第ニ三話 最後の旧四柱 一
私がアルバート・ネイゲルという十四、五歳の人間としてアーチボルクでハントをしていた頃に通っていたフィールドは、街の東側か北側だった。カールやダナ、グロッグとパーティーを組んでいたときのことであり、もう、かれこれ十年以上前の話になる。
アーチボルクの東も北もハンターには不人気の狩場である。東の森は、森全体が丸々ゴブリンの住処のようなものだ。ハンターに人気の金銭効率に優れた南の森は、十八歳になってからエヴァと訪れた数回きりで、経験と言えるほどの経験はない。そんな南の森を当時の私が憎憎しく思っていたかと言うと、そんなことは全くない。むしろ、南の森があることにより人間同士の摩擦とは無縁でいられたことに、感謝していたくらいのものである。そのありがたい南の森を、あのときとは全く異なる手足の構成で訪れる。
「この南の森は、大森林ほどじゃないけど、独特の雰囲気がある。空気が違う」
メンバーと言っても、私以外に意志を持って動けるのは、このラムサス・ドロギスニグ一人だけだ。
ステラだけはもう少し頻繁にドミネートから解放してやりたいところだが、ステラは喋れる鳥だ。ラムサスに向かって何を言い出すか分かったものではない。
……今気がついた。ステラの会話能力を活かすことで、離れた場所にいる人間と意思疎通を取れるかもしれない。では、それを何に使うのか、と言われると、必要な状況が思い浮かばない。そういう状況もそのうち生じるかもしれない。一応覚えておくことにしよう。
「自然魔力が濃いですからね。それをサナは、空気の違い、として感じているのでしょう」
詳しくないとはいえ、私は南の森に来たことがある。この森に漂うマナは、当時よりも今のほうが濃いような気がする。ツェルヴォネコートが移住してきた影響を受けているのか、濃いように錯覚しているだけなのか……
「ノエル。今からでも街に戻らない?」
「何故です」
「だって、ウルドをお母さんに会わせてない……」
父と母を再会させるべき理由。そんなものはいくらでもある。私が大森林で父を発見したときは真っ直ぐに家に連れて帰るつもりだった。しかし、今は違う。二人を再会させることに私は強い恐れを抱いている。あのときは具体的な想起が足りず、それがどれだけとんでもないことか分かっていなかった。
「ツェルヴォネコートを倒そうって言ったのは私だけどさ。でも、今まで大丈夫だったのだから、そこまで急ぐ理由はない。お母さんの了解を得てからでも、ツェルヴォネコート討伐は十分に間に合う」
「ウルドの容態は安定しています。急ぎ会わせる理由はない。それに対し、ツェルヴォネコート討伐を急ぐ理由はある。特別討伐隊がいない今のうちでないと、フィールドの状況を把握するのが難しい」
アーチボルクを訪れた我々はキーラの家に向かうことなく、情報収集のために手配師の所を訪れた。若手という年齢は過ぎ、中堅、壮齢の手配師となったラナックの下に情報を求めに行ったのだ。
アールとして話すときとは違い、ルカと話すラナックはさして友好的ではなかった。手配師という人間全般がよく見せる突慳貪な対応をするラナックを見た私は、自分の心が冷え込んでいくのを感じた。アールに親しげに話し掛けてきたラナックにはそっけなくしておきながら、こうやって他のワーカーと同じく粗略に扱われると寂寞の念を抱く。自分の心ながら、随分と臍曲りである。
我々に遅れてナフツェマフやリブレンの街に到達した特別討伐隊は、近隣の魔物を掃討した後に南下し、フライリッツを経由してアーチボルクに到達した。
つまり、マディオフ本領に入り込んだ大氾濫の波は、粗方が消波された、と考えていい。その残った波の筆頭が、アーチボルクの南の森を新たな根城に定めたツェルヴォネコートである。
特別討伐隊はツェルヴォネコート討伐のため、アーチボルクを拠点として攻撃を繰り返している。
「ウルドは喉を焼かれてしまっている。ドミネートからウルドを解放しても、お母さんにはノエルが事情を説明しないといけない。悪報ばかりをもたらさなければいけないことをノエルは恐れている。そうだよね?」
「どうぞ好き勝手に想像してください」
一から十まで私の心を当てるな。不愉快千万である。しかも、ラムサス相手だとはぐらかすこともできない。情報魔法使いに痛い腹を探られるのは面倒極まりない。何度警告しても、ラムサスは探りを入れることをやめようとしない。頭の中で持論を展開するだけで、どうして満足できない。
「この森の惨状を見ても、チンタラしていて構わないと思うのですか?」
ツェルヴォネコートが座するのは、南の森の中心から南に少し外れた場所、無数の奇岩が立ち並ぶ立石群の地点である。そこは、森とは呼べない樹木の生えない場所だ。腹が膨れているときは立石群の中で眠り、腹が減ると森の中へ脚を運ぶ。レッドキャットの中でも極端な火魔法の使い方をするツェルヴォネコートが森で好き勝手すると、森は瞬く間に荒れていく。季節柄、雪に覆い隠されて目立ちにくくなっているものの、雪と樹氷の下にある木の多くは山火事後のように燃え尽きてしまっている。
「大森林と違って、この辺りの植物が火によって受けたダメージから速やかに回復できるとは思えない。この森に元々住んでいた魔物と、それを糧にしていたハンター達からしてみれば、至急を要する事態だとは思う」
春になり雪が溶ければ、ここがどれだけ無残なことになっているか瞭然となる。
「継続的にハント可能なフィールドを守る、という意味で急がなければならない理由は理解できる。でも、ノエルが両親の再会を諦める理由にはならない」
言い逃れることが無理なら、理詰めで黙らせることも不可能だ。ならば黙らせる明快な方法はただ一つ。
「サナ。私はとても不愉快です。その話は即刻やめてください」
ラムサスは渋々、私を問い詰めることをやめた。エヴァほどの理性的な人間であっても感情論のほうが効果的だった。感情をぶつけると、女は往々にして衝突を回避する。
「レッドキャットは火を操る魔物ですからね。火に耐性のある植物や、回復力の旺盛な植物の多い大森林ならともかく、ここにツェルヴォネコートが留まると、『森の死』は避けられません」
大森林の植物は、火災による死と再生の繰り返しを前提とした生態系が完成している、と聞く。だが、その仕組みは、おそらくこの森にはない。森が死ねば魔物の多くはこの土地を離れる。残るのは、東の森や北の森以下の小さな魔物とゴブリンくらいのものだろう。
フィールドの喪失は、ハンターの流出を意味する。そうなれば、アーチボルクという街はフライリッツのように衰退していく。墳墓という修道士養成地点がある以上、衰退は一定のところで止まるだろうが、生まれ育った街が弱り細っていくのは気分が良いものではない。しかし、それも言い訳だ。私は母と相対するのが恐いから、より恐くないツェルヴォネコートに逃げているに過ぎない。自分の弱い心にうんざりする。
「特別討伐隊がツェルヴォネコートを討伐していてくれれば嬉しい限りだったのですがねえ……」
「討伐隊の主力はイオスとバンガン。そのイオスが若く血気盛んだった頃に討伐を断念した魔物がツェルヴォネコート。ハントのパーティーならいざ知らず、特別討伐隊と組んだってツェルヴォネコートは倒せない。私だってそれくらい分かる」
イオスもバンガンも後衛だ。特別討伐隊にはミスリルクラスの前衛がいない。後衛同士が仲良く手を組んだところで、モブはともかく、本当に強い魔物を相手にすることはできない。
マディオフ軍にミスリルクラスの前衛はいる。ネイドとリディアの二人、カーター親子がそうだ。しかし、二人の領分は対人戦。魔物相手に強さが真価を発揮することはない。魔物を討伐するどころか、魔物相手にどれだけ自衛できるか分からない、というものだ。
ジバクマのアリステル・ズィーカを見ればそれがよく分かる。アリステルはチタンクラスの能力がありながら、毒壺下層の魔物相手に苦戦していた。魔力硬化症という病に冒されていなかったとしても、クロールドラゴンは倒しきれていなかっただろう。しかし、アリステルが軍人ではなくハンターであったならば、クロールドラゴンは倒せていたはずだ。それ程、経験の差というのは大きい。大森林最強のネームドモンスター相手に、軍人のミスリルクラスは前衛として役に立たない。それは間違いない。
「適当な前衛不在の苦しみに喘いでいるのは我々も同じです」
「それも街に戻って、武具店で防具を買えば解決すると思う」
「ここはマディオフです。闘衣対応装備の流通規制は他国よりも厳しい」
シーワの防具はレヴィ戦で派手に壊されてしまった。簡単に補修はしてあるが、所詮は素人修理。ゴブリンの攻撃を弾く程度はできても、ネームドモンスターの攻撃から身を守ろうなどとは絵空事に他ならない。
私が大手を振ってマディオフの街で闘衣対応装備を売買できる立場にあったとしても、高い次元における攻防の中で身を守るための防具は、かなりの上物でなければならない。そんな物を買えるほどのマディオフの金は所持していない。金があったところで、アーチボルクにはそこまでの良品を置いていない。つまり、防具を求めてアーチボルクの街を彷徨う理由は、それこそ本当にないのだ。
「頑固なノエルを説得するのは難しい、か。そういえば、ノエルはあの日、ドラゴンから逃げるツェルヴォネコートの実物を見たんでしょ? そんなに余裕で勝てそうだったの?」
「見た、と言っても、そこまで詳細に能力を観察できたわけではありません。体高はジーモンの倍以上ある大きなレッドキャット。毛皮はきらびやかで、並の個体よりも美しい。視認することで得た情報はその程度のものです」
ステラの目では魔力が見えない。ツェルヴォネコートがどれほどの魔力を有する魔物なのか、私は分かっていない。兎に角戦闘力がベラボウに高いのは分かっているのだ。魔力量が極大なのか、極大以上なのか分かったところで、こちらが取る選択が大きく変わることはない。
「我々は大森林の三柱のネームドモンスターと戦いました。しかし、一柱と戦っても、別の一柱との戦いが容易かどうかの参考にはなりませんでした。それぞれに手を焼かされたものの、手の焼かされ方は全て異なっていました」
「そんなときこそ大事なのが情報」
それについてはラムサスの発言に一理ある。情報は欲している。
それにしても不思議だ。特別討伐隊はツェルヴォネコート相手に何度もアタックを繰り返している。今は討伐隊が負ったダメージを回復させるためにアタックを控えている状況らしいが、何度もアタックを繰り返す、ということは、その都度ツェルヴォネコートの攻撃を何とかして捌いた、ということを意味している。
ミスリルクラスの前衛がいない特別討伐隊は、どうやってツェルヴォネコートの攻撃を防いだのだろうか。大方イオスの水魔法とバンガンの土魔法を駆使したのだろうが、本当にそれだけだろうか。違うような気がする。何らかの手法を用いたとして、その手法は我々にも再現可能なものなのか。何か我々の知らない情報がありそうだ。それも、思いがけない情報が……
もしも強くて勝てない魔物だったとしても、生命を持ち、実体を有する魔物だ。実体を持たない魔物、例えばジバクマのフヴォントに出現した土煙から砂嵐状の魔物、ドライモーフとは全く違う。生命を持っていることそのものが最大の弱点だ。呼吸をする。睡眠を取る。餌を食う。付け入る隙はいくらでもある。
バズィリシェクを倒したように、毒で倒せると楽だ。しかし、交戦中に毒を盛るのは難しい。しかもレッドキャットは火を操る魔物。植物や魔物から抽出した毒の大半は熱によって変性し、毒性を失う。仮に有効であったとしても、ツェルヴォネコートは身体の大きな魔物。全身に毒を回らせるためには、毒もかなりの量が必要。そんな大量の毒をどうやってツェルヴォネコートの体内に入れてやればいい? ルドスクシュアンデッドでやったように、毒入りの供物でも作るか。
化学毒も、加熱によって物性瘴気に姿を変えるものは使いづらい。こちらが被毒してしまう。自分より圧倒的に強い相手を常に風下側に置くように動き回り続けるのは困難だ。本気で毒を絡めた討伐計画を実行に移すのであれば、長い目で見ないといけない。
「本日の取り敢えずの目標は、立石群にいると思われるツェルヴォネコートを発見し、様子を窺うことです。一日で無理に仕留めようとは思いません」
「それには賛成。それで、討伐が長期化して、討伐隊が戦線に復帰したら共闘する?」
「ビェルデュマ戦前に相談した通り、それは難しいところです。討伐隊は標的をツェルヴォネコートから我々に変更するかもしれません。マディオフ人のアンデッド忌避は相当なものです。ツェルヴォネコートを討伐しきれない討伐隊とはいえ、その中にはミスリルクラスのハンターが二人いるのです。我々を脅かす高い戦闘力を持っていることに疑いはありません。こうして考えてみると、イオスにアンデッドあることを告げたのは早まった行動だったかもしれません」
「ノエルがイオスと公平、対等な関係でいることを望んでいる以上、仕方ない」
最近のラムサスは気色悪いほど私の思考を当ててくる。イオスとの遣り取りなど半年近く前のことだというのに、こういう人間関係のエピソードに纏わるラムサスの記憶力は空恐ろしいほどに優れている。
イオスとバンガンと戦闘になった場合、どうやって二人を倒せばいい? ビェルデュマ戦で見せたイオスの魔法を見ても、イオスは未だに私を遥かに上回る魔法使いだ。バンガンもイオスに相当するならば、我々は魔法戦において勝ち目がない。どうにかして近接しないことには、魔法で一方的に嬲り殺されるだけだ。
それに、ギリギリ魔法を掻い潜っても、周りの隊員が介入してくるはず。チタンクラスのハンターや軍人だと、私の剣を少なくとも数合は防ぐ。それだけ時間を稼がれてしまうと、バンガンとイオスに悠々魔法のチャージを許すことになる。……やはり厳しい。手加減している余裕など無い。ゴルティアの西伐軍第一軍を破ったときのように先制して魔法を当てないことには勝ち目がない。二人の動き方を見てから対応していたのでは、我々の敗北は必至だ。討伐隊を発見した瞬間に逃げるか殺すかの判断に迫られる。
討伐隊はツェルヴォネコート相手に接触と離脱を繰り返している。ならば、我々は特別討伐隊が離脱した時機を狙ってツェルヴォネコートに攻撃を仕掛ければいいのではないだろうか。特別討伐隊から襲撃されるおそれはなくなり、しかもツェルヴォネコートは討伐隊との戦闘後で消耗していることになる。これは妙案かもしれない。
「……特別討伐隊と共闘はせずとも、一方的に利用する形を取るのであれば、後に街に戻って情報を集め直すのはアリかもしれません」
私の考えが少しラムサス側に傾いたことにより、ラムサスの表情がパッと緩む。
「でしょ? じゃあ早速――」
「フィールドは探索しておきます。この土地は私にとって馴染みが薄い場所でありながら、アーチボルク出身の特別討伐隊員にとっては庭のようなものです。そんな場所でネームドモンスターと挟み撃ちにされるなど、あってはならない。討伐隊が確実にいない今のうちに、地勢を把握しておきたいです」
ホレメリアの対策本部から入手した隊員名簿には、アーチボルク出身のハンターが何人も名を連ねていた。そういえば、徴兵同期のスヴェンもあの中にいたな……
スヴェンはチタンクラスの風魔法使いだ。討伐隊には土、水、風の魔法使いが揃い踏みだ。ツェルヴォネコート抜きでも、これを倒すのは相当難しい。
「偵察だけのつもりでいても、ツェルヴォネコートと戦うことになるかもしれない。ああ、でも、ベネリカッターで一撃か」
「当たれば、の話です」
「あんな速い魔法、避けるのは難しい」
「サナ……矢避けを思い出してください。あれは近距離の場合、矢が放たれたのを見てから避けていては回避が間に合わない。しかし、現実にはいくらでも躱せます。それは、ベネリカッターを撃つ場合も、敵に避けられる可能性が十分にあることを意味しています。建物とか、鈍重な部隊とか、避ける手段を持たない標的には百発百中で当てられたとしても、レッドキャットのように俊敏性の高い魔物にはそうそう当てられない」
バズィリシェクやジャイアントアイスオーガに放ったときだってそうだ。避けられない状況を作り出すとか、避けにくいタイミングで放つからこそ命中させられる。ツェルヴォネコートにベネリカッターを撃つならば、それに適した状況を作り出さなければならない。
当たりさえすれば必殺だ。ベネリカッターに次いで威力が高いのは剣技のジオバスターだが、格段に威力が落ちる。レヴィ・グレファスはデュスピューションで相殺したとはいえ、ジオバスターの余波を略無傷で切り抜けた。こう考えてみると、私はベネリカッター以外に強大な敵を倒す破壊力に秀でた攻撃手段を持っていないことになる。ダークエーテルといい、ウリトラスから学んだナパーマクラスターといい、格下を多数狩ることに特化した技術ばかりだ。同格か、それ以上の相手と戦うための、信頼のおける攻撃手段がない。こういう部分が汎用型の弱点だ。
「倒す手段がないのに、見つかってしまったとき、振り切って逃げられるか不安……」
「足の速さで逃げようとしたって無理ですよ。ツェルヴォネコートの入ってこられない穴、亀裂部、洞窟とか、そういうのを先に見繕っておく。そのための探索でもあるのです」
「私達って、本当にマウルだ」
「弱いものは泥臭く戦うしかないのです」
ラムサスは呆れた目で私を見て左右に首を振った。
事前打ち合わせ、という名目の雑談を切り上げ、雪深いフィールドを進んでいく。冬という季節とツェルヴォネコートの存在という二つの要因により、フィールドには魔物の気配があまりしない。ハンターの姿もどこにも見当たらない。
特別討伐隊の治療が何かの間違いで早くに完了し、もうフィールドに出てきていたとしよう。特別討伐隊の本隊はどうせ纏まって行動する。集団行動を取っている連中を見つけるのは難しくない。難しいのは、本隊から離れてソロで行動している野伏を見つけることだ。
昔のことを思い出す。エヴァと出会い、しばらく東の森でゴブリン退治に勤しみ、オグロムストプ相手に剣を折った後、初めての闘衣対応剣を買ってもらった。ヴィツォファリアを入手して初めて足を運んだフィールドが、この南の森だった。
それまでフィールドで同業ハンターと出くわす経験に乏しかった私は、この森で何度も人間の視線を感じ取った。それによって、私の隠密能力はまだまだなのだ、と思い知ることができた。
懐かしい記憶である。私が同業者を見つけるよりも先に、同業者のほうが先に私を見つけて私に視線を送ってくるのだ。私は気配察知ではなく視線感知で相手の存在に気付く。そう、こんな感じに……
おや?
昔、この森で他者から視線を向けられたときのことを追想をしていると、今正に我々に向けられる視線があることに気付く。
私は索敵能力にかなりの自信がある。気配察知能力もそうだし、傀儡を活かした視野の広さはいかなるハンターにも、魔物にも劣らない。アンデッドという特性上、気配遮断能力もそれなりに高い。相手に先に察知される、というのは、ここ最近無かったことだ。
相手はどこだ。どこにいる?
周囲の気配を丹念に探る。こちらを観察する視線は、ごくわずかな感覚しか放っておらず、どの手足が拾い上げた視線なのかすら最初は理解できない。しかし、少なくともこれは四脚の魔物の視線とは違うものだ。ゴブリン等の亜人か、あるいは人間か。人間の場合、特別討伐隊の一員である可能性が高い。
拙いな……逃げるか? 逃げるにしても、ただ逃げるのではなく、相手の情報をもう少し得てから逃げたいところだ。特別討伐隊にこれほど索敵に秀でた者がいるとは思ってもみなかった。腐っても、大森林の魔物相手に戦ってきた連中なのだ。野伏能力だって、ミスリルクラス相当の者がいてしかるべき。私の見込みが甘かった。
自らの甘さを戒めながら、更に慎重に視線の主を探す。視線が発せられた場所をステラの目で観察すると、そこには一つの人影があった。ステラが人影を見つけた瞬間に、その人物もまたステラに視線を送る。視線感知能力も高い。ゴルティアの遊撃小隊の副隊長、コリン・サザンランドも我々の視線を感知していた。私は自分の気配遮断能力を過信していたようだ。高い能力を持つ相手に通用しないのは、戦闘力に限らない、か……
「人間が一人、近くにいます」
「討伐隊!? 治療のために街に戻っているはずなのに」
「おかしい……。他に仲間が見当たりません。討伐隊ならば本隊がどこかにいる。しかし、周りにそれらしき集団はいません」
「討伐隊以外で、ここにいる人間……何が目的で……」
その人物は雪上行動で目立たぬ白い装備を身に纏い、顔はマスクで覆っている。出で立ちが軍人や衛兵とは全く違う。こいつはハンターだ。
現在、アーチボルク南側には立ち入り禁止令が敷かれている。出入りが許可されているのは特別討伐隊だけ。
まさかそれを知らずに迷い込んだ人間という可能性はあるまい。特別討伐隊以外で、この場所にいる理由……ハンター……ツェルヴォネコートを狩りに来た?
「見た目はハンターです。ハンターがこの場所を訪れる理由。少し前に王都を騒がしていたクリフォード・グワートがツェルヴォネコートを狩りに来たのかもしれませんね」
クリフォードは約二ヶ月前から姿を消している。ツェルヴォネコートを狩るために王都を離れ、アーチボルクに来たのかもしれない。
「そんなタイミングよく? むしろ逆かもよ」
「逆、とは?」
「ツェルヴォネコートを狩るために来たのではなく、ツェルヴォネコートを狩ろうとする特別討伐隊を狩りに来たのかも」
クリフォードが異端者であれば、ラムサスの考えは荒唐無稽なものではない。正解かどうかは別にせよ、私には思い浮かばなかった考えだ。
「手配師はそんなことを言っていませんでした。魔物との交戦で負う傷と、人間と戦って負う創は全く異なります。討伐隊が人間から襲撃を受けたとして、手配師がそれを隠す理由はない」
「情報統制かも。しかも、それがロイヤルカースを利用したものであれば、私の能力でも見抜けないかもしれない」
またロイヤルカースか……。可能性、可能性、可能性……。ロイヤルカースについても調査を進めないと、要らなく気を揉まされ続けることになる。アーチボルクの問題を片付けたら、ロギシーンに向かう前にロイヤルカース関連の情報も少し集めたほうがいいだろうか?
「むっ……。これは想定外。こいつ、近付いてきました」
「えっ……見つかったの? 拙いよ、逃げなきゃ」
「とっくに見つかってるんですよ。近付いてくる、ということは、既に仲間に合図を出した後なのかもしれません」
我々の視線を感知するほどの鋭敏な感覚の持ち主だ。そんなこいつが、我々のことを自分のパーティーメンバーと勘違いしている、ということはないはずだ。正体の分からない相手に無闇に近付かないのは鉄則。それを無視して近付いてくる、ということは、我々がこいつに敵対的行動を取った場合に対応する自信がある、ということ。
「仲間がいるのであれば、我々は闇雲に逃げるべきではないでしょう。罠に追い込まれることになりかねません」
私は、その人間と接触を持つことに決めた。
「サナ、あまり良くない予感がします。顔を隠してください」
「そういう予感がするなら逃げてよ……。仕方ないなあ」
変装魔法をほどこしていても、魔道具や魔法、特殊なスキルによって看破される可能性がある。なにせ、私が自作した魔道具でも私の変装魔法は見破れる。
最初の世代であるイオスに贈呈した魔道具だと、今の私のディスガイズを見破ることはできないが、最新世代はかなり性能が上がっている。控え目にみても上級魔道具と同等、贔屓目にみて、高級魔道具相当の性能があるはずだ。
この謎のハンターがクリフォード・グワートならば、できるかぎりここで倒しておきたい。しかし、それは難しいだろう。クリフォードはミスリルクラスのハンターであり、単純に強い。そして、それ以上に問題なのは、クリフォードが何らかの手段で王都の治安維持部隊の追跡から上手く逃れている、ということ。クリフォードは、逃走に適した未知の能力を持っている。ただし、仮にここで逃がすことになったとしても、収穫が得られるかもしれない。逃走手段だけはなんとしてでも掴むのだ。そうすれば、本格的に討伐する際に前もって逃走経路を防ぐための術を考案できるかもしれない。これは、今後を見据えるという意味でも、大切な接触だ。
こちらへ近付いてくるソロハンターに向かって、我々も足を踏み出した。




