第五二話 元スモークゴーレム
「サナ、少し言いにくいのですが……」
「大丈夫。話して」
第三のアンデッドが何を言いたがっているのか私はもう分かっている。寸分違わず当たっている確信がある。
「ゴーレムの様子を見に行ってもいいですか?」
ほうら、やっぱり。
世界で最もこのワイルドハントに振り回されただけあって、小妖精に頼らずとも思考が読めてしまう。
「エキムムーラは死んだ?」
「いえ、昏倒して地面に倒れること十数秒の後、目を覚まし、来た道を戻って逃げていきました」
脅威のひとつは私たちを諦めたようだ。しかし、その場にはまだゴーレムが残っている。戦闘態勢移行後のゴーレムの危険度は毒壺で存分に理解している。
「危険はまだ残っている。私は賛同できない」
「シェンナゴーレムと違って、元スモークゴーレムはエキムムーラ逃走後、落ち着きを取り戻しています。現場に戻ってもゴーレムから攻撃される危険性は限りなく低いと思います。エキムムーラに関して言うならば、むしろゴーレムの周りにいたほうが安全かもしれません。エキムムーラを見つけたゴーレムは迷わずに殴りに行きましたからね」
毒壺で穏やかに共存していたシェンナゴーレムとクイーンヴェスパと違い、ポジェムジュグラの元スモークゴーレムとエキムムーラは仲が悪いようだ。ダンジョンで活動するゴーレムが必ずしもダンジョンボスに寛容とは限らない、ということだ。
元来ゴーレムというのは、どのダンジョンにも遍く配置されている存在ではないはずだ。亜精霊種のゴーレムと東の蛮族が造るゴーレムを別にすると、人造ゴーレムは古代遺跡発見時に一緒に見つかる、というのが通説だ。
ダンジョンも遺跡に近い側面があるのは否めないが、それでもやはり別物だ。毒壺とポジェムジュグラ、この二つのダンジョン経験のせいで私の中にあるゴーレム像はかなり様変わりしつつある。
大森林のネームドモンスターやドラゴンなども、実際に見たら心証が変わるものだろうか。元スモークゴーレムのように、実は意思疎通が可能ということは……。
うん、ないな。
大森林のネームドモンスターのことなど今はどうでもいい。考えるべきは、何でもありのダンジョンでの行動選択だ。
第三のアンデッドは、ゴーレム見たさに安い嘘をついている風ではない。『安全』と言ったのだから、この者たちにとってはそれなりに安全なのだろう。
それに、いかに反対しようとも、リリーバーだけでゴーレムの所へ行ってしまわれた日には、こちらの身が危うくなる。
「もし危険が迫ったらすぐに離脱してくれるのであれば、了承する」
「ようし。それでは行きましょう!」
言うが早いか、リリーバーは颯爽とゴーレムに向かって走り出す。
◇◇
ゴーレムの下に戻ると、煙は先ほどよりも数段薄くなっていた。視程はもうポジェムジュグラの普通の場所と変わらない。
私たちを視認したゴーレムがこちらに近寄ってくる。ゴーレムに感情なるものがあるのか分からないけれど、見知った人間を見つけて寄ってくる様は、再会に喜んで尾をブンブンと振るイヌを連想させる。
ゴーレムが立っていた場所のすぐ近くには、壁に不自然な凹みが生じている。おまけに凹んだ部分とその周囲には少量の血液と体毛がいくらか残されている。ゴーレムに殴られたエキムムーラがあそこに身体を打ち付けたに違いない。
深く陥凹し、幾筋もの亀裂が放射状に走る壁を見ると、ゴーレムの拳打の威力が推し測れるというものだ。
私がゴーレムに殴られたら、闘衣全開で万全の防御姿勢を取っていたとしても一撃で死ぬ。試すまでもなく明らかだ。エキムムーラはこんな打撃を浴びてよく生きている。耐久力だけで考えても、ダンジョンボスの名に偽りなしだ。
ゴーレムはルカの目の前に立つと、ゴーレム語を喋り始める。
「------、ルカ」
「あれ? このゴーレム。最後に『ルカ』と喋ったように聞こえました」
小妖精の読み取りのほうではなく、私の耳にもそのように聞こえた。
『名前を確認したい』
ゴーレムは認証したばかりのルカの本人確認を求めている。
「返事をすればいいのでしょうか。はい、そうです、ゴーレム君」
「------、ルカ」
「通じていませんね。ゴーレムは、再度全く同じ文言を繰り返したように聞こえました」
理解できない言語でも、たったひとつ聞き取れる単語が加わるだけで、途端に無意味な雑音ではなく、きちんと確立された言語らしく聞こえるようになるのだから不思議だ。
しかし、それでもまだゴーレムの言わんとする細かな部分が理解できない。
「この言葉、もしかして……」
ルカは額に片手を当ててゴーレムの求める細かい部分を思案し始める。
悩むことしばし、ルカがポンと膝を打つ。
「タク・ミ・シレン・ジェ・タク」
ゴーレムに続き、ルカまで謎の言語を喋りだした。ポーたん経由でルカの言語を訳すと、『同意』と言ったところだ。今、私は現代共通語、ゴーレム語、ルカ語の三つを取り捌いている。ダンジョンの奥深くで突然に多言語通訳をさせられるとは、誰が予想できる。
『認証に成功』
「おぉぉ、通じました」
ルカは小さく拳を握り、控え目にガッツポーズを作る。美人はガッツポーズもかわいい。
「もしかして、ゴーレムが喋っているのは……古代語?」
「現代共通語よりは古代語と考えるのが自然ですね。あ、また何か喋り始めましたよ」
「----------」
抑揚に乏しい無機質な喋りを聞き取るべく耳をそばだてる。しかし、ゴーレムが喋る言葉の中には、私が学んだ覚えのある古代単語は全く無い。
「『何を求めるか?』だって」
「それは自分の耳で聞き取ったのですか? 今までどおり、能力を使ったのですか?」
「全然聞き取れないよ。自分の耳では、何を言ってるのか全く分からない。そっちは?」
「私も全然聞き取れませんでした。多分、現代に伝わっている古代語の発音は、本来の発音からかなり変わってしまっているのではないかと思います」
ゴーレムが喋る言葉こそが本物の発音で、私たちが聞き知っている古代語の発音のほうは訛りに訛って、もはや別物になっている。
なるほど、ありそうな話だ。
「私たちはゴーレムの古代語を聞き取れないのに、私たちが話す古代語はゴーレムに伝わる。面白い。ちょっと私もやってみる」
教養として習った古代語を披露するため、頭の中に文章をひとつ作り上げてから声に出す。
「んん、できた。……ニェフ・パン・シピェヴァ」
『選曲は?』
私の求めにゴーレムは応えた。
「やったー、私の古代語も通じた!」
「『歌え』とは、サナもまた変わったお願いをするものです。しかもゴーレムも歌おうとしていますし、何ですか、この状況は」
「危ないお願いをするよりはいいでしょ。じゃあねー、じゃあねー。……ザレツァナ・ピョセンカ」
古代の曲目など聞かれて答えられるものではない。
こういう時こそ回答には頓知が求められる。
我ながら上手く答えたのものだ。
『付属物はどうするか?』
んー、ポーたんを介しても、ちょいちょいゴーレムが何を言わんとしているのか分からない。
ええい、分からないなら分からないなりに捌いてみせよう。
「ゾスタヴィエン・ト・チェビェ」
「曲目は『ゴーレムのお勧め』にして、『付属物』の意味するところは分かりませんが、伴奏形式のことでしょうか。これも『ゴーレムにお任せ』ですね。上手く逃げたものです」
「如才ないでしょ?」
情報魔法使いたるもの、情報の取り扱いでアンデッドたちには負けていられない。
古代語がゴーレムに通じた喜びと第三のアンデッドたちよりも円滑に意思疎通を行えた優越感を噛み締めつつ待つこと数秒、ゴーレムが耳をつんざく大音量で曲を奏で始める。
反射的に耳を塞ぐ。
「ズムニェイシャイ・グウォシノシチ!」
音の大きさに耐えかねたルカがすぐに音量を下げるよう命じた。すると音量は少しだけ下がるものの、元が大きすぎるだけにまだまだ穏やかに聞ける大きさになっていない。
何度か繰り返し音量低下を命じてやっと適度な音量まで下がり、ホッと一息衝いてゴーレムの鳴らす曲に耳を傾ける。
その曲は社会に不満のある若者が心をぶつけて歌うような、拍子も旋律も激しい曲だった。伴奏に合わせて聞こえる声は、先程の無機質なゴーレムの声ではなく、実際に人間の男性が歌っているかのようなリアルな歌声だ。ゴーレムの話す古代語よりも、よほど言語らしく聞こえるものの、これもやはり内容は聞き取れない。
ゴーレムの身体のあちこちから、赤、青、緑の色とりどりの光が点灯しては消え、ゴーレムは曲のリズムに合わせて踊っている。巨体に似合わず軽快な動きである。
曲の最後の盛り上がりには、背中から白煙が勢いよく上方へと吹き出し、ゴーレムの踊りに華を添えている。
「このゴーレム……」
「あのスモーク……」
「往時は祭典や行事の演出に使われていたんじゃ……」
生き生きと自分の役目を果たすゴーレムを見て、私と第三のアンデッドは同じ結論に達していた。
◇◇
一曲歌って踊り終えたゴーレムは、私が出した『チェカイ』つまりは待機命令に従い、微動だにせずこちらの次の指示を待っている。
「あの壊れていたスモーク機能が本来はあんな使われ方をしていたとは、思いも寄りませんでした」
「ずっとこのダンジョンで仕える相手が現れるのを待っていたのかな……」
ゴーレムの活動限界がヒトの寿命と同程度とは考えにくい。
古代語を話しているあたりからして、優に数百年以上、事と次第によっては千年以上ポジェムジュグラを彷徨っていたのではないかと思う。
「何か目的があってここに運ばれてきたのでしょうか。それとも役目を終えて遺棄されたのか」
「どっちにしても、かわいそうだね……」
「あまりシンミリとするのはやめましょう。そういう考え方をすると、我々があのダンジョンで大きな過ちを犯してしまったような気がしてくるので」
リリーバーが毒壺で破壊したシェンナゴーレムも、実は元スモークゴーレムと同じような存在だったのかもしれない。
破壊兵器として造られたゴーレムではなく、見る者を楽しませる平和利用を目的として造られたゴーレムを、有無を言わさず無慈悲に破壊したとあっては、第三のアンデッドたちとて気分は良くないだろう。
「せっかくですから、古代の曲をもういくつか聞かせてもらいましょう」
「あれれ。芸術を解する心は持ち合わせていないんじゃなかったっけ?」
「いい記憶力をしています」
「そういうのは忘れないんだ」
「芸術に触れたいという欲動ではなく、古代の文化に対する学術的興味です。勘違いしないようにお願いします」
コホンと控えめに咳払いするルカの所作から、ポーたんが目ざとく“意図”を拾う。
小妖精に頼らずとも分かる。第三のアンデッドは恥ずかしがっている。
私たちは一曲目よりもスローテンポの曲をリクエストし、古の調べを背景音楽として贅沢な休憩時間を取る。曲調に合わせて変化するゴーレムの今の踊りは、ゆっくりと左右に揺れるだけの穏やかなものだ。
揺らめきの柔らかさそのままに、ルカが婉然と話す。
「サナ。旅は辛いですか?」
いきなり何を問うのだろう、第三のアンデッドは?
……ああ、煙が濃くなってきた時の私の発言を気にしているのか。気回しアンデッドめ。
「ううん、そんなことはない。旅はすごく楽しい。さっきのは、少しむしゃくしゃしていて、自分を見失った発言だった。それに、お目にかかることすら難しい強い魔物を倒す現場に居合わせてみたい、という気持ちもあった」
あまり自分が惨めにならないように、かつ少しだけ本音を混ぜて回答すると、ルカは笑う。
「アシッド君に似てきましたね」
ううう……。
戦闘力について言及されるならいざ知らず、言動面という、あまりラシードとは比較されたくない部分を比べられてしまった。
言われてみると私は、毒壺でリリーバーがダンジョンボスとの最終決着をつけに行こうとした時のラシードと近似した言動をしてしまった。
あの時、私は横で成り行きを静観していたため、ラシードの危険な我儘にリリーバーがどれほど迷惑していたか、よく理解している。
日頃、内心で散々ラシードを馬鹿にしておきながら、自分も同じ過ちを犯したのだから世話はない。先人ラシードが刻んだ轍を踏んでしまった分、私のほうが、より愚かだ。
「師弟とは自然と似てしまうものなのかもしれません。昔、我々も二人と同じようなことをしました」
第三のアンデッドが、過ちを犯した私やラシードを自らの過去と比べ始める。
「あれは、我々に戦い方を教えてくれた師のひとりと遠出した時のことです。我々は何日もかけて探索を続け、目標としていた鳥の魔物、氷の翼の大物を見つけました。見つけたルドスクシュは、事前予想よりもずっと大きくて強くて、師は撤退しようとしました。その時、私は愚かにも『師であれば勝てる』と考え、師に逆らい無理矢理魔物と戦う方向に事態を動かしました。結果、魔物を倒すことはできましたが、最後まで師が撤退しようとした真意を理解することはできませんでした」
「……それが、今になってようやく真意を理解した?」
「エキムムーラから逃げる時に言ったとおりです。魔物を倒すことができた代わりに弟子が死ぬ、という展開を避けたかったから。そう思います。時間はかかってしまったけれど、ついに謎が解けた。そういう気分です」
第三のアンデッドの回顧は、自分に子供ができて初めて、親の気持ちを理解できた、という、ありがちな話によく似ている。
話せば話すほど、そんじょそこらのヒト以上にヒト臭いエピソードが出てくる。
「サナはクルーヴァのことが気に食わないのではありませんか?」
その一言は思いがけず私をドキリとさせた。そんな低俗な思考を一度たりともしたことはない。
「な、なんでそんなことを聞く?」
「急速に強くなるクルーヴァに嫉妬心や対抗心を抱いたのかな、と思いまして」
「それは思い過ごしに他ならない」
第三のアンデッドの推測を即座に否定したはいいものの、遅れて自分が嘘をついたことに気付く。
指摘されて初めて自分の感情を理解した。
思い過ごしでも何でもない。私は嫉妬している。
私を超えて急成長していくブルーゴブリンのクルーヴァを、私はいつの間にか妬んでいた。亜人に斯様な感情を向ける日が来るとは思わなんだ。
「心配しなくても、クルーヴァは苗木みたいなものです」
「苗木?」
「五歳くらいの、まだ小さな子供がいる親子三人の家庭を想像してみてください。ある日、両親が高く生育する苗木を庭に植えます。その苗木がスクスクと伸びていって子供の身長を越しそうになった時、子供はこんな心配するんです。『この苗木が僕の背丈を越したら、お父さんとお母さんは僕よりも苗木のほうが大切になってしまうんじゃないかな』と。でも、そんなことはありえないですよね。子供は宝、苗木は趣味です」
ちょっ……。いきなり何を……。
唐突に始まった例え話は、聞いているこちらが恥ずかしくなる、とんでもないものだった。
喋ったルカ本人は優しく、それでいて涼し気に微笑んでいる。恥ずかしさや照れとはまるで無縁だ。
おまけにポーたんまで、『精神の労り』と、例え話の裏にある“意図”を拾ってきては私を責める。
拾わなくていい!
解説されずともそれくらい分かる!
二方向から私を辱めるな!
なんで気紛れアンデッドのトンチキ例え話ひとつで、ここまで私が恥ずかしい思いをしなければいけないのだ。
ああ、暑い!
今日はやけにダンジョンが暑い!
野良エキムムーラが、そこいらで火でも吹いているに違いない。傍迷惑な魔物だ!
「あれ、ちょっと待ってください。サナの能力はともかく、戦闘力を鍛えているのは私にとって趣味のようなものでした。つまりサナもクルーヴァも苗木ということになります。この例え話は不適切でした。撤回します」
おい!!
私の感動をものの数秒でひっくり返すな!!
ポーたんも、『間違った』と“メッセージ”を拾ってこなくていいんだよ!
ああ、もうたくさんだ。
小妖精に“気配り力”なんてものは最初からないし、人心を解さぬ第三のアンデッドのほうは気配りしているつもりで私の心を弄ぶ。
例えとして上手かろうと上手くなかろうと、私はそんなものを求めていないし、どうせ心の機微知らずなアンデッドは次もまたこちらが身悶えしてしまうほど不適切な例えを閃くに決まっている。
即刻この話題はやめてもらおう。労りにも癒やしにも断じてならない。
「もうこの話は終わり。完全に終わり。絶対に蒸し返してはいけない。いいね?」
「もう少しだけ時間をください。いい例え話が思い浮かびそうなんです」
「終わり! 絶対終わり!!」
「あ……はい」
強い意志で例え下手アンデッドのくっだらない話に終了を宣言する。こういうときは別の話題を自分から出すに限る。
「話しておくべき気になることがある。ここ数日はセーフティーゾーンであまり人に会わない。今朝なんかは、セーフティーゾーンに誰もいなかった。なんでだろう?」
真面目な話題を振ると、ルカもすぐに真面目な表情へと切り替わる。
「やっと国が公式に認めたのではありませんか? ドラゴンが出現した、という事実を」
「それなら、キング作りは切り上げて、早く戻ったほうが良くない? 混乱に便乗するつもりなんだよね、リリーバーは」
「場合によっては、その混乱というやつの最後の一押しになるかもしれませんし、ドラゴンなんて誤情報に過ぎなくて、全部我々だけでやらなければならないかもしれません。スモークゴーレムの件で分かったでしょう? 人の噂などこんなもの……。当てにはならないのです」
その考え方は理にかなっている。
リリーバーが今日接触を持っていなければ、このゴーレムは明日も、明後日も、一か月後も、一年後もスモークゴーレムのままだった。
スモークゴーレムが煙幕を張っているのは他者との接触や戦闘を回避するため、というハンター情報にしたって、部分的にしか合っていない。
好戦的ではない、という解釈は偶然、正解していただけで、スモーク排出とゴーレムの非攻撃性に直接の関連はない。
噂は所詮、噂。たとえ一片の真実を孕んでいたとしても、全体はまるで不確かだ。
事実なんてものは自分の目で見るまで分からないし、自分の目で実際に起っている事やモノを見たとしても、事の裏にある真相を見抜けるかどうかは分からない。
第三のアンデッドたちの旺盛な好奇心と私の能力、この二つがあったからこそ、スモークゴーレムはスモークゴーレムでなくなった。
いずれか片方が欠けた状態、例えば私の能力無しでゴーレムと出会っていた場合、スモークゴーレムは実際に煙幕を張るゴーレムで、しかしながら、噂とは違ってとんでもなく好戦的なゴーレム、というかたちで理解の深化は止まっていただろう。
見る者次第で、“真実”もまた変わる。世界とは、それほどあやふやで混沌としている。
アリステルの『目に映るものが真実とは限らない』という箴言は時や場所を選ばぬ真理だ。
「実際のところ、国そのもののような得体のしれないものと正面から戦うつもりはありません。ただ、望まずともそうなってしまう可能性は考えておくべきでしょう。そのためには戦力が足りません。ゴブリンキングにはなれなかったとしても、クルーヴァにもう少し強くなってもらわないことには戦力として計算できません」
私よりも強くなったクルーヴァですら戦力としては計算外とサラリと言ってのける。
「それに、目的は楽しみながら達成したい、という思いもあります。合い言葉として掲げるならば、『適度な恐怖を適度に楽しむ』と言ったところです。勝算のない戦いは、『適度な恐怖』どころか『望み無し』であり、『楽しむ』どころではないのでダメです。私は戦闘力に劣っていますし、故郷からお借りしているサナを過度に危険な試みに巻き込むわけにもいきません。借りたものは壊さずに返す。これは常識です。七本の手足で、ある程度の余裕を持って私とサナを守りつつ、意のままに恐怖を捌く。それができて初めて、『適度な恐怖と適度な楽しみ』と言えるでしょう」
この者たちがやろうとしていることはかなりの難事だ。それに伴って勃発する戦いの熾烈さを考えると私の戦闘力は低すぎる。これは目を逸らせない事実である。
ずっと定位置にいるルカを除けばリリーバー最弱は私なのだから、申し訳ない限りである。今の私は二年前のラシードより少し強い程度でしかない。戦闘力として力になれるのはまだまだ先だ。早くもっと強くなりたい。
「本当にドラゴンが出現したのであれば、マディオフが本気になったところで一月や二月でどうにかできるわけはありません。そうすぐに事態は収束しないでしょう。ただ、あまりゆっくりし過ぎて機を逃すのも面白くありません。クルーヴァがアシッド君くらいの強さになったら、一旦地上に戻ってみましょう」
最後の王の間では、『勝負にならない』と言っておきながら、第三のアンデッドは正直な話、ラシードの実力をそれなりに評価していた。
クルーヴァの成長速度を考えたら、あの時のラシードの強さには、あと二週間くらいで到達できるはずだ。
二週間か。私が成長するには短すぎる期間だ。それでも、私も頑張らなければ……。
「サナ、張り切りすぎないでください。あなたは十分に急峻な成長を遂げています。焦って間違ったことをしたり、大怪我を負ったりしては元も子もありません。我々は身体欠損を直す術がありません。今のあなたは順調すぎるほど順調なのです。変に近道することは考えず、今までどおりの訓練に励んでください」
まるで心を読んだかのように注意されてしまった。無意識に気合を入れるジェスチャーをしたのが拙かった。
とはいえ、第三のアンデッドは二年間、私の成長を見守り続けているだけのことはある。私がどんなときに、どんな張り切り方をして、どんな失敗をしでかしそうか、よく見抜いている。
確かに怪我はよくない。ただでさえ下層の魔物は私よりも強いのだ。今まで安全第一で訓練に励んできた。その初一念を忘れないようにしよう。
それに、リリーバーが私の成長に気を回すのは、“辛酸”とは無関係な理由に基づいている。ぽんつくアンデッド風に言うなら『趣味』である。
私に期待しているのは情報力と機知であって、戦闘力ではない。訓練を施すのは、戦闘力として役に立ってほしいからではなく、マディオフに連れてきたおまけだ。小妖精を使える私が意を汲み間違って、逆に大迷惑をかける結果になってはいけない。
懸念があるのは私の側だけではない。リリーバーの側にも特大の不安が生じている。
どうも第三のアンデッドは私たちと一緒の時間を過ごすうちに、『私たちが好き過ぎて辛い』という状態に陥ってしまった模様だ。
厳しい訓練の裏側に隠れた庇護欲求、街中においてはまるで隠そうとしない過保護っぷり、そして今しがた披露したド下手くそな例え話。子供を溺愛するあまりに馬鹿になっている親と同種の香りがプンプンする。
リリーバーの敵である異端者との戦いの中で、うっかり私が攫われでもしたらどうなる。
想像の中のルカは、涙ながらに異端者に慈悲を乞う。
『ラムサスさんには絶対にひどいことをしないでください。ラムサスさんのためだったら、我々はなんだってしますからぁ……』
『ほう、なんでもか。ククク』
これまた想像上の異端者幹部が歪んだ笑みを浮かべてルカの身体に魔の手を伸ばし……。
……。
おおぅ……これはイケない。
悲惨な未来を回避する意味でも、リリーバーには私を絶対防御すべき確固たる理由がある。
より一層の堅守に励むがいいぞ。
それにしても不思議なことに、これだけ私たちを想う気持ちを表現してくれている、というのに、ポーたんはリリーバー各員の所作から『好き』とか『愛』という“メッセージ”を一度も読み取ったことがない。
私たちを想うフリをお為ごかしでやっているのであれば、ポーたんはそういう“メッセージ”を拾ってくるから、それは違う。
私たちに対するリリーバーの言動からポーたんが拾ってくる“意図”は概ね一貫している。
『私たちを強くする』
この一念に尽きる。
将来を輝かしいものにするために少しでも強くなってもらいたい。技術や知識を伝えたい。
そういったアンデッドなりの真心だけで動いているのだろう。
リリーバーの意識は私の『強化』へ向かいすぎていて、『好意』の“メッセージ”は読み取りの優先順位が下がってしまっているのかもしれない。
私にとっては全く意味のない、通りすがりの見知らぬ男女の愛の“メッセージ”ばかりではなく、たまには私への好意を拾ってきてもいいんだよ、ポーたん。
ラシードの“メッセージは”聞き飽きていても、リリーバーのメンバーからの愛の“メッセージ”なら一回くらいは聞いてみたいのに、小妖精は全く気が利かない。
◇◇
相互理解を深め合う有意義な語らいに興じながらゴーレムの奏でる音楽を数曲楽しんだ後、本格的にゴーレムと交流を図る。古代の情報を得るべく、現代版の古代語で問答を繰り返すのだ。
しかし、リリーバーの興味がある古代文化や古代技術の核心的な部分だとか、ゴーレムがここにいる理由のような大事な情報は、『情報規制』とやらで何も答えてくれない。
答えてもらえたことといえば、ゴーレム管理者の名前が『ルヴィエ・ロディエ』で、現代語に無理矢理訳すと『氷菓子大好き』という本名ではなくペンネームらしき下らない名前、ということとか、『あと少しで精石の魔力が枯渇しゴーレムの活動が停止する』けれども、その『あと少し』が数日なのか数年なのか、はたまた数百年なのかは分からない、という、情報的価値の低い、本当にどうでもいいことばかりだった。
リリーバーは別れ際にブルーグリズリーの精石やらクロールドラゴンの精石やら、複数個所持して予備がある精石をゴーレムに分け与える。
いかなる目的で精石を与えたのか私が尋ねると、ルカはさも自然な様子でこう答える。
「別れた後にすぐに活動停止されると、後味がひどく悪いではありませんか」
人工的に造られた道具に過ぎないゴーレム相手にあっさり情に絆される、ちょろいアンデッドだった。
第三のアンデッドのこういう部分があまり嫌いではないあたり、私も十分ちょろいのかもしれない。
◇◇
ゴーレムと別れた後、クルーヴァの特別強化を再開する。
エキムムーラが闊歩しているかもしれない、と思うと、私の索敵は一層慎重なものになる。ゴーレムの気配を背後に感じる間は、エキムムーラどころか通常の魔物すら、あまり見かけることはなかった。
下層を歩き、ゴーレムの気配を全く感じなくなるくらい離れた所から、少しずつ“いつもの下層の魔物”が出現するようになる。魔物と戦いながらも、エキムムーラの警戒を忘れない……などという芸当は私にはできず、今までと同じく全神経を集中して目の前の魔物と戦う。
ダンジョンボスへの注意は盲愛アンデッドに任せておけばいい。エキムムーラの気配を察したら、リリーバーは勝手に動いてくれる。
全力で過ごしていると、一日はあっと言う間に終わってしまう。ゴーレムと会った日のことも、すぐに過去の話になっていく。
もうゴーレムは延々煙を垂れ流し続けてはいないはずなのに、今でもポジェムジュグラの空気はガスがかかったように曇っていて視程が短い。ダンジョン全体の煙さと、ゴーレムが出していたスモークは、必ずしも関係ないことが分かる。
視程だけではなく、出現する魔物の種類もゴーレムに遭遇する前と同じだ。
ミノタウロスとギリギリの戦いを繰り広げ、スプリガンの魔法に翻弄され、ピンギキュラの蔓攻撃にいいように遊ばれながら、私は戦い続け、クルーヴァは成長し続けた。
下層に出現するリカオンゴブリンは、ゴブリンのくせにやけに強い。単体の強さはミノタウロス以下ながら、ミノタウロスよりもずっと大きな群れをなして姿を見せる。
いかにゴブリン種とはいえ、これほど何体も同時に出てくるのが許される強さではない。ゴブリンを名乗って群れるなら、もっと弱くあれ。
そんな愚痴を吐いたら、「リカオンゴブリンはゴブリンという名前がついているだけで、ゴブリンとは種どころか目からして違うのです」と教えられた。クロールドラゴンがドラゴン種ではなくてリザード種のようなものだ。
さすがはゴブリン使いアンデッドだけあって、ゴブリンと非ゴブリンの識別力にかけては侮れないものがある。
感心する私にゴブリンオタクアンデッドは、「その知識も師から授けてもらいました」と付け足す。
親から子に知識や経験、財産が連々受け継がれていくように、アンデッドもまた知識を繋いでいく。
ヒトの当たり前をいざアンデッドにやられると、途端に得も言われぬ不思議な感がする。そして、もっとむず痒いことに、その継承の流れに私が加わっている。
感慨深いようでいて、どこか遠慮したい。皮裏は複雑だ。
この独特に過ぎる第三のアンデッドたちを育てた『師』とはいかなる人物だったのだろう。私からすれば大師匠に当たる人だ。
この者たちはヒトとほぼ同等の存在だった時期があるらしいから、大師匠はヒトかもしれないし、従来型のアンデッドや新種のアンデッド、あるいは第三のアンデッドでも不思議はない。
アンデッドに属する存在ならば、大師匠は今も没することなく活動継続していることだろう。知識や経験はさぞかし豊富に違いない。
そういえば以前、ドゥキアを訪れた時、リリーバーはカヌーに船首像を作ったり、パドルの先に人形を作ったりしていて、その理由を『師の教え』と述べていた。そこから分かるのは、大師匠がそれなりに風流を解するか、茶目っ気のある人物だということだ。
純粋なアンデッドは一般に茶目っ気などないから、大師匠はヒトか第三のアンデッドである可能性が高い。
私も一度は大師匠と会ってみたい。
……。
訂正する。
会わなくていい。遠目で見られればそれでいい。
なぜなら、大師匠が純粋なアンデッドである可能性は零ではないためだ。
リリーバーとこれだけ行動を共にしていても、やはり純粋なアンデッドは怖い。
事実、純粋なアンデッドと思われるシーワは一度だけ私たちに心無い剣を撃ったことがある。オルシネーヴァから審理の結界陣を返してもらい、ジバクマへ戻る道中の話だ。
このマディオフ行で大師匠の下を訪れる機会があるならば、私は近くからではなく遠巻きに再会を見守ろう。
そして第三のアンデッドたちが大師匠に手玉に取られる様をたっぷりと堪能する。
よしよし、楽しみが増えた。
辛い辛いマディオフ行なのだ。期待がひとつ二つなくてはやっていられない。




