第九話 イオスの憂鬱 二
スヴィンボアの大群は、群れの長を失った。ホードのモブも半分以上はイオスの氷に絡め取られた。
イオスの水魔法を逃れた残りのスヴィンボアを討伐隊が追うことはない。総数が半分以下に減ろうとも、ホードを率いるネームドモンスターが不在になろうとも、スヴィンボアの群れが特別討伐隊にとって危険なことに変わりはない。より危険度の高い逃げたスヴィンボアを追う前にやるべきは、身体半分が氷に埋まったまま暴れているスヴィンボアにとどめを刺すことだ。
脱出を図り、分厚い氷を極太の筋肉で軋ませる動けぬスヴィンボア達に、隊員達が致命の一突きを順次もたらしていく。
特別討伐隊は思いがけない大成果を挙げた。果たしてそれは成功と言えるのだろうか。イオスはまた少し憂鬱になる。
ビェルデュマを討伐してしまったことで、隊長の方針転換は期待し難くなった。討伐隊の被害が微小で済んでいたのは、スヴィンボア討伐という偽りの目標を掲げてホードの後を尾けていたからだ。
巨体が居並ぶスヴィンボアのホードは、森を容赦なく荒らす。根こそぎ食い荒らすといっても過言ではない。山林そのものを破壊する魔物集団である。ただし、積極的に人間を襲う捕食者集団ではない。だからこそ、付かず離れず、でホードを追っていた討伐隊はこうして無事だったのだ。
ビェルデュマを討伐したとなると、隊長は、「次はバズィリシェクだ! ツェルヴォネコートだ!!」と、気勢を上げることであろう。
(討伐隊の安全を担保する意味でも、最初に考えるべきは、謎のローブの剣士と仲間達を守ることだ。この愚かな隊長の特攻めいた指図から……。彼らと共闘できれば、スタンピードの収束も不可能ではなくなる)
隊のお荷物である当の隊長は崖際に立ち、上機嫌に崖下の討伐成果を勘定している。
「隊長。私は少し下の者に細々した指示を出しに行こうと思います。この場を空けてもよろしいですね?」
「あん? 指示はハンターにだけ出すんだぞ。軍人と衛兵に要望があるときは私に話を通せ。分かれば行ってよし」
隊長は億劫そうに許可を出すと、再び崖下へ視線を戻した。
イオスとシルヴィアは崖上を離れ、森の中に身を隠す。
「来てくれるかな?」
「そう信じよう」
隊長の供回りの軍人が一人、イオスとシルヴィアよりも一足早く崖上を離れている。イオスに頼まれ、使者としてローブの剣士達のもとに走ったのだ。
氷の山と積み重ねられたボアの死体に目を奪われた隊長は、部下が一人居なくなっていることに全く気付かない。
「どうぞ、こちらです」
一等木々の深い場所でイオスとシルヴィアの二人が待っていると、使者に先導されたローブ服の集団がイオス達の前に姿を見せる。
思ったよりも人数が多いハンターパーティーだ。
(あの剣士は……?)
イオスはパーティーメンバーを見回す。探していた大柄な剣士は、パーティー九名の最後方にいた。素早く力強い動きを見せていたその剣士は、意外にも激しい老け込み顔の老人だった。
「はじめまして、イオスさん。予てより聞いていた通りの見事な水魔法でした」
剣士に気を取られるイオスが口を開くよりも先に、パーティーの先頭を歩く女性のほうからイオスに挨拶してきた。それは気丈な笑みを浮かべた端正な容姿の女だった。
「ええ……ありがとうございます」
イオスにとってその女は初めて見る顔だというのに、雰囲気にはどことなく懐かしさを覚えた。
初めて見るものに既視感を覚えることは、殊更に珍しくはない。きっとどこかで似たような人物に会ったのだ、とイオスは自分を納得させる。
女の堂々とした態度は、自分がパーティーの代表だ、と言外に告げている。
パーティーで一番強い者がリーダーとして集団を仕切るとは限らない。強い者がリーダーとなったほうが、内部から不満の声が出にくい、という側面があるだけで、強い即ち仕切りに向いている、とは必ずしもならない。
人には向き不向きがあり、仕切ること、メンバー間の間柄を保つこと、金銭管理、仕事の受発注、そういうことを得意として、また好んで行う人間はいるものであり、そういったパーティーメンバーがいる場合、その人間に仕切りを任せたほうが、パーティー運営は上手くいく。
この女も、実力以外の能力でリーダー代わりに仕切り役を担っているのかもしれない、とイオスは判断した。
「まずは助けてくれたことに感謝します。あれだけ苦労していたスヴィンボアを――」
「出過ぎた真似をしてしまいました。放っておいてもあなた方だけで倒せた魔物に横殴りをしてしまい、申し訳ありません」
イオスの言葉を遮り女は陳謝する。
イオスからしてみれば、女のパーティーは謝罪を要する不手際を全く犯していない。通常のフィールドで弱い魔物を狩っているならいざ知らず、大氾濫の、しかも大森林の魔物を討伐しているのだ。しかも、誰がどう見ても討伐隊の作戦は上手くいっていなかった。上手くいかないことこそ、イオス達の目論んだ形ではあるが、そんなことは他者に分かるはずがない。
苦戦していた討伐隊に女のパーティーは手を貸してくれた。だからイオスは感謝を述べる。それだけなのだ。
「私共だけではスヴィンボアを何頭倒せたか分からないようなものです。あなた方が力を貸してくれたからこそ――」
「ビェルデュマを仕留めた最後の一撃。あれは本当に見事な魔法でした。さすが氷の魔術師」
女はまたもイオスの言葉を遮る。まるでイオスに特定の内容を喋らせまいとしているかのようだ。しかし、矢継ぎ早に喋ることはない。
女は何か意図があってイオスの言葉に自分の言葉をかぶせている。察したイオスは、会話の手順をいくつか飛ばして言葉を選ぶ。
「私には重い二つ名です。ご存知かもしれませんが、名乗らせていただくと、私がイオス・ヒューラー。こっちが、シルヴィア・ヒューラー。彼はメルパト・ベイスです。私共は全員、大森林から溢れ出た魔物を討伐するための特別討伐隊として活動しています」
「ヒューラー御夫妻のことはよく存じています。我々は、リリーバーという名前でパーティーを組んで活動しているワーカーの集まりです。私は、代表を務めているルカです。人数が多いですので、以下は割愛いたします」
最も気になっている剣士の名前は、さっくりと省略されてしまった。剣士のことは是非にでもよく知っておきたい。何と切り出すか迷っていると、シルヴィアが口を開く。
「ふうん。私達のことを知っているんだ」
容姿に反目を抱いたのか、それともまた別のことが気に障ったのか、シルヴィアの話し方には棘がある。
「もっぱらイオスさんのことばかりですけどね」
ルカもまた少し気になる言い回しをする。
「ルカさんとは、以前どこかでお会いしましたでしょうか? 会っていたのであれば申し訳ありません」
ルカは目を引く顔立ちをしている。一度会えば忘れがたい。しかし、懐かしさを覚えるのは事実。予防線を張った上で探りを入れる。
「私とは初対面です。ですが、イオスさんは、私の母と兄のことをよくご存知のはずです。二人を通して私はあなたのことをよく知っています」
(そういうことか。道理で懐かしく感じるはずだ。私の言葉を遮った理由も、少しだけ察しがついた)
何か人に聞かれたくないことがある。たとえ妻のシルヴィアや、討伐隊員のメルパトであっても。だからルカはイオスの挨拶を妨げた。イオスはそう理解する。
「そうだったんですね。それで、その二人のお名前というのは――」
「母の名前はセリカと言います」
「セリカ……確かに聞いたことはありますが、その名前の知り合いは何人かおりまして……」
大学関係者、共同研究の企業関係者、ハント関連の知り合い、姻族と、イオスは思いつく限り記憶をあたっていく。
「よくある名前ですしね。母がイオスさんとお会いしたのは、もう何十年も前の話です。兄のほうが最後に会ったのは……そうですね。まだ十年と経っていないかと」
(何十年も前に会ったセリカ? それだとちょっと思い出せない)
「お兄さんの名前を伺っても?」
「兄の名前はエルキンスです」
「エルキンス……ああ、彼か! すみません、親御さんとはあまり面談しないため、存じませんでした。私の講座を選択している三回生の青年ですね」
イオスは大学の教え子の一人の顔を思い浮かべ、大きく何度も頷く。ただ、講座配属生であるエルキンスの母親の顔までは思い出せず、記憶の山の中からセリカを捜索する作業は引き続き行っている。
「イオスさん、私は十年前と言いましたよ。三回生のその青年さんは、私の兄とは別人物だと思います」
ルカは不信の目でイオスを見つめている。信頼を勝ち取るべき相手を早速不機嫌にしてしまったことに、イオスはひどく焦りを感じる。
「た、大変失礼しました」
「我々はイオスさんとお話があってここに参りました。かなり私的な内容ですので、人払いをお願いします」
「はぁ?! 私の前ではできない話をしようって訳?」
ルカには何か秘密の話があり、シルヴィアとメルパトには退席してもらわなければならない。イオスは薄々勘付いていた。
できれば自分から穏便にその形へ持っていきたかったが、ルカのほうからそのものズバリを要求されたことで、その場の緊張感、特に妻の怒りが一気に増してしまった。シルヴィアが怒れば怒るほど、イオスの心労は高く積み重なっていく。
「ご無礼ながらその通りです。安心してください。色恋沙汰や隠し子がいる、などという話ではありません」
このまま黙って二人にやり取りを続けさせると、シルヴィアはルカに食って掛かりかねない。その前にイオスは妻の肩に手掌を置く。
「シルヴィア、すまん。私も彼女達にしたい大事な話がある。ルカさん達は、人の目を気にしているようだし、少しだけ時間をくれないか」
ここでルカ達を怒らせるわけにはいかないイオスは、興奮気味の妻を優しく諭す。
「こちらさんは、『色恋沙汰ではない』って言ってるけど、本当はどうなんだか……。イオスのほうこそ、私に隠し事があるんじゃないの?」
シルヴィアの怒りは矛先をイオスに変える。
「ないない。ないから……」
猛獣のような妻をイオスは辛抱強く宥め、そんなイオスをメルパトと新手のハンター達は冷めた目で見守るのだった。
◇◇
イオスの粘り強い説得実り、メルパトに背中を押される形でシルヴィアがその場を後にすると、ルカとイオスは同時に溜め息を衝き、顔を見合わせる。
「お待たせして済まない、ルカさん」
「あー、まあ別にいいけど」
二人が居なくなった途端、ルカの口調が一変した。
「我々の会話を誰かに盗み聞かせるような魔道具は持っていないな、イオス?」
馴れ馴れしいどころか、不遜な言葉遣いだ。
不快に感じてもおかしくないはずなのに、今までの丁寧な口調よりも、むしろ不遜な言葉遣いのほうがルカの態度としっくり合って違和感がない、とイオスは思う。
「ああ。持っていない」
イオスがそう答えると、ルカの斜め後ろに立つ一人の女が僅かに身体を動かす。人並みと呼ぶのは憚られる、正視に堪えない容姿の悪い女だ。
この謎のパーティーにおいて、若い人間はルカとこの醜女だけ。他のパーティーメンバーは外見上誰しもかなりの、おそらくイオス以上の高齢者ばかりだ。
「あっ、そう。にしても、セリカとエルキンスの名前を聞いてもピンとこないとはね……。深刻な脳の劣化だな」
ルカは遠慮知らずにズケズケとイオスをこき下ろす。流石にこの物言いには、イオスも反発を覚える。
「初対面なのにひどい言い様じゃないか」
イオスの反論をルカは鼻で笑う。
「初対面? 私がお前に"初対面"の挨拶を交わすのは、都合三度目だぞ」
「三度目? 何を言うんだ、ルカさん。君には間違いなく一度も会ったことがない」
「意味など分からずとも構わない。そんなことよりさっさと思い出せ。密出入国の常習犯、ベネンソンめが」
「密出入国……ベネンソン……?」
密出入国という新たな一つの単語によって、頭の中に浮かべていたセリカとエルキンスの候補が全て脱落し、新たな"容疑者"が候補に挙がる。
「アッシュの縁の人間ではないのだな?」
「お前には他に何人共犯者がいるんだよ。いい加減疲れてきた……。もっと詳しく言おうか。ジ国とオ国の戦争の出鼻をベネンソンは挫いた。ここまで言っても思い出せないのであれば――」
ルカは呆れた顔でイオスを眺めている。
ジ国がジバクマ共和国を、オ国がオルシネーヴァ王国を指していると分かってしまえば、後は早かった。ルカから感じる懐かしさ。それはイオスが大学で見出した才能、アルバート・ネイゲルの残り香だったのだ。
「ではエルキンスというのは……あいつに妹さんがいるのは知っていた。ただ、ルカという名前の妹がいるとは聞いたことがなかった。そういえば、『セリカが実母かもしれない』とも言っていたな……。そうか、あなたはセリカの娘さんだったのか」
セリカに会ったのは何十年も前のことだ。思い出したセリカの顔を、ルカの顔に重ね合わせる。しかし、どうにも顔の共通点が見当たらず、二人が母娘には思えなかった。
「母だの兄だのは、お前にこちらの状況を理解させ、人を払わせるための方便だ。あんまりにもお前の察しが悪いせいで無駄になったがね」
「嘘をついたのか」
「血縁という意味では嘘になる。現実的な繋がりという意味では満更嘘でもない。そこいらを詳しく理解する必要はない」
「あなたは私に用がある、と言った。用件とは何だ? エルキンスとはどういう関係だ? あいつは今どこでどうしている? あなたは知っているのか? なぜ私とあいつだけの秘密をあなたが知っている?」
思いがけない話が出てきたことで本来の目的である折衝を忘れ去り、口から質問が次から次に飛び出す。
「そう同時にいくつも質問するな。我々の用件は至って単純なことだ。その前に、我々の内情を少しだけ説明しておこう。騙して連れて行く形になるのは我々としても本意ではないからな」
「内情? 連れて行く? あなたは何を――」
「このパーティーは大半がアンデッドで構成されている」
「はあ? そんな意味の分からないことを……」
ルカは三度イオスの言葉を遮る。そんな彼女が告げる内容は、イオスすら絶句させるものであった。
「あ……あなたも、後ろの方々も生者にしか見えない。どこか別の場所にアンデッドのメンバーが潜んでいるとでも――」
「目の前にいる『生者』がアンデッドなのさ。"この女"は違うがね」
理解の及ばぬイオスが必死に弾き出した辻褄の合う説は、すぐさまルカに否定された。
「おや、どうした。顔色が良くないぞ? かつてお前は『吸血種が目の前に現れたら、まず話を聞く』なることを言っていたではないか。吸血種は良くてもアンデッドはダメなのか?」
それはかつてイオスがアルバートに対して言ったことであった。
(このルカという女は、私とアルバートのやり取りを良く知っている。本当に、あいつとはどういう関係なのだ)
「あなたは、"エヴァさん"なのか?」
「チッ……私の質問は無視か。しかも、エヴァの顔すら知らないときた」
ルカはやれやれ、と首をかしげると、ダルそうにフード越しに自らの髪を撫でた。
「"この女"はエヴァではない。我々も蒸発したエヴァの行方を追っている」
ルカは先程から都合二度、自分を指して『この女』と表現する。何がどうすればそういう言い回しをすることになるのか、イオスはグラグラと揺れる世界の中で考える。
「エヴァさんはエルキンスと一緒に居なくなった。今も一緒にいるのかもしれない」
「はあ? なぜそういう話になっている。その作話を流布したのはどこのどいつだ?」
ルカは柳眉を逆立てている。
(怒った美人というのは、普通の女が怒る以上に男を戦慄させるものだ)
イオスは妻の癇癪を思い出しながら、世の真理を再認識する。
「待ってくれ。落ち着いて話を聞いてくれ」
怒るルカに怖気づいた自分自身を落ち着かせるために、イオスは一つ深呼吸する。
「あいつに刑罰が執行された後、再会の道に釈放された当日に、私と妻は迎えに行った。事前の調べで、私達は正確な釈放時間を知っていた。時間の少し前には再会の道に着き、釈放されるあいつを待つ。その予定だったんだ」
過去のあの日のことを思い出しながら語るイオスを、ルカは厳しい眼差しで観察している。
「だが、途中で邪魔が入った。今思えば、あれは意図的に仕組まれた妨害だったのかもしれない。私達が再会の道に到着したのは、釈放から一時間ほど経ってからだった。その時既に、あいつは再会の道にいなかった。その場にいた衛兵は、訳の分からないことばかり言っていたが、後日、衛兵の記録を読んで確かめたところによると、釈放と同時にエヴァさんとモニカさんがあいつを迎えに来た、ということになっていた」
イオスが話せば話すほど、ルカの表情は固く厳しくなっていく。
「あいつがどうなったのか確かめるため、私はモニカさんのところへ話を聞きに行った。しかし、彼女に何度尋ねても『彼とは再会の道で会えなかった。私達が着いたときには、彼はもういなくなっていた』の一点張りだった。そこからは何もかも闇の中だ。ただ一つ確実なのは、あいつが釈放されたその日から、あいつとエヴァさんは行方知れずになった、ということだ。あいつの家族も、ハンターの知り合いも、手配師も……誰も行き先を知らない。あいつの居場所を知っている可能性が高いのはモニカさんで、一緒にいる可能性が高いのはエヴァさん。これは作話などではなく、記録と聞き込みから導き出した私の推理だよ……」
「なるほど……。そういう話になっていたのか」
ルカの視線が空中に固定される。イオスの話を聞き、ルカもまた何かを推理している。
「もしあなたがあいつの居場所を知っているのなら、どうか頼む。教えてくれ! あいつは今、どこでどうしている」
「お前が知っておくべきは居場所などではなく、その人間はもう死んだ、という事実だ」
イオスはがっくりと肩を落とす。
「噂は本当だったのか……」
「噂、ね……。両腕のない男の死体でも見つかったか?」
王都の南を東西に走る街道。マディオフ三大都市のうちの二つ、ソリゴルイスクとアーチボルクを繋ぐ街道の脇で、一つの死体が見つかった、という噂があるとき流れた。
死体は直ちに衛兵によって処理された上、発見者である商人は死体を注意深く観察していない。書類上、衛兵が両腕のない死体を処分した、という記録だけが残っている。
司法解剖などはされず、処分前に衛兵が外見を観察しただけ。それによると、死体は魔物に食い荒らされていて、人相は判別不能。不可解なことに、死体には魔物にとって食べ応えのある部分がまだ残っているにも関わらず、両腕が付け根付近から無くなっていた。上腕骨の断たれ方からして、魔物による食害ではなく、人為的な離断。それ以上詳細に、死体がアルバート・ネイゲルかどうかは判定されていない。
担当した衛兵が、アルバート・ネイゲルという人間や、彼と関係のある重大な事件を何も知らなかったことが災いした。衛兵は死体を隠蔽したのではなく、寡聞が故に『重犯罪者の死体の可能性がある』とは気付かず、腐りゆく肉に一刻も早く別れを告げるため、自分だけの判断で死体を処分したのだ。
アルバート・ネイゲルの死体は国にとって意味を持つもの。後日、死体を処分した衛兵は上司によって訓告を受けている。あくまでも口頭上の訓示であり、懲戒処分には至っていない。
「そうだ。ルカさんは、あいつが息を引き取る場に居合わせたんだな?」
ルカは自嘲気味に笑う。
「概ね合っている」
「しかし、あなた方がアンデッドとは……。パーティーメンバーの中に、あいつの死体から転化した方がいるはずもないだろうに。遺体は衛兵が処理してしまったのだから……」
「精々好きに想像してくれ」
ルカは冷たく切って捨てる。
「質問はここで打ち切らせてもらって本題に入る。……そうだ。本題に入る前に一つ用事があったんだった。エルキンスが以前お前に贈った魔道具は、今持っているか?」
予想だにしていなかった問いにイオスは驚く。今をもって形見であることが確定した、アルバートの遺した魔道具。アルバートに関連したことを、ルカは何から何まで知っている。そんな気がしてしまう。
「身に着けているよ。このブレスレットのことだろう?」
イオスは袖を片方まくり、アルバートが卒業制作として作り上げた魔道具をルカに見せる。
「それを少し貸してくれ」
イオスはブレスレットを腕から外し、ルカへ手渡した。
ルカは受け取ったブレスレットを迷いなく分解し、内部に奢られている精石を取り出した。すると、ルカの横に立つ一人の老婆が、ルカが指先でつまんだ精石の上へ手を伸ばし、謎の魔法をかけ始めた。
その後ろでは背の高い爺が石のような物を手に持ち、そこへ魔法をかけている。老婆と爺は、薄気味悪いほどに連結した動きを見せている。
魔法は一分とかからずに終わり、ルカは分解した魔道具を目にも留まらぬ早業で元通り組み立てる。
(魔道具工であってもこの速度はおかしい。このブレスレットの組み立てと分解を何度も繰り返したことがなければ……)
「助かった。これは返す。引き続き使うといい。役に立たなければ、捨てるなり売るなり好きにしろ」
ルカはそう言って、ブレスレットを返して寄越す。
ルカの発言をイオスは反芻する。ルカはこの魔道具を『自分が作って、イオスにあげた物』と認識している。
会話内容、口調、態度。ルカの何もかもが懐かしい。
(彼女はまさか。しかし、そんな……)
一旦そう考えてしまうと、そうだとしか思えない。人を喰った説であっても、尋ねずにはいられない。
「ルカさん。あなたは、あいつの生まれ変わりなのか? 年齢を考えると、それはおかしいか……。ならば、何らかの方法であいつから記憶を引き継いだのか? あるいは人格までも……」
頼りない声で尋ねるイオスを斜めに見たルカはニヤリと笑う。
「私は転生という現象を十八年間信じていた。転生者が近くにいないか、聞き込み調査までしていたんだ。ある意味、転生の第一人者だ。それが今では『生まれ変わりなど存在しない』と考えている。その持論もまた変わるかもしれない。本物の転生者に会えば、ころっと宗旨変えするさ」
ルカの言葉は意味不明だ。混乱するイオスを見て、ルカはさも楽しそうに笑っている。
「私にも分かるように説明してくれないか……」
「何度も言っただろ。理解する必要はない。そんなことより本題に入ろう」
ルカの笑顔は消えてなくなり、至って真面目な顔で語り始める。
ルカは転生を否定した。しかし、アルバートであることは否定しない。その意味がイオスは分からない。
生者がアンデッドに転化するとき、生前の記憶や人格は必ず失われる。一つの例外もない。これは絶対的なルールだ。
ルールを無視した何かが目の前で起こっている。イオスはひとまずそう思うことにした。
「我々はスタンピードの収束を目的として魔物を狩っている。ネームドモンスター狩りもその一つだ。これがなかなか手強くてね。イオス、お前の力を借りたい。特別討伐隊のお仲間達と手を切り、我々と一時的に手を組まないか」
共闘。それはイオスのほうが望んでいたことに他ならない。それをルカのほうから提案されたのは喜ばしいこと。討伐隊に欠けているミスリルクラスの前衛。その力が彼らにはある。
是が非でも欲しい能力なのに、代償はあまりにも大きい。
「私だけでなく、討伐隊の仲間達と組むことはできないのか?」
「我々はアンデッドだと言っただろ? 討伐隊の力は必ずこちらへ向く。指揮官の考え方次第では、そのタイミングがあらかた魔物を討伐し終えた後にはなるやもしれないが、いずれにしても私の敵であることに変わりはない」
イオスは逡巡する。彼らの力があれば、上位ネームドモンスターは未知数にせよ、下位ネームドモンスターであるジャイアントアイスオーガは倒せるかもしれない。少なくともスタンピードは間違いなく収束させられる。
ただし、問題はその後だ。ルカの申し出に乗ってしまうと、イオスは国の命令に逆らうことになる。そんなことをすれば、イオスと家族に対して、国がどんな罰を下すか分からない。
独り者のハンターは、そんなものお構いなし、とばかりに、討伐隊の召集を無視する者がいる。家族のいるイオスには、そんな真似はできない。
それに彼らがアンデッドであることも問題だ。アンデッドは吸血種と並び、マディオフ王国から排除の対象になっている。吸血種の話を聞きに行っただけのアルバート・ネイゲルがどうなったかを考えれば、アンデッドと手を組むリスクは容易に分かる。待ち受けるのは、まず間違いなく死刑だ。
「魔物を倒し終えた後、あなた達はどうするんだ?」
スタンピード収束後、もしもルカ達がマディオフの表舞台から姿を隠すなり、国を去るなりするのであれば、アンデッドであることは露見しないかもしれない。それならばまだ望みがある。そう考えてイオスは尋ねた。
至って自然なはずの質問にルカは怪訝な顔をする。ルカは少し悩む顔を見せた後、口を開きかけるが、斜め後ろの醜女が老婆に耳打ちを始めた途端、ルカは口を閉ざす。
イオスの耳には、醜女の話す言葉の内容どころか声が全く聞こえない。耳打ちされている老婆は醜女の言葉を聞き取れるだろう。しかし、ルカが耳を澄ましたところで醜女の発言を聞き取れるとは思えない。それなのにルカは醜女の言葉を一句一句噛み締めている。そんな様子に見える。
醜女が耳打ちを終えると、ルカは半信半疑といった顔で口を開く。
「その質問に答える前に、お互いが持つ情報のすり合わせが必要だ。この国ではかなり厳重な情報統制が行われている。知っていて当然の情報を、お前は知らないのかもしれない。この三ヶ月の間、国に起こった主な事件。お前がどこまで知っているか教えてくれないか?」
「スタンピードが発生し、街が荒らされ、国民が避難した。スタンピードの原因は、おそらく大森林に出現したドラゴンと思われる。これが私の知る全てだ。それ以外に、何か別の事件でも起こっているのか?」
困惑するイオスは、知ったままを述べる。それを聞いたルカは大袈裟なほどにがっかりする。
「召集に応じてお前が王都を出発した約一ヶ月後、ロギシーンで反乱が起こった。反乱軍は、今も盛んに国内西部を侵食中。主犯の一人はお前の昔のお仲間、アッシュだ」
「アッシュが……反乱!? そんな……冗談だろう? 色々悪いことはやってきても、そこまでだいそれた事をするとは……」
「反乱が起こったのと前後して、ゴルティアとの戦争も始まった。アウギュストは既に陥落し、戦線はリクヴァスまで後退している。これが今から二週間前の王都の情報だ。今どうなっているかは知らん」
反乱軍が国を蝕み、よりにもよってその主犯の一人がアッシュときたものだから、イオスは情報を咀嚼しきれない。情報を飲み込めずにいるイオスに、単体でも催吐性を持つ、重くもたれる情報のおかわりが詰め込まれる。
「戦争まで始まった。それは本当なのか……?」
「証明するものは何もない。何を信じるかは自分で決めろ」
イオスは血の気が引いていくのを感じる。
(それが本当だとすれば、スタンピードを何とかしても、王都に戻ったときには国が滅びているかもしれない)
「あなた達はこの国を守るために戦っている。そうなんだよな?」
悲痛なまでの願いを込めて、イオスはルカに問う。
「我々は邪魔なものを排除するだけだ。マディオフが我々の邪魔になれば、国ごと排除する。ネームドモンスターも反乱軍もゴルティアもマディオフも、立ちはだかるのであれば叩き潰す。それだけだ。それが特別討伐隊であっても、お前であっても変わることはない」
イオスは悩む。希望の持てる選択肢が何もない。どんな道を選んでも、必ず困難が待ち受ける。
「我々がアンデッドだから手を組むことを躊躇しているのだろう? 国が滅んでしまえば、アンデッドと組むデメリットは消えて無くなるぞ?」
ルカは嗤って言い放つ。
「国が滅んでは、家族が無事ではいられない!」
「お前にとって最悪のシナリオは、お前も家族も全員が死ぬことだ。我々と共に行動すれば、お前は高確率で生き残れる。我々と敵対しない限り、シルヴィアと子供には手をかけないと約束しよう」
ルカは今までで一番優しい声でイオスの心を揺さぶる。
「こちらの事情は何もかもお見通しか……」
「馬鹿言うな。真実も未来も、見通せないことばかりだ。見通したのではなく、汲んだに過ぎない」
「その少しずれた気遣い。エルキンスと変わらない」
ルカは小さく苦笑する。
「私は共には行けない。死ぬとしても妻と共に死ぬ」
ルカの言うことが本当であれば、イオスがこの先どれだけ最善手を積み重ねたとしても、生き残れる可能性はそう高くない。死に方を少しでも選べるのなら、せめて家族と共に。イオスはそう選択した。
イオスに拒否されたルカは、寂しそうに目を逸らす。
「そうか……。残念だよ、イオス。共闘はできないにせよ、こちらは虎の子の情報を出したのだ。お前も情報を差し出せ」
「知っての通り、私はもう二ヶ月以上討伐隊として行動している。軍人も衛兵も、ハンターには大切な情報を教えてくれない。私は周回遅れ、且つ、お偉い様に好き勝手に書き換えられた情報しか持っていない」
「マディオフの最新事情になど期待はしていない。我々が求めているのは……そう。バズィリシェクとツェルヴォネコートについて知っていることを教えろ」
(どのみち倒さなければいけないのだ。そんなことでいいなら願ったりだ)
「その二体以外にもネームドモンスターはいるぞ。ジャイアントアイスオーガの情報はいらないのか?」
「それならば数日前に我々のほうで討伐済みだ。残る大森林のネームドモンスターはバズィリシェクとツェルヴォネコートだけだ」
「はあ!?」
思わず大きな声が出てしまい、イオスは慌てて口元を押さえる。
「ああ、バンガンがジャイアントアイスオーガ討伐に向かったのだった。今日、ビェルデュマを討伐したように、ジャイアントアイスオーガも彼らと共闘して倒したのだろう?」
「ジャイアントアイスオーガと交戦時、周囲にはバンガンどころか人っ子一人見掛けなかった。ジャイアントアイスオーガ討伐は一週間前の話。特別討伐隊の片割れは今頃、我々の討ち漏らしたアイスオーガとブルーウォーウルフの残党処理でもしていることだろうよ」
「いくらそちらの剣士が強いとはいえ、ジャイアントアイスオーガはアイスオーガだけではなく、ブルーウォーウルフも率いている。集団の破壊力はスヴィンボアの大群以上だ。それをどうやって――」
「何を言っている。我々は剣より魔法のほうが得意なのだ。当然魔法で倒したさ」
(剣よりも魔法。これもあいつの口癖だ。そう言う割に、なぜか剣を振ることを惜しまない)
「死んだ人間や魔物の話はどうでもいい。残存する魔物の情報、持っていないのか? 昔、アッシュとツェルヴォネコート狩りに行ったときに調査したんだろ?」
「それも知っているのか。……ツェルヴォネコートはレッドキャットのモブとは異なる火魔法の使い手とされている。実際、そうなのかは分からない」
「ツェルヴォネコートとは会えず仕舞いで引き上げたのか?」
「見つけたさ。遠目にな。ツェルヴォネコートの縄張りに入り込んだ同族のレッドキャットがゴミのように噛み殺されるのを見た私とアッシュは、それだけで勝機がないことを悟り、旗を巻いた。ツェルヴォネコートはただただ強い。私に言えるのはそれだけだ」
悔しさを滲ませながらの独白を、ルカは表情を変えずに聞く。
「ふむ。それは昔聞いたままだ。隠し情報は無し、か。では、バズィリシェクはどうだ?」
「私達は遭遇したことがない。昔調べた情報であれば持っている」
「それで十分だ」
「行動特性としては、活発に動き回って広い行動半径を持つような魔物ではない。最後に位置が確認されたのはナフツェマフということだから、今でもナフツェマフか、悪くともその近郊にいるのではないかと思う」
「石化対策や戦闘能力については?」
「石化の魔眼は呪い除けの魔道具で防げる。高級魔道具ともなれば確実に防げるはずだ」
今度は、ルカは渋い顔をする。呪い除けの魔道具を持っていないのかもしれない。
「遠距離から石化の呪いをかけられただけであれば、解呪は難しくない。石化完了までには半日近く時間がかかり、それまでかなりの時間行動が可能だ。接敵して交戦状態になってしまうと、おそらく解呪する暇はないだろう」
「バズィリシェク相手でなくとも、交戦中にのんびり解呪などできるものか」
ルカは眉間に皺を寄せて遠くを睨んでいる。見れば見るほどアルバートの立ち振舞いに似ている。
「それだけの情報が割れていながら、これまで討伐されていない、というのはおかしな話だ」
「呪い除けか解呪方法を用意した上で遠くから恐る恐る眺めるだけであれば、呪いをかけられても冷や汗をかくだけで済む。だが、バズィリシェクを倒すために近接して生き残ったものはいない。それが答えだ」
「簡潔にして明快だ。遠くから撃ち倒せばいい話。それは我々の得意とするところだ」
「ビェルデュマを倒す際に見せた土魔法で倒そうというのか? 確かに高威力だった。しかし、それで倒せる相手であれば、既に討伐されているはずだ」
ビェルデュマを左右から追い詰めた土槍をイオスは思い浮かべる。
確かに優秀な魔法だった。以前アルバートが使っていた土魔法よりも数段優れている。あの水準の魔法の使い手が二人いる、というのも素晴らしい。ただし、左右どちらの土槍もイオスの水魔法には及ばない。そればかりか、バンガン・ベイガーの土魔法にも届いていない。
(もしもあれで全力だと言うのであれば、彼らは魔法戦闘力よりも物理戦闘能力のほうが優れている、ということになる)
「やめておいたほうがいい。死ぬことになる」
「要らぬ心配だ。我々は既に死んでいる。他に言っておくべきことはないのか?」
言いたいことではなく、聞きたいことであれば山程ある。しかし、ここまでに経たやり取りで、本当にイオスが知りたいことを彼らが教えてくれることはない、と分かりきっているだけに、イオスは繋ぐ言葉を失ってしまう。
「では用は終わりだ。ビェルデュマはお前が倒したことにしておけ。我々は介入していない。そうしてもらわないと動き辛くなる。それと、ここで交わした会話はお前の胸にしまいこめ。シルヴィアにも漏らすな。我々の情報を漏洩するならば、容赦はしない」
「無茶言わないでくれ。すぐそこで待っている妻に誤魔化しきれるはずがない」
「我々が歩んできた道程に比べれば、何も難しくない話だと思うがね」
彼らの軌跡などイオスは知らない。それでもアルバートが受けた刑罰を思い出すだけで、イオスは何も言えなくなる。
「ああ……最後にもう一つだけ、試してみるか」
背の高い老人が、土魔法で不思議な持ち手をした杖と小さな道具を作り出す。パーティーの最後方に立っていた、また別の老人が杖と道具を受け取ると、ルカの前に立って杖を掲げ、道具を口元に当てる。
「その杖は……まさか……」
イオスの問いかけに遅れること数呼吸、一羽の成熟したホークが颯爽と飛来し、老人の持つ杖に鮮やかに止まる。ただの杖ではなく、ホークの止まり木だったのだ。
「その音の出ない笛でホークを操るのも懐かしい。普通の調教師は人間にも聞こえるホイッスルで指示を出す」
魔物にしか聞こえない音を奏でるホイッスルを使い、アルバートは自分の手足のようにホークを使役していた。並のテイマーよりもよほど上手に魔物を服従させる、とイオスは感心したものだった。
馴らされたホークは、アルバートが姿を見せなくなってから、いつもイオスの近くにいた。お気に入りの玩具を結びつけた止まり木を持つと、フィールドにもついてくる。
それが今、ホイッスルの音を聞きつけて、シルヴィアに持たせていた止まり木から、ここまですぐに飛び参じたのだ。
「それは使役側の能力の問題だ。さて、これで本当に用は終わった。じゃあな、イオス」
「待て。あなた達は、本当に国を滅ぼそうとしているのか?」
「我々はいくつかの目的のために行動している。その目的の中に国の防衛は含まれていない。マディオフがゴルティアや反乱軍によって滅ぼされなかったとしても、我々と衝突し勝手に滅ぶだろう。いずれにしろマディオフは滅ぶ。そう思っておけ」
「では……またいつか会うことがあるのか?」
「敵として、であればすぐにでもな」
一時は希望に見えた未知のハンター集団。イオスに絶望を突きつけた彼らは討伐隊に背を向け、物音も立てずに静かに遠ざかっていく。ただ一人、不器量な女だけが僅かな足音を立てていた。




