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第一〇話 フローライト

 マディオフ北東部最大の街、ナフツェマフ。環境の厳しいこの土地には、近隣に小さな村が点在する程度で、他に大きな街は無い。別の大きな街に行こうと思ったら、リブレンまで南下する必要がある。


 街の規模としてはアーチボルク以下、リブレン以上。大森林でのハントを夢想するハンターは、必然的にこの街を出発拠点(アタックベース)にすることになる。


 空に浮かべたルドスクシュアンデッドの目で、そんなナフツェマフの街並みを見渡す。


 住人が逃げだしてから、まだ三ヶ月と経っていないだけあって、遠目に見渡す限りでは荒廃などしておらず、今すぐにでも生活を再開できそうなほど、美しく穏やかな風情が残されている。


 倒壊した建物はなく、闊歩する魔物は見当たらず、目立った破壊の痕は無い。バズィリシェク相手に街中で戦闘が繰り広げられることはなかった、という証明だ。


 精々分かるのは、混乱の中で住民が逃げ出した、ということくらい。建物の美しさとは対称的に、道には物が無秩序に転がっている。避難民が途中で落としていったもの、撒き散らしていったものだろう。そうと知らなければ、清掃の行き届かない不潔な街だ、程度にしか思えない。


 かのバズィリシェクはそれなりの数の犠牲者を出したと聞くが、見える限りでは不自然な石像など、どこにもない。




 石化した人間というのははたしてどのような見た目になるのであろう。石膏像のように真っ白く目立って遠くからでも見て取れる、存在感のあるものなのだろうか。


 昔どこかで読んだ絵本では、被害者の服や持ち物まで石化していた。ただの絵本が事実考証を経て書かれたものとは考えにくい。石化するのは肉体だけ、というほうが感覚的には理解しやすい。


 石化が物理的な現象だとすれば、未乾燥の石膏や、それに類する短時間で硬化する化学物質を吹き付ける、という説が考えられる。この説だと、所持品が石化することになんら違和感はない。


 石化が麻痺の一種を指しているのだとすれば、筋強剛ないし痙性を引き起こす薬物や、弛緩前に一過性に筋緊張を引き起こす筋弛緩薬という可能性がある。こういった薬物では、所持品まで石化することは決してない。


 曖昧なのは呪いの場合だ。呪いは広義の魔法の一種とされている。呪いが所持品まで石化できるものかどうか私にはよく分からない。ラムサスも『呪いによりけりだと思う』としか答えない。


 イオスは、『バズィリシェクの石化の魔眼は呪い除けで防げる。呪われても解呪が可能』と言っていて、ラムサスは『イオスは嘘を言っていない』と判定している。イオスが誤情報を掴まされたのでない限り、バズィリシェクが引き起こす石化現象は呪いが引き起こしているもので合っているはずだ。


 私は、自分が解呪能力を持っているかどうか分からない。必要な場面にならないと思い出せないのが、この記憶の欠点だ。解呪能力があっても、それがバズィリシェクの呪いに通用するかどうかは分からない上、そもそも全く解呪能力を有していない可能性がある。


 最良なのは呪われる前、つまりバズィリシェクに見つかる前にこちらがバズィリシェクの姿を見つけて先制の魔法攻撃を撃ち込み、一撃で倒すこと。要点は普段のハントと大差ない。


 普段にまして先制攻撃が重要であることを確認できたところでバズィリシェク探しに再度意識を傾けても、ナフツェマフの街中のどこにもそれらしき姿は見当たらない。


 こういうとき、闇雲に探索時間だけ延ばしても標的は見つからない。なぜ見つけられないのかを考えることこそ肝要である。


 考えられそうな理由、その一。建物の陰や建物内部など、傀儡の死角に潜んでいる。


 その二、実は夜行性で、日中は巣と定めた場所に籠もって出歩かない。


 その三、獲物が少なくなったナフツェマフを見限り新しい定住地を求めて旅立ったため、既にこの都市にはいない。


 四、寿命で自然死した。


 五、出張ってきたドラゴンに食べられて死んだ。


 ……


 見つからない理由はいくらでも考えられる。


 バズィリシェク側ではなく我々側に要因はないだろうか。今、バズィリシェクを探索している傀儡はルドスクシュアンデッド一羽のみ。ルドスクシュアンデッドの目では、リッチやデスロードほど鮮明に魔力が見えない。新生児の視力が低いのと同様、アンデッドも転化してから間もないと目が悪いのかもしれない。これは間違いなく我々の探索を不利にする要素の一つ。


 バズィリシェクを探して飛行するルドスクシュアンデッドは雲の疎らな空にぽっかりと大きな鳥影を作っており、目立つことこの上ない。見つけてくれ、と言っているに等しい。


 バズィリシェクが今もナフツェマフにいたとして、ルドスクシュアンデッドがバズィリシェクを見つけるのと、バズィリシェクがルドスクシュアンデッドを見つけるのとはどちらが早いものだろうか。


 バズィリシェクのほうが先に気付きそうなものである。たとえそうなったとしても、我々の本隊が見つからなければ良しとしよう。


 審理の結界陣のように呪いが傀儡操者である私まで伸びないことだけを切に願い、ルドスクシュアンデッドを羽ばたかせる。




「見つからないなあ……」


 ルカにポツリと零させると、退屈のあまり、イデナの背中の上でウトウトしかけていたラムサスは即座に反応する。


「もう結構な長時間探索を続けてるよ。探し続けるにしても、何か新しい試みをしてみない?」


 独り言のようなルカの台詞にもラムサスは律儀に返答する。むしろ、自分の意見を言いたくて仕方ない様子に見える。


「何か名案を思いつきましたか?」

「名案かどうかは分からないけど、私がノエルだったならやってみたい探索方法はたくさんある」

「是非その名案を聞かせてください」

「だから名案かは分からないって……。ナフツェマフの街中を偵察しているのはルドスクシュアンデッドだけなんだよね?」


 アンデッドであるリジッドには街の外を探索させている。街の中へは立ち入らせていない。


「バズィリシェクは飛行物に興味を示さず、地を歩くもの、例えば足音が近付いたときだけねぐらから出てくる魔物だとすれば、ルドスクシュアンデッドで空からいくら探しても見つかりっこない」

「確かに。ワーム系の魔物にはそういった特徴を持つ種があります」


 ムグワズレフやイェジェシュチェン台地に棲息するサンサンドワームが好例だ。あの魔物はルドスクシュだろうがガタトリーヴァホークだろうが、何日空を飛ばしても見つからない。


「そこで一計。ディアー(シカ)のホードみたいな魔物の群れを見つけて、それに街を突っ切らせる。そうすれば、街全体を一回で探索できる。戸外だけだけどね」

「その索敵方法は私も少しだけ考えました。難易度が高いのでボツにした案です」

「そうなの? 具体的にどのあたりが難易度を押し上げてるの?」


 私はそこまで大量の傀儡を同時に操作できない。大量同時操作は自分本体とシーワやヴィゾーク達本隊の操作に支障をきたす。それに有効距離の問題もあるのだから、どのみち街の外から傀儡を操作して街を虱潰しに探すのは無理なのだ。


 どうしても試みるなら、傀儡として操作するのではなく、追い込み猟や牧羊犬を用いた羊飼いの要領で群れを誘導するしかない。これもまた困難な話だ。


 牧羊犬が羊の群れを制御できるのは、羊と犬との間にある程度の信頼関係が成立しているからだ。犬を見たことがない羊は、走る牧羊犬を見ただけで恐慌(パニック)に陥る。なにせ、羊からしてみれば、犬が自分を噛み殺すウルフにしか見えないのだ。高度に訓練された牧羊犬を用いても、牧羊犬に慣れていない羊を、意図した場所に誘導することは不可能だ。


 これは牧羊犬と羊ではなく、ブルーウォーウルフとディアーであっても同じことだ。


「難易度を押し上げているのは……諸事情です。とにかく無理なんです」

「なんで隠すの? そういえば長距離操作ができないんだっけ。あと、そんなに沢山の数は傀儡にできないんでしょ?」


 同時操作数についてラムサスに説明したことはないはずだ。ラムサスは決して仲間ではない。あまり手の内を晒したくない。


「諸事情です……」

「そっか。今度からちゃんと覚えておくね」

「……」


 迂闊に相談を繰り返すと私の切り札や奥の手が無くなってしまいそうだ。下手な誤魔化しは沈黙に如かず、だろう。


「黙りこくらないでよ。せっかくイオスに振られた傷の痛みから立ち直ってくれたのに、すぐに黙ってしまう……」

「イオスのことは関係ないですよ。別に傷ついてもないですし」

「嘘ばっかり。ノエルはイオスの力を借りようと思っていただけじゃなくて、イオスが好きなんだよね?」

「それ、どういう意味で言ってます?」

「普通の意味で聞いただけなのに、その聞き方。ノエルってもしかして男色なの? ああ、だからアシッド(ラシード)を誘惑してたんだ」


 また厄介な方面に話を持っていく。ラシードに懸想しているのはルカであって私ではない。イオスに懸想していたのは、元の私(エル)と融合前のセリカであり、アルバートと融合後、その感情は希薄化している。完全に無くなっている、と断じられないのが悩ましい話だ。こんなことを具体的に説明する必要はないだろう。


「妄想力逞しいことで」

「それは冗談にしても、イオスを殺したくなかったのは本当でしょ? それにしたってあの持っていき方はないよ。あんな勧誘で乗ってくる人はどこにもいない」

「……能弁ではないことは否定できません」

「ノエルが嫌味ったらしい鼻持ちならない喋り方をしているのって、そういう()()なのかと思ったけど、無自覚だったんだ。よく会議が上手くいったなあ」


 ラムサスが言っているのはジバクマとオルシネーヴァの平和条約締結会議のことだ。あれは苦労した。


 誰も彼もぶすっと押し黙って喋らないものだから、ポーラ(ルカ)で明るく謙虚な姿勢で司会代わりに話を進めると、ジバクマの賢老院議員が調子に乗ってオルシネーヴァに無茶苦茶な要求を始める。


 話をややこしくする議員どもを全員殺したい衝動に駆られながらも、愚直に我慢して優しく釘を刺した。それなのに私の気を知らず、老人達は、小娘は黙っていろ、とポーラまで馬鹿にし始める始末。


 辛抱堪らなくなって実力行使を一言口にすると、今度は気色の悪い笑みを浮かべて一斉に諂諛(てんゆ)を始める。


 ジバクマの賢老院は皆、対応が極端だ、と当時は思ったが、極端なのは私だったのかもしれない。能弁であれば、話は最初からもっと円滑に進んだのだろう。


「あの会議、凄い苦労したんですよ……。それより、私の喋り方はそんなに愛想がないでしょうか?」

「愛想がないっていうか、基本偉そう。驕り高ぶってる」

「えぇ……」


 自分では分からない他者からの見え方を、思いもよらないタイミングで忠告される。


「なんで私達と会話するときみたいにイオスと話せないの?」

「イオスとは昔から、ああいう話し方なんですよ。それこそ数十年前から」

「ルカを通して会話していたんだから、ノエルの喋り方じゃなくて、ルカの喋り方をしていれば、イオスは協力してくれたんじゃないかなー」

「そうですかねえ?」


 私に協力するとイオスの立場が危うくなることは分かっていた。私は最初から情報交換するためだけにイオスを訪ねたのかもしれない。それがラベリング効果によるものなのか、無自覚の本心だったのかは自分でも分からない。


「イオスは凄い魔法使いだし、それに中年とは思えないほど格好良かったなあ。そういえばさ、エルキンスとベネンソンが私の故郷に来た後、党が結成されたんだ」

「党?」

「うん、党。ベネンソンが女性のハートを鷲掴みにしたからね。言うなれば、"増上慢した弟子に手を焼く魔法使いベネンソンを想う女性の党"ってところかなあ」


 随分と長い党名だ。ジェダの周りにいた女達はベネンソンに助けられて骨抜きになってしまったようだ。危機に登場して颯爽と女性を救出する。いかにも女の好きそうな美談だ。


「これだとノエルを元気づける話にはならないか……」


 私を元気づける話? 私を罵倒する話の間違いではないだろうか。ラムサスも大概口下手だ。一体どこから私を元気づけようとしていたのだろう。もしや最初からだろうか?


「あっ、でも、若干名だけエルキンスのほうが好きっていう物好きもいたよ。『背伸びした感じ、俺様な感じがいい』って」


 それは多分ジゼルのことだ。二十二年の間で(アール)に好意を寄せた数少ない貴重な女性を物好き扱い。励ますという名目でやはり私を罵倒している。弁の立たない自信過剰な弟子に手を焼く魔法使い、という肩書は、当時のベネンソンだけでなく今の私にも当てはまっている。


「イオスとの交渉が決裂して残念なのは、貴重な成長の機会を失したことです。私の機会ではなく、あなたの成長の機会ですよ。あの人間の水魔法は、あなたにとって良い手本になるはずだったのです」


 私は水魔法が得意ではない。傀儡の中にも水魔法を得意とする個体はない。水魔法はここ数年足踏みを続けている。


「確かに凄い魔法だった。でも、ノエルの土魔法と同じくらいに見えた。私はノエルの土魔法を参考にするから別にいいよ」


 私はイオスの水魔法を見て土魔法に転用し、ラムサスは私の土魔法を見て水魔法の練習をする、か。二世代ずれた鏡写しだ。


「私が手足三本がかりでやることをイオスは一人でやっています。細かな魔力制御に目を向けても、イオスのほうが高度なことを行っています。『文字を習うときは、より麗筆を(ふる)う者に教えを請え』という言葉があります。あなたの故郷にも似たような意味の諺があるんじゃないですか? そういう教訓を魔法に当てはめるなら、私よりもイオスを見て学ぶべきなのです」

「魔法、魔法って言ってるけど、私は魔法よりも剣のほうが得意だし……」

「何を言うのです。あなたは天稟(てんぴん)に恵まれた魔法使いです。練習を始めてまだ二年と経っていないのに、もう私を超えそうになっている」


 ラムサスの水魔法の成長速度は、昔の私の土魔法の成長速度に近似している。私は既修得の水魔法の技術を土魔法に転用することで、その成長速度を出すことができていた。言い換えるならば、貯金があった、ということだ。


 ラムサスは私と違って零からの積み重ねであることを考えると、実質の成長曲線は私よりも急峻。


「あれ……まだそんなものだっけ? もうかなり長い時間一緒にいる気がする」


 誰もが羨む稀有な才能に言及しても、その才能がどれだけ貴重か分からない本人は興味をそそられない。年月のほうに気を取られている。


「はあ……。我々は寝食をともにしているのです。一般人が学校で送る十年の師弟関係よりも、我々の二年のほうが濃密に決まっています」

「そうだねえ」

「サナはきっとイオスを超える水魔法使いになる。私はそう期待しています」

「超えるどころか、同じ高みに到達できるとは思えない」


 このやり取り。私もエヴァとしたことがある。きっと、時と場所、人を変えて、世界中で同じやり取りが繰り返されている。


「今日明日ではなく、もっと先の話ですよ。私だって追いついてすらいないのです」

「弟子が師匠に追いつくよりも先に孫弟子が大師匠に追いついたら形無し……。いい。それ凄くいい! 頑張ろう!!」


 ラムサスはとんでもないことを言い出す。若い人間は何が動機になるか予測が付きづらい。ラムサスはラシードにも対抗意識を燃やしていた。典型的な負けず嫌いである。


 ラムサスの中で、私は師匠から兄弟子あたりに格下げされているのではないだろうか。


「イオスが使った水魔法、ノエルは土魔法でどれくらい再現できるの?」

「それが色々と無理なんですよ。土魔法には冷却力がないので」

「そういう属性固有の特徴の話じゃなくて、共通した部分の技術的な話」

「うーん」


 イオスは氷を伸ばし、伸ばした氷の先で氷縛魔法(フロストホールド)を行っていた。同じ要領でイオスは氷壁(アイスウォール)を作り出すこともできる。


 私ができるのはグラウンドニードル程度。それを駆使してフロストホールドの様に相手を捕縛できるか、というと難度が高すぎて不可能。アイスウォールならぬアースウォールも、私だと手の届く距離にしか作り上げられない。しかも手足数本がかり。


「派手な魔法だと逆にイメージし辛いかもしれません。地味ながら分かりやすい例があります。人間の顔を作らせればいいのです」

「顔?」

「以前川を越える際に私が作ったパドルを覚えていませんか?」

「パドル……? あっ、思い出した。私達の人頭像が取っ手部分についていたパドルだ。写実的で、凄くよく出来ていた」


『よく出来ていた』というラムサスの言葉をつい鼻で笑ってしまう。


「今なんで笑ったの? 感じ悪い……。そういうとこだよ」

「失礼。あの人頭像は失敗作なのです。あれではダメ……。あなたは画家の表情練習を見たことがありますか?」

「ないよ、そんなの」

「見たことがあれば分かりやすかったんですけどね。表情の描き分け、作り分けはとても難しい。笑顔一つとっても微笑、大笑い、照れ笑い、冷笑、苦笑、色々とあり、その全てを描き分けられないと表情を表現できているとは言えない。私が作った人頭像は、どれも同じような半笑いになっていた。イオスはその辺をしっかりと作り分けられます」

「芸術家の蘊蓄(うんちく)を聞かされているみたい」


 ラムサスは渋い顔で私の話を聞いている。


 無機的な物や幾何学的な構造物の制作ならば、私はイオスに肉薄した完成度に至っているとは思うが、人の像を作ると簡単にボロがでる。まるで今にも動き出しそうな躍動感や生命力、生きたまま凍り付いたかのような活き活きとした表情は、私の像からは感じられない。


「魔法にだって芸術的側面があります。表現力の差は、私とイオスの魔法技術の差をそのまま表していると言って差し支えありません」

「そんな細かい部分――」

「甘く見てはいけません。そういう細かい部分の積み重ねが大きな差になるのです。大作を手掛けようとするときに、局所局所の精度の低さに悩まされるのは、建設の分野でも同じです」

「よく分からないけど、今度フルードの氷像を作るときは、表情にも力を入れてみる」

姿勢(ポーズ)にもこだわってください」


 ラムサスは平皿も綺麗に作れないくせをしておいて、最近よく作る犬の氷像はそれなりに見える。フルードがモデルなのだから、犬ではなくウルフか。


 犬っぽく見えてしまうあたり、出来はまだまだではあるが、私の作る像よりも生命力がある、将来性を感じさせる作りだ。


 フルードをのべつ撫でている効果かもしれない。フルードを偵察から戻すと、暇さえあれば撫でている。


 長時間撫でられていると感覚が麻痺し、フルードではなく私が撫でられているように錯覚する。


「あっ」


 バズィリシェクを探すために会話を始めたはずが、脱線に脱線してしまっていた。その影響で探索手法を変えなかったのが、逆に功を奏した。


「お喋りは中断です。仕掛けにアタリが来ました」


 ルドスクシュアンデッドに向けられる視線が一つある。視線が発せられているのは間違いなくナフツェマフ街中からだ。


 しかも、ただ観察するだけの視線ではなく、捕食者が狙いを定めているときの視線だ。ルドスクシュを獲物と見做している。


 視線の主はルドスクシュよりも強い。だからこそルドスクシュを獲物にできる。ハンター? いや、違う。これは人間やゴブリン、オーガら、亜人の視線とは全く違う。


 この冷たく舐め回すような視線は爬虫類特有。アタリの中の当たりだ。バズィリシェクがいる。どこだ、どこにいる?


 ギラついた視線の主を探し、問題の方角を熟視しても、目につくのは教会らしき一等高い建物だけ。


 建物の陰にも窓の奥にもスネークどころか生者の姿が見当たらない。しかし、教会に重なって魔力が見える。教会のどこかに魔物が潜んでいる。


 焦り視線の主を探す中、やおら視線の質が変化する。


 魔力によって新しく特性を与えられた視線が、ルドスクシュアンデッドの脳髄を痺れさせると、ルドスクシュに明らかな変化が顕れる。


 ドミネート下にあるルドスクシュアンデッドの身体が全身で訴える。視線の発信地である教会に行かなければならない、と。


 あそこが素晴らしく魅力的な場所だ、と心の底から感じている。私がルドスクシュアンデッドの操作に割く集中力を少しでも減らすと、その瞬間にルドスクシュアンデッドは教会へ急行するだろう。


 それほどに強い衝動。生者が意識せずとも自然に呼吸を繰り返すよう、ルドスクシュアンデッドは()()()へ行こうとしている。それが今のルドスクシュアンデッドにとって自然な行動。ルドスクシュアンデッドには、教会が約束された安息の場所になっているのだ。


 これが石化の呪い? 違う。これは……幻惑魔法の一つ、魅了魔法(チャーム)だ!


 呪いがかけられるとばかり思っていたら、視線に乗せて幻惑魔法が飛んできた。これはイオスの情報に無かったことだ。


 魔法をかけられたのが傀儡で助かった。私本体が魅了魔法にかかっていたら、傀儡を含めた全員が有効な対応を取れなくなるところだ。


 幸いにして、標的への強制力はチャームよりもドミネートのほうが上だ。操られたフリをしてこのまま接近する。


 ルドスクシュアンデッドを教会へ近付けるため、ドミネートの有効距離を伸ばす中継点(リピーター)を空に放つ。


 ドミネートを維持させられるのは私を中心とした半球内部。この球の半径は何年も増大していない。


 これが私の距離限界。術者からの限界が定まっているならば、術者を新たに作ればいい。傀儡に私が放つドミネートの信号を中継(リピート)させることで、新しい半球を作り出すことができる。


 リピートのためだけにヴィゾークやイデナ等の戦闘力を有する手足を使うのは下策。光り油虫(シフィエトカラルフ)を使う。


 カラルフは多能。身体は小さく、動きは素早く、飛行が可能。粗食飢餓耐性、乾渇耐性、寒冷耐性、温熱耐性を備えている。


 毒壺で入手し、イデナとヴィゾークに仕込んだ生命球(バイオスフィア)内部で累代飼育しているシフィエトカラルフは、自然魔力(マナ)の豊富なダンジョン最下層に棲息していただけあり、地上のカラルフよりも更に優れた特性を持っている。


 それは魔力を利用して各種能力を引き上げることだ。通常の状態では、淡く光るのが精一杯。しかし、精石を身体に取り入れることで、他にも様々なことができる。


 聴力と知性を向上させると、虫でありながら言葉の聞き取りができる。視力と知力ならば、文字が読め、人間の顔が判別できる。遠見もできる。魔法能力を向上させれば、こうやってドミネートの中継点(リピーター)になることができる。


 能力の活用には精石が必要になる、という欠点を差し引いても便利な道具だ。ドミネートを使える私にお誂え向きの傀儡だ。


 リピーターによって有効距離という鎖から解放されたルドスクシュアンデッドがナフツェマフ上空へ飛んでいく。目指すはナフツェマフ中心地に(そび)え立つ教会。


 教会に"何か"がいる。魔力は教会から少しも動いていない。確実にいる。いるのは間違いないのに、距離が縮んでもルドスクシュアンデッドの目には生者が何も映らない。


 なぜ何も見えない。隠れている? どこに?


 ルドスクシュを獲物にしようと目論むほどの敵だ。身体はそれなりに大きいはず。ルドスクシュの目で探し出せないはずがない。それなのに敵の姿が見えない!




 このまま教会まで飛行させると、リピーターの有効距離までも越えてしまう。


 本隊も移動するしかない。謎の視線はルドスクシュアンデッドだけを見ている。我々には気付いていない。


 ルドスクシュアンデッドは視線の主に食われるかもしれない。所詮は使い捨ての手足の一つ。本隊に被害が及ばなければ何も問題はない。ルドスクシュアンデッドの一羽程度、バズィリシェクを釣り上げる餌と考えれば安いくらいものだ。




 意を決して隊を動かすと、ラムサスが過剰に反応する。


「見つけたの?」


 傍目強心臓のラムサスでも大森林の上位ネームドモンスターは恐いようだ。


「見つけてはいません。逆にルドスクシュアンデッドが見つかってしまい魔法をかけられました」

「呪われた!? なんでそんな落ち着いてるの。このまま行ったら、私達まで呪われてしまう」

「呪われてはいません。かかった魔法はチャームです。サナがあまり騒ぐと我々まで魔法の餌食になってしまいます」


 穏やかに宥めることでラムサスは非難をやめる。


 敵が何に反応するか分からない。無駄口は叩かぬに限る。


 意識を先遣の傀儡に戻し、索敵に集中する。ルドスクシュアンデッドを捉えている視線は相変わらず一つだけ。今も視線は教会から放たれている。


 本隊前方の露払いをするリジッドに向けられる視線はない。リジッドは既にナフツェマフの街の端に足を踏み入れている。その場所からは教会の尖塔先端しか見えない。角度変わって下からの視点でも、やはり敵の姿は見えない。


 なぜ空から見下ろしても、地上から見上げても見えない。窓枠に填まっているのは通常の硝子ではなく光束分割鏡(マジックミラー)だとでもいうのだろうか? 


 それならば建物の中から一方的にこちらを覗き見られる。だが、教会の大部分から魔力が放たれている説明がつかない。何がどうなっている……


 姿を見せない敵の正体が掴めぬままに近付くうち、再び視線が変質し、着陸地点を見繕って滑空するルドスクシュを鋭く射抜く。


 今度の変化は、先の変化よりもずっと禍々しい。強力な魔力を伴う野蛮な視線の凶器。それに射抜かれた直後からルドスクシュアンデッドの身体が凄まじく重くなり、生者が疲労困憊になった時のように体動に抵抗を感じる。


 これは魔力的な束縛のようにも感じられる。束縛はじわりじわりと強くなっていく。


 これはチャームとは全く違う。これが石化、やはりバズィリシェクだ!!


 体表が硬化を始めたのか、それとも骨格筋が麻痺しているのか分からないが、このまま束縛が進むと身体は確実に動かせなくなる。


 イオスが言っていた『石化完了まで半日』というのは、束縛が呼吸筋や心筋を冒し、対象が死に至るまでの時間を指しているのではないか? 身動きが取れなくなるまでの時間は、半日よりもずっと短そうだ。


 バズィリシェクは聞いていた以上に厄介な能力を持っている。


 高級以上の呪い除けの魔道具、確実な解呪手段。幻惑魔法対策さえ準備できれば色々と実験してみたい、面白い能力の持ち主だ。


 しかし、そこはネームドモンスター。色気を出しては大損害を被ることになりかねない。最優先はバズィリシェク討伐。それが無理でも討伐手段を模索する。


 そのためには、なんとかしてバズィリシェクを白日の下に引きずり出さなければならない。


 今ならまだルドスクシュアンデッドは逃げることができる。身体が如何に重かろうと、物理的な重量は変わっていないはず。風をとらえて離脱することは可能。だがここは逃げない。


 バズィリシェクは鳥の頭部と蛇の身体を持つ魔物とされている。外見描写が正確かどうかは別として、外見の情報が残っている、ということは人前に決して姿を現さずに闇の中だけで(うごめ)く魔物とは違うということだ。


 かの視線は爬虫類のものだった。爬虫類は満腹時、他者への関心が激減する。レイブン(カラス)のように戯れに攻撃することもなければ、スパイダーのように食料備蓄のために殺すこともない。


 今空腹で、今食べたい。だからルドスクシュに反応した。捕食のために必ず姿を見せる。見つけてしまえば勝機はある。


 ルドスクシュは囮だ。バズィリシェクの胃袋に自分の体を突き入れることこそを使命とする。


 教会のすぐ横にある大通りに着地させよう。力の入り辛い身体でも滑空は可能。着地の衝撃で中等傷を負っても構いはしない。原型を保ち、ドミネートさえ維持できればいい。多少の怪我であれば自動再生オートリジェネレーションが勝手に修復する。




 両脚を犠牲にして翼と体幹を守る、という覚悟で硬い石造りの地面に着地する。上手く羽ばたけないために十分な減速はできなかったものの、全身制御は思ったよりもずっと上手くできたために、大きな怪我を負うことなく地面に降り立つことができた。


 大通りから教会を見上げてバズィリシェクを探す。


 禍々しい視線は今もルドスクシュを捕捉している。光束分割鏡だと中は見えずとも、開いている窓があれば建物内を観察できる。どこか開け放たれた窓はないか、と教会の側壁を探していると、教会正面の外壁が音もなく崩れ始めた。


 まるで蝋で作られた建造物の模型が熱せられて溶け崩れるように、煉瓦が下へ下へと流れていく。


 よく見ると、それは煉瓦ではなかった。壁から溶け落ちるように下りた物体。これこそがバズィリシェクだったのだ。


 煉瓦と同じ灰色だった体色は、見る間に鮮やかな緑、青藍、紅緋色へ変わっていく。教会の壁を広く覆っていた身体は見合った重さがあるためか、意外にも足音が大きい。


 身体を覆っているのは鱗ではなく羽毛だ。バズィリシェクが一歩脚を進めるごとに、全身は南方の鳥も恥じらう美しい模様へ変化していく。


 バズィリシェクが鳥の頭を持つ、と考えられていたのは、変幻自在に色を操る羽毛を持つがためだ。羽毛はともかく、他の身体つき、動き方は爬虫類そのもの。


 身体をくねらせて歩く度、羽毛からは微細な魔力の粒が舞い上がり、その幻想的な美しさときたら崇高さすら覚えてしまうほどだ。




 無機質で縦長なバズィリシェクの瞳孔に見つめられ、ルドスクシュは身体が動かなくなる。


 石化が急激に進んだのではない。恐怖に竦んだのではない。


 絶景を前にして感動のあまり言葉を忘れる。その表現が最も近い。ルドスクシュはバズィリシェクの美しさに見惚れて動けなくなっている。


 距離が近付くほどバズィリシェクのチャームの効果は増すのかもしれない。


 ルドスクシュの目前で立ち止まったバズィリシェクは口をパカリと割り開く。頭部についているのが"嘴"ではなく"口"であることからも、バズィリシェクが鳥の魔物ではないことが明らかだ。開口した顔貌はリザードにしか見えない。


 羽毛の生えていない薄紅の口腔粘膜はルドスクシュにかつてない安心感と陶酔感を与える。口内からするりと長い舌が伸び、針のように鋭い先端がルドスクシュの身体に突き立てられた。


 舌に貫かれたルドスクシュに痛みはあっても恐怖はない。バズィリシェクの何もかもが尊い。刺された痛みにすら尊さを覚える。


 バズィリシェクはこの世の何よりも貴ばれるべき存在。バズィリシェクに身体を捧げ、血肉の一部になることは無上の景福。




 バズィリシェクの突き立てた舌がルドスクシュの身体から抜けて口の中に戻っていき、バズィリシェクは凝立してルドスクシュアンデッドを見守っている。バズィリシェクは何かを待っているようだ。


 バズィリシェクの今の舌攻撃。あれはおそらく毒の注入作業。バズィリシェクは、ルドスクシュが完全に動けなくなるのを待っている、そんな気がする。


 毒の大半が無効であるアンデッドに、バズィリシェクの舌攻撃は意味をなさない。バズィリシェクの用いる未知の毒がもたらす効果を推測し、毒が奏効しているように見せかけねばなるまい。


 バズィリシェクは爬虫類。状況的に遅効性の毒ではない。ならばオーソドックスに出血毒か神経毒と考えられる。


 血流のないアンデッドでは、出血毒を被毒した状況は再現できない。再現できるのは神経毒だけ。筋を収縮させるか弛緩させるかの二択。ここは深く考えず、脱力して地面に倒れ込ませることとしよう。




 ルドスクシュアンデッドは全身から力を抜き、呪いによる身体の重さに従い地面に突っ伏す。


 バズィリシェクはそんなルドスクシュアンデッドを静かに見守っている。微動だにせず、ただ黙って立っている。


 ナフツェマフを見回しても、どこにも死体は散乱していなかった。バズィリシェクはスパイダーのように体外消化して体液を吸うのではなく、獲物を丸呑みにするはず。毒と呪いが十分に効果を発揮するのを待っているから、バズィリシェクは動かない。


 待っていれば必ず好機は訪れる。ここは根比べだ。




 バズィリシェクが再度動き出すことを信じ、我々は黙って事態を静観する。


 近接して生き残った前衛がいないのも頷ける。超遠距離に届く幻惑魔法、石化の呪いの効果を持つ魔眼、舌で撃ち込む毒。更にはルドスクシュの目をも欺く擬態能力。


 人間の身体でこれら全てに抗うのは難しい。しかも、これはいずれも捕食能力。戦闘能力ではない。


 大森林のネームドモンスターの双璧をなす一柱だったのだ。戦闘能力だってそれなりのはず。近接せずに倒すのが最適解であることに変わりはない。




    ◇◇    




 動向を見守ること一時間強、バズィリシェクが(おもむろ)に動き始めた。


 ぐったりと地に伏すルドスクシュの身体に近付くと、鼻先でルドスクシュアンデッドの身体を(まさぐ)る。


 ルドスクシュは反応して身体を動かさぬように注意する。といっても、アンデッドの身体は生者のような無意識の反射が少ない上、今は呪いによって身体が途轍もなく重い状態だ。動くことのほうが難しい。


 バズィリシェクはルドスクシュの首元を(くわ)えると、教会へズルズルと牽引していく。


 空を飛ぶ魔物とはいえ、ルドスクシュの身体は大柄で重量がある。バズィリシェクは重いルドスクシュを軽々と教会の屋根上に運ぶと、洗濯物でも干すように三角屋根の頂点である大棟(おおむね)にルドスクシュの身体を吊り下げた。


 そして遂に食事が始まる。バズィリシェクは大口を開け、ルドスクシュの嘴からズルリズルリと口内へ飲み込んでいく。スネークのように顎関節が広がり、ルドスクシュの体幹を一呑みにできるほど大きく開口している。


 作戦は順調だ。


 ルドスクシュの体に貼り付けておいたシフィエトカラルフを動かし、我先に、とバズィリシェクの口内へ侵入させる。


 放っておいてもそのまま飲み込まれるのだが、時間短縮に越したことはない。


 バズィリシェクの腹の中では獲物の角、毛皮、骨を丸ごと溶かす強力な消化液が待ち構えている。たとえ獲物が毒を持っていてもお構いなしの、強靭な消化器と代謝能力を備えているのは想像に難くない。しかし、私はその消化と代謝の能力の限界に挑戦する。


 世の中、生体に毒となる物質は星の数ほど存在する。生体どころか、アンデッドですら全ての毒への完全耐性を身につけることはできない。


 肉食であるバズィリシェクは、餌とする魔物が持つ毒には耐性を持っていてしかるべき。では植物毒や鉱毒にまで高い耐性を持っているだろうか? アンデッドにも有効な化学毒は?


 分からなければ試してみればいい。シフィエトカラルフの身体に忍ばせたのは植物毒、鉱毒、化学毒の三種類だ。


 植物毒には期待薄。バズィリシェクが直接植物を食まずとも、草食の魔物を捕食することで間接的に植物毒に暴露されていてもおかしくない。ならば植物毒にもある程度の耐性があるはず。


 鉱毒の多くは即効性に乏しい。


 本命は化学毒。強力過ぎるあまり扱いが難しく、ハンターが武器に塗る毒に採用することも、暗殺者が毒殺に用いることもない、化学実験室か工業用途にしか用いられない危険物質だ。


 胃酸に暴露しようが、高熱に晒されようが、この毒が持つ強い腐食性は不変。むしろ、熱せられると物性瘴気に姿を変えて肺から体内を焼き尽くす。




 アルバートとしてハンターをしていた頃にハントで毒を用いた事はなかった。毒で獲物を捕らえたところで戦闘力は向上しないからだ。


 私と違い、日々の糧を求めてハントに勤しむ専業ハンターは、場合により躊躇なく毒を使う。


 毒を用いたハントや暗殺は、一般に考えられているほど簡単なものではない。


 毛皮が主目的の獲物であれば、罠で捕らえたり、武器でとどめを刺したりするよりも毒矢で仕留めたほうが換金性は上がるだろう。これで肉を目的とする場合には、毒が全身に回らないように注意する必要がある。


 毒を使う場合、使用者本人が毒に侵されないように細心の注意を要する。どんなに注意をしていても、万が一は起こりうる。その万が一に備え、解毒方法を準備しなければならない。


 しかし、解毒方法というのは限られている。魔法では治せず、解毒薬しか効かない毒。解毒薬はなく、魔法でしか治せない毒。解毒方法が一切存在しない毒。


 世界に毒は数多(あまた)あれど、解毒方法がある毒は極めて少数であり、圧倒的大多数の毒には特別な解毒方法が存在しない。


 毒を扱うには毒と薬の知識が必要なのである。いざ知識を習得して毒を用いようとしても、今度は入手手段に困る。道具屋を訪れて「毒を下さい」と言っても、容易には売ってもらえない。調合師から買うとそれなりに値が張る。下手すると毒の代金だけで赤字になってしまう。


 経費を抑えるために自分で作成するのも大変である。ここではそれが植物毒だとしよう。まず原料となる植物を採集しに行かなければならない。採集した植物から毒を抽出するには薬師や調合師の知識が必要だ。ものによっては、採集した植物を鍋で煮立てて蒸気を吸うだけで被毒する。


 安全に抽出できたら、今度はその毒を武器や罠に仕込まなければならない。粘稠性の高い毒であれば、使用直前に武器に塗るだけで済む。粘稠性の低いものは、時間をかけて何度も武器に重ね塗って乾燥する工程が必要になる。


 日持ちの問題もある。毒は時間経過で活性を失うことがある。特殊なものになると完成から数秒以内に失活し、効力を失う。


 日光に弱いものは遮光瓶が要る。空気に弱いものは水封する。水気に弱いものは除湿剤や油浸瓶が要る。


 毒はとにかく面倒なのだ。毒を扱うには、扱う側にそれなりの労力や手間、覚悟が求められる。


 今の私は毒を扱いやすい条件が整っている。


 最初の人間ダグラスが持っていた謎の知識に加え、モニカから教えてもらった薬学、アリステルから学んだ医学、回復魔法、解毒魔法、ティヴィアスの下で学んだ変性魔法、そして毒を保管しやすいアンデッドの傀儡の身体がある。


 毒を用いた初めての狩りの相手がバズィリシェクというのは面白いではないか。




 毒にまつわる由無し事からバズィリシェクに意識を戻す。


 バズィリシェクはルドスクシュの身体を胸部半ばまで飲み込んでいる。少し前からこの状態で止まっていて、それ以上ルドスクシュを飲み込まない。もう飲み込めないのだ。


 バズィリシェクはルドスクシュだけでなく、毒を背負ったシフィエトカラルフを大量に飲み込んだ。胃腸の奥に進んだシフィエトカラルフの毒が、消化吸収されて全身に回っている。


 被毒したバズィリシェクはルドスクシュの身体に強く噛みつき、身体を弓なりに反らせている。どちらもバズィリシェクが意識的に取った動きではなく、毒が作り出す異常反応、牙関緊急(がかんきんきゅう)と反弓緊張だ。


 三角屋根で食事をしていたおかげで、大棟の片側にはまだ飲み込めていないルドスクシュの身体が、逆側にはバズィリシェクの身体が垂れ下がっている。


 ある種奇怪、ある意味愉快な教会屋根のオブジェクトだ。


 バズィリシェクはこのままでも死ぬかもしれない。しかしバズィリシェクの身体は大きく、仕込んだ毒の量が致死量に達しているかは分からない。確実にとどめを刺す。




「計画は順調です。バズィリシェクの息の根を止めるため、また少し動きますよ」


 息を潜めて緊張を続けるラムサスに移動開始を告げる。


「順調? ナフツェマフでは何を繰り広げているの……」

「ハントですよ、ハント」


 被(*)しかねない風下を避け、大きく迂回して教会の風上側へ回り込む。


 毒で身体が動かなくなっても、バズィリシェクはまだ幻惑魔法や呪いを使えるかもしれない。油断は禁物だ。


 バズィリシェクを魔法で狙撃するのに都合のよい、教会を眺めやすい建物を見繕って屋根上に登る。ナフツェマフは積雪が多い地域であり、三角屋根の建物が多い。教会から見て大棟を挟んで反対の側を狙撃地点に定める。


 この距離ならば、ギリギリ石化の魔眼の射程外。魅了魔法(チャーム)は射程内だが、この場所は屋根のおかげで射線が通らない。チャームに悩まされることはない。この位置からであれば一方的に攻撃できる。




「じゃあ、この位置からベネリカッターを使います。耳を塞いで、しっかり掴まっていてくださいね」

「使用不可を宣言したベネリカッターを使うのは、これで二度目……」

「私だって別に使いたくはないんですよ。ベネリカッターを使うリスクと、生きたバズィリシェクに相対するリスクを天秤にかけただけです」

「ベネリカッターを使うリスクではなくて、ノスタルジアを使うリスクでしょ」

「この前言ったはずです。それは要らぬ詮議だと」

「はいはい……」


 頼み事を聞いてあげている、とでも主張するような態度でラムサスはノロノロと耳を塞ぐ。


 ラムサスの言う通り、魔法を得意とする手足の数が少ない現状では、自分にノスタルジアをかけてアンデッド化しない限りベネリカッターを使えない。ここまで確信されていると、隠す意味は乏しいかもしれない。


 それはおいおい考えるとして、今はバズィリシェクを処理することだ。魔法を一発撃つだけ。バズィリシェクは防御力で名を馳せた魔物ではない。魔法のチャージは五分とかからずに終わる。


 今一度ベネリカッターを放つため、私は自分にノスタルジアをかけた。

[*被曝--放射線や化学物質に曝されること。農薬を浴びるのもトルエンを浴びるのもホルムアルデヒドを吸引するのも被曝。化学物質は含めず、『放射線にさらされること』に限定して定義している辞書もある]


 牙関緊急(開口障害)と反弓緊張(後弓緊張)は、一般に破傷風の症状とされています。しかし、これらの現象は破傷風に限った話ではありません。例えば、発熱という現象が、普通の感冒でも骨折や銃創でも見られるように、牙関緊急や反弓緊張と外見的に酷似した症状が、破傷風感染ではなく毒の被曝で起こりえます。毒物危険物の取り扱いは常に事故と隣り合わせであり、決して注意を怠ることはできません。

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