第二八話 最後の旧四柱 六 腑分け
雪が舞い風の吹き荒ぶフィールドの中では治療が捗らない。治療環境を整えるため、フィールドに土魔法でひとつの小屋を作り出す。火魔法で中の空気を暖めつつ、柔らかな寝台の上にセルツァという名の女を寝かせる。
セルツァは寝台に身体を預けた途端に怪訝な顔をする。どうやら寝台の軟らかさに驚きを感じているようだ。
土魔法で作り出した物は基本的に固い。弾力や柔軟性など持ち合わせていない。しかし、私の作る道具は必ずしもその原則に当てはまらない。変性魔法を組み合わせることにより、適度な軟らかさを持っている。
この寝台は、一度体重をかければ重さに応じた“沈み”を作って身体を受け止め、快適な寝心地を提供する。数え切れないほどの 変更 を繰り返して作り上げた自信作だ。人の好みによって硬めに作ることも軟らかめに作ることも自在である。この技術を背負子に応用することで、情報魔法使いだろうが軍医だろうが班長だろうが、たちどころに眠りに就かせることができる。
私の寝台がそんじょそこらの土魔法使いが作る遊びの家具とは違う、本気も本気の特別品であることを即座に見抜いたセルツァはまずまずの眼力だ。魔法を識る者ならでは、と言えよう。魔法の識者との語らいは概して意義深く楽しいもの。治療が終わったら是非色々と話してみたい。
クリフォード・グワートの有害性を考慮すると、この三人は皆殺しにしておくべきなのかもしれない。だが、殺してしまうと対話できない。対話不可になってしまうのはドミネートでも同じことだ。
実際に会ってみて、クリフォードたちに対する私の考えは少し変わった。今、私はこの者たちに興味を持っている。殺すために特徴を覚えたいのではなく、純粋な好奇心。この人間たちのことをもっとよく知りたい。
このパーティーの要となっているのは風を操るセルツァだ。そのセルツァが重傷を負っている以上、クリフォードとフォニアの二人がどれだけ高い能力を持っていようと、我々が負けることはない。ツェルヴォネコートとの戦いぶりを見た限り、彼らはとても仲間想いだ。仲間の命を犠牲にして我々に敵対行動を取るとは考えにくい。
セルツァの呼吸は荒く、検脈してみると相当な頻脈だ。顔面が蒼白なのは、寒さではなく失血に起因しているに違いない。相当量の血液を失っている。
ルカを操作し、セルツァの左脚に巻かれた布を慎重に外していく。血流を遮断するために大腿にキツく巻かれた布に代わって巾広包帯を巻きなおし、それから下腿の創面を完全に露出させる。
剣の達人によって切断されたような綺麗な金創であれば治療はとても楽である。しかし、これはツェルヴォネコートの牙によって作られた傷。傷口はかなり粗い。固まりかけて若干の黒みを帯び始めた血液がこびりついているせいもあり、どれが筋肉でどれが血管なのか、さらには骨がどこにあるのか全く見分けがつかない。
難易度の高い傷を前にして、治癒師としての挑戦意欲が芽生える。私が“融合”した人間の中に本職の治癒師はいないが、それらしい勉学と経験は積んでいる。ダグラスの生物知識、モニカの薬学、アリステルの医学、レンベルク砦での治療経験、樹下洞での治療経験、そしてニニッサがバーナードやウリトラスに施した治療の観察。治癒師を名乗るには踏んだ場数がやや少ないものの、セルツァの治療には差し障りない。戦争で手足を失った者の処置は、レンベルク砦においてアリステルやイジーと数回経験済みだ。あれをこの場で再現するだけでいい。
苦しみに悶えるセルツァの身体に鎮痛魔法を手早く施す。魔法が作用しても脈の早さは変わらない。歪んだ表情もそのままだ。セルツァが感じているのは、疼痛とはまた異なる苦しさのようだ。絶対的な血液不足による、脱水時に似た身の置きどころのなさに苦悶している。これは可及的速やかに処置を行わねばなるまい。
傷口に魔法のぬるま湯をかけながら軽くこすって汚れを落とし、綺麗になった箇所に止血魔法をかけて小さな出血を止めていく。傷口は粗いには粗いが、泥や木片などの異物がほとんど混じっていないのは幸いだ。精々、服と防具の切れ端が少量付着している程度である。木片のような植物の切れ端が肉に刺さり奥に入り込んでしまっていると、除去にとても苦労させられる。
見た目を綺麗にしたら傷を侵さない消毒剤の塗布だ。傷口に付着した生物の唾液は万病の原因になる。消毒剤を入念に塗布して傷口の清浄化を図る。
医学が未発達な場所では、傷口の消毒に酒精や別の傷病者の傷口から持ってきた膿、ひどい場合には糞を用いる。これらは、いずれも回復を早めるどころか真逆の影響、害悪しか及ぼさない。下手をすると、小さな傷口が膿みに膿んで死に至る。中途半端な知識は破滅を導く、という言葉を体現するのが医学である。
「何か私にもできることはありませんか?」
セルツァの頭側に立って手を握りしめるフォニアが真剣な面持ちでルカに尋ねる。
「あなたはどんな技能がありますか?」
こちらには自由に動く人間の手がルカの両手二本しかない。ラムサスは応急処置ぐらいしかできないうえ、医学知識に欠けていて急ぐ処置には役立てにくい。フォニアが治癒師か薬師の能力を持っているなら治療に加わらせてもいいだろう。
「毒と薬の知識があります」
純粋な薬師ではなく、ハンターないし暗殺者的な毒と薬の扱いに長けているようだ。毒は今、必要としていない。セルツァの治療に必須な薬は我々の携行品の中にもあるから別途薬を作らせる必要はない。傷の処置に実際に手を出してもらおうか。……ああ、待てよ。いいことを思いついた。
「それでは秋の実りの残り。雪の下に隠れている山の果実類を探してきてもらえますでしょうか? 食べるわけではないので腐っていても構いませんが、できれば腐る前に干からびるか、雪の中で冷蔵、冷凍脱水されているものが望ましいです。特に野生のヤブコがいい」
「なるほど。分かりました」
小屋から出ていこうとするフォニアの背中に補足する。
「もし見つかれば、ベタブルガリスの類もお願いします」
フォニアはこちらを振り向かずに頷くと、風の吹き荒れるフィールドへ飛び出していった。
「ちょっと……」
ラムサスが非難の目でルカを見る。どうやら私がフォニアに依頼したことの趣旨を理解したようだ。
フォニアがいなくなったことにより、我々が警戒しなければいけないのはクリフォードだけになった。つまり、我々は今まで以上にセルツァの治療に集中できる。これは彼らにとっても望ましい展開だろう。
私はフォニアに何ら間違ったことを要求していない。フォニアがこれから集めてくる乾燥果実と根菜類は、今使用するのではなく、後々になってから薬剤補充に用いる。フォニアには、今から使う予定の薬を未然に補充させているようなものだ。これは至って正当な要求である。
入念に消毒を施しながら、ズタズタに断たれた傷を整えていく。ルカだけでは手が足りないため、傀儡の中ではルカに次いで手先の器用なクルーヴァを治療に参加させる。
千切れて切れ端だけがプラプラと残った腱などは、そのままくっつけておいても役に立たない。異物ではないが必要でもない、そういう不要な残留物をひとつずつナイフで取り外し、歪かつ細かく折れた脛骨と腓骨を改めて綺麗に切り落とすため、肉を骨から剥がしていく。
土魔法は様々な小道具を簡単に作れる、とても便利な属性だ。アールの肉体が土に高い適性を持っていてよかった。土魔法なしの生活など、もはや考えられない。医療道具だけではなく、生活に必要な様々な道具を簡単に作れる。 瘴気 を消毒に用いることで、清潔な医療器具を簡単に作り出せる。治癒師や薬師と違って大掛かりな道具を持ち運ぶことなくどこでも診察と治療ができる。
治癒師は余裕があれば土魔法も習得しておいたほうがいいのではないだろうか? ううむ、それは難しいか。治癒師はただでさえ必要とされる魔法の種類が多い。回復魔法、解毒魔法、解呪魔法、薬の合成魔法、場合によってはアンチアンデッド化処理のための聖魔法。治癒師は多岐にわたる魔法の才能を必要とする面倒な職業だ。
皮膚を反転し、筋肉を反転し、下腿の骨二本を骨ノコでゴリゴリと切断する。敵を殺すために闘衣と闘衣対応装備を操って骨を断つのは簡単でも、ルカの細腕と切れ味の悪い骨ノコで若い人間の骨を丁寧に断ち切るのは一苦労だ。
骨の折れる骨切り作業が終わったら骨の端を骨ヤスリで削って丸みをもたせる。肉に埋まった神経と血管を優しく掘っては、少し肉の深い部分で結んで切る。
傷をすぐにでも塞げる状態になったら、止血のために大腿に巻いていた巾広包帯を少しずつ緩める。圧迫解除とともに血液が染み出す部分にひとつずつ止血を行い、血流を再開させてもダラダラと血が流れないことを確認したうえで傷を半閉鎖する。長く残しておいた下腿後方、ふくらはぎ側の筋肉と皮膚で傷口をくるりと包み込めば、丸みを帯びた“断端”の出来上がりだ。あとはスネ側の組織と糸で結び止めて完了である。
多数の傷病兵を診るために大急ぎで処置したレンベルク砦のときとは異なり、ここでの患者はセルツァひとり。手早く、しかし、丁寧に処置することができた。腫れがひけたら、傷口はとても綺麗なものになるだろう。
「セルツァさん、よく頑張りました。傷口の処置は完了しましたよ。では、このお薬を飲んでください」
青い顔で治療完了を待っていたセルツァに湯と携行品の中から引っ張り出した薬を与える。
「これは……何でしょう?」
セルツァは渡された液体と錠剤を不信の目で見ている。
「この粒は飲む消毒薬。傷口が膿まないようにするためのものです。これは吐き気止め、こっちは造血薬です。お湯のほうは、血液代わりにするために塩を多めに溶かした鹹水みたいなものです。そのままだとかなり塩辛くて飲みにくいですから、何か香り付けをしましょう。柑橘はお好きです?」
「ええ、好きです」
セルツァに持たせた湯呑の上に乾燥リモンカ皮の粉末を少量まぶし、ついでにサックルム糖蜜を数滴垂らす。
「一気に飲むと気分が悪くなるかもしれません。キツいアルコールみたいにチビチビと飲んでください」
セルツァは悲壮感に溢れた覚悟の表情で全ての薬を飲み下すと、言いつけられたとおり血液代用剤に少しずつ口をつけながらウトウトとし始めた。
そこへ、小屋の扉が静かに開く。フォニアが戻ってきたのだ。
「持ってきました。ブルガリスは少ししか見つかりませんでしたが、果実はそれなりに確保できました」
フォニアが突き出した袋の中を覗くと、レッドビートと果実が所狭しと並んでいる。絶対的な量こそ多くないものの、冬のフィールドの雪中から短時間で掘り出してきたことを考えると驚異的である。
「はい。ありがとうございます」
果実の入った袋を卓の上に置く。
「治療はもう一段落したので、フォニアさんも休んではいかがですか? 寒い中、さぞ疲れたでしょう」
「いえ、大したことはありません。まだいくらでも活動できます」
穏やかな顔で微睡むセルツァの様子を見たフォニアは、少しだけ表情を和らげる。
「そうですか。では、ツェルヴォネコートの解体に取り掛かりましょう。あなたは解体が得意そうに見えます。我々はあまり解体が得意ではないので、共同で作業できるとありがたいです」
ルカは手先が器用なものの力が弱い。解体はそれなりに力の要る作業であり、器用かつ力強く動く手がないことには時間が掛かって仕方ない。解体のためだけに専業ポーターを雇いたくなるくらいだ。
フォニアは毒を使いこなすと言った。こういう奴は大抵、身体を解体す技術にも精通している。フォニアがいれば、ツェルヴォネコートの巨体を処理するのに掛かる時間を大幅に短縮できる。
フォニアは少しだけ目を下に泳がせた後、作業に同意した。
ツェルヴォネコートの死体の下に向かうため、小屋から出たところでクリフォードが目を覚ます。こいつは私が小屋を作り上げてセルツァの治療を開始した途端、『頼んだぞー』と言って床に突っ伏し眠りこけていた。そのまま解体作業完了まで黙って寝ていればいいものを。
クリフォードはむくりと起き上がると、小屋の外へ我々を追いかけてきた。
「待つのだ! 治療が終わったのなら、俺と先に話をしよう。君は、えーと……」
クリフォードは私と同じく人名の記憶を苦手としているらしく、治療前に伝えたルカという名前を思い出せずに言い淀む。
「あ、そうだ。ルカちゃんだったな。解体なんてこいつにやらせておけばいい。ルカちゃんは俺と話すのだ。二人っきりでな」
クリフォードはルカの手を握ろうとしてスッと手を伸ばす。
この男はあまり近寄らせないほうがいい。アンデッドたちに剣を抜かせ、切っ先をクリフォードに向ける。
剣を突きつけられたクリフォードは慌てて止まった。
「クリフォード君。分かっていますよ。君がしたいのは“交渉”ではなく“性交渉”ですね? 君とお話しするのは楽しそうですが、性欲処理の相手を担うつもりはありません。元気が有り余っているならば、うちの爺婆が剣で相手をして差し上げましょう」
「ハッ! 何が悲しくてこんなクソ爺どもに剣を披露せねばならんのだ! そんなものは要らん。俺が求めているのは君だけだ!」
複数の剣を向けられているというのにクリフォードは動じない。自分の鞘から剣を抜こうとすらせず、指先で眼前に突きつけられたフルルの剣をどける。
少し対話してからこいつらの扱いを決めようと思っていたが、応じるつもりがないのなら……
「待って!!」
クリフォードを叩き斬るために傀儡を操作しようとした瞬間、フォニアが割り入る。
「やめて、クリフ」
フォニアはクリフォードの腕に自分の腕を絡みつかせる。
「ルカさん、すみません。私は少しだけ向こうでクリフと話してくるので、先に解体を進めてもらっていていいですか? こちらが終わったら、私もすぐに伺います」
「何だ、フォニア。妬いているのか? 心配しなくても後で――」
「いいからクリフ、こっちに来て」
フォニアはクリフォードの言葉を無視する。重傷のセルツァを気遣ってか、フォニアは小屋の中に入らず、雪深いフィールドの奥へクリフォードをグイグイと引っ張っていく。
「ごゆっくりどうぞ」
クリフォードを連行するフォニアに手を振る。
「おい、フォニア。今、お前はお呼びじゃない。あっ、ルカちゃん、ルカちゃーん……」
クリフォードは未練がましくルカの名前を呼び、乾いたフィールドにクリフォードの声が木霊する。
「おお、気持ち悪……」
樹氷の陰にクリフォードとフォニアが隠れたところで、我慢していた感情を吐露する。
「ノエルがそう感じるなんて、すごく意外」
ツェルヴォネコート討伐後、ずっと沈黙を守っていたラムサスが口を開く。南の森の入口で会話した後から少し様子がおかしくなっていたものの、今のラムサスは普段の調子を取り戻したように見える。
「男同士で猥談に盛り上がるならまだしも、ああやって露骨に性の対象として見られて欲望を突きつけられるのは気色悪くて仕方ありません。考えたくもないことをつい考えてしまうものです」
何かの間違いでルカがクリフォードの手にかかった日には、私はドミネート越しにルカの感覚と感情を味わわされることになる。今の私はアールという男性が精神の骨格を形成しているのだ。男に犯されるなんぞ、金輪際御免である。
「クリフォードがフォニアで遊んでいる間に、我々は少しでも解体を進めておくことにしましょう。なんせツェルヴォネコートの素材です。丁寧に解体しなければ」
「はあ……」
ラムサスは盛大に溜め息を衝く。
「素材を分け合うって本気? クリフォードは倒す予定の人物。そうでなくとも凶悪な犯罪者なのに、それを助けたばかりか、どうしてこんな形で馴れ合おうとする?」
ラムサスは忌々しげに吐き捨てる。正義感溢れるラムサスらしい反応だ。ラムサスは強姦魔のクリフォードを嫌悪している。
「我々がクリフォードを倒そうと考えた理由は大きく二点。ひとつは、マディオフという国家を細々と生きながらえさせるうえで邪魔になるから。もうひとつは、異端者の可能性があるから。しかし、彼らは本気でツェルヴォネコートを倒そうとしていた。どうも国家転覆を目論んでいたわけではない」
ラムサスは眉間に皺を寄せてクリフォードたちが消えていった樹氷の陰を睨む。
「だろうね。パーティー全体としてはともかく、クリフォードは自分の欲望に従って動いている。国がどうなるか、とか、そういうことは考えていない」
「正直なところ、強姦関連は私にとってどうでもいいことです。もしも彼らが異端者の一員だというのであれば、予定どおり殲滅します。しかし、印象的には強姦を趣味とするだけの裏社会のハンターパーティーの模様。今後、話していく過程で異端者の疑いを深める新たな証拠が出てこない限り、罪を追及するつもりはありません。素材の分配と売却後、穏便に別れようと思います」
「信じられない……。ノエルはマディオフの女性が次々に犯されてもいいって言うの?」
私は強姦という行為や概念にあまり反発を覚えない。何しろ私が取り込んだ人間のスナッチは、誘拐を生業としていた。世の混乱に乗じて一時的な趣味として女を犯しているクリフォードと違い、私は仕事として人間を攫い、日常的に女を強姦してきたのだ。犯した数はおそらく私のほうが上だろう。
それに、私にとって大切な女性はエルザだけ。クリフォードが衛兵と軍人から逃げ回っている以上、エルザに被害が及ぶ可能性は低い。知命間近の母キーラが標的になることはないだろうし、他の誰が犯されようと知ったことではない。
[知命――ちめい。五〇歳の称]
「サナが自分の身を案ずる必要はありません。決してあなたに手出しはさせません」
ラムサスはそれを聞くと微妙な表情を浮かべる。自分の貞操が守れるならば別にいいか、とでも思っているのかもしれない。
「私はあの者たちに興味がある。単に情報を引き出すだけではなく、少し話してみたい。それに、彼らが持つ闇の人脈を少し利用したいと思っています。さっきも言ったとおり、こういうのは顔の利く人間に紹介してもらうのが一番です」
「そんなのノエルには必要ない。あんな連中の力を借りなくても、いくらだってやり様がある」
ラムサスは正義に心を縛られた人間ではあるが、こと打倒クリフォードに関しては義憤の精神ではなく嫌悪感が強くはたらいているように見える。戦闘前の一件が尾を引いているのかもしれない。
「ノエルがクリフォードを倒したがらない理由。それは、あの三人の中に気になる人間がいるからなんじゃないの?」
……三人ともそこそこ気にはなる。クリフォードがルカに向ける性的な視線には気色悪さしか感じないが、ああいう欲望に忠実な馬鹿が嫌いではない。ネームドモンスターの前に立てるほど、強い冒険心と確固たる実力を持った前衛だ。彼らと行動を共にしたときのことを、ふと夢想してしまう。
日によってダンジョンに潜り、気分によってはネームドモンスターと戦い、いい女がいたら攫って輪姦して、それに飽きたら四人でカードをやって、アルコールでも飲んで、バカ話に興じ……。きっとそれなりに楽しめる。
私の苦手な風魔法の達人であるセルツァも興味深い。あの人間と一緒に魔法を攻究するのは間違いなく有意義だ。私だけでは何年かかっても解決できない問題を、きっとセルツァは一日とかからずに解決してみせることだろう。
フォニアの持つ毒と薬の知識だって魅力的だ。出身がおそらくゼトラケインで、しかも裏社会の住人ときた。私の知らない数多くの知識を持っているに決まっている。
だが、良い面ばかりではない。あの男はどれだけ手綱を引っ張ろうと無際限に問題を起こす。あまりにも自分の欲望に忠実すぎる。これではアッシュに振り回されていたイオスと変わらない。むしろ、アッシュよりも悪いかもしれない。アッシュはあれで頭が切れた。イオスに頼っていたから無茶をしがちだっただけで、救いがたい馬鹿ではない。それがクリフォードときたらどうだ。あいつは私の作った土の小屋の中でいびきをかいて眠り込んでいた。我々に殺されるとは、からきし考えていない。しかも目が覚めた途端に欲情を始める。こんな奴のお守りをさせられた日には胃がいくつあっても足りない。全て穴が開いてしまう。
これで私がやるべきことのない身であれば、クリフォードが起こす問題にも少しくらいは付き合えたかもしれないが、生憎とそうはいかない。我々には重要な目標がある。クリフォードたちが見返りを求めずに我々の目標に手を貸すことは決してないだろう。それどころか、我々の目標の妨げとなり、さらに金や時間、所持品など、様々なものを掠め取ろうとしたとしても、何ら不思議はない。普通の人間であっても真の仲間にはなりえないというのに、こんな日陰者たちを信用するなど、あってはならないことだ。考えるべきは、上手く利用することの一点に尽きる。
「三人とも、それなりに気になる人物です。それぞれ、見るべきところ、学ぶべきところがある。そう思っています。それに、さっき私は『気色悪い』と言いましたが、『嫌い』とは思っていません。会ったばかりではありますが、クリフォードという人間が結構好きです。強く、自由に行きたい所へ赴き、好きに狩り、自分の目標を叶えていく。人間のあるべき姿のひとつのように思います」
「クリフォードは犯罪者なんだよ。それを好きって……」
「違法行為に手を染めない、という理由だけで、一般人が彼よりも上等な人間だとは、私は思わない。彼より下等な一般人は数え切れないほど居る。自らは何も生み出せない、何もできない。それなのに常時他者に文句を言い、権利を主張するばかりの人間がどれほど多いことか。そんな下等な一般人より、手を動かして力で欲しいものを掴み取ろうとするクリフォードのほうが余程好感を持てます」
「なんて危険な思想」
クリフォードは確かにときとして社会に害を成す存在だ。しかし、それは我々も同じこと。焦点を強姦に絞ると、クリフォードは犯罪者に他ならない。しかし、この犯罪は国という巨大社会を丸ごと大混乱に陥れるほどのものではない。ゴルティアの陰謀に便乗したから混乱に拍車が掛かっただけである。
クリフォードが成すのは害悪だけではない。クリフォードはツェルヴォネコートを討伐しようとしていた。我々の出現に焦り、窮地に追い込まれていたようだが、おそらく我々がこの地を訪れなければ、彼らは独力で討伐を成し遂げていた。南の森に巣食う大森林最強のネームドモンスターを討伐することは人間社会に利する行為に他ならない。これはツェルヴォネコート一柱に限らない。ヒトの社会は、恐ろしい魔物を討伐できる強いハンターを求めている。マディオフの国土面積を考えると、ミスリルクラスのハンターパーティーがバンガン・ベイガーの所属するアバンテひとつでは到底足りない。ミスリルクラスのハンターでなければ倒せない魔物はいくらだっているのだ。クリフォードを排除することは、五風十雨を否定するようなものである。
「あなたはクリフォードがマディオフに害しか及ぼさないと思っているのですか?」
ラムサスはひとつ歯噛みする。クリフォードのパーティーがマディオフにもたらす恩恵を分かっているのだ。
「そうは思っていない。でも、利よりも害のほうが大きい。ノエルはきっと後悔することになる」
「守りたい、とまでは思っていません。彼らが我々に牙を剥くようなことがあれば、躊躇なく死出の旅に案内します。ただ、少なくともセルツァとフォニアは戦いを避けようとしているようですし、クリフォードも下半身に操られているだけで、我々と対立しようとは考えていないはずです」
「さっきフォニアが執り成していなければ戦いになっていた」
「実際、執り成してくれたのだから、いいではありませんか」
ラムサスは重ねて反論しようとするものの、樹氷の陰でクリフォードとフォニアが奏でるリズミカルな音を耳にした途端、気まずそうに俯いてしまった。
「フッ、フフフ、あははは。クリフォードは本当に底なしの馬鹿だな」
野外に嗜癖を見出す人種がいることは知っているが、ここまで向かない環境で行為に及ぶ人間に心当たりはない。魔物であっても、これほど凍てつく寒さの中で始めることはない。ツェルヴォネコートの影響で周囲に魔物の気配が無いとはいえ、フィールドで始めることではない。
「睡眠時と同様、今の二人は隙だらけのはずです。攻撃するなら今、と主張しないのですか?」
地面と睨めっこするラムサスの頭に冗談を投げ掛ける。ラムサスは黙ったまま返事をしない。本当に免疫の無い奴だ。この方面では執拗にからかわないようにしよう。
「さあ、彼らがいかに楽しんでいようとも、我々が無為に時間を過ごしていい理由にはなりません。他に意見が無いのなら、チャキチャキ解体に取り掛かりましょう」
我々が歩きだしてもラムサスは動かない。
「あの音をそんなにじっくりと聞いていたいのですか?」
「ち、違うっ!」
ラムサスは勢いよく顔を上げ、両手を握りしめて反論する。肌の色が濃くてよく分からないが、これでも赤面しているのかもしれない。
論理的に説得しようとしても効果が薄かったのに対し、この方面の話題が絡んだ途端に話は終わった。少し昔のことを思い出す。エヴァを論理で説き伏せられなかった私は、感情に訴えかけることで彼女の妥協を引き出した。現実的な手段としてやむを得なかったとはいえ、意見が割れた場合、私は感情論に走って女の意見を無理矢理変えようとするきらいがある。
些末なことを考えながら、零下の気温の中、まだ死後硬直の不完全なツェルヴォネコートの解体を開始する。
◇◇
全身解体に先駆けて精石を回収し終えたところでフォニアが戻ってくる。疲労を感じさせずにキビキビと解体を進めるフォニアを見て思う。
自分で抱いた直後の女にはあまり魅力を感じないが、他人に抱かれた後の上気した女というのは独特の誘引力がある。ルカの目で見ることすらやや危うい。私まで無意味な欲求に振り回されることになる。
ルカの視線をフォニアから外し、性的渇望とは無縁のアンデッドの目を通してフォニアの作業ひとつひとつを凝視する。毒使いを名乗っているのは伊達ではない。私の知らない薬剤を次々に使って内臓を的確に処理していく。ポーターがいても持ち帰りを諦めそうな臓器にいたるまで、「使い途がある」と言って処理していく。フォニアはツェルヴォネコートを全身余すところなく素材として活かそうとしている。
これは凄い。
フォニアの解体処理能力の高さを理解した私は、作業の中心を自分からフォニアに移すことに決める。
「フォニアさん。臓器をそれぞれ個別の容器に保存していきませんか? もし適した容器がなければ我々が作成します」
フォニアは作業の手を止めることなく首だけを動かして私の意見に同意する。
「土を焼き固めた甕を基本容器として作り、腐食性の高い保存液にも対応できるように茶青色の遮光ガラス瓶もいくつか作ろうと思います。ガラス瓶はいくつ必要です?」
「肝臓とか腎臓とか固いのは土の容れ物でいい。脳、肺腑、膵臓とかはガラス瓶があるとありがたい」
フォニアは軍医や薬師が用いる解剖用語ではなく、骨肉店の人間が用いる食材や素材としての用語で臓器を指し示す。
「脾臓はどうします?」
「チレは固いほう」
「分かりました。一時的に土魔法の容器に入れていきましょう。実物の容器が完成したら土魔法の容器ごと収納し、魔法が解けた後に置換作業を行い無気密閉します。どうぞそのおつもりで」
「いいね」
フォニアは作業の手を止めてルカを一瞥する。
「それなら全部完璧に持って帰れる」
フォニアはニヤリと笑うと、すぐに手を動かし始めた。
フォニアの作業速度はプロのポーターと比べても遜色ない。私も本気で取り組まないと、フォニアの能力を腐らせることになってしまう。この三人の将来的な取り扱いといった雑事に思考を割くのは一時的に止め、解体処理に集中することにした。




