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第一五話 刻印

 魔物の眠りは浅く短い。深く長く眠れるのは、身を襲う恐怖を完全に排除することに成功した頂点種の特権と言えよう。この大森林という土地では、人間は決して深く眠ってはいけない。どれほど強い人間であっても、この地に生きる捕食者側の魔物の目には食料としか映らないからだ。


 そんな被食者の眠りの作法に反した深く長い眠りに就いていた男、バーナード・ハリクが樹下洞に設えられた快適な床の中で目を覚ます。ドミネート下ではない、特殊薬物の影響下でもない、本当の意味での目覚めだ。


 目を開けたバーナードはゆっくりと上半身を起こした。


「あっ、目が覚めましたね」


 起き上がったバーナードを、ルカを始めとした手足数本で囲み、笑顔で歓迎する。


「お、お前らは……?」

「慌てなくても大丈夫です、バーナードさん。皆さんこちらにいますよ」


 シーワに半殺しにされたバーナードは、身に受けた暴力の記憶を失っている。覚えているのは大樹の前でルカと会話したことだけ。しかも、その内容すら半分以上を忘れている。どこまでを記憶し、どこからを忘却したか。それは今日までの間、何度も覚醒と昏睡を繰り返させる中で念入りに確かめてある。


 バーナードは我々のことを、大森林で遭遇したスタンピード収束目的のハンター集団、としか認識していない。都合のいい記憶は、これから存分に植え付けることができる。


 演出すればいい。我々が彼らの仲間だ、と。大切なバーナードの目覚めを喜び迎える。上手に演技できるのはルカだけだ。それで十分。美人の笑顔は男の正常な思考力を奪う。ましてや手厚く治療されてみろ。飼い犬よりもよく懐くのは、レンベルク砦で確実になっている。


 意識喪失前に比べて自由に動かぬ身体を、バーナードは必死に動かして立ち上がろうと試みる。そんなバーナードの上半身を軽い力で押さえ、床の上にもう一度座らせる。


「あなたは何日も眠ったままだったのです。いきなり立ち上がると倒れてしまいます。座って待っていてください。今、白湯を準備します」

「そんな悠長なことを言っていられるか――」

「ハリク()()、無茶はやめてください」


 忠告も聞かずに再度立ち上がろうとするバーナードを、バーナードより数時間早く目覚めていた治癒師のニニッサが掠れた声で止める。


「焦ってもこの森を脱出できません。今は落ち着いて……」


 ニニッサに止められたバーナードは恨めしそうな目をしながらも、大人しく床の上に座り込んだ。


 我々の忠告は聞けずとも、仲間の意見ならば聞き入れる。人間、新しい出来事を受け容れやすい個体と、受け容れに難渋する個体がある。より受容しやすい個体(ニニッサ)から覚醒させることで、物分りの悪い個体(バーナード)にも、この状況を受け容れさせることが可能になる。


「ニニッサさんから聞きました。バーナードさんは負傷した仲間の皆さんを守るために一人で大森林を探索されたのだ、と。我々と出会い緊張の糸が切れて、それで眠り込んでしまったんですね。ハイ、これをどうぞ」


 人肌より少し温かく加温した白湯の入った湯呑をバーナードに差し出すと、彼はおずおずと受け取った。しかし、口はつけずに疑惑の目でルカを見つめている。


「我々のこと、覚えていらっしゃらないんですか? 我々に助けを求めて、ここに案内してくれたのはあなたですよ」

「……お前達と会ったことは覚えている」


 バーナードは自分が意識を失った本当の理由を疑っているのだろう。それは賢いようでいて賢くない。我々がこの演劇を行っているのは、バーナードとニニッサの二人を殺さないためだ。余計なことを考えれば考える程、二人の生存の目が潰えていく。


「俺は何日眠っていた?」

「五日間です」

「五日!? だから身体が動かないのか!」


 バーナードは握りこぶしを作り、弱々しく床を叩く。


 身体が動かないのは五日間寝ていたからではなく、シーワに殺されかけたからだ。この五日間は寝ているどころか、私のドミネート下で懸命に機能回復訓練を行った。それでやっとここまで身体が動くようになったのだ。感謝してほしい。


「眠っている間に身体の傷はしっかり治療しておきました。酷い怪我でしたが、若いだけあって治りがいいです。我々の爺婆が羨んでいました」


 そう言われてバーナードは中年を越えて老年の域に至った見た目のシーワ達を眺める。


「……おい、お前。名は何という?」


 バーナードは手近にいたシーワに話し掛けた。シーワは目を(そば)めてバーナードを見るも、何も語らない。


「おい――」

「ハリクさん、彼らはレキンの方々です」

「ああ……。そういえば、そんなことを言っていたな」


 シーワを唖者と判断したバーナードは、シーワとの会話を諦めた。


「そうだ! たい……。あの方はどこに?」


 バーナードは発しかけた言葉を既の所で飲み込むと、慌てた様子でグルグルと周囲を見回し始めた。


「ウリトラスさんなら衝立の裏で休んでいますよ。眠りこけていたあなた方と違って、彼は五日間何度も目を覚ましていました。今も起きているのではないかと思います」


 危ういところで飲み込んだはずのウリトラス・ネイゲル大佐の本名をルカが知っていることにバーナードは驚き、目を見開く。驚きはすぐに怒りと不満に変わり、横のニニッサを睨み始めた。


「バーナードさんはうわ言でウリトラスさんや仲間の方のお名前を何度も呼んでいました。よほど心配していたのですね」


 名前を隠すことに秘密保持の心の一線が引かれていたのか、バーナードはガックリと項垂(うなだ)れた。




 しばらく気落ちしていたバーナードは、面を上げると、「仲間だけで話したいことがある」とルカに懇願した。もはや高圧的な態度は無くなっていた。


 我々が席を外すと、バーナードとニニッサはウリトラスの床の横に集まり、相談を始めた。ウリトラスは喉の奥まで焼かれた影響で発語に著しく難がある。傷痍によって軍人足り得ぬ状態に成り果てたウリトラスを、彼らは未だに指揮官と仰いでいる。国を裏切った今でも彼らの心は軍人なのだ。


 片言しか喋らぬウリトラスの傍らで、バーナードとニニッサは現状を確認する。ウリトラスの横に伏していたもう一名の生き残り、スメアクの訃報を共有しては悲しみ、軍人と露見(ばれ)てしまっていることを囁いては嘆き、悔やんだり悲しんだりしながら、彼らは今後の方針を決めていく。


 しばしの時間を掛けて決めた内容はこうだ。まずは、自分達に偽りの立場を与える。軍の上層部からドラゴン調査の密命を受けたものの任務に失敗し、こっそりとマディオフの街に帰ろうとする脱走兵。これが、彼らの新しい身分だ。表立って街に戻れぬ哀れな元軍人という役柄を演じて我々を騙し、マディオフの街に秘密裏に戻る。奇を(てら)うことのない、微笑ましい台本によって進む、幼稚なお遊戯である。


 そういう偽の設定というのは、本来我々と出会う前に決めておくべきものである。偽名すら事前に考えておかなかったのだから、疎漏どころの話ではない。そういう頭の悪い人間だからこそ、ゴルティアなんぞに騙される。大方、ゴルティアが地上の楽園だとでも思っているのだろう。


 作り上げた設定を我が身に投影させた彼らは樹下洞に我々を呼び戻し、お涙頂戴の素人演技を始めた。バーナードは、「我々はもう大手を振って国に帰れぬ身なのです」と大声で宣っては顔を突っ伏し男泣きする。ニニッサはそんなバーナードの横に座り、袖で目元を覆ってすすり泣きしている。


 私は、ウリトラスという傀儡越しに彼らの相談及び予行演習を一から十まで聞いていた。文字通り、命を懸けて演じる彼らの悲劇は、私からすれば笑いのツボを的確に押さえた喜劇そのものである。彼らの遊戯を台無しにせぬよう、私もまた懸命に笑いを堪えた。バーナードとニニッサは必死、私も必死。必死さは三者三様である。


 私と違って傀儡のルカは、嘘を並べ立てるバーナードを見て呆れている。笑いは、これっぽっちもこみ上げてこない。笑いの衝動というのは、私のドミネートの操作を越えて身体を動かすことがあるため、彼らの芋演技がルカの笑いのツボから外れていたことは幸いだった。


「命令が絶対の軍人さんは大変ですね。大丈夫、我々は秘密を守ります。街まで安全に送り届けて差し上げましょう」


 何も分からぬフリをして護送を快諾すると、二人は分かりやすく安堵の表情を浮かべた。ゴルティアに騙されただけあって、(ルカ)にも簡単に騙されてくれた。




 バーナードが目覚めた翌日、彼らは果敢にも樹下洞出発を決めた。


 体力的に森林を歩行するのが難しいウリトラスはニグンが背負い、他は全員が歩きだ。身体が癒えきっていないバーナードもニニッサも、弱音を吐くことなく自らの足で立って歩く。


 私は五日間彼らをドミネートしていた。二人がどれほど弱っていて、立って歩くのがどれだけ辛いか正確に理解している。日一日と回復しているとはいえ、生に縋ろうとする精神力は凄まじいものである。


 バーナード、ニニッサ、ウリトラスを背負ったニグン、ルカをパーティーの中央やや後ろ寄りに据え、彼らからずっと前方をフルードら、魔物の手足に歩かせる。


 道を妨げる魔物と言う名の障害物が全て排除されていても、創痍癒えきらぬ二人が森を歩むのは難事であり、大森林から脱出するのに十日を要した。


 厳しい山野移動とはいえ、休憩は頻繁に取った。食事は十分な量を摂取させた。治癒師であるニニッサは毎日回復魔法を仲間達に施す。治療に必要な条件は満たされており、彼らの体力は徐々に戻り、移動速度は日増しに速くなっていった。


 休憩時には談話する。脱走兵として逃げ帰った彼らが、国にバレずに今後の日々の糧を得るにはどうしたらよいか。これは我々にとっても冗談抜きで重要なことであり、真剣に相談に乗った。バーナードはハンターとして生きていくのに十分な実力を持っている。実力を隠して活動しても、食うに困ることにはならないはずだ。


 非ハンターのワーカー業を掛け持つ兼業ハンターとして生きていくことを勧めたところ、バーナードは難しい顔で唸っていた。世間知らずのこの二人が愚かな行動に走らぬように、先輩ワーカーとして毎日生活と勤労の指南を行った。




 大森林を南に抜けた我々はガタトリーヴァイーグルが(やかま)しく鳴きたてる峡谷を下った後、最短距離にあるフライリッツではなく、それよりも遠い、南西方面に位置するアーチボルクへ向かった。バーナードら二人がそう希望したのは、そこにウリトラスの住居があると知っていたからだ。


 アーチボルクが近付いたら、我々はウリトラスごと行方を晦ます予定にしている。その後、残された二人がどのように動くかは少々の賭けになる。消えた我々とウリトラスを派手に探して耳目を集め、脱走兵として二人が捕縛されると計画は失敗だ。とはいえ、そう簡単に恐慌(パニック)を起こして危険な行動を取ることはないだろう。彼らとは、様々な状況を想定して相談を重ねてある。


 例えば、街に辿り着く前に魔物に襲われて散り散りになった際の対応がそうだ。彼らは、我々が魔物(フルード)達と行動を共にしていることを知らない。アーチボルク近辺でフルードやジーモンを襲いかからせ、バーナードとニニッサをパーティーからはぐれさせるように仕向ける。それだけで自然に彼らを切り離すことができる。遣り様はいくらでもある。




 順調に進むうち、ステラの目に小さな街道が彼方遠くに映るようになった。街道は北北西から南南東の方角に走っている。我々の移動経路を元にぶつかる街道を考える。これはおそらくリブレンとフライリッツを結ぶ細道だろう。我々は方角を失うことなくしっかりとアーチボルクに近付いているようだ。


 峡谷を抜けて以降、パーティーの先頭はバーナードが歩いている。驚異的な回復を見せたバーナードは、しばしば顔を見せる大森林産の魔物を問題なく退けていく。戦闘力は八割方回復している、と彼は言う。彼の剣技には軍人っぽさがあり、対魔物の剣術には特化していないことが分かる。軍人なのだから、彼が習得しているのは対人剣だ。全快には遠い身体で、慣れない標的を相手にしてもバーナードの剣の冴えと、対魔物に特化した能力を持つハリク家伝来の宝剣が魔物を確実に仕留めていく。彼は本来ミスリルクラスに近い戦闘力があるのかもしれない。


 ニニッサのほうは火傷痕が残っているだけで、回復が期待できる部分は完全に治っている。プラチナクラスに相当する魔力があっても、戦闘力は至って平凡。ゴールドクラスあるかないか、というところであり、大森林の魔物を相手に戦うことなどできない。


 ウリトラスの回復も良好だ。父は短距離短時間ならば歩けるようになっている。火傷が特に重かった両腕は上手く動かず、手指の巧緻運動は拙劣なものの、スプーンで物を掬って(すす)る程度は可能だ。ルカで管理しなければならない生体が一体増えただけ、と思えば何のことはない。樹下洞で初めて見たとき、道傍の犬程度しかなかった魔力はプラチナクラス上位程度にまで回復している。これも驚異的な回復と評していいだろう。これならば本当にラムサスの言う通り、戦闘力として活躍できるかもしれない。


 少し決めかねているのは、父を母に一目会わせるかどうか、ということだ。父をリクヴァスに連れて行くと、母とは再会できぬままに命を落とすことになるかもしれない。戦死の可能性だけではない。火傷患者の皮膚は、どこまでいっても正常ではないのだ。常人には起こらぬ感染が生じ、あれよあれよという間に全身状態が悪化して死んでしまっても不思議はない。


 父は不貞をはたらいたのだ。母が許すかどうかは分からないが、生きている間に責める機会が無かった、というのは問題だ。


 父は面影が全く残っていない。重症患者を見慣れていない者には、人間にすら見えない嫌悪を催す酷い見た目をしている。目も見えない、声は何を言っているのかほとんど聞き取れない掠れ声。こんな父をいきなり母の前に出しても、母は状況を理解できない。不審人物と判断して暴行をはたらくかもしれない。私が父を連れて行って仲立ち役を担うのか……。私は本当に母には凶報しかもたらさないな。




 考え事をして歩いていると、パーティー後方を歩くフルードがレッドキャットの匂いを嗅ぎつけた。バーナードが先頭を歩きたがるようになってからというもの、フルードやリジッド達はパーティーの側方や後方に配置している。


 風に乗って流れてきたレッドキャットの匂いは、傀儡にしているレッドキャットのジーモンよりも強烈で、年季物の深みを感じる。傀儡達の意識を後方へ集中させる。ステラの目には、後方に何も脅威となる魔物は映っていない。しかし、どの傀儡も我々が歩いてきた道である北方から、エグみのある圧力を感じ取っている。


 圧迫感、レッドキャットの匂い、この二つから導き出される解答。そんなものは一つしかない。これは大森林最強にして最後のネームドモンスター、ツェルヴォネコートの匂いに決まっている!




「サナ、聞いてください」

「うん。何かが迫っているんでしょ? もしかして討伐隊……」


 我々の変化をいち早く察知して緊張を高めているラムサスに事情を説明する。


「違います。消息不明だった大森林の最後の一柱が近くにいます」

「うそっ!? どうして! 大森林からこんなに離れたのに」

「ドラゴンとの縄張り争いに負けたんじゃないですか?」

「このタイミングで? 冗談はやめてよね……」




 ウリトラス達五人が大森林の奥地で犯した罪業を思い返す。


 彼らは、大森林の奥地で発見されたドラゴンの卵に魔力を注ぎ、人為的に孵卵を早めた。魔力注入という名の給餌と疑似抱卵は成功し、卵は孵った。彼らの真の目的は孵卵の後にある。卵から生まれでたばかりの幼体を養育することにより、ドラゴンを馴致できないか、調教(テイム)できないか試みたのだ。


 孵卵直後から凶暴だったドラゴンは五人の命懸けの養育によってスクスクと成長した。飛行能力を獲得すると、五人の目の届かぬ場所に飛んで行っては傷だらけになって戻ってきた。飛び去っては負傷して戻り、回復しては飛び去る。それを何度も繰り返した。


 孵卵直後はともかく、生後数ヶ月の時点で、ドラゴンは並の大森林の捕食者よりも強くなっていた。それをボロボロに負傷させられる魔物。そんな存在は限られている。ドラゴンは大森林の支配者であるツェルヴォネコートと戦っていたのだ。


 負傷して戻ってきた直後のドラゴンは比較的五人に従順だった。しかし、傷が癒えると五人を散々に攻撃してから飛び去っていく。ドラゴンが並のレッドキャットより少し強い程度の時期はなんとか攻撃を凌ぐことができたものの、ドラゴンは時間の経過とともに急速に力を増していく。


 もはや手に負えない、と判断した五人はドラゴンの馴致を諦めた。五ヶ月弱に及ぶ長い試みは失敗に終わった。彼らが断念したのは、今から一ヶ月と少し前の話である。


 ドラゴンを見限った五人は大森林の脱出を決意した。ツェルヴォネコートの座する大森林中央を迂回し、東のゼトラケイン方面に抜けようとしたところで、彼らは飛来したドラゴンに襲われた。


 五人が持つドラゴンの情報は、そこで終わっている。その戦いで一名は死亡、ウリトラスを含めた二人が重症、バーナードとニニッサが中等症の傷痍を負った。袂別(べいべつ)を決定付けた戦いの後、ドラゴンがどうなったのかは分からない。異常なまでに急速に成長するドラゴンのこと。大森林最強のネームドモンスターを退けるほどの強さを得ていてもおかしくない。


 ドラゴンに支配者の座から追い落とされたネームドモンスターが逃げた末に大森林から遠く南のこの土地まで走るのは、ジーモンの敗戦後の逃走距離を考えても納得できる話だ。




「荷物がこんなに多くては守るに守りきれません」

「ここ、かなり街が近いよね」


 街道がステラの目に映ったことはまだ伝えていない。しかし、人里が近い独特の感覚をラムサスは察していたようだ。


 先頭を歩くバーナードが横を歩くフルルの様子の変化に気付き、会話口を求めてルカのいるパーティー後方を振り返る。


 バーナードに対し、ハンドシグナルで危険が迫っていることを告げると、バーナードも我々に倣って気配を殺す。大森林で生き残ってきただけあり、バーナードの気配遮断は優秀だ。


 さて、ここからどうすべきか。この地点での接触は想定外だ。手が塞がっている我々に討伐は難しい。


 バーナードとニニッサの存在は無視するとしても、戦闘力に乏しい荷物がウリトラス、ラムサス、ルカと三つもある。ノスタルジアを使わない限り、私本体も戦闘力にならない荷物だ。


 人型のアンデッドはシーワ、フルル、ニグン、ヴィゾーク、イデナの五本、ブルーゴブリンのクルーヴァが一本に、ブルーウォーウルフが二本、レッドキャットが一本か。ステラは大切な目であり、戦闘力にはならない代わりに荷物にもならない。


 この手足の中でツェルヴォネコート相手に通用しそうなのは、シーワの剣とヴィゾーク、イデナの魔法くらいのものだ。他は良くて囮程度。残りの手足で荷物を守るのは難しい。ここは何とかして戦闘を回避すべきである。




 大半の傀儡の意識を北方に置き、まだ見ぬ危険な存在の発見に全力を注ぐ。今の所、こちらへ向けられている視線は無い。ツェルヴォネコートはまだ我々を見つけていない。


 取り敢えずは風向きに助けられている。これで北風ではなく南風であれば、人間の匂いがツェルヴォネコートの方角へ流れていた。我々はまだ忍び寄るツェルヴォネコートの存在に気付いていなかったことであろう。


 この場所は大森林よりもずっと木々の密度が疎であり、空を舞うステラの目が頼りになる。一刻も早くツェルヴォネコートの所在を突き止めなければならない。




 前進を止めてツェルヴォネコートを探すこと数分、ステラの目が木々の合間を駆ける巨大なレッドキャットを見つけた。立派な個体だ。レッドキャットという種そのものが、燃えるように美しい毛並みを持つ魔物であり、ツェルヴォネコートはその中においても一際美しい。駆ける動きと切る風によって作り出される体毛の揺らぎが、焔を上げる一つの炎を思わせる。火魔法を使うまでもなく、その本性が火であると見て取れる炎の化身が木々を縫って走っている。


 ツェルヴォネコートの周囲には火焔蝶、レッドキャットが獲物を呼び寄せるために作り上げる火魔法の一つが見当たらない。狩りを目的として走っているのではなく、移動を目的として走っている。速度はかなりのもの、速歩から駈歩といったところだ。進行方向は南、我々のいる場所に向かって真っ直ぐに走っている。


 進行方向に我々がいるからといって、我々を捕捉しているか、というと、そんな様子はない。ツェルヴォネコートの注意はなぜか前方ではなく後方に向けられていて、チラチラと何度も後ろを気にしては振り返っている。何かに追い立てられてでもいるのだろうか。


 まさか、こいつはツェルヴォネコートではなく、単に少し強く大きいだけのレッドキャットの一体に過ぎず、本当のツェルヴォネコートがこいつの後方にいるのではあるまいか?


 嫌な予感に襲われてステラの観察の目を更に北側へ向けるものの、森の中にはこの一体を脅かしうる存在がこれと言って見当たらない。




「標的はどこにいる?」


 パーティー中央まで戻ってきたバーナードが迫りくる目標の位置を(ルカ)に尋ねた。


「まだ大分北側です」


 彼らに情報を提供する利益には乏しいが、下手に隠して騒がれても困る。仕方なく真実を伝える。


「見えているのか? なんで分かる?」

「我々にはちょっとした連絡手段があります。それより、標的は一直線にこちらに向かってきています。何か策を講じないと」

「少々優秀な程度のレッドキャットであれば倒せるだろうが、ネームドモンスターであれば倒すのは無理だ。隠れてやり過ごそう」


 ここに来るまでの戦闘経験で、バーナードは我々の戦闘力が彼らを大幅に上回ることを理解している。その我々がこれほど警戒するのだから、ネームドモンスターが迫っているのだ、と考えている。ゴルティアに騙される馬鹿であっても、戦闘に関してはそれなりに鼻が利くようだ。


 バーナードの言う通り、やり過ごすのは一案だ。ツェルヴォネコートと一戦を交えるのであれば、理想的な態勢を整えるべきである。ウリトラスの状態はまだまだ悪い。バーナードとニニッサの存在も邪魔である。私は二人を守るつもりなどない。しかし、私に守る意思がなくとも、死にたくない一心で彼らにどんな邪魔を仕出かされるか分からない。もしもツェルヴォネコート討伐を考えるのなら、二人を切り捨て、ウリトラスを回復させきった後が望ましい。


「ちょうど良さげな窪みを見つけました。ここに隠れることにしましょう」

「窪みといっても浅すぎる。こんなところに身を隠すのは不可能だ。近くを通りすがられると、簡単に気付かれてしまう!」


 我々の能力を理解していないバーナードは、私が見繕った隠れ場所に小声ながらも強く異議を唱える。


「そんなことはないと思いますよ」


 窪み部分を居槽として、窪みを覆うように土魔法で屋根を設けて即席の地下室とする。


「この中に隠れれば、我々の姿は見えないはずです」

「姿だけ隠したところで周りの地面との違いが……」

「いいからとっとと入ってください。表面はこちらで偽装用の装飾を施しておきます。人数は不要です。ほら、早く」


 脱走者三人を中に押し込み、屋根上に周囲からかき集めた土を浅く被せ、更にその上に変装魔法(ディスガイズ)を施して周囲と何ら変わりのない地面に作り変える。


 北を走る大物のレッドキャットがこの真上を通ると走り心地の違いは気付くだろうが、少なくともただ走り抜けるだけで重みに耐えきれずに踏み抜かれてしまうことはないだろう。


 見た目の加工を完了したところで、我々も地下に身を隠す。ここに収容できるのは人型をした手足だけ。フルードら、四脚の手足は茂みに身を潜め、ステラはそのまま空を旋回させる。


 大レッドキャットは、もう足音が聞こえるほど近くまで迫っている。この完成度の低い偽装は大物の目を欺くことができるだろうか。


 問題は外だけではなく、この地下空間にも存在する。ここに身を潜めているのは一見すると十二人。しかし、呼吸は七つしかない。意識して耳をそばだてると呼吸の数が少ないことに気付くかもしれない。


 今、一番大切なのはネームドモンスターとの戦闘を回避すること。人間達の方は、気付かれたら気付かれたで、また記憶を消せばいいだけだ。地下室の人間よりも、外の魔物動向に注意を傾けるべきであろう。


 大レッドキャットに見つからぬよう祈りながら、傀儡で標的の動きを(つぶさ)に観察する。


 大レッドキャットは先程と変わったところなく、ただ真っ直ぐに南へ走り続けている。駆ける速度は一定、襲歩とも常歩とも言えない中等度の速度で、(しき)りに後ろを気にしながらの"逃走"だ。


 大レッドキャットが近付くにつれ、私はこれまで経験したことのない強い戦慄を覚えるようになる。フルードやステラといった外に出している傀儡を含め、手足という手足、そして何より私自身が名状しがたい鈍い恐怖を感じている。人間的な感情に乏しいアンデッドの手足ですら危機感を抱いているのだから驚きだ。


 この緊張感、強い圧迫感。やはりあれは只の大きなレッドキャットではなく、大森林最強最後のネームドモンスター、ツェルヴォネコートということなのだろう。


 上手くやり過ごせるだろうか。もしも見つかってしまうと、この狭い空間で我々が打てる手はほとんどない。不利過ぎる態勢から戦闘が始まることになる。外にいるフルード、リジッド、ジーモンをツェルヴォネコートにぶつけて時間を稼いでいる間に地下室から這い出して戦闘隊形を整えないといけない。その間にフルード達は、まず間違いなく全滅する。のっけから手足を三本失っての戦闘開始など真っ平御免だ。気付かずに走り去ってくれることを願うばかりだ。


 不快な息苦しさを覚えながらも、私は一層息を殺した。

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