第四六話 ヤプコスナック 一
王都二日目の午前、リリーバーが最初に着手するのは家探しだった。不動産屋に行って避難民としての身分証を提示し、物件を紹介してもらう。私たちが支払える賃料の問題とは別に、避難民という信用の問題があり、賃借りアンデッドが望む水準の住宅は借りられなかった。
不動産屋から提示される安価かつ価格相応の物件に難色を示し、中流水準の物件を所望する選り好みアンデッドに、私はとても驚いた。
なにせ、リリーバーはワイルドハントだ。一処に拠点を設けず、フィールドを転々とするのがワイルドハントなのだから、住居にこだわりがあるとはまさか思うまい。
事実、出会ってからの二年、リリーバーはほぼ全て野営していた。マディオフ入り後は数回宿を利用しているが、真贋鑑定器の件で分かるように、何かしらの思惑あってのことだ。人間の寝泊まりする場所で休むほうが珍しい。
そういう意味では“いい家探し”にも何らかの意味があるのだろう。しかし、ポーたんでもそこまで先のことは読み取れない。説明不足アンデッドは私に問われても、意味深に笑うばかりで真意を話そうとしない。
起床が遅かった所為もあり、結局その日は物件の下見と契約、大家への挨拶と新居の掃除で終わってしまった。
◇◇
王都三日目、人並みに暮らすための生活家具や日用品を買い揃えるべく、今日も街中に繰り出す。土魔法でなんでも作り出せるリリーバーには本来不要の、人間として生きているフリをする偽装工作のためだけの買い物だ。いやはや、王都にどれほど長い期間住むつもりでいるのだろうか。
私に問われても、ルカは、「流動的です」としか答えない。
借家は大人九人で暮らすには若干手狭ながら、私たちにとっては十分以上に広い。それというのも、純粋な生者は私とルカ、それにブルーゴブリンのクルーヴァの三人だけだからだ。あとは新種のアンデッドが三人に、普通のアンデッドが三人だ。シーワたち普通のアンデッドは寝室も自室も要らないのだから、精々六人分が横になれる広ささえあれば、休憩場所として問題なく機能する。
あれ、そういえば……。
思考処理を待つ行列の真ん中に、最近はめっきり考えなくなっていた疑問が突如現れて割り込む。
もう一度確認しよう。シーワとフルル、そしてニグンは普通のアンデッドだ。ヴィゾークたちとは違って食事を取らない正真正銘の従来型アンデッドであり、新種ではない……と思う。
一般的にアンデッドは疲労しないし、食事もしない。生者のように休息を必要とすることはもちろんない。
それなのに、リリーバーは全員が休息を取る。ルカたち生者や新種が休息を必要とするから、従来型のメンバーもそれに付き合っているのではなく、かなり正確に時間交代で全てのメンバーが休息を取る。
これまためっきり考えなくなっていることなのだが、このリリーバーの交代休息にポーたんは必ず毎回反応する。
『何かを隠したい』
それが、ポーたんの拾う“意図”だ。
具体的にリリーバーが何を隠そうとしているのか、アリステル班では全く謎が解けず、けれどもこれといって実害は無いため、そのうち何も考えなくなってしまっていた。
それが今になって、また私は心に引っかかるものを感じている。
二年前は解けなかった。でも、今ならば謎を解けそうな気がする。当時はなかった手がかりが、私の記憶のどこかにある。
どこだ。どこにある。
記憶の倉庫をひっくり返して調べていると、ポーたんの拾う“メッセージ”が、思いがけない場面から拾ってくる“意図”とかなり似ていることに気付く。
その思いがけない場面とは、私とルカが毎晩、寝る前に数十分ほど行っているカードゲームのことである。
札遊びアンデッドがこよなく愛するこのゲームでは、手持ちの札の枚数は展開によって少し変化するのだが、概ね一三枚から一四枚で増減する。そして、札の種類はなんと三四種類もあるため、ある程度は規則的に並べておかないと、自分がどの札を持っているのか把握しきれなくなる。
ただ、それは私がまだこのゲームに十分習熟していないからだ。熟練者たるルカは手札を規則的に並べない。ゲーム開始時に配られるカードを並べ替えないだけでなく、新しく自分が引いたカードは不規則に手札の中に紛れ込ませる。
ナンバーカードや属性カード、精霊カードがてんでバラバラに混ざっていても、どのカードが手元にあって、上がり役を組み上げるために何のカードを必要としているか、完全に把握できているのだ。
普段、とても几帳面に物品を整理整頓するルカが手札を規則的に並べないのは、確固たる理由がある。
視認性を上げて手札管理を容易にするのが並べ替えの長所である。では短所とは何か。それは、対戦相手から手札構成を推測されやすくなってしまうことだ。
私が勝手にそう思い込んでいるのではない。カード大好きアンデッドが明言していた。つまり、並べ替えの封印とは、カードゲームにおける一種の偽装工作なのである。
初心者を脱して初級者入りしたばかりの私には、並べ替え作業から相手の役を推し量るなど、曲芸もいいところで、到底できない。そんな私を相手にしたゲームでも、ルカは並べ替え作業をせずに手札を組み上げていく。ルカは別に、私に勝とうと躍起になっているのではない。このカードゲームに興じる際は誰が相手であっても常にそうしているらしい。
不規則に並ぶ手札の背景には、『上がり役を読まれないようにするために私の目を眩まそう、新しく手札に組み入れるカードを自然に紛れ込ませよう』という純然たる動機があり、その動機を“意図”という形なきのっぺらとした形へ超圧縮して私の頭に投げつけるのがポーたんの日常だ。
投げつけられた“意図”は、言語化して解釈することになるのだが、正確性の担保は全くない。事後検証しないことには、私もどれほど正しく解釈できていたのか皆目分からないのである。
カードゲームでは、軍での特殊捜査よりも事後検証がずっと容易だ。似たような状況も繰り返し発生する。並べ替え封印以外にも、様々な手札構築や捨て札の“意図”をポーたんは拾ってくる。
それらを解釈し、さらに何度も何度も検証を重ねることにより、カードゲーム中にポーたんから得られる各種情報の解釈精度は目下、急速に向上している。
少し脱線が過ぎた。思考を戻そう。
カードゲームの際に相手に上がり役を読まれまいとするリリーバーの偽装工作から拾ってくる“意図”と、リリーバーが交代で休息を取る際の“意図”は意外なほど似通っている。
ここから私が導き出した結論はこうだ。
『リリーバーは、どのメンバーが真に休息を必要として、どのメンバーが本当は休息など要らないのか、他者に悟られまいとしている』
思うに、その“誰か”というのは、リリーバーの領袖、今なお未知のリリーバーの中心人物なのではないだろうか。なるほど、それなら確かに無闇に知られたくないワイルドハントなりの特別機密情報だ。
“誰か”はルカをドミネートで縛る操者かもしれないし、“旧種”から“新種”に至るための新技術を編み出したアンデッド界の天才かもしれない。
……と、こういう具合に、ひとつ新しい情報がもたらされると、それまで思いもつかなかった新説が様々な方向へ急速に伸びていく。
何はともあれ、リリーバーには休息を必要とするメンバーが複数名いる。
土魔法で生み出されたとは思えないほどの快適さを持つリリーバー作の家具よりも、職人が作った実物の家具のほうが使い勝手は上だ。
寝床を例に取るならば、寝心地は実物家具が圧倒的に良い。下から体重を支える寝台には適度な沈みと反発が必要で、身体の上にかける寝具は軽さ、柔らかさ、暖かさ、様々な要求に同時に応えられなければならない。
これら全てを高水準で満たす寝床を魔法で作り上げるのは、いかにリリーバーといえども難しい。
実物の寝床は、金払いさえ惜しまなければ、それらを簡単に実現できる。
良い寝床は上質な睡眠をもたらし、一晩で疲れを完璧に取り去ってくれる。朝になってシャキっと覚醒し、気分良く活動を開始できるのは断然、実物の寝床だ。
作業能率を上げてリリーバーの目標達成を近づけるためにも、快適な住居作りは大正解だ。妥協を許さずに最高の家具を新居に揃えてもらいたい。
いや、これは決して私が上質な家具に包まれて優雅に眠りたいからではない。協力者として、極めて理性的な見地に立ち、合理的な意見を挙げているに過ぎない。
慎み深い私は、求められるまで“合理的意見”を口に出さずに内心に抱く。
買い出しアンデッドは私に意見を求めないものの、行動で私の合理性の正しさを証明する。リリーバーが次々と購入する物品は、それなりの値段のものばかりだ。最安価の品には全く手を伸ばさない。
うむうむ。言われずとも私の思いを汲む、素晴らしい心がけである。
リリーバーが新居に投入する金額から察するに、あの借家に年単位で住む気でいてもおかしくない。本気も本気の新拠点だ。リリーバーに“辛酸”を浴びせた敵、異端者を成敗するため、戦力補充と称して新種のアンデッドや傀儡をここで大量に生産する気かもしれない。さしずめ、あの家はワイルドハントの巣だ。
考えなければいいものを、取り留めのない考えがさらに意味のない考えを起こさせる。
世間には、私よりも年下でも、伴侶と暮らす新居を構える女性がいる。
年齢の近い一般女性たちが優しい夫とかわいい子供がいる“愛の巣”で幸せな日々をおくる一方、祖国のために身を挺して異国へ飛び込んだ私は、新種のアンデッドあり、女装した雄ブルーゴブリンあり、という珍集団と一緒になって“魔物の巣”をせっせと設えている。
格差という言葉ひとつでは到底表現しきれないほどの巨大格差だ。無念のあまりに目も潤んでしまうというものだ。
『大森林の魔物をハント』は、一般人からしてみれば鮮烈な経験だろう。しかし、今、この時に限っては、『ワイルドハントと異国で新居』という事実のほうが、よほど私の胸を深く打っている、激烈に悪い方向に。
私の負の思いなど知らず、リリーバーは交渉力向上の魔道具とルカの端麗な容姿を存分に活用して、割方高い品々をお手頃価格で次々に手中に収めていく。
問題の“交渉力向上”の魔道具だ。腹立たしいことに、ルカはこれといって目立つ値切り交渉をしない。ルカが男性店員の前で嫣然と笑うだけで、馬鹿店員の方から勝手に値段を下げていくのだ。
購入する品を決めると、ルカは店員に問う。
「それで、こちらの品はおいくらになりますか?」
鼻の下を伸ばした店員は、全力を振り絞って真面目な顔を作り、こう言う。
「普段は決め値でしか売らないんだけれど、あなたには特別に二割引の価格で売ってあげましょう」
すると、ルカは「そうなんですね」とニコニコと笑う。高いとも安いとも、買うとも買わないとも告げない。
それだけで店員は、また勝手に値引きする。
「おや、まだご不満と見える。ええい、それなら七割……いや、六割でいいでしょう」
「えっ、六割でいいのですか?」
ルカが白々しく驚いた顔を作ると、これに気を良くした店員が、また値を下げる。
「お姉さんは買い物が上手い! こうなったら仕方がありません。これも勉強と思って半額にしてあげましょう」
「やあ、驚きました。こんな素晴らしい品を半額で譲っていただけるのですか。それなら私どもにも手が出せそうです。でも、こちらの選択付属品は、きっとお高いのでしょう?」
もうこうなると店員は雰囲気に呑まれてしまい、利益確保そっちのけで“役”に入り込んでしまう。
「お姉さんには負けました。それは無料でお渡ししますので、どうぞ、持って帰ってください」
「では、ありがたく」
美婦と馬鹿男はどこかで見たような喜劇を披露して品物の売買を完了させる。
行く店、行く店で何度も演じられるこの喜劇は、帰着が分かっているからこそ安心して笑える面白さと、何度見ても一向に減弱しない腹立たしさがある。
店を出ると、ルカは小声で私に言う。
「やりましたよ、サナ。このお店でも悪くない品を買得価格で入手できました」
「そうだね……」
値切り成功に喜ぶ価格交渉アンデッドに、私は曖昧な笑みを作って応えるしかない。
リリーバーとの買い物は、思いの外楽しい。ジバクマとは風情の違う家具を眺めるのも、値下げという形で自分の首を絞める馬鹿店員を見るのも、金銭的に逼迫していないはずなのに手頃な価格で上々の物が買えた小さな幸せに喜ぶアンデッドを見るのも、いずれも楽しい。
そんな思いがけない買い物の楽しさに呼応するように、心中の負の思いが強く大きくなっていく。
この風変わりなワイルドハントとのマディオフ行を私は楽しんでいる。楽しいと思い込んで自分を慰めようとか、自分の心を誤魔化しているのではなく、本当に楽しい。
でも、どれだけ楽しもうとも私は人並みの幸せを決して手に入れられない。
一般人と比べたって、どうしようもないし、何にもならない。そんなことは分かっている。
それでも、ふと気を抜くと考えてしまう。私だって、叶うことのない夢に思考を奪われる時間がある。
夢と現実の落差に感情は暗く沈み込む。
ああ、ダメだ。
私は感情が表に出てしまうから、こんな気分でいてはいけない。落ち込む自分を晒すと、何を思い悩んでいるのか、と尋ねられるのは必定だ。
家族にも“仲間”にも言えないことを、新種のアンデッドにどうして言えよう。
気分を好転させるためにも、何かもっと別のことを考えなければ。
そもそも私は最初、何を考えていたのだったか。
そうだ、ワイルドハントがヒトの社会に快適な居を構えることの理非について考えていたのだ。
おや、待てよ。ワイルドハントは定住点を持たない集団だ。それがこうやってヒトの暮らす街に定住点を見繕っている時点で、野生のハンターではなくなってしまう。
くっ……違うだろう。考えの内容を変えるにしても、もうちょっと生産的なことを考えるべきだ。
非生産的なことばかり思いつく自分の脳に物申していると、何やら視線を感じる。
そちらに目をやると、何とも微妙な乾いた笑顔で私を打守るルカがいた。
どうやら私は刻々と変化する感情のアレコレをまたしてもそっくりそのまま表情に出してしまっていたようだ。
羞恥心が瞬時に私の顔に灼熱を帯びさせる。熱いのは顔だけではない。身体まで火照って火照って仕方ない。
ああ、きっと今日のマディオフは季節外れの猛暑なのだ。暑い、暑い。
幸いにも必要な物品はもう買い終えている。一日もそろそろ終わりだ。早く家に帰ろう。
購入した品を軽く清掃し、風と日光を浴びせて匂いを飛ばし、部屋の収まりのいい所に配置するのは明日以降の作業になるだろう。
そんなことを考えながら家路をテクテク歩いていると、ルカは露店の前にできた小さな行列に目をつける。
「あ、ヤプコスナックが売っています。この時期にしては珍しいです。どれ、買っていきましょう」
考え事をしていて半休止していた私の耳は、急にルカの口から飛び出した耳慣れぬ単語を聞き損じる。
「やぷこす……ナック? なにそれ」
「区切る部分が違います。ヤプコから作るスナックです。多分サナは気に入ると思います」
ああ、前半分は古代語か。急に言われると知っている言葉でも意味がパッと出てこない。
ルカはスススと露店に近付いていき、すぐさまテテテと戻ってくる。
「こちらの行列で買えるのがクルルヤプカのスナック。そちらの行列はズウォテヤプコのスナックみたいです。どちらも違った美味しさがあります。せっかくの機会ですから、両方買って食べ比べてみましょう。サナはそちらの行列に並んでください」
ルカはそう言って私にマディオフ貨幣を渡しながら、量はこの位で、スリに遭わないように、お釣りと商品を忘れずにちゃんと受け取って……と諸注意を始める。
子供のお遣いか!
剣や魔法の技量が大人と子供ほどの差があるからといって、私の社会生活能力まで子供扱いするのはいかがなものか。大衆菓子を買うだけで失敗するわけがない。
保護者気取りアンデッドめ、うぬぬ……。
でも、マディオフに来てから自分だけで買い物するのは初めてだ。いや、思い返すとアリステル班時代は、班行動ばかりだった。自分ひとりで最後に買い物をしたのがいつだったか、まるで思い出せない。
ああ、本当に久しぶりだ。なんだかワクワクしてきた。しかも、味にうるさい美食アンデッドがわざわざ買おうと言い出すのだから、ヤプコスナックの味にはかなり期待が持てる。
辛い辛いマディオフ行なのだ。楽しみのひとつくらいなくてはダメだ。
◇◇
「ル~~カ~~」
買い物に大失敗した私は落胆を隠さず、一足早くスナックを買い終えて私を待つルカの下へ戻る。
ルカは困ったような笑みを浮かべながら私を迎え入れる。
「ごめん、ルカ。私、ひどく失敗してしまった」
露店で起こった出来事を正直に告白する。
ルカは表情そのままに私の話に耳を傾ける。
「商品を買えたには買えたんだけど、あの店の主人、ひどいんだよ。私の前に買った人の倍近い値段でしか私には売ってくれなかった。抗議しても、全然取り合ってくれないし、後ろの人もイライラしだして、結局言い値で買わされて、それで……」
私が受けた、心の底から悲しくなる仕打ちを聞いたルカは、腹の底から湧き上がる笑いを抑えるかのように、クッ、クッと息を漏らし始めた。それと同時に、横に立つリリーバーの誰かから、グブッ、と何かを吹き出すような声がして、その直後にヴィゾークが誰かに魔法を放つ。
ポーたんが“意図”を拾う。
ヴィゾークの魔法には何かを誤魔化し、隠そうとする“意図”があった。これは、休息の時やカードを敢えて雑然とさせている時と同じだ。
……今は意味不明な魔法などどうでもいい。そんなことよりも、私がこれほど悲しんでいるというのに笑い出すとは許されざる了見だ。あまりな扱いではないか。
「どうして笑うの? 私、すごく悲しい思いをしたのに……」
「ごめんなさい、サナ……グッ……サナは悲しむ必要も……ブッ……怒る必要もありません。事情を説明します」
堪えようにも堪えきれない笑いのせいで、ルカは素っ頓狂な高い声で途切れ途切れにしか話せない。妙な発作でも起こしたかのようなルカに対し、ヴィゾークが再び魔法を放つ。
魔法がかかった途端にルカの顔から感情が消え失せて普通に話し始めたことから、ヴィゾークが行使した魔法はおそらく鎮静魔法であると分かる。
落ち着きを取り戻したルカたちは周囲を見回し、間近に聞き耳を立てるものがいないことを確かめてから、私に『事情』とやらを話し始める。
「あなたからは分からないでしょうけれど、あなたの今の顔は、とんでもなくブサイクなんですよ」
ここで指す『今の顔』とは、簡易な変装のほうではない。私にかかった変装魔法のほうを指している。
「ブサイクにする必要がどこにある。普通にすればいい。ルカは綺麗にしているくせに!」
ルカは素顔が美人なだけでなく、変装魔法で作った顔もこれまた美人だ。これはおかしい。どうしてこういうことをする。この魔法のかけ方は不公平極まりない!
「だって、サナはあまり男慣れしていないでしょう? 誰もが振り向くような美人でなくとも、人並みのかわいらしさがあるだけで、男ってのは女に声を掛けてきます。あなたはそれを無愛想になり過ぎずに手短にあしらえますか? 軽い調子で女を誘う男にも、あれで自尊心があるものです。手ひどい断り方は逆恨みの原因になってしまいます」
新種のアンデッドは起こりうる色難を男女両方の目線から語る。しかも、胸が悪いことに、私が男相手に失敗することを前提として物事を考えている。
確かに私は男性経験豊富ではないけれども、いかに新種とはいえ、アンデッド風情に面と向かって言われるのはどうにも釈然としないものがある。無性のアンデッドになぜそんなことが分かる。
私は生まれた時から、誰からもライゼンの子供として認識され、特殊な扱いを受けていた。しかも、あの時以降、より一層の特別環境に置かれた。
アリステル班に所属してからは軍人で、私がラシードを選んでからは、あの人とずっと一緒に行動していた。ラシードの影響が大きかったのか、それともそれはあまり大した影響を及ぼさなかったのかまでは分からないけれども、ラシード以外に私にそういう目を向けてくる輩はほとんどいなかった。
ラシードという風雨避けにより、私はそういう面倒な男の対応とは無縁でいられた代わりに、男のあしらいには慣れていない。仮にそういう機会を何度も経験していたとしても、私の性格を考慮するに、サマンダのように雰囲気を悪くせずに軽やかに男の軽口を捌けるようにはなっていないだろう。
「あなたがスナックを買うところも、あなたの前に並んでいた女性がスナックを買うところも、どちらも我々はちゃんと見ていました。あなたは確かに値段を吊り上げられました。でも、倍にされたのではなく、本日の一般価格から二割ほど上乗せされただけです。前の女性が綺麗だったから割引してもらえたので、結果的にあなたとは倍近い差がついた、というカラクリです」
「二倍にはなっていなかったとしても、ブス割増しを受けた、という事実には変わりがない!」
リリーバーは私の怒りの本質を理解していない。下手に人間の感情を理解している気になっている分、私の主張をすんなり受け入れない。
それが増々、私の怒りを増大させる。
「それはそうなんですけれども、誰が悪いかといったら、あなたの顔を整えた我々が悪いのであり、手厳しい評価も、あなた自身に下されたのではなく、我々の整えた顔に対して下されただけです。あなたは悄気る必要も憤慨する必要もないのです」
リリーバーはようやく自分の非を認めた。しかし、反省はまるで感じられない。まるで私が屁理屈をこねて、それを何とか理性的にあやそうとしているかのような構図になっている。
「リリーバーは悪い! とても悪い! でも、あの男は皆と同じ値段で私に売ってくれなかったのだから、一番悪い!!」
「まあまあ」
腹を立てる私を見て、ルカはまた腹の底から突き上げる笑いを堪え始め、再度ヴィゾークから鎮静魔法を施される。魔法がかかる度に、忍び笑いするルカの顔が瞬時に真顔に変化するため、見ていてとても気持ち悪い。
「さあさあ、せっかくスナックを買ったのですから、食べながら家に向かいましょう。我々が悪かろうと、店の主人が悪かろうと、スナックに罪はありません。罪は忘れて味わいましょう」
リリーバー各員が家に向かって歩き出す。ルカは手で家の方角を指し示し、私に怒りを断ち切って前に進むよう促す。
どうにも腹の虫が治まらない私は、リリーバーに意地悪な頼み事をしたくなる。
「ちょっと待って」
まだ何かあるのか、とでも言いたげな、微妙な笑顔でルカが私を見る。
「リリーバーには後でたっぷり謝ってもらうからいいとして、あの店の主人! あの人には“制裁”が必要なはず。今の機会を逃すと、もう会う機会は無いかもしれない。今、ここで私の代わりに仕返ししてよ。ちょっとでいいからさ」
それは、店の主人にやり返したい、というよりも、私の怒りと悲しみを私が期待する形で受け止めてくれない鈍ちんアンデッドを少しだけ困らせたい、という思いから生じた我儘だった。
別に、怪我をさせたい、とまでは思っていない。リリーバーが小鳥あたりでもドミネートして、鳥の糞を主人の頭に引っ掛けてくれれば、それで十分にスッキリする。
私の要求に、リリーバー全員が家に向かう足を止める。ルカはえらく真面目な顔で思案を始め、ボソボソと罪責程度と量刑勘案を呟く。
「商品の売り値というのは、万人に対して共通にしなければならない、という決まりなど存在しない。市場価格の不正操作に当たらない限り、相手によって上げても下げてもいい。彼はサナに対して値段を吊り上げた。ここまでは必ずしも問題ない。ただし、考慮すべきは、サナは一時的とはいえ、我々の一部となって行動している、ということだ。つまり、あの男は我々に敵対行動を取ったことになる。こちらを著しく不愉快にさせただけではなく、公衆の面前で恥をかかせた。特定の悪口こそ用いていないが、状況を鑑みるに、侮辱の意図があったことは明らかだ」
ルカの口調が変わり、地の喋り方をする。リレンコフの街で垣間見たルカを操る不可視の“影”が、私の前に俄に再びその姿を現した。
「サナ、お釣りを見せてください」
「え? うん……」
ルカは、私が店の主人から受け取ったお釣りを検める。単に額を勘定するだけではない。イデナなどは魔法まで使って貨幣を精密に調査している。
全貨幣を調べ終えると、ルカは正の感情を伴わない凍てつく顔で私に向かって言う。
「どんな“制裁”にするかはもう決めました。完了には、少しばかり時間を要します」
あれ……大丈夫だろうか?
望んでいたよりもずっと過激な方向に話が進み始めてしまったような気が……。
不安に思った瞬間、ルカの無表情は消え、いつも私に向けてくれる笑顔がパッと戻る。
「その間、ここで黙って立って待つ理由はありません。腰を下ろせる場所に行き、スナックを食べ比べしましょう」
曇りのないルカの笑顔に手引され、私はその場を後にした。
◇◇
「ズウォテのほうはザックザクで食べごたえがあるね」
私は、思ったままの感想をリリーバーに伝える。
このヤプコスナックという揚げ菓子はなかなか美味しい食べ物だ。ズウォテの前に食べたクルルヤプカのほうは少し強めの酸味があり、逆にそれが甘みを引き立てていた。
今食べているズウォテヤプコは、味はまずまずながら、食感が最高に良い。
食感ならズウォテヤプコ、味ならクルルヤプカに軍配が上がる。総じて、甲乙付けがたい。
「もう春も半ばですからヤプコスナックの旬はとうの昔に終わっています。稀に夏に出回ることもありますが、そういうのは保存食として日が経ち過ぎているため、今食べたような作りたてのヤプコスナックほどの美味しさがまるでありません。サクサククリスピーな食べごたえはないですし、風味もとんでしまってボンヤリした味になるため、貧困者の飢えを癒やすのが精一杯で、一般人に喜んで食べてもらえる菓子にはならないのです。この時期に出来たてを売る屋台に巡り会えたのは幸運でした」
「値が張るだけあって、とても美味しかった」
それは良かったです、と、ルカが莞爾とする。私がヤプコスナックを満喫したからだろう。振る舞いアンデッドは私たちに美味しいものを食べさせることを愛してやまないのだ。
「それでは、家に帰りましょう。サナは沢山ヤプコスナックを食べたので、晩御飯を全部食べきるのは大変ですよ」
「えー。今日だけは量を減らして。ねえ、ルカ~」
「ダメです。あなたへのお詫びはさっきので終わりました。甘やかしません」
お詫び? そういえばそういう話もあったような……。私は何に対して腹を立てていたのだったか。
ああ、思い出した。ブスの変装魔法をかけられた話だ。考えてみれば、あれは新種のアンデッドなりの精一杯の気遣いだ。それに、クールな情報魔法使いは男に興味がないのだから、問題としてこれ以上提起するのは憚られる。
「うーん、晩御飯が怖いなあ」
アンデッドらしからぬ食への強い拘りがあるアンデッドのこと。ブスディスガイズを引き合いに食事の減量を重ねて要求されても、決して受け入れないだろう。
もう、その件について考えるのはやめだ。詮のないことでしかない。
ヤプコスナックですっかり機嫌が良くなった私は、ルカと仲良くお喋りしながら自宅へ帰った。




