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第二四話 最後の旧四柱 二

 お互いが歩み寄り始めたところで、ソロハンターは腕に据え付けている小さなクロスボウを格納して小剣を取り出す。身体は細身、背丈は男だと少し低め、女にしては高め。白色の防寒具の下に着込んだ防具からは少しばかり(もや)が漏れ出している。防寒具の上からでも分かる(もや)ということは、かなり上物の装備ということだ。手に持った小剣の靄もそれなりに濃密であり、全身が銘品に包まれている。


 ソロハンターはこちらのことを警戒しつつも、互いの意思を確認をしておきたい、というように見受ける。


 ソロハンターの調子に合わせるように、無手のルカにパーティーの先頭を歩かせる。


「こんにちは。ハンターさん」


 普通の声が届く距離まで近付いたところで、こちらからソロハンターに話し掛ける。


「こんにちは。あなた達、討伐隊じゃないですね? どこか別の街から来たハンター?」


 ソロハンターのマスクの奥からくぐもった女の声が聞こえてくる。……声だけだと必ずしも性別は分からない。ジバクマでもそうだった。あまり決めつけないほうがいい。


「ええ、王都から参りました。といっても、王都には少し前に移り住んだばかりで、その前はレキンで細々とやっていたパーティーです。私はルカといいます。あなたのお名前を伺っても?」

「……フォニア」


 ソロハンターは思いの外すんなりと自分の名前を喋った。


 初めて聞く名前だ。特別討伐隊の中に、フォニアなる人物はいない。特別討伐隊に呼ばれた人間がハンターの全てではないが、マディオフにフォニアという名前のチタンクラスのハンターはいない。プラチナクラスやそれ未満のハンターは把握していないが、こいつの魔力量はチタンクラスだ。断じてプラチナやゴールドクラスではない。


 フォニアという名前が偽名かどうか確かめるためラムサスにサインを出すが、「偽名ではない」という答えが返ってくる。本名ないし普段使いの通名ということになる。


「我々はツェルヴォネコート退治にこの場所に来たのですが、討伐隊には所属していません。お役人さんとはソリが合わないもので。フォニアさんもその口と見受けます。お仲間はどちらに?」

「仲間はいません。私だけ」


 フォニアは中途半端な丁寧語で完全なる単独行動を自称した。どこにも仲間がいない、とは信じがたい。頭部で唯一露出しているフォニアの目の奥を探るが、フォニアの感情を伴わない目を見たところで、謀略色の有無は分からない。


 そこへ、単独行動は嘘、という解答がラムサスから送られてくる。


「……ソロですか。この森の慣習を少しだけ知っているのでお教えしますけれど、ツェルヴォネコートがいなくてもハンター間の小競り合いの多い場所ですからソロは危ないですよ」

「今は大丈夫。立ち入り禁止令が出ているので」


 簡単な探りを入れてみるものの、フォニアは引っかからない。こいつがゼトラケインから国境を越えてきた密猟者だった場合、立ち入り禁止令を知らない可能性がほんの少しだけあるのでは、と思ったのだが、密猟者であっても、アーチボルクの街に立ち寄るだけで分かる話でしかない。


「そうですか。では討伐隊にさえ気をつければ、人間を誤射してしまう可能性は無いようですね」

「そういうこと」


 どこかに潜んでいるはずのフォニアの仲間を我々が攻撃する可能性に言及しても、フォニアは動揺を呈さない。この方面をあまりつついても、ラムサスの言う“過激な発言”にしかならない。少し別の側面から探ってみることにしよう。


「フォニアさんはさぞかし高名のハンターとお察ししますが、生憎我々は寡聞な田舎者です。フォニアさんはこれまでどちらでハントをされていた方でしょう?」

「色々」


 シレっと名前を喋っておきながら、出身や本拠は語ろうとしない。ラムサスにも小妖精にも動きがない、ということは、隠そうとしているのではなく、本当にベースとなるハントフィールドがない?


 こいつ……思った以上に普通のハンターから逸脱している。そうか、少し見えてきた。


「フォニアさんさえ良かったら、一時的(テンポラリー)にパーティーを組んで、一緒にツェルヴォネコートと戦いませんか?」

「私はソロタイプ。お断りします」


 まあ断るだろう。隠密能力の高さや、装備の感じから判断するに、フォニアはソロで力を発揮するタイプだ。私も別にフォニアと組みたくてパーティーに誘ったのではない。知りたいのは、こいつの狙い。我々に近寄ってきた理由は何だ。


「では情報交換しませんか?」

「それは構いません。ただ、私はそれほど価値のある情報をお伝えできません」


 価値のある情報を持っていない、とは言わない。こいつは特別討伐隊よりもずっと有益な情報を持っていそうだ。


「おそらくお互い様かと。我々は以前ツェルヴォネコートを一度だけ見たことがありますが、フォニアさんは?」

「私はここで探索を開始したばかりで、まだ遭遇したことはありません。レッドキャットは数体倒したので、見た目は大体想像がつきます」


 フォニアの言葉に小妖精が動きを見せる。小妖精がラムサスにどんな情報を伝えたのか不明である。しかし、小妖精が動いた、というだけで、フォニアはきっと嘘をついたのだ、と私にも分かる。


「想像通り、レッドキャットそのままです。普通のレッドキャットと違って角が生えている、などという妙なところはありません。大きさはレッドキャットの通常個体を優に上回る。倍より、もうちょっと大きいくらいですかね」

「あなた達の調教(テイム)しているウォーウルフの三倍くらい、ということですね」


 フォニアは、視界外に身を潜めさせているリジッドとフルードの存在に言及する。ステラの視線を感知するくらいだ。それくらいは見抜くか。


「よくご存知のようで」

調教者(テイマー)は珍しいですからね。あなた達がツェルヴォネコートを見つけたのはいつですか?」

「もう何ヶ月も前の話です。ここではなく、ずっと北東方面にある森の中で街を目指して歩いていたところ、偶然横を通りすがるツェルヴェネコートを見かけた、というところです」


 我々がツェルヴェネコートを見かけたのは、まだ暑さの残る立秋の頃だ。ジバクマの夏を経験した身からすると、森の中ということもありそこまで暑く感じなかったが。


「そうですか。ツェルヴォネコートの最終目撃地点はここからすぐ真南。立石群まで南下せずとも、ここまで巡回することがある、ということです。気をつけたほうがいい」

「ツェルヴェネコートはかなり広い縄張りを持っている。森の荒れ方を見ると、それが分かります」


 南の森は、アーチボルク近辺で最も自然魔力( マナ )の濃い場所だ。そんな南の森であっても、大森林とは比較にならないほど自然魔力( マナ )は薄い。ツェルヴェネコートがドラゴンと同じく自然魔力( マナ )に依存する魔物だとするならば、さぞかし魔力の飢渇に苦しんでいることだろう。森を荒らしたのは、獲物を捕食するためではなく、単なる憂さ晴らしかもしれない。


「ツェルヴェネコートは討伐隊と何度も交戦しています。手負いのベア(クマ)と同じ。人間に尋常ならざる敵愾心を抱いていることと思います」


 ツェルヴェネコートが人間に対して抱いているのは怒りだけではない。恐怖も抱いている。そうでなければ、討伐隊はツェルヴェネコート戦から撤退することができない。恐怖の要因となったのは、討伐隊ではなくフォニアのパーティーかもしれない。


「討伐隊とはどんな戦いになったか知ってますか?」

「聞いた話でしかないけれど、ツェルヴォネコートの攻撃をイオスとバンガンが二人がかりで防いで、それで終わりだったみたいです。他のハンターがいくら攻撃しても、ツェルヴォネコートにはダメージを与えられない。魔法使い二人は味方を守るのに手一杯で、攻撃に回れない。多分何度繰り返しても、ツェルヴォネコート討伐は達成できない。そんなことを言っていました」


 聞いた話ではなく、自分の目で見たのであろう戦闘模様をフォニアは語る。討伐隊の試みは、私の想像通りになっている。


「なるほど。それは聞いておいてよかったです。フォニアさんも何か聞きたいことはありますか?」

「聞きたいことではなく、言っておくことがあります」


 我々と接触を持ったのは、情報交換のためではなく、言いたいことがあるからだった。何を言おうとしている。ツェルヴェネコートは自分が狩るから手出しするな、という忠告ではなさそうだが……


「アーチボルクではなく、もし王都で会うことがあれば、“取引”ができます。モンスターテイマーなら喜びそうな物が色々とある」


 フォニアの本拠(ベース)は王都だ! 小妖精は反応を呈していない。つまり、これも嘘ではない。しかも、取引、ときた。


「……ああ、そういうことですか。王都のどこに行けば会えます?」

「“テンゼル”っていう手配師に聞けば分かる。他の手配師には私の名前を出さないようお願いします」

「覚えておきます。それから、ツェルヴォネコートは私達が先に倒してしまっても、恨みっこなしですよ」

「構いません」


 フォニアは要件を約やかに告げると、颯爽と我々の前から去っていった。




 フォニアの背中が見えなくなった後、ラムサスがおずおずと口を開く。


「……あんなハンターがいるなんて知らなかった」


 ラムサスは自国ジバクマのハンターだけでなく、マディオフやゼトラケインのハンターについてもそれなりに知っている。私はゼトラケインのハンターについて詳しくないのだが、ラムサスが知らない、ということは、フォニアはゼトラケインにおいても有名なハンターではない、ということだ。少なくとも()()()においては。


「ノエル、さっきサインを送った通り、フォニアにはパーティーメンバーがいる」

「そうみたいですね。ツェルヴォネコートを討伐したい、と思っているのはフォニアではなくて、お仲間のほうかもしれません」


 フォニアがどんな能力を持っているかは不明ながら、純粋な戦闘力では決してツェルヴォネコートに歯が立たない。ツェルヴォネコート討伐の能力を有している可能性は、まだ見ぬフォニアの仲間のほうが高いとみた。


「あと、取引って言ってたけど、もしかして――」

「フォニアのパーティーでは、密猟した獲物以外にも色々と売り買いをしているのでしょう。表で流通させ辛い商品なんて星の数ほどありますからね。立入禁止区域に堂々と入る我々を、()()と判断したのだと思います。我々と接触した目的は、情報交換ではなく、広告紙(フライヤー)としての役割を果たすこと。そんなところだと思います」

「密売か。どこの国でもそういうのがある」

「こういうのは自分で窓口を探そうと思うと意外と時間がかかるものです。今日、偶然会えたのは幸運でした」


 闇取引では、合法な売買以上に商売相手を見繕うのが難しい。密売を持ちかける機会というのは、探そうとして見つかるものではない。こういう禁止区域に臆面もなく入ってくる集団(われわれ)には、さぞかし安心して話し掛けられたことだろう。


「えぇー。まさか、王都に戻ったら会いに行く気?」

「そのまさかです。サナは、その剣が折れたり曲がったりしたらどうするのです? 闘衣対応装備の修理や新調をこの国の正規店で行うと、必ず足がつきますよ。ついさっき言った通り、マディオフでは流通監視が厳しいのです」


 ゴルティア軍から鹵獲した武具は少量ある。しかし、質は並であり、固有名持ち武器(ネームドウェポン)相当の耐久性やユニークスキルを持つ物は無い。


 ジバクマとは異なる流通事情を強調され、ラムサスは押し黙る。


「闘衣対応装備だけではありません。魔道具にしても薬品にしても、強力な物や特殊効果を持つ代物は、売買規制がつきものです。密売は表の流通より割高になりがちですが、一次販売者からしてみれば、税金逃れにもなるのです。裏ルートのほうが活発に売買されている品物もあります。目を通しておいて損はありません」

「変な物を買おうとしないでよ」

「変な物ってなんですか? それと我々はここでは貧乏人です。()()に先立ち()()から入らないといけません。そうでなくとも大森林の魔物から得た素材の大半が荷物として眠らせたままになっています。かといって捨てるのも勿体ないし、売りさばきたいものが結構あるのです。長い期間持ち歩いたせいで保存状態が悪くなっていますが、腐っても大森林の素材です。それなりの値段で売れる。不要な物を売り、必要な物を購入する原資を得る。願ったり叶ったりではありませんか」


 この国でリリーバーとしてハントをした実績は無いに等しい。王都に家を借りた後、王都付近で小物を倒して売り捌いただけ。国や手配師は、我々のことを駆け出しハンターであるカッパークラスとして認識しているはずだ。それが、大森林の魔物を狩って骨肉店に持ち込んだり、手配師に売却を依頼してしまったりした日には、我々のハンタークラスが上がってしまう。ハンタークラスが上がると国から目をつけられる。それは避けるべきだ。


 フォニアの伝手を活かして密売買をすれば、我々は国に目をつけられぬまま活動資金を得られる。有用な道具も調達できるやもしれない。フォニアはゼトラケインからの流れ者かと思ったが、もしかしたらマディオフで長年活動している裏世界の人間なのかもしれない。私が融合した人間の中にも闇の住人はいるが、誘拐と人身売買の常習犯、スナッチは数十年前の人間だ。目元の感じからして、二十代半ばのフォニアの名前を知らなくても不思議はない。


「……リー……でよ」


 ラムサスは忌々しげな目をしながら、聞き取れない程の小声で何かを呟いた。


「ん? ごめんなさい、聞き取れませんでした」

()()()()()()()みたいな危険薬物は買うな、と言った」


 ラムサスが口にしたのは、もう長いこと耳にしていない単語だった。久しぶりに吹き込まれた単語が、私の精神の中から色鮮やかな記憶を掘り起こす。


「また随分と懐かしい名前を出してきましたね。言われるまでそういう薬があることすら忘れていましたよ」


 ロディーベリーは生産拠点、生産手法、生産集団、様々な背景が謎に包まれている嗜好性向精神薬( ドラッグ )だ。国によっては違法薬物に指定されている。ジバクマにおいてどのような扱いを受けているか私は知らないが、少なくともここマディオフにおいては売買も使用も禁じられている。


「知っているかもしれませんが、ロディーベリーは十年以上前から新規の生産がありません。元々高価格帯に位置するドラッグだった上に、生産終了に伴い流通価格が急騰しました。現在でも価格の緩やかな上昇基調が続いています。余程裕福な好事家でなければ、もう手は出せません。あまりにもプレミアがついてしまい、人によってはせっかく買っても棚に飾るばかりで服用できずにいるらしいですよ」


 転売目的に買って寝かせておいている人間が相当数いるはずだ。転売とは少し違うが、ワインを代表としたアルコールにも似たような点がある。高級品(レアモノ)を買い、自分では飲まずに宝物庫(アルコールセラー)に飾り、お宝のラインナップを眺めることに愉悦を見出す収集家(コレクター)がいる。そういうのは大抵、収集者本人の死後、遺族によって売り払われるものである。それら全てをまとめれば、現存するロディーベリーはかなりの量にのぼることだろう。


 私は高価なものであれ、手に入れた物は基本的に先ず使用してみる。使用感を確かめた上で、必要な場面では即使う。もっと大事な場面が後に待っているのではないか、と取っておくことはない。これを全くできない人間がいる。ハンターの消耗品である回復剤(ヒーリングドラフト)などがそれに該当する。ヒーリングドラフトはかなり値が張る。効果の高いものになると、シルバークラスのハンターの一日の売り上げ以上の値段だ。高価な品だから、と手を付けることを躊躇い、いざ使用しようとしたときには、経年劣化で効果が落ちている、というのは、誰からともなく言われる教訓的な話である。


「あんな物を飾るなんて、人間の屑もいいところ」


 ラムサスは口汚くロディーベリーとその愛好者をこき下ろす。


「おやおや。サナはロディーベリーを毛嫌いしているみたいですね。あれは確かにマディオフでは法で売買が禁じられていますし、不適切に服用すると死に至る場合もありますが、重大な副作用は例外的です。嗜好品としての向精神薬の中では、人体にとって最も安全性の高い薬品です。副作用が出る条件もはっきりと判明しています。値段や入手難度、法規制など問題は色々とありますが、健康懸念という意味では、アルコールや煙草よりもよほど安全だと思います」


 少し戸惑い気味に私の話を聞いていたラムサスの表情が、見る間に厳しさを増していく。


「ノエル……それ、本気で言ってる?」

「特に変なことを言ったつもりはありません」


 ロディーベリーに関する知識は、アールとして生きてきた中、例えば大学で学んだ知識ではない。こういう出処不明の記憶は大抵、最初に融合した人間、ダグラスのものだ。もう深く考えずとも分かる。


 そういえば、これは公言が憚られる情報だったような気がする。「ロディーベリーが安全に嗜好できる商品」という情報は、愛用者や生産者、研究者からしてみれば、むしろ宣伝すべきものであり、隠すべきものではないのに、なぜ秘匿が求められる? ダグラスはどういう立場でこの情報を知った?


「本当なの? 記憶違いとか、別の薬品と間違ってるとかじゃなくて?」

「ええぇ……? 私の記憶は不安定な部分があるので、絶対とは言い切れませんが……別の薬と間違ってはいないと思います」

「曖昧な記憶で適当なことを言わない。違法薬物(イリーガルドラッグ)の擁護とか、本当にありえない」


 イリーガルドラッグを毛嫌いしている人間は多い。自身や家族が依存症や後遺症に苦しんだり、家庭が崩壊したり、身内に犯罪者や死者が出たり、等々。忌み嫌われるだけの理由がある。だが、国から締め出そうとしたところで、売って利益を得たい人間と買って快楽を得たい人間がいる以上、根絶は難しい。


 ラムサスは軍人。ジバクマで違法薬物の取り締まりを行っているのは憲兵だった気がするが、軍人と憲兵は似たような部分がある。もしかしたら、身内に薬物捜査官でもいるのかもしれない。


「擁護するつもりが無いとは言いません。しかし、今述べたのは科学的な事実です」

「だから! 事実は確固とした記録に基づいて喋って、って言っている!」


 私が口を開く度にラムサスの怒りは激しくなっていく。


 興奮するラムサスを見て少し不安を覚え、周囲の様子を窺うものの、ドラゴンが近づいてきているときのような異常な圧迫感(プレッシャー)はない。ラムサスは、ドラゴンがもたらす恐怖で動揺しているわけではなく、薬物嫌悪……いや、ロディーベリーへの憎しみで昂ぶっている。


「そういうあなたは、その確固とした記録、というのがあるんですか? ロディーベリーの危険性を証明した研究があるんでしょうね?」

「ロディーベリーを服用して死んだ人間が大勢いる。証明なんて必要ない」


 科学的思考力の無い役人のようなことを言い始めた。一般人ならともかく、取り締まる側の人間が科学的思考力や判断力を一切持たないのは問題だ。


「おかしいです。それはおかしい。あなたは今、確固とした記録に基づき喋れ、と言いました。それなのにあなたは自分の感情に基づいて喋っている」

「死んだ人間がいる。それは間違いない。これほど確固とした記録なんてない」


 ラムサスの発言は「パンを食う犯罪(*)」に近い。論拠としては極めて頼りないものである。




[パンを食う犯罪者――「暴力的犯罪の多くは、パンを食べてから一日以内に発生している」という結果から、「パンが犯罪を誘発している」という結論を導き出す論理の飛躍に陥る危険性を説明したもの]




「それ、何かの研究なんですか? ドラッグバーとか自宅で原因不明の急死に至った者を調べたら、ロディーベリー服用歴があった、っていうだけですよね? それは何らロディーベリーの危険性の証明にはならない。結果と結論の差異を理解するのは、科学の基礎の基礎です」

「そんなのは屁理屈! そういうノエルは、ロディーベリーが安全だっていう証明ができるの?」


 ラムサスに追及されることで、私はそういう記憶があったことを思い出す。


「私自身が証明した訳ではありませんが、そういう論文と研究はあります。特に後者は規模が大きく、内容もかなり信頼がおけます」


 ラムサスは荒く息を吐きながら私の話を聞く。精神状態が変動したら、理性が感情を制御しきれなくなる前に鎮静魔法(コーム)を自分にかける、という先日の話を忘れてしまっている。


「前者の一篇はロディーベリーの安全性を証明するための論文です。ロディーベリーは危険なもの、という風潮に一石を投じる刺激的(センセーショナル)な論文として、研究者の間で話題沸騰となりました。それを受けて始まったのが後者の研究です。研究を牽引したのは、論文執筆者のライバルのような人物です。ライバル君は、ロディーベリーが危険な薬物であるという誤った確信を抱いていました。ライバル君は、ロディーベリーの危険性を社会に知らしめることで、最初に出された論文の主要執筆者を社会的に失墜させようとしていたのです。ロディーベリーの比較対象として、ライバル君の帰属先が生産している嗜好性向精神薬を選び、大々的に宣伝(コマーシャル)して研究は始まりましたが、皮肉なことに中間解析で対照薬投与群の死亡率と非致死性の有害事象発生率がロディーベリーを上回ったため、研究は早期終了になりました」

「意味が分からない。私にも分かるように説明して」


 難しい言い回しで煙に巻くつもりなどなく、理解容易な説明を行ったつもりなのに、ラムサスは私の内容を理解できずに逆に更に怒っている。


「分かりやすく説明したつもりなんですが……。もっと砕けた表現に替えます。ロディーベリーが好きで、ロディーベリーを持ち上げる論文を書いた人を、ロディー君と呼ぶことにしましょう。そして、ロディー君のライバルのことを、ここではピスト君と呼ぶことにします。ピスト君は、ロディー君のことを(かね)てから嫌っていました。ピスト君はロディー君を憎むだけでなく、ロディー君が書いた論文は嘘だと思い込みました。また、偶然ピスト君の身内が酒蔵を営んでいたため、ロディーベリーが自分のところのお酒よりも危険な嗜好品であることを研究で証明して、ロディー君を貶めようとしたのです。ここまで分かります?」

「それくらい分かる」


 血走った目で私の話を聞くラムサスに内容がどこまで理解できていることか。


「では、続きを説明しますよ。ピスト君は、『これからこんな研究をする』と周りに言いふらしてから研究を開始しました。周りの人達は興味津々で、研究の経過を見守りました。監視した、と言い換えてもいいかもしれません。最終的な結果が出揃う前に、それなりに情報があつまったところでロディーベリーとお酒の危険性を比較してみたところ、ロディーベリーよりもお酒のほうが副作用発生率は高かった。ここでの副作用は、死に至るものを含んでいます。要は、ピスト君は自分の研究でロディーベリーの安全性にお墨付きを与えたばかりか、自社製品の危険性を世間に大激白する結果になってしまったのです」

「嘘でしょ……」


 私が言いたいことを理解したラムサスは目が点になっている。


「論文は捏造で、研究のほうも、偶然間違った結果が出てしまった、とか?」

「嘘ではないです。論文とは時に捏造されるものではありますが、後者の研究のほうは、原案起草時からかなりの人間の目が入っています。下手に内容を改竄しようとしても必ずバレる。そういう状況で行われた研究なのです。データの一つ一つに裏から手を回していた場合に、事後、それを調べることは困難ですが、ピスト君が手を回すとすれば、お酒の安全性を高める方向か、ロディーベリーの危険性を高める方向のはずです」

「ロディー君が研究に不正介入した、とか……」

「しがない(いち)科学者であるロディー君にそんな後ろ盾はありませんでした。規模の大きな研究結果を変えるほどの“手入れ”は困難です」


 そうだ。だからロディーは最終的に……


 これがダグラスの記憶である以上、ロディーベリーの安全性は数十年以上前に証明されていることになる。それをラムサスが知らないのだから、研究が行われた場所はジバクマではない。


「ただ、論文も研究も、故郷(ジバクマ)とは異なる民族が研究材料となったのだと思います。人種や民族が変わると、薬物代謝の影響で研究結果が変わる可能性はあります。あなたの故郷に限っては、ロディーベリーは本当に危険な薬物かもしれません。それを証明する研究が故郷(ジバクマ)でなされているか、私は知りません」

「じゃ、じゃあさ――」


 ラムサスが口を開きかけたところで、空気に震えが走る。空気が微かに孕む魔力は独特の雰囲気を帯びている。おそらくこれは先日ギリギリまで接近したツェルヴォネコートのもの。危険かつ不穏な魔力だというのに、どこか懐かしさを感じる。先日たった一度、すれ違っただけだというのに、ネームドモンスターの魔力に懐かしさを感じるものだろうか? そうではないはずだ。ツェルヴォネコートの魔力の中にほんの少しだけ混じった微細な魔力、それが私の古い精神を強く刺激している。


「お話の時間はまたにしましょう。この圧迫感(プレッシャー)、ツェルヴォネコートを見つけた人間が魔力を解放したのかもしれません」


 この追懐の情……いつものやつだ。アールの経験ではなく、ダグラスの精神に反応している。ドラッグの研究に興味津々で、魔力にも一家言持つ。思い出せば思い出すほどダグラスは妙な存在である。


「……」


 ラムサスは何も返事をすることなく虚ろな目で南の空を眺めている。


 ジャイアントアイスオーガ戦やドラゴン戦では思いがけずラムサスの能力が役に立った。レヴィ戦では状況を一変させるほどの活躍はしなかったものの、ポジェムニバダンが対人間の戦闘においても力を発揮することを示してみせた。毒壺でポジェムニバダンはここまで役に立っていなかったように思う。もしかしたら小妖精も少しずつ情報探知能力が向上しているのかもしれない。しかし、いくら能力が向上していても、ラムサスがこの様子だと、ツェルヴェネコート戦での活躍は期待できそうにない。


 対ツェルヴォネコートよりも、あのフォニアというハンターの情報を得られるとやり易いのだが……。役に立つどころか、まさか戦闘中に邪魔はしてこないだろうな……


「フォニアと仲間がツェルヴォネコートと戦っているはずです。戦闘に集中しているのであれば、魔法を当てる千載一遇の機会です。これを逃すわけにはいきません。現場に急ぎましょう」


 ラムサスは蒼白な顔で沈黙を守っている。少し考え事があって集中している、という様子では断じてない。


 何が原因で彼女はこうなっている。私が伝えたのは、簡潔に言うと、ロディーベリーが危険な向精神薬ではない、ということだけ。ラムサスは何かを後悔している? ロディーベリーがアルコールよりもよほど安全に快楽を得られる嗜好性向精神薬であることが分かって、ここまで後悔する理由とは何だ。実家で大切に保管していたロディーベリーを危険薬物と判断して廃棄してしまった、とか?


 私の世間離れした人間感覚からすると理解の難しい感覚ではあるが、ラムサスは私よりも金銭に対する拘りが強い。投機価値のある貴重品を失ったことに強い落胆を覚えるものかもしれない。いずれは確かめるべきだが、私が迂闊に尋ねたところでラムサスの精神状態を悪化させることにしかならない。今は後回し。南で始まった戦闘が一段落してから考えることにしよう。


 我々はプレッシャーの発信源である南の方角を目指し、移動を開始した。

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[気になる点] クールな情報魔術師って設定、ラムサス忘れてそう 情緒不安定魔術師だよ〜
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