第一八話 冬の饗宴の備え
フライリッツから少し東にはマディオフとゼトラケインの旧国境がある。それが私のかつての認識だった。ラムサスによると、ゼトラケイン南部は独立してロレアル共和国となった。旧国境から東へ進むこと遥か彼方、旧ロレアル領土の東西の中心にリクヴァスは位置している。フライリッツからリクヴァスまでの直線距離は、マディオフの王都ジェゾラヴェルカからジバクマの首都ジェラズヴェザまでと概ね同等。移動速度以外の何も求めずにアンデッドの足で全力走破したならば、およそ一週間といった距離である。
その道程を急ぐことなくゆったりと進む。至急を要する大氾濫は概ね収束させた。ドラゴンに追い立てられたツェルヴェネコートの向かう先は見当がつく。あれは必ずしも討伐を要さない。邪魔になるならば後で倒せばいいだろう。
リクヴァスでマディオフ軍と睨み合うゴルティア軍の駆除を急ぐ必要はない。リクヴァスを守るマディオフ軍の中にエルザはいない。マディオフ軍にどれだけ被害が出ようとも問題ない。むしろ、ゴルティア軍が西方に進むほど私は迎え撃つのが容易になる。
それに、時間をかけることで得られる気付きもある。まず、旧国境以東の魔物の密度はそう高くない。特に大森林産の魔物には滅多に出くわさない。
「ナフツェマフ東方以上に、こちら側には大森林産の魔物がいない」
国境より東側にスタンピードが与えた影響は微弱、とラムサスも気付いていた。
「それは私の読み通りです」
「大森林のネームドモンスターは四柱全てが全てマディオフ側に流れてきた。一体どうして……」
「私はゼトラケインの王、ギブソンが何らかの影響を及ぼしたのではないか、と考えています。サナはどう思います?」
ラムサスはイデナの背中の上で首を捻る。
「強いとはいえ、ギブソンは魔物ではなく一人のドレーナ。スタンピードの流出路を規定できるとは思えない」
ギブソンはドラゴンを討伐した三英傑の一人。ジバクマのブラッククラスハンター、クフィア・ドロギスニグと同格の存在。ライゼンは年齢の問題で力が衰えている、とジバクマの街の噂で聞いた。それに対し、ギブソンは長命のドレーナ。私が傀儡越しに実見した老齢のライゼンよりも、ドレーナであるまだ見ぬギブソンのほうが強いかもしれない。
冷静に考えてみると、ウリトラスを襲ったドラゴンの魔力の強さはライゼンと同じくらいなのではないだろうか。身体の大きさやドラゴン特有の威圧感、ドラゴンブレスの破壊力のせいで客観的に事実を捉えることができなくなっていた。
これらの仮説があたっているならば、現時点でギブソンはドラゴンよりも上位の存在ということになる。ドラゴンから逃げる魔物が、ギブソンのいるゼトラケイン方面に逃げ出すわけがない。
「では、ギブソン以外のどんな強制力がこちら側に流れる魔物を減らしたのだと思いますか?」
「そう言われると……分からない」
マディオフ同様、ゼトラケインも討伐隊を結成したとして、それが大森林から流れる魔物を倒すのはまだ分かる。しかし、ネームドモンスター全てを西へ駆逐することなどできないだろう。特にバズィリシェクは特殊な能力故に倒すか倒されるか以外の選択肢がない魔物の典型だ。いい戦いを繰り広げて追い払うなどという展開は考えにくい。
「全く話は変わりますが、しばらくあなたが先頭を歩いてみましょうか」
「絶対数が少ないとはいえ、大森林の魔物がいる場所で、それはちょっと……」
「大森林の魔物は概して身体が大きく魔力が強いだけ。気配遮断能力はそこいらの魔物のほうが高い。それを見つけられないようではいけません。さあ、背負子から降りてください」
「ううぅ」
ラムサスは他のどんな訓練よりも先頭を歩くことを嫌がる。全能力を平均的に鍛える必要はないとはいえ、開き直って苦手分野に全く手を付けないのもよくないだろう。
ラムサスの戦闘力はプラチナクラス。まだ力技で大森林の魔物を倒すことができない。ラムサスは軍人なのだからそれでいい。魔物を見つけさえすれば、後は私のほうで討伐する。しかし、ハンターであれば、ラムサスの強さでも大森林の魔物を倒せなければならない。自分より強い魔物であっても、それを倒す手法を編み出せてこそ真のハンターだ。
単純な戦闘力だけで生死が決するのであれば、私はジバクマにおいて、毒壺でもフィールドでも数え切れない回数滅びていなければおかしい。
滅多にいない大森林の魔物を恐れたラムサスの進行速度は、彼女の索敵能力以下の低速になっている。これもまた経験だ。経験を積んで、どれだけ速度を落とすべきか学んでいけばいい。
移動速度が落ちることで間延びした日々に父は回復していく。食事量が増え、連続歩行距離が伸び、動作を日々再獲得していく。魔力の回復は体力の回復よりもずっと捗捗しい。魔力を抑える手袋を外したときの力は、チタンクラス中位、と言ったところだ。
全盛期の父からすれば一、二割程度の魔力量しかないとはいえ、まだまだ回復途上。これからいくらでも増えていく。魔道具で魔力を抑えておかなくてはならないが、魔法の実用には問題ない。私の手足となることで戦闘力を遺憾なく発揮できる。
◇◇
ゆるやかな歩みでも立ち止まることなく毎日歩き続けることで、必ずリクヴァスに辿り着く。ステラの目が映し出すリクヴァスを防衛しているのは、今もマディオフ軍であった。リクヴァスの北を素通りし、そのまま東に三舎も進むと、今度はゴルティア軍が見えてくる。ゴルティアはリクヴァスの東に新しく拠点を作っていた。
リクヴァスは交通の要衝である。旧ロレアルの東西の中心というだけでも、マディオフ軍からみて重要な場所である。更に重い意味を持つのは、南の山間部を抜けることでジバクマ最大の防衛拠点、ミグラージュへ抜けられる点だ。ジバクマ侵攻を何度も試みているゴルティア軍の戦略を一変させる進軍の核となる場所である。
リクヴァスはロレアル共和国が防衛していた頃から要塞都市としての機能を持っていた。マディオフが占領して以降、更に防衛力の強化がなされている。残るゼトラケイン領土へ侵攻するときのこと、あるいは今日の防衛を見据えていたのかもしれない。
マディオフは、旧ロレアル東部を捨てて戦力をリクヴァスに集中させた甲斐があり、このリクヴァスでゴルティア軍を食い止めている。対するゴルティアも長期戦を見越しているようだ。リクヴァス東方に造成中の拠点は、戦争で一時的に使うだけの陣を豪華にした程度のものではない。もはや一つの砦といっていい。
マディオフが守るリクヴァスの真横でふてぶてしい作戦を決行するものだ。このような拠点というのは建設着手が判明した時点で徹底的に破壊すべきものである。しかし、マディオフ軍はそれができなかった。新拠点はまだ完成には程遠いが、かといって簡単に攻め落とせるものではなくなっている。否、ゴルティア軍がマディオフ軍以上の戦力で駐留している時点で、そこは難所と化している。
それにしても……
「ロレアル共和国……ですか」
「どうしたの、いきなり物憂げに」
「少し昔を振り返っていたんですよ」
私が徴兵された当時、徴兵新兵が最前線で戦うことはなかった。今考えてみると、それも情報統制を徹底するための工夫なのだろう。
「マディオフの徴兵新兵は、ロレアル人に接触することのない任務ばかり割り振られていました。これも王族の呪いの存在を裏付ける事実かもしれません」
「でも、ウルド達からはロイヤルカースを示唆する情報を得られなかったんだよね。……あれ?」
名前を軽々しく出すことの憚られる父には暗号名を振ってある。毒壺で失った手足の名前であり、父の元の名前とも似ているから覚えやすい。新しい手足たるウルドの調査内容を振り返るラムサスの顔色がさっと変化した。
「ねえ、ノエル。私達、ウルド以外の二人からロイヤルカースについての情報をきちんと調べてなくない?」
「え、そうなんですか。飾 りを使ったときは調べていませんね。私はてっきりあなたの能力で調べたものだと思っていました」
「私が確定させたのは『ロイヤルカースにはかかっていない』ということだけ。解呪された後かどうか、そういう詳しいところは調べていない。それを調べたのはウルドだけ」
「これは、あってはならない疎漏をしてしまいました」
「ご、ごめん……」
調べなければならないことが多すぎて、肝心なところを調べ忘れていた。まさかそれを調べていなかったとは……
「責めているのではありません。私はそれを調べ忘れていることに気付きすらしなかったのです。あなたに責任はありませんよ」
「うん……」
軍略コンサルトは見るからに気落ちしている。私に責任転嫁するつもりなど毛頭ないことは小妖精で分かるはず。ラムサスは単純に失敗することに慣れていないのだ。
「そうだ。またちょっと思い出したことがある」
失敗を取り戻そうとラムサスは必死だ。
「マディオフ軍が誇る剣ネイド・カーターと魔ウリトラス・ネイゲルといえば、故郷でも語り種だった。強い人間のことは、単純に話題として面白いからね。でも、話題性があるのは強さだけではなかった。ネイドとは対称的に、ウリトラスは役職がとても低い。それが外部の人間からはとても奇異に映った」
「外部の人間だけではありません。内部の人間にとってもいい嘲笑の的です」
「ウリトラスは身元不明の孤児。肯定的に見るならば、仰天の立身出世街道を歩んだ。否定的に見るならば、旧貴族との差、身分における登用の限界が如実になった」
ウリトラスは階級を引き上げられても、それに見合う役職があてがわれることはなかった。そんなことは分かりきっていたはずだ。しかし、ゴルティアには胸に隠し抱いた不満に目をつけられてしまった。
「私も噂を聞いて、深くは考えずに納得していた。出自が良くないから重用されないんだ、と。でも、それは違うような気がする」
ラムサスは名探偵面をして、得意になって推理を展開する。
「ウリトラスが軍と国に信用されなかった本当の理由。それは身元不詳だからではなく、ロイヤルカースがかかっていなかったから。ウリトラスだけじゃない。バーナードやニニッサが離反した理由もそう。彼らはロイヤルカースにかからなかったがために、軍で粗略に扱われた、っていうのはどうかな?」
「その説はそれなりに説得力があります。しかし、ロイヤルカースに詳しい者に聞かぬ限り、裏取りができません」
ロイヤルカースを確実に知っている人間とは誰だろうか。マディオフの王室は女系。当今の女王を調査するのが最も確実だ。
「王都にはミスリルクラスの軍人が三人も張り付いている。ネイド・カーター、リディア・カーター、エルザ・ネイゲル。リリーバーでもこの守りを突破するのはキツいんでしょ?」
「私は彼らが今どれくらい強いのか理解していません。ただ、同時に相手をするのは全く不可能だと思います。その戦力を反乱軍の鎮圧にでも差し向けていればいいものを……」
ラムサスは口元を隠し、眉間に皺を寄せてしばし考え込む。
「それなんだけどさ……その三人って、本当にクリフォード・グワート対策のために王都に配置してるのかな?」
「どういう意味でしょう」
「私達は、三人が王都に配置されている真の理由を調べたことがない。手配師が言っていたことを鵜呑みにしているだけ。三人に王都を守らせる真の理由があるように思う」
「ロイヤルカースの術者を守らせるため……ですか」
「そういうこと」
呪いには色々と特徴があると聞く。もしもロイヤルカースが、術者が存命時のみ効果を発揮するタイプの呪いだった場合、なんとしてでも術者の安全を守り抜かねばならない。術者の死は国の崩壊と戦争の敗北を意味する。
「軍が警戒しているのはクリフォード・グワートではなく、ロイヤルカースの術者の命を狙う暗殺者、という線が出てきたわけです」
「クリフォード・グワートだって正体は分からない。女を犯すことが目的で犯しているのではなく、王都防衛の戦力を撹乱するのが目的なのかも」
「疑い始めるとキリが無くなります。こうなってくると、我々も迂闊に王族に手出しできません」
「大丈夫。今すぐは無理でも、必ず私が突き止めてみせる」
弱気を覗かせた私をラムサスが励ます。弟子に励まされるなど、情けない師匠だ。しかし、実際にラムサスを連れてきた価値は間違いなくある。独力で押し切ろうとしていたら、今よりもずっと混乱の極致となっていたことだろう。
「頼りにしています」
「うっ……頑張る」
自信満々のように言っておきながら、期待を寄せると後ろに一歩退く。ラムサスも本当は自信などないのだ。あるのは自信ではなく、成し遂げてみせる、という決意。
我々には解決しなければいけない問題が山となって積み上がっている。私が掲げた『ゴルティアのサルの駆除』というのは、問題を何倍にも膨化させる愚劣な目標だ。
今の所、それに対してラムサスは表立っての反論を差し控えている。私に思い直させるだけの代替案を思いついていない、という証明である。
会話の途切れた休息時間、私は"戦況"を俯瞰する。
ロレアル共和国の東端に位置する街、アウギュストはゴルティアに接していた。ロレアル共和国を滅亡させたことで、マディオフはゴルティアと接する領土を持つことになった。もしかしたらそれもゴルティアの狙いだったのかもしれない。
ゴルティアはゼトラケインと良好な関係を築いている国だ。そうでなくともゼトラケインにはギブソンがいる。ゴルティアほどの大国であっても、迂闊にはゼトラケインと敵対できない。だが、マディオフに対しては別だ。
アウギュストはマディオフ本土から遠く離れた土地。ロレアル全てを飲み込んだ結果、マディオフは半島状に長く出っ張った国土を持つことになってしまった。その半島の先端を、列強国であるゴルティアの攻撃から守り切れる訳がない。
ゴルティアは、その気にさえなればもっと早くからアウギュストを落とすことができた。しかし、ロレアル滅亡後もすぐには攻めて来なかった。後々、ドラゴンが出現すると分かっていて、時機を待っていたのだ。
なにせドラゴンの出現と同時にマディオフの一大戦力であるウリトラスも死亡する。その子供であるアルバートは事前に退場させておいた。軍人ではなくハンターとはいえ、アルバートはブラッククラスになりうる存在。ブラッククラスのハンターであるクフィア・ドロギスニグに侵攻を阻まれた"実績"のあるゴルティアだ。ブラッククラスに到達する可能性を持つ人間の芽は摘んでおくに限る。
ロギシーンで起こった反乱も、ゴルティアが裏で糸を引いているはずだ。ゴルティアはこの戦力図の下絵を何十年も前に描き、それを実現させるためにマディオフ内部からジワジワと蝕んでいったのだ。
私とラムサスの読みはそんなところである。
リクヴァス東の新拠点が抱えるゴルティアの兵力は、ジバクマとオルシネーヴァの戦争の最激戦区に身を置いた私でもみたことがないほどに多い。リクヴァスに駐留するマディオフ軍の優に数倍はある。流石は列強国、物量戦と呼ぶに相応しい、ともすれば過剰なまでの戦力が投入されている。しかも、これだけの戦力を配置しておきながら決着を急いでいない。大兵力を連続運用しても息切れしない国力が背景にあるのだ。
マディオフやジバクマと違い、ゴルティアの兵士は皆職業軍人。私がゴルティア兵をどれだけ駆除したところで、ゴルティアの国内生産力は落ちない。しかし、兵数を削れば戦力は一時的にでも衰えるはず。
「ゴルティアって本当にいくらでも兵士がいるね。拠点からこんなに離れた場所にも偵察部隊をいくつも出している」
「国土はだだっ広いですからね。総人口はマディオフ、ゼトラケイン、ジバクマの三国を合わせた数に匹敵するのではないでしょうか?」
古い記憶の中の人口統計からどれだけ数が増えているかは分からないが、国というのは社会情勢が安定してしばらくすると、人口増加が緩やかになるものである。そこまで爆発的には増えていないだろう。
「これを見ても、まだ戦うつもりなの?」
「戦おうと思うから怖気づくことになるのです」
「怖いのが普通の感覚。でも重要なのは私の感情ではなく、ノエルの方針。あなたは自分の意見をよく翻す。ここでも翻していいんだよ」
「私は戦うつもりなどありません。これほどの戦力に真っ向勝負を挑むのは正気の沙汰ではない。私は冒険者ではないのです。蛮勇など持ち合わせていない。しかし、これから行うのは戦闘ではなく駆除。蛮勇など必要ないでしょう」
「……」
万を超す兵が詰めるリクヴァス東の新拠点は、今はただの通過点である。私の最初の攻撃目標はアウギュストだ。旧ロレアル領土はゴルティアにとっても進軍経路の限られた土地。
北はゼトラケイン領土、南は山岳地帯であり、補給線は必ずアウギュスト上に敷かれる。
私が行うのは駆除だ。追い払う駆除ではなく殲滅する駆除。数万の兵など、到底倒しきれるものではない。下手に新拠点で戦って勝利したとしても、かなりの数に逃げられるのは必至。リクヴァスから初めてゴルティア本土に向かって追いかけていくよりも、アウギュストから開始して、逃げ場のないリクヴァス側に追い込んでいくほうが巧いやり方に思える。
アウギュストという街は構造的な防衛力に乏しいはず。仮に防衛力があったとしても、それは対人間、対軍隊用のもの。我々の障害にはならない。
我々はリクヴァスを背中に見ながら旧ロレアル領土東端の街、アウギュストを目指す。
◇◇
ドラゴンとの初邂逅からおよそ一ヶ月。野草であるソリダゴが平原を見渡す限り鮮黄色に彩り、色彩が大声で秋という季節を告げていた。
今が行動開始に最適な時期なのかは分からない。ただ、思い返してみると私が人間の世界から蹴り落とされたのも、ちょうどこの位の季節だった。日中は心地よくとも、日が沈むと忽ち肌寒さを感じる初秋に、私は再会の道から逃げ出した。
あのとき何故墳墓へ行こうと思ったのか、私自身ハッキリとはしない。私と融合した後のセリカが命を落とした場所だったからか、あそこに逃げ込めば未来が開けるような気がした。私は二十二年の時を経て、墳墓の探索を再開したのだ。両腕を失い、目は見えず、体力と魔力は激減し、泥と糞尿に塗れてアンデッドを殲滅する日々だったにも関わらず、案外悲壮感はなかった。むしろ、日一日と着実に戦力が増していく楽しさを感じていた。それは全て主犯に返礼する日がくる、と信じていたからに他ならない。
読み通り、アウギュストには防衛力がなかった。オルシネーヴァ軍の襲撃を受けたときのゲダリングを思い出す。あそこはフヴォントという地下の鉱脈が作り上げた商業と工業の街。決して戦争における防衛拠点ではなかった。
状況は全く違うもの、このアウギュストも防衛力の無さにおいては同じ。国境の街だというのに、全く防衛を意識した都市設計にはなっていない。マディオフがこの街を落としてからの何年もの間、防衛力は強化されてこなかった。
ゴルティアがマディオフに侵攻してきた場合、この街は最初から放棄する予定だったのだろう。ゴルティアがアウギュストを占領する際に破壊行為はほとんど無かったものと思われる。アウギュストの街は至って平穏であり、街並みに破壊の痕跡は見られない。
私の記憶はアウギュストにほんの僅かだけ懐かしさを訴える。私は昔、この街を通ったことがあるのかもしれない。微かに残った記憶と全く合致しないのは、ゴルティア軍をそこかしこに見かける、ということ。特に、街外れの街道沿いにはゴルティア軍の真新しい駐屯地が造成されている。
まずはここにいるゴルティア軍を全滅させる。アウギュストにいるのはリクヴァス東の新拠点への補給一切を担う輜重部隊。駐屯地は決して要塞でも砦でもない。少し厳めしい倉庫群と兵営が専らである。
ここの部隊を壊滅させて全ての物資を焼き払ったところで、ゴルティアという国そのものに与える損害は極めて軽微。ただし、前線にいる部隊には意味合いが全く異なる。それはラムサスも同意する所。軍人のお墨付きだ。
夜を待って駐屯地に潜入する。最前線の砦や基地に潜入するのは難しくとも、準後方の平和な駐屯地に忍び込むのはさしたることなし。
ステラの目で駐屯地の構造は把握している。やることは単純。兵舎で休息を取る兵を駆除。警戒に当たる兵も駆除。アンデッド感知の魔道具を破壊。偽装工作のため、それ以外の魔道具も破壊。最後に食料等を処分する。
注意しなければならないのは、兵に逃げられないようにすること。特に東側のゴルティア方面へは絶対に逃してはならない。西に逃げられる分には許容範囲内だ。
宴はリクヴァス東の新拠点で挙行予定だ。リクヴァス以東の兵達は揮って新拠点に参加するべし。当日現地に来られない兵は、見掛けたその場で駆除しよう。
潜り込んだ夜の駐屯地を見張る者はごく少数だ。こいつらはここを『安全な場所』と認識している。オルシネーヴァのクラーサ城と同じ。危機意識がないから夜間巡回もおざなりになっている。
夜番で起きている数少ない兵を順番に倒していく。物音を立ててしまうと寝ている兵が一斉に起き出すため、静かに行わなければならない。
音を立てずに人間を無力化する、という作業は、今に始まった話ではない。私が三番目に取り込んだ人間は、誘拐を生業としていた。私が持つ犯罪向けの技能の数々は、こいつが持っていたものだろう。当時の名前は覚えていない。スナッチとでも呼ぶことにしよう。
スナッチを取り込む頃には、私は融合というスキルの仕様をそれなりに理解していた。人間と融合することによる精神的な影響を理解していなかった私が最初に取り込んだ人間であるダグラスの記憶はよく残っていても、セリカ以降の人間の記憶はほとんど残っていない。残らぬように設定を調整して融合したからだ。それでも記憶や人格を引き継ぐことに対する忌避感は、私ほどは持っていない。だからこそ、ふとした拍子にセリカやスナッチの記憶が甦る。それに対し、ドノヴァンやオドイストスの記憶が甦ったことは一度たりともない。感情がチラホラ顔を見せる程度である。
人間らしく生きようとすると、スナッチの人格は好ましいものではないものの、持っていた技能はかなり有用だ。おかげでこうやって音を立てずに動き回り、全く戦うことなく標的を無力化できる。兵舎に眠っている兵数を考えると、魔性瘴気で一挙に駆除したいところではあるが、ダークエーテルは魔力の産物。魔力感知に反応してしまう可能性が高い。
ダークエーテルの素晴らしい点は音を立てることも手を汚すこともなく弱者の命を奪えることだ。一瞬で絶命させられるかどうかは相手の魔力を見れば分かる。ゴールドクラスの魔力を持っていようとも、闘衣を纏っていなければ即死させられる。プラチナクラスともなれば闘衣無しでも即死を免れるが、そんなものは質に劣るゴルティア兵の中において一万人中、十人といない。チタンクラスともなれば一人二人。
兵の平均能力においてオルシネーヴァはマディオフの後塵を拝する。そんなオルシネーヴァよりも更に低い能力しかゴルティア兵は持っていない。質がとことん低いのだ。たとえ戦闘になったところで相手をするのは容易い。問題は逃さないこと、それだけだ。
櫓の上に登ると、物見の兵が高鼾を立てている。騒音を立てる職務怠慢の兵を速やかに安らかな眠りに就かせて次の櫓に向かう。第二の櫓では物見もせずに熱心に手記を残す兵がいた。もしかしたら遺書でも書いていたのかもしれない。準備がいいことだ。準備万端の兵を眠りに就かせて、また次の櫓に向かう。
駐屯地を走りに走り、全ての櫓と巡回兵を無力化した後、司令室に向かうも、そこは無人だった。今度は光り油虫を走らせ、司令室周囲を走査すると、すぐ近くで眠っているサルがいる。サルの寝台の横には豪奢な軍服があり、司令官気取りのサルであることが判明した。
使い途のありそうなサルはすぐに眠りに就かせず、一時的な手足に任命した後、探索を続ける。
物資を貯蔵する倉庫は後回し、次に手を入れるのは兵舎だ。兵舎の外を見回る動哨は、司令室無力化前に始末してある。後は中の動哨を眠らせた後、寝台で休む兵を片付けるだけだ。
兵舎は兎に角数が多い。輜重管理の兵站線でもこれほどの人数が要るとは、部隊運営も難儀な話である。
複数並んだ棟のうち、一つを処理し終えて二つ目の棟の処理を手がけていたところで、シフィエトカラルフがイレギュラーを見つける。第三の棟において、兵が一名起き出してきたのだ。私は物音など立てていない。夜番の交代で起こされる前に自ら目を覚ました兵がいたのだろう。
手入れのために急ぎ手足を走らせるも、兵は椅子に腰掛けたまま動かなくなっている前直者を発見し、悲鳴を上げた。
するとハチの巣を突付いたような大騒ぎが始まる。眠っていた兵が一斉に起き出し、駆けつけたシーワでもとても倒しきれず、仕方なしに魔性瘴気を展開すると、兵の大半はバタバタと倒れる代わりに警報装置が作動し、駐屯地に大音量で警報が響き渡る。
全ての兵舎から兵が大量に飛び出し、倉庫からも番をしていた兵が出てくる。
眠らせても眠らせても兵は次々と出てくる。大半は兵舎の出入り口に来るため、そこを出迎えて眠らせる。裏口から兵舎を脱出して厩舎に走る者は、予め厩舎に配置しておいた手足で眠らせる。厩舎に行く者は、おそらく別の駐屯地に応援を要請しに行こうとしていたのだろう。
応援要請ではなく純粋な逃亡のために、あらぬ方向へ一目散に駆けていく兵もいる。灯りを持って走れば魔法の良い的であり、クレイスパイクの試射には都合がいい。灯りを持たずに走れば夜道に足を取られることになる。暗視の得意なアンデッドは、その背後に忍び寄ることにも首を断って眠らせることにも苦労などしない。
一兵足りとも逃さぬことを心掛けて斬って撃って眠らせ続け、一時間もすると動く者は駐屯地のどこにも見当たらなくなった。
虚しく警報だけが鳴り響いている。主なきままに作動を続ける装置を破壊すると、駐屯地には静寂が訪れた。
「強い兵が全然いなくても、これだけ数がいるとやはり時間がかかるものです」
「本当に全員殺してしまった……」
ラムサスはやりきれない顔で歯を固く食いしばっている。
「まだ生き残りがいるでしょ。アンチアンデッド化の意味も込めて、これから全ての身体の頭部離断を行います。後は希少な装備や魔道具、資料を回収し、不要な物資や施設は破壊、焼却しておきましょう。その後、司令室の横にいたサルにゴルティア内部の情報を吐かせることとします。日の出前にやることがいくらでもあります。時間はいくらあっても足りません」
ラムサスは瞳を閉ざし、首を横に振る。
「協力してくれないのですか?」
「それがノエルのためになるとは思えない」
非協力的なラムサスの力を借りることは諦め、ダークエーテルで絶命した綺麗な死体にアンデッド作成魔法をかけ、一時協力者を拵えていく。
多くの傀儡を同時に精密操作するのは難しいが、アンデッドの傀儡に単純な指示を与えるだけであれば何とかなる。
やるべきことは雑魚傀儡を動かして施設を破壊するだけではない。資料の読み込みや魔道具の解析はかなりの頭脳労働だ。こういうのは私の脳を通すよりも、ヴィゾークやイデナにやらせたほうがいい。私はいつも通り、思考力と集中力の資源を割くことなくできる魔力循環をして待つことにしよう。
◇◇
駐屯地の兵を殲滅してからおよそ三時間、アンチアンデッド化と施設、物資の処理が完了した。躓いているのは道具の解析だ。オルシネーヴァと違って、あまり取扱説明書が見当たらない。魔道具、非魔道具ともに、何に用いる道具なのか、使途不明な物が多い。
この駐屯地跡地に長居するのは下策。破壊を終えた以上、直ちに立ち去るべきであろう。退去に当たり、使途不明物全てを持ち出そうとするとかなりの大荷物になる。より希少度の高い精石や霊石を奢られた魔道具を中心に、重要そうな物を精選して持ち出すことにしよう。
場所を替え、人通りの無い地点で司令官のケーテ・パッシェンをドミネートから解放する。
身体の操作権を取り戻したケーテが口を開く。
「き、貴様ら。とんでもないことをしてくれたな!」
丸裸にされて土の骨組み状の拷問椅子に縛り付けられたまま、ケーテは威勢良く毒突く。これから自分の身体に何が降りかかるか想像はついているだろうに、涙ぐましい抵抗である。
自己紹介代わりにケーテの腕に短剣を押し当て、軽く力を込めて引き、一条の創を作る。
ケーテは表情こそ歪めるものの、痛い、と言うことも呻吟することもなかった。
痛みに耐えるケーテの前に立つルカをニッコリと笑わせると、ケーテは怪訝な顔をする。そんなケーテの創にクルーヴァの手を伸ばし回復魔法をかける。
短剣によって作られた創は回復魔法によって強化されたケーテの創傷治癒能力により直ちに塞がる。
創が完治したことを確認してから、今度は逆の腕に短剣を押し当て、新たな創を作る。
ケーテはまたも痛みに耐え、何も言葉を発さない。
彼女の心を開くため、私は再び回復魔法をかけ、創が治癒しては新しい創を作っていく。
三度繰り返しても、四度繰り返しても、ケーテは耐える。
浅い創ではよくないようだ。
そこで、短剣の刃を岩にぶつけて少し毀し、切れ味の鈍くなった短剣をケーテの肌に当てる。
毀れた刃を滑らせると、刃に生じた凹凸が皮膚と肉に引っかかり、それまでと異なる痛みをケーテに与える。
「ぐっ、うう……」
ケーテは初めて呻吟を上げた。心を開く作業は順調だ。私は拷問について良く知っている。これもスナッチの記憶か……。
見た経験、行った経験だけではない。私時代に自らの身体で拷問を受けた経験もある。拷問もまた一つの技能。私の技能をたっぷりと披露してやろう。
アーチボルクの不良ハンター、サバスにやったように優しく終わらせるつもりはない。ケーテに対する拷問は、まだ前座すら終わっていない。彼女が持っている全ての情報を白状するまで、この作業が終わることはない。これから長く時間がかかりそうだ。
◇◇
刃物を用いた拷問に飽き、鑢を使って左の大腿外側の皮膚を削いでは塩を揉み込む作業に従事していると、ケーテが力なく口を開いた。
「殺せ……」
拷問開始してからまだ丸一日と経っていないのに、ケーテはもう心が折れかけている。何とも脆弱な奴だ。まだ爪も剥いでいない、皮膚も剥がしていない、目も潰していないというのに、なぜ音を上げる。
私は一ヶ月以上拷問され、両目を潰され、両腕を斬り落とされても耐えたというのに、指揮官にあるまじき心の弱さではないか。これは間違いなく生存競争の過程で淘汰されるべき弱小種族だ。
とはいえ、早くに心を開いてくれたことは、とてもありがたい。
「ケーテさん。よく頑張りましたね。でも、もう楽になっていいんですよ。あなたは我々の質問に何も包み隠さず全てをお話しする決意がありますか?」
ルカを使ってケーテに問い掛けを行う。拷問が始まってからというもの、ケーテに話し掛けるのは、これが初めてだ。
「もう終わらせろ……」
ケーテは虚ろな瞳のまま、自己主張を繰り返した。
まだ本番は始まってすらいないのに、終わらせろ、とは信じられない自分本位な要求だ。これで、心を開いて情報を話すならまだしも、ケーテは自分だけ楽になろうとしている。
……少し私は先走りすぎたようだ。仕方なく対話は諦め、心尽くしの拷問を再開することにした。
しかし、せっかく拷問しているのだ。全世界津々浦々で見られるありきたりな拷問ではなく、私ならではの独創性に溢れる拷問はないだろうか。
ここ数時間ほど、拷問は単純作業を繰り返すばかりで、私の思考力は魔道具検証に割いていた。その思考力を新たな拷問の創作に傾ける。
そうだ。今、季節は秋。フィールドには虫がまだまだたくさんいる。これから気温が下がると、虫は激減してしまう。旬の特産品を活かすことで、趣向を凝らした拷問ができるだろう。
塩を揉み込む作業にしても、拷問は料理に通ずるところがある。ああ、創作意欲が湧いてきた。これから楽しくなりそうだ。
◇◇
センチピード、スタフィリネデ、ヴァスプ、ティク、スパイダー、またセンチピード……
フィールドで集めてきた毒虫を一匹ずつケーテの前に並べていると、ラムサスがその前に立った。
「ノエル、もうやめてあげて」
せっかく順調に拷問をしているのだ。ケーテの前で仲間割れのような真似を晒すのはまずい。
土魔法の石棺にケーテを閉じ込めて防音室とする。
「今更協力する気になったんですか?」
「協力するとは言っていない。そもそもあなたはまだ何も必要な情報を聞き出していない。単に彼女の身体に繰り返し痛みを与えているだけ。見ていられない」
「別に見ていなくていいですよ。何度も言ったじゃないですか。暇なら魔法の練習でもしていろ、と」
「なんであんな無意味なことをする」
ラムサスは軍人だというのに拷問の手法を理解していない。中途半端に痛みを与え、少しずつ証言を得る、というのは時間の無駄だ。典型的な素人失敗。
一つ一つ情報を聞き出すのではなく、完全に心を開かせた後でまとめて情報を語らせるべきである。
「あなたは私の邪魔をしたいのですか?」
「そうだと言ったらどうする。私を殺す?」
最終的にラムサスは殺す。それは既定路線だ。しかし、本来の役目を果たす前に殺すつもりはない。ここで少々邪魔をされた程度で破棄してどうする。
「無駄な前置きはやめるとしましょう。私は自分のできる手段で情報を引き出します。この件に関して、あなたの感情に付き合う気はありません。感情以外の意見はありますか?」
「ノエルの感情任せの復讐に協力する気はない。ただ、合理性からいって、この拷問はノエルのためにならないと思っている。だから、情報入手には手を貸す」
よく理解できない理屈をこね回しているが、ラムサスは小妖精を行使する気になったようだ。
「あなたの協力が得られても、ケーテを生かして返すつもりはありませんよ」
「分かっている。無意味な残虐行為に走らなければ、それでいい」
少しばかり遠回りすることになったが、ラムサスの協力が得られたことで、自分で行うよりもずっと早く情報を引き出せるようになった。
ソボフトゥルの能力により、ゴルティア軍の内部事情、戦力配置、魔道具の効果、各種道具の使い方を確認していく。
ケーテにとっては既知の情報であっても、我々にとっては未知の情報ばかり。ソボフトゥルは絞り込めていない情報の調査には不向き。情報の総ざらいには、ラムサスの力をもってしてもかなりの時間を要した。
「あー、司令官ってダメですね。道具の知識が全っ然ないじゃないですか」
「そういう知識を持っているのは技工兵。司令官の役割ではない。悪いのはケーテではなく、兵を全員殺したノエルの選択」
輜重部隊の最重要拠点の一つであるアウギュストの駐屯地を任せられた司令官ともあろうものが、ここまで現場のことを分かっていないものだとは思わなかった。
例えば遠距離武器を一つ取り上げてみよう。ケーテはそれが遠距離武器であることは分かっている。しかし、最大射程はどれほどか、有効射程はどれほどか、破壊力はどれだけあるのか、再装填にはどれだけ時間がかかるのか、どんな場面で運用すると効果的で、逆にどんな場面では使用に適さないのか、具体的にどうやって使うのか、どれほどの技能訓練を積めばどれだけの命中精度を得られるのか、ケーテはまるで分かっていない。これでは全く役に立たない。
「あなたは誰が技工兵か、見分けがつくのでしょうか?」
「そんなのは分からない。兵士一人一人のことを知っているのは、施設の長ではなく、班長とか小隊長とか、もっと下に位置する人間」
「そうですか。覚えておくことにしましょう」
マディオフという国では、人間未満の存在は徴兵の対象にならない。それなのに、ゴルティアではそういった選別されるべき劣等個体を正規兵として採用している。そのため、ゴルティア兵の装備は一風変わった物になっている。
圧倒的な兵数を揃えておきながら周辺国を制圧しきれていない要因が見えてきた。
私がゴルティアに居た頃からこんな国だっただろうか。それはおそらく違う。私が辞去してから変わったのだろう。
「あなたはここからどう動こうとしている」
「持久戦と洒落込むつもりです。ここから西進し、見かけたゴルティア軍は全て潰していきます。ゆっくりやろうとは思っていますが、技工兵探しは面倒なので――」
「技工兵は探したほうがいい」
ラムサスは何時になく強い口調で断ずる。
「何故そう思うのです」
「相手のことを知らなければ勝てない。これは常識」
「探したところで情報を引き出すためには――」
「情報は私が探す。そうしないと、あなたはまた同じことをする」
目の前で拷問が行われるのはよほど嫌らしい。回りくどい理由を付けずに最初から協力的であれば、今頃、リクヴァス、アウギュスト間に位置する軍事拠点をもう一箇所くらい潰せていたかもしれないものを……
「ノエル、約束して。たとえゴルティア人でも、民間人は殺めないって」
「それは約束できません。私はゴルティアのサルどもに情けをかけるつもりはない」
「この先にいるのはゴルティア人だけではない。旧ロレアル人だってたくさんいる。それに手をかけてはいけない」
「軍事施設に民間人がいてたまりますか」
「ノエルはゴルティア本国からの供給を絶とうとしている。東から補給できなければ、リクヴァスのゴルティア軍は、北のゼトラケインに援助を要請する。何も考えずに目に映る者全てを殺めていくと、ゼトラケインはマディオフと戦争を始めることになる。それでもいいの?」
大氾濫における魔物の流出路を見る限り、ゼトラケインの王、ギブソンは何らかの行動を起こしている。私はそれをマディオフ包囲網の一環と考えていたが……。もしこれが、純粋にゼトラケイン国民を守るためだけの行動だった場合、ギブソンはまだマディオフの明確な敵ではない、ということになる。
それなのに、私がゼトラケイン人の命を奪ってしまうと、ゼトラケインとしてもマディオフに対して報復をせざるを得なくなる。なるほど、そういう視点は無かった。
ラムサスの意見は無下にするべきではない。ラムサスを連れてきた理由の半分が、この知力なのだから。
「あなたの意見を一部採用します。軍事施設にいても、ゼトラケイン人やロレアル人はできる限り傷つけない。絶対に、という保証はできません。その約束は、自分の首を絞めかねない」
「あと拷問はやめて」
「何を言っているのです。駆除ではなく、戦争という観点で考えても、拷問なんてどこの国でもやっていることではありませんか」
「拷問にはその国毎の決まりだけでなく、国際的な規定がある。あなたはそれを守っていない」
ケーテはまだどこも身体欠損に至っていない。強姦もされていない。至って人道的な拷問しかされていないのにラムサスは何を言い出す。
国際規定がどんな内容を定めているか知らないが、どうせそれを守っていては一切情報を引き出せない生温い方法しか認めていないのだろう。
「そんなどこも守っていないものを馬鹿正直に遵守してどうするのです。それに殺してしまえば誰にもバレない」
「違う、違う! 規定違反の拷問を行ってしまうと、被拷問者は確実に殺さないといけなくなる。でも、拷問の過程で、生かしておいたほうがいい人間だと分かったらどうする? あなたは苦しい選択を迫られることになる。私達には拷問せずに済む手段がある。道を狭める選択肢を選ぶ理由はない」
後から記憶を消す手段は、決して万能ではない。消えてほしい記憶が消えてくれないかもしれないのだ。拷問という技術に対する興味はそれなりにあっても、身体的苦痛を与えることに対する嗜癖はない。ラムサスが調査に協力するのであれば、拷問に拘る理由など存在しない。
「いいでしょう。あなたが力を貸してくれるのであれば、必ずしも拷問は行いません。拷問をやっていると、時間がかかって仕方ない。私は決して好きでやっているのではないんですよ」
「私は知っている。あなたはケーテに痛苦を与えることしか考えていなかった。復讐に取り憑かれてはいけない」
ラムサスの今の発言、これは洞察ではなく小妖精の能力だ。全く間違っている。
私は確かにケーテに効果的に苦痛を与える手段について考えていた。それなりに楽しんでもいた。しかし、探究心の一環からくる充足感であり、復讐心を満たす悦びなど感じていなかった。あくまで情報入手のために行っていただけ。拷問という技能の向上に関心が全く無かったとは言わないが、強い固執はない。
ラムサスは勘違いしている。小妖精は大切な場面で情報を読み取り間違ったことがない。それなのに、今はなぜか不思議な間違い方をしている。おそらくこれも小妖精の何らかの癖。ラムサスが気付いていない偏り、あるいは法則によって、認識の齟齬が発生している。
分かりそうでいて分からない。小妖精の"癖"とは、言語化して説明できるものなのだろうか……。小妖精は今まで何度も決定的な分岐点で我々を助けてきた。しかし、何らかの癖が存在することを踏まえて振り返ると、助けとなっていたのは事実でも、真実を見抜いていたものではないような気がする。
「あなたの意見は理解しました。前向きに検討します」
「何その逃げ口上」
「これは快諾し難い要求をされたときのワーカーの定型文です」
「それは回りくどい言い方で断っているだけ」
ケーテのおかげでリクヴァスに詰めているゴルティア軍のおよその兵力は理解した。ミスリルクラスの兵の数はそれなり。しかし、決して極端に多くはない。問題はやり方だ。
「短期的なことだけでなく、中期的なことも考えましょう。リクヴァス東に建設中の新拠点、ええと……」
「ヴェギエリ砦」
「そう、ヴェギエリ砦。ここから西には、ヴェギエリ砦以外にさしたる大きな軍事施設はなく、アウギュスト未満の中規模輸送拠点ばかり。それを襲撃して周りましょう。街道で見かける輸送中の輜重部隊も潰します。するとどうなるか?」
「何度も各個撃破されると、ゴルティア軍は戦力を集結させる。場所はヴェギエリ砦以外にない」
リクヴァスでマディオフ軍とロレアル軍が戦っていたのは、かなり昔の話である。リクヴァスの要塞そのものは当時以上の堅牢さで残っていても、その周囲に、当時の軍事施設はほとんど残されていない。逆に今あるものは、ゴルティアが新しく造成したものばかりで、どれも小規模である。
「なるほど。では、それを秋の間にやりましょう」
「砦が完成し、そこに籠城されると、ノエルでも落とすのは大変だと思う」
「それは占領しようと思えば、の話です。やり方次第ですよ」
「兵糧攻めを考えてる? 季節はもう秋。越冬用の兵糧の半分以上は備蓄を完了しているはず。それだけあれば問題なく冬を越せる」
素晴らしい。ラムサスがそう考えているならば、私の計画が間違っていないと分かる。
「いいですね、その思考。私とあなたの立場の違いが明確になります」
横にいるウリトラスの顔をチラリと見る。
「これが戦争だと思っている限り、ゴルティアは有効な対策を取れません。それを強く確信しました」
「あなたは『駆除』と言った。具体的に何をやろうとしている」
「駆除はもちろんしますよ。でも、前に言いましたよね。私にはやりたいことがいくつもあり、一つには固執しません。可能な限り並行して進めます」
戦争という形式にこだわらないことで、ゴルティアが生み出した状況を利用することが可能になる。天候や環境の変化もまた有利を生みだす要素になる。私には突出した一芸がなくとも、多様な技術がある。それを組み合わせることによって可能となる手法を考えた。失敗すればかなり苦しいことになるが、成功すると面白いことになる。ああ、楽しみだ……
「早く雪が積もってほしいですね」
「初雪……十二月くらいだっけ?」
「山間部はもっと早いでしょう。平野部だと、例年通りならば十一月下旬くらいですね」
積雪どころか、初降雪までおよそ二ヶ月ある。それまでにすべきことは多い。今までで最も待ち遠しい冬だ。私は、遥か西の空を眺めた。




