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第二五話 最後の旧四柱 三

 冬の山間部の天候は刻一刻と変化する。空気が澄んでいる日に天気の良さが重なると視程は驚くほど長くなり、夏の森以上に遠くまで見通すことができるものである。だが、その日は空から降る雪こそないものの、冬を更に深めようとばかりに風が強く吹き、地面に積もった雪の表層が空中に舞い上がっては白く光り輝いて寒威に抗い生きるものの視界を妨げていた。


 そんな雪の遮蔽を物ともせずに一つの白い人影が進んでいく。装いこそ確かに白い。しかし、その動きはとても早く、そして静かで、何より気配に乏しく、その本性が影に潜むものであることを表していた。


(かなり離されてしまったみたい)


 その人影は、目の前に伸びた一つの足跡を追っている。それは、消そうとした少しばかりの努力の痕跡が見られる足跡で、よく目を凝らさないと何の窪みもない雪の平面に見える。これで時間帯が夜であれば、この足跡を追ってこられるものは限られたことであろう。だが、この影にとっては、昼であっても夜であっても関係ない。野伏(レンジャー)能力に優れた影がこれほど分かりやすい()()を見逃すはずはなく、どこまででも追いかけていくことができる。


 影は走りながら、複数の事柄を同時に考えていた。大氾濫(スタンピード)を契機にこの森に迷い込んだ魔物のこと、それを探して先行する仲間のこと、競り勝たなければならない討伐隊のこと、そして、思いがけず遭遇した先程の小集団のこと。


(私はあのとき攻撃を仕掛けようとは思っていなかった。様子見のため、純粋に観察していただけ。その私の視線に気付くなんて……)




 影は特筆すべき隠密能力があり、その能力を遺憾なく発揮することによって常に物事を有利に運んできた。此度はパーティー後方の空を舞う鳥影に違和感を覚えて、その付近を探索していたところ、小集団を発見した。


 驚くほど気配の無い集団だったが、集団の中で背負われていた一人の女だけは気配遮断能力が周りの者に比べて二線ほど劣っていた。彼女が気配を僅かに漏らしてくれていたおかげで、小集団が影に気付くよりも先に、影は小集団を見つけることができたのだ。


 女を見つけたのを皮切りに、影は集団構成要素を次々に発見していく。小集団の前方をレンジャーのように歩き回るウォーウルフは、明らかに野生の魔物とは違う。集団の中には調教師(テイマー)がいる。


 人型の構成要素の数は十。特別討伐隊にしては人数が少ない。特別討伐隊は現在街で治療にあたっており、一部の部隊だけがフィールドに出てきている可能性は低い。


 フィールドではいついかなる瞬間にハンター同士の命の奪い合いが始まってもおかしくない。立ち入り禁止令が出ている南の森に侵入してきている以上、特別討伐隊もツェルヴォネコートもおそれない実力者集団であることは予測がつく。特別討伐隊と同じく上手く利用すべきか、それともフィールドから排除すべきか判断するためにも、まずは相手をもっとよく知る必要がある。


 影は更に目を凝らす。こういう明確な意図を持った視線というのは、えてして察知されやすいものであるが、それを熟知している影は一切の抜かりなく気配を殺した上で目を凝らしている。だというのに、より精緻に観察しようとして視線を向けた途端、小集団は異状を察知して周囲を窺い始めた。


 影の視線に生じた変化など、極めて微細なものでしかない。殺意も敵意も混じることのない、本当にただ観察するためだけの視線を、その集団は気付いたのだ。


 影と小集団は、かなり離れた場所に立っていた。


(木の裏側にでも隠れれば、見つけられっこない。しばらく探せば諦めるはず)


 小集団の警戒をやり過ごすため、聳え立つ樹氷の一つに身体を寄せたところ、思いがけない方向から視線を感じた。それは空からの視線だった。


 視線の主は、影がこの地点を探索する要因となった鳥、空を舞う一羽のガダトリーヴァホークだった。アーチボルク周囲では比較的稀な魔物である。そんな珍品がこちらを見下ろし、それと同時に小集団の視線が影に集中する。


(このホークもあの集団の構成要素だ!)


 状況を鑑みるに、ホークは小集団に従属する魔物の一羽とみて間違いない。しかも、影の発見から即座に情報を集団側と共有した。調教師(テイマー)が極めて優秀なのか、あるいはそのような効果を持つ魔道具でも持っているのだろう、と影は判断する。


 影は再び小集団を見る。人員の中にイオスやバンガンといった特別討伐隊の中核メンバーはいない。討伐隊のレンジャーの顔ぶれとも違う。気配遮断能力、視線察知能力、テイム能力などを考えても、あの集団が討伐隊の一部とは到底思えない。


 特別討伐隊の構成員はハンターと軍人、そして少数の衛兵だ。各々、特筆すべき高い能力を持ってはいるものの、決して()に生きる能力に特化してはいない。今までも、影の存在に気付くことは一度たりとてなかった。さして気配遮断に失敗した訳でもないのに、影の存在に気付くなどありえない。


 影は、集団が自分と()()である、と判断した。




 影はマディオフに長く根付いた存在ではなかった。影とパーティーメンバーたちが異国からマディオフに渡ってきたのは数年前。活動開始にあたり、マディオフの闇に蠢く最大勢力、矮石化蛇(バズィリシュカ)と短期間で比較的良好な関係を築き上げた。


 矮石化蛇(バズィリシュカ)は端的に言って犯罪集団であり、ツェルヴォネコートにはさして興味を持っていなかった。その矮石化蛇(バズィリシュカ)が、崩壊の足音が近づきつつあるアーチボルクに一大戦力を送り込み、今更ツェルヴォネコート討伐を始めるとは思えない。()()()がないのは事前に確認済みだ。


 しかし、話はネームドモンスター討伐だけで終わらない。今回の戦争によって大陸の地図は大きく書き換わることになる。マディオフは遠からず滅ぶ。この点に関しては、表社会の住人の見解も裏社会の住人の見解も変わらない。


 国が変われば社会構造もそれに伴って変化し、新たに社会の()()が無数に生まれる。社会が不安定になる、ということだ。隙間からは裏の住人を喜ばせる甘い蜜が溢れてくる。矮石化蛇(バズィリシュカ)がシマを広げる前に、甘い蜜の湧き出る社会の隙間を占有したい、と(よこしま)な欲望を抱いた人間たちは、虎視眈々と亡国の日を待って準備を整えている。


 そういった何かしらを企む者たちがアーチボルクに姿を見せたとしても何ら不思議はない。もしかしたら、影の見識が不足しているだけで、マディオフでは力のある組織の末端かもしれない。


 どうせ見つかったのなら、この場を離脱する前に少しでも相手の情報を得ておきたい。この集団とは長い付き合いになりそうな予感がする。矮石化蛇(バズィリシュカ)と同様に協定を結ぶことができれば、仲間が喜んでくれる。


 しかも、影には並ぶ者のない高度な逃走と隠密の能力がある。相手に四脚の魔物がいようが、空を舞うホークがいようが、人員数が十どころか、もっと多かろうが、小集団を振り切って逃げる自信があった。


 コミュニケーションを図って影が集団に向かい歩き始めると、集団側もこちらに近寄ってきた。


 集団の先頭に立つのは無手の女。纏っているゆったりと余裕のある外套の中には暗器の類をいくらでも隠せそうだが、一先ず敵意が無いことを示そうとしている。




 無手の女は『ルカ』と名乗り、王都に避難したハンター集団を自称した。マディオフに暮らして数年の影であっても、レキンという名の村は知らない。影はルカの言葉を咀嚼しながら、誰何に対しては「フォニア」と返事をする。


 仲間と一緒に決めた名前であり、それ以外の名前は捨てた。元々の名前だって、本名かどうか誰も知らないのだ。そんなものに拘りはない。ゼトラケインにいた頃からずっと使っている通名を、いつもと同じように名乗っただけのことである。


(ツェルヴォネコートのいる今のアーチボルクのフィールドに、討伐隊にも加入せずに乗り込むような狂集団が大氾濫(スタンピード)ごときから避難する? ありえない)


 マディオフで起こった此度のスタンピードは、一般的な大発生ヒュージアウトブレイクに末に生じるスタンピードとは訳が違う。ドラゴンによって大森林から溢れ出した魔物が新たな生活の場を求め、適正配置を探って戦い、その過程で人間にも被害が出る。大森林の魔物、ということで話が大きくなっているものの、大発生ヒュージアウトブレイクが起こっていない以上、スタンピードの波はどんな強者でも飲み込むような後から後から湧いてくる魔物の大奔流などではない。本物のハンターならば、今回のスタンピードの波にいくらでも対応できる。


『避難』とは、そういう()()なのだろう、と影は判断する。立ち入り禁止令すら知らないフリをするのはやや過剰な設定のようにも思われたが、そういう風に言え、と事前に命じられているのかもしれない。


 相手の事情に合わせながら、儀礼的に互いの設定を確認しあった後、本題の情報交換を始める。




 話を進めるうちに、設定としてではなく、集団が本当に事情に疎いのだ、とフォニアは気付く。少なくとも矮石化蛇(バズィリシュカ)の遣いではない。矮石化蛇(バズィリシュカ)の手先であれば、フォニアのことは知っているはずだ。誤って矮石化蛇(バズィリシュカ)の人間を殺めた日には、この国で活動を継続することが困難になる。矮石化蛇(バズィリシュカ)ではない以上、この者達は命を奪ってこのフィールドから排除しても問題はない。


 ルカと会話しながら、フォニアは集団の構成員の顔を覗き見る。ルカと一人の女を除き、誰も彼も老境の域に達している。これだけ老人が集まっていれば、老人独特の臭いが漂ってきてもよさそうなものなのに、老人臭どころか人間的な臭いに乏しい。立ち姿勢一つとっても、あまりに矍鑠(かくしゃく)としすぎている。


(本当は老人ではなく、老人に変装している? 人数は十人。ツェルヴォネコートの闊歩するフィールドに挑戦しようという腕に覚えのある集団で、しかもルカはかなりの美人。確定だ。“セルツァ”の言ったとおりだ)


 数々の特徴から、フォニアは集団の正体を確信する。小物であれば残らず排除しようと思っていたが、とんでもない。小物どころか超大物だ。フォニア単独で殲滅するのは不可能だ。それに、これほどの大物であれば、繋がりを持っておいて損はない。


 フォニアは将来の利益を見越し、再会の手段をルカに告げる。ツェルヴォネコート討伐に関しては、毒にも薬にもならない薄っぺらな情報だけを集団に渡して形を取り繕っておく。初顔合わせを終えたフォニアはその場を離れた。




 フォニアはいくつも嘘をついていた。そのひとつはツェルヴォネコートとの接触回数。ルカには『まだ会ったことがない』と告げたが、典型的な赤嘘である。フォニアと仲間は既に何度もツェルヴォネコートと交戦している。何度も繰り返し襲撃(アタック)を仕掛けることで、ツェルヴォネコートを弱らせている最中だったのだ。途中からは、弱体化作業に特別討伐隊が加っている。といっても、特別討伐隊と共闘しているわけではなく、存在を利用しているだけ。能力的にバランスの取れていない討伐隊では、ツェルヴォネコートに有効なダメージを与えられない。しかし、魔力と体力を消耗させることくらいはできる。討伐隊がフィールドから撤退したときがこちらの手番だ。疲れたツェルヴォネコート相手に、仲間が戦いを挑む。いいだけ戦ったら、こちらも撤退し、身を休める。そんなことを繰り返していた。


 毒が有効であればあっさりと仕留められそうなものであるが、ツェルヴォネコートの操る火魔法がフォニアの扱う毒をことごとく無力化する。熱にも強い毒はあるにはあるが、それを使おうとすると、今度は仲間のひとりの存在が邪魔になる。


(私と“セルツァ”だけで倒しちゃったら、アイツが不機嫌になるのは目に見えている)


 フォニアはチタンクラスのハンターに匹敵する戦闘力をもっている。しかし、戦闘力が長所だとは微塵も思っていない。隠密力と毒の扱いこそがフォニアの本領と自負していた。その毒をツェルヴォネコートに直接ぶつけることはできない。では、何もできないか、というと、そんなことはない。レッドキャットが食糧として好みそうな、手頃な魔物の身体に毒を仕込むのだ。ただし、これであっさり仕留められるほどツェルヴォネコートは甘い標的ではない。()()()済みの魔物を狩っても、ツェルヴォネコートはそれを決して食べない。長年の勘から、下手な毒感知魔法(ディテクトトキシン)以上の感度で毒を見抜き、狩った獲物をフィールドに捨て置いて去ってしまう。


 それでも、ツェルヴォネコートはジワリジワリと弱っている。大森林という理想郷を離れた巨大なレッドキャットは明らかに空腹に苦しんでいる。フォニア一行(いっこう)、特別討伐隊、ツェルヴォネコートの鼎立が始まって以降、最も顕著に弱っていっているのがツェルヴォネコートだ。最前列で戦うものは、ツェルヴォネコートの力が日々衰えているのを実感し、後列で魔力量を測定するものは、日々魔力が減少していることに気付き、目の良いものは、毛並みの色艶が悪化していることを見抜いている。


 討伐隊やフォニアの仲間が痛手を負うこともあるが、回復手段は無数にある。一転、ツェルヴォネコートには回復手段がない。自然魔力( マナ )の濃い南の森の立石群であっても、大森林で育ったツェルヴォネコートの魔力の渇きを埋めるには十分ではない。腹を満たして傷を癒やそうにも、南の森で見かける魔物は、どれもこれも毒が仕込まれている。フォニアが手当たり次第に毒を仕込んでいるからだ。


 ツェルヴォネコートの弱体化は順調であり、滅びは近い。すると今度は止めを刺すタイミングが問題となる。苦労して弱らせた魔物を討伐隊に倒されるなど、もっての外である。討伐隊に倒されることのないよう、魔物の体力の削り方には細心の注意が必要になる。仲間ではそれができないことから、フォニアのほうで調整が必要になる。


 それも何とか上手くやっていたところに、討伐隊以上の競合相手が現れた。それがこの()()()()()()()だ。フォニアはそう考えていた。


(セルツァがくれた魔道具を欺くということは、変装魔法(ディスガイズ)だけでなく偽装魔法(コンシステント)も使えることを意味している)


 フォニアの半身とも言うべき存在である仲間のセルツァは、パーティーの内政を一手に担っている。セルツァはとても仲間想いの人間だ。裏社会で売買を繰り返しては金を貯め、質に秀でた武具や魔道具を仲間に与えて仲間の無事を守ろうとする。セルツァがフォニアに与えた幻惑破り(アンチデリュージョン)効果を持つ魔道具は上級相当。その魔道具の効果ではワイルドハントの魔法を看破できなかったのだから、ディスガイズとコンシステントの水準はかなり高い。


(あのワイルドハントと付き合うなら、もう少し良い魔道具が欲しい。上級魔道具で無理となると、高級以上の魔道具が必要)


 高級魔道具の中でも値が張る物は、王都の一軒家相当の価格がつく。それ以上の価値を認定された超級魔道具ともなると、値段は更に高い。高級以上の魔道具を買うには一大決心が要る。購入した後にワイルドハントの幻惑魔法を看破できなくとも、返品などできようはずがない。


(魔道具抜きであのワイルドハントと()()()付き合う方法なんてあるだろうか)


 ジバクマに出現したワイルドハントはとにかく妙な噂が絶えない。ワーカーとして街の仕事を請け負ったかと思えば、一年ほど忽然と姿を消す。ジバクマのダンジョン、毒壺に篭っていた、というのが専らの噂だ。再出現時には傭兵として戦争に加担し、オルシネーヴァと戦った。大量に人間の命を奪ったにも拘らず、最終結果はオルシネーヴァ人の全殺害でもなければ、全面降伏でもなく、まさかの停戦。停戦となる少し前にオルシネーヴァの本城、クラーサ城は謎の集団から襲撃を受けている。謎の集団の正体をワイルドハントと考えている人間は、フォニアたちだけではない。オルシネーヴァの王族が有する財宝を手に入れることこそが、ワイルドハントが戦争に加担した目的であった、と、裏事情に詳しい人間たちは考えている。


 何でもワイルドハントの代表者であるポーラという女はドレーナらしい。それを証明するように、ワイルドハントはジバクマにはたらきかけ、領土の減ったゼトラケインから吸血種を多数引き入れさせている。クラーサ城の最も有名な財宝の一つに、吸血種の至宝、魔剣クシャヴィトロがあったことも噂の信憑性を高めている。


 ジバクマとオルシネーヴァの条約締結後は再び行方を晦ましたが、ワイルドハントには毒壺篭りの前例がある。おそらくどこかのダンジョンにでも挑戦している、との見方が大勢を占めていた。しかし、それがマディオフに居たとなると話は変わる。マディオフは大森林発のスタンピードに喘いでいる。これを収束させるために動き回っていた可能性がある。


 スタンピードを収束させようが、大森林の他の三柱のネームドモンスターを討伐しようが、そんなことはどうでもいい。南の森にこのタイミングで現れたことだけが問題だ。フォニアたちは、一ヶ月もの時間をかけ、やっとここまでツェルヴォネコートを追い詰めた。それが、ワイルドハントに刺さってこられると、折角弱らせた魔物を横取りされることになる。かといって、安易に敵対していい相手ではない。セルツァのいない場所で込み入った話はできないが、パーティー随一(ずいいち)の問題児がいないうちに初接触を済ませておいて正解だった。


(アイツは放っておくと、次々に敵を作ってしまうもの……)


 全方向に敵を作ってしまうと、パーティーは身動きが取れなくなる。せっせと敵を増やす馬鹿なパーティーメンバーがいる以上、フォニアは敵を増やさぬように立ち回らなければならない。


 表社会で敵を作ると衛兵に追われ、裏社会で敵を増やすと商品の売買が難しくなる。そもそもこの土地では、闘衣対応装備を始めとした武具や魔道具の流通規制が厳しい。表社会の人間であっても、ただ金銭を持っているだけでは売買に与ることのできない土地柄だ。


 必然、影が影として活動を続けるには、裏社会に敵を多く作るわけにはいかなかった。パーティーの活動方針は、そのときどきによって変わる。ときに魔物を狩り、ときにダンジョンに篭り、ときに盗み、ときに殺す。誰かのやりたいことが、全員のやるべきことだ。


 強大な魔物の討伐を目標に掲げることもしばしばだ。弱い魔物を討伐するだけなら、恵まれた能力を活用するだけで十分であり、道具に拘る必要はない。けれども、ネームドモンスターをはじめとした、人智を超えた()そのもののような危険な魔物に立ち向かうには、肉体の有する能力を十分に引き出せる傑作、例えばアーチファクトやユニークスキル持ちの固有名持ち武器(ネームドウェポン)が必要になる。こういったレアアイテムの流通場所は表社会に限らない。数において表社会と同等か、あるいはそれ以上に、危険で強力な道具の数々が裏社会において流通していた。


 ワイルドハントに獲物を黙って譲るつもりは、フォニアにはない。けれども、嘘をついて反感を買う気もサラサラない。フィールドやダンジョンでは、奪い合いは常事であり、奪われるほうが悪いとすら思っている。


 最終的にワイルドハントがツェルヴォネコートを討伐したとしても、先の話しぶりだと素材の山分けの話し合いには応じそうである。話が通じるのならば、一層敵対する理由はなくなる。なにせ、件のワイルドハントは、レアアイテムを大量保有している可能性が高い。特に超級魔道具である審理の結界陣は、一般民衆の環視下で使用している。それを売り払った、とか、ジバクマに返還した、という話は聞かないことから、おそらく現在も保有し続けている。


 また、クラーサ城で秘蔵されていたクシャヴィトロ以外の宝物も気になる。当の被害者であるオルシネーヴァは、「盗難被害は無く、犠牲者も出さずに盗賊を撃退した」と公式に発表している。


 城壁には、城外からでも分かる大規模な破壊の爪痕が残り、親衛隊は撃退したという盗賊を、ただの一人も捕らえられていない。盗賊稼業を営む人種は、大本営の発表など信じていない。オルシネーヴァが国民に発表できないほど大きな被害を受けたのは明白だ。宝物庫のめぼしい財宝は盗まれたとみて間違いない。それを持っているのがこのワイルドハントだ。


(ワイルドハントと取引できると知れば、きっとセルツァは大喜びしてくれる)


 フォニアが望んでいたのは、自身がワイルドハントと取引することではなく、仲間のセルツァをワイルドハントに引き合わせて売買を成立させることだった。フォニアたちとワイルドハント、お互いに魅力のある取引ができる。そんな期待を抱き、王都の合鍵であるテンゼルの名前をワイルドハントに託した。


 名前さえ知っていれば、テンゼルに会うのは難しくない。テンゼルはうだつの上がらない、仕事への意欲に乏しい三流手配師だ。しかし、それはあくまで表向きの話である。テンゼルという男が手配師という職業に求めていたのは、表社会で情報収集を行っても怪しまれない“立場”であり、表の周旋業に力を入れる理由はなかった。


 もちろん、普通の手配師であっても、少なからず汚れ仕事を仲介することはある。だが、テンゼルは、何かしら裏のある案件を主として扱う。裏手配こそが彼の仕事であり、稀に仲介する表の仕事は、手配師という立場を偽装するためのものでしかなかった。


 そんなテンゼルに会いさえすれば、あとは金を積むだけでフォニアのパーティー、「グレイブレイダー」に会うことができる。仲介料は破格の高値だ。依頼者(クライアント)とグレイブレイダー間の契約が成立するかどうかにかかわらず、会うためだけに仲介料が必要になる。そうすることで、グレイブレイダーもテンゼルも一顧だに値しない少額の案件に時間を取られることがなくなる。


 グレイブレイダーの存在を知っていても、仲介料の高さがネックとなって彼らに接触できずにいる者は多い。()()が無ければ接見すらできない、というのは、表社会でも裏社会でも変わらない規則(ルール)だ。むしろ、高値とはいっても、金を積むだけで会えるのだから、比較的簡単に手に入れられる資格ともいえる。力をもったワイルドハントにとって、これほど単純明快なルールは無いだろう。


 力があるものには、様々な経路から金が集まってくる。集まった金を掴み取るためには、力の有無よりも賢さの程度が重要になってくるが、フォニアの目に映ったワイルドハントは、それも兼ね備えているように見えた。


 時期がどれだけ先になるかは不明にせよ、双方がマディオフに居座り続けるのであれば再会は必至だ。今、なすべき将来への布石は終えた。将来のことは将来に任せ、今は目の前の獲物を狩る。




 情報交換を終えた後、フォニアは仲間がいる方角とは異なる方角へ足を進めた。


 おそらくワイルドハントは、フォニアにパーティーメンバーがいることに勘付いている。だからといって、一直線に仲間の下に戻ってしまうのは危険だ。大きく迂回するような進路を取りながら、()けられていないことを確認しつつ、仲間との合流を図る。


 合流したら、ワイルドハントに追いつかれるよりも早く獲物を仕留めなければならない。もしかしたら、これがラストチャンスかもしれない。この機会をものにできなければ、ワイルドハントに獲物を奪われる。フォニアはそう考えていた。


 ワイルドハントの視線を全く感じなくなったところで、雪上を駆ける速度を上げる。気配を隠すこともおざなりにとにかく走り、仲間と合流する頃には、息はすっかり上がっていた。


 鍛え抜かれたフォニアには珍しく肩で息をする様子を見た仲間が少し驚いた様子で話し掛ける。


「遅かったね。何がいたの、フォニア?」


 フォニアに問うセルツァの姿を、何も知らない人間が見たら、素っ気ない冷たい聞き方だと思うかもしれない。けれどもフォニアは、これがセルツァの精一杯の気配りであることを理解している。


「ジバクマに出現したワイルドハント」

「うわ、当たってた。救援信号も出さずに無事に離脱できたところを見ると、噂通り、誰彼構わず攻撃してくることのないワイルドハントだった、ってことでしょ?」


 セルツァの目が見開かれたのはほんの一瞬で、すぐにいつもの澄ました表情で会話を続ける。


「うん。敵対的などころか、私に『パーティーに入らないか』って誘ってきたよ」

「フォニアは可愛いから、相手が人間なら納得の一言。でも、アンデッドのワイルドハントとなると、社交辞令だとしてもびっくりかな」

「マスクをしてるんだから、顔は関係ないでしょ、セルツァ」


 呼吸を整えるため、少しだけマスクをずらしたフォニアは苦笑しながら、仲間のセルツァの横腹を小突く。


「マスクをしていても、美人が俺様から隠れることはできんぞー!!」


 セルツァは、ここにはいないもうひとりの仲間の真似をして大口を開ける。


「あっ、その台詞。アイツがいかにも言いそう。あー、言われて初めて気付いたけど、あのワイルドハントに会ったら、アイツの病気が悪化しそう」

「なにそれ。そのワイルドハントの中に美人アンデッドでもいたの? ああ、そういえば一人だけドレーナの女が混じっているんだっけ。しかも可愛いとか評判の……」

「うん。女の私から見ても結構美人だったよ。今は『ポーラ』じゃなくて、『ルカ』って名乗ってた。顔立ちの系統としては、お姉様、って感じかな。まあ、ディスガイズで変装しているんだろうけど。他のメンバーも、顔だけは全員人間だったし」

「アンデッドのくせして、ディスガイズが使えるの? あんまり聞いたことないなあ……。ああ、アンデッドのほうじゃなくて、ルカってドレーナの女のほうが、ディスガイズを使っているなら、それもありか」


 自らの意見がパーティーの切れ者たるセルツァと同じであることを知り、フォニアは安心する。


「ゼトラケインではドレーナがディスガイズを使うところをあんまり見なかったから、忘れてしまいがちだよね。得意魔法のこと」


 フォニアはグレイブレイダーがまだゼトラケインで活動していた頃のことを思い出し、当時培ったドレーナ像と、現実に持っている能力の違いを脳内で比較する。


「争いごとが無ければ使う必要がないからね。でも、よくそいつらがワイルドハントだって分かったね。あっ、もしかして、魔道具が役に立った?」


 セルツァは自身がフォニアに買い与えた魔道具が効果を発揮したものと早合点し、既に破顔して喜んでいる。


「ごめんね、セルツァ。魔道具では分からなかったんだ。普通に違和感を見つけて、それで気付いただけ」


 フォニアは八人の老人が示した異様をセルツァに説明する。仲間を守るために買った魔道具が役に立たなかったことを知ったセルツァの表情は暗転し、肩は外れてしまいそうなほどにがっくりと落ちてしまった。


「次は、ワイルドハントのディスガイズを見破れる魔道具を買わなきゃ……!!」


 肩を落としながらも、セルツァの目は雪辱に燃えている。


「それなんだけどね。上級魔道具でもだめだった、ってことは、高級か、下手をしたら超級魔道具ってことになるでしょ? それは厳しいと思うんだ」

「幻惑魔法に満遍なく効果を発揮するタイプじゃなくて、ディスガイズ専用かつ、着用者しか幻惑破り(アンチデリュージョン)効果を得られない魔道具なら、そんなに高くなくても、今持っているやつより効果の優れた魔道具は買えるよ」


 セルツァの説明を聞き、金銭が絡んだ話はやはりセルツァに相談すべきである、と、フォニアは再認識する。


「ワイルドハントにはテンゼルのことを伝えておいた。王都で新しい魔道具の能力を確認することになる。でも、その前に――」

「ツェルヴォネコートの争奪戦に、面倒な競争相手が加わった、ってことでしょ?」


 フォニアの言葉の続きをセルツァは言い当てる。


「そういうこと」

「どうせ加わるなら、もっとツェルヴォネコートがピンピンしていた頃に加わってほしかったなあ。あと少しで討伐できそう、ってタイミングで乱入してくるとか、間が悪すぎる」


 セルツァは整った顔を歪め、その場にいないワイルドハントの気紛れな行動に苦言を呈する。


「じゃあ急ごう。ボヤボヤしてるとアイツも死んじゃうし。私はいいけど」

「意地悪言わないでよ、セルツァ。アイツが死んだら生きていけない」


 パーティーメンバーの死をも厭わないセルツァの言葉に、拗ねたような口調でフォニアは答える。


「大丈夫。フォニアがダウンしても、私が全部面倒を見てあげる。でも、そうならないように急ぐんでしょ?」

「そう。せっかく追い詰めたんだから、ここまできて横取りはさせたくない。ワイルドハントに追いつかれる前に、全員無事に獲物を倒す。完全勝利を目指そう!」


 最も大切な仲間であるセルツァを目の前にしたことでフォニアは少し気が大きくなり、成り行き次第ではワイルドハントと素材を分け合うつもりであったことをすっかり忘れてしまう。


「あんまり大きい声を出すと、雪崩が起きるかもよ?」

「私の声より、セルツァの風魔法のほうがヤバそうに思うけど……」

「まだ気温は高くないし、あれだけ激しく戦っても何回かしか起きてないんだから、大丈夫、大丈夫」

「私もアイツも、セルツァと違って雪崩から確実に逃れられるスキルも魔法も無い。絶対忘れないでよ!」


 ツェルヴォネコート戦の離脱、雪崩からの避難、衛兵による捜査からの逃亡。これらはセルツァの風魔法の能力に大きく依存している。


「はいはい。万事私に任せなさい」

「じゃあ、お任せするので、ツェルヴォネコート最寄りの()()()のところまで、お願いしまーす」


 フォニアはセルツァにぐっと身を寄せ、強く身体にしがみついた。フォニアが収まり良くセルツァをホールドしたことを確認してから、セルツァは魔法を構築する。


 ゼトラケインが輩出した稀代の風魔法使い、セルツァ・プルーストリーの芸術が、セルツァとフォニアの身体を宙に浮かび上がらせる。


「やっぱこの時期に風魔法は寒ーい」

「はーい、お客さん。舌を噛まないでねー」


 危機感に乏しい簡単な警告が発せられた後、二人の身体は砲弾のように南方へ飛んで行く。マディオフ、ゼトラケイン、ジバクマ、オルシネーヴァ、近隣諸国を見回しても他に類を見ない高水準のセルツァの風魔法は、中程度の距離であれば、ホークにも匹敵する移動速度を可能にした。風魔法による身体保護を重ね掛けしないことには、風圧で呼吸すらままならないほどの高速移動である。


 一瞬で流れていく低地の景色の中から、フォニアが優れた視力で目的の人物を探し出してセルツァに伝えると、セルツァは軌道を修正する。着弾地点を定めた砲弾は、徐々に速度を落としていく。


 緩やかに減速はしていても、二人はまだ高速の域にある。このまま地面に激突することは墜落にも等しい。重症どころか死に至っても不思議はない。安全無事に着地するのもまた難しい芸当のはずだというのに、セルツァは慌てることなく風を操る。


 セルツァとフォニアの身体は地面の直前で超急減速して一瞬停止した後、ゆっくりと雪上に足を降ろした。


 着地を見届けた人物は、開口一番に文句をつける。


「だー!! これからこっそり獲物に忍び寄り、俺の必殺の一撃を叩き込もうというときに、そんな目立つ魔法を使って移動するんじゃない!!」

「あれあれ? あんたの下手くそな隠密行動じゃ、あのビビりネコの気配察知を潜り抜けて不意打ちするのは無理だと思うけど? どうせ無理なら、さっさと近寄ってバシッとやっつけるのが早いでしょ」

「まあまあ二人とも。大声もフィールドでは禁物だから……」


 顔を突き合わせた途端に早速口喧嘩を始める“クリフォード”とセルツァを、フォニアが宥める。


「なんでお前はいつも俺の邪魔をするのだ!?」

「私たちがいないとすぐ追い込まれるくせに、よくそんなでかい口が叩ける!」

「はっはー! 俺様は何もかもビッグだからだ!!」

「あー、うるさいうるさい! フォニア、やっぱり帰ろう。こいつがツェルヴォネコートに食われた後に骨を拾いに来よう。それが世界にとって一番いい」


 セルツァは青筋を立てて怒っている。些細なことを切っ掛けに揉め始めては、こうやって喧嘩別れしかけるのはいつものことである。


「帰りたければお前一人で帰るがいい。俺とフォニアだけで、でかネコは一捻りなんだからな!」

「そのでかネコに何度も殺されかけているんでしょーが!」

「セルツァだけでも静かに……」


 口論未満のつまらない言い争い。セルツァがクリフォードの言葉の一つ一つに過剰に反応しなければ白熱することなどない。セルツァだってそんなことは分かっているはずなのに、どうしてもそれができない。


「もうヤツの攻撃は見切った。もはや討伐したも同然だ」

「見切ったんじゃない。ちょっとずつ弱ってるから、だんだん攻撃を防げるようになってきただけ。それも私の支援があってこそだから」


 近隣諸国最高の風魔法使いとして裏社会に名を馳せるセルツァであっても、クリフォードの前ではただの口蓮っ葉な女の一人でしかなかった。


「何だかんだいって、お前も俺のことが心配なんだろう? 全く素直じゃないやつだ」

「断じて違う! フォニアが巻き添えになるのを避けるためだ! 今日こそお前だけ上手くツェルヴォネコートの胃袋に押し込んでやる!!」

「ここでお喋りに興じていると、胃袋に押し込む前に、そのツェルヴォネコートがワイルドハントに狩られちゃうから、仲良くするのもその辺で……」

「ちっ、そうだった……」


 フォニアの説得により、セルツァは口をつぐむ。もう何を言われても、男には言い返さない。そんな決意を表明するかのように、男とは反対の方向を向く。


「ワイルドハントがいるのか? 珍しい。先にそっちを狩るか」


(何度か話し合ったことがあるのに、ワイルドハントがどんな集団か、完全に忘れてしまってる。でも、忘れているんならそのままのほうが今は好都合かも……)


「アンデッド主体のワイルドハントだからやめておこう? アンデッドはこの間、たくさん狩ったじゃない」


 グレイブレイダーは三人で行動するパーティーである。ツェルヴォネコートハントのために王都ジェゾラヴェルカを発ってアーチボルクに着いたのも束の間、クリフォードの我儘により、三人は近郊のダンジョンである“墳墓”に何日も潜る羽目になった。


 クリフォードの願いどおり、飽きるほどアンデッドを狩れたのはいいものの、実入りの少ないダンジョンは、パーティーに金銭的な損失を与えた。これで中層下部ではなく、生きた魔物の出現する墳墓下層でハントをしていたら、おそらくもう少し収入があったはずなのだ。それなのに、アンデッドハントに執着したクリフォードは、中層下部を探索し続けた。


 そのことで、クリフォードはセルツァから辟易するほど嫌味を言われていた。


「エルダーリッチみたいな上級アンデッドが持つ魔道具や精石は魅力的だが……アンデッドは胃もたれするほど狩った。当分いいや」


(ほっ……)


 男の興味がワイルドハントからすんなり離れたことに、フォニアは心の中で胸を撫で下ろす。


「よーし。気を取り直してでかネコを探すぞー。行けっ、セルツァ」

「人を先行させて、遅れたら承知しないからね」


 憎まれ口を叩きながら、セルツァはパーティーの先頭役として索敵を開始する。


 先頭をセルツァが担い、後尾をフォニアが守る。気配を隠すのが苦手なクリフォードはパーティーの真ん中を歩く。場合によってセルツァとフォニアの位置は入れ替えるが、クリフォードが真ん中であることは変わらない。これが、グレイブレイダーの常用する隊形だった。


「クリフ……セルツァに対してだけでも、もうちょっと優しい喋り方をしてあげてよ」


 前を行くセルツァに聞かれぬように小さな声でフォニアが諭す。


「なんで俺が女に気を遣わなければならん。世の女全てが俺に優しくすべきなのだ」

「もう。クリフのほうこそ素直じゃないよ」

「俺は常に自分の心に素直だー!」


 フォニアは知っている。この三人の関係が、本当は危ういバランス感覚の上に成り立っていることを。それはフォニアだけでなく、セルツァもクリフォードも薄々勘付いている。しかし、セルツァもクリフォードもつまらない意地を捨てきれない。だから、フォニアは今の自分のあり方を作り上げた。演技でもあり、自分が望んだことでもあり、もう随分前から、どこからが取り繕った感情で、どこまでが本心なのか、自分でも分からなくなってしまっている。


「はぁ……。じゃあ私たちも行こう。セルツァに離されちゃう」

「ふんっ、分かっている」


 偉そうな言葉だけはそのままに、クリフは前のめりとなってセルツァの後を追う。弱ってきたとはいえ、ツェルヴォネコートは楽観視できるような魔物ではないことを、一番近くで戦うクリフは誰よりも分かっている。


 クリフがセルツァを追いかける姿勢を見るだけでも、本心が透けて見えるというものだ。


 そんなクリフの背中を見て少しだけ安堵し、フォニアは自分の担当範囲であるパーティー後方に注意を置く。


 最速の風魔法使い、セルツァの能力で一気に移動したことにより、ワイルドハントは相当引き離した。まだ目の届く範囲にいるはずがいない。そういう思い込みこそがパーティーを危機に陥れることになる。三人の中で誰よりも気配と視線を察知する能力に秀でたフォニアは、一切の油断なくパーティーを脅かす何ものかの姿を探す。


(人間のフリをする吸血種と老人のフリをするアンデッドのパーティーか。直接目にして、より一層不気味さが増したなあ。笑顔の仮面をかぶっていることが、薄気味悪さに拍車をかけている)


 フォニアはこの先の展開を予想する。どう事が運ぶと最も都合がいいか? 理想的なのは、弱ったツェルヴォネコートを手早く倒し、ワイルドハントが討伐地点を嗅ぎつける前に精石や牙、毛皮などの重要素材を回収して撤収すること。余裕さえあれば、残す死体は保存処理を施してからどこかに隠し、後から数回に分けて回収してもいい。


 だが、それはなかなか難しいだろう。ワイルドハントはフォニアに近い驚くべき索敵能力がある。そうでなくともグレイブレイダーとツェルヴォネコートとの戦闘では大きな音と衝撃が走り、魔力の奔流が生じるのだ。あのワイルドハントがそんなものを見逃すはずがない。


 駆けつけてきたワイルドハントとクリフが顔を会わせれば、一悶着は不可避。この悶着が決定的な対立に繋がることのないように、フォニアとセルツァは腐心しなければならない。


 ワイルドハントはアンデッドが主体。ツェルヴォネコート同様、フォニアの得意とする毒は効力を発揮しない。もし毒が効くとすればドレーナのルカくらいのものだろう。たったひとりを毒で昏倒させて解毒方法をちらつかせたところで、交渉に持ち込めるとは考えないほうがいい。


 ワイルドハントには回復魔法の使い手がいる、という情報がある。この情報の驚くべき点は、回復魔法の行使者がルカではなく、アンデッドのほうである、というところだ。作り話にしては非現実的すぎるように思えるが、ジバクマの軍人多数が生き証人という比較的信頼性の高い情報だ。となれば、解毒魔法も使えるとみたほうがいい。


 毒を用いて交渉に持ち込めない以上、解毒方法の存在しない即効性の致死毒しか利用価値はない。つまり、ワイルドハントを完全殲滅しようと思ったときしか、毒の使い途がない。


 ワイルドハントはオルシネーヴァの軍隊を二度、退けている。防壁や城壁を打ち砕く大魔法も行使できる。グレイブレイダーがワイルドハントと戦闘になった場合、一方的にやられて負ける、ということはないだろうが、楽々と勝つ可能性も低い。


 アンデッドという特性やメンバー数を考えても、暴力ではワイルドハントに分がある。グレイブレイダーは万全な状態であったとしても、ワイルドハントに真っ向勝負を挑むべきではない。ましてや、ツェルヴォネコートと戦った後ともなれば、絶対に衝突してはならない。


 セルツァがいれば大抵のことはなんとかなると思われる。それでも、もしもの時のことは考えておくべきだ。印象的に、交渉に持ち込むことは可能だが、問題はどうやってクリフの暴走を抑えるか、ということだ。クリフがルカの容姿に気付いた瞬間、十中八九いつもの病気を発症する。


(いつもながら頭が痛い……)


 すぐそこに待ち受ける面倒事に思考を傾けるあまりにフォニアの集中力が途切れかけたとき、手元の魔道具に信号が入った。セルツァが標的を見つけたのだ。


(勝った後のことは、勝ってから考えよう。まずは目の前の脅威に集中しないと)


 これがグレイブレイダーとツェルヴォネコートの最後の戦いになる。意識をひとりのハンターに切り替えたフォニアは、また少し視界の悪くなった冬のフィールドの中に姿を消した。

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