第六話 洗礼 三
アイスオーガとブルーウォーウルフの群れと戦闘を交えた後処理を終え、野営を行う。設営を終えて、ふと見ると、ラムサスの様子があまりにも落ち着かない。フルードをチラチラと見ては切なげな表情をしている。
「ウルフは嫌いですか?」
「見た目はともかく、危険性とか畜産への影響を考えたら、好きな人間ってあまりいないんじゃないかな? そんなことよりも――」
ラムサスはプルプルと震えている。
「思い切り撫でまわしたいな、って思って」
高潮を隠し切れない、といった様子で手をワキワキと動かす。
ああいうモコモコに膨らんだ動物の毛の中に手を入れたい、顔を埋めたい、というのは、人間に広く見られる欲求のようだ。同じ毛むくじゃらであっても、これが売り物になる前のオグロムストプの長毛になると、途端に不潔さを感じるのだから、好悪の境界というのは曖昧なものである。
「支配下にあるとはいえ、野生の魔物です。虫落とし、消毒をした後ならいいですよ」
サナの愛玩衝動に応えるため、瘴気と熱風を組み合わせてフルードを消毒していく。
以前は、このような極狭の範囲にダークエーテルを展開する、といったピンポイントの使い方はできなかったが、毒壺のシェンナゴーレムの体内に秘められていた魔道具のおかげで、それが可能になった。
この手袋型の魔道具、最初は装着者の能力を弱体化する不良道具だとばかり思っていた。何か隠し機能が無いか、と試すうちに利用価値が分かってきた。
これは、ダークエーテルを小さく展開するのをはじめとして、変性魔法のように繊細な魔力制御を要する場合に役に立つ。他にも土魔法や火魔法を、威力はそのままに極小に発動させる事ができる。
例えば、硬度のべらぼうに高い隕鉄の一種を買って、その表面ないし表面の浅い場所に火魔法を当て、人間の目の分解能を超えた微細な文字を書き込むことが可能だ。書き込んだ文字は、真贋鑑定器からリヴァースエンジニアリングの要領で習得した技術を用いて高速に読み出すことができる。
この魔道具は、対象の魔力を"制限"するのではなく、魔力の大小強弱を下方向に自在に"制御"、"微細化"するためのものだ。使い途さえ分かれば便利な魔道具である。
今はその程度しか使途が思い浮かばない。使用者である私が閃きさえすれば、まだまだ活用方法はある。
ダークエーテルの恐怖に怯えるフルードの体表についたダニ、シラミ、カビをしっかりと消毒する。
ダークエーテルは、生体に対する傷害性が強い。そのため、表皮からは余白を取って当てることになる。自然、皮膚に潜り込んだ寄生虫や病因には効果がない。こちらには何日かに分けて消毒薬を塗り込むことで対応可能である。
それは日数をかけて行うこととして、体表外側、毛並みは手を触れても安全なものになった。熱風を送り込んだことで、フワフワのモコモコでもある。
「はい、完成です。明日以降もまた消毒しようと思いますが、取り敢えず撫でまわしても外部寄生虫が感染る心配は無いと思います」
「やったー!! え、噛まないよね、大丈夫だよね?」
「噛むようにこちらで操作しない限り、その心配はありません」
わー、と、小さく歓声を上げてラムサスはフルードを抱きしめ、顔を毛並みに擦り付ける。完全に大型犬に抱きつく飼い主の構図である。
フルードは軍用犬や大型犬よりも、ずっと大きな体躯をしている。ドミネート下にあっても威圧感がある。フルードにとって、我々は仲間を大量に殺めた憎き敵。今も我々に強烈な敵愾心と殺意を抱いている。
それをこうやって無警戒に抱きつくとは呑気なものである。
私もガダトリーヴァホークのステラの羽毛を撫でるのは好きだったし、ラムサスの気持ちが分からないでもない。しかし、ドミネート早々に、こんな派手な撫でまわし方はしなかった。
鳥は、羽毛の表面を軽く触られるのはともかく、羽毛の奥深くまで手を入れて、身体そのものを撫でられるのは結構嫌がる。四年間連れまわしていても、ドミネートしながら身体に触れるとステラの不快感が私に伝わってきた。あれが鳥類全般に見られる特徴だとすれば、鳥はワシワシと強く撫でないほうがいい、ということになる。
ウルフはどうだろうか。ラムサスを噛み殺したがっているのは加入初日だから仕方ないにせよ、ウルフは犬とは違う特徴を有している。この先ずっと撫で続けても、撫でられることに好感を抱くことはないかもしれない。犬と同様の馴化をするかは分からないのだ。
ラムサスは気持ちよさそうにフルードを撫でている。私も少しフルードを撫でたい。しかし、私は生者の腕を持っていないから、ルカに代わりに撫でてもらい、感触をこちらに伝えるのが精一杯だ。
フルードから伝わる撫でられ心地とフルードの憎しみを味わいつつ、ふと思う。
この世には、各種"療法"が存在する。温泉に浸かる温泉療法、陽の光を浴びる日光療法、音楽を用いる音楽療法、はたまた犬を利用したドッグセラピーというものだってある。
下手に私がラムサスを慰めるよりも、フルードをラムサスの近くに配置するだけで、ラムサスのほうから勝手に癒されてもらえるのではないだろうか。だとすれば私としても大助かりだ。
フルードの戦闘力は高い。使い捨てのつもりで傀儡にしただけのウルフではあるが、案外しばらく連れて歩くのも悪くないかもしれない。
ウルフの身体で行う戦闘スタイルに私のほうが慣れれば、多分ニグンよりも高い戦闘能力を発揮する手足として活躍させられる。剣を扱えないことを考えると、フルル以上の強さを発揮することはないだろう。それでも、ミスリルクラス下位の強さは戦力として十分期待できる。ラムサスに対魔物戦の訓練をつけるのにも役に立つ。
ああ、でも、これから人間の街に接近するのだった。ブルーウォーウルフのフルードと、ブルーウォーウルフアンデッドのリジッドの二頭をこのまま連れて行くと大騒ぎ間違いなしだ。
ではどうやって人間の目を欺くか。アイブラックの部分を他の毛色と同色に塗りつぶし、「ブルーウォーウルフではなくてブルーウルフです」という趣向はどうだろう。待てよ、それならは、いっそ全身茶色に塗りつぶして、「突然変異で身体が大きいだけのプレーンなウルフです」と逃げるのは……無理がある。
ベースを白く塗りつぶして下地にして、そこにブラックドットを打ち、「牧羊犬です」なんてのはどうか。ハンターが連れ歩いているのであれば、牧羊犬ではなく狩猟犬だ。
ダメだ。どれも現実味に欠ける。どう考えても身体が大き過ぎる。このデカさはどうにもならない。
はぁ……。私は森の中で一体何を考えているのだろう。フルードに無体をはたらくラムサスを責められないぐらい、私もおかしなことを考えている。
戦闘疲労か、ノスタルジアの反動か……。明日、正常な思考力が戻っていることに期待し、今日はおとなしく休むことにしよう。
脳を回転させることを諦めてラムサスを見ると、彼女はフルードを枕にして寝息を立てている。油断しきったラムサスの姿にフルードも困惑気味だ。
我々の現在地は、マディオフの北端とも言える場所。森の中ともいうこともあり、ジバクマの夏の夜とは比較にならないほど寒い。ウルフの夏毛は丁度良い防寒具、身体は丸々暖房器具だ。警戒を無にしてヌクヌクと温まるラムサスは、早速ドッグセラピーの効果が出ている、とも考えられる。
こうなるとフルードに早々に死なれてもらっては困る。健康状態を良好に保つことから始めよう。
となると明日は犬回虫、蟯虫、糸虫などの内部寄生虫の虫下しを作らないといけない。モニカから学んだ薬学は、あくまでも人間用の知識。今回役に立つのは、アリステルから学んだ軍用犬の健康管理知識だ。何でも勉強しておくものである。
モニカに出会う以前の私も独自に回復魔法技術と医療知識を有していた。それは、モニカから教えてもらったマディオフの大学の知識ともアリステルから学んだジバクマの軍医の知識とも異なる。
これも、元の私が融合した最初の人間、ダグラスのものだろう。ダグラスはマディオフ人でもジバクマ人でもない。ダグラスの正体は何なのだろう。
治癒師や薬師にしては、知識も技量も足りなさ過ぎる。私には聖魔法が覚えられずに修道士になることを諦めた記憶がある。修道士を目指して打棍を修め、関連技術として回復魔法を習得した。ところが、最重要技術であるはずの聖魔法に適性がなく、修道士になることを諦めた。
ここまでの推測は正しそうだ。私の心は、この説に対して違和感をまるで覚えていない。
挫折を経験した後は、どのような人生を送ったのか……。色々なものを齧るだけ齧り、ただし、どれにも精通していない。
マディオフにいる間は思い出せる話でもない……か。
寝入るラムサスを起こさぬようにルカでフルードを軽く撫でた後、私も休息を取ることにした。
◇◇
翌日、フルードを本格的に傀儡として長期間連れ歩くため、健康維持に必要な治療薬作成に取り掛かる。
ラムサスに指導がてら、必要な薬草を探しつつ森を西進する。森の中といっても、我々の歩く場所は海洋沿いである。塩を含む海風の影響で目当ての薬草が生えていないのではないか、と危惧された。
結局それは杞憂に終わり、簡単に薬草が見つかる。
「これこれ。この薬草を探してたんですよ」
「へー。ヨモギってこんな見た目をしてるんだね。名前しか知らなかった」
「ヨモギ科の植物にもたくさん種類があります。見た目も千差万別ですよ。これはアトレミシアシーナですね」
ラムサスは、ふーん、と生返事をして薬草へ手を伸ばす。
「まだ触らないほうがいいですよ」
「え? 毒でもあるの?」
「毒はありませんが、刺しバエがいることが多いんです。刺されるとしばらく痒ーいですよ」
ニグンで必要な量だけ薬草を切り取り、切り分けた房をダークエーテルに曝す。薬草採取というのは簡単そうに見えて、アンデッドの腕には難しい複雑な作業だ。
「ダークエーテルに曝しちゃうんだね」
「ダークエーテルに曝すことで刺しバエもアブラムシも死にます。アトレミシア自身も死んでしまいますが、薬効はしばらく失活しないので問題ありません」
「ゴキブリ!?」
ラムサスは鳥肌を浮かべて竦み上がる。心の底から油虫を毛嫌いしている。
「油虫ではありません。アブラムシです。二者は異なる節足動物です」
「あぁ、良かった。でも、ヨモギを食べさせれば虫下しができるんだね。覚えておこう」
「サナ……リストさんの講義で習いましたよね。人間と犬の代謝は異なります。そして犬とウルフも代謝が異なります。人間であれば湯がくだけで食べられるヨモギも、ちゃんと調剤過程を経なければウルフにとって毒になりえます」
ラムサスはラシードやサマンダと違って軍医ではない。アリステルの講義では常に退屈そうにボンヤリとアリステルや班員の横顔を眺めるばかりだった。
そういえばアリステルは、私が治癒師や薬師ではないことに気付いていた。はっきり指摘されたのは、私がラシードやサマンダに診療記録の書き方を指導した後のことだった。「着眼点が医療者とは違う」と、アリステルは言っていた。
ベテランの軍医にとって、本職かそうではないかを見抜くのは簡単なことのようだ。
修道士の道を断念したダグラスが、カルテの書き方になぜか問題意識を持っている。要人診療を任されでもしない限り、治癒師はカルテなど書き残さない。
「アトレミシアだけだと全ての治療はできません。他にも必要な薬草がいくつかあるので、一緒に探しましょう。例えばフェンネルとかですね。フェンネルの見た目は分かりますか。これも犬やウルフは食べられません。薬効成分だけを抽出する必要があって――」
森は自然の教科書である。どんな挿絵も、土魔法で作り出す精巧な模型も、本物には敵わない。
薬草一つを例に挙げても、匂い、色、固さ、生える場所、一緒に生えやすい植物、湧く虫など、教科書だけでは伝えきれない様々な周辺情報を、記憶に残る形で生徒に説明できる。
最初に覚えるべきは毒草だ。皮膚に接触するだけで何年も激痛を残す植物もある。野草に親しむにあたり、何よりもまず毒から自分を守る必要がある。
危険度の高い毒草を覚えてから、次に利用頻度の高い、学習価値の高い薬草を覚えておく。薬効と希少価値が高くとも、植物学者ですら一生に何度も出会えないような植物の詳細を学んだところで、臨床薬師からしてみれば、畑水練に等しい。
何事も基本は"安全を確保"することだ。
安全を確保。その言葉が、学校時代にオメガ個体の役割を担ってもらったバディのことを思い出させる。
記録の監査……安全確保……オメガ個体……いずれもダグラス時代の知識。単なる雑学として知っていたのではない。私はその知識を業務上活用していたのだ。
私の立場は、まだはっきりと思い出せない。だが、少しずつ推測できるようになってきた……
森を歩き回って必要な薬草を集め終わったら、次は薬の調合だ。本当はダニエルの研究室に挙げられるような、安全に調剤ができる化学実験室を用いるべきである。フィールドの森の中、そんな贅沢なものは無い。
土魔法で最低限の物を作成して、薬草処理の準備をする。
アリステルの魔力硬化症の治療薬の合成。この練習にラムサスは積極的に加わっていなかった。ラムサスがこの魔法を習得したところで、ラムサスは我々とともにマディオフに来るのだから、アリステルの治療には役に立たない。
だが、思うにアリステル班の三人の中では、ラムサスが一番変性魔法の才能を有しているように思う。
サマンダは約九ヶ月で合成魔法を習得した。しばらく別行動をとっていた上に、サマンダは私に対して魔法習得の事実を隠していた。そのため、実際のところいつ使えるようになったのかはっきりしない。もしかしたら半年くらいで習得していたのかもしれない。
私はヴィゾークを通して習得して、それでも三か月前後は日数を要した。自分の腕があったところで、変性魔法の適性が低い私では習得までに気が遠くなるほどの年月を要したことであろう。
ラムサスであれば、サマンダよりも短期間で習得できるはずだ。幻惑魔法と変性魔法の合成魔法である偽装魔法すら数日で使えるようになったくらいだ。変性魔法に関しても攻撃魔法に関しても、魔法という分野における才能は、私よりもよほど高い。
飼育育成理論を構築するために、ラムサスは最高の素材だ。三年などと言わず、もっと長期間ラムサスの成長を手出し口出ししながら観察したい。
有益な情報魔法の使い手を利用したら、害さず元の場所に戻す。それは最初から決めていたことだった。ラムサスの潜在能力は、そういう私の初志を覆させるほど魅力的なはずなのに、何故かそんな気にはならない。
何故か、ではない。長期間一緒に居すぎたのだ。『肩入れするな』とは、ラムサスだけに対して言ったのではない。自分に対する戒めの言葉でもある。
私は彼らに感情移入し過ぎている。必要に迫られたとき、彼らの存在が目障りになったとき、私に彼らは殺せるのか?
殺すことまではきっとできる。何度も何度も想定してきた。その想定を再現するだけ。ただし、その先に伸びる苦悩は、想定すらできない。
被験体に感情移入するなど、二流どころか三流以下のすることだ。科学者としても私は中途半端だ……
「ではサナ、材料には余裕がありますから、サナも一緒に作ってみましょう。変性魔法の得意なあなたのことです。調合工程は、すぐに習得できると思います」
「私は軍医でも調合師でもないけど……やってみよっかな」
魔法は長所を伸ばすのが鉄則。ラムサスが変性魔法を練習せぬ道理はない。治癒師でなくとも、錬金術師でなくとも、技術は何らかの形で後の役に立つ。
「じゃあまず下準備からですね」
ラムサスに手ほどきしながら薬草の処理を進めていく。サマンダに料理を教えていたときと同じ気分である。私もシェルドンに教えてもらった程度で、あまり料理のことは知らない。
フィールドにおける限られた食材や調味料でいかに美味しく食べるか、という部分に特化しているのであって、ちゃんと料理ができる場所で、道具や設備、食材を使いこなす、などという、本来あるべき料理人の知識が無い。それでもサマンダは嫌がらずに私の話を聞いてくれた。
シルヴィアもそうだった。アリステル班の班員達も、とても勤勉であり、教え甲斐のある生徒だ。誰もがこれだけ勉強熱心であれば、指導者はどれだけ楽なことか。
「はい、薬はこれで完成です。でき上がった薬は、三日ほどに分けて飲ませれば、ひとまず治療は完了ですね。三日に分ける理由は分かりますね、サナ?」
「薬は成虫には効いても、卵には効かないからでしょ」
「そうです。三日間連続服用すれば、卵は全て孵って薬が効く状態になります。それで駆虫は一時的に完了となります。一度駆虫しても、放っておくと後から何回でも再寄生されるんで、フィールドを歩き回る限り、完全完了という状態は存在しません。次回はサナ一人に作ってもらいます。ちゃんと作り方は覚えておきましょう」
「ええー。自信無いなあ」
「はい、じゃあ薬を飲ませますよー。あっ……」
「どうしたの? 何か失敗でもしたの?」
多分この薬、フルードにとっては美味しいどころか、かなり不味い。これをそのまま直飲みさせると、また悪い記憶がフルードに埋め込まれることになる。美味しく飲ませたほうが、警戒心解除までの期間短縮に有利だ。
では、糖衣錠でも作るか。
……フルードは、犬ではなくてウルフだ。炭水化物の消化が得意ではない。胃腸が消化できずとも、消化液に浸ってしばらくすれば、薬効成分は溶け出す。消化吸収能力は、この際問題ではない。問題は、糖衣を美味しいと思うかどうかだ。
私が作ったこの薬は、野草独特の臭いも強い。澱粉膜に包んだ上で肉の中に埋め込んで一気に飲み込ませるのが一番か……
「簡潔に言うと、フルードにとって、この薬が臭くて美味しくありません。誤魔化して飲ませるために、もう一手間必要です」
「ノエルが操作してるんでしょ? 普通に飲ませるのはダメなの?」
「無理強いされると悪感情が記憶に強く残ります。一緒に飲み込ませる肉を探しましょう。とにかく肉です」
手持ちには乾いた肉しかない。新鮮な肉を求めて森の中を探索する。
フルードの嗅覚が鋭く働き、目ぼしい獲物がすぐに見つかる。
フルードは生者だ。アンデッドを操作するときと違い、フルードをハンターとして動かすときは、フルード自体が持つ体臭に気を付けなければならない。
アンデッドは、一般に思われているような腐臭を発することがない。生者と比較して、無臭といってもいいくらいだ。私の手足であれば、装備の金属臭とか携行する薬瓶の口から漏れ出す薬品臭のほうが余程強い。
そんなアンデッドと異なり、フルードは猛烈に獣臭い。獲物を見つけたら、風下に回り込む必要がある。消毒するだけでは不十分だ。臭いと汚れを落とすためにも後でフルードを丸洗いしよう。
傀儡操作の練習がてら、フルードを活用して大森林産のブルムースを狩る。
大森林の魔物は巨体が多い。自然魔力が豊富なこと、寒冷な地域、そういった環境要因が影響しているのだろう。かなり食いでがある。
狩ったブルムースの処理を手早く済ませて料理開始だ。ブルムースの肉を低温加熱し、熱消毒してから脂の中に薬を埋め込み、その脂を肉で数重に包み込んでフルードに食べさせる。
あまり噛むと薬の臭いが漏れ出すことから、塊のまま飲み込ませる。草食動物と異なり、肉食動物はあまり咀嚼しない。これはフルードにとって極めて自然な飲み込み方式である。
ブルーウォーウルフの嗅覚は、ここまで覆い隠しても薬の臭いを嗅ぎ取る。ただし、吐き気を催すほどの強さではない。
こういう地味な努力が、フルードの馴化をわずかなりとも短縮してくれることを願う。
薬を摂取させた後は、水魔法でフルードの洗浄を行う。ラムサスに魔法で水を放出させ、フルードの身体を洗っていく。
夏の日中作業、少し冷たいくらいの水を作ったほうが、洗浄作業を行う身には快適となる。
ラムサスの水魔法は優秀な成長速度を見せている。水魔法を習得してから一年程度で、ハントフィールドで実用可能なほどに上達した。生活魔法として用いる場合にも、勿論水量には困らない。
すすぎ作業では、水を出しながらフルードの身体を洗う、という並行作業に苦労している。それも魔法の上級技術の一つ、合成魔法への第一歩である。
一回線を用いて魔法を出しながら、身体で別の何かをするより、一つの身体で二回線分の魔法を出すほうが、よほど難しい。
大学時代の火魔法講座教授ブレアにしたって、二回線分の魔法を出しながら、身体を動かして相手の攻撃魔法を避ける、ということができなかった。
私と戦ったときも、イグバルと戦ったときも、攻撃が飛んでくると、その都度ブレアは魔法錬成の手を止めていた。あれでは実戦で使い物にならない。戦闘において、忙しいときには合成魔法に二回線、闘衣に一回線を割き、更には身体も動かさなければならない。戦闘に身を置く限り、並行作業からは避けて通れない。
フルードに水魔法をかけながら、もう片方の手を動かすなどということは、いずれ何も難しいことではなくなる。必要雑務をこなしつつ、合成魔法の基礎練習となる良い機会である。
汚れを簡単に落としたら、表皮の寄生虫を落とす薬を塗り込み、浸透時間をおいた後、たっぷりと時間をかけてフルード洗い流す。汚れも薬も根こそぎ落としたら私が火魔法を、ラムサスが風魔法を放ち、濡れた毛を乾かす。
火属性はラムサスに断念させた属性とはいえ、この程度の生活魔法であれば、行使可能になっておいたほうが便利だ。しかし、その感情は口に出さず、風魔法を集中して経験させることを優先する。
冬場であれば温かく心地良い風も、今は夏。フルードは我々によって吹き付けられる熱風にうだっている。ついでにダークエーテルにも曝し、今日の消毒を終わらせておく。まったく、生体管理は手がかかる。
「なんて名前を付けようかなー」
洗浄を終えて、再びモコモコになったフルードに抱きつき、ラムサスは名前を思案する。残念なことに、命名は既に済んでいる。
「フルードです」
「もう付けちゃったの? 楽しみにしてたのに!」
名付けた、というか戦闘中に区別するための識別名称に過ぎない。新しく名付けられても私の頭が混乱する。
ただでさえ名前を覚えるのは苦手なのだ。不必要な改名は断固拒否である。
ラムサスはもう完全に勘違いしている。フルードは愛玩動物ではない。拘った命名を行ってはならない。
その昔、ホークに喜んで名前を付けた奴がいた。女は生き物に名前を付けたがる。私が新しく開発した魔法に名前を付けるのを楽しむのと同じようなものだ。
ホークで思い出した。私は空の視点を探していたのだった。
難易度面を考え手を引いたものの、これで本当にルドスクシュを傀儡に加えた日には、ホレメリアの街中に入れることはできないだろう。
大森林の魔物が蠢くフィールドから突如として現れるブルーウォーウルフとルドスクシュを交えた八人と二頭と一羽。怪しさが凄い。
私が街の見張りをしていたら、そんな奇怪な集団など、断固として侵入を許さない。入られたら街に甚大な被害が生じる可能性大である。考えるまでもない。
しかし、ルドスクシュのせいで猛禽が見当たらない。もうこの際、ルドスクシュでもいいか。
ルドスクシュを捕獲する際の一番の問題は、捕獲時にルドスクシュに負わせることになる負傷の程度だ。傀儡にした後に、飛行可能なまでに私が回復魔法で治せるレベルの負傷に留めて捕獲するのは難しい。割り切って考えた場合、いっそ絶命させ、アンデッドに転化させてから飛行させる方法も取れる。
ホレメリア上空をルドスクシュアンデッドが飛行すれば、並み居るハンターが街中から飛び出してくるだろう。街そのものに用はないのだ。欲しいのは戦力と情報。
あと、長期的にフルードとリジッドはどうしよう。飛行空間の必要なガダトリーヴァホークと違い、この二頭はダンジョンで内でも役に立つ。汎用性、という意味ではホークよりも優れている。
フルードとリジッドは、ブルーウォーウルフの中でも際立って優秀な個体。レッドキャットの強い個体であれば、フルード以上なのでは?
レッドキャットは群れを作らない単独生活を営む種ではあるが、ドミネートしてしまえば関係ない。特別強いレッドキャットを発見したら、それをドミネートしてフルードと入れ替えるのはアリだ。
……ううむ。それをやるとラムサスが悲しむか。迂闊に抱き着かせたり身体を洗わせたりしたのは失敗だったかもしれない。
それに、レッドキャットの強い個体というのは、よく考えてみるとネームドモンスターのツェルヴォネコートのことだ。
討伐難度はブラッククラス推奨。少なくともダンジョンボスと同程度の強さがある。討伐だってできるかどうか分からないものに対し、ドミネートの手筈を整えることなどできっこない。
大森林のネームドモンスター下位であるジャイアントアイスオーガ相手でも、あれだけ手こずったのだ。ネームドモンスター最上位のツェルヴォネコートをドミネートするなど、まさに夢物語である。
夢……。むしろ夢こそ高くもったほうがいい、という考えもある。ツェルヴォネコートに対し、実際にドミネートを試みるかどうかは別にして、だ。
究極の到達点の一つとして、ネームドモンスターのドミネートは心に留めておくか。次にジャイアントアイスオーガ級の魔物と交戦になった暁には、ドミネートを行使する機会を探ってみることにしよう。
洗浄と乾燥が終わり、フッカフカになったフルードをルカの手で撫でる。洗い上がりだけあって、昨日以上に撫で心地がいい。冬の寒い時期にフルードを抱き枕にすれば、気持ち良く眠れそうだ。
「フルードはモッコモコだねえ~」
ラムサスはまたフルードの毛並みに顔を埋めている。
フルードからは、嫌悪とか怒気ではなく、好きにしてくれ、という諦観が伝わってくる。昨日はあんなに負の感情に溢れていたのに、たった二日目にして自分の立場を受け入れ初めている。ホークと比べて馴化の早い事この上ない。
「下毛までしっかり乾かしましたので臭いもちゃんと飛んでますね。これなら森を連れて歩いても問題なさそうです。さあ、いつまでもじゃれ合ってないで行きますよ」
「そうだね。先を急ごう」
ラムサスは顔を毛並みから抜いても、片手は未だに突っ込んでいる。お気に入りの玩具を手放すことのできない小児を彷彿とさせる。ドッグセラピーとして心を癒すどころか、退行現象を引き起こしてはいないだろうか……
それは大きな問題ではない。次の目標は、早くホレメリアを見つけることだ。多分ホレメリアはここからそう遠くない場所にある。
何も考えずにこのまま西進を続けると、すぐにマディオフ西部に辿り着いてしまう。西側は反乱軍が占領する土地だ。いずれはそちらに手入れを行うにしても、まず対応すべきはスタンピードということになっている。
ホレメリアには、特別討伐隊の本隊が拠点を置いている。街の規模だってそれなり。"良い目"さえあれば、相当な距離からでも見つけられるはずなのだ。やはり猛禽が必要だ。
考え事をしながら歩くうちに、空にルドスクシュの影が浮かぶ。これを、大怪我をさせずに地へ落とそうとすると骨が折れるが、アンデッドの傀儡にするのであれば簡単だ。クレイスパイクで簡単に絶命させられる。
手足数本で放ったクレイスパイクは、空を舞うルドスクシュの命を事もなく奪い、身体はそのまま地上に落下する。
落ちたルドスクシュの下へ行き、死体にアンデッド作成魔法をかけて転化させる。
新鮮な死体に偽りの生命が宿り、孵卵直後の雛のようにたどたどしく身体が動き始める。大きな魔法抵抗が生じる前に、無抵抗のルドスクシュアンデッドにドミネートをかけるだけで、お手軽強力アンデッド傀儡のできあがりである。
アンデッドには通常の回復魔法が効かない。私には自動再生のスキルがある。元はオドイストスのスキルだ。
人間の身体とは相性が悪いらしく、生者の状態では発動しないスキルではあるが、アンデッド体では問題なく発動する。骨折は元より、微速ながら欠損すら修復してくれる便利なスキルだ。
転化が完了したルドスクシュアンデッドは、オートリジェネレーションによって、飛行可能な状態まですぐに再生が進む。
生体ではないのだから、繊細に痛みを気にする必要がない。骨折部位の骨癒合が完全に得られずとも、土魔法で作った副木でも当てておけば、飛行にさして問題はない。
お役御免となった小鳥を回収し、ルドスクシュアンデッドを空に高く放つと、街はすぐに見つかった。
「サナ、街が見えましたよ」
「ここから近いの?」
「西南西に歩いて数時間、ってところですね。傀儡の魔物を警戒した人間が、我々を攻撃してくるかもしれません。サナも注意してください」
「でも戦わないんでしょ?」
それは相手次第だ。ミスリルクラスが敵に回る場合、殺すつもりでやらないとこちらがまずい。手加減できるのは、相手がチタンクラスまでの場合に限られる。
「それは専ら先方の出方にかかっています。そういう意味では、フルード達、魔物の存在がかなり辛いんですよねえ」
「一時的に遠くに置いておけばいい」
「それができたら苦労はしません」
ラムサスはジバクマの大公ダニエルのドミネートの有効距離を基準に考えている。ダニエルは研究室にいながらにして、遠く離れた毒壺に傀儡を送り込み、ダンジョンの魔物を間引いていた、という。
私は、ドミネートの有効距離を伸ばす技術がダニエルの遺産の中に残されているのではないか、と考えていた。ダニエルの研究室ではラムサスに協力を拒まれたために、技術の有無を突き止めることすらできていない。
「リリーバーって、パーティーメンバーが常に近距離にべったりくっついたまま……。もしかして、ノエルは長距離操作ができない?」
お手上げの姿勢で肯定の意を示す。
「そっか。だから遺産を欲しがったんだ……」
難しい顔をしてラムサスは悩む。
「それ、結構厳しい制約だね。このままフルードと一緒にいると、もう街の中には入れない。まさか、フルードを処分しよう、なんてことは……」
ラムサスが心配しているのはフルードのことだけ。アンデッドであるリジッドやルドスクシュの事は眼中にない、分かりやすい反応を示している。
「それは今のところ考えていません。一応フルードに変装魔法をかけることも考えてみました。見た目をどう変化させても、身体の大きさは、どうやっても誤魔化せないのがネックです。こんなでかい犬、いませんからね」
世界には、人間の数倍はでかい魔物や数十倍重い魔物、ベアーでもジュラフでも、何でもテイムする奴らがいる。
フルードにディスガイズを施し、ブルーウォーウルフではなくウルフの巨大個体を装えば、警戒の緩い街には入れるかもしれない。厳戒態勢を敷いている地域に入ることは、間違いなく無理だ。
魔物の扱いに気を揉みながらルドスクシュアンデッドの目で見つけた街に近付くも、全く人気がない。
無人の街に、偽装や隠蔽は不要。手足全てを率いて街に入る。
それはホレメリアではなく、遺棄された村だった。人が住んでいたのは、そう昔の事ではないようだ。ナフツェマフ同様、スタンピードが起こる前まで、この村には人が暮らしていたのだろう。
村とその周囲に住み着いた魔物を全て討伐した後、村から南西に向かって伸びる一本の細い街道の上を歩くことにした。
半日ほど街道を進むと、前方に街が見えてきた。
鳥の目で全景を見る限りは、フライリッツやリブレンと同等か、少し小さいくらい、それなりの規模だ。先の村と違い、人影が見える。遺棄されてはいない。今度こそホレメリアだろう。
「また街が見えてきました。今度はアタリっぽいですよ。人がいて、生活感があり――」
「戦闘態勢が整っている?」
「そういうことです」
見る限り、ホレメリアにはリブレン以上の防衛網が敷かれている。
そういえば遺棄された村を出てから強い魔物とは遭遇していない。特別討伐隊がそれなりに機能している、という証明だ。
ホレメリアの防衛状況をラムサスに説明する。
「本隊がこっちにいる、っていう説明は本当か……。イオスやバンガンは見える?」
「見えないです」
「街に居たとしても、建物の中だから、何とも言えないね。距離を取ったまま、もう少し様子を窺おう」
リブレンと違い、取り敢えず話を聞きに行く、という手段は取らないほうがいい。
ホレメリアにいるのは討伐隊の本隊。リブレンと違って優秀な能力者、優れた魔道具があの場所にある。
我々の正体を見抜く可能性は、リブレン以上に高い。
我々の現在位置は、ホレメリアから北東方向。北を通って西側へと回り込む。
通過する森の中からは、時折複数のハンターの息遣いを感じる。幸いにして、彼らは上空高くを飛行するルドスクシュアンデッドに対して、さして警戒を行っていない。
ハンターの位置を正確に把握し、接触を持たぬように避けつつ西に辿り着く。
西側で見かける魔物は全て在来種。大氾濫で流れてきた魔物は、一匹たりとも見かけない。
ホレメリアは防衛線として機能し、大森林の魔物が以西に侵出することを阻んでいる。
西側の状況を理解した我々は、今度は東側へ移動する。
ホレメリアを境に引いた東西線を越えると、ハンターの密度は一気に増加する。強い魔物は東側から来る、と分かっているからだ。
「こっち側はハンターが多くて移動し辛いです。迂回ばっかりさせられます」
「西に対する防衛意識が希薄過ぎる。これは問題」
「大森林の魔物は東から来るんですよ。西に戦力を割くのは無駄でしょう?」
「魔物はね。でも、反乱軍が襲来するとすれば、それは西側から」
反乱軍の蜂起したロギシーンは、ここからまだまだ西側である。
「西にも巡視をしている人間はいました。それで精一杯なのでしょう」
「街の外に張り巡らせている監視の目はそれでいいとしても、防衛構造はどうなってる? 西からの攻撃への備えが無いんじゃない?」
「そんなことはないですよ。街をグルリと砦柵が巡らされています」
「砦柵か……。そんなのが大森林の魔物や反乱軍からの襲撃の備えになるとは思えないけど」
両端の尖った丸太を地面に並べて突き刺しただけの砦柵は、プラチナクラス以上の実力を持つ人間であれば、易易と破壊できる。魔物もまた然りだ。
砦柵を突破できるのは、我々に限った話ではない。ラムサスに指摘されるまで、私はそれに気付かなかった。軍略家というのも侮れない。
「逃げるときは、東の方角を選ぶのがいいかもしれませんね」
「リリーバーにとっては取るに足らない魔物達が、討伐隊を足止めしてくれるもんね」
南を除く、ホレメリア三方向の概況を理解した我々は、討伐隊の蠢く東側を離脱して安全な西側へ戻り、作戦を考える。
「さあ、どうします。パートナー気取りのサナさん?」
「パートナー?」
「自分で言っていたではないですか?」
「んー、違うんだなー。パートナーというのは、私の中での立ち位置。ノエルからそう呼ぶのは変」
分かっていない、という顔でラムサスは首を横にふる。
「協力者とでも?」
「それもイマイチ。ノエルは依頼者。私は軍略相談役」
ラムサスは腕を組んで高らかに宣言する。
コンサルタント……だからパートナーなのか。誰と共同しているのか知らないが……。アナリストは誰だ。私か? 私の手足なのか? 気まぐれな奴だ。ここだけの話なのだから、好きに自称すればいい。
「それで、コンサルの提案は?」
「夜になってからホレメリアの街に忍び込もう」
私の普段の行いが何も間違っていないことをラムサスの発言が裏付ける。
ジバクマに居た頃は、それは選択による帰結だった。魔物達を抱えている今、それを切り捨てない限り潜入する以外の方法がない。
人間以外の存在に、人間の街を出入りすることは難しいのだ。夜しか出入りができないのだから、不便なことである。
「同じ潜入でも、人から指示されて行うのは物騒な感じがしますね」
「あなたは自分の行動の異質さをやっと自覚できた」
「どんどん言うようになりますね……」
傀儡がある分、私は人よりも視野が広いはずなのだが、それでも自分自身のことは未だに正確に把握できていない。自分を完全に客観視できる人間など存在しない。
◇◇
夜を迎えるまで森の中で待機し、闇が帳を広げたのを見計らい、ホレメリアの街へ潜入する。街を覆う砦柵は、城壁同様に我々にとって何の妨げにもならない。破壊する必要すらない。
街中では万が一に目撃されたときに備え、フルードとリジッドにはディスガイズで馬に変装させておく。夜中に街中を馬が歩いているのも、それはそれで驚きの光景ではあるが、巨大ウルフが歩いているよりはマシだろう。
道中見かけたハンター風の人間を眠らせて、小妖精で情報を引き出し、特別討伐隊を指揮する本部の位置を調べる。
入手した情報を頼りに辿り着いた本部は、非常事態対応の本拠とは思えない静けさだった。灯りもほとんど灯されていない。
対策本部という言葉から、夜を徹して討伐の作戦を組んだり、新情報の報告を常に受け入れたり、という状態を想像していた。
街の外とは一変、街中は警戒が疎か過ぎる。スタンピードが起こってそれなりに日数が経過しているからだろうか……。日数と言ったって、スタンピードが起こってから、まだ二ヶ月と少ししか経っていない。気を緩めるには早すぎる時期だ。
これは多分、本部の最高責任者が軍人やハンターではなく衛兵だからだろう。
衛兵は軍人よりもずっと役人気質。お役人様にとって、夜はお寝んねの時間だ。この状況は、我々にとっては有り難い。
肩透かしを食いながらも、ありえないほど深い眠りに就いた本部の建物に侵入する。
本部の施設は、軍人が一時駐在場所に設営する仮設建設物ではなく、作りのしっかりとした建物だ。平時は街の集会場などとして使われていたと思われる。
中は流石に無人ではなく、夜間警備の人間が何人かいる。オルシネーヴァのクラーサ城の親衛隊を思わせる、やる気のない姿勢だ。
これで潜入してきたのが私ではなく異端者であれば、討伐隊の指揮系統は壊滅し、情報が失われることになっていただろう。危機管理意識の欠如した本部だ。
睡魔と戦う警備員達を睡瘴気で眠らせ、シフィエトカラルフとポジェムニバダンをフル活用して必要な情報を回収していく。
我々が欲しているのは魔物の分布図とイオスやバンガンといった強いハンターの現在地だ。
特に苦労することもなく見つけた最新の見取り図には、私が倒したジャイアントアイスオーガが健在の敵として記されていた。
この見取り図をこのまま持っていくのは安直かつ将来の自分を苦しめる悪手。潜入の痕跡を残さないためにも、見取り図を隕鉄へ模写していく。
見取り図には魔物の分布だけでなく、討伐隊の大雑把な人員配置が書き込まれている。そして見取り図のすぐ傍には、討伐隊の部隊編成や人員名簿が置かれている。
私に盗み見てくれ、と言わんばかりだ。
イオスはどうやらスヴィンボアの大群の対応に当たらせているらしい。ネームドモンスターのビェルデュマがホードを率いている。
バンガンはアイスオーガの対応だ。
パッと見た限り、選択と集中が上手くいっていない。衛兵ではなくハンターか、玄人の手配師に人材配置を任せていれば、より効率的に魔物を処理できようものを……
特別討伐隊は国が招集したものであり、形式上、ハンターや手配師に部隊編成を一任できないにしても、せめて衛兵ではなく軍人が担っていれば、まだ話は違った。衛兵は頭でっかちの実戦不足、現場経験不足だ。
どうせ特別討伐隊内部でも、管轄がどうだの、縄張りがどうだの醜悪な権力闘争という名の足の引っ張り合いでもしているに違いない。
必要な情報を回収し、ホレメリアの街を後にする。
街を出て南東方向に十分に離れ、周囲にハンターの気配がしない場所で休憩を取りつつ、入手した情報をラムサスに説明する。
私の傀儡と違い、ラムサスは小妖精が見た視覚情報を直接自分で見ることができていない。
さっきも名簿を見つけたのはポジェムニバダンなのに、ラムサスは初めて聞く体で私の説明を受けている。
口で説明するのは難しい。隕鉄に書き込んだ情報を、土魔法で作り出す黒板に図示していく。
街、魔物、ハンターの位置関係を地図に書くと、視覚的に分かりやすい。
「先程我々が潜入したホレメリアがここです。ここから東南東に向かうと、我々が横を素通りしたナフツェマフがあります。覚えていますね?」
ラムサスはコクリと頷く。
「ナフツェマフに居たバズィリシェクが、今もそこに留まっているかは、特別討伐隊も把握していません。どこか別の場所に移動している可能性があります。ホレメリアとナフツェマフの中間地点付近にスヴィンボアの大群が居て、ネームドモンスターの一体、スヴィンボアの大物であるビェルデュマがいます。討伐隊の主力三分の一とイオスがここへ配置されています」
「この辺りは私達がこの間通った経路だよ。ニアミスしたのかな」
「恥ずかしながら、私はこの間道に迷ったので自分の通過した正確な経路が分かりません」
「そっか。バンガンは?」
「バンガンはここですね」
我々が既に倒したジャイアントアイスオーガの居た地点にバンガンの名前から矢印を伸ばす。
「討伐済みのジャイアントアイスオーガの場所に貴重なミスリルクラスを……」
「バンガンやイオス抜きの"その他大勢"だと、アイスオーガとブルーウォーウルフのモブを倒すのはキツイでしょう。過小戦力だと、人員がどんどん欠落していきます。僥倖にも近い適正配置なんじゃないですか」
「そうかもしれないね。うん、ポジティブに考えよう」
スヴィンボアの移動方向を地図に書き加える。
「スヴィンボアのホードは、少し前までもっとホレメリアに近い地点に居たようです。イオス達によって徐々に東側へ追いやられ、現在の地点がここ、ということです。我々がこの場所近くを通ったとき、まだホードは居なかったのかもしれません」
「ホードはこのままだと、どんどんナフツェマフに近付いていく、ってことじゃん。ホードがこれ以上東に移動する前に、イオスに接触して、イオスと協力して、ビェルデュマを倒す。これが理想かな」
「あれ? ネームドモンスターは倒さないのでは?」
「そう言っておいたのに、ノエルは相談もなくジャイアントアイスオーガを倒してしまった。今回もそうなると踏んだ上で作戦を考えるの。もちろんそうならなかった場合の計画もね」
いかにも私が迷惑ばかり掛けているような言い種だ。面倒事が絶えないのは真実か。
「アイスオーガの戦力は大幅に減り、バンガン達に完全殲滅されるのは時間の問題。バンガンのチームがスヴィンボア方面に配置変更になると、我々にとっては厄介な話です。イオスへの接触は、可及的速やかに行いましょう」
「私達から見て、イオスのチームのメンバーの危険度はどうなの?」
「ハンター勢は、チタンクラスが何人かいます。何人も、と言うべきか、それしかいない、と言うべきか。ミスリルクラスの実力があるのはイオスだけ。軍人の能力ははっきりしません。チタンクラスの者は数名、残りはプラチナクラスだと思います」
「数に圧殺されることはない、か……」
少なくとも千本の矢を射掛けられる心配は無くなった。飛んでくる可能性があるのは、魔力の乗った遠距離攻撃が精々数十発だ。ラムサスがイデナに乗っている間は、それも捌ききれるだろう。
「魔物を警戒してピリピリしているハンター相手にブルーウォーウルフを引き連れて接触する。カチコミを掛けに行くようなもんですね」
「スヴィンボアとの交戦中に割って入るのはどう? 窮地を救う感じになると、更にいいよ! 人間は雰囲気に弱いから、増援然としていれば、受け入れてくれるよ」
「それでいくとしますかね。スヴィンボアに向くはずの攻撃が、一斉にこっちに向かないことを願いましょう」
これはどちらかというと、ラムサスよりも私が思いつきそうな作戦だ。自分で思いつくと失敗しそうでも、ラムサスに言われると成功しそうに思えてくるから不思議なものである




