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第四七話 ヤプコスナック 二

 住環境整備という名の偽装工作が一区切りつき、四日目からやっと自宅を足がかりにして外へ活動の場を広げられるようになる。ただし、偽装に終わりというものはない。これからも毎日続く。


 新種のアンデッドが真に欲している情報はその特性上、人目のある日中に捜査するのに全く向いていない。そこで、日中は王都から出て、最寄りのフィールドでハントや訓練を行う。偽りの身分に忠実な、これもまた一種の偽装工作である。


 だだっ広い王都では自宅とフィールドを往復するだけでもかなりの時間がかかる。しかも、時間をかけて辿り着いたフィールドに出てくる魔物は弱くて絶対数も少ない。


 真面目にハントして獲物を売り捌いても得られる金銭はごく寂しいものだ。リリーバーはハントに必要な道具や消耗品の類のほとんどを自作したり自ら修理したりしていてこれなのだ。


 普通のハンターのように横着して全てを市販の既製品で賄おうとしたら、手元に金が残るどころか赤字になってもおかしくない。


 新種のアンデッド自身、『王都近くでのハントは、よくて小銭稼ぎ程度にしかなりません』と認めている。




 金銭効率を求めるならば、日帰りでは無理な距離まで遠出するか、あるいは、いっそのこと小粒な魔物を追い駆けることを完全に()めて、薬草や香草を採取するほうがよほどマシだ。


 採取作業がまずまずの稼ぎになるのは何も王都近くに限った話ではなく、魔物と遭遇する機会が潤沢にある地方のフィールドにおいても、ある程度あてはまる。


 最たる例は、新人や若手の駆け出しハンターたちだ。カッパークラス以下のハンターたちは戦闘力に欠けているため高額報酬が設定されている強い魔物を討伐できないし、強くはないが高値で取引される希少な魔物は経験や技量の不足から探し出せない。


 そういった換金性の高い魔物をある程度、安定して狩れるなら、もうそれだけでそのハンターはシルバークラスと認定される。


 専業ハンターを名乗るなら、シルバークラスに到達するのが半ば必須要件である。しかし、そう簡単にいかないからこそ駆け出しハンターたちはカッパークラスという大鍋の中でもがき、ハント失敗の傍らで地道に薬草や香草を採取しては日銭を得て食いつなぐ。




 ワイルドハントの語るヒトのハンター事情もなかなかに興味深い。


「それなら、新人ハンターは魔物討伐なんかせず、植物採取に本腰を入れたほうが財布を重くできそう。そうしたら普通にハントするよりも短期間に装備を整えられるから、結果的により早く上のハンタークラスに到達できる」

「あなたはとても現実的に物事を考えます」


 新種のアンデッドは、地に足の着いた私の意見を上から眺めて穏やかに微笑む。


「でも、それは理想的な近道のようでいて、遠回りの側面を併せ持っているかもしれません。植物採取を専門としてしまうと、それはもうハンターではなく山菜採り(ギャザラー)です。真面目にギャザラー業に取り組むには、相応の知識や経験が必要になります。ハンターが片手間に植物採取するのとは、大きく事情が変わりますからね」

「そうかなあ? 『事情』の一言で済まされても、私はイマイチ、ピンとこない」

「ハンターであれば、魔物探索の道程や帰り道でたまたま見つけた需要がある植物を採取して、それで終わりです。しかし、ギャザラーは魔物と遭遇しないルートを考えながら価値の高い植物が生える場所に行かなければなりません。どの時期にどの植物がどんな場所で生育するのか。旬はいつで、実をいつつけるのか。どのような採取方法をして、どう保存すると商品価値を高められるのか。一緒に採取しておくと、最終顧客である薬師や錬金術師、調理師に喜ばれるものはないか。覚えてくべきこと、当たり前にできなければいけないことが山ほどあります」


 軽い気持ちでした質問が怒涛の勢いの説明を呼びこんでしまった。ルカの口調はいつもどおりで別段怒っている風はないが、内容だけ聞く分には立派なギャザラーの怒りの代弁者だ。


「ギャザラーとしてフィールドに出入りすると、収支がどれだけ安定しようとも、魔物の討伐能力はほとんど成長しません。そして、最も大事なのが“趣味性”です。ハンターというのはある意味、特殊な人間の集まりです。彼らは、ただ食べていくため、金を稼ぐためにハントに勤しんでいるのではなく、ハントがしたくてハンターをやっているのです。危険に近付く楽しさや強い標的と戦う喜び、命を奪う快感等々はハンターにとって金銭以上に魅力的なものです」

「言い分は理解した。それでも、実力不十分なうちは、ハントとは別の手段で金銭問題の解消を図ったほうが、ハントの真髄により早く触れられると思う」


 すると、ルカは独特な感のある面持ちとなってしばし考え込んでは言う。


「あなたは間違っていません。正しいことを言っています。でも、そういった賢い選択をできないのがヒトという愚かなる生き物です。それに、賢明さが導き出す最善の選択が、他の場面や未来においても正解とは限りません。時が経ってから過去に自分の選んだ最善の選択に後悔することなど、いくらでもあるはずです。その逆もまた然りです。例えば、あなたは攻撃魔法の練習を始めたばかりの頃、それを無意味な行為だと思っていませんでしたか?」

「それは……」

「結果論をかざしたいわけではありませんが、結果や未来は実際のところ誰にも分からないのです。ギャザラーとしてフィールドに入っても命を落とすことはあるでしょうし、ハントをしていると、実力にそぐわない思わぬ大金を得られる機会がしばしばあります。ただ、そんなものは言い訳です。皆、自分の心にそうやって言い訳をして、夢を追いかけているのです」


 新種のアンデッドが語る夢は、自らをヒトと思い込み、ヒトとして生きていた頃に見ていた夢か、はたまた新種と化した今も追いかけ続けている夢か。


 いずれにしても、私の心を強く揺さぶっている事実に違いはない。なぜなら、私もまた夢を諦めきれない愚かな人間だからだ。叶うはずのない夢を、何年経っても未だに見ている。


 いたたまれない自分自身を守るため、心の防衛機制が私に反撃を命じる。


「それなら、あなたたちが偽装と称して日中を低金銭効率のハントに費やすのにも、もう少し深い理由がある? 少なくとも私には最善の選択に思えない」


 それなりに急所を打ったつもりだったのに、ルカは含むところのない爽やかな笑みを浮かべて言う。


「何を複雑に考えているのです。それこそそのままの理由ではありませんか。なにせ、ハントはこんなにも楽しいのです」


 魔物になかなか巡り会えない、見つけた魔物はどれも弱小、戦利品を売って得るのは涙金。それでも新種のアンデッドは偽りなくハントを楽しんでいる。


 常時、殺生に飢えたワイルドハントだから?


 生者の血を浴びれば、それで飢渇が癒えるから?


 多分、そうではない。きっと、私がいるからだ。


 王都近辺に出没する魔物は確かにとても弱い。そして、その分、逃げ足の速さや身を隠す能力など、強い魔物とは違う特徴を有している。


 私は、軍人離れした魔物の殲滅能力があると自負している。しかし、身に付いているのは、ヒトを見ると獲物と見做して襲いかかってくる魔物の倒し方ばかりだ。ヒトから逃げ回る魔物を狩った経験は、平凡な軍人と大差ない。


 だからこそ、ここには学びの機会が溢れている。


 新種のアンデッドは私に教えを授けては喜び、私が成長してはまた喜ぶ。


 温いフィールドでのハントは、最善ではないとしても、選び取るに十分な理由を秘めた正解だったようだ。


 なるほど、なるほど。


 慰み役を買って出たつもりはないが、私も非情なばかりではない。これ以上は選択の不明を追及せずにフィールドの先頭を歩んであげようではないか。




    ◇◇    




 偽装ハント開始から数日が経ち、その日も少しばかりの獲物を捕らえて都内へ帰り着く。


 骨肉店で滞りなく換金し、その他、雑事を済ませて自宅へ帰る道すがら、ヤプコスナック( リンゴガシ )を売る露店の横を通りかかった。


 先日、並んでいた露店は二つ。本日の出店はひとつ。営業していないのは、私が商品を買ったほうの店だ。


 私がそれを指摘すると、ルカは意味ありげに頷いて言う。


「もう()()()()のでしょう」


 そういえば前回も、露店を見つけた時に、『ヤプコスナックは季節品で、春を過ぎたこの時期はシーズン終わりと言うよりも季節外れ』なる旨を述べていた。


 露店は既に昨季収穫のヤプコを捌き終わり、次に店を出すのは来季の収穫後ということなのだろう。


 店仕舞いに立ち会ったとなると、記憶の中のヤプコスナックは更に味わいが深くなる。


 私たちがこのまま王都に長居した場合、新物ヤプコスナックを賞味する機会にありつけそうだ。新鮮なヤプコから作られるヤプコスナックは、この間食べた物よりも更に美味に違いない。これはかなり期待が持てる。


「次にお店が出た時は、また食べたいな」


 私が漏らした小さな願望に、ルカはなぜか怪訝な顔をする。


「それは難しいですよ。おそらく、あの人が王都で商売をすることはもうないでしょうからね」

「は? え、え……何それ? どういうこと?」


 ルカはさも不思議そうな顔で私の顔を見る。


「何って、“制裁”したからに決まっているではありませんか」


“制裁”というのは……まさか……。




    ◇◇    




 自宅に帰り、改めてルカに制裁の詳細を問う。


「はてさて、どこから説明したものでしょう」


 ルカは口元を手で覆い隠し、指の先で顎を擦る。


「我々が偽金鑑定の技術を習得したことは、あなたも覚えていますね?」

「つい最近のことだから、忘れるはずがない」


 話の前提を確認できたルカは頷いて続きを語る。


「偽金というのはたったひとりで製造しているわけでも、国内で唯ひとつの組織が作っているわけでもなく、常時、偽金作りに勤しんでいる集団がゴロゴロとあります。製造される偽金には、集団ごとに癖やら特徴やらがあります。流派とでも言ったらいいかもしれません」


 私は露店に加えた制裁の詳細を尋ねたのに、新種のアンデッドはどういうわけか偽金の説明を始めた。


 やはり、執行されたのは私が期待した以上に過激な刑……。


「あの店の主人から渡されたお釣りの中にも、通常の貨幣と同程度の割合で偽金が含まれていました。偽金の中で最も多かった流派を、ここでは赤狼(セキロウ)流とでも呼びましょう。お釣りだけでなく、前々から持ち歩いていた貨幣の中にも赤狼流の偽金がある程度の量、紛れ込んでいます。そこで、手持ちの赤狼流の偽金を可能な限り、あの店のコインカウンターに並んでいる貨幣とすり替えました。あくまでも等価交換しかしていないので、店主はここまでなら必ずしも損をしません」


 それで話が終わるならば、確かに店主は損得が生じないどころか、すり替えられた事実に気付きすらせず、変わらぬ日常を送るだろう。だが、店が消滅していたことを考えると、“制裁”の本番はここからのはずだ。


「それだけだと全く“制裁”にならない可能性があるので、偽金捜査局に情報提供しておきました。『ヤプコスナック屋の主人が偽金を大量に持っている』と」


 ああ……。だから、あの店は……。


密告(タレコミ)があったところで、偽金捜査局は必ずしも動きません。既に手掛けている事件があればそちらを優先することもあるでしょうし、役人というものは、しばしばそういう情報や民間人からの依頼を億劫がって無視するものです。我々は情報提供をしただけで、それ以上に捜査局の背中を押してはいません。提供した情報の処遇は完全に偽金捜査官に委ねたのです。情報提供から直ちに彼らが捜査に着手したのは、店主の運の悪さゆえです」

「偽金捜査局に見つかるとどうなる?」

「我々もこの国で何度も、それこそ十回以上は偽金捜査官の貨幣検査を受けたと思います。基本的に大したことは起こりません。大事になったのは一回だけ……。それは、今はいいでしょう。本筋に戻ります。捜査の対象に選ばれると、有り金を全て検査されます。検査後、偽金と判定された分は没収され、偽金の市場価格の数()が捜査協力費として返ってきます。ただし、これは『偽造関係者ではない』と判断された場合のみです」


 説明を続けるルカの表情に(あざけ)りの笑みの色が浮かぶ。


「我々はあの店の倉庫(バックヤード)にあった在庫の量も確かめています。どれほど繁盛していようとも、この短期間では捌けない量の在庫が倉庫にありました。本日、あの店が営業していなかったのは在庫がはけたためではなく、偽金捜査局によって偽造関係者と判断されたためだと考えて間違いないでしょう。店主はキツい取り調べを受けることになります」


 非道行為を嗤って語る新種のアンデッドを強く非難したい衝動が私の心に湧き上がる。


 それでも、なんとか感情を抑えて冷静に状況予測を尋ねる。


「量刑はどれくらいになりそう?」

「量刑判断には色々な尺度が必要になります。所持していた偽金の量だけで判断するならば、絶対に死刑にはなりません。我々が仕込んだ偽金以外によほど沢山の偽金を溜め込んでいなかった場合の話になりますが。見込みとしては、財産をいくらか没収されます。偽造の主犯格ではないのですから、全ては没収されないはずです。後は、鞭か棒で何回か叩かれて、全治数週間というところでしょう。キツいのは直接の刑罰ではなく、これまで取引していた相手が今後、誰も店主と商売をしてくれなくなる、という商売網の喪失に尽きます。通貨偽造犯との関係性を疑われると、その人間まで商売に支障をきたしてしまいますからね。だから、店主はおそらくもうヤプコスナック屋を営業できません。商品の味を評価して引き続き購入してくれる買い手がいたとしても、材料を卸してくれる売り手がいなくなるので、商品を作れないんですよ」

「それだと再起不能じゃない! あの人は腹立たしいけれど、そこまで酷いことはしてない!!」


 ルカは剣幕に押されることもなく、呆れたような顔で深く溜息を衝く。


「再起不能? 両腕を切り落とされたわけでもないのに再起不能などありえません。店主は五感のひとつも失わず、意思に従って動く手足を持ったまま刑場から帰ってくるはずです。資産も一部を失うだけである程度は残り、物を作る手があり、目は見えています。元の関係が良好であれば、家族は犯罪者の烙印を押された店主を必ずや支えてくれるはずです。必要なものがこれだけ揃っているのです。人間性を喪失せずに再起する程度のこと、()からしてみれば、何ら難しくありません。楽勝にもほどがあります」


 今までにない感情の込もった物言い、いやに具体的な再起不能の例え……。


 一条の稲光が私の脳髄を貫く。


「それに、サナは気付いていないようなので、この機会に教えておきましょう。あの店主は、サナへ渡すお釣りの額を大幅に誤魔化していました。被害額で言ったら、ヤプコスナックを二割増しにされたことより、釣り銭詐欺のほうが大きいです。売価引き上げと違って釣り銭詐欺は純然たる違法行為です。店主が裁きを受けるべき罪を犯していたのは紛れもない事実なのです」


 私は、そんなことまでされていたのか。


 値段を吊り上げられたことで頭が一杯になり、受け取った釣り銭の額の確認は、頭からスッポリ抜け落ちていた。


「彼は尻尾を踏んだのです。それも偶然にではなく、故意にです。踏んだ尾の主が、人を噛むことも知らない穏やかな飼いイヌではなく、我々だった。喧嘩を売るときは、必ず相手を選ばなければなりません。相手の大きさや力量を見極めるのも、生き延びるために必須の能力です。生きる世界がフィールドではなく人間社会であったとしても、それは変わりません。それに彼は運も良くありませんでした。もしも、偽金捜査局が捜査開始を一日遅らせるとか、情報提供をガセネタと見做(みな)すなり、面倒臭がって無視するなりしていれば、コインカウンターの偽金はあっという間に市場に散らばり、釣り銭詐欺はともかく偽金に関しての疑惑や罪状など消滅していたのです」


 ルカはもう笑っていない。“制裁”の背景を淡々と長語りするばかりだ。


 ポーたんを見やっても、『言い訳』に相当する“メッセージ”は何も拾ってこない。それはつまり、新種のアンデッドがベラベラと話しているのは、『自己の正当化』ではなく、勢い激しく詰め寄った私に理解させるための、『裁定要旨の概説』であることを意味している。


「巡りの悪さはそれだけではありません。我々が真贋鑑定の技術を習得していなければ、特定流派の偽金を選択的に仕込まれることはありませんでした。捜査局が偽金かどうかだけ判定して流派まで特定しなければ、偽金の割合的に彼が偽造関係者と疑われることはありませんでした。店主の出店場所がほんの少し違っていれば、我々とは出会いませんでした。サナに割増しをしなければ、釣り銭詐欺をはたらいても“制裁”されることはありませんでした。割増したとしても、釣り銭詐欺さえしていなければ、“制裁”の内容はずっと平和なものになっていました。これだけの巡りと罪業が積み重なって彼は裁きを受けたのです。分かります? これは不運と言う名の必然なんですよ。彼は商売を手掛けるには不誠実です。小売以外の役割や職業に就くべきでしょう」


 私は確かに差別行為に及んだヤプコスナック屋の店主に腹を立てていた。では、あの男に復讐したい一心でリリーバーに“制裁”を懇願したのかというと、それは違う。


 私は制裁を建前にして、ほんの少しだけ新種のアンデッドを困らせたかっただけなのだ。そんな私の甘え心は、大変な事態を引き起こしていた。


 これでは、あの時と同じだ。また……また、私が悪かったんだ……。


 私を包む世界のすべてが私から遠ざかり、ありとあらゆる接触を拒絶しているような錯覚に襲われる。


 光すら届かないほど遠くなってしまった世界から私の所に届くのは、私だけに向かって話すルカの言葉だけだ。


「あなたが責任を感じる必要はありません。全ては我々が判断し、我々が行ったことです。あなたは何も悪くありません」


 ……そう、私は悪くない。あの時も私は悪くない。


 本当は、私は褒められたかった。褒めてもらえる良いことをすれば、きっとまた私の所に戻ってきてくれる。そう思っただけだった。


 それは決して我儘などではない、誰だって当たり前に抱く願いのはずなのに……。


「大丈夫です、サナ。あの店主はあなたが思っているほど弱くありません。彼に限らず、人間はそこまで弱くありません。(したた)かだからこそ、釣り銭詐欺なんてするのです。彼はちゃんと再起します。立ち上がるのもまた、人間の強さです」


 これは私を慰める目的で心にもないことを言っているのではない。店主の再起が確実であると本心から考えている。


“制裁”とは、私が思ったほどの感情に駆られた短絡行動ではなかった。罪状と量刑を実地の法運用に則して判断し、再起の可能性まで見据えたうえで行われた仕込みだ。仕込みが実際に“制裁”として店主の身に降りかかるかどうかは運に委ねた。


 どう転んでも逃れようのない絶対の社会的な死を与えたわけではない。


 マディオフの法律に疎い私では量刑の妥当性を正確に判断できないにせよ、店主が過ちを犯したのは事実だ。身体さえ無事ならば、道を変えて再起するのは確かに不可能でも何でもない。


「そう……分かった。でも私は、あの店主があなたたちの予想よりもずっと強くて、またあそこに店を出すことを願う。そうしたら私は、今度は絶対に釣り銭詐欺をされずに買い物する。割増しのほうは……もう少し上手く言い返して、皆と同じ額で買ってみせる。それがどうしても無理で、また割増しされてしまったら、そのときこそあなたたちに『平和な制裁』ってやつを加えてもらおうかな。ただし、制裁内容は事前に私を交えて協議してから決定してもらう」


 私なりの雪辱の果たし方を聞いて、ルカは少しだけ笑った。




 失敗を悔やんで沮喪(そそう)となっても事態は何も好転しない。こういうときこそ大切なのが中庸な心構えだ。


 自分のことばかり考えず、落ち着いて今の会話を振り返れ。なにせ、新種のアンデッドが久しぶりに過去の断片を公開したのだから。


 あれはただの例え話ではなく、実際にこの者たちの身に降り掛かった出来事を表わしている。


 薄々分かっていたことではあるが、“辛酸”の内容はあまりにも酷い。


 危険な能力そのままにリリーバーはメンバー全員が過去に犯罪者だったのかもしれない。しかし、法に則って厳正に処罰されたのであれば、逆恨みして“復讐”や“罰”を目論むとは思えない。


“辛酸”とは、犯罪者に振り下ろされた正義の鉄槌などではなく、人間の奥底にある濁った感情や腐った欲望から生えてきた奸計……。


 当時、新種のアンデッドは現在とまるで様子が異なり、自分を『普通のヒト』と思い込んでマディオフの人間社会で暮らしていた。そんな中、何者かに仕掛けられた罠に嵌まり、舐めてみるどころか臭いをひと嗅ぎしただけで嘔気にのたうちまわるハメになる腐肉を無理矢理に口に押し込まれた。


 食わされた腐肉のひとつは、まず間違いなく両腕の離断だろう。


 腐肉はそれだけではない。


 五感を失い、築き上げてきた財産も、社会的な地位も、挙句の果てには家族まで奪われ、何もかもを失った。


 ルカはフライリッツで言っていた。『ヒトの世界から脱落した』と。


 そこには、『本当はヒトとして、人間として再起したかった。でも、それが叶わなかった』という意味が含まれている。


 トゥールさんを斬られて以来、ずっとしこりのように私たちの頭を悩ませていた謎の答えがついに判明した。


 そうか、ニグンだったのか。ルカを通して私たちと会話していたのは……。


 新種のアンデッドであるヴィゾーク、イデナ、ノエル、この三人の誰かだとばかり思っていた。


 今ではほぼ従来型のアンデッドとなってしまったニグンも、“辛酸”前はヴィゾークたちと同じく新種のアンデッドだったのだろう。理屈や方法は不明だが、身体が新種ではなくなった今でも、心だけは新種のまま維持されている。さしずめ、第三のアンデッドと言ったところか。


 ニグンは、ラシードと戦った一度を除いてアリステル班に訓練をつけてくれたことはないし、私たちと会話したことだって勿論ない。


 アリステルの講義は聞かない、私たちを背負うこともない、リリーバーの中ではノエルと並んでアリステル班と接点のないメンバーだ。


 それでも、“辛酸”時のニグンの心情を思うだけで、私の胸は押し潰されてしまいそうだ。


 ああ……もしかしたら、ニグンもそれ以外のメンバーも、会話は『しない』のではなく『できない』のかもしれない。“辛酸”のせいで。




 謎が明らかになるにつれて荒くなりかける呼吸を、歯を食いしばって(こら)える。


 悲しみの暴走を抑えると、次にムクムクと膨れ上がるのは怒りの感情だ。


 激憤という言葉は、今の私を指すためにある!


 もしも、ニグンたちが異端者(ヘレティック)に対してこれからどれだけ凄惨な“復讐”をしたとしても、それは当然のことだ。


 私はこの先、言葉にするのも憚られる残虐行為に目にすることになるかもしれない。しかし、それでもニグンたちを見下げることも見放すこともないと断言しよう。


 衝撃的だったヤプコスナックの一件も、あながちただの失敗とは言い切れない。むしろ、ここで起こって良かったとも考えられる。


 最初、店主に加えた“制裁”の内容を聞いた私は、なんて非人道的なのだ、と呆れ、そして怒ったけれども、新種たちの言い分に耳を傾けてから改めて考えると、量刑は極端には極端だが、必ずしも不当とは言いきれない。


 新種たちの中には計り知れない様々な判断基準や評価尺度がある。それは時にヒトの価値観と乖離しているけれども、少なくとも法的妥当性に関しては、マディオフ国内法に疎い私よりも狂いがないはずだ。


 異端者(ヘレティック)に下されるのが“罰”ではなく“復讐”だとしても、それもまた(しか)るべき裁きだ。


 私がすべきは、どれだけ罪深いか知れない、まだ見ぬ異端者(ヘレティック)(おもんぱか)ることではなく、ニグンたちの力になることだ。


 この者たちは、戦う力に秀でているだけの向こう見ずではない。忍び寄る危機に対しても鋭敏で、かつ様々な状況を打開できる数々の秘めた能力がある。戦闘時のみならず、ヒト社会においてもそう魯鈍(ろどん)な立ち回りはしない。


 そんなニグンたちを嵌めた異端者(ヘレティック)の謎を、私程度の頭脳と能力で解明できるか分からない。でも、心の支えになら……。


 なれるかどうかではない。私はなりたいと思っている。


 リリーバーには秘密が多い。辛い過去だって、これまで話してくれた以上に、もっとたくさんあるはずだ。


 たとえ口には出さずとも、ルカがどれだけ微笑んでいようとも、心はきっと傷だらけだ。私はそれに寄り添う。


 過去を探られるのを嫌がっているから距離を縮めるのは難しい?


 たとえ突き放されたとしても、私は何回だって歩み寄る。


 ジバクマでニグンたちは、ずっと私たちに手を差し伸べてくれていた。腕も無いのに。


 今度は私がそれをやる番だ。両腕があり、血が継いできた能力があり、そして、アンデッドによって鍛えられた力がある。何も難しくない。


 天を衝く意気に呼応するように、ちょうど今夜から本格的な調査が始まる。絶対に役に立たなければ……。

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