第四一話 フライリッツの老手配師
“エルリック” 改め “リリーバー” 構成員一覧
ヴィゾーク(旧名「背高」)
リリーバーの中では最も魔力が豊富で、パーティー最強の魔法使い。魔法の使用頻度はパーティー中最多。物理戦闘はあまり行わない。魔力量に基づいたラムサスの戦闘力判定では、ブラッククラスが間近のミスリルクラス。
上背があり、マディオフ入国後は、中年から老年の痩せた男性に扮している。ルカにより、腹部から食料供給を受けている? そのため、アリステル班からは“新種のアンデッド”の一体として認識されている。
ルカ(ポーラ)と共に本を読んだり、ルカ(ポーラ)と共に何かしらの作業に勤しんだりしている時間が長い。アリステル班と行動を共にしていた頃はアリステルの医学講義を聴講していた。
シーワ
ヴィゾーク(背高)に次いで魔力が豊富なパーティー最強の剣士。ラムサスの戦闘力判定ではミスリルクラス。魔法の使用頻度は低い。
背はヴィゾーク(背高)の次に高く、横幅と厚みのある強靭な肉体を有している。毒壺時代は変装魔法の掛かっている大きな両手剣を使用していた。オルシネーヴァの宝物庫急襲後は、魔剣クシャヴィトロを使用している。
マディオフ入国後は豊満な中年女性に扮している。ルカによる食料供給は受けない。
ノエル
パーティー三番目に多い魔力量を有する。アリステル班の前で魔法を使用したことはない。戦闘時は不器用に剣を撃つ。両腕を取り戻したニグン(二脚)の戦闘力が大幅に向上した現在、リリーバーに所属するアンデッドの中では最も戦闘力に劣っている。ラムサス評では、魔力量だけならばミスリルクラス、実際の戦闘力はゴールドからプラチナクラス。
マディオフ入国後は中年男性に扮している。ルカにより、頭部から食料供給を受けている? “新種のアンデッド”と見做されている一体。オルシネーヴァからジバクマへ帰還する際に、アンデッドの素顔を一部晒している。
イデナ
ヴィゾーク(背高)に次いで魔法の使用頻度が高い魔法使い。物理戦闘はあまり行わない。ラムサスの戦闘力判定ではミスリルクラス。
マディオフ入国後は中年女性に扮している。女性としては背が高く、男性並。ルカにより、腹部から食料供給を受けている? “新種のアンデッド”と見做されている一体。ルカ(ポーラ)と共に何かしらの作業に勤しむ姿がしばしば見られる。長距離移動や緊急移動時にラムサスを背負うのは大抵イデナである。
フルル
シーワの次に果敢な物理戦闘を行う剣士。ラムサス評では、魔力量がチタンクラス、剣を用いた実戦闘力はミスリルクラス。魔法の使用頻度は低い。
シーワが魔剣クシャヴィトロを使い出してからは、変装魔法の掛けられた大両手剣を使用している。
マディオフ入国後は中年男性に扮している。ルカによる食料供給は受けない。アリステル班に剣の稽古をつけるのは大抵フルルである。
ニグン(旧名「二脚」)
ジバクマに出現後、ずっと「両腕が無い」と思われていた一体。ゲダリングとリゼルカの両都市がジバクマに復帰して選挙が行われた時期から剣を用いた物理戦闘を行うようになり、同時に低頻度ながら魔法を使用するようになった。剣を用いる前は脚攻撃しか行わなかった。魔力量はギリギリのチタンクラス。
マディオフ入国後は中年男性に扮している。ルカによる食料供給は受けない。
クルーヴァ
マディオフのフィールドでリリーバーが捕獲した雄性のブルーゴブリン。ゴブリンの群れの中では最も強かった個体。ドミネートにより身体を支配され、リリーバーの構成員になった。
体格はヒトの女性並みで、中年女性の変装魔法を掛けられている。ルカに盛り付けられた食事を、スプーンやフォークなどの飲食用具は用いずに手掴みで口から摂取する。
ルカ(旧名ポーラ)
パーティー中、唯一のヒトの若い女性。ドミネートにより身体を支配されている。魔力量、実戦闘力ともにシルバークラス。ラムサスとの訓練時を除き、魔法戦闘も物理戦闘も行わない。アリステル班の前で魔法を使用したことはない。目鼻立ちが整っており、美しい容姿をしている。髪色は黄桃色、肌の色はやや明るめ、と、どちらもジバクマ人にはあまり見られない色合いをしている。人と話すときは概ね笑顔をしている。
料理、裁縫、修理などの手作業は、全てルカ(ポーラ)が行っている。ヴィゾーク(背高)やノエルなどの“新種のアンデッド”への食料供給は全てルカが一手に担う。アリステル班時代はヴィゾーク(背高)と共にアリステルの医学講義を聴講していた。
マドヴァ
オルシネーヴァとジバクマの平和条約締結後、ジバクマ国内を跋扈する魔物との戦闘時に没した魔法使い。
健在時はルカから腹部から食料供給を受けていた?
ウルド
毒壺内でヴェスパの海に呑まれた剣士。
健在時は、フルルと共にアリステル班に剣の稽古をつけていた。ルカによる食糧供給は受けていなかった。
リリーバー(エルリック)臨時協力者
サナ(本名ラムサス・ドロギスニグ)
ブラッククラスのハンター、クフィア・ドロギスニグの娘。情報魔法に相当するスキルを持った二体の小妖精、ソボフトゥルとポジェムニバダンを召喚できる。小妖精以外にも、本人は各種情報魔法を習得している。リリーバーに師事するようになってからは水魔法と風魔法を練習している。自己評価ではプラチナクラスの戦闘力と魔力量を有している。
マディオフ入国後は、オクサーナという偽名を与えられた。サナは、オクサーナの愛称。
「ねえ。フライリッツってどんな街?」
「最後にここを訪れたのは数十年前です。その間にどのような変化を遂げたのか、我々は詳しく知りません。当時は戦線が近くにありました。マディオフは侵略を受ける側ではなく侵略する側だったため、避難で流出する人口よりも働き口を求めて流入する人口のほうが多く、若い人間で溢れかえっている、活気のある街でした。ただ、『他の街とはここが違う!』と言えるほどの産業や特色、名物などは無かったように思います。街側の要素ではなく、我々側の要素を語るならば、ある意味で初めて足を踏み入れた街ですね」
初めて訪ねるのに『ある意味』も『然る意味』も無さそうなものだ。新種のアンデッドは理解困難なことを言う。
生者だった頃は人が暮らす街に住んでいたけれど、アンデッド化してからは人と距離を置くようになった。それが、何らかの事情により人と接触を持つ必要に迫られ、そうして初めて入った街が、このフライリッツ、という解釈はどうだろう。
我ながら、なかなか好い線を行っているように思う。
「こっちに来てからリリーバーが初めて訪れる人里って、すごい小さい村なんじゃないかな、ってなんとなく思っていたのに、外れちゃったなあ。見た感じからして、かなり大きい」
「面積的にはそうでしょうね。でも、案外中に入ってみたら、人口が減ってスカスカかもしれません。取り壊されていないだけの無人の廃墟だらけだとしても、不思議はありません」
内情の予想を語るルカの表情は懐かしさ半分、寂しさ半分といったところだ。
戦争によって発展した街は、戦争の終了や戦線の前進後退によって様相が変わり、基本的に経済規模が縮小する。少し衰退したところで戦争とはまた異種の産業を成長させ、都市形態を変容させながら動態を安定させることもあるが、多くは衰退に歯止めがかからず、見る影もないほどに退廃してしまうものだ。戦争による景気浮揚は負の側面がつきものである。
リリーバーが指す“昔の戦争”について、私の知っていることを思い返す。
古くジバクマの北には、大きくゼトラケインとマディオフの二国が位置していた。東にあるのがドレーナの統治するゼトラケイン王国で、西に位置するのがマディオフ王国だ。歴史が長いのはゼトラケインのほうで、マディオフが今の規模になったのは比較的近代の話である。それ以前のマディオフは、群雄割拠の乱国林立地帯だった。
彗星のごとく現れたマディオフの一族は、特異な能力に基づく超高度な統率力で鉄の結束力を持つ軍隊を作り上げ、武力を背景に次々に周囲の小国を飲み込んだ。
オルシネーヴァは、マディオフがまだほんの小さな集団に過ぎなかった頃から遠交政策の原則に従ってマディオフと良好な関係を築いていたため、現代に至るまで独立を維持できている。
オルシネーヴァを除く一帯の小国全てを征服して覇者となったマディオフの次の目標は東のゼトラケインだ。ただし、全面戦争とはならず、始まったのは領土争いだ。舞台は“白楼の森”の南方に広がる平野部、マディオフ呼称だと“大森林”の南方に位置する瘠土地帯、“トレド平原”だ。
[瘠土――せきど。地味がやせた土地]
歴史的にはゼトラケインの領土なのだが、管理する旨味に乏しい荒れた場所だ。賊と大差ない一般社会の爪弾き者たちが入れ替わり立ち替わり住んでは離散し、を繰り返していた。
この出入りしていた集団の中に、今はマディオフに組み込まれている地方豪族の分派がいたため、マディオフはそれを根拠に同平野部を自国の領土だと主張し始めた。国家間の領土争いではありがちな難癖だ。
マディオフにとって正当性の高低など問題ではない。どれだけこじつけであってもいいから、権利主張の取っ掛かりがあればよかったのだ。
同地帯での二国の睨み合いは長く続いた。ゼトラケインで内乱が起こり、同国の南半分がヒトによって統治される新国家、ロレアル共和国として独立するまでずっとだ。
ロレアル共和国の成立により、平野部の主権はゼトラケイン王国からロレアル共和国に移行した。では、マディオフが平野部をロレアル領土とすんなり認めるかと言うと、そんなうまい話があるわけはない。
領土争いの主体は、『マディオフ対ゼトラケイン』から、『マディオフ対ロレアル』に変化した。ただし、これもそう単純な話ではない。時代という名の潮流の底には薄汚い謀略が厚く堆積している。
マディオフは新興国であるロレアルに攻め込んだ。平野部の奪取には飽き足らず、領土問題の争点には全くなっていなかった地域や都市を攻めた。本物の侵略戦争である。
ロレアルはマディオフの侵略に対して相当な憤恨を吐いた、という話があることから、おそらくロレアルは独立に際し何らかの密約をマディオフとの間で交わしていたものと思われる。
それが、いざ独立してみればあっさりとマディオフに破られて攻め込まれるのだから、ロレアルが抱いた怒りは筆舌に尽くしがたいものだったはずだ。
ロレアルは悪辣なマディオフに屈せず徹底抗戦の道を選んだ。ヒトよりも優秀な種族であるドレーナから独立しようという気骨ある集団だけあって、新興国とは思えないほど粘り強く戦ったロレアルだったが、奮戦虚しく最終的にマディオフに滅ぼされてしまった。
かつてのゼトラケイン南部であるロレアル領土を手中に収めたマディオフは、東西方向に半島状に長く伸びた領土を持つことになった。
そのままゼトラケイン北部も飲み込みそうなものだが、マディオフの侵攻はそこで止まっている。もちろんそれには各種の要因がある。
マディオフの現在の領土東端はアウギュストだ。その東にはゴルティア領土が広がっている。つまり、マディオフはゴルティアと国境を接しており、常に東から侵攻される可能性に気を払わなければならない。
また、残るゼトラケイン北部には、かの有名な精霊殺し、セーレの仲間であったギブソン・ポズノヴィスクがいる。長命種のドレーナであるギブソンの力がまだ衰えていないとして、その力はブラッククラスに相当する。
私の知る限りゴルティアにはブラッククラスの人間がいない。それに、ゴルティアにはギブソンと親交のある公もいる。ギブソンが息災な間は、ゴルティアとゼトラケインの間で戦争が始まる可能性は低い。
マディオフがゼトラケイン北部に攻め込む場合の巨大な障壁のひとつが、ギブソンの存在だ。ブラッククラスのドレーナを倒せる見込みなしにゼトラケイン北部に攻め入ることはできない。
確かにいかにギブソンが強くとも、戦線を広範囲にわたってひとりで制御することはできないだろう。しかし、ゼトラケインの戦力はギブソンと国軍だけとは限らない。ゴルティアがゼトラケイン北部に援軍を送る可能性や、援軍代わりにアウギュストに攻めてくる可能性だってある。
マディオフが安定してゼトラケイン北部を攻略するには、ギブソン打倒とゴルティア侵攻を同時にできるくらいの力が要求される、ということだ。
ライゼンでも倒せるかどうか分からない最強のドレーナ、ギブソン。“砂”以北において最大の列強国ゴルティア。どちらか片方を倒すだけでも驚天の大事件である。それを両方一遍にこなそう、などとは寝言であっても許されないほどの非現実的な夢物語である。
マディオフがゼトラケイン北部やゴルティアに侵攻する可能性が低いのは当然のこととして、不可解なのはマディオフと国境を接した後も沈黙を守り続けているゴルティア公国だ。
ゴルティアは御大層な理想に突き動かされ、“砂”より北の大陸全土に覇を唱えんとする大国であり、様々な種族を包括した広い意味での人類の統率者を気取っている。独自の正義を振りかざすゴルティアがマディオフを潰しにかからないのを奇妙に思っているのは私だけではないだろう。
いつ戦端が開かれてもおかしくない状況でありながら、なぜかマディオフ、ゴルティア間は見かけ上平穏を保っている。両国の水面下での争いが見えないジバクマ人の私にとって、冷たく静まり返ったアウギュスト東の国境線が不気味でならない。
少し考え事が過ぎた。慌ててルカとの会話に意識を戻す。
「リリーバーがここに来たのは私が生まれるよりも前、ってことだね。それだと、本当にどうなっているか分からない。もしかして、犯罪結社の本拠地になってるかもね」
「少し前の話をするだけで、あなたがまだまだ若者だということを認識させられますねえ」
ルカは笑って私の戯言を聞き流し、フライリッツの街中へ進んで行く。
大通りを歩く人間の数はそれなりで、少なくとも街が丸ごと廃墟化している可能性は早速潰えた。
リリーバーの変装魔法も私の偽装魔法も上手く機能しているらしく、私たちをアンデッドと見抜く人間は誰もいなかった。何回かは憲兵とも……ここはマディオフだから衛兵か。通りすがった衛兵も、誰も私たちを怪しい目で見てくることはなかった。
「街並みは、記憶とは少し変わっているようです。こうやって実際に通りを眺めながら歩いても懐かしさをあまり感じません。変わらない場所はごく僅かですね」
「例えば?」
「民間よりも建て替え周期の長い建物、教会や役所とかです。あとは……今日はまだ通っていませんが、広場も変わっていないのではないかと思います」
「ふーん。建物なんかは大きさとか装飾とかの特徴があれば確かに記憶に強く残りそう。でも、広場なんてどの国、どの街でも大体似たような構造にならない?」
私の受け答えがリリーバーの思い描いたものとは全く違っていたためか、ルカは腕組みをして考え込む。
「うーん……。あなたの故郷でも私は街ごとに広場の特色、違いってものを感じましたよ。用があって広場を訪れるかどうかで見え方が違うのかもしれません」
「広場に用って言われてもなあ……。待ち合わせ場所に使うか、祭典や集会の場になるくらいしか思い浮かばない」
「なるほど。では、我々が広場という単語から真っ先に思い浮かべるものを、あなたにも実際に体験してもらいましょう」
「体験型広場? 今日、これから?」
「おや、ここまで言われても想像が及ばないとは、切れ者のあなたには珍しいではありませんか。では、時間も場所も、そこで行われる内容も、敢えて黙っていることにします」
ルカは得意げに笑い、含みをもたせたまま明言を避けた。
私たちはそのまま、何をするでもなく街を散策する。フライリッツに立ち並ぶ建物群はジバクマよりも頑丈そうで、それがどことなく寒々しい印象を作り出している。北国の建物なのだから、外見はともかく中は暖かいはずなのだ。
冷たい印象を与えるのは装飾や色彩に欠けているのも理由として大きいよなあ、と徒事を考えながら街を歩き回った後、リリーバーがその日の宿を決める。
ヒトが設けた宿泊施設を利用するワイルドハントとは異なる話だ。誰とも共有できないトンデモ談に内心で大笑いしながら宿入りし、フィールドで野営していた時と変わらずの早い時間に就寝した。
翌日、まだ夜も明けきらないうちにリリーバーが私を起こす。野営の際の簡易な寝台とは違う本物の寝台は魔性の包容力で私を包み込んで離さない。……が、気力を振り絞って温かい寝台を抜け出す。
そして、代わり映えしない、いつもの糧食をかじらされた後、宿を発つ。早春の早朝の街に漂う空気の冷たさはフィールドと比べると少しマシな程度で、まだまだ底冷えが厳しい。床の中が温かかった分だけ、朝の寒さが肌に鋭く突き刺さる。
暑さ寒さがお構いなしのアンデッドというリリーバーの肉体に羨ましさを感じながら、朝のフライリッツの街通りを歩く。
こんな朝早くからどこに何の用があるのか、と尋ねてみても、ルカは、「すぐに分かります」としか答えない。
私たちが向かったのは、昨日俎上に載った広場だった。広場には既に人が数人、ボンヤリと立っている。
そのまま待っていると、どこからともなく人が集まり、人数はどんどん増えていく。広場は次第に朝を告げる鳥たちの鳴き声よりも騒々しくなっていった。
一体、ここはなんなのだろう。屋台のひとつも見当たらないが、これから朝市でも始まるのだろうか。
商品らしき物が何も姿を見せないまま、商品の代わりとばかりに覇気のない男数人が広場に現れた。男たちは人垣を割って広場中心に進む。すると、男たちを中心にしていくつかの円が作られ、合図も何もなく競りのような何かが始まった。
男が二言三言何かしらを喋ると、人垣の中から数人が挙手して人混みから抜けていく。
これはもしや、人員の募集だろうか?
そしてしばらくすると、男はまた何かを喋り、数人が挙手し、人混みから抜ける。
この単調な作業が延々続いていく。
男はそれなりに大きな声で話しており、使っている言葉も私のよく知った現代共通語のように聞こえるのに、男の話す内容をどうにも理解できない。
こういう、聞こえているのに聞き取れない、という状況には覚えがある。アリステルがラシードとサマンダに講義をしている時、私は常にこういう状態だ。専門家に専門用語を使って話されると、門外漢はまるで未知の言語でも聞かされているような気分になる、ということを私は身をもって知っている。
こういうのは専門用語さえ把握すれば、それなりに聞き取れるものだ。その専門用語は、ある程度誰かから教えてもらわないことには、洞察力だけだとどうにも推測できない。ポーたんだって、そこまで細かな意味は拾えない。
少し退屈に思えだした頃になって、私の分かる言葉が飛び出してきた。
それは魔物の名称だった。
円の中心に立つ胡乱な男が魔物の名前を挙げ、集団の中からひとりが挙手する。今、挙手した人間は、体格と身なりからして一般人ではない。ハンターだ。
そうか。この場所が何なのか、遅まきながら分かった。
広場にいた大量の人間は、集まった時と同じようにどことはなしに消えていき、次第に数を減らす。最盛期の三分の一くらいまで少なくなったところで、中心に立っていた不審な男たちが終わりを告げ、集まりは散会となった。
場の空気が一気に弛緩したのを感じ、私はルカに話し掛ける。
「ここ、寄せ場だったんだ。それでもって、人混みの中心にいたのが手配師だ。最初、競りでもやってるのかと思った」
「人寄せ、口入れは競りのようなものですので、あながち間違いではありません。少しばかり作法に違いはあるものの、手配師も寄せ場も、あなたの故郷でも日常的な風景でしたよ」
「周旋真っ最中の現場は見たことがなかった。手配師に話を聞きに行く場合、大抵、朝の口入れが終わってからの時間を選ぶもの」
リリーバーから少し説明を聞くと、なんのことはない。手配師が暗号のように喋っていたのは仕事場所、業務内容、日程に拘束時間、報酬額、食事の有無等だった。それをこれ以上切り詰められないほど短く略して述べると、ああいう暗号ができあがる。
例えば、『ヌキいくら』という言い回しは、『昼食費を控除される前の日当額』を表している。『いくら』の部分には、仕事内容に応じた数字が入る。しかも、数字も寄せ場専用の、うるさい場所でも聞き分けやすくて、なおかつ短い単語を使っている。こんなもの、知らないことには分かりようがない。
私には、それら諸々の言葉が『なにか数字っぽいことを喋っている』くらいにしか理解できなかった。それでも、初めて聞いた割には、正しく意味を察せたほうなのかもしれない。
「それで、よかったの? 口入れは終わっちゃったよ」
「ワーカーとして仕事を受注しに来たのではありません。発注しに来たのです。発注といっても人を紹介してもらうだけですから、用事はこれからです」
そう言うと、リリーバーは寄せ場を横切りどこかへ歩いて行く。
次にリリーバーが向かった先は、大量の湯気と良い匂いが漂う大きな建物だった。
前言撤回、『良い匂い』と表現するには少々品がない。率直に言ってやや臭い。ただ、糧食しか食べていない空腹の身には、食欲を刺激される匂いだ。おそらくここは飯場という場所だろう。
シーワやヴィゾークたちは飯場前に残り、ルカだけが飯場に入っていく。ルカの手招きに従い、私も飯場の中へ入る。
ルカは、卓座に着いて食事をしているひとりの人間の下へ迷いなく向かった。
「こんにちは、手配師さん」
「あん、何だおめぇは?」
ルカが話し掛けたのは、老境に足を踏み入れて白髭を蓄えている汚らしい男だった。さっき寄せ場で口入れをしていた手配師のひとりだ。
老手配師は、見た目どおりの汚い言葉遣いでルカに返事をした。
「私はルカ。仕事の依頼をしたくて来ました」
「ふーん。どんな案件よ」
「人探しです」
「人探しねぇ……」
相槌を打ちながら、老手配師は手にした粥のようなものを頬張る。
食事の邪魔をしている私たちが言えた立場ではないが、友人との食事でもないのに、会話中に食べ物を口に入れるのはマディオフでは無作法にあたらないのだろうか。
あるいは、一般社会における礼儀とはまた別にワーカーや手配師には独特の風習があって、この社会では普通のことなのか、はたまたルカが見下されているのか。
「人探しの最終的な目的は、とあるワーカーについて調べることです。我々が知っているのはそのワーカーの特徴数点だけで、残念ながら名前を知りません。そこで、そのワーカーを探す前段階として手配師を探しています。若い手配師ではなく、三〇年弱前に、この土地で手配師をしていて、かつ記憶力がいい人物に心当たりがあれば教えていただきたい」
少し表情が厳しくなった老手配師は食事の手を止め、食器を卓上に下ろした。
「人探しってのは復讐のためか?」
「いいえ、全く違います。私は、親にも近い人物からいくつかの情報を引き継ぎました。その情報がまた断片的で、事実関係はあやふやです。今更それを知ってどうこうなるものではありませんが、詳細を知っている人がいたら教えてもらいたい。事の顛末を……真実を知りたい。そうですね。例えて言うならば、無名作家が書いた推理小説を読んでいたら、最後の事件解決部分が綴られた頁が欠落していた。絶版となって久しく、写本はどこにも無い。作家の所在も不明。もし、誰か最後まで小説を読んだ人がいたら、結末を教えてほしい。そんなところです。金を返せ、とか、積年の恨みを晴らしたい、とか、責任を追及しにきた、というような話ではありません」
ルカの語る事情に、老手配師が大きく嘆息する。
「はぁ~。人探しの案件を仲介したことは何度もあるが、そういう内容での人探し、しかも数十年も前の件となると珍しい。面白ぇや。俺でも分かるかもしれねぇ。もうちょい詳しく話してみろ」
ルカは、老人の席の横に腰を下ろすと、騒がしい飯場の中で静かに話し始める。
「先程、私は『親のような人物』と言いましたね。その人の名前はセリカといいます。セリカはここフライリッツでハンターとして働いていました。パーティー名は不詳、とにかく三〇年ほど前です。セリカという人物に心当たりはありますか?」
「またありふれた名前だな。ちいとも珍しくねえ。今、ハンター業に勤しんでいる奴も含めて軽く十以上は心当たりがある。しっかし、数十年も前のハンターとなると、すぐには思い出せねえな……」
老手配師は腕組みして天井を仰いでは、ああでもない、こうでもない、とぶつくさ呟く。
「セリカはパーティーの仲間をハントの一戦で全員失っています。その後、彼女は単身でアーチボルクに移りました。ちょっとしたエピソードだとは思いませんか」
老手配師は片眉を上げてルカを睨む。
「そう言われても、フィールドで命を落とすハンターは珍しくねぇよ。それに三〇年近く前であれば、トレド平原で毎年のように戦争やって、死人が沢山でてた時代だしよう。……あれ、待てよ。戦争中で、セリカ……。パーティーメンバーが死んだ後、アーチボルクに行った……」
記憶の倉庫の中に、引っ掛かるものを覚えたのか、老手配師は頭を抱えて唸り始めた。
ぶつぶつ独り言を呟くこと数分、老手配師はいきなり叫ぶ。
「思い出した。セリカ!! ああ、セリカだ。“氷の剣”のセリカだ!」
老手配師の叫びを聞いて、ルカがニヤリと笑い、拳をグッと握る。
「そうです。そういうパーティー名でした」
「えっ、何? お前さん、セリカの娘なのか?」
「血は繋がっていませんがね」
「セリカは元気か? あぁ、懐かしいな。お前さんが現れなきゃ、もう忘れたまんまで棺桶入るところだったぜ。あぁ、そうだそうだ。セリカだ、思い出した」
老手配師はぶつけて欠けてしまい、長年探していた大切な品の欠片を取り戻したかのように、満足げに笑う。
「セリカには特殊な事情があり、私ももう会うことはできません」
「そっか……。色々抱えてる女だったからな。ここだけの話さ、俺、セリカのことがちょっとだけ好きだったんだよ。俺、あいつの一個上でさ。あいつを残してパーティーが全滅した時も、何かあいつの助けになれねぇか考えたもんだ。ついでに仲良くなれないかな、なんて考えてさ。ナハハハ!」
過去を思い出し、老人は粥混じりの唾を撒き散らしながら饒舌に語る。見た目は老人のままなのだが、雰囲気は少し悪ぶることを覚えた若者のようにガラリと変化している。
「そういやセリカといえば、仲間が全員いなくなってからのあいつは、人が変わったみたいにハントに取り憑かれてなあ。ソロは危ねぇし、ハンターを続けるなら、俺が手を尽くしてでも新しいパーティーメンバーを探してやる、って言ったんだが、どっこいあいつは聞く耳を持たなかった。挙げ句、『ここから一番近いダンジョンはどこか?』って聞いてきて、『アーチボルクの墳墓だ』って答えたら、それっきりさ。でも、心配だったから、アーチボルクの手配師に頼んだんだよ。『不便な事情を抱えてる奴だから、突っ慳貪な態度を取られても、気ィ利かしてやってくれ』ってさ。その時は、『お前、その女に惚れてんのか』って散々からかわれて、俺も若かったから、つい言い返しちまって……」
リリーバーが知りたがっている本筋から明らかに外れている部分を、老手配師は立て板に水でも流すかのように滔々と語る。
それをルカは、うん、うん、と頷いて穏やかに聞いている。
「ああ、悪ィ悪ィ。話がそれちまったな。まあ、でも、俺が知ってるのはこのくらいのもんだ。そこから先はよく知らねえ。アーチボルクに行った後、セリカは墳墓の中で行方知れずになった、って聞いた。あいつを探しに行きたかったけど、今も昔も俺には魔物と渡り合う力が無ぇし、何より先立つ金も無かった」
老手配師は無力さに打ちひしがれて肩を落とす。
「問題は、アーチボルクへ行った後のことではありません。この街にいた頃の話です。セリカがパーティーメンバーを全員失う、という大事件に見舞われる直前、ひとりの男ハンターが“氷の剣”に加入したはずです。何を隠そう、私が知りたいのは、その男の名前と出自です」
「ちっ、あいつの話か」
セリカの記憶を手繰り寄せるのには時間がかかったのに、ルカが知りたがっている男ハンターのことを、老手配師はすぐに思い出す。
「あいつは“ダグラス”だ。多分、家名を持ってる。ただ、俺もそこまでは知らねぇ。俺だけじゃない。他の誰も知らねぇはずさ。あいつは結構老けてたな……。つっても、今の俺はあの時のダグラスよりも年上か。月日ってーのは残酷なもんだ」
老人はしみじみと溜め息を衝き、粥の上澄みを一掬い啜った。
「俺はセリカのことが好きだったけどさ、その時まで目は無かったんだよ。氷の剣のリーダーだってセリカを好いていた。でも、セリカは“青鋼団”っつー四人パーティーのリーダーをやってるダグラスに惚れてたんだ。俺らからすりゃあ、ダグラスは恋敵さ。ダグラスもあの時、戦争の死者から生まれたアンデッドに襲われた、とかで青鋼団の仲間を全員失っていた。アンデッドから食らわされた火魔法で、ダグラス自身も結構な火傷を負って弱ってたな。セリカはダグラスに惚れてたから、ひとりになったダグラスを氷の剣に誘ったんだ。氷の剣のリーダーはいい顔をしなかったみてぇだけど、流石にパーティーメンバーを全員失って憔悴している奴に鞭打つほど非情ではなかったから、やむなくダグラスを受け入れたんだと思う。けど、その情が仇になった。ダグラスが加入した後の最初のハントで、ダグラスごと氷の剣は壊滅しちまった。セリカひとりを残してな。ダグラスが悪い運気を持ってきちまったんだ!」
老手配師は忌々しげに卓を拳で叩く。
悪いことはしばしば連続して起こる。それを証明するように、ダグラスという男は立て続けに不幸に見舞われ、最後には自分まで命を落としてしまったらしい。
ルカはセリカのことを、『親のような人物』と言っていた。もしかしてセリカが、エルリックの師匠に当たる人物なのだろうか。『辛酸を舐めさせられた』というのは、そのダグラスに関連した事象かもしれない。
老手配師は、ダグラスが死んだような口ぶりをしているけれど、まさか、ダグラスはまだ生きている……?
「ダグラスは妙な奴だ。当時で年の頃は三十代後半か四十代前半くらい。出身はよく分からねぇ。戦争中はそういう出所不明者なんて巨万といるから気にもかけてなかったが、マディオフ出身じゃなくて、ゼトラケイン出身かもしれねぇ。少なくともフライリッツとかアーチボルク出身ではねぇな。訛りが全然違う」
老手配師の言葉にはどんどんと熱が籠もっていき、ルカはその言葉を真剣に聞いている。
そこからは、私にとっては老体の思い出話を聞かされるようなものだった。もちろん、ルカにとっては意味のある情報収集だったのかもしれないが、それまでの話ほど興味深い内容は含まれていなかった。
寿命のないアンデッドと寿命の短い老いたヒト。両者の昔語りに少しだけ温かい気持ちになりながら、私は黙って横で話を聞いた。
老手配師が語り疲れを見せたところで、長話はやっと終わりを告げる。
ルカは老手配師へ情報料拠出を申し出たが、老手配師は、「子供に昔話をしてやったようなもんだ」と言って何も受け取らなかった。




