第四話 岸壁の戦い 一
リブレンの検問で情報を収集した後、我々はホレメリアへ急いだ。既存の街道を無視して、リブレンからホレメリアへ一直線に行こうとすると、道中、進路の少し北東側にナフツェマフがある。バズィリシェクとの接触を回避するため、直線ではなく、西側に少し弧を描くように進路を取る。
目についた大森林産の魔物だけを最速で処理し、とにかく移動速度の向上に努める。被毒を気にせずフィールドを動き回れる、瘴気を展開できる、というのはアンデッドの便利な点である。
ダークエーテルを展開しながらシーワを先頭にして走れば、その跡に生命体は残らない。たとえ進路に藪が広がっていようとも、有毒生物を警戒するがために進行速度が大幅に落ちることなどない。
魔力消費の重いダークエーテルも、大森林の魔物が練り歩く今に限っては、使い放題である。何しろ魔力吸収スキルを有する魔剣を持っているのだ。魔物の討伐と補給と前進、これらを全て同時にできる。
北西に進めば進むほど、大森林の魔物の密度は上がっていった。
北西に進むこと一週間、我々は断崖に辿り着いた。断崖の先には見渡す限り青い水が広がっている。湖ではない。
「これ、北洋だよね。私、海を見るのは初めて」
佳景を眺めたラムサスが感動を漏らす。
私も海を見るのは、「前」を含めて初めてだ。傀儡の虫の目で見るのとは違い、自分で見る海は、なかなかいい眺めである。潮風に乗った独特の匂いも悪くない。
……と、そんなことに気をやっている時間はない。これは参った。方角を頼りに走るうち、自分の現在位置が分からなくなってしまった。
ナフツェマフもホレメリアも、それなりの規模の街である。ならば、ナフツェマフからホレメリアへ伸びる街道があるはずだ、と考え、それを見つけることを目標に走ってきた。
おそらくずっと前に交叉したあの細道が"街道"だったのだ。ホレメリアからナフツェマフを繋いでいるのであれば、交易路としてそれなりに整備された太い道があるもの、とばかり思い、あの貧相な細道を横切ったのだ。どうやらあの判断は間違っていたらしい。
さて、どうするか。街や街道を探すのであれば、空からの視点が欲しい。それも小鳥ではなく、遠くを具に観察できる猛禽が良い。
海の匂いがし始める少し前くらいから、ルドスクシュを何度か見かけている。大氾濫以前から、この場所に生息している魔物だ。
私が欲する猛禽に、ルドスクシュは一応該当する。ただし、ルドスクシュをドミネートしようと思ったら一大作業である。
ドミネートを掛ける際の射程は、あまり長くない。それなりに短距離まで接近しなければならない。それと、ドミネートを成功させるには、ルドスクシュを弱らせる必要がある。そのままドミネートを掛けたところで、確実に抵抗される。
弱らせるために攻撃魔法を当てると、ある程度体力が削れた所でルドスクシュは墜落することになる。つまり相当な怪我を負う。せっかくドミネートに成功しても、飛べないのであれば空の視点として役割を果たすことができない。
私の回復魔法は魔力量に物を言わせて回復効果を引き出しているだけであり、技術的にはそこまで高度なことをしていない。むしろ、高度な回復魔法は使えない。
折れた骨を即座に癒合させるような大技は習得していない。墜落時にルドスクシュが骨折すると、その時点でドミネート失敗、ということである。
ルドスクシュの狩り方であればいくらでも思い浮かぶが、怪我を負わせない捕獲方法は、全く思い浮かばない。
妙案なしにルドスクシュを傀儡にしようとしたところで、時間の無駄である。ここは手持ちの小鳥だけで乗り切ることにしよう。
海を見ながら現在位置を把握する手段を模索するうちに、こちらへ向けられる視線があることに気付く。
視線にも種類がある。同じ人間の視線でも、好意的な視線と敵対的な視線は違って感じられる。人間と魔物の視線は、これもまた別物である。
ジャガーやパンサーなどのネコ科の魔物の視線は、どれも似通っている。ゴブリンやオークの視線は、ネコ科の魔物の視線とは全く違い、どちらかというと人間の視線に近い。
今我々が感じ取っている視線は、ゴブリンやオークのような、亜人系統のものだ。視線に籠もった感情を読み解くならば、攻撃心。我々を狙う亜人がどこかにいる……
視線感知で読み取った情報から導く私の推測の正しさを証明するかのように、森側から魔法が飛来する。
赤く燃え盛る火球。あれはファイアーボールだ。
軌道を見極め、取り急ぎ予想着弾点から離脱する。
「敵!?」
気分良く海を眺めていたところ、急に体を揺らされてラムサスが驚く。
「森からファイアーボールが飛んできました。アイスオーガでもいるんじゃないですか?」
ラムサスに状況を説明した直後、我々が飛び退いた場所にファイアーボールが着弾し炸裂する。
いくつもの子弾が飛び散り、断崖に広がる岩場を焦がしていく。
この一撃は、昔、私の肉体で初めて放ったときのファイアーボールよりも高威力だ。着弾点の硬い岩場の表面を大きく砕いたことだけ見ても、燃焼力よりも炸裂力に特化したタイプのファイアーボールだ、ということが分かる。
「アイスオーガじゃなくない!? ファイアーボールだよ?」
アイスオーガが魔物として正式に発見される前の名前はスノウマン。人畜無害な雪像のような名前だ。可愛らしい旧名と異なり、アイスオーガはゴブリンやオークといった他の亜人種よりもずっと強く、攻撃的だ。
アイスオーガの行使する魔法は、ラムサスが主張する通り、水魔法とされている。しかし、他属性の攻撃魔法は使えない、とまでは聞かない。人間同様、亜人種にも個体によって得意不得意がある。ファイアーボールが得意なアイスオーガだっているかもしれない。
スタンピード下のこの状況、この場所に出現しうる最も強力な亜人はアイスオーガなのだから、アイスオーガがファイアーボールを撃ってきた、と考えるのが危機管理意識としては最良であろう。
「アイスオーガにも変わり者がいるのかもしれません。人間みたいにね」
「そんな冗談――」
別に冗談で言ったのではない。魔物の視線はラムサスに向いていないようだし、ラムサスの視線感知能力はまだまだ低い。たとえラムサスが自分に向けられる視線に気付いても、視線から視線の主の像を思い浮かべるのはまだ無理だろう。スキル技量と経験が不足している。
このまま黙って断崖に突っ立っていては、魔法の恰好の的である。我々は断崖を離れ、木々の中へ逃げ込んだ。
すると、今度はウォーターボールが我々目掛けて飛来する。丸い水の塊が空を飛んでいると、そこはかとない倒錯感がある。
なぜ飛来物の形状が丸い? あれでは空気抵抗が大きすぎる。私の土魔法のように流線紡錘型を取らせるべきだ。そうしないと弾速維持に無駄な魔力を使うことになる。狙いだって、風の影響を受けて逸れやすい。
魔法を見ると、魔法に対する批評が真っ先に浮かんでしまう。今はそんなことを考えるべきではない。あの水魔法にどうやって対応するか。それを考えるべきである。
魔物が飛ばしてきているのだから、あのウォーターボールは唯の水の塊ではなく、何らかの厄介な特徴があるはずだ。幸いなことに、形状の不利により弾速が遅い。迎撃する余裕がある。
背高で弾速最速の風魔法を放ち、ウォーターボールの迎撃を試みる。
単純な放物線を描いて飛ぶウォーターボールに、こちらの放ったガストが命中する。しかし、ウォーターボールは軌道すら変えずにそのままこちらに飛び続ける。
思ったよりも頑丈にできている。しかも、一発にとどまらない。後続のウォーターボールがいくつもいくつも射出され始めた。これは真面目に回避しないとまずそうである。ウォーターボールから身を守るのに適していそうな森の奥へどんどん逃げる。
射出されたウォーターボールは最高高度に到達すると、重力によって下方向への速度を増していく。落下地点にある木々をなぎ倒しながらウォーターボールは森の中を弾み、何回か反跳を繰り返した後に弾ける。
ファイアーボールほどの大きな炸裂力はない。水を包む膜を針で突いて破ったかのように小さく弾け、中の水を周囲に撒き散らす。
その水がかかった部分は、見る間に凍り付いていく。弾けると周囲を凍り付かせる、という意味では私のアイシーブラストにも近い魔法である。物理的な衝撃は、このウォーターボールのほうが圧倒的に上だ。私の魔法は亜人以下か……
ウォーターボールの炸裂地点は、我々が現在走る場所からかなり離れている。森の中に逃げ込んだ甲斐があり、敵は照準をしっかりと合わせて魔法を放つことができていない。読みで撃っている。
それは我々も同じである。傀儡に見えているのはウォーターボールの射出点だけで、魔法行使者の姿を見つけられていない。
今から射出点に向けて反撃の魔法を放っても、そこに敵はいないだろう。
森の中での魔法の応酬が非効率的だからといって、闇雲に突っ込んで戦うというのも下策。
逃げる、という選択もない。アイスオーガは知性ある魔物だ。追い込み漁のような狩り方をしている場合、一見安全に思える方向に逃げる事こそ危険になる。ならば……
森を飛び出し、再び木々の疎らな断崖付近の岩場に立つ。
再び視線が我々に集まり、ウォーターボールの射出が始まる。
木々で敵の魔法を防ぐことはやめだ。守る必要がないくらい、攻めることにしよう。
ウォーターボールの射出地点へ向けて、クレイスパイクを放つ。
分かっているのは射出地点だけであり、魔法行使者の正確な位置は不明、敵の総数も不明。しかし、アイスオーガは倒すべき標的の一種。魔法の実力を見るという意味でも、一合交わしておくのは悪くない。押し負けるようであれば、今度こそ全力で逃げることにしよう。
アイスオーガがどのように我々を追い込もうとしているか。その意図さえ読み切れば、逃げる手段だって確立できる。退路を確保したら、後は思い切り攻撃するだけ。全員で放つクレイスパイクだ。
ヴィゾークを筆頭に、イデナ、シーワ、フルル、二脚の五本の手足にクレイスパイクを連続で放たせる。ニグンは身体に両腕を戻してから、あまり日が経っていない。ニグンの身体で魔法を放つことに、操者である私のほうが慣れていない。使用回数を重ねていけば、じきに馴染んでいくだろう。
我々の撃ったクレイスパイクが、空を舞うウォーターボールにぶつかり、水球の表面を覆う膜をすんなりと貫く。水球は我々に到達することなく、中に詰まっていた臓腑を木々にぶち撒けていく。
弾力のあるウォーターボールの迎撃に、面で捉えるガストは不向き。点で貫くクレイスパイクが適任だ。今くらいの一撃で簡単に穴を穿てるのなら、もっとクレイスパイクの威力を落としても十分ウォーターボールを迎撃できる。威力を抑えたクレイスパイクの連射など、私にとって容易な話である。
数十を超すウォーターボールをクレイスパイクで割っていく。魔法比べでもしているようだ。
弾速の遅いウォーターボールは、狙いを定めやすい。クレイスパイクの初級者であれば、動く的に命中させるための適当な練習材料となるだろう。
ウォーターボールの数から察するに、魔法行使者の総数は三十に満たない。これで百以上のウォーターボールに飛来されると、質で押し返すことなど考えられなかった。これくらいの数の差であれば、押し返せる。
テンポよくウォーターボールを割っていくと、ウォーターボールに混じって森の中から一粒のファイアーボールが射出される。
ウォーターボールと違って、ファイアーボールは常に単発。火魔法を使えるのは一体だけ、か。こういう部分も、人間ではなく亜人の群れの中にファイアーボールを使える変わり種が一体混じっている、と考えさせる根拠になる。
クレイスパイクは、ファイアーボールを迎撃するのに不向きだ。こちらもファイアーボールを放って迎撃するには、反応が少し遅れてしまった。私のファイアーボールの溜め速度は、あまり早くない。今からファイアーボールを練り上げて相殺を狙っても上手くいかない。せっかくの魔法戦の機会だ。応対にももう一捻り趣向を凝らしたい。
魔法の苦手なシーワ、フルル、ニグンはクレイスパイクを撃つことを止め、代わって斉唱による防御魔法を展開する。
ラムサスを背負ったイデナとルカを背負ったヴィゾークは防御魔法の外に置き、イデナとヴィゾークには引き続き攻撃魔法を放たせる。
ファイアーボールの弾速はウォーターボールよりも高速。先に放たれたウォーターボールを次々に抜き去り、いち早く我々の展開した防御魔法に衝突し、炸裂する。
昔、演習棟で私とメイソンが繰り広げた魔法比べと同じような光景が広がる。此度のファイアーボールは、当時私が放ったファイアーボールよりも強力な一撃だ。魔法に籠もった魔力は元より、炸裂力が私の魔法とは、別次元なほどに強い。
火の炸裂が私の防御魔法に襲いかかり、魔法の障壁を激しく揺らす。
万が一、防御魔法が破られた場合に備え、我々は闘衣を纏う。怖いのは炸裂する一瞬だけである。私のファイアーボールと異なり、炸裂後の火弾の燃焼力は矮小。炸裂にさえ耐えきれば、主席火弾も子弾もすぐに防御魔法でかき消すことができるはず。
覚えてから一年程度とまだ間もない防御魔法が、未知の敵の放つファイアーボールを遮断する。一人で展開する分には防御力が心許ないものの、防御魔法は斉唱による効果上昇幅が他の魔法に比べて大きい。こうやって手足三本がかりで展開するだけで、点の貫通力に劣るファイアーボール程度であれば防ぎきれる。
ファイアーボールの炸裂は、私の防御魔法を揺らすばかりであり、軋みも歪みもヒビの一つも生じさせない。本命である炸裂力で我々の防御障壁を突破できなかったファイアーボールは、弾けた子弾が障壁表面に頼りなく炎を揺らめかせる。その子弾もすぐに消え去り、澄んだ視界が我々の前に再び広がっていく。
この結果は私の想定通り。防御専門の魔法だけあって、土魔法で作り出す盾よりも防御力に優れている。現状の問題は、障壁の内側から外側へ自分の攻撃魔法を素通りさせられない点だ。敵の攻撃だけを防ぎ、自分の攻撃は阻害しない。そんな技術が欲しい。これも防御魔法が上達するうちに、素通り可能なように改良を加えられるかもしれない。
今は反撃するために防御魔法を一旦切るか、防御魔法の範囲外まで出る必要がある。今回防御魔法を使用した目的は、ファイアーボールを防ぐことではなく、防御力を確かめることである。それは十分に達成できた。
防御魔法の外で魔法を撃ち続けるヴィゾークとイデナによって、空にはウォーターボールが一つもない。射出予測地点に先撃ちしたクレイスパイクが、敵から放たれて森を飛び出した直後のウォーターボールを破り割っているためだ。敵は火魔法講座の教授、ブレアのようなものだ。魔法を溜めしながら移動するのが苦手なのだ。だからこうやって置きクレイスパイクが命中する。
この程度の魔力消費であれば、我々はいつまででも続けていられる。ウォーターボールは明らかに私のクレイスパイクよりも魔力消費が激しい。体力という面でも、魔力という面でも、我々が遅れを取ることはない。
練り上げたウォーターボールを、立て続けに至近距離で破られることに嫌気したのか、ウォーターボールの射出は止まり、今度は森の端から魔物が二頭飛び出してきた。
魔物は地を四つ脚で駆ける。顔には特徴的なアイブラックが見える。あれはウォーウルフだ。しかもブルー種。アイスオーガではなく、ブルーウォーウルフがファイアーボールを放ったのか……?
今はそれはいい。この二頭はかなり強い。魔力はレッドキャット以上に高い。大森林の旧頂点種であるレッドキャット以上に強いブルーウォーウルフ……。大森林は本当に秘境だ。
防御魔法を展開するシーワ達の手を止め、剣を構えさせる。
彼らの真骨頂は、魔法ではなく物理戦闘にある。魔法が得意なのはあくまでも私の特性。手足で魔法が得意なのは、ヴィゾークとイデナだけ。シーワやフルルの肉体では、私の魔法技術を十全に発揮しきれない。
こういうのは分担が肝心である。物理戦闘は、物理戦闘が得意な手足であるシーワやフルルに、魔法は魔法の得意なヴィゾークやイデナに使わせればいい。シーワの物理戦闘力は手放しで賞賛に値する。レッドキャットを少し上回る程度の魔物であれば、応戦は容易。一頭はシーワに、一頭はフルルに迎え撃たせよう。
無理にカウンターを入れる必要はない。シーワとフルルには防御に主眼を置かせる。タイミングを見計らい、別の手足で魔法を撃ち込めばいい。
難易度はかなり高い。昔戦ったウォーウルフの俊敏性はかなりのものだった。多分このブルーウォーウルフは絶が使える。闘衣衝突時に硬直が生じなければ、そこを狙って魔法を放っても命中させることは難しい。徴兵前の私にはそれができなかった。
しかし、今の私の魔法技量であれば可能なはず。予想外の出来事さえ起こらなければ……
剣を構えた途端に、"予想外"はすぐに起こる。二頭の後ろから、次から次にブルーウォーウルフが出てきたのだ。しかも、一旦止まったウォーターボールが、森から再び飛来し始める。
この流れるような集団行動、誰か敵方に指揮を執っている者がいる。ブルーウォーウルフがこちらに向かっているのにウォーターボールを放つ……ブルーウォーウルフは凍結耐性があるなどして、ウォーターボールが無効なのかもしれない。
凍結耐性など持っていない我々は、近接戦闘と魔法迎撃の同時並行が求められる。これは面白くなってきた。
迎撃に失敗した場合、大きく幅を取ってあのウォーターボールを避けないと身体が凍り付いてしまう。魔法による凍結なのだから、闘衣である程度抵抗できるのが一般的な展望。しかし、実際に闘衣で凍結をどれだけ防げるものかは未知数であり、今、この状況で積極的に試すべきことではない。
ヴィゾークとイデナはウォーターボールの迎撃のために手が塞がる。残りの手足で、この数のブルーウォーウルフを相手取れるだろうか。数を減らしていかないことには厳しそうだ。
「サナ、 瘴 気 を展開します。塵を使ってください。絶を使ってはいけません、死にますよ」
私に促され、ラムサスが闘衣を纏う。これでいつでもダークエーテルを展開できる。
先頭二頭のブルーウォーウルフに瘴気がどれだけ通用するか。こいつらが絶空ではなく絶を使った場合、最高の結果が一撃死。それが無理でも、少量なりともダメージが入る。
それに、先頭二頭にダメージが有ろうが無かろうが関係ない。後続のブルーウォーウルフどもには、より効果的だ。落ち着いて魔力を見てみれば、先頭二頭が飛びぬけて強いだけで、後ろの奴らの魔力はそこまで高くない。一頭一頭はレッドキャット以下。ラシードとか、チタンクラスのハンターでも倒せそうなモブに過ぎない。さあ、大森林の捕食者の実力を見せてくれ。
目前に迫った二頭のブルーウォーウルフと初合を交わす。牙の一撃をシーワとフルルの剣で防ぐ。牙を防がれた二頭は、すぐに後ろへ飛び跳ね、後続のブルーウォーウルフにスイッチする。魔力が強く、体格が大きいだけで、動きのパターンは昔戦ったウォーウルフと変わらない。これならばいける。
後続の牙がこちらに届くタイミングに合わせ、ダークエーテルを最大出力で展開する。牙と剣がぶつかり合い、我々は絶空を、ブルーウォーウルフは絶を使う。
絶を使った一瞬で、ダークエーテルに身体を蝕まれたブルーウォーウルフの動きがたちまち鈍る。致命的なダメージを受けたのは一目瞭然だ。
瘴気は全く素晴らしい。物性瘴気も魔性瘴気も、生命を蝕むのに、これ以上ないほどに効率的である。
シーワとフルルは更なる後続の攻撃に備えて構え、逃げることもままならずに蹌踉めくブルーウォーウルフの息の根はニグンとクルーヴァの手で止める。
逃げることも剣を防ぐこともできなくなった二頭のブルーウォーウルフの心臓を貫くなど、赤子の手を捻るようなものである。心臓に穴を穿たれた二頭は、その場であっさりと地に倒れる。
二頭が瞬殺されたことで、波のように押し寄せる後続全体に動揺が走る。我々に襲い来る波ではなく、無秩序な振動になってしまっている。腰の引けたウルフは、もはや敵ではない。
倒した二頭にアンデッド作成魔法をかけて立ち上がらせる。温もりのある新鮮な死体は、目が濁っていなければ、肌の色だって変色していない。それでも生者とは異質の、アンデッド特有の空気を纏い、ブルーウォーウルフアンデッドが力なく立ち上がる。
死体がアンデッドに作り変えられていく須臾というのは、魔法抵抗が極めて低い。その死体がどれだけ強力なアンデッドに転化するとしても、アンデッドになる瞬間は無防備だ。ブルーウォーウルフアンデッドにドミネートをかけ、傀儡に組み入れる。
敵の戦力は二頭減り、こちらの手足は二本増える。これが俗にいう、リッチの脅威だ。アニメイトバディを使えるアンデッドに対し、半端な戦力を集めて立ち向かうと、アンデッドに戦力を供給することになる。
本来であればブルーウォーウルフ達は我々の周囲を囲んで絶え間なく攻撃を浴びせ、そこにウォーターボールが降り注いだのであろう。
それがどうだ。
たったの二頭を失っただけで、ブルーウォーウルフの連携は乱れに乱れ、我々に襲いかかる牙は無くなっている。ウォーターボールは全て射出点直近で迎撃されている。
敵は我々に届く有効な攻撃手段を持っていない。
どれ、攻撃意欲を失い、尾を巻くオオカミを撫で斬りにするとしようか。
シーワとフルルが足を動かすと、波紋が走るようにブルーウォーウルフの群れ全体がビクリと後ろに跳ね退く。
波紋が生じなかったのは二頭だけ。
最初に先頭に立っていた二頭が、残りのブルーウォーウルフを守るように敢然と群れの前に立つ。
二頭のうち、シーワに近い側に立つ一頭に、シーワで思い切り剣を振り下ろす。
ギリギリまで立ち塞がっていた一頭は、剣が届く直前に身を翻した。
シーワの握った魔剣クシャヴィトロは、毛皮をほんの少しだけ切り裂き、そのまま地面を叩く。
この二頭は群れの中でも最上位の個体二頭。それが我々の剣を防がずに避けたのを見て、更にブルーウォーウルフの群れに動揺が広がる。
この二頭をもってしても勝ち目などないことを理解したようだ。首だけこちらに向けて、身体は完全に我々とは逆方向を向いている。
すんなりと見逃してやろうはずもない。パーティー全体を、ブルウォーウルフの群れの中心に進める。突撃の先鋒はニグンとクルーヴァだ。
もし、ブルーウォーウルフ達が攻撃姿勢を緩めなければ、ニグンとクルーヴァでこれだけの数を相手にするのは困難だ。しかし、最上位二頭以外は、我々の剣の届く距離から逃れることしか頭になくなっている。ニグンやクルーヴァでも先鋒役を十分担える。
攻撃や反撃を考えずに、身を守ることだけを考えるブルーウォーウルフに攻撃を直撃させるのは難しい。こういう場面で役に立つのがヒートロッドだ。この魔法は伸縮自在の炎の剣。単発射撃のクレイスパイクや、現物の剣の斬撃を躱すのと同じ要領で躱し続けることができない。
空手の手足数本でヒートロッドを伸ばし、ブルーウォーウルフを順次串刺しにする。そして死体が増えるそばからアンデッドに仕立て上げ、かつての仲間へ襲い掛からせる。
自分の本当の手足のように精密に動かそうと思うと、傀儡の数は十がいいところだが、単純、簡単な命令に留め、傀儡に半自動で行動を取らせることで、操る傀儡の数を一気に増やすことができる。ブルーウォーウルフアンデッドには群れの周りを走らせて、逃走を阻害させる。新参の手足が獲物を倒す必要はない。生者を殺すのは、核となる手足の役目だ。
ジバクマのダニエル・ゼロナグラは千を超えるアンデッドを操ることができた、という。最近、同時操作数を伸ばしている私でも、未だに百すら操ることはできない。
傀儡の数を増やせば増やすほど、シーワとかヴィゾークといった、精密に操るべき手足の操作が疎かになるし、傀儡操作に気を取られすぎて、本体である自分自身が無意識に危険な行動を取っていたりする。
普段操作する傀儡の数は十未満にとどめ、今回のようにゾロゾロと強敵でも雑魚でもない中途半端な敵が出てきた場合のみ、一時的に傀儡を数十まで増やすと殲滅効率を上げられる。
どんなに増やしても傀儡数を百以上にしてはならない。傀儡を制御しきれずに墓穴を掘ることになる。
次々に群れの仲間が倒されていくうちに、ブルーウォーウルフの群れはパニックに陥り、集団としての統制を完全に失う。足並みを揃えることなど忘れ、海方向以外の全方向に散り散りに逃げていく。
それでも、強い二頭だけは後じさりするだけで、我々に背を向けて逃走しようとしない。身を低くして牙を見せ、必死に我々の前に立ちはだかろうとしている。
ウルフというのは魔物の中では比較的表情を読み取りやすい。魔物の顔だてらに、無理やり戦わされているような苦悶の心理が浮かんでいる。
「その二頭はリーダーから命令を受けていて、引くに引けない!」
ラムサスが二頭の抱える事情を私に教える。ソボフトゥルの魔力は見当たらない。これはポジェムニバダンの能力だ。小妖精はゴーレムが操る別言語や、会話が通じない魔物相手にも、時には罠といった生物ですらない対象にも有効なのが長所の一つである。
この二頭が群れのリーダーではないのか……。では、森からウォーターボールを放っている連中の中にリーダーが混じっている、ということか。可哀相な部下達である。リーダーから無茶な命令を受けた憐れな部下を、苦しませずに屠ってやろう。最上位二頭を屠るために、シーワが一つ深く踏み込んだ瞬間、森の中から大きな回転体が飛来する。
これは速い!!
闘衣を駆使し、シーワを狙った一撃から慌てて身を躱す。
回転体はシーワの真横を通り過ぎてゴツゴツとした岩がちな地面に激突し、大量の飛礫を撒き上げる。
爆発を思わせる飛礫の爆心にあったのは、我々が扱うには大きすぎる斧だった。敵は斧を投擲したのだ。
この投擲の破壊力は、シーワの投擲以上だ。物を投げる、という動作は一部の魔物を除いて、人型の魔物の特徴だ。やはりアイスオーガ。しかも、信じ難いほどに強い魔力が籠められている。威力的に、間違いなくアイスオーガの親玉、ジャイアントアイスオーガがいる……
人間がイヌを飼うように、アイスオーガがブルーウォーウルフを飼っているのだろう。ジャイアントアイスオーガがいて、強力な二頭のブルーウォーウルフがいて、下っ端のブルーウォーウルフと、ウォーターボールを放つアイスオーガの子分どもがいる。かなり大きな集団だ。
アイスオーガはチタンクラスのハンターでなければ倒せない強敵だったはず。ブルーウォーウルフ数十はともかく、アイスオーガが何十体もいるとなると倒しきれるだろうか。
つい今しがた、無数のブルーウォーウルフが森から飛び出してきた場面がフラッシュバックする。
新たに傀儡にしたブルーウォーウルフアンデッドを用いてアイスオーガの数を削り、倒したアイスオーガを片っ端からアンデッド化して傀儡にしていけば何とかなるかもしれないが、ジャイアントアイスオーガと二頭のブルーウォーウルフだけで手一杯になる恐れもある。
仮にジャイアントアイスオーガをシーワが足止めするとして、ブルーウォーウルフ二頭……この特別な二頭の片方をリジッド、シーワで傷を負わせたほうをフルードとでも呼ぶか。リジッドをフルル、フルードをニグンで相手する。
アイスオーガ相手となると、ルカの戦闘力は皆無。ブルーウォーウルフより少し弱い程度の強さしか持たないラムサスも、アイスオーガの相手はできない。クルーヴァは短時間であれば、まだ見ぬアイスオーガ一体と張り合えると思うが、そのためには未熟な身体能力を補うために闘衣を高出力で展開しなければならない。クルーヴァの魔力量は多くない。高出力の闘衣を使っていると、すぐに枯渇してしまう。
つまり、ヴィゾーク、イデナ、私の三本で、どれだけ敵の数を減らせるか、ということになってくる。
もしも戦闘が長引くと、クルーヴァから戦線が崩壊するのは必至。一旦我々が不利になれば、逃げ出したブルーウォーウルフが戻ってくることだって考えられる。
私自身が弱い、というのも困った話だ。剣はまともに扱えない、魔法はこの状態だと使えない。戦力として計算しにくい。
フルルは横やりが入らない状況で時間をかければリジッドを倒せるだろうが、ニグンだと防ぐだけなら何とかなっても、剣で切り伏せるのは厳しそうだ。
これ……勝てるのか……? やはり敵の戦力が完全に見えていない、というのが厄介だ。ラムサスが居れば、そう簡単に相手の罠に嵌められることはない。ここは一旦退くことにしよう。
「サナ、ここは退きます。退路に罠の類が無いか警戒をお願いします」
「え、退くって? 目の前にいる二頭を倒せば、後は森の中から魔法を撃っている奴らと、武器を投げてきた敵だけでしょ?」
ラムサスは、もう勝った気でいる。
残った二頭のブルーウォーウルフ、リジットとフルードは強い。守りに徹されると、シーワやフルルであっても、易々とは倒せない。守りを打ち崩そうと我々が前のめりになったところで、森の中からジャイアントアイスオーガに強力な攻撃を仕掛けられると、躱しきれない。シーワが倒れでもしてみろ。形勢逆転は不可能だ。
アイスオーガの潜む地点は、我々から見て東南方向。ブルーウォーウルフアンデッドを西側に走らせ、安全を確かめつつ少しずつアイスオーガから距離を取る。
走り出した我々を逃さじと、ヌルリと森の中から一体のアイスオーガが姿を現す。遠目であっても、その身体が巨躯であると分かる。魔力はとんでもなく強い。シーワに匹敵するレベルだ。
両手には一本ずつ武器を持っている。一本は、先ほど投げてきた斧と同型の武器。もう片手に持つ武器は……小剣? 身体が巨大だから小剣に見えるだけで、人間からみれば巨大剣。その巨大剣から危険な靄が漂っている。この距離で靄が見える、ということは、あれはネームドウェポンではないか? こいつがジャイアントアイスオーガ……
「サナ、あそこ、森の端に立つアイスオーガが見えますか?」
「え、どこ?」
ジャイアントアイスオーガの位置を指さす。
「なんかいるようにも見えるけど、遠すぎてよく分からない」
サナの視力でこの距離だと、判別不可能か。
ジャイアントアイスオーガは、森の端で振りかぶり、片手に持つ斧を投げてきた。小さな予備動作からは想像もできないほどの速度で斧が投擲される。
だが、手元が狂ったな。あの軌道だとリジットに当たる……
いや、回転がかかって軌道が変化している。避け辛いように敢えて曲線軌道で投げたのだ。きっちり我々に狙いを定めている。
大慌てで斧の軌道上から逃れる一方、斧の軌道上にない手足は、反撃のクレイスパイクを放つ。
ジャイアントアイスオーガはクレイスパイクを避けることもなく、手持ちの武器でクレイスパイクを払い落とした。
連続して投擲されないようにするための、威力の無い牽制のためだけのクレイスパイクとはいえ、魔法に動じない胆力。これは厄介だ。
私が放ったクレイスパイクは牽制になるどころか、挑発になってしまったのかもしれない。ジャイアントアイスオーガは地響きを上げてこちらへ走り始めた。
駆ける一足一足が地面に深く跡を残していく。俊敏に疾走している、というより、筋力任せに突っ込んできている、という言い回しが相応しい。駆ける速度はブルーウォーウルフにも劣らない猛スピードである。ここまで速いと逃げられない。
我々も脚は遅くないが、あくまで人間と比較した場合の話だ。超長距離であれば馬にも劣らない速度になる。これは、馬と違って休憩がほとんど必要のない事、悪路の踏破に長けている事、という二点が大きい。ウルフや馬などの足の速い生き物と同じ速度で短距離を駆けることなどできない。
パーティーを後退させることを止め、ジャイアントアイスオーガを迎え撃つための隊形を整える。
物理戦闘力でシーワに次ぐのはフルル。フルルとジャイアントアイスオーガでは、魔力に圧倒的な差がある。一撃を防ぎきれない可能性が高い。初合を防ぐのは、シーワ以外に任せられない。シーワで、まず一閃されるのを防ぐ。
ブルーウォーウルフの集団を割って、ジャイアントアイスオーガは突進する。未だに我々に牽制の牙を向け続けるリジットとフルードの間を一足飛びで駆け抜けると、片手に持った小剣を振り下ろしてきた。
シーワでその一撃を受け止める。やはり人間からすれば大剣。
ジャイアントアイスオーガが片手で持つ剣と、シーワが両手で構える魔剣がぶつかり、周囲に魔力の衝撃が迸る。
その衝撃を合図にしたかのように、リジットとフルードが勢いを取り戻し襲い掛かってくる。フルルとニグンで二頭の攻撃を押し返す。
ジャイアントアイスオーガも、この強力な二頭のブルーウォーウルフもどちらも絶空を使っていて、ダークエーテルが効かない。
こいつらには無効であっても、シーワはダークエーテルを切るわけにはいかない。リーダーたるジャイアントアイスオーガが出てきたことで、逃げたウルフどもが再び集まってきた。
こいつらは我々の周囲をおっかなびっくり取り囲むばかりで、ダークエーテルを警戒して、かかってこない。もしダークエーテルを切ってしまうと、途端に加勢を始めるだろう。ダークエーテルの中断はパーティー崩壊の呼び水になってしまう。
状況を打開するため、ヴィゾークとイデナで魔法を放とうとしたところで、森から射出されるウォーターボールを発見する。今までにないほどに弾数が多い。まだ増やせたのか……
ヴィゾークとイデナで迎撃を再開する。今度はウォーターボールの数が多すぎて、二本の手が完全に塞がる。
ヴィゾークとイデナだけだと迎撃で手一杯で、ジャイアントアイスオーガとブルーウォーウルフに横から手出しできない。
シーワとジャイアントアイスオーガの戦闘は完全に五分。リーチと膂力はアイスオーガが圧倒的に上。それを闘衣の技術と魔力量で五分に持ち込む。
フルルはリジッド相手に有利に戦えていても、ギリギリで勝ちきれない。
ニグンはフルードに押されている。そこはクルーヴァに何とかカバーさせる。
手が空いているのは私だけ。私には、この三面の物理戦闘に刺さっていけるほどの戦闘能力がない。
魔法が……ヒートロッドさえ使えれば、一箇所を崩せる。それで全ては終わるはずなのだ。
仕方ない、アレをやるか。
「サナ、アイスオーガの武器や魔道具の効果が分かりますか?」
戦闘を傍観するラムサスに、不測の事態を引き起こしかねない危険な道具の有無を問う。
「効果? えーっと……アイスオーガの持つ剣は、使用者の筋力、防御力、魔法防御力を上昇してくれるみたい。他は何も……」
「武器にはそれ以外に特殊な効果は無いんですね。厄介な攻撃をしてくるとか、呪いをかけてくるとか」
「無い!」
ラムサスはそう断ずる。
予想外が無いことが分かれば十分だ。五分以内にケリをつける。
一瞬、ヴィゾークの迎撃魔法の手を止めることになるが……こっちで溜めだけやっておけば間に合うだろう。
ウォーターボールを迎撃するヴィゾークのクレイスパイクを中断させ、私本体にノスタルジアをかけさせる。
ノスタルジアによって視界が瞬息的に暗転した後、私の意識が目を覚ます。




