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第五三話 王都の風説 二

 私の予想よりも五割ほど長い三週間ほどの特別強化期間を経てクルーヴァはとても強くなった。私の鑑定眼的に、今のクルーヴァはアリステル班解散時点でのラシードよりも数段強い。


 ところが、操練アンデッドはクルーヴァの戦闘力を『ラシードと同等』と評価する。


 ジバクマ出立時にラシードの魔力量は測定していないから、私は想像の中でクルーヴァとラシードに剣戦闘を行わせて強さを比較するしかない。


 脳内戦闘においてクルーヴァはラシードに一敗もしない。少々負傷させるとか装備の質が悪いとかクルーヴァに不利な条件を課しても、クルーヴァは闘衣の技量や各種の技術で不利を跳ね返す。


 剣戦闘に関して、クルーヴァがラシードを上回っているのは確実だ。


 もう訓練時間にフルルが私の相手をすることはなくなった。どれだけ私に補助魔法が使われても、私ではクルーヴァに勝てない。


 ついこの間までクルーヴァはフィールドに生きる平々凡々なブルーゴブリンだった。ゴブリンという枠組みの中では格別に強かったとはいえ、ヒトに置き換えると並の常備兵程度の強さしかなかった。


 そのクルーヴァが、今では私に剣に指南役を務める師範代のような立ち位置なのだから私の胸中は複雑だ。ただ、前のように理性を揺るがすほど強い嫉妬心はない。


 こういった戦闘力に関する見立てを間違えたためしのない第三のアンデッドが『同じ』と言っているのだから、クルーヴァとラシードにはなにかしら等しい部分がある。


 そのなにかしらとは純粋な剣の技量ではなく魔力量なのだろうと思われる。




 無事、目標としていた強さにクルーヴァが到達したことで、地上への帰還が決定する。


 メンバー各員は集めに集めた素材各種を地面に並べる。精石以外に持ち帰るか素材を吟味するためだ。


 全員が一斉に所持品の大半を一箇所に結集させた様は壮観だ。


 メンバーは私を含めてもたったの八人、しかも無理に荷物を負っていたわけでもなし。それでも、こんなに大量の荷物を携行していたのだなあ、としみじみ思ってしまう。


 目移りしてしまうほどの戦利品の山からリリーバーは厳選に厳選を重ねる。口を出せる内容でもないため、私はひとり静かに沈思する。


 ポジェムジュグラで狩った魔物の総数を思えば、地上に持ち帰る素材の量は極々わずかだ。それこそドラゴン一柱を討伐しておきながら牙も鱗も全て捨て去り、死体から滴る血を一滴だけ持ち帰るようなものである。


 私は気になる。全てを持って帰った場合に得られる金の額が気になって気になって仕方ない。普通の感覚を持ったヒトなら、誰だって考えるはずだ。


 リリーバーがアンデッドでさえなければ、高額素材の売却さえできれば都心に豪邸を建てて、高級家具と調度品を揃えて……。


 輝かしい未来を考えているうちに吟味が完了する。


 一行は置いていく荷物に対して一片の名残惜しさすら示さずに淡々と荷造りを済ませてしまう。


 私も詮のないことばかり考えていられない。


 さあ、第二(ディープ)セーフティーゾーンを出発だ。




    ◇◇    




 往路と同様、クルーヴァを横に置いて私がパーティーを先導し、そして気付く。


 ネズミ返し構造が無いのは中層上部から中層下部へ向かうときだけだ。中層下部から中層上部へ戻るのは毒壺と変わらない難しさがある。ダンジョンながらに小癪な真似をしてくれる。


 中層上下部間の境界に数度、阻まれながらも、三日ほどかかって地上へ到達する。


 ダンジョン出入口付近で通りすがるハンターの数は一か月前に比べて少なく、顔に浮かぶ表情はとても重々しい。


 入口の直ぐ(そば)、ダンジョン突入前の小休止を取っているハンター二人組にルカが話し掛ける。


「すみません。我々はしばらくダンジョンに籠っていた者なのですが、少しお話をする時間はありますか?」

「ん、ああ。何だい?」


 突入前だというのに、やや疲れた様子の男たちは会話に応じてくれる。


 ルカに話し掛けられただけで男たちがわずかに精気を取り戻したように見えるのは、厳しいダンジョン暮らしで私の観察力が向上したためか、はたまた良くない心が見せる幻か。


「通りすがるハンターの方々は皆さんとても重苦しい表情をしていました。この近辺でなにか良くない事でも起こっているのでしょうか?」

「そんなに長くダンジョンに籠ってたのかい? ドラゴンが現れたって話は?」

「それは聞いたことがあります。私たちが丁度ダンジョンに潜る頃の話ですね」


 ハンター二人は互いに顔を見合わせる。


「じゃあ一か月ちかくダンジョンに籠ってたのか。あんたら、見かけによらずタフなんだな。それなら、()()()は知らないか」


 この思わせぶりな口ぶり……。ドラゴン出現以外にどれほどの良からぬ事が起これば、ダンジョンに通い詰めるやり手のハンターたちをひとり残らずこんな表情にできる。


「ロギシーンでさ、反乱が勃発したんだ。反乱軍は新しい国を興すんだと。ドラゴンに便乗した(ろく)でもない連中だよ。その碌でなしの頭目が、随分前に引退した元ミスリルクラスハンターのアッシュだって言うんだから、胸糞悪い話だと思わないかい?」

(おっしゃ)るとおりです……。もう少し教えてください。それはどれくらい前の話なのでしょうか?」

「俺が知ったのは二週間くらい前だ、ロギシーンは少し離れているから、事の始まりは一か月くらい前なんじゃないか?」


 いわゆる情報の時差というやつだ。


 ジバクマにいた頃は、ジルが持っている魔道具のおかげで、首都ジェラズヴェザ、西の戦線に近いゲルドヴァ、東の要塞都市ミグラージュの三地点は遅延(タイムラグ)のほとんどない情報共有ができた。


 ゲルドヴァとミグラージュ間なんて伝令を介していたら片道に平気で五日以上かかる。事件の発生現場がマディオフ北西部、それも国土の端も端に位置するロギシーンだった場合、情報が人伝に王都へ届くまで一週間以上を要しても不思議はない。


 時差をもって情報を受け取るのはハンター勢に限らない。反乱軍の筆頭者たるアッシュだって、何らかの特殊な手段を前もって講じていない限り、ドラゴン出現の報を即時に掴むことはできない。


 反乱を起こすのにも相応の準備がいるだろうから、事を企て始めたのはドラゴン出現よりもずっと前、それこそ年単位で前から温めていた計画のはずである。


 反乱の準備を済ませて後は決行の機を窺うばかりとなっていたところに偶々ドラゴンが出現して機に乗じた、というのは解釈のひとつである。けれども、私にはそうは思えない。


 悪しき源流が人知れず事態の足元を流れているような気がする。


「その反乱はもう鎮圧されたのでしょうか?」

「全く逆で、どんどん勢力を拡大して周囲の村を取り込んでいる。大森林発の大氾濫(スタンピード)対応のために特別討伐隊が結成されて、軍人もハンターも精鋭は出払ってるんだから、そりゃあそうだわな。残っている人間を頭数だけ揃えて差し向けたって、元ミスリルクラスのハンターなんか倒せっこない。どれだけ年を取っていてもな」


 ハンターの述懐からするに、反乱軍の勢いはかなりのものだ。対応を誤るとマディオフという国は瓦解するかもしれない。リリーバーが何をせずとも。


「そうだったんですね。この辺りはロギシーンに近いから心配です」

「ダンジョンは大事な資源だからな。反乱軍はそのうちここいらにも手を伸ばすんじゃないか? そうなったら潮流を読んで下手に逆らわないほうがいい。本当なら、事が落ち着くまでダンジョン通いは控えるべきなんだろうが、俺たちにとっちゃダンジョンは飯の種。他にいい金稼ぎの方法も知らない。だから、いつまで潜れるか分からないこのダンジョンに、今日も今日とて行くしかないのさ」


 ハンターは首をすくめて、お手上げの姿勢を作る。おどけたフリをしているだけで、この二人も先のことを深く憂いている。




 私たちはハンター二人に感謝を述べて、その場を後にした。人目が無くなるところまで森の中をトボトボと歩く。


「これからどうしよっか……」

「本当はフィールドのゴブリンを捕まえてクルーヴァの能力を色々と試してみようと思っていました。しかし、予想を遥かに超えた激しい動きがあるようですから、のんびり実験に勤しむべきではないでしょう。より詳しい情報を得るためにも、取り急ぎ王都に向かいます」


 次々に起こる事態によってマディオフは間違いなく大きな混乱を来している。そんな時こそ正確な情報が求められる。


 混乱に心急かされて断念しなければ、私たちはなおも実験に明け暮れる日々を迎えていた。


 操者であっても、クルーヴァが獲得しつつある能力の本質を見極めるには実験が不可欠らしい。私なんか何年経っても小妖精の能力を完全に把握できていないのだから、概してスキルとはそんなものなのかもしれない。


 ダンジョン脱出途上で遭遇したゴブリンたちはクルーヴァに対して目立った反応を見せていなかった。リカオンゴブリンはゴブリン目ではないから参考にならないにせよ、中層上部や上層に出てきたゴブリンは、ちゃんとゴブリン種のゴブリンだ。


 本物のゴブリンたちがクルーヴァに膝を折らないのだから、ゴブリンキングが配下のゴブリンを従える能力というのは、無意識下でも常時効果を発揮するパッシブスキルではなく、ウルフの遠吠えのように任意のタイミングで発動させるアクティブスキルなのかもしれない。もちろん、クルーヴァが本当に“王成り”を果たしていることが前提になるが。


 クルーヴァはなんらかの特別な能力の覚醒を自らの中に感じつつも、まだ使用を控えている。そんな状態だとしたら……。


 不謹慎ながら心躍る話に思えてしまう。こういうのが実験の楽しみなのかもしれない。




 さて、そろそろよさそうだ。


 ポジェムジュグラから歩いて遠ざかることしばし、周囲に誰もいなくなったのを見計らって私とルカは騎乗する。


 王都目指して急行だ。




    ◇◇    




 およそ一か月ぶりとなる王都の周囲には物々しい警戒網が敷かれていた。無数の衛兵はいたる所を練り歩き、検問が王都への出入りを規制している。警戒度の高さときたら、新条約締結前のゲルドヴァ以上ではないだろうか。


 リリーバーの大敵である検問を避けるため、いつもの手段を取ることになる。日沈までは警戒網のない場所でハントをして時間を潰し、日が暮れてから闇に紛れて王都に忍び込んで自宅を目指す。


 ほっと一息つけるはずの自宅の中に入ると、途端に違和を感じる。


 違和感の正体は何だ。


 私の無意識が謎の異常を感知しているというのに、根本究明の要となるポーたんは何も言わない。ならば、違和を感じさせる原因が罠の存在ということはなさそうだ。


「留守中に誰か家の中に入ったようですね。大家以外の誰かが……」


 無理に難しく考えずとも、単純に物盗りに入られた可能性は否定できない。


 家の中に財産は無いし、盗まれた物はまた買えばいいだけだから、泥棒であればある意味安心できる。


 だが、家の中をひっくり返すほどひどく漁られた形跡はない。


 盗人でもない、大家でもない。


 ……となると、思いつくのは衛兵による家探しだ。


 盗み目的に忍び込んだ空き巣が家屋に罠を仕掛ける可能性は限りなく低いが、国家権力の捜査後となると一般的な物理罠には該当しない社会的、状況的な罠が残っている可能性は急激に高まる。


 いかに小妖精であっても有害事象に繋がる全てを見つけ出すことはできない。油断は厳禁だ。


 どこからともなく姿を見せた傀儡ネズミと協力して家中を慎重にクリアリングしていく。




 時間をかけて調査した結果、家の中のどこにも罠の類は仕掛けられていなかった。




    ◇◇    




 翌日、私たちは家の中で息を潜める。情報収集目的に家の外へ出向くのはパーティーメンバー数名だけだ。


 昼前になって戻ってきた出向組の持ち帰った情報によると、王都への出入人数は記録されていて、王都に入るには都民であっても許可証がいるらしい。


 出向組は情報収集ついでに、どこからか全員分の本物の許可証を不正入手してきていた。


 盗んだのやら、衛兵を騙したのやら……。


 入手経緯は不正でも物自体は偽造ではなく本物というあたりに細かい拘りが感じられる。


 今後も王都を出入りするにしても、夜の闇に紛れるならば許可証は必要ないはずなのにこうやって予防線を張る。抜かりがないことだ。




 許可証を入手後、帰還の挨拶のために大家を訪れる。もう日中はそれなりの暑さを感じる時期だというのに、大家オスカル・マズルは今日も一か月前と同じように、家庭菜園いじりに励んでいた。


 出発前に大家が作業していたスペースには、もうすぐ収穫できそうな作物が力強く背を伸ばし、青々とした葉を広げて瑞々しい実をならせていた。朝も昼もせっせと働く大家の仕事の結実ぶりだ。


 なごやかな光景のはずだというのに、私はうっかり苗木の例え話を思い出してしまい、たちまち気持ちが(すさ)む。


「ご無沙汰しております、マズルさん。今日も精が出ますね」

「おぉ、戻ったかい、ルカちゃん。良い狩りはできたかな?」

「日数ばかりかかって何もですよ。でも、検問が厳しいですから、豊猟だったとしても没収されておしまいだったでしょうし、新しい土地で少しばかりの経験は積めた、と割り切って考えています」


 与太話アンデッドは適当な作り話を並べて、オスカルを上手くあしらう。


 オスカルは見た目、五十は超えていそうなのに、好きになれない目を私やルカに向ける。好々爺然と微笑んでいるかと思えば、少し私が目線を外した瞬間にこちらの全身に視線を滑らせてくる。


 所在なく動き続ける手は、気を許した瞬間にこちらへ伸びてきそうで、油断も隙もあったものではない。


 下心を匂わせるのはひとつひとつの立ち振舞だけではない。下世話な話題を会話の随所に挟んでくる。ルカはそれらをサラリと払い()けつつ、様々な情報を引き出していく。


「全くこの国はどうなってしまうのかねえ。国からの発表はないけど、東からはゴルティアが攻めてきて、マディオフ軍は敗戦に次ぐ敗戦。次々に街と領土を奪われていると聞くし、西では反乱、北東はドラゴンと大氾濫(スタンピード)。お先真っ暗だよ……」


 また新しい情報、それもとんでもなく深刻な代物が出てきた。


 まさかゴルティアまでこの機に乗じて侵攻を開始するとは……。


 そうは言っても、ゴルティアとマディオフの戦争が始まらないのは私も常々、不思議に思っていた。ゴルティアがマディオフに攻め込まない特別な理由など無かった、ということだ。機を待っていただけならば、今が(まさ)しく時機に他ならない。


 ゴルティアから見れば、私の母国ジバクマは西方やや南側に位置している。西ではジバクマと戦争し、東では蛮族とも戦い続けている。さらにマディオフにも手を出すとなると、戦線を三つ同時に抱えることになる。


 敵ながらゴルティアはやはり強大国家だ。それだけ余力に溢れている。


 国土が広大なら人口だって多い。科学力も際立っている。長年にわたって聖女を輩出し続ける特別な土壌の広がる土地だ。


 兵数は周辺国の数倍、装備は最新かつ品質揃い、物資は潤沢、ゴルティア軍の長所を列挙するだけでも、ゴルティアがどれだけ敵対してはならない国か分かる。


 マディオフは、万全の状態ですら渡り合うのが困難な相手から、よりにもよって満身創痍の中で攻められているのだから、誰がどう考えても滅亡待ったなしだ。


「マズルさんには、軍務に服しているご家族がいるのですか」

「いやー、うちは娘ばかりでさ。長女を残して、みんな商売やってる家に嫁いでいったよ。長女だけは大家(おおや)業を継がせるために婿を迎え入れさせてな。うちにも男(わらし)がいたら、あんたたちを嫁にさせたんだけどな。ハハハ」


 そんな目をかけて頂けるほどの者ではないですよ、と作り笑顔で対応するルカの手は、固く握り込まれている。平静を装う様が、逆に内に秘める感情の激しさを仄めかす。




 大家と話すうちに、私たちの家に足を踏み入れた人物が判明する。


 立ち入ったのは、睨んだとおり衛兵だった。衛兵たちは、最近になって王都に移り住んだ者、全員の住居を訪ねて回っているらしい。


 反乱の勃発と大国との開戦、両方の影響だろう。


 マディオフ国内に潜むゴルティアから送り込まれた間諜の洗い出しは、確かに国防における最重要任務のひとつだ。


 衛兵は私たちに会えず、家探しだけして帰っていった。必然、いずれまたあの家を訪ねてくる。




 大家ひとりから話を聞いただけで情報収集は一旦中止となり、私たちは家に戻って今後の方針を話し合う。


「また衛兵が来たらどうする?」

「居留守で対応しても何度でも来るでしょうし、在宅時に訪ねて来たならば普通に迎えましょう。移住者は大勢いるでしょうから、一軒一軒訪ねて回る衛兵が、そこまで高性能のアンデッド感知の魔道具を持っているとか、強力な幻惑破り(アンチデリュージョン)の手法を携えているとは思えません。仮にアンデッドだと露見したところで、その場で衛兵数人を()()すればいいだけの話ですし、それも上手くいかなければ、王都から逃げ出すだけです。もっと大事な問題は、戸別訪問している衛兵への対応などではなく……我々が何をせずとも、この国はもう()たない、ということです」

「そうだよね……」


 ドラゴンが出現しただけであれば、マディオフは耐えきれただろう。


 大森林周囲の街が荒らされても、ドラゴンが倒せなくとも、その余波の大氾濫(スタンピード)は、時間をかけることで収束させられる。


 だが、そうはいかないのがゴルティアだ。


 マディオフより二足(ふたあし)三足(みあし)は先にゴルティアと戦争しているジバクマも、防衛しかしていないというのに、途方もない国力を割く羽目になっている。


 地形、地理的な背景から、ゴルティアはジバクマに攻め入るのが難しい。ゴルティア軍がジバクマ東端の防衛拠点ミグラージュに到着した時には、ゴルティア兵たちは誰しも行軍距離の長さと路程の過酷さに疲弊している。


 しかし、ゴルティアにとってマディオフは段違いに攻めやすい。今はマディオフの領土となっている旧ロレアル領土東端のアウギュストは、ゴルティアから綺麗に地続きだからだ。


 ゴルティア軍にとって『マディオフ攻め』とは、『ジバクマ攻め』とは比較にならないほど進軍が楽であり、ゴルティア軍が楽ということは、転じて、マディオフ軍が辛いということを意味する。


 ライゼンと共にミグラージュの要塞で疲弊したゴルティア軍を迎え撃つジバクマ軍とは訳が違う。マディオフ軍は堅固な防衛拠点のない、兵站線にも不安がある旧ロレアル領土で意気軒昂のゴルティア軍と戦わなければならない。その防衛難度の高さは、これ以上、説明の必要がないほどだ。


 大氾濫(スタンピード)に国土を蝕まれ、西の反乱軍に猖獗(しょうけつ)を許し、それでもなおゴルティア軍と相克しようと言うのであれば、マディオフ軍は旧ロレアル領土に置いた戦力をフライリッツまで引き戻し、二十年以上昔にゼトラケイン軍とぶつかっていた戦場であるトレド平原に防衛線を築くべきだ。


 東西に長い旧ロレアル領土全ての防衛は、戦略的観点からは決して勧められない。


 ゴルティアの侵攻開始はマディオフだけでなくジバクマにも大きな影響を与える。ジバクマからすると旧ロレアル領土、取り分けリクヴァスをゴルティアに奪取されるのは、かなり痛い。


 それというのも、リクヴァスからミグラージュまで繋がる山道がキルバディア山脈に通っているからだ。マディオフ軍がリクヴァス経由でジバクマに攻めて来ることはなくとも、ゴルティア軍が同経路を利用してジバクマに攻めてくる可能性は大いにある。


 簡単ではない山越えも、ゴルティア軍がこれまでジバクマ侵攻に用いていた東回りの険路を思えば、お(あつら)え向きの舗装街道のようなものだ。


 ジバクマの立場から贅沢を言わせてもらうならば、マディオフにはリクヴァスをゴルティアに奪われないように耐えてもらいたい。


 しかし、下手に各都市で撃破されるとフライリッツで防衛するどころではなくなり、あっという間にマディオフ全土がゴルティアに掌握されてしまう。


 マディオフが滅びれば、その土地が全てゴルティアに置き換わることになり、それは即ちジバクマの滅亡に直結する。


 だからこの際、贅沢は言わない。リクヴァスも捨ててしまっていいから、心臓たるマディオフ本土だけは守ってほしい。


 今、マディオフに求められるのは旧ロレアル領土を捨てる覚悟だ。




 これはもうマディオフ一国の問題ではない。マディオフの心ひとつで周辺数か国が滅亡する。まさにここが時代の転換点なのだ。


 さあ、リリーバーはここからどう動く?


 マディオフを襲い、滅びの日を手繰り寄せる災厄のひとつになるのか。


 それとも救援者(リリーバー)の名が示す如く、苦難にあえぐマディオフの救国と済世の英雄になるのか。




 ルカは鬱然とひとつ嘆息する。


「“飾り”とあなたの力を借りて情報を集め、得られた情報の内容次第ではマディオフという国を影から滅ぼすことも辞さないつもりでした」

「マディオフがゴルティアに滅ぼされれば、次に滅ぶのはジバクマ。マディオフ無しには、ジバクマはゴルティアの攻撃を凌ぎきれない」

「サナの事情を汲む余裕は、今の私にはありません。自分の感情で頭は一杯です。私は他者の事情ではなく、自分の感情を優先する」


 ルカの口調が変化する。第三のアンデッドは、また本心を吐露しようとしている。きっとその中身は……。


「マディオフは今、私の意思とは違う大きな流れによって滅ぼされようとしている。自ら滅ぼすことすら考えていたのに、マディオフに滅びが近付いていることに、私は激しい憤りを感じている」


 ……思ったとおりだ。


 これだから私は第三のアンデッドたちを放っておけない。


 私情を優先? そこに何の問題がある。何も問題無いではないか。


 表面的な部分はヒトの感覚から乖離していても、最も大事な胸奥の部分でうねっている原感情は、いつだって強く共感できるものだった。


 原感情の放つ光は、決して澄んだ白ではない。清白すぎてヒトを忌避させる正義一色ではない。


 善人も悪人も、文官も武官も、老いも若きも惹きつける、怪しさと危うさが複雑に混じり合った独特な色がある。


 謎の色を帯びた光は暴露初期において強烈にヒトを惑わせる。私たちも最初は散々に踊らされた。


 しかし、幻惑性は光の本質ではない。


 暴露の果てに幻惑耐性を獲得すると、複雑怪奇な光の構成要素が見えてくる。


 それは、人間以上の人間味であり、意外な不器用さであり、飽くなき探究心であり、秘密に次ぐ秘密であり、そして、『賭けてみたい』と思わせる不思議な魅力だ。


 光はとても力強いのに、たまに頼りなく明滅する。悩み、苦しみ、光り続けていくための助けを必要としている。それなのに、不器用さがゆえに助けを求める声を上げられない。


 光が眩さの裏に併せ持った一片の儚さは、今では狂おしいほどに私の心を共鳴させる。


 もしかしたら、問題の魔道具が私の心にまで悪さを働いているのかもしれない。けれども、この際それは問題ではない。


 私はこの者たちを助けたい。想いを支えたい。


 私情だろうが、自分の都合だろうが、心からの願いならば、いくらでも優先させればいい。


 願いを叶える手段を見つけるために、私はここにいる。


「ドラゴンだけであれば混乱に便乗できた。しかし、こうなってしまうと当初の第一目標を優先してはいられない。混乱も度が過ぎると、私の得たい情報が散らばり消えていくだろう」


 ルカの表情はもう物憂げではない。覚悟と決意に満ち溢れている。吐く息たるや気炎の如し。


「私のマディオフ再訪とドラゴン出現の時期が重なったのは偶然だ。しかし、ロギシーンで起きた反乱と、ゴルティアの侵攻。これらが偶然ドラゴンの出現と重なったとは思えない。日の当たらぬ場所で嗤う者の気色を感じる。一連の事態を引き起こした者がいて私の目的を邪魔するのであれば、それは私の敵だ。敵がたとえドラゴンすら操る“超越者”だとしても旗を巻くつもりはない。必ず倒す」

「口だけだと大言壮語になる。目標が大きければ大きいほど、感情に振り回されてはいけない。私はそう思う」

「感情を抑えて滅びゆくマディオフを眺めながら、暗愚な理性に従って悠長に異端者(ヘレティック)を探せ、とでも言いたいのか?」


 私に対してすら、今までにないほど攻撃的な物言いをする。


 いつも綽々(しゃくしゃく)として不敵な笑みを崩さなかったルカも、こういう表情ができたのだ。この顔を見られるのは私だけだ。


 緊迫した場面にそぐわない謎の優越感が心をくすぐる。


 私は、ずっと探し求めていた第三のアンデッドの()に、ようやく触れられている。第三のアンデッドがひた隠しにしていた秘密を、またひとつ見つけられた。


 ただならぬ恐ろしさがあるのは否定できないが、隠したがりのアンデッドが少しだけ心を開示したのだ。


 私だって、ちょっとやそっと凄まれた程度では退かない。気炎を吐いているのは、こちらも同じだ。


「違う。感情を抑えるのが理性ではない。感情を助け、正しく導くことこそが理性の役割」

「何が言いたい」

「感情を夢に、理性を知恵に置き換えるなら、私はあなたの夢を叶えるための知恵になる。そう言っている」


 これは提案ではない。私の宣誓だ。私はもう、決めている。


 宣誓を聞き、リリーバー全員が私を注視する。


 視線感知を覚えた今だから分かる。


 今までにルカが何度も見せた“私を値踏みする目”。リリーバー全員が()()()で、審美眼で私を見ている。


 だからこそ、私は価値を示す。この者たちには無理で、私にならできることをやる。


「あなたたちはゴルティア軍と戦いに行こうとしている。どう、違う?」


 私の指摘に、ルカは視線を外す。


「私が何をせずとも、これから人間が大量に死んでいく。その前に……生きているうちに会っておかなければいけない人間がいる。私はその人間に会いに行く。おそらく、その後にゴルティアと戦うことになるだろう」


 おおっと、いきなり読みを外してしまった。これは想定外の回答だ。


 放浪アンデッドはマディオフにも大切に想う人間がいた。あちらでもこちらでも人を好きになってしまう移り気アンデッドだ。


 これは断じて博愛ではない。節操無しの気の多さだ。


 だから、私が不快に感じたとしても、何らおかしくない。


 自らの心の内に生じた負の感情を沈着冷静に解釈した私は、新しい情報を踏まえた上で脳内戦略を組み立て直す。


大氾濫(スタンピード)、反乱軍、そして極めつけがゴルティア軍。この三つの中で、マディオフを滅ぼす致命打になる可能性が最も高いのはゴルティア軍。なにせ、あの大国だからね」

「ああ、そうだ」

「だからといって、最初にゴルティア軍を叩きに行くのが最良の選択とは限らない」


 ルカの目が厳しさを増し、私を見据える。目だけでこれ以上ないほど強く私の意見を否定している。


「リクヴァスが落ちるのは故郷(ジバクマ)にとっても不都合なはずだ」


 私情を優先すると言っておきながら、結局ジバクマのことを考えている。有言不実行アンデッドだ。


 しかも戦略的には今ひとつ先を読み切れていない。だからこそ私が知恵として機能しなければならない。


「その理解は正しいけれども、浅いと言わざるをえない。ゴルティア軍がリクヴァスを攻め落とし、そこを経由して攻め入ってきたとしても、今の故郷(ジバクマ)なら敵を跳ね返せる、当面はね。故郷(ジバクマ)にとっては、リクヴァスを落とされることよりも、マディオフ全てが滅ぼされるほうがよっぽど拙い。だから、故郷(ジバクマ)を守る意味でも、死守すべきはリクヴァスではなくマディオフの本領。分かる?」


 ルカの視線の厳しさが(かげ)りを見せる。


 まだだ。まだ十分な理解には達していない。


「足の速いリリーバーたちからしてみても、アウギュストは東の遼遠(りょうえん)にある。しかも、アウギュストの正確な戦況は、まだ分かっていない。私たちには情報が足りない。ただの一民間人から聞いた噂ではなく、より信憑性の高い情報を入手するべき。それから改めて全体を俯瞰し、アウギュストに向かうかどうか決めても遅くない」

「他者からもたらされる情報がどれほどあてにならないかは分かっているはずだ」

「情報源さえ選べば、僅かなりとも真実は含まれている。それに、私は情報魔法使い。情報の大切さを分かっているからこそ、あなたたちは私をここに連れてきた」


 ルカは眉間に皺を寄せて、再び視線を横に逃がす。


「それに、いつだったか、私はこう聞いた。何だっけか。『落ちるときはどれだけ急いでも落ちてしまいますし、落ちないときは一週間や二週間遅れても落ちません』だったかな? 私とあなたたちの能力があって、マディオフが持つ核心的情報を集めるのに、一週間も二週間もかかると思う? そんなわけはない!」


 燃え上がるアンデッドの熱気に当てられて、私まで口調が乱暴になってしまう。


 その副作用か、この二年と少しの間にルカの口から発せられた全ての文言を今だけは頭の中からどれでも引っ張り出してこられそうだ。


 ルカはまた大きく息を吐く。気炎を更に猛らせるためではなく、熱を逃がして冷静さを取り戻すために。


「強い言い方をするではないか。ゴブリンよりも弱いくせに」


 ルカが唇の片端を上げてニヒルに笑う。邪悪な笑みでも、破顔でも、微笑でも何でもいい。


 たとえ傀儡だとしてもルカはリリーバーの象徴なのだから、笑っていなくてはダメだ。


「強さは、剣を振り回す膂力や魔力を()ね上げる技量だけでは決まらない。頭の固いアンデッドにも分かるよう、情報を柔らかくほぐす知力も立派な強さ」


 ニヒルだったルカの笑みが苦笑いに変わる。


「やれやれ。説き伏せたいのやら罵倒したいのやら……」

「まだ引っ(ぱた)かれ足りないのなら――」

「サナの言うとおり、情報を集めることにしましょう。まずは手配師のところに行きます」


 もう喋り方が戻ってしまった。心の開放期間はゴーレムと会った時以下の短さだ。


「また民間人情報に頼ろうとする。どうしてマディオフ軍の総司令部に行こうとしない?」

「軍人将校だってひとりひとりは全容を把握していませんし、自分の管轄部門のことで手一杯でしょう。多くの情報が集まる総司令部クラスとなると、忍び込むのも並大抵のことではありません。それでも中に入ろうとするならば、ある程度は交戦することが前提になってしまいます。まかり間違ってきれいな城( クラーサ城 )でやったように大打撃を与える結果になると、後になって自分が困るのは確実です」


 潜入前に私が提案したのは『横っ面をひとはたき』だ。この者たちは『大打撃』の自覚がありながらあんな真似をしていたとは……。舐めたことをしてくれたものだ。


 それはさておき、私は危険国家マディオフの中にいることを自覚できているようで、実はジバクマ気分が抜けきっていなかったかもしれない。


 隠密行動が得意なリリーバーといえども、相手方がある程度油断しているからこそ潜入できる。警戒態勢真っ只中に飛び込むとなると交戦は不可避だ。それもクラーサ城以上の激戦が必至である。


「情報力において軍が優秀なのは事実にせよ、民間の情報力も侮ったものではありません。特に、情報管理を仕事にしている人間の情報力は驚くほど高いです。軍師などと同じで、商人とか手配師とかいった人種も、優秀であればあるほど、()にも目と手が届き、自分の得意分野だけではなく全体の潮流を読む力に長けています」


 ワーカーアンデッドはワーカー業務を通じて見知った職業人たちを高く買っている。


 私には過剰評価のように思えてならないが、手配師を調べるのは王城や軍事施設に忍び込むよりも、簡便性や安全性において優れているのは間違いない。




    ◇◇    




 自宅を出た私たちは手配師の所へと向かう。


 昼時の飯場には人がごった返していた。騒がしくジメジメした空間の真ん中に陣取り、ひげ面で威勢よく喋っているのが目的の手配師だ。確か、テベスとかいう名前だった。


 周りを囲む同業手配師同様、テベスも表稼業の人材斡旋業者には全く見えない。違法薬物売人(  プッシャー  )が本業、と言われたほうが断然それらしい。


 第三のアンデッドはテベスのことを以前から知っているようだった。


 ただ、テベスとの会話役を担うルカには変装魔法(ディスガイズ)が施されているため、テベスからは旧知と認識されない。


 前回、王都で会った際、テベスとルカは互いに自己紹介を行っていた。


 あれから一か月ちかい時間が流れた。はたしてテベスはルカのことを覚えていることだろうか。


「お話し中割り込んですみません。テベスさん、今話せませんか?」


 手配師仲間との会話を中断してテベスがこちらを振り向く。


「おお、あんたは……。あー、ルカだったな。大氾濫(スタンピード)で避難してきた、リリーバーとかいうパーティー所属の。最近、見かけなかったな。どうしていた?」


 テベスはルカのことをちゃんと覚えていた。素晴らしい記憶力である。第三のアンデッドたちが信頼を寄せるだけのことはある。


「どうもこうもないですよ。一攫千金を夢見てポジェムジュグラに行ってみたのですが、散々歩いてやっとダンジョンに着いたと思ったら、周りのハンターがロギシーンの反乱の噂話を始めるではありませんか。ハントも満足にできないうちに、空手もいいところで王都に戻ってくる羽目になりました」

「そうか。今はどこも大変なことになっているからな。それで、今日は何の用だ?」


 ルカはテベスに国内情勢に関する情報提供の取引を持ち掛ける。


 いくらかの価格交渉で合意に達した後、私たちは飯場の上階へ行き、そこの休憩所でテベスが食事を終えるのを待つ。


 休憩室は、下の飯場よりは人口密度が低いものの不快な湿度の高さがある。それでいながらそこまで暖かくないのだから、休憩室の名を冠している割に居心地が良くない。


 居心地の悪さという意味でも先行き不安という意味でも休まらないまま待つことしばらく、食事を終えたテベスが上がってきた。


 ルカと私は頭を寄せ合い、手配師のぼうぼうの髭の中から飛び出す情報に耳を傾ける。

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