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第四二話 新種のアンデッドの秘密

 時刻は昼前となっていたため、飯場を出て昼食探しをする。


 わざわざ外へ探しに行かずとも、飯場は食事をする場所だ。取り立てて美味しいものではない、と分かっていても、マディオフのワーカー飯とやらを一度は食べてみたい。


 私がそれを伝えると、ルカは「サナがお腹を壊すといけない」と、子の健康保持に気を揉む親のようなことを言い出す。




 心配性アンデッドに連れて行かれたのは、中流の装いの食事処だった。


 昼食にはまだ少し早い時間、客も疎らな喫食空間の隅にルカと二人で身を寄せる。


 外国だけあって品書きを読んでも料理の内容がまるで想起できない。ざっくりとした希望だけをルカに伝えると、ルカが私の分まで注文を出す。


 しばらく待つと、二人分として適正量の皿が卓に運ばれてくる。給仕は料理を並べる際、どれそれの調味料をどの料理に使え、など、食べ方をいくつか説明してくれた。しかし、調味料も料理も初めて聞く名称ばかりで、しかも早口で説明されたため、給仕が去っていくと同時に説明内容は私の記憶から消えてなくなった。


 すると今度はルカが嬉しそうに食材や料理について説明する。


 マディオフは他国とは比較にならないほどスープにこだわりがある国で、例えば麦のスープひとつを例に挙げても、用いる麦が大麦であればクルプニク、発酵ライ麦であればジューレックと名前が変わる。ジバクマには存在しないヨーグルト入りのスープすらあるというのだから驚きだ。


 ヨーグルトは普通、サラダに和えるとか、パンや主菜にかけるソースとして用いるものだ。スープに入れてしまうと、ジバクマ人感覚ではゲテモノ料理になってしまう。


 今回、ルカが注文したのは、できれば遠慮したいヨーグルトスープのフウォドニクではなく、春野菜をふんだんに使ったヤジノヴァというスープだった。スープに浮かぶ食材は、マディオフに来てから時折リリーバーが出してくる料理にも使われていたものがチラホラあるため、見た目という点においては、口に運ぶのにそこまで抵抗はない。しかし、香りに少しばかり躓いてしまう。


 このスープには、リリーバーがまだ私に食べさせてくれたことのない未知の香味料が使われている。ジバクマの香味料では置き換えて例えることのできない独特の香りだ。決してイヤな匂いではないけれども、特徴的な新しい香りというのは、『本当に食べられるものなのだろうか?』と、食べる人間を不安にさせる力がある。


 マディオフ料理に期待していたはずの私の手は、スープを掬って口の前まで持ってきたところで静止する。


 なぜか静かになったルカをチラリと上目で窺うと、私の一口目を、今か今か、とにこやかに笑って待っている。これは、新しい料理をアリステル班に披露する際の恒例の顔だ。新種のアンデッドは私たちに物を食べさせるのが大好きなのだ。


 私の腹具合をこれだけ気にしているリリーバーに連れてこられた食事処で、リリーバーが注文した料理なのだ。腹を壊す心配は皆無だ。


 ささやかな勇気を出して匙を口の中に押し入れる。


 ……。


 香りそのままに、風味はジバクマの料理とかなり異なっている。しかし、口の中に入れてみると食べにくさや飲み込みにくさはまるでない。味と香りが見事に調和していて、とても美味しい。


 舌と鼻から新鮮な感覚が流れるように胃袋まで伝わり、食欲を急激に増進させる。


 未知の料理に感じていた恐怖はどこへやら。一口目を食べてしまうと、あとは勝手に手が動く。初めて食べるマディオフ料理を楽しみながら、さっきの老手配師との遣り取りの意味をルカに尋ねる。


 近くの席には誰も座っておらず、盗み聞きされる心配はない。それに、聞き耳を立てる者がいた場合、ポーたんが教えてくれる。そういう強い“意図”を持った行動を小妖精は見逃さないから安心だ。


「セリカとかダグラスって、リリーバーと一体どういう関係だったの?」


 ルカが上目遣いに私の目を見る。視線は少しばかりこちらを咎める色を含んでいる。


「過剰な好奇心は身の破滅に繋がりますよ。……ただ、少しは説明しておきましょう。せっかくのあなたの知力を我々との虚々実々の駆け引きに費やされても困ります。無用な疑心を生ずることにもなりかねません」


 ルカは湯呑の白湯を揺らし、立ち上る湯気の向こうに過ぎ去った時間を眺める。


「セリカとダグラス、どちらも昔の我々のことです。以前、出自不明の手足について話しましたね。アレですよ」

「二本の手足の話だね。覚えてる。やっぱり以前はヒトだったんだ」

「以前はヒト……ね。サナが今考えていることは、おそらく完全には正しくないと思うのですが、写本をしているのではないのですから、一文一句まで校合(きょうごう)、訂正する必要はないでしょう。部分的に訂正しておくとすれば、取り上げているのは“二本”ではなく“一本”だけ、ということです。残るもう一本の手足の出処について、我々は一切興味がありません。今回の話の中には丸きり挙がっていませんし、今後も調査に時間を割くことはないでしょう」


 老手配師とルカの昔語りにおける主要な登場人物はセリカとダグラスの二人で、それがどちらも昔のリリーバーだった。それなのにリリーバーのメンバーひとりのことしか指していない?


 言葉遊びでもしているのか、リリーバーの言わんとすることを私は上手く掴めない。


 少なくとも、セリカが死んでヴィゾーク( 背高 )になり、ダグラスが死んでシーワになった、という単純な話ではないようだ。


「ごめん。言っている意味が分からない」

「隅から隅まで教えるつもりはありません。我々が持っている過去の記憶はとても不明瞭です。何らかの切っ掛けがあるとか、人から言及、指摘されて思い出すこと多々です。我々にとっても出自は謎だったのです。謎の根幹部分を解明するには十八年かかりました」


 何とも壮大な過去を探す旅だ。アンデッドに自分探しをさせるとかくあらん。


「機会に恵まれて記憶が蘇り、謎が謎ではなくなりました。今では誰にも明かせない秘密となっています。もちろんあなたにも教えられません。我々から教えてもらおうとは期待しないことです。秘密を探ってもいけません。思考の中で解き、それで満足してください。ありがちな不正解を言っておくと“転生”ではないです。かくいう我々も、ずっと自らのことを“転生者”だとばかり思っていました。タネが分かれば単純な話です。そこにあるのは複雑さではなく、忌まわしさだけ」




 一時、私たちアリステル班もリリーバーのことをジバクマの大アンデッド、ダニエル・ゼロナグラの生まれ変わりだと考えていた。それと似たような思考の迷路にリリーバー自身も囚われていたのだ。


 ここでいう“転生”とは、ヒトが生命を失った後、アンデッドに“転化”する現象も包括しているのだろうか。おそらくそれは含んでいないように思う。そんなありふれた現象をリリーバーが隠す必要はない。


 では、生命あるヒトの状態、偽りの生命を持ったアンデッドの状態、両者の混合物である新種の状態、これら三つの状態を何度も行き来している、という説はどうだろう。


 ああ、でも、それではセリカとダグラスが“一本”である説明がつかない。経時的な変化よりも、同時に両者が存在する理屈のほうが難しいのだから、その方面から論理を展開するべきだ。


 ……ならば、分離と統合を繰り返している、というのはどうだ。ひとりの新種が、生命をもつセリカと、アンデッドのダグラスの二者に分離し、それらが再統合を果たすと、現在のヴィゾーク( 背高 )やイデナのような新種に戻る。


 割といい説のように思うが、セリカとダグラスがハンターであったことを考えると、少し無理がある。


 リリーバーは変装魔法(ディスガイズ)を使えても、偽装魔法(コンシステント)が使えない。ハンターというのは必ず手配師によって、能力や信用を調査されている。強くなればなるほど、重要な案件を回されるようになればなるほど調査は綿密になる。クラスが一定以上になれば、手配師のみならず国からの調査も入る。


 ジバクマだけでなく、どこの国でも行われているはずだ。高い能力を持ったハンターは、ともすれば容易に危険分子になりうるのだから。


 偽装魔法(コンシステント)が使えなければ、いつかどこかでアンデッドだとバレる。特に、このマディオフだとジバクマよりも早く露見するだろう。当時のセリカとダグラスは、アンデッドでも新種でもない普通のヒトだったはずだ。そうでなければこの国でハンターとして活動し続けられない。




 脳内で雑駁な推理を展開する私に、ルカは過去の続きを語る。


「記憶のあやふやさはひどいもので、例えばセリカという名前すら、我々は自分で思い出すことができませんでした。複数いる師のうちのひとりがたまたまセリカと面識があって我々にその名前を教えてくれたため、『そういう名前だった』と思い出せたのです。ダグラスについても同じです。あの手配師に教えてもらえなかったら、“名前探し”という、答えがそこにあるのかどうかすら分からない終わりの見えないドブ(さら)いはこの先も続いていたのです。そんな彼もダグラスの出自は知りませんでしたから、我々にとっても引き続き謎のままです。多分、この先も自分で思い出すことはできません。知っている人間を突き止めて聞き出すことこそが、記憶を取り戻す唯一確実な方法です」


 それほど大きな意味のある聞き取りには思えなかった先の会話は、記憶喪失アンデッドであるリリーバーにとって重要な意味を持つ有意義な時間だった。


「あの手配師に話し掛けた理由も、彼が老いていたから、というだけではありません。あの顔貌にどことなく見覚えがあったからこそ、我々は彼を選んだのです。セリカだった頃の記憶というやつでしょう。ただ、彼がダグラスの情報を持っている確信まではなかったため、彼が知らなければ、ダグラスのことを覚えていそうな存命の手配師を紹介してもらうつもりでした。最初に接触した人物がダグラスとセリカの両方を覚えていたのは正直、とても幸運でした」


 アンデッドは生前の記憶や人格を失っているのが常だ。例外はひとつたりとも聞いたことがない。


 ジバクマで最も有名なアンデッドのダニエルもそうだったし、歴史上最強のアンデッド、オーバーロードですら生前の記憶があった、などという話は無い。


 アンデッドの絶対原則から逸脱し、リリーバーは生前の記憶を継承している。それも新種ならではの特徴か。


「あとは……。うーん、何をどう言ったらいいか、話あぐねてしまいます。思いつくのは、明かせない秘密ばかりで、明かしても支障がないはずの細々とした部分は沢山あるはずなのに全然、頭に浮かんできません。他、何か聞きたいことを適当に質問してもらったら、それに答えることにしましょうか」

「じゃあ、何を聞こうかなー。……そうだ。ダグラスとセリカのパーティーってどうして全滅したの? “辛酸”ってそれのこと?」


 リリーバーは私に質問許可を与えたはずなのに、実際に質問されると途端にルカの表情が物憂げになる。


「ご、ごめん。いきなりデリカシーのない質問をして……」

「いえ、別に気にしなくていいですよ。特に質問の内容の制限はしていませんからね。まず言っておくと、今日の話は“辛酸”とは全く無関係です」


 それだけ言うと、ルカは湯呑の白湯を一口、ごくり、と飲み、ひとつ間を取ってから続きを話す。


()は、この世界で旅を続けていれば、いつかかつての仲間に会えるかもしれない、と思っていました。引き継いだ記憶が朧気でも、老いた仲間の外見が大きく変化していたとしても、実際に自分の目で見れば私の記憶は蘇り、仲間を仲間と認識できるはずだ、と。でも、そんなことはありえないんですよ」


 湯呑を握るルカの手に込められた力が震えとなって表れる。


「ダグラスが属していた青鋼団のメンバー、そしてセリカの属していた氷の剣のメンバー。いずれも全て、()が殺しました」


 仲間を……全員殺した?


「……なんで……そんなことを?」


 ルカは罪の呵責から逃げるように視線を私から逸らす。


「正確な表現ではありませんが、当時の()は彼らの仲間ではありませんでした。そして、その時は殺すのが最適な手段だと思っていました。理由はそのくらいのものです。理由と言える理由など無いのです。その後、私は()る失敗によって記憶を中途半端に失い、自らが犯した過ちを忘れ、自分にパーティーメンバーがいたことだけかろうじて思い出せる、という、自分でも想定していなかった不安定な状態になりました。それ故、私は自分が転生者だと思い込み、いつか来る再会の日を夢見ていたのです。再会も何も、自分で全員殺めてしまったのだから、滑稽極まりないですよね……」


 そんな過去があったなんて……。


 そういう辛い過去や特殊な経緯があったから新種に至ることができたのだろうか。


 しかも、この話、悲哀に浸るだけでは終わらせられない恐ろしさも持ち合わせている。


 転生ではないにしろ、なんらかの形でリリーバーが同じようなことを何度も()()()()ているのであれば、今度は私を殺し、その後、私を殺害したことなどすっかり忘れて、転生者気分で次の新種生活を送り始めるかもしれない。


 (きた)る今後の展開を想定する私の背中に冷たいものが走る。


 私の怯えを察したのか、ルカはこちらを向いて少しだけ表情を緩めた。


「消せない罪はありますが、あなたが自分の身を案ずる必要はありません。我々はあなたを害さない。それは何度も確かめたので大丈夫です」


 私を安心させるためのリリーバーの発言が、逆に私を悚然とさせる。


 そういう“意図”のある行動を小妖精は見逃さない。一体、いついかなる方法で小妖精の能力をすり抜けてそのような危険な検証を複数回行った、と言うのだ。


 不安、不信、恐怖。各種負の感情が表情を歪ませるべく私の顔に大きな力を加える。


 まずい……。恐怖に駆られて私はかなり危険なことを考えてしまっている。感情を表に出すのは避けるべきだ。リリーバーは今、私をどうこうするつもりなどないのだから、なんとかかして話題を元の方向に戻さなければ。


「それは……良かったけど、やっぱり私は“辛酸”が何なのか知りたい」


 ルカの視線がまた揺らぐ。私の敵対的な思考を見抜いたのではなく、自分の中の複雑な感情に動揺している様子だ。


「……その話は、セリカともダグラスとも直接は関係ありません。セリカがこの街でハンターとして生きていた時代から少し時間が流れた、とある時代において、この街ではない別の土地で、私は自分をヒトと思い込み、ヒトとして暮らしていました。悪いこともちょっぴりはしましたが、基本的には誠実に、他者の恨みを買うことなく生きていたつもりでした。しかし、ある日、どこの誰とも知らぬものに私は嵌められ、ヒトの世界から脱落しました。マディオフとの関係はその時点で断たれています。私はその()()の正体を知りません。それを突き止めるために“能力者”を探しました。私の持たない能力を持つ、情報系の能力者を。強くなるだけでは、真実に辿り着けませんからね。そうして見つけたのがあなたです。とはいえ、ダンジョン(  毒壺  )に入ったばかりの頃は、全くそうとは知りませんでしたがね」


 リリーバーが出会いの最初期にこちらの能力に気付いていなかったことなど、私はとうの昔に見抜いている。リリーバーの情報収集能力は、ルカの容姿を活かした聞き込みと、ゴキブリに代表される傀儡を活かしたある意味で手当り次第の広範囲調査に基づいている。私本人と“仲間”以外は誰も知らない隠された小妖精の能力など、当時のリリーバーが知っていたはずはない。


 心の中に(かん)した秘密までは探れないリリーバーだが、視線感知等の危機回避能力はずば抜けている。そのリリーバーを陥れるとは、敵の能力の高さが分かる、というものだ。


「正体すら知られずにリリーバーを陥れるって、こう言うのは何だけど、敵ながら凄い……。リリーバーはもしかして暗殺されたの?」

「いえ、暗殺とはまた違います。彼らは私を社会的に抹殺しましたが、厳密には命を奪っていません。私が物理的に死んだのは、計略に足を取られた少し後です。あなたが故郷で戦った内側に潜む敵と同じように、その()()もまた、この国の中枢に深く入り込んでいます。そうでなければ、あのような方法は取れません」


 語られる過去は漠然とした表現に覆われている。それを聞かされる私は、話の概要を掴むのにも一苦労だ。推測を交えて平たく言うと、リリーバーはどうやら気付かぬうちにマディオフ国内で強い権力を持つ『誰か』の勘気に触れ、極刑同然の社会的制裁を与えられたものと思われる。


 分かりにくいリリーバーの述懐を、できるだけ分かりやすく頭の中で書き換える私を見てルカがふっと微笑む。


「こんな断片的な事実だけで頭を悩ませる必要はありません。悩んでもらうのはもう少し先のことです。私もまだまだ何も分かっていませんし、調べ始めてもおそらく話はそう簡単に終わりません。サナとの約束である三年どころではなく、下手をすれば五年、いや、十年経っても事は解決を見ないかもしれません。ただ、解決しようがしまいが、ちゃんとサナは三年以内に故郷に帰します」

「そんなに長期を見据えている……。私もあなたたちも、情報力は並外れている。そんな私たちから、それほど長く秘密を保持できる存在がいるようには思えない」

「あなたも追々分かります。むしろ分かってもらわなければ困ります。私もまだ掴みきれていない部分を突き止めてもらわなければならないのですからね。思うに、()()とは単独の存在ではありません。十人か、百人か……。あるいは確固たる黒幕はひとりだけで、あとは事情を知らぬまま動く末端の手足で構成された専制組織なのか、まだ何も分かりません。取り敢えず私はその()()を符牒として“異端者(ヘレティック)”と呼んでいます」


 異端者(ヘレティック)とはまた()な暗号名を用いる。


 異端という言葉はしばしば信教における少数派を指すために使われる。紅炎教が国教のマディオフでの異端者(ヘレティック)ならば、さしずめ東天教信徒か、あるいは紅炎教の殲滅対象であるアンデッドのリリーバーそのものではないか。


異端者(ヘレティック)を末端でもいいから、まずはひとり見つけ、調べ上げ、全容解明へ繋げます。仮に全容を理解したとして、では全てを解決させられるか、落とし前をつけさせられるか、というと、それもまた分かりません。問題の抽出や理解と、対策の立案及び実行は連続したものでありながら、ある程度切り離して考える必要があります。私があなたに期待してるのは、理解の部分が主です。それ以降の対策立案や実行部分、落とし前については関与を求めていません」


 リリーバーが被った“辛酸”なのだ。それに対する落とし前はリリーバーの手でつけさせたいだろう。そこを第三者である私に手出し口出しされたら達成感も何も無くなってしまう。


 それと、“辛酸”の内容が少し分かったことで、審理の結界陣を持っているリリーバーが、それでもなお私をマディオフに連れてきた理由が朧に理解できてきた。結界陣は情報獲得の手段として優秀ではあるが、決して万能ではない。特に、隠密性に関しては皆無だ。


 敵が巨大な組織ならば、調査に際して隠密性が必ず求められる。隠密調査なら小妖精に分がある。


飾り(審理の結界陣)を持ったリリーバーが、私に協力を仰いだ理由が見えてきた。リリーバーの目的を考えると、この魔道具は欠点が多い」

「致命の欠点だけなら回避する手段があるにせよ、講じた回避手段が、また別の欠点を生み出してしまう、という堂々巡りに陥っています。価値を発揮できるかどうかは状況と使い方次第です。情報を探る手段は多いほうがいいでしょう」


 ルカが私の目を真っ直ぐに見る。ルカの目は、私がジバクマで何度も見てきた、憲兵やアリステル班に助力を請う相談者たちと似た色をしていた。


「我々だけでは手に負えない情報問題や頭脳問題に直面したら、改めてサナに助力を請うつもりです。そのときはあなたの能力と知恵を貸してください」

「任せて」


 驚くほどハッキリと援助を求めるリリーバーに、私は即座に力強く応諾する。ジルの部屋で最初からこのように分かりやすく要求を述べてくれれば話はもっと早く……。


 そういうわけにはいかないか。


 これはある意味リリーバーの弱みだ。迂闊に他者に暴露すべきものではない。私たち“仲間”だって、敵の弱みを見つけたら、そこを狙う手段を考える。


 敵とも味方とも判断つかざる段階でリリーバーの弱みを握った場合に“仲間”がどのように動いていたか、必ずしも断言できないところがある。私たち“仲間”も目的のためならば非情な手段を選ぶことがある。


 過ぎたこと、ジバクマのことはいいとして、考えるべきは、ついに触れることのできたリリーバーの悩みだ。予想に違わず、リリーバーが巻き込まれている問題はかなり厄介だ。私の協力期間中に解決を見ないかもしれない。


 解決までは持っていけなくとも、私がいる間に何としてでも全容解明まで持っていきたい。先日の隣村の事案でもそうだったように、小妖精の力で謎をスパっと解けるとは限らない。いや、小妖精はそれなりに頼りになるにせよ、スパッと謎を解くことのほうが少ないかもしれない。


 小妖精の力で入手できる情報は一癖も二癖もある。小妖精によらない情報、例えば聞き取り調査をするなり、書類を読み漁るなり、手足を動かし汗を掻いて集めた情報は、時に小妖精産の情報よりも高い価値を持つ。


 謎が深く複雑ならば、情報獲得経路は複数あるほうが望ましい。多方面から集めてきた情報を正しく組み合わせて解釈しなければ、正解に辿り着けない謎が世界にはザラにある。リリーバーを嵌めた異端者(ヘレティック)とやらは、おそらくそういう複雑な謎の最たる例に決まっている。


 私の知恵者としての立場を強固にしているのは専ら、隠された情報を暴く小妖精の能力であって、洞察力や高度な思考力のほうは売りとなっていない。


 しかし、リリーバーの問題を解決するにあたってそのような言い訳は何ら意味をなさない。


 私がここにいる理由の半分は、『リリーバーが私の力を求めている』からだ。もう半分は、『私がリリーバーを助けたい』からだ。……少し違うな。半分ではなく、どちらも三分の一ずつだ。残り三分の一は、ささやかな願いだ。


 謙虚な願いは今はどうでもいい。私は渋々リリーバーに同行して事務的に力を提供しているのではなく、力になりたい、という想いを抱いてここにいる。自発的な意欲がある分、役に立てなかったらどうしよう、という不安もまたどうしても生じてしまう。


 一緒に頭を悩ますつもりでいたというのに、いざ謎の片鱗に触れて、その難しさがチラリと見えた途端、不安は一気に膨れ上がる。


 リリーバーの求めには清々しく返答したが、清々しさとは裏腹に自信は全くない。


 自信なさげな私の顔をリリーバーがどう解釈したのか、ルカは苦笑して補足する。


「あなたは頭が良い分、(かえ)って余計なこと、我々にとっては望ましくないことを考えがちなように思います。くどいようですが、念の為もう一度言っておきます。今日の話は本当に“辛酸”とは関係ありません。我々にはいくつか目的があります。夢とも言いますか。夢のひとつは凄い魔法使いになることです。新魔法の作成は、魔法の到達者への一歩と言って差し支えないでしょう」


 それは理解できる。


 リリーバーは実際、いくつもの新魔法を作っている。


 必要に迫られて作っているようでいて、動機の半分以上はリリーバーの趣味なのである。


 犯した過ちや“辛酸”などの過去の憂鬱な話をしていた時とは一転、夢を語るルカは顔をほころばせている。


 コロコロと変わるルカの美しい表情は見る者を飽きさせない。アンデッドにも長い年月を生きたヒトにも似つかわしくないこういう子供っぽさは毒壺にいた頃から変わらない。


 ネコの目のように変わるルカの表情を見ることが、実はとても好きなのだ、と思いがけず自覚する。


「他にも、まだ思い出せていない過去の記憶を取り戻すこととか、面白い魔道具を作ることとか、夢や目的はいくつもあるのです。“辛酸”に(まつ)わる諸々の事柄は、あくまでも多数ある目的の中のひとつに過ぎません。別に我々の存在意義の根幹をなすものではないのです。たったひとつの目的に囚われると、これが案外上手くいかないのが世の習いです。したがって、あっちこっちつまみ食いしながらやっていこうと考えています。それに、目的や夢なんてものは、いつどこで潰えるか分かりません。そういう意味でも、ひとつに固執するのはダメですね。『昔の仲間に会う』ことも夢のひとつでしたが、残念ながら自業自得な理由で消えてしまいました。もう仲間は要りません」


 自虐的なことを、少しおどけたようにルカは話す。


「えー、私がいるのに? ああ、私がいるからこれ以上は要らないのか」


 少し気分が良くなった私はしたり顔でルカを見る。


 すると、ルカが私の頬を引っ張る。力は込められておらず、特に痛みはない。


「あなたは仲間ではなく弟子であり、一時的な協力者です。我々に無用に肩入れしてはいけません」


 ルカの今の一言に、ポーたんが反応を見せる。リリーバーは今、何かを有耶無耶にしようとか、隠そうとした。そういう“意図”がルカの言動にあった。


 本音では私に仲間になってもらいたいけれど、ジバクマに戻り私と別離する日の寂しさを思い、敢えて突き放した、というところだろうか。ふふふ、人恋しいアンデッドめ。


「あと、こちらも念押ししておきます。“辛酸”については、うまくいけば最終的に全容を解明してもらうことになります。その過程で、本来であれば永久に秘匿しておくべき過去の事実を私の口が語ることもあるでしょう。しかし、それとは関係のない我々の出自については無用に説明しませんからね。あなたも探ってはいけませんよ。これは以前と変わらない、尊重されるべき一線です。能力なんか使って探った日には、また斬り捨てます」

「えー、どうしよっかなー?」


 ふざけて返事をしたところ、ルカにまた頬を(つね)られる。今度は普通に痛かった。


 どうやら自分から白状する以上に過去を覗き見られるのは本当に嫌なようだ。


 小妖精を斬ったところで、“辛酸”の調査が捗らなくなって困るのはリリーバーなような気もするが、新種のアンデッドだろうとワイルドハントだろうと、誰にだって知られたくない秘密のひとつや二つがあるものだ。


 仕方がない。リリーバーが私に格別の敬意を払っている間だけは、私も特別に遠慮しておいてあげよう。




 その後は客が増えてきたこともあり、不穏当な会話は避けて無言で食事を取る。


 沈黙する卓で、私はひとり考える。


 リリーバーはマディオフのヒト社会でセリカやダグラスとして生きていた時代がある。当時、摩擦を生じずに穏やかに過ごしていたかというとそうではなく、同じパーティーの仲間を殺害するなど、残虐な行為に手を染めていた。


 その後、ある失敗によって記憶を喪失し、昔の記憶は地中に埋まった遺物のような形となったため、リリーバーは自分をヒトの転生者だと思い込むようになった。比喩的な意味での生まれ変わりを果たし、今度は大罪を犯さずに小犯罪を積み重ねながら暮らしていたリリーバーは、ある時、異端者(ヘレティック)に目を付けられた。異端者(ヘレティック)の計略に嵌ったリリーバーはヒト社会から脱落して、後に命を落とした。


 ううん……。これは難しい。


 異端者(ヘレティック)の全容を解明する前準備として、リリーバーの略歴をきっちりと理解しておくのが望ましい。それなのに、略歴把握からしてまず容易ではない。


 仲間を仲間とも思わずに殺す異常な存在が、ある時、記憶の喪失と引き換えに穏健さを手に入れて無益な殺生を慎むようになった。


 ルカの語った内容を順番に追うと、こういう流れだ。ただし、ここには私なりの解釈が入っている。私がどれだけリリーバーの過去語りを正しく解釈できているか不明だ。


 リリーバーは一体、いつ、どのタイミングで新種のアンデッドになったのだろう? 記憶喪失後に自分のことをヒトの転生者だと思い込んでいたのだから、記憶喪失後は既に“新種”だったと考えてよさそうだ。


 では、それよりも前、仲間を惨殺していた頃はどうだろうか。切羽詰まった事情なしに仲間を手に掛ける時点でとんでもなく異常だ。普通のアンデッドと同様に無慈悲でヒトの心を持たない存在だった、ということだ。


 記憶喪失前のほうが、よほどヒトならざる者ではないか。リリーバーの言う『然る失敗』とは何だ。ヒトの心を手に入れられる失敗とは何なのだ。


 それに、セリカとダグラスが『一本』としか関わっていない、とはどういう意味だ。ダグラスは男で、セリカは女……。


 普通に考えれば、男女がひとつになるときたら、二人のもうけた子供が後のリリーバー、という発想になるだろう。ダグラスとセリカはどちらも子供を欲しておらず、リリーバーは両親から望まれていない、不慮の事故の結果としてこの世に生を受けた。異常な殺人者二人の間に生まれたリリーバーもまた子供時代から常軌を逸した精神構造をしていて、リリーバーは実の両親の命を手にかけた。


 ……これだと、リリーバーが不完全な記憶を持っている理由に説明をつけられない。リリーバーの言う、『セリカとダグラスは昔の自分だ』という表現は、代替わりを意味したものではなさそうだ。


 現段階で明示されている情報だけでリリーバーの出自推理を進めても真実には辿り着けそうにない。


 それに、リリーバーは秘密を暴かないでくれ、と言っている。私がすべきは、リリーバーの過去の罪状を並べ立てることではない。リリーバーを襲った事件の詳細を突き止めることだ。


 今度は“辛酸”について考えてみよう。


 異端者(ヘレティック)はマディオフの中枢で権力を握る人物、つまり国家要人だ。国家要人が秘密裏に都合の悪い相手を消す。これだけなら取り立てて珍しくない、どこの国でもありそうな話だ。リリーバーは国家要人とどのような形で接触を持ったのだろう。政敵として対立したのだろうか。それとも要人の汚職を手引きした後に裏切られ、罪を丸被りさせられたのだろうか?


 ……それでは、リリーバーが異端者(ヘレティック)の正体を突き止められない理由が存在しなくなる。




 はぁ……ダメだ。考えようにも材料が少なすぎる。


 ようやくヒトの暮らす街にも入ったのだ。リリーバーも、追々分かる、と言っている。推理に花を咲かせるのは、追加情報が得られてからにしよう。




    ◇◇    




 昼食を終えた後は、気分転換と題してフライリッツの街中を散策する。


「さっきのお店は何点くらいですか? 一〇〇( 100 )点満点でお願いします」


 料理評を問われ、舌に残る味を評点する。


「えーと、八〇点くらいかな」

「おっ、結構高評価ですね。ああいう味付けが好きなんですね」

「あのフレーバーに特別好感を抱いたんじゃなくて、なんて言うのかな。初めて食べる味の割には、『イケる』って思ったから」


 ルカは大層興味深そうな顔で、ふむふむ、と頷く。私の評価を心の記帳に書き込んでいるようだ。うむうむ、赤の太字で書いておくといい。


「なるほど、分かりました。少し話は変わりますが、サナももっと食事のリクエストを出してもいいですよ」

「と、おっしゃいますと?」


 私が調子に乗って冗談っぽく返事をすると、ルカはふと遠くを見つめる。


 しまった……。空気を読み間違っただろうか?


「我々はフィールドにいる時間が長いですよね。大半の食事は私が準備しています。もし前もってリクエストを出してもらっていたら、ある程度はサナの希望に沿うようにしてメニューを考えます、ということです。それと、こういうことを言うのはあまり良くないかもしれないのですが……」

「え、いいよいいよ。喋って」


 言葉を躊躇(ためら)うモジモジアンデッドに続きを促す。


「そうですか? んんっとですねぇ……。アシッド(ラシード)君とかタバサ(サマンダ)さんは色々と食べたい物のリクエストを出してくれていたのですよ。あまり我儘(わがまま)を言われても応えられないですし、度が過ぎれば腹が立ちます。しかし、人から何も言われずに自分だけでメニューを考えていると、どうしても同じメニューを同じ周期に繰り返しがちになります。ちょいちょい好みとかその日の気分を言ってもらえると、作る方としては、新しいメニューの着想が得られたり、単調な周期に変化を加えやすくなったりして、ありがたい部分があります」

「へえぇぇっ!?」


 新種のアンデッドは素知らぬ顔で聞き捨てならないことを言った。新しいメニューの着想云々はどうでもいい。


 問題はその前だ。ラシードとサマンダがリリーバーに食べたい物の要望を出していたというのはどういうことだ。そんなの、私は初耳だ。


「ほ、本当にリクエストなんて出してたの? いつから?」

「もちろん本当ですよ。時期は……。一緒の物を食べるようになってから、三日とせずにタバサさんは言ってきましたよ。アシッド君のほうは一週間くらいでしたかねえ」


 あ、あ、あ、あ~~い~~つ~~ら~~!!


「……なら、私とリスト(アリステル)さんだけが我慢させられていた、ということですね」

「あっ……」


 ルカは私の方を一瞬だけ見ると、すぐに申し訳なさそうに目を逸らす。そして、あっちを向いたまま、両手の人差し指の先をツンツンと合わせて、おずおずと喋りだす。


「リストさんは、立場上言い出し辛いかな~、と思って、私の方からたまにリクエストや味の好みを聞いてました」


 外道アンデッドは傷ついた私の心に心無い追い打ちをかけた。


「どうして……。どうしてなの……?」

「別にリストさんを特別扱いしていた、とかそういうことではなくて――」

「違くて……。なんで私には何も聞いてくれなかったの?」


 自分でも驚くほどの低い声が腹の底から出てきた。


 私の憤慨が伝わったのか、ルカはちょっと及び腰になっている。


 私の表情を窺いながら、悚懼(しょうく)して申し開きを始める。


「当時は三人を一括りで考えていたため、サナもそのうち自分から好みを言い出すと思っていました。しばらく経っても何も言わないから、()と同じで食事には栄養補給以外の意味を見出してないものと判断し、その後は特に何も考えなくなりました。あなたが抱いていたであろう要望や不満を意図的に無視したとか、そういうことではないのです」


 メラメラと怒りが湧くものの、怒ってみせたところでなんにもならないと思い、炎を無理矢理滅却するため、自分の心を納得させる理由を考える。


「釈然としない部分は残っている……。でも、最近は押し食いも少しだけ控えめになってきたし……」

「それは意味がないですからね」

「は!?」


 心を逆撫でするような無神経アンデッドの物言いに、鎮火しかけた怒りの炎が勢いよく再炎上を始める。


「意味がないとはどういう意味なのか、きっちりかっきり説明して!」

「説明するのは構いませんが、少し長いですし、理屈っぽくなりますよ」


 ルカは少しだけ思案してから申し開き第二弾を始める。


「まずですね、身体が大きくなればなるほど強くなれる、という考えは間違いです。身体が大きくなることを、ここでは体重増加と定義しましょう。体重が増えたらそれに正比例して戦闘力が増す、ということはありえません。対数関数の基本のグラフを想起してみると分かりやすいでしょう。つまり、体重が増えれば増えるほど、体重増加量あたりの戦闘力増加量は下がってしまう、ということです」


 言い訳アンデッドはいきなり数学に喩え始めた。私を混乱させてはぐらかそうと目論(もくろ)んでいる。


 ポーたんは、ルカの弄舌から、『しっかりと説明する』という“意図”を拾ってきているけれど、嘘に決まっている。きっとポーたんは壊れているのだ。私に理解させる気があるならば、こんなに分かり辛い説明をするわけがない。


 私の顔に浮かぶ不満を察したルカは、やれやれ、という表情を浮かべ、何を言われずとも補足を始める。


「なんだかもう混乱してるようなので、もっと砕いた言い方をするとしましょう。強くなることを目的として体重を増やし、身体を大きくさせることにはボリュームゾーンがあります。あなたはそのボリュームゾーンをもう過ぎている、そういうことなのです」


 ルカは私の顔をチラチラと窺う。機嫌伺いではなく、話の理解度を確かめている。


 難しい言い回しをすると私の頭では理解できないと馬鹿にしているのだ!


「アシッド君はまだ身体が大きくなっていますが、最大のボリュームゾーン、一番()()()のある時期は過ぎました。(いたずら)に体重を増やしても、持久力や俊敏性の低下に繋がりかねません。必ず持久力や俊敏性の訓練も並行しなければなりません。彼には何度もそのことを説明したのですが、戦闘力増加よりも、専らボディメイキング、ぶっちゃけて言えば、『デカい身体は格好いい』という発想に基づいて、趣味で身体を大きくしているだけなのです。私は本当は()めたんですよ。それ以上、身体を大きくしなくてもいい、と」


 馬鹿のラシードは私の認識よりも遥かに馬鹿だった。馬鹿もこれだけひどいとそれだけで罪だ。万死に値する!


 筋肉のことしか頭にない馬鹿についてこれ以上あれこれと腹を立てても生産性は何もない。私は筋肉及び馬鹿について考えるのをやめた。


 あまり近くに寄ってしまうと筋肉の隆起しか見えなくなる。もっと離れて、広く大きく見るべきだ。そうすると、見えてくるのは私以外の三人とリリーバーとの関係性だ。三人とも、私の(あずか)り知らないところで、驚くほどリリーバーと意思疎通をしていたのだ。


 サマンダがリリーバーに心を開いたのは、共同行動を開始してかなり経過してからだ。三人の中では最も遅くまで心の一線を割らなかった。そのくせ、食事のリクエストみたいな自分に都合のいいことだけは、付き合い始めた直後から出して甘えているという……。


 要領がいい? 違う! ちゃっかり者だ。(ずる)いのだ。万死に値する!


 アリステルは……。アリステルはルカからリクエストについて尋ねられた時、『ラムサスも何か食べたいものがある?』と気を利かせて水を向けてくれなかった。リリーバーとの責任割合を鑑み、万死ではなく百死にまけておく!


「あなたは女性ですから、男性に比べて筋肉量が増え辛く、種族限界および性別限界が近付いています。この先も急激に体重を増やそうとすると、筋量の増加割合より脂肪量の増加割合のほうが高くなってしまいます。食事量はこれ以上無理に増やさずに適量を維持するべきでしょう。だから『意味がない』と言ったのです」

「『押し食いが減った』とは確かに言ったけれど、今、私が食べている量も結構多いと思う! 億死!!」

「おくし?」


 私の心底からの怒りを聞いても、ルカは私に対する“申し訳なさ”をまるで浮かべていない。それどころか、ぽかんとした顔でこちらを見ている。


 なぜ私の怒りを察せない。もっと申し訳なさそうにしろ!


「あなたの上司を貶めるつもりはありませんが、我々は栄養に関する知識をリスト(アリステル)さん以上に持っています。リスト(アリステル)さんと情報交換する中で、彼もそう認めていました。もちろん病や怪我に関する知識はリスト(アリステル)さんたちのほうが圧倒的に上です。得手不得手がある、ということです。我々は保有する栄養知識に基づいて、過不足なく、戦う身体を維持し続けられる量と内容を吟味し、現在の食事を設定しています。訓練量や運動量を減らさずに食事量を減らすと体重も魔力も減ってしまい、戦闘力の低下を引き起こします。それを更に過ぎると、女性のあなたの場合、無月経となりますよ」

「理屈っぽい……はっ!?」


 前もって断りを入れられていたのに、『理屈っぽい』と反射的に言ってしまった。くっ……。


 ……あれは本当に“断り”だったのだろうか。実は、巧みな“誘導”だったのではないだろうか。


 私をまんまと罠に嵌めたルカは余裕めいた笑みを浮かべる。


「サナがバリバリの座学をあまり好んでいないことは分かっています。そのため、我々は講義を行う際、知っておいて損がなく、かつ簡単に理解できる皮相だけをなるべく話すようにして、学問としては大事でも、あなたには活用場面がない基礎的な細かい部分や退屈と思われそうな部分は意図して省いていました。もしも聞きたければそういう話もできます。しかし、やはり興味がないのだ、と、今の一言で確認ができました」


 食事にまつわる私の想いは何も分かっていなかったこのトンチンカンアンデッドは、見透かさなくていい部分を、いや、むしろ見透かしてほしくない部分だけを見透かしている。


 私は、『勉強が嫌い』と言ったことなどない。リリーバーだけでなく、誰に対しても言ったことがない。


 生きていくため、任務のために必要な知識は苦手意識を極力抑えて頑張って吸収するようにしていた。でも、アリステルは私が勉強を苦手にしていることを、いち早く見抜いて気を遣ってくれていた。それだけでも十分居たたまれないというのに、朴念仁アンデッドにまで見抜かれ、気を遣われながら知識を授けられていて、しかも当の私は特別な配慮をされていることに全然気付いていなかった。小妖精もいるというのに。


 リリーバーの講義内容は専門的で“深い”とばかり思っていた。リリーバーからしてみれば、あれでも“浅い”内容だったのだ。


 私なりに頑張って勉強していたのに、努力だけでは隠しきれないほど頭が悪いうえ、出会う指南役全員に特別に気を回されていた。


 なんて……なんて情けないのだろう……。


「頭の良さは勉強の得意不得意だけでは決まりません。あなたは洞察力に長け、先を見通し大きな視点に立って正解を見極める力があります。目の前に立つ相手の戦闘力ばかりを推し量り、戦って倒せるか、殺せるかどうかしか考える能力のない我々とは違います。知識を持っているだけでは知恵があるとは言えません。あなたには能力だけでなく、知恵を貸してもらいたい。我々はそう思っています」


 ううぅ……荷が重い……。


 慰めてくれているのかと思ったら、全然違った。リリーバーは本気で私が知略を発揮して功績を挙げることに期待している。


 リリーバーの力になりたいというのは私の本心だ。でも、リリーバーに期待されているほど頭は良くない。小妖精がいるから取り澄ましていられるだけで、素の洞察力など人並み未満だ。何かの拍子に小妖精が召喚できなくなった日には、日常生活にすら支障をきたす。


 いざ、自分の役割をこうやって相手から言葉にされると、かけられた期待のあまりの大きさに、何か事をなす前に心が磨り切れてしまいそうだ。


 リリーバーが見つけられない深く暗い闇に潜む敵を見つけ、さらにそれを倒す手段やら理想的な解決策やらを考えて、感激アンデッドに大感謝されなければならない。滂沱して涙を流し私を褒め称えるルカを、私は『苦しゅうないぞ』とあしらう。


 はああ……。クールな情報魔法使いにぴったりの役割(ロール)は責任重大だ。




    ◇◇    




 怒ったり尻込みしたりしながら、真面目な話と冗談話を交えてフライリッツの街を歩く。取り立てて景観が良いわけでもなく、これと言えるほどの見所はない普通の街だ。


 それでも、ここに住み、暮らしていたリリーバーの思い出話をあれこれ聞きながらブラブラすると、退屈するどころか、とても楽しめる。目の前にあるだけだった何でもない街が、生命体のように生き生きと躍動して立体的に見えてくる。ただの背景に過ぎなかった見ず知らずの通りすがりの人間一人ひとりが、壮大な経歴を持つ物語の主人公のように見えてくる。


 私は軍人として色々な街に行った。それは云わば部隊の派遣であり、出張に類するものであって決して旅ではない。派遣ではなく旅をして、聞き込みや調査ではなく雑談という形でそこに暮らす人の話を聞いて……。行っている事の本質は同じはずなのに輝きが違う、楽しさが違う。


 世界がこんなに楽しいものだったとは、驚きは新鮮だ。


 私は少しの間だけ使命を忘れることにして、嬉しそうに在りし日を語る饒舌(じょうぜつ)アンデッドの横を歩いた。

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[良い点] 改稿お疲れ様です。 [一言] 出自不明のもう一本て誰のことなんですかね。 主人公は興味なしと切り捨ててますが、個人的には非常に気になってます。 ジェシカの素性は捕獲時にわかってる筈だし、融…
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