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第四八話 王都の風説 一

 変わらぬはずの我が家でいつもの夕飯をやや緊張しながら食べ、その後、少々の休憩を取る。


 夜が完全に更けてからが私の時間だ。もはや恒例と化した夜の役所巡りを、マディオフの王都に来て以来初めて行う。


 役所を訪れた私たちは早速苦戦する。さすがはマディオフ王都だ。一筋縄ではいかない。


 侵入そのものは問題なくとも、お目当ての書類が、これでもかというほど多い。小妖精の能力で役立ちそうな重要書類のみを選別しても、重要書類がこれまた多い。


 今はまだ情報集めの初期も初期、本命情報の在り処を突き止めるために何でもいいから手当たりしだい目を引く情報をかき集めている段階だ。集めた情報を今後、自力で一つひとつ精査、吟味してふるいおとしていくのかと思うと、アンデッドの無限の持久力をもってしても気が遠くなる。


 一遍に全部をこなそうとしてもまるで現実的ではないため、ある程度の区切りが必要になる。


 書類を漁って一定の満足がいく量の情報を収集したら、今度は手に入った情報を元に上級の役人の家を訪ねる。


 お客様が来ているというのに、立派に肥え太ったマディオフ人はスーピーと呑気に鼻息を立ててベッドの中で深い眠りに就いている。


 それを私はイデナの背の上から見下ろす。


 こいつがニグンたちを苦しめた異端者(ヘレティック)の一員かもしれない。


 そう思っただけでむかっ腹が立ってくる。


 今はまだ周辺情報収集の段階だから、この安眠デブが犯人である可能性は低い。だが、人が夜を徹して仕事をしているというのに、魔法や薬の影響下にあるにせよ、容疑者候補ときたら幸せそうな顔で寝具に(くる)まっているのだ。腹のひとつも立つだろう。


 ほうら、ワイルドハントと情報魔法使い様の夜間臨検だぞ。精々、悪い夢でも見て苦しめ!


 ……と、寝ている人間相手に心の中で悪絡みしつつ、調査は調査でクールにこなす。活躍の場が得られて、トゥールさんは、きっと内心喜んでいる。


 第三のアンデッドが私に求める調査項目は主に二つだ。


 ひとつ目は、調査対象が役人という立場を悪用して不正に手を染める奸吏かどうか、という点である。


“一問目”に該当しなかった者は一旦、無罪放免となり、夜間調査の対象から外れ、該当者だけが“二問目”に移行する。


 調査項目の二つ目は、外国と通謀しているかどうか、という点である。


 何人か調査を進めるうち、この国の役人は誰しも少なからず不正に関与している、という現実が明らかになっていく。


 違法な就職の口利きだったり、談合の指揮だったり、横領だったり、収賄だったり、どこの国でも役人というものはすぐに悪に染まる。


“一問目”は、無数に存在する調査対象をグッと絞り込むためのものだったが、実際のところ全く用をなさないと判明し、すぐに御役御免となった。




 不正役人は多くとも、国際色豊かな不正に手を染める奸吏は案外と見つからない。


 やっと私の能力が輝くこの戸別訪問調査も、私の出番は悲しいほど短い。ルカが錠破りに四苦八苦している時間や、移動時間のほうがよほど長く、その間、私は手持ち無沙汰となる。


 すると、呼ばれてもいないのにやってくるのが眠気である。


 鉄の精神力で甘い誘いを固辞して調査を進めていくと、外国と通謀している役人が見つかる。


 記念すべき第一売国奴だ。


 眠気が一気に吹き飛んでいく。


 はてさて、こいつは一体、どこの国に祖国を売り渡しているのやら。


 オルシネーヴァか? ゼトラケインか? ジバクマというオチは止めてくれよ。


 期待と不安の両方を抱きながら“質問”を重ねる。




 結果、判明した通謀先は東方、遥か遠方の国ゴルティアだった。ゴルティアは本当に見境なくどこにでも魔手を伸ばす。


 この国賊を綿密に調査することでゴルティアがマディオフに対して打っている工作活動の全貌が見えてくるかもしれない。


 そんな淡い期待を抱いて、更にいくつか“質問”を重ねるも、国賊の姿を“転写”したトゥールさんはロクに返答しない。


 トゥールさんは嘘をつかない。黙秘もしない。


 黙っているのは、この国賊がゴルティアの思惑や手の内をまるで把握していないせいだ。職務上、知り得た情報をちまちまと外国に売り払い、大して高くもない賄賂を受け取るだけのちんけな悪党だ。


 巨悪ではないのだから、マディオフからすれば不幸中の幸いかもしれないけれど、こちらは困る。調査が(ろく)すっぽ進展しない。


 大国ゴルティアが設けたマディオフの情報源が、こんな小悪党ひとりということはあるまい。むしろ、情報源ひとりあたりから流出させる情報量の少なさからして、ゴルティアは相当多くの情報源を持っているものと推測される。


 私に問題の根深さを告げられても、第三のアンデッドは気落ちしない。第一売国奴には固執せず、「今はボンヤリとでも全体像を把握することが大切です」と言って素早い心の切り替えをみせ、次の売国奴を求めてさっさと次の家へ向かう。




 しかしながら、回転率重視アンデッドがサクサクと話を進めても、夜の緞帳が下りている限られた時間に調査可能な人数はたかが知れている。


 一夜目は結局ひとりしか売国奴が見つからずに終了となる。


 そのまま早朝ハントに出向き、休憩時にフィールドの真ん中で少しだけウトウトして、日没と共に都内に戻る。


 夜が更けたら、二夜目の調査開始だ。


 その日も夜通し戸別訪問して、二人目の裏切り者を発見する。


 残念ながら、二人目も私たちを唸らせる重要度の高い情報を取り扱っていなかった。その後はいくら探しても、第三売国奴は見つからずに夜が明ける。




 二日かかって見つけた通謀者は二人だけ。そのいずれも、調査の進展に繋がらなかった。最初から長期戦を見込んで始めた調査とはいえ、出足好調とは言い難い。


 私なら二日の成果の少なさだけで見切りをつけ、調査に変化を加えることを思案する。


 毒壺を思い返しても第三のアンデッドたちは気長だから、やり方を変えようと自分から言い出すのは一か月先か、半年先か……。


 第三のアンデッドはそれでよくとも、私には三年という期限がある。期限内に確たる成果を収めたい。


 第三のアンデッドが焦らずとも、一週間くらい経ったらこちらから変化を提案しよう。


 そんなことを朧に考えながら、白みだした空に誘われるように寄せ場へ向かって歩いていく。


 状況が一変することになるとも知らず……。




    ◇◇    




 寄せ場は人が多い都内でも特に人口密度の高い特殊な場所だ。その日の仕事を探す日雇い労働者( ワーカー )たちの雰囲気は、昼間に都内を歩く一般人とは違った独特のものがある。


 ワーカーが独特であれば、ワーカーに仕事を仲介する手配師(ブローカー)もまた出で立ちからして風変わりだ。寄せ場で見るからこそ、『あ、この人は手配師だろうな』と察しがつくようなものである。


 広い王都には手配師も一〇人や二〇人ではなく数多くいるわけで、私のまだ見たことすらない手配師がいくらでもいる。そんな見知らぬ手配師に寄せ場でも何でもない所で会ったとしても、手配師とは到底気付かない。


 女の手配師もいるが、割合は男のほうが圧倒的に多い。そしてなぜか男の手配師はみんな風体が胡散臭い。住所不定っぽい手配師、違法薬物の売人(プッシャー)っぽい手配師、懸賞金でもかけられていそうな手配師、目が合っただけで殴りかかってきそうな手配師、結婚詐欺が得意そうな手配師、とにかく誰しも見た目からして癖が強い。


 そんな手配師に負けず劣らず不審な見た目のリリーバー一行は案件を受注する日もあれば、何も受注せずにフィールドに繰り出す日もある。一見、好き勝手に仕事を選んでいるようだが、実際はそれなりに一貫した尺度があるのだろう。


 私はまだ手配師が話す寄せ場用語を完全に聞き取れないので、第三のアンデッドが採用している尺度を推し量れない。


 私たちの表向きの立場が、どこの街でもごく一般的に見られるシルバークラスのハンターパーティーである以上、人足が少し必要な点以外は、総合的な難度がさして高くない案件に限って受注しているものと思われる。


 こういう特殊な状況でさえなかったら、バリバリ稼いで、豪奢な家に住んで、家事の一切を使用人任せにすることだってできただろうになあ……。


 詮のない空想をしつつ、私は盛大に欠伸(あくび)をする。軍人の身分だと、民間人の目がある場所ではうっかり欠伸のひとつもできないが、ここはマディオフだ。公僕として体裁を取り繕う必要はない。


 眠ければ、人前で顎が外れるほどの大口を開けて欠伸(あくび)をしたって構わないのだ。


 ふあ~ああぁぁ……。


 夜間調査をしつつ朝の寄せ場にも連日、顔を出すものだから、眠くって仕方ない。


 第三のアンデッドも睡眠不足はよく分かってくれているから、今日もフィールドで仮眠時間を設けてくれる。それまでの辛抱だ。


 とはいえ、やはり眠いものは眠い。眠気を少しでも遠ざけるため、久しぶりに自分で身体のどこかを(つね)って痛みでも与えようかと思案する。


 だが、そんなことをするまでもなく潮が引くように眠気がなくなってしまう。到着した寄せ場には、瞬時に眠気を吹き飛ばし、代わりに危険意識を呼び覚ます不穏な空気が漂っていた。


 ワーカーたちの様子が前日までとまるで異なっている。強張った面持ちから伝わってくるのは、仕事探しとは全く別種の切迫感だ。


 ワーカーたちは、まるで恐怖心を隠そうとするかのように、普段以上に大きな声でワーカー仲間と何かを語り合っている。


 寄せ場に集うワーカーというのは、一括(ひとくくり)にするにはあまりにも雑多な集団だ。私たちのようにハンター業に勤しむ者は、ワーカー全体からすればごく一握りで、建設系の仕事やら、清掃業務やら、引っ越し作業やら、工場の臨時作業員やら、警備員やら、小売店の販売員やら、時には高度な技能を要求される高日当の職人案件やら、本当に様々だ。


 本来なら一堂に会することのない多人種が集う場所でもあり、どのような業務に従事しているかによって、口にする話題はまったく違う。


 それなのに、今日の寄せ場に集まった無数の口は、とあるひとつの単語を繰り返し唱えている。


 しかし、いずれもうるさい寄せ場の話であり、聞き間違いの可能性は否定できない。


 私の理性は、聞き間違いに一票を投じる。


 私の感情も、聞き間違いに一票を投じる。


 そうだ。聞き間違いだ。


 この時代に、再び現れるわけがない。


 自分の心にそう言い聞かせ、前を歩くルカの背中に遅れぬように付いていく。


 真偽不明の寄せ場の噂話など聞きたくない。


 雑音に耳を傾けぬよう意識に蓋をして歩くものの、私たちの隣に立つ男数人が狙いすましたように大きな声で話し始める。


 雑談には相応しくない大声が、進入不可の封を破って私の耳に飛び込んでくる。


「大森林にドラゴンが出た」


 これだけ大きな声で滑舌良く言われてしまうと、もう聞き間違いと自分の心を誤魔化すことはできない。


 まさかの思いでルカの前に回り込んで表情を窺うと、ルカもまた他のワーカーたちと同じように険しい表情をしていた。




 私が真っ先に疑ったのは、ドラゴンとリリーバーの黒い繋がりだ。だが、ルカはほくそ笑んでなどいなかった。


 ドラゴン出現は、“復讐”でも“罰”でもない。リリーバーにとっても純然たる想定外の出来事だった。疑惑の解消によって、ドラゴン出現の報は見事、本物の一大事に昇華を果たした。


 誤報ではなく確報だとするならば、大森林の大氾濫(スタンピード)大発生ヒュージアウトブレイクによるものではなく、ドラゴン出現の余波と考えて間違いない。


 こうなると、もうマディオフ一国の問題ではない。大森林の東側、ゼトラケインも大変なことになっているはずだ。


 現れたドラゴンがこの先ずっと大森林でおとなしくしてくれるならば、まだいい。もし、それが活動性の高い若いドラゴンで、色々な場所を飛び回りだした日には未曾有の大惨事となる。被害がジバクマにまで及ぶかもしれない。


 大森林は他の地域とは比較にならないほど自然魔力( マナ )が豊富な地点と言われている。ダンジョンを思い出せば分かるように、強い魔物ほど自然魔力( マナ )が潤沢な場所を占有するものだ。ドラゴンが大森林を出て遠くジバクマまで飛来することはないと思いたい。けれども、かの有名な“シレスタルプ”の例がある。


 あの時は事情が事情だったから、ゼトラケイン王国とジバクマ()()の連合軍が結成された。


 ドラゴンの古老シレスタルプは、ゼトラケインとジバクマの間に広がるキルバディア山脈を根城にして各地を飛び回り、執拗なまでに人の住む街を襲っては破壊の限りを尽くした。


 当時はまだライゼンの名を冠していなかったジバクマのクフィア・ドロギスニグ、ゼトラケインの国王ギブソン・ポズノヴィスク、そしてゼトラケイン最後のヒトのブラッククラス、ナギス・フラーネケルが協力し、二国が総力を挙げて戦った末になんとかシレスタルプの討伐を成し遂げた。


 生きて凱旋を果たした主力三人はドラゴン討伐者(スレイヤー)の異名を冠した。


 今でも巷で語り草となっている三名のドラゴンスレイヤーズのうち、長命なのはドレーナのギブソンだけ。ライゼンもナギスも種族はただのヒトだ。


 ナギスはシレスタルプ討伐の二〇年後に寿命で亡くなった。ブラッククラスの戦闘力があっても、命の蝋燭(ロウソク)の長さは普通のヒトとそこまで変わらなかった。


 残るもうひとりのヒト、ライゼンは平均寿命を大きく超えて未だに存命だ。しかし、寄る年波には勝てず、だいぶガタがきている。


 それに、大森林はジバクマから遥か遠い、ジバクマとは何の関係もない土地だ。キルバディア山脈を起点に暴れまわったシレスタルプの時と違い、強制力を伴う国家要請がライゼンにくることはない。仮に何らかの国家間契約が結ばれてライゼンに要請が来たとしても、応じる義務や義理はない。


 当時のドラゴンスレイヤーズ三名中、今回のドラゴン討伐に挙手する可能性があるのは、ギブソンただひとりだ。


 では、ギブソンひとりでドラゴンをどうこうできるか、というと、おそらくそれは無理だ。たとえ最強のドレーナであっても、ひとりではドラゴンに太刀打ちできないからこそ、国を越えてドラゴン討伐隊が結成されたのだから。


 ならば、ゼトラケインとマディオフが一時的に手を組むだろうか、というと、それもまた疑問だ。


 ゼトラケインはまだギブソンがいるにしても、マディオフにはブラッククラスがいない。ミスリルクラスの人材は他国から妬まれるほど恵まれているものの、ギブソンの横に立ってドラゴンと相対できる逸材は皆無だ。


 ゼトラケインにとって今のマディオフは共闘する価値が低い。仮に協力関係を結んで互いに惜しみなく戦力を投入したとしても、ドラゴン討伐には届かずに終わる可能性が濃厚だ。


 今なお苦境に喘ぐジバクマには様々な面で余裕がほとんどないけれども、万が一、この新たなドラゴンがジバクマに飛来して害をなしたとしても、ライゼンとリリーバーが力を合わせさえすれば、追い返すくらいだったらなんとかできそうな気がする。




 ドラゴンという単語ひとつに色々と考えてしまうのは、私だけではない。第三のアンデッドたちもまた何かを考えている。


 ルカがぼそりと(つぶや)く。


「ドラゴンが出現した、となると、大森林の魔物は並個体だけでなく、ネームドモンスターも引っ越しを始めているかもしれませんね」


 不穏な言葉が私をぞっとさせる。


 なるほど、確かにそうだ。


 大森林の脅威は無数の並個体が織りなす大群(ホード)だけではない。あの禁断の森には畏敬と共に固有の名前を与えられた魔物たち、ダンジョンボスと同等か、それ以上の人智を超えた力を持つ手出し無用のネームドモンスターが何柱も生息している。


 その筆頭、大森林最強のネームドモンスターといえば、レッドキャットの大個体……。


「“ツェルヴォネコート”とかだよね」


 口にするのも(はばか)られる畏れ多い固有名詞に、ルカは小さく頷く。


 レッドキャットの並個体ですら、瀕死寸前まで弱っていないと私では太刀打ちできない驚愕の強さがある。その大個体ともなると、それこそ想像を絶する。


 討伐どころか抵抗すら満足にできない、『接触、即、死』の絵しか浮かばない。


 ネームドモンスターを想起すると勝手に浮かび上がってくるのは、私が人生で唯一、直視したダンジョンボスのクイーンヴェスパだ。


 毒々しく彩られたあのおぞましい巨体は今でも私を震え上がらせる。


 クイーンヴェスパの討伐にはリリーバーですら百日に迫る長い日数を要した。


 マディオフでは、軍なりハンターなり、大森林の大氾濫(スタンピード)に対応できる精鋭揃いの討伐隊が編成されていることだろう。では、はたしてその精鋭部隊は、ドラゴンは無理にしても、ネームドモンスターであれば対応できるものだろうか。


 ドラゴンの話を抜きにしても、大氾濫(スタンピード)が起こった時点でネームドモンスターが波に加わっている可能性は決して少なくないわけで、その大氾濫(スタンピード)に対応するための部隊なのだから、ネームドモンスターと遭遇する際のこともそれなりに想定しているはずだ。


 ここでやおら軍人的思考が頭を(もた)げる。


 戦力配置を考える際、一点を厚くする、ということは、他の点が脆薄(ぜいはく)化することを意味している。これを大氾濫(スタンピード)に当てはめるならば、討伐隊が結成された時点で大森林の周囲以外には、マディオフから強者がいなくなる、ということだ。


 大森林があるのはマディオフの国土北東部分で、その反対側の南西方向にあるのがオルシネーヴァ王国、南側にあるのはジバクマ共和国だ。マディオフがいかに隙を晒そうとも、マディオフと関係良好なオルシネーヴァが突如、マディオフに牙を剥くとは考えにくい。


 ジバクマにしても、滅亡寸前の局面をようやくなんとか乗り切ったばかりで疲労の極致にある。グルーン川という自然構造の存在を考えても、マディオフに戦争を仕掛けるはずがない。


 では、ゴルティアはどうだ。国力には戦争開始に十分な余裕がある。しかし、開戦にあたって重要な要因のひとつが国家理念だ。マディオフに降りかかる災厄の元凶がドラゴンである以上、ゴルティアは当分マディオフに攻め入らないはずだ。


 私の理性は、『天変に乗じてマディオフを貪り食らおうとする卑劣な国家はないはず』と考えている。しかし、それでもなぜか不安が拭いきれない。




 不安を突付くようにルカがもう一柱、ネームドモンスターの名前を挙げる。


「他には、“バズィリシェク”とかですね」


 バズィリシェクと言えば有名なスネークの王だ。しかしながら、鳥によく似た外見をしているという逸話もあり、実態は不明である。


 真相を解明したいという探究心に駆られて大森林に足を運び、バズィリシェクの瞳に魅入られると、ミスリルクラスのハンターですら魔眼によって石化されてしまう。


 このあたりはもう軍事情報でもハンター情報でもない。小さな子供に大人気のお伽噺であり、どこまでが事実でどこまでが創作か、誰も知らない。知っているのは物言わぬ石と化したバズィリシェクの被害者たちだけだ。


 ドラゴン(しか)り、ツェルヴォネコート然り、バズィリシェク然り、できることなら死ぬまで遭いたくない魔物ばかりだ。


 ドラゴンが空を翔け、最強のレッドキャットは垂涎して地を駆け、最凶のスネークが舌舐めずりして這いずり回る。


 何ということだ。


 マディオフはもう、魔が蔓延(はびこ)る死の国と成り果てている。


「それを倒しに行く、なんて言い出さないよね?」

「挑戦心があることは否定しません。ただ、我々には今、別の目的があります。挑戦心が目的意識を凌駕するほどの強いものではないことも付け加えておきましょう」


 パーティーが危険に向かって舵を切らないと聞けたのは何よりだ。それでも、危険のほうからこちらに向かって勢いよく流れてくるおそれも少しばかり考慮しておくべきだろう。


 討伐隊が決壊でもしようものなら、三年を待たずに是非ジバクマへ帰ろう。ジバクマの地上にもネームドモンスターは何柱だっている。


 パーティーの目的が変動してネームドモンスター討伐がしたくなったら、マディオフに固執せずジバクマで思う存分それらと戦えばいい。ジバクマは危険な魔物を駆除できて、ワイルドハントは挑戦心が満たされる。一挙両得だ。


 でも、待てよ。そうすると私は……。


「この新しい情報を踏まえて手筋を考えると、キングは想定を上回る万能札(ワイルドカード)になるやもしれません」


 大氾濫(スタンピード)が起こって以来、目立った動きのないブルーゴブリン、クルーヴァの“王成り”についてルカは言及し、(いびつ)な笑みを浮かべる。そして、私に同意を求めるでもなく自分だけひとしきり頷くと、ひとりの手配師を指差した。


「彼を()()ほしいです」


 ルカの短い言葉からポーたんが“メッセージ”を拾う。その心は、『あの男からドラゴンの情報を抜き出せ』と言っている。


 ルカに指差された手配師は、正面から見ると顔の面積の半分以上が(ひげ)で占められている人相不良な男だ。


 王都に来てから、ルカはこの手配師と一度だけ会話を交わした。ほとんど挨拶ばかりで、案件は受注しなかった。名前はテベスと言ったか……。


 言われるがまま、トゥールさんに手配師の姿を写し取らせる。トゥールさんの黒く沸き立つ(もや)の身体に、悪党じみたテベスの外見が上書きされていく。


 うっかり衝動的に逮捕したくなるほど不良な外見に変わり果てたトゥールさんに“質問”を重ね、手配師が持つドラゴンの情報を調査する。


 マディオフ王国の今後の動向や外国情勢、リリーバー一行が取りそうな行動など、山ほどある考えておきたいことのあれこれは一旦横に置き、第三のアンデッドが望むドラゴン関連の情報を抜き出すのに適切な“質問”を冷却時間(クールタイム)のうちに全力で考える。




    ◇◇    




 有用な情報をあらかた集め終わっても、朝の急場はまだ終わらない。トゥールさんへの“質問”は私の発想や機転が肝心で、私の思い至らない部分は必然的に調べられない。


 そういう部分は、むしろ小妖精を通すのではなく、口頭で直接話したほうが、あっさり情報として得られることしばしばなのだが、口入れやら人夫出しやらが終わらぬうちは、テベスと会話も何も不可能だ。


 そこで、寄せ場から少し離れた場所へ行き、入手した情報をルカへ伝える。


 要点だけ列挙すると、ドラゴンの犠牲者は現時点で零、ドラゴンの年齢、強さ、生まれ、遍歴等、個体特有の情報は一切不明、ただし、ドラゴンが出現したことだけは噂ではなく紛れもない事実、といったところだ。


 手配師ですら、手にしている情報はそれほど多くない。


「なるほど……。手配師にとっても速報中の速報で、詳細はまだ何も判明していないのですね」


 ルカは気落ちする風もなく淡々と頷く。


「本気でドラゴンの情報を欲するならば、人に頼るよりも自分たちで調べに行ったほうが早くて正確でしょう。……が、今はそれよりもキング作りに本腰を入れることにします」


 一行は方針説明も中途半端に、活況の続く寄せ場に完全に背を向けて歩き出す。


 その背中を追いながら私は思う。


 出現したドラゴンの討伐を考えないのは、自分の身の安全を考える意味でも同意可能ではあるが、よもや混乱に便乗してゴブリンキングを生み出していいのだろうか。世が太平を謳歌していたとしても、ゴブリンキングの発生はそれだけで一大事だというのに……。


 リリーバーと私のこれから歩む道は、真っ赤に濡れた血道だ。血を流すは、憎き異端者(ヘレティック)ばかりではない。罪なきマディオフの民も大量の血を流すことになる。


 いかにワイルドハントとはいえ、ニグンや新種のアンデッドたちは、本当にそれを望んでいるのだろうか……。




    ◇◇    




 そのまま、まっすぐにフィールドに向かうのだろうな、という私の予測は大きく外れ、寄せ場を後にした一行が最初に訪れたのは先日契約を結んだばかりの大家、オスカル・マズルの下だった。


 蚤起(そうき)な大家もいるもので、こんな朝早くから家庭菜園の手入れをしている。


 オスカルの家は都心ど真ん中からやや外れた場所にある。一等地とまでは言えなくとも、都内で贅沢に菜園を設けられるほど広い敷地を持って暮らしているのだから、オスカルの財力が窺える。


 菜園で穫れた作物の大半は自宅で消費するらしいが、食費の削減に与える影響など微々たるものだろう。菜園などにせず、誰かに土地を貸したほうが、よほど収支は改善する。つまりは、ただのオスカルの趣味に他ならない。


 オスカルがこの場所に本居を移した最大の理由は、菜園ではなく、都心の人の多さに嫌気がさしたからだ、と先日言っていた。


 ルカが庭仕事に精を出すオスカルに元気良く挨拶する。そして、そのまま寄せ場で得たばかりの情報を共有すると同時に私たちの今後の動きをざっくりと説明し、さらに頼み事をする。




 曰く、ドラゴン出現の影響で大氾濫(スタンピード)が起こり、フィールドの状況は凡ハンター集団であるリリーバーにとって芳しくない。大きく金を稼ごうと思ったら遠出せざるをえない。そうなるとしばらく家が無人になる。


 越してきたばかりのリリーバーには留守を頼める知人、友人が王都にいないから、借家の留守を大家に頼みたい。たまに借家に小間使いでも走らせて目通ししてほしい。




 要求を手短に告げたルカは、向こう半年分の家賃を納めた包みをオスカルへ差し出す。


 オスカルは泥のついた手を手拭いでキレイにすると、迷いなく家賃を受け取って領収書を書く。


 書き上げた領収書はなぜかすぐにこちらへ渡さず、ヒラヒラと風に揺らめかせながらルカと話を続ける。


 何のことはない動作だが、ポーたんはそこに隠された“意図”を見逃さない。


 オスカルは領収書を人質代わりにして、私たちをその場に釘付けにしようとしている。


 その目的は、ルカとの会話を長引かせて寄せ場情報の信憑性を確かめることだ。ドラゴンを見なくなって久しいこの時代に、ドラゴンが出た、と聞かされて、はいそうですか、と納得する人間も珍しいだろう。


 悪人面の手配師テベスはドラゴン出現を確報と判断しており、ニグンたちもなぜかそれを信じている。


 半信半疑なのは、オスカルだけではない。私もまた誤報の可能性を捨てきれていない。


 一応、留守中の借家……大家からしてみれば貸家の管理については、心底気色の悪い下卑た笑みを浮かべながら快諾してくれた。




    ◇◇    




 家を空ける準備を整えた私たちはドラゴンの激震に狼狽する王都を後にする。


 向かうは大森林の位置する東の方角ではなく、真逆の西の方角だ。


 王都からそこそこ歩いて周囲に人の気配がなくなると、それまで抑えていた感情が(にわか)に熱を帯び、つられて湧き上がった不満が口から飛び出す。


「しばらく住むのだと思って、せっかく頑張って家の掃除をしたのに!!」


 最初に出てくる不満がそれなのか、と我ながら驚いてしまう。


 ひとつ不満が出ると、別の不満まで次から次に噴出する。


 ドラゴンが出現したせいで掃除が無駄になった!


 買い揃えた家具はまだ全然使っていない!


 せっかくベッドで眠れて、人並みの食事ができる生活を手に入れたと思ったのに、全てふいになった!


 夜間調査が始まって、ようやく私の能力が役に立つ局面に突入したのに、それもなくなった!


 考えれば考えるほど腹が立つ。


 私の怒りは計り知れないぞ、ドラゴン!


 怒り猛る私を、何とも言えない顔でルカが打守る。


「もしかして、ドラゴンと聞いて動揺しています?」


 第三のアンデッドは私の言葉を額面通どおりに受け取っていないようだ。不満を『純粋な怒りの発露』ではなく、『不安に端を発したもの』と考えている。


 動揺?


 ある意味では指摘どおりかもしれない。ドラゴン出現の報はマディオフ国民だけでなく、私の心にも大きな衝撃をもたらした。それにより、普段であれば表層意識では知覚でない、深層で(くすぶ)るかすかな不満が増幅された可能性は否定できない。


 何にしても、全ての原因はドラゴンだ。私は何も悪くない!


「あるいは、借家が気に入ってしまいましたか? 大丈夫。また戻ってきますよ。だから家賃を先納したのです」


 不安と怒りを和らげるべく、第三のアンデッドは私の喜びそうな言葉を選ぶ。


 私を気遣う姿勢は正解だ。ただ、もう少し私の心の叫びが意味するところを正確に理解できるよう、今後もたゆまぬ努力を続けるべし。


 第三のアンデッドは不出来ながら健気なところを見せている。冷静沈着であるべき情報魔法使いの私が感情的になってはならない。


 たっぷりと大きな息を吐いて心を強制的に落ち着かせる。


「ふう……。それなら、どれくらいで戻ってこられそう?」


 私に問われルカの目が斜め上を向く。


「それは……クルーヴァ次第です。早ければ一か月くらいで戻ってこられるでしょう」


 私たちが目指しているのは王都の西、少し遠い場所にあるダンジョンだという。ダンジョンに潜ってクルーヴァの強制育成(パワーレベリング)を行う算段だ。


 ダンジョンの内部はおしなべて魔物の密度が高い。魔物の密度が低かった王都近辺のフィールドでのハントに比べて、遥かに質の高い戦闘訓練ができるだろう。


 しかも、それなりに急ぐ気持ちがあるらしく、街道から逸れて人から目撃されるおそれを完全に断ち、ここぞとばかりに背負子を取り出す。


 今は非常時だ。人目よりも、騎乗移動中に遭遇しうる突発的な事態のほうが私としては気がかりだ。パーティーの隊形を改めて俯瞰する。


 現在、私とルカ、それにクルーヴァの三人がそれぞれイデナ、フルル、ニグンの三人に背負われている。


 突然、何かが起こった場合、乗せる者、乗せられる者の両方が、非騎乗時に比べて反応が遅れてしまう。それでもシーワ、ヴィゾーク、ノエルの三人は身体も手も空いている。


 シーワとヴィゾークはリリーバー最強の二人だから、この二人さえ即時対応できる状態を保っておけば、基本的には問題ないだろう。


 それでも非常時である以上、油断は禁物だ。


 私たちが向かっているのは、ドラゴンとは逆方向だけれども、実は、ドラゴンがこの世に再び降臨したのには何か明確な原因があり、その“何か”が私たちの進む道にいないとも限らないのだから。

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