第二二話 饗宴の裏面
レヴィ小隊との交戦後、雑木林に逃げ込んだ我々を監視する目が無いことを入念に確認した上で、前もって作っておいた坑道に潜り込む。
サル共が我々のことをマウルと呼んでいなければ、この坑道も作っていなかったことだろう。これも私なりの当てこすりなのかもしれない。
「いやー今日は大変でした。我々の被害もそれなりに大きかったです」
「ジーモンが倒されてしまった……」
ジーモンは絶命後、アンデッド化した上で再び遊撃小隊に倒された。もう復活することのない、完全な滅びだ。
練習量の差が出た。私の傀儡はレッドキャットが一頭、ブルーウォーウルフは二頭。黙っていても、二者のドミネートの操作量には倍の差がつく。しかも、ジーモンが加入したのはフルードよりも後だ。レッドキャットの操作習熟度は、ブルーウォーウルフの半分以下。私の稚拙な操作では、遊撃小隊の攻撃を凌ぎ切ることができなかった。
折角身体能力の高いレッドキャットだというのに、そこは四脚の魔物。操っているのが私である以上、剣を持って戦うことのできるクルーヴァ未満の戦闘力しか発揮できない。
私には、剣や魔法で戦う絵面を脳内に描くことはできても、爪や牙で戦う絵面はあまり描くことができない。私が戦闘イメージを持っていないとなると、傀儡が抱く戦闘イメージを活用することになる。これがまた問題なのである。
フルードとリジッドは、私にドミネートされる前から「多対多」の戦闘経験がある。ブルーウォーウルフという種族も関係しているだろう。ウルフは基本的に群れで狩りをする。
レッドキャットは違う。レッドキャットは単独で狩りをして一体の獲物を仕留める。そういう魔物だ。周りの仲間と呼吸を合わせて、敵集団に立ち向かうことなどない。身体能力の高さや気配遮断能力に関してはブルーウォーウルフ以上でも、今回のような集団戦には長けていない。それどころか、集団戦が始まると逃げ出すことしか考えない。
悪い条件が重なった上、私の操作もおざなりになってしまった。何しろレヴィ・グレファスは強かった。奴と戦うために集中力の大半を持っていかれた。
「仕方のない犠牲です。骨や肉を断ち切られるのを防いだ代わりに薄皮が切られた。そう考えましょう」
ジーモンが滅びた代わりにレヴィから受けた損害はあの程度で済んだのだから、上出来と言っていい。
「ジーモンを薄皮呼ばわりしないで。それに、あなたが薄皮と軽侮するジーモンは、私よりもずっと強い」
ラムサスは慍色で声色低く私の悪口を非難する。
良くない傾向だ。ジーモンは私の道具であり手足だ。手足の一本が断たれた程度のことに深痛を抱くようでは、この先、起こると予想される出来事に精神が耐えられない。
サル駆除と饗宴の準備に夢中でここしばらく忘れがちになっていたが、ラムサスの精神状態は現在どうなっているのだろう。
マディオフ入りした後、しばらくの間、病的とまではいかない軽躁、半陶酔境になっていた。王都に行ってドラゴン出現の報に接するまでは、ずっとそのような状態が続き、アーチボルクで私の正体を知ってからは少し変わった。
この頃から軍略コンサルタントを自称し始め、対等な立場からの意見、ともすればやや上から目線での発言が増えた。訓練時以外、師弟間の礼節などどこにも無い。
ただ、そこに不安定さがあるか、というと、むしろ安定感がある。ラムサスがそうあろうと心掛けているような気さえする。
「別にジーモンを侮蔑したつもりはありませんし、サナと傀儡を一緒くたにしたつもりもありません。あと、魔物の戦闘力と自分を単純比較するのは、ヒトの知力を活かした生産的な思考とは言えません」
「私が言いたいのはそんなことじゃ――」
「サナ、私は何度も言いました。我々に肩入れするな、と。これから手足を何本も失う状況はいくらでも考えられます。それをイチイチ悲しんでいてはなりません」
「命知らずなやり方をしていれば、それはそうでしょ。あなたはどうして遊撃小隊を倒さなかった? 何の目的があってあの小隊を見逃したの」
レヴィ・グレファスと小隊は、訳あって見逃した。レヴィ個人に恨みはないが、奴と小隊の置かれている境遇は興味深い。今後の小隊の行く末は、場合によって私の満足度を大きく高めてくれる。そんな稀な特徴を有している。手間は何倍にも膨れ上がるが、成功したときの喜びもまた格別だ。
それにしても、アデーレ戦もレヴィ戦もボロボロだった。私は最初、アデーレを威力型の剣士かと思ってしまったが、評価を改める必要がある。アデーレの一撃はレヴィよりもずっと軽かった。しかも、シーワとフルルの手足二本がかりで攻めても、かなり粘られた。本気で攻めなかったとはいえ、剣の技量の差が顕著に表れた一幕だ。レヴィの剛剣を思えば、確かにアデーレは技巧派の剣士だ。
レヴィの剣術の巧緻性はアデーレ以下だが、膂力と魔力が桁違いだ。ジャイアントアイスオーガが剣術を習えば、あのような剣を撃つことだろう。レヴィと相対するシーワは一方的に攻撃されるばかりだった。アンデッドでなければ継戦不能に陥る一撃を、途中で何度も受けた。疲れを知らず、怪我や痛みで動きの鈍らないアンデッドだからこそ耐えて戦い続けられただけ。
ミスリルクラスの剣士と戦う過酷さを思い知った。アデーレとレヴィを二人同時に相手取る、とか、護衛軍のジュール・ゴーダ、あるいは第二軍のディオ・ファイトと同時に戦うことになっていたら我々は敗北していた。今後はもっと慎重に動かなければなるまい。
「あなたの行動にはいつも何かしらの理由がある。小隊を生かしておいた理由を教えてほしい」
ラムサスは、少し沈黙時間を作ってしまった私に理由を話すよう促す。
「詳しく説明するつもりはありません。一言だけ言っておくならば――」
ほんの少しの示唆でもラムサスは私のやろうとしていることを理解するかもしれない。理解したところで必ずしも妨げにはならないだろう。分かろうが、分かるまいが、ラムサスはおそらく反対する。
「小隊を、あるものに見立てた。それだけのことです」
私は“返済”を行っているのだ。似たものを探すのは自然な話である。
「やっぱり教えてくれない。それじゃあドラゴンはなんで砦に現れたの? ドラゴンがウルドじゃなくて砦を襲う理由。それが分からない」
ラムサスの知力は、戦争には適していても戦闘には不適。国家間紛争や人間関係の駆け引きについては考えられても、魔物や魔法、魔道具についてあれこれ考えるのには向いていない。だから、私が何をやったか分からない。私の手札を知悉していない、とはいえ、我々と行動を共にするようになってから得た知識だけでも、ドラゴンの行動を操る方法は考えつきそうなものだ。ラムサスは、ハンター的な思考回路を持っていない。むしろ、だからこそ意見を聞く価値がある、とも言える。私と同じことしか考えないのであれば、コンサルタントとしては無価値だ。
「ドラゴンは今でもウルドを食らおうとしている。しかし、あのドラゴンは阿呆なんですよ。人間の見分けがついていない。魔力を追いかけているだけ。それを逆手に取ったのです」
「私達は一度もヴェギエリ砦に行ったことがない。もしかして……ベネリカッターにウルドの魔力が混じっていたことが原因?」
「その可能性も零ではないでしょう。しかし、ウルドはその後、雪原で火魔法を何度も使ったのに、ドラゴンは魔法の最新の行使場所である雪原ではなく、砦に降り立ちました。ドラゴンがどう動くか、我々にとっても賭けでしたが、目論見通りに動いてくれました」
ドラゴンはウリトラスの魔力に反応し、大森林から飛来した。大森林からこの場所に到達するまでの時間は概ね私の読み通り。むしろ少し早かった。検証第一弾は成功、他にもまだまだ検証したいことがある。
「どんな小細工をしたのか分からないけれど、間違いがないのは、ノエルが危険な選択をした、ということ」
「どのみちあのドラゴンは倒すのです。滅びる前には役に立ってもらいます。それに悔しいじゃないですか。ゴルティアはドラゴンを利用したのです。我々も上手く利用できなければ、道具の扱いにおいてサル以下ということになります」
「ドラゴンを侮っていると、私達のほうが先に滅びることになる!」
何時になくラムサスは食って掛かる。鎮静魔法の効果が切れてきたのかもしれない。
「ドラゴンに付け狙われている以上、侮らなくとも滅びは我々の間近にあります。あと、言いたいことは言ってもらって構いませんが、少し過熱気味です。ドラゴンの圧迫感にあてられてはいませんか?」
「プレッシャーを免れても、あんな無謀なことをされたら、過熱もする!!」
ラムサスは僅かに闘衣を纏わせた拳で、彼女を背負うイデナの肩を叩いた。
恐慌代わりに、憤怒気味に興奮し過ぎたラムサスにコームを施すと、ラムサスは落ち着きを取り戻していく。
「ご、ごめん……」
「強い感情によって正気を失う前に、自分にコームをかける練習もしておいたほうがいいですよ。イザというときの備えになります」
「……機会があったらやっておく」
興奮状態から覚め、逆に気落ちして静かになったラムサスを背負い直し、歩くには向かない坑道の壁を断崖踏破のスキルを駆使して這い進む。
断崖踏破のスキルを持たないラムサスは、壁を伝うイデナにしがみ付くのもそれなりに苦労している。イデナに強くくっついたまま、ラムサスは小さな声で尋ねてきた。
「……レヴィ・グレファスにシーワが放った技。あれは何ていう?」
「名前なんて無いかもしれませんよ」
触れてほしくない話題にラムサスは切り込んでいく。
「あるんでしょ?」
壁を伝っていても小妖精はフワフワと平気でついてくる。小妖精がいる以上、嘘をついても時間の無駄。それどころか、ラムサスの不信を招くことにしかならない。……もしも、我々が空を飛んだ場合、この小妖精は浮かび上がってついてくるのだろうか?
意味のない思考に少しだけ逃避しながら、観念してラムサスの問いに答える。
「……あの技はジオバスターと言います」
「そう……」
ラムサスの声は震えていた。
「ノエルがドノヴァンを殺したの?」
ジオバスターはジバクマの軍人、ドノヴァン・レイハが習得していた必殺技だ。使う今の今まで、私は技の名前すら思い出せなかった。
私はドノヴァンを殺してなどいないが、ジバクマ人にとってそんなことは関係ないだろう。私に答えられるのは、“融合”直前の遣り取り程度のものだ。どうせラムサスは殺すのだ。教えてしまっても後々の問題にはならない。問題はラムサスにとってドノヴァンがどの程度大切なのか、ドノヴァンの末路を理解することが精神の負担にならないか、ということだ。
「私は殺していません。ドノヴァンが最期の時を迎えることになったあの場所……大聖堂に私が駆けつけたとき、ドノヴァンは襲撃者との戦闘によって瀕死となっていました。聖女でもないかぎり癒やすことのできない致命的な傷を負い、私と数分と会話することなく意識を失い、後はそのまま肉体が死を迎える。そういう状態にあったのです」
ジェダだけでなく、ラムサスもドノヴァンのことを知っている。ドノヴァンはラムサスにも英才教育を施していたようだ。私がラムサスの成長を喜ばしく思うのは、ドノヴァンの精神の影響を少なからず受けているからなのだろう。
「ドノヴァンは苦しんだ?」
「私に取り込まれる瞬間まで、意識の無いまま苦悶していました」
「そっか……」
私には人の死を悼んだ記憶がない。だが、訃報を乗り越えるには、それなりの時間と過程を要することを知っている。ドノヴァンの件は、ジバクマ人にとって死亡宣告以上に残酷な内容だ。ラムサスはおそらく傍目から分かる以上に落胆している。饗宴がそれなりに成功したことを喜べる雰囲気ではなくなってしまった。
「怒っていますか?」
「凄く……凄く残念なだけだよ。ああ、そうなんだ、って……」
憎ければ憎いと、腹が立つなら腹が立つと言えばいい。それを、こうやって角が立たないように気を回すから、一層の精神的な負担を抱えることになる。
「そうですか」
イデナに背負われたまま、ラムサスは黙りこくる。
誰一人言葉を発しない静かな坑道の壁を這い進む。道とは名ばかりで、底面に人間が歩くに適した踏み場はない。通路の上側は這って進むのに十分な広さがある一方、下側は鋭角にすぼんでいる。断崖踏破のスキルがある我々には、壁か天井があるだけで、十分な道になる。人間が歩きやすい床面は不要。むしろ、床面を歩くも走るも難しい状態にしておけば、我々しか移動に使うことのできない“専用道”が完成する。
この坑道は、ドラゴンが我々を標的とした場合や、ゴルティア軍に追い詰められた場合に逃走経路として用いるつもりで造った。特別に価値を発揮することのなかった坑道を進み、終端から外に出る。この地点はヴェギエリ砦からも街道からも離れている。地表には雪が膝高以上に深く積もっている。損害軽微な遊撃小隊や、あるいは無傷の第二軍であっても、ここまで追ってくる可能性は低いだろう。
「大損害とまではいかないかもしれませんが、ヴェギエリ砦に集結した西伐軍には楔を打ち込みました。その楔を深く打ち進めるもよし。別の方角から新たな楔を打つもよし。選択肢は色々です」
「……」
ラムサスはボンヤリとしたまま、何も答えようとしない。
「聞こえてますか、サナ?」
「ああ、うん。そうだね」
ラムサスは目元をローブの端で押さえ、億劫そうに答える。
この状態のラムサスに相談するのは無意味。才気縦横の方略を示すことは絶対にない。何とかして心を慰めないことには……
私には向いていない作業だ。アリステルを緊急召喚したい。
「……サナ。私の中にドノヴァンの記憶はほとんど残っていないが、それでも思い出せることがあるかもしれない。聞きたいことがあるなら聞くといい。可能な限り答えよう」
思い出話に興じるのは、傷を深く抉ることになりかねない。しかし、立ち直るまでの期間が大幅に短縮する可能性もある。
「前にも言っていた。『記憶は不明瞭で、切っ掛けがないと思い出せない』って。それは、自分の記憶ではなく、取り込んだ人間の記憶だから。自業自得、罪業の証明……」
最も思い出しやすいのが、最も古くに融合したダグラスの記憶で、思い出し辛いのが、比較的最近に融合した人間達の記憶である。その記憶の薄い人間であるドノヴァンの記憶を今になって求めているのだから皮肉な話ではないか。
ドノヴァンの記憶など、他人から聞いた話のように朧なものでしかない。例えば、ドノヴァンの部下だった“マール”という人間の名前を聞いても、私は、『そういえば、そんな名前だった気がする』という程度の感覚しか抱かない。『そうだ! 思い出した!』などと、自分の記憶としての実感を得ることはない。
「否定はしない」
ラムサスは少しだけ冷ややかな目で私を見た後、首を左右に数度振った。
「じゃあ記憶喪失気味のノエルに少しだけ質問する。ニグンが持っているその剣。それ、“リアム”じゃないの?」
ニグンが現在使用しているのは、ドノヴァンが持っていた剣だ。ジバクマを訪れたばかりの頃はシーワが用い、オルシネーヴァの宝物庫から魔剣クシャヴィトロを手に入れて以降はフルルが、アイスオーガの剣を入手してからはニグンが使っている。緑がかったよく目立つ装飾が施されていることから、剣に変装魔法を施し、無骨な直剣に見た目を変えてある。
「自分の剣の名前だというのに、二年以上忘れたまま使っていたよ」
「その剣が、『自分の剣だ』っていう意識はあるんだ」
マールに、『その剣を返せ』と言われたときは、一瞬、『これは私の剣だぞ。何を言っているんだ、こいつは?』と思ったものだ。ドノヴァンはこの剣に信頼を寄せ、愛着を抱いていたとみえる。
それに、この剣は素人の私しかメンテナンスをしないという悪条件下でも、今なお折れることなく活躍してくれている、文句なしの業物だ。単に名前を付けられているだけでなく、実際にネームドウェポンとして恥ずかしくない耐久性を備えている。
ラムサスはこの剣に幻惑魔法がかかっていることを見抜けているのに、真の姿は理解していない。これも小妖精の特徴だ。やはり真実を見抜く類の能力ではない。
「じゃあノエル。私の……。ううん、それはいいか」
ラムサスは小さく素早く首肯する。前を向く目には、既に力が戻っていた。
私との遣り取りで回復した、というより、自分で勝手に気を取り直した様子である。ラムサスの精神状態の推移は予測がつきにくい。
「話を戻そう。それで、ドラゴンはゴルティア軍にどれ位の被害を与えた?」
「正直なところ、全く分からない」
「何それ。何故、把握していない」
ドラゴンに咆哮されると、ステラは過度の恐怖によって全く飛行不能になる。空からの視点が無いため、ドラゴンの襲撃を受けた砦がどれだけの被害を受けたのか、私には分からない。
「ドラゴンがいる場所では、ステラは飛べないんだ。地上で見えた映像から推測するしかない。私とサナの持っている情報量には、差がない、ということだ」
ドラゴンは砦に降り立った後、数十分と長居することなく、比較的直ぐに飛び去っていった。その間、以前我々に浴びせたドラゴンブレス以上の破壊力で四、五回ドラゴンブレスを放ったとしよう。一回あたりに数百の兵を焼き殺したとすると、飛び去るまでに千以上を殺害した計算になる。
「ドラゴンが砦にいた時間の長さからの推定では、ドラゴンが殺したのは少なく見積もって数百。多く見積もって千と少し、というところだと考えている」
「遊撃小隊は誰も倒せなかったけれど、ノエルは一軍を百人以上殺した。二発のベネリカッターも、それぞれ百人くらいずつ兵の命を奪ったとして、死者の総計は二千人くらいか……」
ベネリカッターが破壊した監視塔と黒壇色の建物の中にどれだけの兵が配備されていたのか分からない。ギュウギュウ詰めであれば、千以上はいただろうが、周囲の観察目的の塔や貴重な物資の保管場所らしき建物に、そこまで多くの兵が配備されてはいないだろう。
「二千か。そんなところだろう」
ラムサスは難しい顔をして数度頷く。
「ヴェギエリ砦に、あんな妙な襲撃を仕掛けた理由。そろそろ教えてよ」
「最大の目的は検証だ。ウルドは現在、魔道具を使って魔力を抑えている。それを解放するとドラゴンがやってくるのではないか、という仮説に対する検証を行った。加えて判明したことには、ドラゴンの飛行速度は想定よりもやや速い」
「速い? 雪原で、ノエルはドラゴンの飛来が遅いことに焦れていた。むしろ、想定よりも遅かったんじゃない?」
「私の事前予想では、ベネリカッターの射程に入るまでの間に、サルとの交戦時間があるはずだった。迎撃部隊がそれなりの数、砦の外に打って出てきて、それと長時間じゃれ合う。そう想定していたのだ。それが、蓋を開けてみればどうだ。魔法攻撃前に迎撃部隊が出てくることはなく、ベネリカッター後に砦から出てきた部隊の兵数は予想の十分の一未満。更に、会う予定のなかった遊撃小隊に東から挟撃される始末だ。検証は断念して撤退しようかと思ったくらいだ」
私の散々な計画失敗を、ラムサスは呆れ顔で聞いている。
「なんで事前に相談してくれない」
「どうせ反対する」
「それはするでしょ。無謀な計画は諌止する。軍師だって参謀だって、それが役割」
「反対だろうが、賛成だろうが、いずれにせよ計画は実行したのだ。それに、今回の計画にはサナの能力を要さない。相談する意味はない」
「私の意見がどうであろうと、ノエルはやると決めたことをやる。そんなことは分かっている。でも、私の反対意見が通らなかったとしても、せめて少しでも事が上手く運ぶように改善案を出す。それくらいの柔軟性はある。だから……だから、実行に移す前に、もっと相談してほしい」
ラムサスが甚く気にしているのは、私の立てた無謀な計画そのものや、自分の意見が通らないことではない。知恵を借りようとすらしない、私の秘密主義のことを憂慮している。
「ノエル、“お願い”。私はあなたを助けるためにここに来た。あなたを困らせるために来たんじゃない。あなたの役に立ちたい。だから、もっと考えを教えてほしい」
またこれだ。ラムサスはこうやって利他的な発言を繰り返す。こういうことを言われると、私は平穏な心で聞いていられない。著しく感情がザワつく。率直に言って、非常にイライラする。
ただ、ラムサスは自身の最大の要求を述べている。それを一顧だにせず拒絶するのは彼女の精神衛生上好ましくない。役に立とうと言っているのだ。私は感情的になることなく、弊履となるまで上手く使い潰すことを考えるべきだ。
[弊履--やぶれたくつ]
「では、これからの方針を決める。相談に乗ってくれ」
「うん。もちろん」
ラムサスは少しだけ笑って頷いた。
「ヴェギエリ砦の残存兵を殲滅するために、これからは連夜の奇襲を仕掛けるつもりでいる。やつらは夜、動きが鈍くなる」
「新種の生物みたいに言わないでよ。ゴルティア兵も、大半は吸血種ではなくて、普通の人間だからね……。暗視は基本的に苦手」
「そういう弱点を突き、少しずつ戦力を削っていく。レヴィの実力は本物だった。レヴィ以上の剣士であるジュール・ゴーダを我々は倒せないかもしれない。二軍の指揮官もレヴィに近い実力を持っている。これら三名のうち、同時に二人を相手にすることになった時点で、我々の敗北になる。これ以上は近接戦を行わず、遠距離から魔法で叩こうと思う」
「それ、本当に必要なのかな?」
ラムサスは疑問提起の形で私の意見に反対する。
「ゴルティア人を皆殺しにしたい、というノエルの真っ黒な野望は置いておくとして、私達がヴェギエリ砦を攻撃する理由はマディオフを守るためでしょ?」
ゴルティアのサルの殲滅駆除という私の重要な目標は、討議すら経ることなく、保留の体で却下されてしまった。
「ヴェギエリ砦にいる西伐軍は、もう当面リクヴァスに侵攻することは不可能。私達がこれ以上、ヴェギエリ砦に執着する理由はない」
「なんでそうなる? 砦には被害を免れた兵が何万といる。リクヴァスの要塞を落とすのに十分以上の数の兵が詰めているんだぞ」
「一つ一つ説明してあげよっか? まず、今、季節は冬。南の国ならともかく、この寒い土地で冬に行軍するのは命取り。平野戦ではなく城攻めならなおのこと。この雪が積もっているときに、攻城兵器をどうやって輸送する」
「魔法で除雪して――」
「はいはい。ノエルがこんな訳の分からない坑道を掘ったみたいに、誰しもが地道、かつ非生産的な作業に邁進できるわけではないんだよ」
私の手足が連日連夜掘り進めた坑道は、非生産的な行動の産物と切り捨てられた。結構頑張って造ったのに……
段々、ラムサスの話を聞き続けるのが辛くなってきた。
「次の理由。物資がない。砦に篭って越冬するための物資と、侵攻に必要となる物資は全然違う」
「遊撃小隊や、第二軍とやらも出払っていた。物資が不足しているなら、砦の外に延々部隊を出さないはずだ」
「次の理由と合わせて説明する。ゴルティア軍は、マウルとドラゴンの再襲来に備えないといけない。ヴェギエリ砦が崩壊すると、ゴルティア軍はこの土地で寒中死することになる。暖かい季節ならまだしも、冬のこの時期に帰還場所が無いまま、雪原で大軍が越冬するのは困難。それが可能なのは、雪中行軍の装備と物資を整えられた一部の部隊だけ。それこそ、遊撃小隊みたいな、ね。第二軍だって、部隊全員が出撃してはいないと思う。だから、砦の喪失は、即ち西伐軍全軍の壊滅を意味する、というくらいの不退転の覚悟でヴェギエリ砦を守っているはず」
私の考えるゴルティア軍の行動予測と、ラムサスの予測は全く異なる。私は、ゴルティア軍がリクヴァスに攻め入る可能性はまだまだある、と考え、ラムサスはそんなこと有り得ない、と考えている。どちらがより的を射ているか。寸毫の疑いもなくラムサスだ。ラムサスの意見は真剣に聞かなければならないが、こうやって完膚なきまでに論破されると、冷静に話を聞いているのがとても難しい。もう何もかも忘れて、温かい寝具の中で眠ってしまいたい。
「また次の理由。死者は二千でも、負傷者はその何倍も出ている。ゴルティア本国から距離があり、雪に道を阻まれている以上、負傷者を下がらせる後方はどこにも存在しない。治療は砦内で完結させることになる。あのときと同じ。衛生部隊以外の兵を大量に動員して負傷者の治療にあたらせないといけない。攻めに回す手どころか、回復の手が足りない」
「回復なんて、一週間もあればケリがつく」
「それは、ノエルの水準で回復魔法を使いこなせて、かつ、無限の魔力があれば、の話。治癒師には、大量の魔力保有者は少ない。そういうのは攻撃魔法使いと相場が決まっている。まだ他にも聞きたい?」
「……もういい。分かった。十分だ」
私が反論を諦めたことを知り、ラムサスは鼻息を荒々しく吐いた。
「私は西に戻って、マディオフの街に入るべきだと思う。それで、ツェルヴォネコートの行き先を確かめよう」
「あの魔物は心配要らない。逃走の方角から考えて、アーチボルクの南の森に向かったはずだ」
「その発言が私は信じられない。大好きなお母さんの暮す街でしょ。どうして不安に思わない」
私が母に向ける感情は、一般的に子供が母親に向ける愛情とは違うのではないだろうか。ラムサスも以前、その屈折した感情を非難するようなことを言っていたのに……
「ツェルヴォネコートだからだ。レッドキャットは攻撃的な魔物。しかし、取り立てて人間を獲物として好んではいない。それに、ツェルヴォネコートは自然魔力の豊富な地点を求めているはずだ。南の森はマナが豊富でも、街は違う」
「ただの楽観視ではなく、ハンター的な正しい読みだといいけどね。兎に角、ツェルヴォネコートの情報が欲しい。討伐するかどうかは、情報を吟味して判断しよう。もしかしたら、ツェルヴォネコートは街も森も突っ切って真っ直ぐに南下し、ジバクマまで行ってしまっているかもしれない」
「グルーン川を越えて、か? あの魔物は冬場のグルーン川を渡渉できるのだろうか……よく分からないな」
「もしもツェルヴォネコートがヒトに害をなすことなくどこかのフィールドで暮らしているのなら、私達は真っ直ぐにロギシーンに向かおう。放置するのが拙そうなら、ツェルヴォネコートを討伐し終えてからになるけれど。いずれにしても、反乱軍を殲滅すれば、マディオフを襲った一連の出来事に一区切りがつく。そうすれば、私達は手を下さずとも、王都の無法者の動きは沈静化すると思う」
王都の無法者、クリフォードがエルザに危害を加えないか気がかりではあるが、クリフォードが犯した女を殺した、という話は聞かない。クリフォードの優先順位は、大氾濫やゴルティア軍、ロギシーンの反乱軍に比べてずっと低い。
それに、国の内部が万全な状態になれば、リクヴァスにおけるマディオフ軍の防衛力は盤石なものになる。傷の癒えたゴルティア軍が本気の侵攻を開始しても、マディオフはリクヴァスで持ちこたえられるはずだ。それを確実なものにするためにも、我々は電光石火でマディオフ内の揉め事を解決し、また東方に戻ってくればいい。理想的には、次の春までに。
「一つ考慮し忘れていることがある。ゼトラケインのギブソンは大丈夫なのだろうか?」
「ノエルの中ではギブソンの行動開始が確実なものになっている……。ギブソンがマディオフを攻撃するつもりなら、とっくにやっているはず。ギブソンが既に腰を上げているのだとしても、その目的はマディオフを滅ぼすことではない。私はそう思う」
ギブソンがマディオフに敵対的行動を取っていたとして、これを我々に撃退できるか、というと、なかなか難しい話だ。なにせ、ドラゴンスレイヤーなのだ。ドラゴンの陰でコソコソとしている我々とは格が違う。しかも、ギブソンは高い知略の持ち主、という噂も聞く。無気力、という噂とは相反する内容だが、気が乗ったときは知恵者なのかもしれない。噂が噂を呼んだだけならばいいのだが、実話であれば、相当に厳しい相手である。ブラッククラスの強さがある相手に賢く立ち回られると、我々では撃退するどころか、打てる手がほとんどない。
「それも街に入れば少しは分かるか……」
「あっ……。今、思ったんだけど、アーチボルクに行くとバーナードとニニッサがいるかもしれないね」
ああ、そういえばドラゴンが姿を現す直前まで、そんな奴らがいた。ウリトラスと共にマディオフ軍から離反した裏切り者達……。レッドキャットの餌になっていなければ、アーチボルクやリブレンなど、あの近辺の街か村でワーカーとして細々と暮らしているはずだ。まさか初一念を貫き、ウリトラス抜きでゴルティアに行ってはいないと思うが、どちらにしても我々とは関係のない話だ。
「あんな連中にまだ興味があるのか?」
「その言葉は疎漏に過ぎる。これは、私ではなくノエルが関心をもつべき事柄。バーナードから情報が漏れると、お父さんと妹さんの立場が悪くなるんだよ」
「それはそうだが、今、気に病んでも何にもならない話だ」
「街に入るとバッタリ会うかもしれない。会ったときの対応を考えておかずに腑抜けた遣り取りを交わして、彼らの叛心に新しい火を灯すことになったらどうする」
私はそんなに場当たり的な行動しかしていないだろうか。……自覚はしておらずとも、これまでの結果を振り返れば、ラムサスの言う通りかもしれない。バーナード達は、見かけたら始末することにしよう。
「覚えておこう。二人を見かけたら適正な対応を心掛ける」
「考えなしに殺して解決しようとするのはやめてよね」
殺処分は、場合によっては問題を深くすることになるようだ。ならば、接触を持たないようにするのが最上だ。
我々は約三ヶ月間練り回り続けたリクヴァス近辺を離れ、西のマディオフ本土を目指すことになった。




