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第二話 修道士の了見と賭博師の了見

「出ていきなさい。一緒には行くことはありえない。家族がここに帰ってきます。私は家族の帰るこの家を守らなければならないのですから」


 ああ、やはり……。これで私は死ぬまで苦しむことになった。でもそれでいいんだ。


「残念です、お母様。私は私の道を歩もうと思います。この家を出る前に、少しだけ教えて頂けますでしょうか。私の両腕を奪うことを企てた何者か。お母様には心当たりがないでしょうか? 私は、軍の中でお父様と敵対している人物が仕組んだのではないか、と一時期考えていましたが……」


 私に接触を持った人物の中で、異端者(ヘレティック)の被疑者として最右翼なのがエヴァだ。私がマディオフから姿を消すと同時に奴も姿を消している。今なお私を探し回っているのか、再起不能になったことに満足し、また別の標的(ターゲット)を探して彷徨(うろつ)き回っているのか……


 エヴァ以外の被疑者。私に恨みを持っていそうな人間はいないか。大学時代にそこまで憎しみを買うような行動を取った覚えはない。一回生の頃に金を稼ぐためかなり悪事を働いた。エヴァ以外の誰にも見抜かれた覚えはないのだが、あれが何者かにバレていた? もしそうならば、私を生かしておく理由はないはずだし、金を盗んだことに対する復讐にしてはやり方が回りくどい。ゼトラケインから吸血種を連れてくる、なんて大掛かりな行動を取る理由がない。


 ヘレティックは一人二人ではなく、かなり規模の大きな集団とみたほうが良い。そんな連中が私に目をつける理由。私よりも父のほうが、そういう連中に目を付けられやすいように思う。


 父はマディオフという国から見て危うい存在なのは間違いない。父と敵対、対立している者がいれば、ヘレティックの首謀者になる動機は十分である。


「あの人は国を守るためにその身を捧げ続けています。妬む者もいるかもしれませんが、いつか功績がその者達を黙らせるでしょう。あの人の力は常に敵国に向けられています。たとえ羨望や嫉妬に駆られる者がいたとしても、それが家族にまで及ぶとは。あの人が今も東方を守り続けているのですから、ゴルティアなど恐るるに足りません」


 母はどこまで真実を語っているのだろう。アウギュストを落とされた現在、マディオフが守る最東端はリクヴァス。


 父がリクヴァスを守っている、というのは本当なのだろうか? 母が私を騙すために嘘をついているのであれば、ラムサスの能力はそれを見抜くことができるはずだ。ルカを使ってラムサスに合図を出す。


「本当ですか、お母様。お父様が今も東の戦場で戦っているというのは?」

「連絡はしばらくありません。ですがマディオフ軍がリクヴァスを守り切っている、という噂は私の耳にも届きます。あの人の力があってこその話です」


 三日前、王都のテベスから得た情報では、リクヴァスはまだマディオフが守り切っている、ということだった。母は、手配師と毛色の異なる教会系の情報網を持っている。軍が民間に公表する情報は必ずしも単純に信用できるものではない。こと敗戦や支配領域の喪失に関する情報であれば、軍の情報よりも教会の情報のほうが信憑性が高い。王都よりもリクヴァスに近いアーチボルクの教会の情報網でも、リクヴァスが落ちた、ということにはなっていないのであれば、リクヴァスはマディオフの防衛下と考えても差し支えなさそうだ。


 ラムサスの返事は……。ラムサスに動きが無い。くそっ、何をボーっとしている。合図(サイン)くらいちゃんと見ていろ! 私の役に立て!!


 ルカをラムサスの隣へと動かし、身体をつついてはっきりと意図を伝える。


「お母様、お父様が最後にこの家に帰ってきたのは、いつの話でしょうか」

「もう四か月近く前の話です。数日だけ休んで、それから任務へと戻りました」


 四か月前か。我々がマディオフに入った時期とほぼ重なっている。


 手配師はエルザやネイド・カーター、リディア・カーター、レイシェン・ケンプの位置情報を持っていたのに、父ウリトラスの情報だけは持っていなかった。もし軍が意図的に父の現在地を隠蔽しているのであれば、父の位置情報を母が有しているかは疑問である。父は極秘任務にでもついているのか、それとも軍規に背いて行方を(くらま)ましているのか……


 父がどこで何をやっているのか分からない限り、父がヘレティックの一員という疑いは深まり続けていく。ヘレティック側の人間だとして、中枢構成員なのか、それとも末端の操り人形なのか、までは知る由もないが……。もし軍の命令を無視しているのだとしたら、父がマディオフの敵であることは確実。私の敵である可能性も濃厚。父は、本当は今どこにいるのだ……


「分かりました。ありがとうございます。私はもう行きます。これから、また姿を消しますので、私が未だに活動を続けていることはくれぐれも内密にお願いします」


 母は口を横に結んだまま、眉を(ひそ)めている。私のことは秘密にしておいて欲しい。存在がばれると、家族全員に迷惑がかかる。


「打棍をお返しします、お母様」


 母の下へ歩み寄り、打棍を目の前に掲げる。


 母は少しだけ躊躇いを見せたあと、恐る恐る手を伸ばし、私のアンデッド化した両腕から打棍を受け取った。


「ああ、そうだ。自室で寝ている二人について説明しておきます。戦いの音に目覚めて起きだし、お母様とのやり取りを邪魔されても困ると思い、魔法で深く眠っていてもらいました。ただの睡眠魔法です。明日の朝にはいつも通り起きてくると思います。もし、寝坊したら起こしてあげてください。毒や危険な薬など使っていませんから、早合点して驚かないでくださいね」


 リラードは最後に見た時と顔立ちが少し変わり、かなり父に似てきた。リラードは父親似だ。リラードにも成人のプレゼントを贈りたかったが、ジバクマ産の物を持って来るわけにもいかないし、マディオフの金はあまり持っていない。これから増えるマディオフの金は、正直あまり綺麗な金にはならない。そんな金で弟へのプレゼントを用意したくない。それに私からのプレゼントと知ったら、リラードは喜ばないだろう……


 私では弟に贈るべき良い品が思い浮かばない。無形の贈り物をもって換えるとしよう。




 ルカの手を使ってデスマスクを被り直し、全員にディスガイズをかけた後、数年ぶりに訪れた私の家を後にする。


 父もいない、エルザもいない、今夜の事を誰にも相談できない中、母はまた一人で苦しむことになる。


 私にできること。それは母の隣で母を支えることではない。苦しみぬいて手に入れた力を適切に使うことだ。


 母と家族のいるこの国は守る。スタンピードを収束させ、ネームドモンスターを倒す。ゴルティア軍を叩き潰す。反乱軍も叩き潰す。その上でヘレティックを……ヘレティックは自らが犯した罪の重さを自覚することも、過去を悔いることも必要ない。私は何も知らないままに両腕を奪われた。ヘレティックも何も知らないまま、誰から与えられたかも分からないままに私の()()()だけを受け取ればいい。


 我々は、まだ深い夜の闇の中で眠ったままのアーチボルクを出て、北へ進路を取った。




    ◇◇    




 街から十分に離れ、手頃な場所に野営を整え終えたところで話を切り出すためにラムサスを見ると、様子がおかしい。ラムサスがおかしいのはマディオフに入ってからずっとだ。しかし、今はそれに輪をかけて様子がおかしい。炸裂寸前の魔法を彷彿とさせる怪しさと切迫感がある。


「サナ、だ、大丈夫ですか? あまり気分の良くない物を見せてしまいました。あなたの力を借りるとは言っても、あんな訳の分からぬ謝罪と追放の寸劇を見せるつもりなどありませんでした。混乱させてしまったかもしれませんし、不快に思ったかもしれませんが、私がこれ以上説明することはありません。詮索も他言も無用です。いいですね?」


 ラムサスの小妖精の能力を利用する、と決めた時点で、この肉体がアルバート・ネイゲルだとバレることは織り込み済みだ。しかし、知られても構わないのは、アルバート・ネイゲルという名前だけ。私が持つ母への罪悪感や、家族への感情というものは決して知られてはならない。ジバクマに帰った後に、それをどう利用されるか分からないからだ。


 ラムサスは、語りかけるルカではなく私本体を正視し続ける。その顔には不気味な笑みが浮かんでいる。


「ふ……フフフ」


 ラムサスの笑みは、笑い声を伴うに至り、私を嗤っているかのようだ。


「まさか、あなたがエルキンス……。ベネンソンを名乗る氷の魔術師、イオスとともにジバクマに不法侵入してきた人だったとはね」

「はあ……」


 ……おかしい。先刻の母との会話の中で、固有名詞は一度たりとも出していない。なぜ私がエルキンスだと分かる。オルシネーヴァがゲダリングを襲撃した際、ジェダの周りにいた人間が、精巧な似顔絵でも書いたか、土魔法や水魔法で人頭像でも作ったか。


「あなたの本当の名前はアルバート・ネイゲル。そうでしょ? 私はあなたの秘密を握った。あなたは私に逆らえない。さあて、どんなお願いを聞いてもらおうかな」


 私をジバクマに忍び込んだエルキンスだと看破するのはまだ分かるにせよ、エルキンスがアルバート・ネイゲルだということまで突き止めているとは……。ジバクマもマディオフに間諜をそれなりに走らせていたようだ。イオスはミスリルクラスのハンター。それが密入国してくるのだから、ジバクマとしても調査するのが当然か。案外バレるのが早かった。


「その人間は大罪人として既に死んでいます。不用意にその名前を口にすることのないようにお願いします」

「うん。取り敢えず、ルカで会話をこなそうとするのはやめよっか。操者も、その身元も割れているんだから、もう隠す必要はないよね?」


 何が言いたい。何が目的だ。


 私本体が発言すると、小妖精で、より詳しく情報を探ることでもできるのか。


「我々の会話口はルカです。ルカ以外が会話に応じることはありません。先程の人間だけが特別なのです」

「ふーん。私のお願いが聞けないんだ。アルバートの特別な人が、どうなっても知らないよ?」


 安い脅し文句だ。頭は大丈夫だろうか?


 ジバクマ人が後々私を脅そうとすることは懸念していた。ラムサスを利用した後に、殺さず解放するためにわざわざ恩を売ったのだ。強制的にではなく、恩義を感じさせて自発的に我々についてこさせれば、たとえ私の正体を理解しても、それをネタに私を強請(ゆす)ったり、家族を人質に取ったりすることはない。そう踏んでラムサスをマディオフに連れてきた。


「それで我々を脅しているつもりですか?」

「さあ? 私は単にお願いをしているだけだよ」


 強請るにしても、この状況で言い出すのは理解不能だ。状況的に全く不適切である。


 ラムサスはジバクマに戻り、我々と別れ、自分の安全をしっかりと確保してから、何らかの伝達手段を用いて脅迫するべき。この場で私を怒らせた場合の自分の身の守り方を何も考えていない。


 そこまで馬鹿ではないはずだから、本気で強請りたいのではない、とまでは分かる。しかし、事ある毎に、こういうやり取りを持ち出されるのは不快極まりないし、時間の無駄だ。下らない茶番とは決別しておこう。


「人間とは得てしてそういうものです。信用には値しない。『仲間だから手伝いたい』などと自己陶酔に浸るためだけの聞くに堪えない美辞を垂れ流しておきながら、舌の根も乾かぬうちにこうやって汚言を吐く。予想の範疇の行動とはいえ、あなたには失望しました」

「あなたを手助けしない、とは言っていない。それとは別に、私のお願い事を聞く。それのどこに問題があるって――」

「サナは先程我々が出した合図(サイン)を無視しました。我々に対するちゃちな嫌がらせか、それとも、無能を晒しただけなのか。『仲間』が聞いて呆れます」

「じゃあどうする? この場で私を殺す?」


 ラムサスは、私が彼女に手を上げない、と思い込んでいる。それは正解だ。ただし、部分的に、だ。


「サナが顕在化した敵であっても、潜在的な敵であっても、我々はあなたを故郷(ジバクマ)にきちんと返します。何故だか分かりますか?」

「私達のことを……憎からず想っているから」


 下らない。ポジェムニバダンは私の本心を何も見抜けていない。だからこそ、こうやってマディオフまでノコノコついてきた。それはおそらく傀儡(ルカ)を挟んで意思疎通を行っているからだ。


 ラムサスは自分の能力を完全に把握していない。小妖精には何らかの妙な()がある。それ故にラムサスは自分の能力である小妖精のルールを掴みきれていない。この先もラムサスの能力を利用するならば、私が先に、その()の詳細を理解しておく必要がある。


「私の行動原理は単純明快です。正義に(くみ)することでも、あなたを守ることでもない。自分さえ良ければいい。それだけです。必要に迫られればサナも、サナの旧班員も、手にかけることを厭いはしない」

「そ、それなら……お母さんの生命が惜しいなら、私を返そうとするのはおかしい」

「おかしい? 全然おかしくないですよ。あなたがここにいる理由は、私が売った恩を返すため。ただし、私はあなたの故郷(ジバクマ)の人間全員に恩を売ったのです。私が頼んだこととはいえ、故郷が甘受した利益の対価をあなた一人が支払う、という状況がそもそもおかしい。あなたは自己犠牲(サクリファイス)の精神で以て我々についてきた。サクリファイスというのは、私をとても苛立たせるものです。そういう人間に負担を押し付ける行為を、私はとても忌み嫌っている。この場であなたを殺してしまうと、不快感がずっと拭えなくなる」


 理由をまだ半分も話しきっていない、というのに、ラムサスはもう泣きそうになっている。泣き出してくれるなよ……説明にかかる時間が長くなる。


「一転、あなたを故郷に返却してしまいさえすれば、私は何の気兼ねもなくあなたを殺すことができる。あなたは自分が正しいと思った行動を存分に取ればいい。私も気分良く邪魔な人間を殺せる」

「嘘だ。あなたはお母さんがどうなってもいい、と思ってはいない」

「それは死んだら悲しいですよ。殺されたら悲しみは深甚でしょう。しかし、それもまたあの人間の選択です。私は、あの人間に庇護の手を差し伸べ、あの人間は私の手を払った。それは尊重されるべき、一個体の生命の分岐選択です。私は、是が非でもあの人間の生命維持に邁進しよう、などと考えていない。私は常々思うのです。成長完了した個体は、自己防衛に必要な能力を有していなければならない、と。それができない個体は滅んで然るべきです」


 庇護されて然るべきなのは幼体だけだ。幼体でもないのに脆弱な個体や老いた個体を過度に保護する概念は大っ嫌いだ。だから私は東天教とその信徒が嫌いなんだ。


「私達のことを守って強くしてくれたのは利用するため。自分のため。母親を守ろうとしたのも、自分の罪悪感を消し去るため。それを拒絶されたら、知らぬ存ぜぬ。あなたは自分のことばかり。あなたはアンデッドでも人間でもない。それ以下の存在……」


 ラムサスの声が震えている。しかし、声に秘める内心は、母とは全く違う。


「大分私のことをご理解頂けたようですね。それで、どうします? 自分で歩いて帰ります? それとも、アンデッド未満、人間未満の存在に送り届けて欲しいですか?」


 私は別にラムサスを嫌ってなどいない。できることであれば、我々と別れた後に幸せに暮らしてほしい。しかし、ラムサスの人間性を考えると、それは無理だろう。


 名声や評判を求めて承認欲求に基づき偽善行為に勤しむのではなく、自己犠牲の精神で正しい行いに身を投ずるラムサスのような人間は、決して幸せにはなれない。自分がどれだけ幸福な状況に置かれていようと、不幸な人間を見つけ出しては、それを救うために自ら不幸に突っ走る。ラムサスが不幸になるのは必定である。


 ただし、私が原因で、私の目の前で不幸になるなど、あってはならない。それは私を著しく不快にする。どのみち不幸になるにせよ、私とは関係ない、私の(あずか)り知らない場所で勝手に不幸になってくれ。


「……らない……」


 ラムサスは瞳の縁に涙を溜めながらも、気弱さなどはどこにもない。私では思いつかないような奇想天外の手を選ぶ時の独特の目をしている。


 リレンコフの武具店前や、ジバクマの首都、王室の中、そしてオルシネーヴァ急襲前。ラムサスは奇手を選択するとき、常にこの目をしていた。軍略家や挑戦者の目とは、また違う。最も適切な表現がなんなのか今になって気付く。これは賭博師(ギャンブラー)の目だ。


「帰らない……。私はあなたを助けると決めた。だから絶対帰らない!」


 ……理解はかろうじて可能でも、共感しがたい選択だ。短期的な視点においても、長期的な視点においても、身の安全を第一に考えるならば、渦中のマディオフを避け、ジバクマで軍人として国内情勢を安定させることに腐心するほうがよい。ジバクマにとってもマディオフとゴルティア間の戦況が重要なのは分かるにせよ、私がゴルティアと戦うことは決定事項だ。ラムサスが我々に同行しようが同行しまいが、それは変わらない。ラムサスが我々に同行したからといって、必ずしもジバクマの未来を有利に変えることにはならない。


 ジバクマのメリットになるためではなく、我々の役に立つためにラムサスは同行しようとしている。こいつはそういう奴だ。ラムサスはもう結論を出している。考えを変えることはない。一度決めたらテコでも動かない。


 これだけ私に突き放されておきながら、尚我々についてこようというラムサスの判断が正解だとは、私には思えない。意地になって感情に踊らされているようにしか見えない。ただし、ラムサスはこれまで常に正解を、正着を選んできた。ギャンブラーは常に正着を選ぶ。失着を選ぶたった一回でギャンブラーは死に、勝負の舞台から退場する。滅びる瞬間まで、ラムサスは正着を選び続ける。


 小妖精の能力だけではなく、ラムサスの正解を選び抜く力は間違いなく魅力的だ。近視眼的にしか物事が見えていない私とは違い、ずっと先にある「望ましい未来」を見通している。それもまた、私の持たざる能力であり、何より必要としている能力の一つだ。


「では私の指示に従い、私の役に立ってください。合図(サイン)を見落とすなど、あってはならない失策です」

「私は道具なんかじゃない。あなたの部下でもない。私は私の意思であなたに協力している。私はあなたを助ける。だから、あなたが私のお願いを聞くのは何もおかしくない」


 最終的に行うことが同じでも、その過程や理由付けに女は拘る。女が男と通ずる時などが分かりやすい例だ。


 記念日だから。強く求められたから。抵抗できない状況だったから。アルコールが入っていたから。夫が遠くに仕事に出掛け、寂しかったから。


 まるで悪事の言い訳かのように、何かしらの理由をつけないと気が済まない。私に協力するのも、協力するのに然るべき体裁(いいわけ)を整えないと我慢ならない。これだけ私から屈辱的な言葉を浴びせられても、それでも篤実に恩を返そうとしている。


 これで、私の本性を少し知った程度で恩義を忘れ、即刻国に帰ろうとしたならば、私だって、その背中を切り捨てることに何の気も咎めることがなくなる、というのに……


「それで、私にお願いしたいこと、というのは何なのですか?」


 勿体つけてラムサスが要求しようとしていることは、果たして何なのやら。必要性の観点ではなく、純粋な興味としても、少し気になるところだ。


「さっきも言った通り。アルバートに話してほしい。あなたの本音と本心が分からないことには、最も望ましい案を考えて正解を選び取ることができない」


 私の本心、か。正義に心を縛られたラムサスのことだ。こういうお人好しの馬鹿は、私の本心を探って、それを悪用することなど考えてはいない。徹頭徹尾私の役に立つためだけに、情報を利用する。小妖精が今まで以上に私の中の何かを読み取ったとしても、そこまで不利益にはならないか……


 今だけはルカで会話することを諦め、再び自らの口を開く。


「状況がそれを許し、なおかつ私の気が向いたときだけは会話に応じよう。気が乗らないときや、他人の耳がある場所では、これまで通りルカが会話口だ。分かったな?」


 現実問題の一つとして、ルカの身体はラムサスと会話をしたがっている。自分(ルカ)との会話を拒絶するかのようなラムサスの発言に、ルカは心を痛めている。


 ドミネート越しにルカの感情が私に伝わってくる。ルカはアリステル班の面々の事を好いている。ラシードなんかに至っては特別な好意を抱いている。ラシードは、顔はいいし、身体は鍛え上げられてるし、剣も強くて、治癒師の能力があって……女性に好かれる要素の塊のような奴だ。ラシードは置いておくとしても、ルカはラムサスのことを仲間だと思っているし、好いている。そんな好いている相手に婉曲的に「お前とは話したくない」なんて言われたら、それは傷つくというものだ。


 傀儡が抱く感情など、正直どうでもいいし、無視したいところではあるが、精神的な負担は放って置くと肉体の不調として現れる。都度それなりのケアを施したほうがトータルの手間を減らすことになる。ルカの精神衛生と肉体の健康を保つためにも、ルカとラムサスは会話の時間を持つべきだ。それも必要最低限の事務的な会話だけでなく、お互いを人間と認識して尊重しあった会話が必要だ。


 ラムサスだって、最近はルカに対して姉を慕うように甘える会話をしていたし、ルカと会話することでラムサスが精神的負担を感じることなどないはずだ。


「アルバートが苦境に立たされているのは理解してる。タイミングが許すときだけでいい」

「あとはその名前で呼ぶのをやめろ。普段からその名前を使っていると、思わぬところでボロを出すことになりかねない」

「なんて呼べばいい?」

「ノエルと名付けただろ? 自分達で付けた名前ではないか」


 ジバクマでは「ノエル」という言葉にそれほど悪い意味があるのだろうか。


「ノエルって、女性の名前なんだもの……」

「サナの故郷では女性名かもしれないが、オルシネーヴァでもマディオフでも……確かゴルティアでもノエルというのは男性名だ。何も問題はない」


 ゼトラケインの命名規則は私も知らないから論じられないが、それ以外の周辺国からみれば、ジバクマの命名規則はかなり独特だ。ジバクマ独自の文化か、あるいは砂向こうの影響を受けているのか。


「そう。それならいい」


 マディオフに来てから(ノエル)にかけていた変装魔法(ディスガイズ)は男性の顔だった。名前に違和感があるのであれば、マディオフ入りした時点で言うべきことである。


「納得したならば、今日はもう休もう。かなり無謀な移動日程で こ こ (アーチボルク)まで来た。お互いに疲労が強い。疲れた頭では愚案を妙案に感じがちになる」

「仮に方針の最終決定を下すのは明日にするにしても、考えだけは今教えてほしい。前も言ったでしょ? 戦況だけだと必ずしも方針を立てられない。ノエルがどうしたいか。それは方針決定の重要なファクターになる」


 私には戦略が立てられない。そういう思考回路を私は持っていないし、必要な訓練(トレーニング)も積んでいない。


 ラムサスは大局的見地から方策を決定できる。ジバクマでオルシネーヴァに対応したとき、私の行動はやること為すこと全て裏目に出ていた。最初からアリステルとかラムサスの言うことを素直に聞いていれば、話を余程早く進められたのだ。


 この先、仮にラムサスの意見を採用しないことになったとしても、絶対にラムサスの意見は一度聞いておいたほうがいい。


 小妖精に匹敵する位、ラムサスの軍略家としての能力は、私にとって有用だ。ラムサスの精神状態は不安定だから、ラムサスの方策が私よりも優れているかどうか比較するよりも、ラムサスが考案した方策が、何らかの精神の悪影響を受けていないかどうかに注意を払ったほうがいいだろう。


「王都で言った通りだ。もう少し詳しく目標の優先順位を言うならば……異端者(ヘレティック)探しの優先順位を少し下げる」

「復讐相手を見つけて殺すのは後回し。そういうことでしょ?」


 あの時、そういう説明はしなかっただろ……


「殺す? 相手によってはそうせざるを得ないかもしれないが、できればそうしたくはない。()()()()()()()()()()()。別に私に謝る必要はない。苦しみながら、抗いもがいて強くなれるか。それとも生まれてきたことを呪い、命あることを恨み、業苦に沈み果てていくか。それはヘレティック次第だ。私は腕を奪われ、死んで強くなった。彼らにも与えてやるさ。恩寵と選択を」


 腕を奪われたことで私が受けた苦痛をヘレティックにも味わわせる。それで等価だ。苦しむことなく生命を奪ってしまっては、ヘレティックの負うものが軽すぎて不公平である。


「この国に災厄をもたらし、混乱に乗じて目的を達成するつもりだったが、状況が変わった。同時多発的にマディオフを襲う一連の惨禍は天災の類ではない。底の繋がった陥穽(かんせい)に他ならない。私を陥れたヘレティックが、今度はマディオフという国全体に災いをもたらしている。私はそう睨んでいる。ヘレティックや反乱軍が、東から攻めてきたゴルティアが遣わした下位組織に過ぎなかったとするならば、私はその全てを潰しにいく」


 黙って話を聞いていたラムサスは顎に手をあてて何かを考え出す。


「ノエルは吸血種をけしかけられて、結果的に両腕を切り落とされた、って言ってたけど、それと今回の件と、必ずしも関係があるとは――」

「ある。ヘレティックは私を死刑にせずに、両腕切断に留めた。それは何故だと思う? 優しいから? そうではない」

「もしマディオフの力を削ぎたいだけであれば、死刑にさせていた。でも、ヘレティックの目的は、両腕切断のその先にあった……?」


 私が刑を執行されるまでに考えに考え抜いた末にやっと辿り着いた結論に、たったこれだけの示唆で到達しそうになっている。やはりラムサスは頭がいい。科学的事実を暗記するのが苦手なだけで、考える力は私よりもずっと優れている。


「私もそう考えた。両腕を切断された人間が考えることなんていくつかに絞られる。四肢欠損を治そうと思ったらどうすればいい?」

「欠損修復の回復魔法の使い手を……聖女に、ゴルティアの聖女に会いに行けば……」

「そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それこそがヘレティックの思う壺なのさ。私は計略に絡め取られて捕縛され、刑を執行されたが、そこから逃れる術は実のところいくつかあった。だが、私に下される刑が死刑ではなく、両腕切断に減刑されたことで敵の影と私が取るべき道標が見えた。だからこそ刑を甘んじて受けた」

「敵の気配を察知したのなら、ムザムザ刑を執行されなくても……」


 さしものラムサスでも、そこまではすぐに思い至らないか。そこは別に思い至る必要などない。


「それはこちらなりの事情があったからだ。とにかく、ヘレティックはゴルティアに深く関わりがある。ロギシーンで蜂起した反乱軍もおそらくゴルティアに焚き付けられている。ゴルティアが東から攻め、真逆の西からも小部隊に小突かせる。ゴルティアが東から、オルシネーヴァが西からジバクマに攻めたのと、方角関係的には全く同じ。同じ手を繰り返している。これほど分かり易い構図もない」

「言われてみると確かにその通りかも。ドラゴンの出現をどうやって予測したのか、それとも操っているのかは分からないけど、ゴルティアのマディオフ侵攻は明らかにタイミングが早すぎる」


 ラムサスはマジックライトを灯し、地面に地図を描いて図上作戦を語っていく。


「ゴルティアは東にも未だに戦線を抱えている、って言うし、南側との関係だって完全な平和が約束されているとは言い難かったはず。そっちからは戦力を引き上げられない。マディオフにぶつける戦力を準備するには、ジバクマに差し向けている西伐軍を配置変更し、マディオフに向けるのが現実的。だけど、ミグラージュ付近からゴルティア領の険路を通って、旧ロレアル領のアウギュストまで兵を移動するのは相当な時間がかかる」


 ラムサスは兵力に見立てた小石を地図上で動かして部隊展開の難度の高さを説明する。こうやって図示されると、とても分かりやすい……が……ロレアルってなんだ? 私の知らない単語だ。


「ドラゴンが出現すると分かっていなければ、ここまで迅速に攻略なんてできない。ゴルティアは何らかの方法でドラゴンの出現の情報を事前に得ていた」


 ラムサスは自信に満ちた笑顔でこちらを見上げる。


「話の腰を折って悪い。ロレアルとは何なのか、教えてくれないか? 地名だろうか?」


 私の質問に、ラムサスはポカンと口を開けて放心している。子供でも知っているような常識的なことを聞いてしまっただろうか。


「ノエルって、戦争のことは本当に何も知らないんだね。ノエルがベネンソンと一緒に私の故郷に来た年があったでしょ? あの四年後まで、マディオフは、このロレアル共和国と戦争していたんだよ。侵略戦争は、アウギュストに達したところで終わって、それからマディオフは占領地域の平定に力を費やしていた」

「知らない。ロレアル共和国なんて国を私は知らない……」


 私とイオスがジバクマに密入国するおよそ半年前まで、私は徴兵新兵として前線付近での任務に当たっていた。私の徴兵時期も、それ以後の大学四年間も、マディオフはゼトラケイン以外のどの国とも戦争などしていない。何よりアウギュストはロレアル共和国領ではなく、ゼトラケイン領だ。


「アウギュストもそうだし、この辺りは全てゼトラケイン領だろ? 私の徴兵時だって、出兵先は旧ゼトラケイン領だった。この付近にロレアル共和国なんて小国があったのか?」

「ノエルの情報、古過ぎるよ。二十年以上前に、ゼトラケインの南部が独立運動を起こして、ロレアル共和国が成立した。ロレアルが独立して以降、マディオフは一貫してロレアルだけを侵略し続けた。だから、マディオフとゼトラケインは二十年以上戦争なんてしてない」


 ラムサスは何を言っているんだ……。そんなの初めて聞い……違う! オドイストスも似たようなことを言っていた。『マディオフとゼトラケインの戦争は、少し前に終わった』と。吸血種(ドレーナ)の『少し前』というのは、当時から二十年前の、ロレアル共和国の独立のことを指していたのだ。そう考えれば辻褄が合う。情報統制されていたのはゼトラケインではなく、マディオフ国民だったのだ。


「サナの言うことが真実であれば、マディオフ人は情報統制されている、ということになる。私はマディオフ人として生きた二十二年の間に、ロレアルという国名を一度も聞いたことがない。徴兵時に任務に当たった地点も、旧ゼトラケイン領だと説明されていた」

「情報統制って言ったって、そんな大掛かりな嘘を突き通せるかなあ。村一つ焼き落としたのを隠すくらいならまだしも、ゼトラケインの南半分の面積そっくりそのままの国一つだよ? どうやったって情報が漏れる」

「情報魔法でも無理なのか?」

「情報魔法はそんなに便利なものじゃない。高位情報魔法にだって、そんな反則極まりない魔法なんて存在しない。あるとすればユニークスキル……あっ……」


 ラムサスは何かを思いついたように口元に手を当てて考え込む。


「マディオフの王族の呪い(ロイヤルカース)なら、もしかしたらできるかも。ノエルのお父さんって、軍人だよね? お父さんに呪いはかかってなかった?」


 国民の俗話として、ロイヤルカースを囁く声は存在する。しかし、信憑性の高い情報など存在しないし、父ウリトラスを見た限り、何かの呪いに冒されていたような雰囲気はなかった。


「父とはそれほど接点が無かった。年に数回顔を会わせた限りでは、呪いに冒されていたようには見えない。私は治癒師ではないし、実際のところは分からない」

「ノエルもお父さんと仲が悪かったんだ……」


 仲が悪かったのではなく、ウリトラスは子供に興味が薄かっただけだ。家に帰ってくると、広間で母の愚痴を聞かされるか、自室の書斎に閉じこもっているか、だ。話をした回数が、それほど多くない。


「……手法は何にせよ、マディオフが情報統制下で侵攻していた国は、ゼトラケインから独立したロレアル共和国。その旧ロレアル領のアウギュストにゴルティアは攻めて来て、リクヴァス手前で止まっている。今はそういう状態。より重要な問題の一つは、ドラゴンのことをゴルティアがどうやって知ったのか。どれほどドラゴンのことを知っているのか、ということだね」

「ドラゴンを操れるのであれば、マディオフを直接攻め滅ぼさせるのが手っ取り早い。それをしていないのだから、ゴルティアはドラゴンを操っているのではなく、何らかの手段でドラゴン出現の時期を事前に知り、そのタイミングに合わせて侵攻してきた、と考えるのが自然だ」

「タイミング説には、ノエルの意見に全面的に同意する。でも解せないのは、ドラゴン出現に乗じたのがゴルティアという国だということ。ドラゴンは、ドラゴン以外の全ての生命の天敵。ドラゴンを前にして、敵同士だった人間が争いの手を止めて協力することはあっても、ドラゴンを利用するなんて話は考えにくい。他の国ならともかく、なんでよりにもよってゴルティアが……」

「動機は不明でも、実際にゴルティアはそれをやっている。一年前であれば、突然出現したドラゴンに対し、マディオフとゴルティアが手を取り合って立ち向かう、なんて想像も荒唐無稽な夢物語とは言い切れなかったが、今は違う。ゴルティアとドラゴンに対し、周辺国全てが一致団結して事に当たってもいいくらいだ」


 ラムサスの意見は尽く本質を突いている。ラムサスの意見が私の記憶を次々に呼び覚ます。やはりラムサスは私にとって有用だ。現時点での戦闘力の低さと精神的不安定さを加味しても、連れて行く価値がある。


 戦争において、敵国の混乱に乗ずるのは常道。卑怯でも何でもない。ただし、ゴルティアという国に限り、ドラゴンの災禍に便乗することは違和感が残る。何かまだ我々の知らない情報が残っている。


「ノエルが今一番望んでるのは、ゴルティアを潰すことでも、ヘレティックに報復することでもなくて、家族のいるマディオフを守ること。そうだよね?」


 もし家族を連れてマディオフから逃げることができれば、ヘレティックに一泡吹かせることなど二の次、どうでもよかったが、家族がマディオフに残るのであればそうはいかない。


 あれもこれもと手を伸ばすのは、全てを失うことになりかねない。ラムサスにはああ言ったものの、エルザもキーラも死なせたくない。そのために最も有効な一打は、リクヴァスのゴルティアに鉄槌を下すことだ。リクヴァスを守りきり、ゴルティア軍を退ければ、私の目的を全て達成することに繋がる。


 全てを掴み取ってみせる。二本の腕を失ったことで、結果的に私の手足は増えたのだから。


「ノエルは強いかもしれないけれど、アンデッドという事情を考えたら、マディオフという国とリリーバーが協力関係を結ぶことはできないはず。リクヴァスに向かうのは賢くない」

「なぜだ」

「風魔法が如何に防衛向きの属性だからって、ミスリルクラスの風魔法使いが一人いるだけじゃ、全力のゴルティア軍からリクヴァスを防衛しきることはできない。でも、現実としてリクヴァスはゴルティアに奪取されていない。ゴルティアは多分全力で攻めてきていない」

「そういうものだろうか? 一進一退の攻防を続けているのでは?」

「一進一退の攻防が、戦争では一番被害がでる。自軍の被害を減らそうと思ったら、圧倒的兵力差を作り上げて、敵を一気に蹴散らすのが最良。ゴルティアは、そういう圧倒的兵力差を作り出せる唯一の国。それをしていない、ってことは、リクヴァスに攻め込んですらいないんだと思う。多分、リクヴァスの近くにゴルティア軍を少しばかり集めて、マディオフ軍を引きつけておくだけ。そうするだけで、今のマディオフは資金難と食糧難が自動的に進んでいく。ゴルティアは、より簡単に滅ぼせるように、マディオフを弱らせる状況を作り上げているんだと思う」


 軍略家ラムサスにそう言われると、それが正しいような気がしてくる。感情論を振りかざしそうな割に、意外と説明が上手い。


「ではどこから手を付けるべきと思っている?」

「その前に、リブレンがどこにあるか教えてくれる?」


 二ヶ月前に訪れたリブレンの街を、ラムサスが地面に書き上げた地図上にポイントする。


「ここからは真っ直ぐ北にあるんだね。しかも距離はそんなに遠くない。うん、好都合」


 ラムサスは一人頷き、納得している。


「テベスは、特別討伐隊の集合場所がリブレンだ、って言ってた。そこを率先して守るべき何らかの理由があるのか、被害が比較的軽微で討伐隊の本部を置くのに都合が良かったのか……。本部があるなら、魔物の分布状況なんかも、最新情報があると思う。特別討伐隊とは距離を置くべきだけど、情報だけは欲しいかも。反乱軍のいるロギシーンも、ゴルティア軍が駐留するリクヴァスも、ここから遥か遠方。先にスタンピードをなんとかしよう。それだけで、マディオフ軍が圧倒的に自由に動けるようになる。リブレンとかフライリッツとか、旧ロレアル領土方面に繋がる場所に大森林の魔物が跋扈していては、補給線だって機能しない」


 補給線か……。我々と違って、軍隊は兵站のことも考えなければならないから、身動きが取り辛くって仕方がない。我々なんか、手足が九本あっても、食事が必要なのは私とルカとサナ、それにクルーヴァだけ。後はヴィゾークとイデナのバイオスフィアに食餌を与えるだけでいい。つまり、食料は六人分もあれば十分お釣りがくる。


「ネームドモンスターはどこにいるのか知っておきたい」

「ネームドモンスターを優先して狩っていく、と」

「場合にもよるけど、ネームドモンスターは狩らない。今までだってダンジョンボスとかネームドモンスターを相手に、あなた達は痛手を負わされている。放置してもマディオフの安否を脅かさないのであれば、ネームドモンスターとの戦闘は回避して、それ以外の魔物を討伐したほうがいい」


 ネームドモンスターのそれぞれが、ダンジョンボスと同格の強さがあるならば、討伐に要する時間は一気に膨れ上がる。


 ネームドモンスターを無視したとしても、一週や二週では大森林から解き放たれた大量の魔物を駆逐できない。


 一匹たりとも残さない完全殲滅から思考を切り離そう。特別討伐隊にとって辛いのは、魔物が群れている場所だ。モブの一、二匹程度であれば、入念に準備することでプラチナクラスのハンターでも討伐可能になる。大学一回生の長期休暇に苦戦したサンサンドワームなどがいい例だ。あの魔物は正面から倒そうとすると、前衛ならばチタンクラスの強さが必要になる。しかし、ワーム専のハンターは、プラチナクラスの強さもないのに、サンサンドワームを被害なく倒す。工夫と前準備で強敵を労せず倒すのは、人間の真骨頂とも言える。


「魔物の分布情報を入手して、ネームドモンスターを回避しつつ、魔物の密度が高い場所を掃除(スウィープ)する。完全殲滅ではなく、群れを散らす。そういう意識でいく、ということだな」

「うん、そういうこと。目立った大群(ホード)を討伐し終えた頃にリクヴァスが落ちていて、アーチボルク付近までゴルティア軍が攻め込んできていれば、ゴルティア軍を叩きに行く。リクヴァスが健在で、なおかつリクヴァスよりも勢いづいた反乱軍のほうが危険そうであれば、反乱軍の鎮圧に向かう。反乱軍も大丈夫そうであれば、リクヴァスまで足を伸ばす。どう? これだと移動に要する時間の無駄(ロス)をかなり減らしつつ、心臓(コア)に伸びた敵の手を効率的に叩けると思わない?」


 なるほど。ラムサスは私よりもずっと考えている。一つ思考前提に組み込んでいないものを挙げるとすれば、父ウリトラスの存在だ。私の敵であれ、敵以外であれ、再会する前に死なないでくれよ……


「こう考えてみると、ダンジョンに行った時間は派手な無駄(ロス)だ」

「情報がある今だからこそ、そう思えるかもしれないけれど、あの時点では、スタンピードを収束させることこそ、目標に逆行するような悪手だった。それに、敵だって常に最善手は打てない。戦争はどう転ぶか分からない水物。戦略が一貫していたとしても、戦術は定期的な見直しが必要で、作戦は日々修正の連続。敵からしても、実は最初に立てた作戦の半分も上手くいっていないのかもしれないんだよ」


 自分の打つ手を決める前に、遊技盤(ゲームボード)を相手の視点から見てみる、というやつだ。自分が苦境に立たされていても、相手はもっと苦境に陥っていることだってある。やぶれかぶれの特攻ではなく、一手一手相手を追い込むことを考えるならば、ラムサスの作戦を採用すべきだ。もし、どちらにしろ勝利を得られたとしても、後者のほうがずっと私の好みだ。


「いいだろう。その作戦を採用しよう。もう一度聞いておくが、故郷(ジバクマ)には帰らないんだな」

「くどい。ここを凌ぎきらないことには、故郷にだって安息も未来もない」


 もう軍略家として地位を築いた気でいる。


「では私の役に立て。戦闘力として期待はしていないし、足手まといなのは織り込み済みだ。戦闘時よりも、非戦闘時に邪魔にならないように心掛けろ。あまり同じ話を何度も蒸し返すのは好きではないが、もう一度言っておく。ぼんやりして合図(サイン)を見逃すなどありえない。悪意をもって行ったのであれば、より許し難い。次はないと思え」

「その件に関しては……いつサインを出したのか、本当に気付かなかったから、素直に謝っておく。悪気は無かった」

「自分の身に降り掛かった出来事でもないんだ。あれくらいのことで動揺するな。我々にも、この国の人間にも感情移入もするな。これから大量に死んでいくし、おそらく我々も少なからずこの国の人間を殺す。サナからしてみれば、無辜の民衆を大量に殺すことだってあるかもしれない。そこはサナに責任などない。我々を止める必要もない。伝記でも読んでいるつもりで眺めていればいい。口を挟むのであれば、善悪観に基づいた感想ではなく、効率や損得に基づいた意見と代替案を述べろ。仲間ではなく協力者であることを忘れるな」

「拘るなあ……。でも、パートナーとして過去の過ちを知った。気持ちは察するよ」


 軍略家かつパートナー気取り……。そのうち私のことをバディとか言い出すまいな。アンデッドは死体<body>とは少し違うぞ……


「んっ、んんん!」


 会話口をルカへと切り替える。もう満足してくれただろう。私の喉も限界だ。発声は喉頭や咽頭の筋肉の産物だ。もうずっと使っていない機能であり、錆びついて久しい。声がしゃがれてきた。


「久しぶりに喋るので喉が限界です。もう勘弁してください。明日向かうのはリブレンに決まりでいいですね。これくらいにして、もう休みましょう」


 ラムサスはじっとりとした三白眼を私に向けたものの、すぐにルカへと向き直った。


「討伐隊が高度なアンデッド感知の魔道具を持っていないといいね……」

「特別討伐隊の目的は、生きた魔物の退治であって、アンデッドの討伐ではありません。大丈夫だと信じましょう。それに、アンデッドだと見抜かれなかったところで、私は討伐隊と肩を並べるつもりなどありません。どうせ雑魚の集まりです。サナの言う通り、情報だけ頂きましょう。仮にヘッドハントするならば、一人だけ……」

「ベネンソンでしょ?」


 勿体ぶることすらさせずに、ラムサスは先回りして言い当てる。


「その名前、少し使い途があるので、今後迂闊に口にしないでください。我々が目標としているのは氷の魔術師、イオスですよ」


 心の中で読み上げる分にはともかく、口に出すと仰々しい二つ名である。私が付けた名前でもないのに、なんだか恥ずかしさを感じるのであった。

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