第二九話 最後の旧四柱 七 交渉
冬の日はすぐに暮れる。日没から何時間も作業を続けてやっと全ての保存処理を完了し、一息つく。フォニアという熟練の解体屋に遅れを取らぬよう気を張って長時間作業に勤しんだ結果、精神的な消耗が激しい。魔法研究や身体訓練とはまた異なる倦怠感が身体を苛んでいる。ただし、決して不快なものではない。達成感にも似た心地よさがある。
「お疲れ様でした、フォニアさん。今日はいいものを見せてもらいました」
「ハンターとして普通のことをしただけ」
サラリと言ってのけるフォニアの顔にも疲労の色が少しばかり混じっている。
「フォニアさんの解体しの腕は、我々の見てきたあらゆるハンターを凌駕しています。あなたほど見事に全身を処理する者はいません。本場の骨肉店でも、なかなかここまでは全身を活用できませんよ、きっと」
人、道具、設備の整った骨肉店では、無い無い尽くしのフィールドに比べてよほど容易く解体処理を行える。しかも、処理後、即座に販路に乗せられる。フィールドで行う解体処理の難度の高さは骨肉店の比ではない。
「我々だけだったら、肉は保存食に加工していたところです」
「それだと目も当てられないほど値が下がる」
「よほどの水魔法使いでもパーティーにいない限り、街から離れたこの場所からこの巨体を、鮮度を維持したまま持って帰る手段がありません。価値が激減するどころか、無価値化してしまう臓器は沢山あります」
裏の世界に生きるフォニアの毒と薬の知識は、通常の薬師と趣が異なる。私が学んできたものとは全く異なる角度から習得された化学知識であり、私の知識欲をくすぐる。フォニアの能力を取り込みたい、という欲望がべったりと私の心に張り付く。
しかし、フォニアの取り込みは現実的とはいえない。上手くやればフォニアをドミネートして傀儡に変えることは可能だが、ドミネートしてしまうと知識は効率的に引き出せなくなる。傀儡の抱く感情やイメージは共有できても、思考や純粋な知識を私は共有できないからだ。知識の出力ができないのは、“融合”も同様である。融合時の設定を調整し、融合後もフォニアの精神を強く残すようにすれば話は変わるが、それは同時に私の精神が損なわれ、汚染されることを意味している。フォニアの知識を余すことなく学びたいのであれば、フォニアを傀儡化するのではなく、フォニアをパーティーに加えて知識の教授を請わなければならない。
心なしか誇らしげに素材の前に立つフォニアをじっと眺めていると、小屋で休んでいたクリフォードが顔を見せた。
「フォニアー。もう作業は終わったんだろ? 早く飯を作れ」
「あっ、ごめん、クリフ。すぐに取り掛かる。もうちょっとだけ待っていて」
「さっさとしろよ」
クリフォードはふてぶてしくフォニアに夕食をせがむと、暖かい小屋の中にさっさと戻っていく。
「何なんですか、彼は。まるでフォニアさんを召使いかのように扱って。こちらは仕事をしていたのです。手の空いている彼のほうが夕食を用意してフォニアさんを労ってもいいようなものではありませんか!」
短時間ながら、フォニアは我々と一緒に仕事をした。美技で我々を魅了し、大いに向上心を刺激した。そのフォニアをこれほどぞんざいに扱われると不愉快極まりない。
「ごめんね、ルカさん。気分を悪くしないでください。クリフはいつもああだから、私はあまり気にしていない」
フォニアはクリフォードの無礼な態度に怒りも疑問も感じていない。
私であれば、そんな不遜な物言いをする輩に飯など食わせてやらない。食べたければ自分で用意すればいい。
以前、こういう奴がいたな。誰だ、その業腹極まりない不遜な人間は……。ああ、そうだ。これは私がやっていたことだ。
融合した人間の記憶が思いがけない形で蘇り、怒りの感情は尻すぼみとなっていく。
「出過ぎたことを言ってしまいました」
「いえいえ。気遣ってくれてありがとう」
クリフォードの糾弾をやめたのは、自分にも前科があったから、というだけではない。人間関係は千差万別。フォニア本人がいい、と言っている以上、他者が干渉するべき問題ではないのだ。
「そちらのパーティーでは、いつもフォニアさんが食事を用意しているのですか?」
「私とセルツァの交代で作っている。料理はセルツァのほうが上手い」
解体処理というのは、ある程度料理と地続きの作業である。フォニアは料理の腕もそれなりにあるはずだ。そのフォニアよりも上手い、と言うのだから、セルツァはかなりの料理人とみえる。
「戦闘の余波で近くには全く魔物がいませんし、せっかくの機会です。ツェルヴォネコートの肉を使い、お互い別の料理を作って分け合いませんか?」
「食べ比べ? いいよ」
フォニアはルカを見て薄く笑う。
「お三方は食べられないものとか、苦手な調味料あります?」
「クリフは嫌いなものが多い。甘いお菓子は好きでも主菜が甘いのは好きじゃない。私とセルツァは大体何でも食べられる」
「なるほどなるほど」
相手の食べられないものを作るのは料理者として失格である。好き嫌いを確認しつつ、且つ品目がかぶらないようにお互い何を作るかフォニアと相談する。
その様子をラムサスは目一杯不機嫌な顔で睨む。クリフォードたちと食卓を囲むのが余程嫌とみえる。
ラムサスの一存で方針を変えるつもりはなく、抗議の視線は敢えて無視して料理を作っていく。複数人に料理を振る舞うのはジバクマ以来のことだ。私は、料理という作業自体は別に好きではない。面倒くさいとしか思わない。しかし、自分が作った料理を人が美味しそうに食べるのを見るのは好きだ。今日は初めて振る舞う相手が三人。クリフォードには食べさせたいと思わないものの、どのみち奴は食う。どうせ食われるなら文句を付けられる料理ではなく、相手を黙らせるような美味いものを作りたい。これは腕が鳴るというものだ。
フィールドに簡易な調理場を作り、フォニアとルカで別個に料理を作っていく。
料理が完成したところでセルツァの休む小屋に戻る。全員で食卓を囲むには手狭な小屋を拡張し、さらに怪我人のセルツァが上半身だけ起こして食事を取れるように特別製の席を設ける。
こうやって友好的に事を進めていても警戒は怠らない。フォニアが毒を混入しないか監視の目は一瞬たりとも離さない。
料理中は怪しい動きは取っていなかった。念の為、完成した料理に毒探知魔法をかけて、毒の反応がないことを確かめる。魔法の結果を待たず、食事の挨拶もせず、クリフォードはひとりガツガツと料理を食べ始めた。
「おおう、アチアチ。あのでかネコ、なかなか美味いではないか。うむうむ、ウマウマ」
馬鹿さ加減を行動で示すクリフォードを見て思う。毒の危険性を考えずに無節操に食べるクリフォードがいる以上、フォニアが料理に毒を仕込む可能性は低い。ディテクトトキシンにも反応は全くなかった。ルカやラムサスに食べさせても問題なさそうだ。
クリフォードの器は瞬く間に空になり、次々とお代りに手を伸ばす。食べる早さが尋常ではない。早食いのスキルでもあるのかもしれない。
「筋切りはあんまりしてないのに、凄く食べやすくなってる。さすが圧力鍋……」
フォニアは自分が作った煮込み料理を賞味して感想を述べている。味ではなく柔らかさに真っ先に言及するあたりは正しく普段から料理をする人間だ。
「固いものは柔らかく、味は中までじんわり染み込む。それでいて調理時間は劇的に短縮できる。圧力鍋はハンターの友なのです」
「圧力鍋なんて使ったの?」
セルツァは目をパチクリとさせてフォニアに尋ねる。繰り返される瞬目がセルツァの睫毛の長さを際立たせる。失血により顔がまだ青白いせいもあってか、妙な色香がある。風魔法使いのセルツァといい、マスクを外したフォニアといい、どちらもなかなかの美人だ。
「うん。彼らが貸してくれたからね」
「他のハンターのフィールド飯に詳しくはないけどさ、少なくとも圧力鍋を持ち歩いているハンターなんて聞いたことがない」
「エルリックは土魔法で圧力鍋を作り出した」
フォニアはルカが作った串料理をしげしげと眺めながら事情を説明する。
「あの、我々のパーティー名は“リリーバー”と言いまして――」
ルカがそこまで言うと、セルツァとフォニアは物言いたげなじっとりとした半目をルカに向ける。
横ではなぜかラムサスまで同じような目でルカを見ている。これではまるで私が変なことを言ったようではないか。
「ふーん。今はそう名乗ってるんだ。覚えておこう」
セルツァは手元の料理に視線を戻し、つまらなさそうにフォークで肉を突付く。
二人は、疑いを抱く段階には既になく、確信を抱くに至っている。正体がバレた中で食事を取るのは何とも侘しいものではないか。
静かになった小屋の中、少し冷静になってセルツァをよく観察する。
セルツァは料理を突付くばかりで、ほとんど料理を口に運んでいない。私がバレバレの詐称をする前から、セルツァはずっと同じ動作を繰り返している。
我々が作った料理を食べないのは分かるが、フォニアが作った鍋料理のほうすら食べようとしないのはなぜだろう。大怪我をした直後で食欲が無いのだろうか? 少し違うような気がする。セルツァの目からは空腹の人間独特の、食べたい、という欲求を感じる。
「セルツァさん、もしかして……」
セルツァは、とあることを気にして食事を取れないのかもしれない。ルカをセルツァの横に寄せ、耳元でそっと囁く。
セルツァはルカの言葉を聞くとハッと目を見開いた。
「だから、気にせず食べてください。栄養をしっかり摂ると傷の治りが違いますよ。血も増やさないといけません」
「ふっ……フフフ」
セルツァは肩を震わせて笑い始めた。
「ありがとう。気配りドレーナ」
セルツァの顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。
「大丈夫、私はそこまで弱っていない。ちょっと億劫に思っただけで、下の世話にはならない。余計な気を回されるのも嫌だし、私もビビりネコ料理を堪能しようかな」
セルツァはそれまでの気怠げな動きが嘘のようにスイスイと手を動かして料理を頬張り始めた。フォニアの料理だけでなく、私が作ったほうの料理にも口をつけている。
「あー、ドレーナとアンデッドが作ったとは思えないほど美味しいなあ」
セルツァは賛辞とも悪態ともつかない言葉を口にしつつ、ハンターらしく豪快に食べ進めていくのだった。
◇◇
「あー食った食った。満足したぞー。俺はもう寝る」
強い奴ほどよく食べるのが世の常である。クリフォードは誰よりも大量に胃袋に食事を流し込むと、先程までセルツァが寝ていた寝台にごろりと横になった。セルツァの治療時間、ツェルヴォネコートを解体処理していた時間、料理をしていた時間、これら全ての時間、クリフォードはずーっと寝ているかゴロゴロしていたというのに、食事が終わったらまた眠る。肉食の魔物さながらの長時間睡眠だ。知れば知るほどおかしな奴である。やたらと長く眠っていられるのも何かのスキルなのだろうか。
「こういう奴なんです」
フォニアはバツが悪そうにボソリと呟く。
「本能の赴くままに生きていますねえ……。眠るのと食べるのはいいにせよ、目が覚めたときに、安静を必要とするセルツァさんに強要しないか心配です」
クリフォードほどの馬鹿となると、セルツァの体調がどれほど悪いか考えなさそうだ。
セルツァの身を案じてルカがそう言うと、セルツァとフォニアは互いに別々の方向に目を逸らした。二人の妙な仕草に小妖精が動きを見せる。
なんだ? 小妖精は如何なる情報を読み取った? どうやら二人は、下世話な話題に気まずくなって視線を逸らしたわけではなさそうだな……
「……は大丈夫です。クリフが起きたら、また私が相手をします」
「フォニアさんも疲れているでしょう。お二人にはこのケダモノとは別の、ゆっくり身体を休められる部屋を用意しましょうね」
土魔法を展開して小屋をまた更に拡張し、セルツァとフォニア用の寝室を作り上げていく。
それを見たセルツァは、自分の寝台だった場所で眠るクリフォードを憎々しげに見る。
「ルカさんの半分程度でも思慮というものがこいつにあったらね……」
クリフォードと比較されて気配り上手を褒められても良い気分はしない。こいつと比べると、世界中の人間が気の利く人間に分類されてしまう。
「セルツァさんたちは普段からかなり苦労されているご様子で」
二人にとってクリフォードは面倒なパーティーメンバーではなく、手のかかる子供のような存在ではないだろうか。たとえ常時フィールドにいるハンターであっても、戦闘力が意味を発揮する時間というのはごく短いもの。一日の長さを思えば、戦闘時間などほんの一瞬に過ぎない。クリフォードは役に立っている時間よりも、パーティーメンバーに迷惑をかけている時間のほうが圧倒的に長い。
「苦労なんてものじゃないです。こいつは一刻も早く死ぬべきです」
セルツァはそこにクリフォードの頬があるかのように手元の空気をギチギチと抓あげる。その仕草は夫の悪癖に疲れて愚痴を吐く妻を彷彿とさせる。
「人間の恋模様というのは色々とありますねえ」
「こいつは全然そういうのじゃないです」
恋という単語に反応したセルツァは嫌悪を浮かべて恋仲であることを否定する。
ツェルヴォネコート解体時を振り返っても、クリフォードの相手を務めたのはフォニアだった。クリフォードの恋人なのはフォニアのほうで、セルツァはフォニアと特別仲の良い友人だからクリフォードとも嫌々パーティーを組んでいる、ということだろうか。
その割にセルツァはクリフォードを見捨てずにツェルヴォネコートと戦おうとしていた。……人間関係というのは複雑だ。本人たちから説明されても、当事者以外は正確に理解できないことなどザラにある。
「ただ、腐れ縁ながら一応パーティーを組んでいる手前、身内の恥を謝罪しておきます」
「いえいえ。何ということはありません」
セルツァは食卓から完全に手を下ろし、背もたれに深く寄りかかる。
フォニアの方も少し前から手が止まっている。二人とも腹は十分に満たされたようだ。
「クリフォード君が眠ってくれましたし、お二人も食事は完了したご様子。では、腹ごなしに少しお話ししましょうか」
ルカが話を切り出すと、セルツァは深くもたれたままで鋭い視線をこちらに向けた。
「名前がないと呼びづらいので聞いておきます。三人のパーティーには名前がありますか?」
フォニアは沈黙を貫き、セルツァが回答する。
「グレイブレイダー」
墓荒らしとは、何とも婉曲の心を持たない直なパーティー名である。思えばアリステル班もそうだった。優秀な人間は過剰に凝った名前を好まないものなのかもしれない。
「お仕事のメインはトレジャーハントというところですか」
「欲しい物は何であろうとハントする。場所が墓であれば主は死んでいることになるけれど、主が生きていようが死んでいようが私たちには関係ない」
欲しい物次第で、大昔の墓所だろうが、生きた人間の住む邸宅だろうが押し入って盗む。それがグレイブレイダーの活動方針なのだろう。見た感じ、クリフォードが高い隠密能力を持っているようには見えない。盗賊の技能を有しているのはクリフォードではなくセルツァとフォニアだ。
クリフォードが王都で衛兵の手から逃げ切っていたのは、この二人のはたらきとみてまず間違いない。表の世界で最優秀級の情報網を持つテベスですら存在を知らない協力者、セルツァとフォニアがいたからこそ、クリフォードは王都で好き放題できたのだ。
「それより、あなたたちはどうなの?」
セルツァは体調不良を一切感じさせない厳しい顔つきでルカに質問する。
「もしかすると勘違いしているかもしれませんので、一応言っておきましょう。“リリーバー”という名前は、この場で付けたものではなく、マディオフに来て以来、一貫して用いているものです」
二人は相槌を打つこともなく黙ってルカの話を聞いている。
「マディオフに来たのは比較的最近ですが、決して初めてではありません。前にこの国で過ごしていた際に、我々に敵対したものがいる。我々の背中にある日突然刃物を突き立てた顔も名前も分からぬ危険人物を探すために、この国を訪れた。それが、現在我々がマディオフにいる最大にして究極の目的です。危険人物という言い回しをしましたが、ひとりの人間を指しているわけではありません。おそらくこれは不特定多数の集団。謎の集団の正体を突き止めて借りを返す。そのためには色々とやらなければならないことがある。あなたたちには全然無関係のように思えるかもしれませんが、ツェルヴォネコートを討伐しようとしたのも実はその一環です」
「復讐か。その犯人集団の根城はアーチボルクなの?」
「アーチボルクにも片割れはいるんじゃないですか? しかし、あくまで根のひとつに過ぎません。その集団はおそらくマディオフ全国に根を張っている」
セルツァとフォニアは眉を顰めて顔を見合わせる。
「もしかして、それって矮石化蛇のことを言っている?」
私が語る異端者の正体を、フォニアはマディオフ最大最古の犯罪集団と推測する。
「我々は国ぐるみで大掛かりな暴行を加えられました。その暴行に矮石化蛇が関わっているかどうか、まだ調べはついていません。おそらく多少は関わっているのでしょうが、主犯ではなく実行犯の一部というところだと思います。我々は覚えている限りにおいて、矮石化蛇から恨みを買うような行動を取っていない」
犯罪者集団というのはある意味で現実的な人間の集まりである。大局的見地からすれば非合理でしかない行動を取ることもしばしばながら、基本的には合理的に、実利を求めて動くものだ。
私はアルバート時代、矮石化蛇とは接点を持たないように心掛けて動いていた。矮石化蛇がどれだけ厄介な集団か、私は重々承知している。なにせ、私が融合したスナッチは、そちら側に属していた人間なのだ。外側から客観的に観測できる危険度と、中にいる人間だからこそ分かる執念深さや陰湿さ。内と外から見たうえで、関わってはならない集団と確信している。
ワーカー、取り分け便利屋として街の雑多な案件を手掛けていると、誰しも遠からず矮石化蛇絡みの案件にぶつかる。国を挙げても掃討できない一大犯罪組織に、たかがワーカーがひとりで立ち向かってどうなる。矮石化蛇と揉めてから手を引くのではなく、ぶつかる前、目をつけられる前に矮石化蛇の巣食う場所を自分から避けてきた。手配師から仕事を受注した後に、問題の背後に矮石化蛇がいる、と判明したときは、違約金を払って契約を解除したほどだ。矮石化蛇の味方も敵もしない。この原則は厳格に守り抜いた。
矮石化蛇の恨みは買っていない。私はそう考えている。
「矮石化蛇は巨大組織だから、どんな些細なことが彼らのしのぎを邪魔してしまうか、ときに予測がつかない。気付かぬところで恨みを買っていた可能性は否定できない」
セルツァは空を睨み、難しい顔で矮石化蛇の厄介さを語る。
我々が矮石化蛇に恨まれていた場合、与えられる罰は「死」であり、「両腕切断」ではないだろう。
「セルツァさんの仰ることは正に然りではありますが、それでも我々は矮石化蛇が犯人ではないと考えています」
「詳細を語られずして、私たちが犯人を特定することは不可能。まあ、いい。今はリリーバーを襲った犯人を特定するのが目的じゃないんだし、それについてこれ以上は聞かない。それにしても、マディオフではやっぱりリリーバーみたいな集団が日の当たる場所を闊歩しているんだ」
セルツァは含みをもたせた言い方をする。
「それはどういう意味なのでしょうか?」
「だってそうでしょ。マディオフの王族は怪しすぎる。自分が率いる軍隊全てに呪いをかけて戦わせることもそうだし、吸血種とアンデッド排斥もそう。吸血種の中でも危険度の高いペネクルフやヴィポースト、それにアンデッドを排除するのは分かる。でも、温厚なドレーナまで排除するのはやり過ぎ。どう考えても異常」
セルツァはロイヤルカースの存在を断言する。しかも、アンデッドと吸血種排斥が異端思想であることをセルツァはさも常識のように語っている。こういう風に言えるのは、セルツァがマディオフ人ではないからだ。幼少期からこの二者を排斥する文化に浸り続けたマディオフ人の大半は、排斥思想に疑問すら感じていない。
「そういう異常な行動の裏には、大抵何らかの納得できる理由があるもの。吸血種やアンデッドが国内にいると、国民にとって拙いのではなく、王族にとって拙い。例えば、その二者が持つ何らかの能力とか、行動習慣とか、そういうのが王族の根底を覆しかねないほどに都合が悪い。だからこの二者を国から排除した。そう考えるのが自然だと思う」
「都合が悪い何か、というのは、守りたい技術や知識なのかもしれない。これらは独占によって価値が跳ね上がる。吸血種やアンデッドの持つ能力を王族だけが利用する。そうすれば国内では誰も王族に対抗できなくなる」
セルツァの説明にフォニアが補足する。グレイブレイダーはただ好き勝手に盗んで殺して犯して回っているだけではなく、意外と国という大きなものにも目を向けている。
グレイブレイダーの話を聞き、私はひとつ新しい仮説を思いつく。
吸血種の恐るべき能力に“眷属作成”がある。詳しくは知らないし、オドイストスも『ドレーナには伝わっていない』と言っていた。マディオフの王族はもしかすると、吸血種そのものなのかもしれない。王族の呪いの正体が“眷属作成”だとすれば、吸血種を国内から排除した納得すべき理由になる。アンデッドを排除する理由には足りないが、そちらはそちらで全く別の理由があるのかもしれない。
では、王族が異端者なのか、というと、これは違うように思う。王族そのものが吸血種、ないし、吸血種の力を独占しているとして、その王族がゼトラケインからオドイストスを呼び寄せてアルバートの下に送り込み、外患援助の容疑をかけて処刑するなど、実に考えにくい。そんなのはむしろ、自ら墓穴を掘るようなものだ。王族と吸血種の繋がりが国民に露見する切っ掛けになりかねない。
「クリフォード君だけじゃなくて、フォニアさんとセルツァさんもゼトラケインから来た方なんですよね?」
「ゼトラケインだったりロレアルだったりマディオフ占領区だったり、名称は色々だけど、とにかくあっちのほうから最近マディオフに来た、というのは間違ってない」
「三人はパーティーを組んで長いのですか?」
「私はクリフがパーティーメンバーだとは認めていない」
セルツァはクリフォードに仲間意識を抱いていない、と強調する。
セルツァは、我々に、ではなく、自分の心に対して嘘をついている。パーティーメンバーと認めていない相手を命懸けで救おうとしたり、愛称呼びしたりするものか。
「セルツァってば……。私とセルツァは小さい頃から一緒だった。クリフが加わったのは数年前だから、比較的最近と言ってもいい。擦った揉んだあったから、いつから正式にパーティーを組んだ、という日付はないんだけど、とにかく数年のこと」
セルツァとフォニアの間に昔を懐かしむような寂しがるような郷愁の雰囲気が漂う。
「そういうリリーバーは結成から何十年経っている? 吸血種あり、アンデッドあり、ホークあり、ウォーウルフあり、とバラエティに富んでいる。結成数年にはとても見えない」
グレイブレイダーはルカがドレーナだと思いこんでいる。ルカはただの人間だ。そういえばゴルティアのレヴィが率いる遊撃小隊もルカのことを『吸血種』と言っていた。ジバクマ憲兵団の大将、ジェフにドレーナのスキルの一端を披露して以降、国外でも勝手に騙されている奴を見かける。
「ところが、原型ができてから丸三年と経っていませんね」
「三年? 怪しいなあ。暴行を受けたのがルカさんには見えないけれど、ルカさんとアンデッドたちはどういう繋がりなんだか……」
こういった情報交換では、自分が尋ねた分だけ相手にも同程度の質問をされるものである。グレイブレイダーの人間関係に深く言及されるのを避けてか、セルツァは敢えて詳細を尋ねようとしない。
「ホークは調教じゃなくてドミネートですよね?」
「『テイマーの喜ぶ商品がある』という発言と矛盾してますよ、その質問」
聞いてほしくないところを尋ねるフォニアに意趣返しのつもりで返答する。痛い部分をチクリと突いたつもりなのに、フォニアは動揺を全く表に出さない。見事なポーカーフェイスだ。ラムサスは是非とも参考にすべきである。
「やっぱりドミネート。変装魔法を使っているのはルカ?」
「そんなのを知ってどうするのです。能力をひけらかすつもりはありません。どうぞご自由に解釈してください。さて、自己紹介はこれくらいにして、本題に入りましょう。あまり賑やかにしていると寝た子を起こしてしまいます」
「それがいい」
「クリフが起きると、話がややこしくなるだけだからね」
クリフォードが挟まってくると話が進まないことを二人とも理解している。これほど面倒な人間をパーティーに組み込むとは、恋愛感情とは処理に困るものだ。恋心というのは一旦火が点いてしまうと、理性だけではどうにもならない。かくいう私も、アルバート時代だけでも何度となく手を焼いたからよく分かる。
グレイブレイダーの恋愛問題には口を挟まず、私は本題である素材の配分について話し始める。
「我々が欲しいのは精石と毛皮。残りの牙や爪、内臓はリリーバーとグレイブレイダーの二者で等分する。これで如何です?」
セルツァが眉をいからせる。目つきの厳しさはハンター的なものから商人的なものに様変わりしている。
「随分と強欲な要求だって分かってる? あれは私たちの獲物だった」
「その獲物とやらに狩られそうになっていましたよね。“治療費”は前もって言ったとおりとして、それとは別に“救出料”を考慮してもらわなくては」
「最後に止めを刺したのはリリーバーでも、体力を削ったのはグレイブレイダー。割合を考えたら、リリーバーが二割、グレイブレイダーが八割というところが妥当だと思う」
「少し前提を確認しましょう。我々はグレイブレイダーの削り作業前、全快時のツェルヴォネコートを知っています。万全のツェルヴォネコートであっても問題なく狩れました」
ルカの言葉に小妖精が反応する。ルカが言ったのは、前半が事実で後半はやや嘘である。グレイブレイダーが嘘を見破る魔道具やスキルを持っていないか分からないため、赤嘘とまではいかない嘘を混ぜ込んで交渉に望む。
「そうでなくとも我々はグレイブレイダーが全滅してから悠々とツェルヴォネコートを狩ることができました。あなた方は実力以上の魔物を相手取ったがために討伐に手間取っていただけ。それを、まるで我々と協力して討伐したかのように手柄を主張する真似は謹んでもらいたいものです。グレイブレイダーにも取り分を認めるのは、同じハンターとして敬意を払えばこそ。そこに善意や慈悲の類はあっても、決して卑屈に低い立場から分け前をねだっているのではありません。そこを勘違いしないようにお願いします」
「……三対七」
セルツァは僅かに譲歩の姿勢を見せるが、あくまでグレイブレイダー優位の分配姿勢を崩そうとしない。
会話が自己紹介から商談に移行し、フォニアは何も喋らなくなった。グレイブレイダーの立場を理解し諦めている、というよりも、普段から商談を担当していないのだろう。向き不向きのはっきり分かれるのが商談だ。私もこういう値段交渉や分配交渉が好きでも得意でもない。
パーティーを背負って商談役を買って出ている以上、セルツァは商談に必要な話術を身に着けているはず。私が商談に熱を上げた日には、セルツァにいいように毟り取られるに相違ない。私がすべきことは、セルツァの術中に嵌らないようにしながら、セルツァの交渉欲を満たすこと。こうすれば、後の売却時に穏便に力を借りられる。
私が欲しているのは精石と毛皮だけ。実際に使うからだ。換金用途にしかならない他の素材にはそこまで執着が無い。
「ダメです。精石と毛皮以外の残り部分を等分です。少し先の話をすると、我々は等分して得た素材を売却しようと考えています。その際、グレイブレイダーの力を借りたい。経費を差し引いて売却益の二割を売却手数料としてグレイブレイダーにお支払いします。こうすれば実質グレイブレイダーの取り分は六、我々が四、ということになります。手配師の口利き料だって一割程度なんですから、二割の手数料は破格だと思いますよ」
素材の中で最も高額なのが精石ということを考えれば、全体的には六対四どころか、八対二の配分だ。ただ、フォニアの達人技で処理された内臓は想定を遥かに上回る高い金に化けそうだ。場合によっては七対三とか、ともすれば六対四くらいにはなるかもしれない。
「セルツァ、内臓処理はいつも以上にできている。リリーバーの力もあって、それこそ完璧と言っていいくらいに。素材は全部持って帰れる」
解体模様を見ていないセルツァにフォニアが助け舟を出す。商談役のセルツァがどれだけ素晴らしく解体処理できたか把握していないことを失念していた。それが分かっていないと確かに我々の要求は受け容れがたい。
「今だけでなく、これから先も私たちの客になるかもしれない……か。分かった。今回は勉強させてもらう。それでいい」
セルツァは、グレイブレイダーが特別に譲歩した、という体を崩すことなく分配割合を了承した。
「では、ひとつ話がまとまったところで次の相談です。荷出しの計画を立てないといけません」
「リリーバーの中にはポーターはいる?」
「いいえ、いません」
「じゃあ闇ポタを雇おう」
「闇ポタ? 密輸者のことですか」
「スマグラ……古めかしい言い回しというか死語というか。まあ、そうなんだけど」
私の言葉遣いを鼻で笑う二人の様子を見て、若者との年代差というものをヒシヒシと感じる。
「スマグラという言葉は一般人でも結構知っている。ここ数年は闇ポタという名前を専ら使う」
一般人がスマグラの意味を知っているにせよ、闇ポタという単語はより不適切。何も知らない人間にも分かられてしまいそうに思うが……
「覚えておきます。それで、どうやってその闇ポタを呼ぶんです?」
「どうもこうもない。街に行くだけなら一っ飛び」
怪我人のセルツァは自ら集荷依頼に行こうとしている。街まで走っていくのは論外だが、風魔法で行くならアリなのか……。治療に携わった身としてはしばらく安静にしてもらいたいのだが、魔法による移動が身体にどれだけ負担になるのかよく分からない。
「アーチボルクには都市規模に準じた矮石化蛇の大きめの拠点がある。闇ポタは何人もいるから、契約して出荷先を指定すれば王都まで運んでくれる」
「私としてはセルツァさんにはしばらく安静にしていてもらいたいのですが、無理強いはできません。その案でいくとして、我々は王都に行かないといけないんですね」
「それは当たり前。アーチボルクで売却しようとしても、ツェルヴォネコートの素材に妥当な金額を出せる金満が集まらない」
ゼトラケイン人にマディオフの商い事情を諭される。アーチボルク出身の私が、流れ者のエヴァにアーチボルクのハンター界隈事情を説明された日のことをつい思い出してしまう。




