者の孤児院がいくつもある。それなのに、私が下調べせずに訪れてしまったナジェーヤは後者の孤児院だった。私は見学する孤児院を間違ったのだ。間違いの話をするならば、ハントのパートナーを探すために孤児院を訪れる時点でどうかしているのだが……
資金と食事は不足気味でも、職員に愛情を与えられていた子供たちは、孤児にしては比較的明るかった。子供が多数いれば、社交的な子供、物分りのいい子供、色々な性格が表れる。ニカウと職員はその中から使えるものを総動員した。
孤児院に着くなり、私はひとりの乳児を押し付けられた。それは誰かに抱かれていないとすぐに泣き出す問題児で、一度抱っこしたら、永久に抱っこし続けなければならない、という云わば呪われた魔道具のようなものである。
そして、なぜか唐突に始まる臨時のおやつの時間。職員たちは私を無理矢理小児卓に座らせ、「アルバートお兄ちゃんが来たので、今日は豪勢なおやつが食べられまーす。みんな、アルバートお兄ちゃんに、『ありがとう』って言ってから食べようねー」と、子供たちに優良誤認を誘導する。これではまるで私が子供たちのために菓子を持ってきたかのようだ。私は今日、孤児院に金も物も何も持ってきていない。今、振る舞われている菓子は全て施設の側が用意したものだ。
施設の各所から不揃いな『ありがとう』の声が木霊する。悪い夢を見ているかのようだった。
私の左隣に座る女児が、「何も無いところだけど、楽しんでいってね」と、白々しい台詞を吐く。女児の喋り方は、ママゴトに興じる際の子供独特の棒読み感があった。おそらく職員の誰かが事前に仕込んだのだ。
私の目の前に座った男児が、「お菓子、とっても美味しいね」と、繰り返し私に話し掛ける。私がいくら無視しても男児はめげない。私が肯定的な返事をするまで、何度でも定型文を繰り返すよう厳命されているのだ。
私は、自分の席に用意された菓子を近くの子供にあげようとした。しかし、子供たちはなぜか「それはお兄ちゃんの分だから、お兄ちゃんが食べて」と、頑なに受け取らない。ふと、テーブルの端に目を向ければ、自分の菓子を食べ終わった子供が物欲しそうな目でこちらを見ている。子供たちに分配された菓子はごく少量であり、いかに身体が小さかろうと、食欲の権化たる子供たちがそんな少量で満足するはずがない。私の分を貰って食べようとする卑しい子供は私から少し遠くに、誘惑に屈しない健気な子供を私の近くに配置してある。施設職員の性根の汚さがよく分かる采配だ。
私は居た堪れない気分でボソボソの味気ない菓子を頬張った。私はあまり好き嫌いがないのに、そのときばかりは、『全然美味くない』と思った。どんな状況で食べるかによって、人の味覚とは変わってしまうものなのだ。不味い菓子を食べた私は、半べそとなって定型文を繰り返す男児に、「とても美味しいよ」と返答した。すると男児は目を真っ赤にして、嗚咽を始めた。私の答え方が怖かったのか、辛く苦しい任務達成に感極まったのか、真相は闇の中である。
おやつの時間の後は自由の時間だ。本来は銘々子供たちの好きなことをやっていい時間なのだが、今日は私の前で各自特技を披露することになった。
特技と言っても子供なので、私の前に立ち、「先生になりたい」と、将来の夢らしきことを一言だけ述べて去る子供や、何の真似なのかよく分からない動物やら有名人物やらのモノマネを披露する子供、小児用管楽器を演奏する子供など、特技披露というよりも、私の前でやりたいことをやる時間だ。
その中にひとり、とんでもないことをした子供がいた。四歳前後と思しき男児は私の目の前に立つと、見覚えのあるポーズで身体をクネクネとさせ、「構ってニャンニャン」と言った。特技はそれで終わり、男児は去っていった。
「構ってニャンニャン」とは、私がその昔、母の気を引くためにナタリーから仕込んだ「必殺、可愛いポーズ!!」のひとつである。あれはナタリー独自の技術ではなく、マディオフの孤児院でお馴染みの子供遊びだったのだ。衝撃の真実を知った私は、不憫だった自分の子供時代のことを思い出してしまい、目頭を押さえる羽目になった。
特技披露をひと通り見させられた後、呪いの魔道具をどうにかこうにかリズに押し付けることに成功した私は孤児院を出ようとした。そのまま出てしまえばよかったのに、施設敷地外まであと数歩、というところで、とある違和感に気付いてしまう。
私が見つけたのは、年の頃にして、五、六歳の男児だった。自由の時間、広場の隅っこでじっとするばかりで、私には特技を披露しなかった子供だ。その子供に対して抱く違和感の正体が何なのか、しばし考える。
「何、お兄ちゃん」
男児は、自分のことをジロジロと無遠慮に観察する私に強い警戒心を見せる。とても正しい反応だ。
本来子供はこうあるべきなのだ。たとえ小さく未熟であっても、自分の目の前にいる存在が敵なのか味方なのか判別する能力は生物として必須。
職員から命令を受けた子供が私におべっかを使うのは仕方ないにせよ、命令を受けていない子供は私に近寄るべきではないのだ。私のほうから近寄ってきた場合、愛想を振りまかずにこうやって警戒する。それが生物として望ましい、自己の安全を保持する手段である。
「君はさっき、不思議な姿勢のままじっとしていたね。あれ、もう一度やってみてはもらえないか?」
男児は、何も言わず、縦にも横にも首を振らず、黙って先ほどと同じ姿勢を取り始めた。柔軟体操でもやっているかのように上体を前に屈曲する男児に目を凝らすと、彼の体内では魔力が躍動的に動いている。この子供は魔力循環をやっていたのだ。
「それ、誰かに教わったの?」
「別に」
幼児にありがちな単語文でしか返答しないため、人から教わってやっているのか、誰からも教わることなく始めたのか、詳細は不明だ。しかし、無理強いされて行っている魔力循環ではなく、自らの意志で行っている魔力循環なのは間違いない。それを裏付けるように、この子供の魔力量はかなり多い。私やエルザの同じ頃と比べてしまうと、そこまで多いというわけではないが、周囲にいる同じ位の背丈の子供たちと比べると、この子供の魔力量は断トツだ。
「ザック君と何をお話ししているんですか、アルバートお兄ちゃん?」
乳児を抱いたリズが私の横に来て男児の名前を教えてくれた。リズは私が子供の名前を覚えていない、と見抜いている。
「ザック君のことが気になります?」
リズは親切で尋ねているのではない。探りを入れているのだ。これで私がザックに興味を持ったと思ったら、今度からニカウはザックの手紙持参で私の所へ寄付を募りに来る。これがこいつらの常套手段だ。
「不思議な姿勢だな、と思っただけのこと。では、邪魔をしたね、ザック君。良いものを見せてくれてありがとう」
ザックは返事をせず、子供だてらに私を睨む。
「アルバートお兄ちゃん、ザック君が『また来てね』だって」
ザックが何も言わないのをいいことに、リズはザックの内心を捏造する。
私は居心地最低の孤児院を逃げるように後にした。そんな私の背中をリズは笑顔で、ニカウはニタニタと笑って見送るのだった。
それからしばらく、私は家に帰れなかった。なぜか? それは、子供たちからノミやシラミ等の外部寄生虫をうつされたためである。駆虫完了まで数日間、自宅に立ち入ることもできないまま、屋外で身体の痒みと闘うことになった。
後日、性懲りもなく寄付を募りに来たニカウに対し、子供に私を接待させようとは二度と考えるな、という旨をキツく、それこそ口汚いまでの表現をもって伝えた。私が何を言ってもニカウは普段と変わらない悪人面でニタニタと笑うばかりだった。
以後、ニカウは寄付を募っても、私を孤児院に誘うことはなかったが、ザックの魔力の成長具合がどれほどか興味を持った私は、しばしばナジェーヤを訪れた。ザックの魔力は感動するほど多くはないのだが、今後、ハンターの魔法使いとして、一端にはなれそうかな、という程度の成長速度は見せていた。
私はナジェーヤを訪れてもザックと会話などしない。魔力の増加量をチラと見て、それで終わりである。それなのに、お節介にもリズはザックの近況をあれこれと勝手に教えてくれた。
私と孤児院の奇妙な関係は二年強続き、人間としてのアールの死によって終わりを迎えた。
◇◇
「……子供は魔力変動の観察対象として好適だ。それで少し通っていただけのこと」
「なら、食糧を届けがてら観察もできて一石二鳥になる」
それでは本題と副題が逆になってしまっている。
「明日の午前は情報収集に費やす。ロギシーン方面以外が問題なさそうだと分かったら、午後は軽めのハントで少し弛んだ身体を馴らす。夜はハントの産物を保存食にして、明後日にナジェーヤに行く。うん、いい計画」
日程がコンサルタントによって勝手に立てられていく。
ラムサスは先程、『子供が好きではない』と言ったが、本当はとても好きなのかもしれない。
ナジェーヤに食料を届けるには事前準備のハントを含めて丸一日が必要となる。これも、ラムサスの心のケアと考えて割り切るべきか。
苦手な孤児院の再訪という憂鬱な日程を嬉々として立てるラムサスを見ながら、私の心は暗く沈んでいった。




