第二一話 小隊の行方 一
静寂と雪が支配する冬の世界。準後方の輜重部隊を幾度となく襲撃するマディオフ軍を殲滅すれば、本来あるべき穏やかな冬の世界を取り戻せるはずだった。
小隊の指揮官であるレヴィはひとつ歯噛みをすると、雪上を疾走する馬上で振り返り、敵が逃亡した先を睨んだ。先程まで戦っていた相手であるワイルドハントの姿はもう見えない。
強敵の姿が見当たらなかった代わりに、別の事実にレヴィは気付く。
(部下たちがついてきていない。なぜだ……?)
魔道具によって恐慌を免れたレヴィとレヴィの軍馬は、ドラゴンが降り立ったヴェギエリ砦に向かって走っている。しかし、恐慌を跳ね返す魔道具を持っていない部下たちは違う。
震える身体と動かぬ軍馬に一体何が起こっているのか理解するまで、彼らはそこでもがくことになる。
数多の困難を超えてきたレヴィであっても、部下たちが恐慌に陥っていることには直ぐに思い至らない。
(あの場に留まってはワイルドハントのいい的だ)
部下たちの身に何かが起こっていることだけは分かる。しかし、コリンもリドレもレヴィに何の合図も出していない。信頼に足る部下たちのことだ。自力で何とかして追いかけてくる、と信じ、レヴィは砦に急ぐ。
開いたままの南門を抜け、砦の中に入っていく。
砦の中では、至る場所に兵が倒れている。全く動かぬ者、小刻みに痙攣する者、口角から泡を垂れ流す者、どれも中等症以上の深刻な状態であることが一見して分かる。
(これは……何だ。まさか!?)
倒れる兵を見て物性瘴気が充満している可能性を考え、レヴィは慌てて口元を押さえる。しかし、無事な兵もまたそれなりにいることから、毒や物性瘴気の危険性は無いものと即座に思い直す。
砦に駆けつけたはいいが、真っ先に向かうべきはどこなのか。僚兵の異様な被害の受け方を見たレヴィは少しだけ迷う。
西伐軍総指揮官である大将、ホーリエ・ヒューランがいる司令室が構えられた砦中央に向かうか、それとも、ドラゴンのいる場所に真っ直ぐ向かうか。
そもそもドラゴンが砦のどこに降り立ったのか、レヴィは知らない。しかし、轟音が聞こえる方角からして、ドラゴンは砦北西区画にいるように思われる。
どのみち砦中央を通るならば、大将のいる司令室に向かうべきだ。もし、ドラゴンが北西区画にいるのであれば不幸中の幸いである。なぜなら、その場所にあるのは第一救護棟だからだ。
マウルとの戦闘を避けに避ける作戦を採用した結果、ゴルティア軍が抱える傷病兵は少数である。砦内で行う訓練中に出る傷兵と、冬季の寒冷な気候故に頻発する病兵が主だ。戦争そのもので生じた傷兵は皆無に等しい。傷病兵が少ないからこそ、第二救護棟は稼働していない。少なくとも、前回遊撃小隊が補給で立ち寄った際の砦状況はそうだった。
貴重な技能兵である衛生部隊に被害が出るかもしれないが、兵営区画を襲われることに比べれば、被害者の絶対数は圧倒的に少なく済む。
傷病兵は無理でも、衛生部隊はドラゴンから逃げるだけの体力がある。生き残りさえすれば、第一救護棟という施設そのものが壊されてたとしても、可動していない第二救護棟を使えばいいだけの話である。
(衛生部隊には申し訳ないが、指揮官を守ることが優先だ)
レヴィの駆る馬は砦内を走り、中央塔付近まで辿り着いた。変わり果てた塔の残骸を見ることで、本当に塔は崩れ落ちてしまったのだ、とレヴィは悟る。副隊長のコリンの言葉を聞いても、外から中央塔の無い砦の姿を眺めても、崩落現場を直に見るまでは信じることができなかった。
瓦礫の回りには兵が集まり、生存者の捜索を行っている。
(ひとりでも多く助かってもらいたい。しかし、塔があれでは、第三軍は絶望的だ)
西伐軍において、主に攻撃や戦闘を担うのは第一軍と第二軍である。第三軍の担当は防御、医療、情報制御である。その第三軍の人員はほとんどが中央塔に集中配備されている。全ての人員を一箇所に集結させる、という愚は犯さなくとも、日中のこの時間、人員の大半は中央塔に詰めていたはずだ。
西伐軍を人体に置き換えるならば、第一軍や第二軍は両手、両足と言ったところである。第三軍は、目であり、口であり、内臓だ。第一軍と第二軍が無事でも、第三軍が壊滅的打撃を受けてしまっては、西伐軍全体が任務を続行することは不可能である。
手があり、足があり、臓腑があるならば、軍における脳とは何か。心臓とは何か。それは言うまでもなく司令部であり、総指揮官である大将、ホーリエ・ヒューランだ。
レヴィの意識はドラゴン討伐ではなくホーリエ・ヒューランの護衛に向いていた。ヒューランには常日頃から護衛部隊がいる。遊撃小隊最強のレヴィ以上、西伐軍最強であるジュール・ゴーダが隊長を勤める護衛部隊だ。ゴーダがいれば、それ以上の護衛はない。しかし、中央塔倒壊の余波でゴーダが負傷していれば話は別である。
ヒューランの無事を確認し、ゴーダが護衛を続けていると判明すれば、レヴィは安心してドラゴン討伐の命を受けられる。ヒューラン無くして西伐軍の任務成功は有り得ない。救護棟に降り立ったドラゴンがもたらす被害に僅かな時間だけ目を瞑り、西伐軍の心臓であるヒューランの姿を探してレヴィは愛馬を走らせる。瓦礫を避けて回り込み、ヴェギエリ砦で最も頑強な建造物である黒檀色の司令部へ急ぐ。
兵の群がる司令部の近くに辿り着いたレヴィは、兜の下の口をぽっかりと開ける。恐慌を防ぎ、精神の安定を助ける魔道具の影響下にありながら、レヴィは目の前の光景が信じられなかった。
五階建ての司令部のど真ん中、三階の高さに大穴が空いていた。
物理的にも魔法的にも最硬級であるエーベンホルツ魔鉄鋼を惜しみなく使い、過剰なまでに堅牢強固になっていた司令部に穴が空いている。しかも、よりにもよって三階の高さ、左端でも右端でもなく中央部分に、だ。
(あの位置では……)
大きすぎる衝撃にレヴィの視界が黒く染まり、ほとんど暗転しかけたところで、残る僅かな視界の中に見覚えのある人物がひとりチラついた。
「バジェット大佐!」
あわや失いかけた意識を掴み直したレヴィは力のある声でその人物を呼んだ。
レヴィが疾呼したのはアントワン・バジェット。アデーレ・ウルナードと並ぶ第一軍の副隊長のひとりだ。ジバクマ人よりもよほど暗い色の肌を持つ彼のことは、遠くからでも容易に見分けられる。レヴィは愛馬から下り、バジェットの下に走る。
「大佐!」
「おお、グレファス大佐! 無事だったか。貴官がいてくれるとは心強い。早速だが――」
「バジェット大佐、将軍はどちらに?」
バジェットの周囲を囲む兵の数人が好意的ではない目つきでレヴィを一瞬見遣った。
「将軍は行方不明だ。全力で捜索に当たっている。不在の将軍に変わり、今は私が陣頭指揮を取っている」
バジェットが取り囲まれている理由。それは、総指揮官不在のヴェギエリ砦における最高責任者が彼であったからだ。
「グレファス大佐。捜索はこちらで行う。貴官は第一救護棟へ向かってくれ。ドラゴンはそこにいる」
「……っ!! 了解しました」
西伐軍全体を指揮する大将が行方を晦ますなど、あってはならないことである。最高責任者が一時的に席を空ける際は、必ず代理の者を立てる。今回のように突発的な出来事であっても、指揮系統は淡々と移行する。それができなくては軍隊ではない。
レヴィは再び愛馬に跨がり、砦北西区画にある第一救護棟を目指す。
如何に広い砦とはいえ、馬の脚をもってすれば移動は迅速である。レヴィの前には、すぐに第一救護棟と、救護棟前の惨状が広がった。
救護棟前の広場にはあるはずの雪がなく、代わりに剥き出しの黒く焼け焦げた地面と、動かぬ僚兵の焼死体が無数に転がっていた。
生存している兵もそこかしこにいる。しかし、彼らは一様に怯え、大きく壁が崩れた救護棟を物陰から窺うばかりであり、ドラゴンの姿も、ドラゴンと戦う僚兵の姿もどこにもなかった。
震えている兵のひとりにレヴィは話し掛ける。
「馬上から済まない。現状を教えてくれ」
「グレファス大佐……?」
名前を知らない兵はレヴィの姿を見て辿々しく口を開く。
「私は今来たばかりなのだ。教えてくれ。ドラゴンはどこにいる?」
兵は震える手で救護棟の崩落部分を指差す。
「あそこからドラゴンが中に入っていった。そうだな?」
兵は口をつぐんだままレヴィの言葉に頷く。
それだけ分かれば十分。
レヴィは迷うことなく崩落部分に近寄っていく。
(ドラゴンは棟のどこにいる?)
崩落した壁の横に馬をつけ、下馬したレヴィが慎重に中を覗き込むと、思いの外近くに激しく動く巨大な爬虫類様の尾が見えた。
(あれがドラゴンだ!)
レヴィの位置から見えるのは尾ばかりである。ドラゴンの全身を見ようとレヴィが身体を棟内ににじり入れた瞬間、救護棟に大きな衝撃が走る。
ワイルドハントが大魔法でも行使したのかと思い、入りかけた救護棟から即座に身を引いて辺りを見回すも、棟外には何の現象も起こっていなかった。
衝撃源は棟の中、ドラゴンそのものだった。
ドラゴンは救護棟の上階、壁、床、全てを破壊しながら垂直に飛翔すると、ゆっくりと北西の空に飛び去っていった。
その様子をしばし放心して見ていたレヴィだったが、誰よりも早く我に返ると、再び崩落部分から救護棟内に入った。
(あのドラゴンはここで何をしていたのだ!?)
ドラゴンの尾が蠢いていた場所へ走る。
そこは担ぎ込まれた傷兵の救急対応を行う救急治療室だった。傷兵多数を同時に治療できるように造られた下手な会議室よりも広い診察室の中に、無傷の人間は誰もいなかった。
レヴィが予測したとおり、自らの足で立って歩ける兵は全て逃げた後であり、残っているのは自力で動くことのできない傷兵ばかりだった。
「大丈夫か!?」
レヴィの最も近く、壁際で片膝を抱いたまま震える兵のひとりに話し掛ける。
「……れた……。……さが……われた……」
傷兵の声はか細く震えており、何と言っているのかレヴィには聞き取れない。
「なに、何だって? 身体が痛むのか!?」
尋ね返すレヴィに、傷兵は変わらぬ語調で復誦する。
傷兵の声量と滑舌が変わらずとも、何度も何度も聞いていると、次第に何と喋っているか聞き取れるようになっていく。
傷兵が喋る単語の全てを聞き取ったレヴィは、それでも意味をすんなりと飲み込むことができず、傷兵と同じように抑揚無く復唱した。
「ウルナード大佐が……食われた?」
傷兵が繰り返していたのはたったひとつだけ。それは、コリンが砦に送り届けたばかりである第一軍副隊長、アデーレ・ウルナードがドラゴンに食われた、という信じがたいものだった。
◇◇
肌を裂くように寒いロレアルの冬の夜を徹して、砦内では救助活動が続いている。
物理的な破壊を受けた箇所は決して多くない。最も大きな破壊を受けたのは崩落した中央塔、次に大きな破壊を受けたのは第一救護棟、最後に司令部だ。
崩落した塔の瓦礫の下で生き埋めになっている兵を探すため、瓦礫の除去と生存者の捜索は日中から休みなく行われている。
瓦礫の下敷きになってしまっては、生存はもはや絶望的。しかし、もしかしたら地下区画に居た者は息があり助けを待っているかもしれない。
生存の可能性という限りなく細い糸が切れてしまうことのないように、慎重に、しかし、迅速に瓦礫を除去していく。希望を捨てずに瓦礫を除けても除けても、除けた下から出てくるのは救助者の望んだものとは正反対の結果ばかりだった。
救助者が願うは希望と人命である。それなのに、瓦礫の下から出てくるのは絶望と人体の一部ばかり。瓦礫の除去が進めば進むほど救助者の心は折れていく。
絶望的なのは、司令部もまた同様である。司令部における人的被害。その絶対数は中央塔と第一救護棟に比較して少ない。ただ、最悪なことに、行方不明者の中には西伐軍総指揮官であるホーリエ・ヒューラン、第一軍指揮官のカイン・ゲルダー、それに第三軍指揮官のナディ・ベイスンが含まれている。
司令部建物内の捜索は短時間で完了した。中央塔と違って司令部は全壊していない。風通しの良くなった部屋という部屋全てを回るのに長い時間など要さない。時間がかかるのは建物後方の捜索だ。
ワイルドハントは砦の南東方向から魔法を撃った。司令部に命中した魔法は建物を貫通して北西の地面に激突した。激突の際に巻き上げられた雪と土砂の下に行方不明者が居ないかを探す。それだけのことである。雪深いこの季節、砦の敷地全域が完全除雪されているわけではない。魔法の衝撃によって巻き上げられた土砂と雪が除雪されていない場所に積もると、それを全て総ざらいするのは砦内の兵を大量動員しても一大作業である。
第一救護棟方面での被害者は、中央塔での被害者よりもまだマシだったかもしれない。ドラゴンに誰が殺されたかは、目撃証言からまだ察しがつけやすい。もちろん、ドラゴンブレスによって丸ごと焼き尽くされた班や小隊もあるが、ひとりでも生き残りがいれば、どの班の誰が犠牲になったのか分かるからだ。“死”という結果は生存者にひとつの明確な区切りを与えてくれる。だが、“行方不明”は、救助者を指揮する人間が強い意志を持って決断を下さぬ限り、終わりがないのだ。
この世から消え去ってしまった死体、焼き尽くされて判別不能になった死体、綺麗なままで絶命した死体、綺麗は綺麗だがもはや前線復帰どころか社会復帰すら望めそうにない生ける屍、たった半日前まで誰も予想していなかった大量の死屍が砦の中に累々としていた。
下々の兵は、意思発動機関が区切りを設定するまで、延々惨劇と向かい合い救助作業に勤しまなければならない。
司令部という意思発動機関が半壊した今、ヴェギエリ砦の中では新たな意思発動機関が動き出している。レヴィはその一員として緊急会議に参加する直前、部下が持つ情報を回収するための報告会の時間を設けた。
◇◇
「小隊の被害は中等症者が二名、他、軽症者多数か」
「中等症の二名も治療を行い、任務参加に支障はありません。明日からでも行動できます」
高い回復魔法の能力を持つコリンがそう言っているのだ。中等症を負った二人は本当に明日から任務に参加させても大丈夫なのだろう。レヴィはそう受け取る。
「中等症っつっても魔法暴発による自爆だし。ぶっちゃけワイルドハントからは誰も大怪我負わされてねー」
若手ながらも小隊魔法兵を指揮するリドレ・ゾアは言葉を選ぶことなく普段の口調で話す。
「それが気味悪いんスよね。あいつら本当に全力で戦っていたのかな……」
リドレが話すとチャックが答える。チャックことチャールズ・フィールドは白い頭髪の中に手を入れ、ワイルドハントの真意を考える。
「まーた言ってるし。ワイルドハントがどんな理由でウチらに手心を加えるってさ?」
「それは分からないっス。わざと損害の少ない部隊を残しておいて、砦から外に大軍を誘き出す、とかっスかね」
「第二軍が残っている以上、ウチらを残す理由にはなんねーし」
「そうなんスよね……」
チャックは難しい顔で首を捻っている。
「隊長はどう思われますか?」
コリンは率直にレヴィの意見を尋ねた。
レヴィは考える。いや、ヴェギエリ砦の一戦より前から、遊撃小隊はずっと考えていた。マウルとは何者なのか、と。
マウルがジバクマに突如出現したワイルドハントという説は、かなり早い時期から挙がっていた。アウギュストの駐屯地に駐留していたのは、前線部隊ではないとはいえ紛れもなくゴルティア軍であり、その兵数はかなりのものだった。その一切合切が消滅、一兵の生存者もなく完全に殲滅されたのだ。如何に優秀な奇襲部隊であっても、こんなことはできない。
生存者零。
それがワイルドハントのもたらした殺戮と破壊である可能性は、誰しもが考えた。
異質な点は被害の大きさだけではない。ゴルティアに手を貸すロレアル人が誰もマウルに殺されない。この点も不可解極まりなかった。ゴルティア人を容赦なく殺すというのに、ロレアル人は害さない。この二面性も、ジバクマ人はひとりも手にかけず、オルシネーヴァ人を大量に殺害したワイルドハントに似ている。
さらに、マウルは目撃者を出さない。奇襲から生き残ったロレアル人は、マウルの奇襲手法、人数、種族、その他あらゆる情報を何も覚えていなかった。マウルは健忘魔法を使えるとみてまず間違いない。
種々の特殊性、異様性から、マウルとワイルドハントはほぼ確実に同一の存在である、と遊撃小隊の中では考えられていた。
では、ワイルドハントがマディオフに協力する理由とは何なのか。それが小隊員の誰も分からない。
ジバクマとオルシネーヴァの場合は分かる。ワイルドハントは大半がアンデッドであり、代表者の女は吸血種のドレーナ。ジバクマの国民とは融和できても、オルシネーヴァでは陽のあたる場所で生きていけない。国の理念からして、ワイルドハントはオルシネーヴァの不倶戴天の敵なのだ。
そこまではまだいい。問題なのはここからだ。他種族との融和を望むワイルドハントであれば、西方諸国よりも、ゴルティアに協力すべきなのだ。だが、ワイルドハントは一貫してゴルティアの敵であり続けている。此度はアンデッドを忌避しているはずのマディオフと手を組んだ。これは全く理解し難い。表面的な情報だけから考えるのであれば、だが。
(ワイルドハントは奴等の手引きを受けている)
小隊を率いる立場にあるレヴィが不確定なことを、思い込みでさも事実かのように言うことはできない。
長は不安を吐露してはならないし、迷いを全体に曝け出してはならない。
レヴィは半ば確信している思いを胸に仕舞い込み、マウルと戦った所感を述べる。
「私の剣を受けたワイルドハントの一体。奴が全力であったことは、演技ではない。そう考えている」
レヴィと戦ったのは、ワイルドハントの中で最も大柄な剣士だった。変装魔法で作り上げたものであろう剣士の外見は老女だった。魔法の下には、血の通わぬ乾いたアンデッドの顔があったことだろう。事実はともかく、見た目は老女だ。
レヴィと老女の戦いは、レヴィが最初から最後まで押していた。掠り傷では済まない創をもたらす攻撃を、老女の身体に数回は叩き込んだ。しかし、生者にとっての致命傷が、アンデッドにとっての有効打には必ずしもならない。アンデッドの心臓や肝臓を貫いたところで、血が吹き出すことも偽りの生命が終わりを迎えることもない。
聖属性攻撃を行えないレヴィがアンデッドを倒す方法は単純。首を落とすか、頭を叩き潰すかだ。逆にアンデッドは、それさえ防いでいればいいことになる。だからこそ老女はレヴィの攻撃を凌ぎ切ることができた。
レヴィと戦う老女は守りを固め、反撃を狙い、しかも致命傷が致命傷にならない。周囲の構成員も、こちらの隙を抜かり無く窺っている。その状況で無理に攻めを行っても、逆にレヴィが痛烈打をもらうことになる。
レヴィはあの場における全力とは何かを考え、最善を尽くした。レヴィより剣の腕に劣る老女もまた最善を尽くし、結果、両者はいずれも斃れずに終わった。
何合もの斬り合いを経て、レヴィはそう結論を下していた。
「隊長はあのデカブツを押してたし、ペテルに撃たれた魔法だって威力バリバリ。コリンが防いでなかったら、ペテルは普っ通ーに死んでた。ワイルドハントがウチらを怪我させねーように気遣ってた、って解釈がまず誤ってるっしょ」
「それは……どうでしょう?」
「ああ? コリンもワイルドハントの肩を持つのかよ!?」
副隊長のコリンにすら歯に衣着せぬ物言いのリドレにレヴィは苦言を呈する。
「リドレ。コリンは副隊長だぞ」
「へーい。すみませんね。で、コリンが正味な話、言いたいことは?」
「ワイルドハントは私が戻ってきていることに気付いていました」
「だから……?」
「ペテルに撃たれたクレイスパイクを私が防ぐと確信した上で、彼らは魔法を放った可能性がある、ということです」
「かあー、これだから……」
リドレは眉間に皺を作って大袈裟に溜め息を衝く。
「可能性の話をしだしたら、何でもありじゃん」
「ですが、こうも言っていました。『お前達をここで手にかけるつもりはない』と」
「あんなん、逃げ口上でしょ?」
「そうでしょうか? ワイルドハントは隊長の必殺技から逃れつつ私たちを削り切る手段がいくらでもあったと思います。なにせ、魔法班があの状態だったのです」
「うっ……。まあ、そりゃあそうなんだけどさー」
小隊の切れ者二人に否定的な意見を述べられ、リドレの勢いは翳っている。
「その話は一旦置こう。会議に行く前に、私に上げておくべき報告は他にないか? 些細なことでも構わない」
泥沼の口論と化しそうな場を静まらせ、要点だけを述べるように告げる。
既に粗方報告すべきことを報告し終えていた一同は口をつぐむ。そんな中で、コリンがおずおずと口を開く。
「あのワイルドハント……見た目は人間のように見えました」
レヴィが見た限りだと、ワイルドハントの構成員は四脚の魔物が三頭、若い女性が二名、他全ては老人だった。人型の構成員は全員アンデッドや吸血種ではなく、人間の姿をしていた。
「二足歩行の個体も、四脚の個体も変装魔法がかかってたからでしょ」
「ポーラって女はドレーナらしいっスからね。ディスガイズを使えても不思議はないっス」
ワイルドハントはジバクマと取り引きを交わし、ゼトラケインから多数の吸血種を入国させる手引きをした。その最大の理由は、ワイルドハントの代表であるポーラという女性がドレーナであるから。ゴルティアではそう理解されている。人型吸血種の中では最も穏やかな種族であるドレーナであっても、一度人間の敵に回ると限りなく厄介な存在である。幻惑魔法、ディスガイズを見破る手段は限られている。
「第一軍はどうやって彼らがワイルドハントだと見抜いたのでしょう」
「中央塔を魔法一撃でぶっ壊せる存在なんていねーし」
「巨岩を飛ばせるワイルドハントか、ジバクマのクフィア・ドロギスニグくらいじゃないっスか?」
ゴルティアはクフィア・ドロギスニグとの戦闘によって数え切れないほどの兵を失っている。クフィアの雷魔法の恐ろしさを最も分かっている国、それがゴルティア公国である。実際に被害を受けた側なのだ。ある意味ジバクマ共和国よりも雷魔法のことをよく分かっている。
「クフィアの雷魔法は殺傷力が高いだけで構造物の破壊には向いてねー。クフィアじゃねーよ。他にできる奴がいない以上、ワイルドハント以外犯人はいねーし」
魔法に一家言あるリドレは自信を持ってクフィアが犯人という可能性を否定する。
「消去法……。それはあまり好ましくないですね……」
コリンの浮かない顔が更に沈む。
「コリン。何を憂慮している?」
レヴィはコリンが何を気にしているのか尋ねた。
「……その前にひとつ確かめさせてください。どなたか、ワイルドハントのディスガイズの下にある本当の顔……髑髏仮面でもいいです。それを見た方はいませんか?」
「噂の美人がひとりと、狆くしゃひとり、後は見分けがつかねージジイとババアばっかりだった。魔法班は全員そう言ってたし」
「ウチの班もそんなもんっス。髑髏仮面を見た、とは誰も言わないっスね」
「それは……よくないですね」
ディスガイズをはじめとした幻惑魔法の看破機能を常時発動させている魔道具を持つ隊員は遊撃小隊にもいる。しかし、ワイルドハントの姿が遊撃小隊全員に同じように見えていた、ということは、小隊が持つ魔道具ではワイルドハントのディスガイズを見破れていなかった、ということを意味している。
「私はアデーレ・ウルナード大佐に簡易な治療を施し、砦前まで送り届けて砦の兵にその先を託しました。大佐が纏っていた鎧は確かに本人の物だったと思います」
「顔は?」
コリンは言い辛そうにしばし視線を泳がせる。
「兜越しに見える蒼白な顔。これも大佐のものだったと思います。ですが――」
コリンが最後まで言い終える前に、レヴィはコリンが何を言わんとしているか理解した。
「治療に当たった時、『これが本当にウルナード大佐なのか?』という視点、疑問は抱いていませんでした。今、改めて振り返ってみても、あれが本人だったかどうかは確信できない。『おそらくそうだと思う』としか答えられません。私が報告しておくべきことは、それだけです」
ドラゴンはヴェギエリ砦の兵を殺した。それも超大量に、だ。もしかしたら、ゴルティア史上最悪かもしれない。しかし、ドラゴンが食べたのはたったひとりだけ、アデーレ・ウルナードだけなのだ。救護棟に駆けつけたレヴィですら、アデーレが食われる現場は見ていない。
(すり替えられたかもしれない……か)
「ドラゴンに食べられたのが本当にウルナード大佐なのか、よく分からないってことっスね?」
「ええ、そういうことです……」
「ドラゴンがウルナード大佐らしき人物を襲ったことと、ワイルドハントがドラゴンの行動を予知できること。これってなんか関係あるんじゃねーの?」
「確かに怪しいっス」
遊撃小隊が戦闘現場に駆けつける直前、ワイルドハントはなぜかアデーレの周囲を取り囲み、何やらおかしな動きを見せていた。それだけではない。怪しむべき箇所は随所にある。
小隊の頭脳数名は首を捻った後、糸口を求めるようにレヴィの顔を見た。隊長であるレヴィは隊員の知らない情報、信頼できる隊員にも教えられない機密情報を幾つも持っている。
立場上、言えることと言えないことがあるのは隊員も分かっている。言えることの中に、謎の答えに繋がるものがないか、隊員はそれが聞きたいのだ。
「ワイルドハントとドラゴンの関係。それには心当たりがある。だが、詳しく教えることはできない」
「やっぱ掴んでましたか。第三軍の諜報部は有能っス」
「チャック、分かっているだろうな?」
「大丈夫っスよ。こんなこと、誰にも言わないっス」
チャックは小隊の中で最も頭が切れる。チャックが口を滑らせるとは思っていない。どちらかというとそういうことをしそうなのはリドレだ。
しかし、条件反射で口答えするリドレに直接言うより、飄々としているチャックに向かって念を押したほうが隣で聞いているリドレの心にすんなり響く。リドレは若すぎるだけで、決して馬鹿ではないのだ。
「ドラゴンと繋がっているんなら、ワイルドハントはウチらの絶対の敵だし。ドラゴンと関係なくても許せねー奴らなのは変わんねーけど、和解はありえねーのがより確実になったし」
生存した第一軍の騎兵はこんなことを叫んでいた。ワイルドハントの中にウリトラス・ネイゲルがいる、と。
特殊な立場にあるレヴィだからこそ分かる。これは非常に拙い状況だ。
戦略部、参謀本部からもたらされた機密情報により、ゴルティアがウリトラスを離反させて引き抜く調略を立てている、とレヴィは知っている。
そしてまた別の筋から得た情報により、ウリトラスがドラゴンを手懐けようとしていることも知っている。
その二つの情報から、レヴィはこのように予想を立てていた。ドラゴンの調伏に失敗したウリトラスは大森林で命果てるか、あるいは命からがらゴルティアに逃げ降る、そのどちらかであろう、と。
予想が外れるのは仕方ないにせよ、解せないことが多すぎる。ドラゴンを手懐けたのはまだギリギリ理解できても、それでどうしてゴルティアを襲う、という話になるのか理解できない。
心からゴルティアに帰順したのではなかったとしても、ドラゴンの調伏に向かった、ということは、少なからずゴルティアの理念を信じ、共感を覚えたはずなのだ。
レヴィはウリトラス・ネイゲルの人格など知らない。知っているのは強さや魔法能力だけだ。
(ウリトラスとはそこまで危険な思想の持ち主なのだろうか? おそらくそうではない。ワイルドハント同様、ウリトラスも奴等に……)
膨らみ続ける疑念には際限がない。レヴィは推理を切り上げ、報告会を閉じることにした。
「報告は以上だな。では、私は会議に参加してくる。お前達は身体を休めておけ。ただし、夜間であろうとワイルドハントが奇襲してくるかもしれん。それは忘れるな」
一斉に返事をする部下たちを部屋に残し、レヴィは兵舎を出て会議場と定められた大食堂へ向かう。最前線の砦の中にありながら、食堂で軍議を行うことに、レヴィは強い違和感を覚えていた。
中央塔は無く、司令部は半壊した。だが、破壊を免れた場所はいくつもある。第二救護棟、兵営区画、訓練場、武器庫、簡易工廠……これらの、どこで会議を行うべきか。会議場所を決めるための話し合いの段階で、選定は揉めに揉めた。ワイルドハントはゴルティアの被害が最も甚大となるように的確に施設を選んで攻撃した。次の標的となる場所で会議を行うことは、絶対に避けなければならない。そうして選ばれたのが食堂、しかも、士官階級ではなく下級兵が食事を取る食堂だ。
マウル、こと、ワイルドハントが出没するようになってから、何もかもがおかしくなった。今までの常識がまるで通用しない。
(私たちはこれから先、何を相手にして、どう戦えばいい……)
ワイルドハントの後ろに立つ存在には見当がつく。しかし、戦いを続けた先に、はたして勝利と呼べる状態が存在するのか、レヴィには分からなかった。




