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第三八話 洗礼 二

 マディオフに入ること数日、既に国境のグルーン川から内地へかなり長い距離を歩いている。その間、大きな街道を一度だけ横切った。


 リリーバーは街道沿いを歩いて街へ入ろうという意思はないらしく、(あい)も変わらず道なき道だけを選んで私に先頭を歩ませる。


 街道を横断する前後からゴブリンとの遭遇頻度が上がっている。


 リリーバーは、『ゴブリンと戦っても、なるべく命までは奪わないように』と私に指示する。


 殺さずに何とかしようとすると、選ばれる手段は駆逐だ。班員との訓練ほどは手加減せず、かといっていつもの魔物戦闘ほどは攻撃姿勢に傾かない。こういう按配で手加減するのは初めてだ。


 慣れない程度の手加減に気疲れしながらゴブリンを蹴散らす。私の配慮も知らずにゴブリンは次から次に出現する。


 また、ゴブリン集団がひとつ前方に見えている。


 おや、今度のゴブリンはそれまでと見た目が少々違う。


 体毛が青い。あれはブルーゴブリンの群れだ。


 私が振り返ってルカを見ると、ルカは静かに言う。


「今回、サナはお休みです。あの集団は我々が対応するので、サナは積極的に手出しせずに自衛のみしていてください」


 そう言い残すと、リリーバーが一斉に動きだす。フィールドの景色に溶け込んだローブ姿のメンバーたちが一斉にブルーゴブリンに忍び寄っていく。


 そして瞬く間に群れの中心付近まで近づき、ブルーゴブリンに奇襲を食らわせる。


 コソコソアンデッドの奇襲により数十秒と経たずに半壊状態になったブルーゴブリンの群れは、這這(ほうぼう)(てい)で逃げていく。


 リリーバーが倒したブルーゴブリンは一体だけだ。その一体を除き、全ての個体が中軽傷のままフィールドの奥に逃げ去っていった。


 倒された一体が瀕死の状態かというと、これがまた違う。リリーバーの攻撃を受けて悶絶し、動けなくなったところを抑え込まれただけであって、目立つ怪我は負わされていない。何なら逃げていった個体よりも軽傷なくらいのものだ。


 もうその事実だけで、リリーバーが何やらまた不穏なことを企んでいると分かってしまう。


 ニグン( 二脚 )とフルルがブルーゴブリンの拘束を解くと、ブルーゴブリンがすっくと立ち上がる。


 ルカが起立したブルーゴブリンの身体を調べる。


 ブルーゴブリンはルカの身体検査に協力的だ。ルカが目を見ようとすれば、ブルーゴブリンは自分から目を見開いて自分の指で上瞼(うわまぶた)下瞼(したまぶた)をめくり、口の中を見ようとすれば自分から口を開け、「ヴェエエエ」と、ゴブリンらしい鳴き声を上げる。


 憐れ、このブルーゴブリンは、リリーバーにドミネートされている。


 リリーバーはゴブリンの傀儡を得たくて、『ゴブリンを殺すな』と私に言っていたのだ。


 ゴブリンを使って、今度は何をしようというのか。




 身体検査は結構念入りだ。ゴブリンは、自前の武具や簡単な衣服を身に着ける、魔物には比較的珍しい性質がある。リリーバーはそれら装着物を全て外させ、全身を隅々まで調べ上げる。


 体毛をかき分けて毛の下に皮膚炎や生傷が無いか望診し、異常な内臓肥大がないか腹には手を当てて探る。指は表も裏も一本一本、横着せずに順番に眺め、尻の穴や外性器は眺めるだけでなく臭いを嗅ぎ、穴の中に細い清浄な棒を差し入れて棒に付着した物を採取、観察して寄生虫の有無などを調べていく。


 敵国の兵を捕虜に取っても、数が多い場合だとここまで綿密な身体検査はやらない。




 (しょう)未満の浅い(そう)が数か所に寄生虫少々、後は軽い肝疾があるだけで、いずれも治療は容易、健康状態に重大な問題なし、と結論づけて身体検査は完了となる。


 その場で治せるものをリリーバーはすぐに治し、飲み薬が必要なものは追々、ということになる。


 検査が終わり、ブルーゴブリンが服と武具を身に着けていく。自前の物を着直しているのではなく、リリーバーに与えられた物を着込んでいく。


 ゴブリン製とは違う質の高い品に身を包むと、頭には死面(デスマスク*)を被る。




[*デスマスク――死者の顔から型をとって作る仮面。存命中の人間からとって作った物はライフマスク]




 この死面は他のリリーバーのメンバーが装着しているのと概ね同等の物だ。ジバクマでは髑髏仮面を被ってアンデッドの顔を隠していたリリーバーのメンバーたちは、先日、暗号名(コードネーム)を決め直してから、髑髏仮面ではなく死面を被り、死面の上に変装魔法(ディスガイズ)をかけてヒトのように二重変装している。


 ゴブリン種は概して成体でもヒトの成人より身体が小さい。捕らえた個体はゴブリンにしてはかなり大柄で、私やルカと背丈が変わらない。雄の個体ながら、ヒトの女性に変装する、ということで、被った死面は女性をかたどった物だ。死面の上からほどこす変装魔法(ディスガイズ)もまた女性である。


 中年を過ぎて老婆の域に達している見た目となったブルーゴブリンには、「クルーヴァ」という女性名が授けられた。


 ゴブリンを用いた企み事を始めるリリーバーを見て、ドゥキア近くのフィールドで送ったゴブリン解剖の日々を思い出す。残しておきたくない塗炭(とたん)の記憶だ。


 また残虐行為漬けとなる毎日が始まるのではないか、やにわに不安になる。


 解剖したりドミネートしたり、リリーバーは大したゴブリン使いだ。私たちにとってはフィールドの(いち)魔物に過ぎないゴブリンも、リリーバーからすれば薬草や鉱石と同じ、利用価値のある素材とか道具のようなものなのだ。




    ◇◇    




 クルーヴァが加わってから、魔物との戦い方に変化が生じる。倒した魔物に(とど)めを刺す役目をリリーバーはなぜか必ずクルーヴァに担わせる。しかも、殺害直前に一手間が加えられている。


 瀕死の魔物にクルーヴァが近寄ると、背高改めヴィゾークはクルーヴァに何らかの魔法をかける。魔法の意味は不明だ。


 魔法をかけられたクルーヴァは、重傷を負って地に転がる魔物を躊躇なく絶命させる。


 これが、新しく定着したハントの締めくくり作業の一部だ。この謎の儀式の意味を問うても、リリーバーは私に教えてくれない。




 クルーヴァが加わって命を奪う作法が少しだけ変わったものの、他にはこれといって大きな変化がなく、私たちはヒトの暮らす街に立ち寄らずにフィールドを果てなく彷徨(さまよ)う。


 地図も見せられないまま、大まかな方角だけを指示されて歩いているものだから、私は自分がマディオフのどの辺りにいるのか認識できていない。


 位置も名前も知らない()る森を抜けると、今度は岩場に出た。岩場の名前を知らないのだから、これも()る岩場だ。


 然る岩場には大型のエイプ( サル )(ひし)めいている。見た目はエイプというより農地に積まれた牧草の山である。もしもポーたんがいない状態で誰かからこれを、『植物系の魔物だ』と説明されたら、私は多分信じたことだろう。


 リリーバーはこの土地に、ネコ科の魔物であるパンサーも出現する、という。近づく者の気配を察知するとすぐさま地中に潜って隠れてしまうエイプと違い、パンサーのほうはご多分に漏れず肉食で、とても危険度が高いらしい。


 今の私の気配察知能力では、気配を消して襲いかかってくるパンサーに対応するのは難しい、とリリーバーは戦前評価を述べる。私の実力ではやや厳しい魔物、ということだ。


 そういう魔物を鮮やかに倒してリリーバーの鼻を明かしたい。


 リリーバーに不安視されることで、私の意欲が逆に増す。




 意気盛んに進めども岩場でパンサーに遭遇する機会は得られず、私たちは魔物とロクに交戦しないまま岩場を抜けて峡谷に辿り着いた。


 然る岩場を出ても、到着するのは然る峡谷。いつまで経っても私の脳内地図は更新されない。リリーバーはここがどこだか分かっているのだろうか? 本当はリリーバーも自分たちのいる場所が分からなくなってしまってはいまいか。道迷いアンデッドめ、許すまじ。


 リリーバーは、谷へは下りずに崖の上を進むように言う。


 指示に従って崖上を北へ、北へと進んで行く。


 この峡谷に出現する魔物はかなり強力だ。街道沿いで遭遇する雑魚とは別格の強さである。しかし、それも今の私からすれば適正難度、というところだ。


 私は自分の戦闘力を、概ねプラチナクラス、と評価している。こういう自己評価とは過剰に高いか過剰に低いか、高低極端に振れることが多く、自分自身の能力を客観的に見定めるのはかなり難しい。私の場合は情報魔法が使えるので、それなりに客観性は保たれているはずだ。しかし、手配師や諸ハンターから見て、私がハンターとしてどのあたりに位置するかは、実際に聞いてみないと分からない。


 ハンター、軍人、憲兵、それぞれ求められる能力が異なるため、どんな職種の人物に審判させるかで、下される評価もまた変わるだろう。今、最も私の近くにいる審判がリリーバーなのは改めて言うまでもない。


 実力的に、リリーバーの中心メンバーはヴィゾークかシーワだ。シーワの物理戦闘力は異次元だ。きっとシーワは他者に審判を下すときも対象の物理戦闘力を重視するに違いない。シーワからなら私はそれなりに良い評価をもらえそうな気がする。


 では、ヴィゾークに審判させたらどうなるか。小妖精を魔法の(ひとつ)と認めてもらえれば、評価は極めて高いものになるはずだ。しかし、もしも認めてもらえなければ……。リリーバーに教わり発展の途上とはいえ、私の攻撃魔法はお世辞にも褒められたものではない。多分、ヴィゾークは私に落第の判を押す。ああん……。


 何はともあれ、私の戦闘力は概ねプラチナクラスだ。その私にとって適正難度の魔物が出現する、ということは、この場所は一般人どころか一端のハンターからしても危険地帯ということになる。


 まさか、噂の“白楼の森”が近いのではないだろうか?


 私が知りたいことに限ってリリーバーは何も教えてくれない。行き先くらいは、問い(ただ)せば教えてくれそうではある。しかし、私は考えてしまうのだ。リリーバーがこのように返答することを。


『正解でーす。私たちは今、白楼の森に向かっています。固有名持ち( ネームド )の魔物をジャンジャン倒しますよ!』


 ……あな恐ろしや。


 なにせリリーバーは立派な()()の持ち主だ。毒壺では嬉々としてダンジョンボスの待つ最下層に通い、フィールドに出てはジルとレネーから依頼された固有名持ち( ネームド )の魔物を何柱も討伐していた。


 ここでもその病気が再発しない保証はない。何なら、ギリギリのところで我慢していたものが、私の一言によって限界を超えてしまう可能性すら無きにしもあらず。そう思うと、とてもではないが怖くて尋ねられない。黙っているのが吉だ。




 手強い魔物に私が悪戦苦闘する横で、リリーバーは銘々魔物を弱らせ、死戦期の痙攣でのたうつ魔物をクルーヴァは淡々と瞑目させる。


 そんなクルーヴァの姿が、毒壺に籠もっていた時のニグン……当時の二脚の姿を私に思い起こさせる。


 あの時も、なぜか二脚がたまに魔物に(とど)めを刺していた。その役割は今、クルーヴァに引き継がれた。相違点を挙げるとすれば、クルーヴァは生者のゴブリンで、二脚はアンデッド、しかも新種ではなく普通のアンデッド、というところと、魔法使用の有無だ。クルーヴァは(とど)めを刺す直前、ヴィゾークに何か魔法をかけてもらっている。しかし、二脚は何も魔法をかけてもらわずに(とど)めを刺していた。


 私にとってはただの相違点でも、リリーバーにとってこれは“改善点”なのかもしれない。リリーバーは、『何となく』でこんなことをやらない。何かしらの理由があるからこそ、手間と時間をかけている。


 疑問の解けない私は、ニグンの強さと二脚の強さを比較する。腕が可視状態になったニグンは、他のリリーバーのメンバーと同じく剣を持って戦っている。その物理戦闘力はフルルには劣っているようだけれども、少なくとも私よりは強い。腕が生えて数か月とは断じて思えないほど巧緻な剣を撃っている。二脚だった頃とは、言葉どおり『比べ物にならない』ほどの強さだ。


 メンバー個々の戦闘力について少々思案する。


 私は一時加入者だから選考対象外、ルカは非戦闘員だからこれも選外、クルーヴァは新規加入者だからこれも選外として、アンデッドたち六名の強さについて考えよう。


 今までならば、最弱メンバーは考えるまでもなく二脚だった。しかし、二脚はニグンになったことで戦闘力が跳ね上がった。もうメンバー最弱ではない。


 では、今は誰が最弱か。それはノエルだ。


 ノエルは魔法を全く使わずに剣だけで戦う白兵戦闘要員だ。それなのに剣捌きは私たちでも見ていて分かるほどに不達者だ。ニグンよりも間違いなく物理戦闘力が低い。


 しかも、腕のなかった二脚時代と違い、腕が生えたニグンは今、魔法を使いこなしている。これで魔法を使えないのはノエルだけになった。ノエルはアンデッドたち六名どころか、ルカ、クルーヴァ、私を含めた九名の中で最も存在価値が危ぶまれる崖っぷちのメンバーだ。


 これでリリーバーがハンターでもワーカーパーティーでもない一般企業だったら、ノエルは肩をたたかれる候補者の筆頭となっていただろう。




 峡谷に入ってからの変化は他にもある。分かりやすいところは訓練だ。訓練の時間になると、まず私はルカと戦わされる。


 初めてルカと戦った際の私の緊張と言ったらなかった。ルカはリリーバーの中で唯一の非戦闘員だ。となると、“てんで弱い”か、その真逆の“想像を絶する強さ”と相場が決まっている。緊張するのも当然だ。


 一方のリリーバーのほうはルカと私の実力差を把握しているから、リリーバーはルカに身体能力強化の補助魔法をかける。それはつまり、ルカは強くない、ということを意味している。リリーバーは更に、闘衣なし、という規定を設ける。


 条件やら規定が増えれば増えるほどルカの弱さは明白になっていく。それでもやはり実際に剣を交えるまでは緊張が解けない。


 実戦に近い形式でお互いに技をかけ合う地稽古ではなく、ルカが技を打ち込み、私がそれを受ける掛かり稽古から組み稽古が始まる。


 ルカの技を実際に受け止めて、やっと私の緊張が解ける。


 結論から言うと、ルカは陰の実力者などではなかった。


 ルカの剣は遅く、とても軽い。基本にはとても忠実で、動きは洗練されている。ルカは誰かに操られた傀儡なのだから、操者相当の剣捌きはできるのだろう。しかし、いかんせん身体能力が足りていない。


 剣を撃つ身体のほうが武者として完成していなければ、術だけ優れていても本領を発揮できない。


 ルカの剣を軽くあしらっては思う。


 この女性の強さはシルバークラス程度といったところだ。技量に助けられることで、ゴールドクラスには比較的近い、シルバークラス上位くらいの強さがある。純粋な身体能力の評価では、シルバークラス下位、要は並の常備兵と変わらない強さしかない。


 ジバクマの手配師と軍の見立てはこの上なく正確だった。




 ルカと戦うことはルカの訓練になっても私の訓練にはならない。ルカとの戦闘後、私はクルーヴァと戦う。


 クルーヴァの種族はブルーゴブリンだ。その他のゴブリンよりも強い。しかも、群れの中で最も身体の大きな個体だった。リリーバーには一瞬で倒されてしまったため、()の戦闘力はハッキリしないのだが、おそらく人間換算でシルバークラス下位から中位相当だったものと推測される。


 そのクルーヴァが、いざ私と戦ってみると信じられないほどに強い。剣士としての戦闘力はゴールドクラスとして胸を張れるくらいある。サマンダと比較すると少し見劣りするくらいの強さがあるのだから、加入後の短期間でとんでもなく強くなったことになる。


 ありふれた弱小の魔物が、リリーバーの手駒……新種のアンデッド流の言い回しをするならば、リリーバーの手足になると、途端に手強い魔物に化ける。


 そのクルーヴァに補助魔法がかかると、剣戦闘力は私とほとんど変わらなくなる。この事実は、以下のことを意味している。


『リリーバーは名も無いフィールドを歩くだけでプラチナクラスの戦闘力を持つ手足を無際限に確保できる』


 知れば知るほど常理から外れた集団だ。




 もはや私と同格の強さとなっているクルーヴァと戦った後は、今までどおりのフルルとの訓練だ。


 私よりも遥かに強いフルルとの戦闘訓練では、補助魔法は私にかけられる。


 アリステル班時代にリリーバーが私たちに補助魔法をかけてくれることはなかったから、リリーバーの補助魔法がどれほどの水準にあるのか私たちはよく分かっていなかった。そういう魔法を使えることすら、ほとんど忘れかけていたくらいだ。


 いざ、自分が補助魔法を体感してみて、それが他の魔法と遜色のない高い技術に裏打ちされた高性能な魔法であることを理解する。何から何まで本当に高水準の万能アンデッドだ。




 身体能力が高まると、それまでとは違う新しい戦い方が見えてくる。


 今までと同じ動きをするだけなら、目一杯頑張らなくても、ほどほどの集中力で十分に可能だ。言い換えると、身体捌きには集中力を大きく割かずに済む、ということだ。


 生じた集中力の余裕は闘衣の操作に配分することができる。身体能力強化の補助魔法が、間接的に闘衣の技術を向上させてくれる。


 峡谷入りしてから私の闘衣は急速に上達し、闘衣戦闘がそれなりに様になり始めた。




    ◇◇    




 分かりやすい変化があれば、分かりにくい変化もある。可視化、数値化できない能力の成長は、その最たるものと言えよう。


 ジバクマの首都ジェラズヴェザ出発以降、私はパーティーの先頭に立って数多の魔物の視線に晒され続けた。『()()に最も必要なのは求めることである』とは、場所を問わずに語られる金言だ。自己の安全を守るために能力を求めてあがき続けた私は、『これが他者の視線だろうか?』と朧気ながら視線感知ができるようになった。


 私を(つぶさ)に観察しているリリーバーは私の技術習得を見逃さない。えっちらおっちら視線感知ができるようになったばかりの私に、今度は“矢避け”の練習をさせる。


 矢というのは、弓に(つが)えられた一条が正に放たれる瞬間を見ていないと回避困難な高速の投擲物だ。同じ遠距離攻撃に分類される匕首(あいくち)や投槍、ファイアボルト等の各種攻撃魔法と比較して頭抜けて速い。矢に匹敵する速度があるのは、一流の人物が操る風魔法くらいのものだろう。


 矢が飛んでくる、と心と身体で準備できていない状態で、いきなり視界に飛び込んできた矢の軌道を即座に見極めて躱す、というのは、限りなく不可能に近い。


 中遠距離で凶悪な殺傷力を有する弓矢の対抗手段が“矢避け”だ。視線感知と組み合わせて射手の視点、腕と手の動きを見ることで、先読み的な避け方ができるようになる。


 私に回避練習をさせるために手製の弓で矢を射るのがクルーヴァだ。疲労しないアンデッドではなく、生者のクルーヴァが射手役を担う理由は不明だ。思い返すとこれまでリリーバーが弓を扱ったことはない。もしかしたら弓術を修めていないのかもしれない。




 今に始まった話ではないものの、リリーバーがやることは相変わらずわけが分からない。


 聞きたいことが山程ある。だが、リリーバーは他者から詮索されるに任せている集団ではない。


 闇雲に質問するのは下策となる。質問するならば数を絞り、なおかつ有効な回答が得られそうなものにすべきだ。


 浮かんだ質問の中でも当たり障りが無さそうで、しかも前々から聞いてみたかったものがある。


 ある日の食事時、私は思い切ってリリーバーに尋ねてみた。


「リリーバーは昔、医者をやっていたの?」


 私の質問を聞いてルカは食事の手を止める。マディオフ入りしてからというもの、ルカは私と一緒に食事を摂っている。他のメンバーに食事を食べさせるのは、私とルカが食べ終わってからだ。


 質問はなんということのないものだったはずなのに、ルカは小難しい顔で答える。


「この土地では“医者”という言い回しをしないほうがいいでしょう。回復魔法を使えない癒やし手は“薬師”、回復魔法を使える癒やし手は“治癒師”と呼んでください」


 どこかで聞いたような話だ。マディオフ()そうだったとは知らなかった。


「なら、改めまして……。リリーバーは治癒師だった、ということでいい?」


 私が問い直すと、ルカは笑って首を横に振る。


「いえ。我々には治癒師の記憶がありません。出自不明の手足がある、とは言いましたが、医者でも薬師でも治癒師でもありません。それは間違いないでしょう」


 癒やし手だった過去が無い割に、リリーバーは回復魔法に長けている。医療知識にしてもそうだ。リリーバーは、アリステルから教えを受ける前から何かしらの医学、薬学系統の知識を持っていた。


 アリステルはリリーバーの医療知識を、外国産のもの、ジバクマ以外の国で得た知識と断言していた。


 一流軍医のアリステルを驚かせるほどの回復魔法の技術と医療知識があるのに医療者ではない職業……そんな職業は実在するのだろうか?


「答えてもらったのに、謎が深まってしまったなあ……。あとね、クルーヴァは何のためにリリーバーに加えたの? 私に矢を射かけさせるためではないでしょう?」

「サナはどんな目的があると思いますか?」


 リリーバーは、尋ねた私に逆に問い返す。


 目的……何だろう?


 リリーバーの手足に組み込まれたクルーヴァはどんどん強くなっている。肉体の操者がクルーヴァ本人からリリーバーの誰かに切り替わったことと、補助魔法がかけられたこと、という外的要因に基づく強化だけではない。内的強化、クルーヴァの肉体そのものが日々、見違えて強くなっている。成長速度ははっきり言って異常だ。


「クルーヴァは凄い勢いで強くなってる……。このままだとゴブリンキングになってしまうかも。あっ、分かった。リリーバーはゴブリンキングを生み出そうとしている! なーんて……」




 自分の目で見たことはないが、ゴブリンという魔物は、時にゴブリンキングという、ゴブリンにあるまじき途轍もない強さの個体を生み出す。ゴブリンキングの出現条件はゴブリンの大発生ヒュージアウトブレイクだ。ゴブリンの個体数が増えて個体密度が大きくなればなるほど誕生率が増し、個体密度が一定以上になると、ゴブリンキング誕生がほぼ必発となる。


 ゴブリンキングは、単体そのものがチタンクラス以上のハンターでないと倒せない強さがあるうえ、周囲の並ゴブリンの能力を大幅に強化する特性まで有している。ゴブリンキング誕生時は、ただでさえゴブリンがヒュージアウトブレイクを起こしているのだ、大量のゴブリンの戦闘力が一気に跳ね上がることにより、大群(ホード)は面倒な魔物集団から、危険極まりない災害へ早変わりする。


 ゴブリンキングとは絶対に発生させてはならないものであり、人為的に生み出されるべきものでは断じてない。いくらリリーバーが常識外の集団とはいえ、まさかゴブリンキングを作り出そうとはしていないだろう。私がゴブリンキング説を提唱したのは、ただの冗談だ。


 それに、ゴブリンキングは作ろうと思って作れるものではない。ゴブリンキングが誕生する正確な条件は判明していない。分かっているのは、ゴブリンの大繁殖、大発生が必須、ということだけだ。それ以外の細かな要件は諸外国だって解明していなかったはずだ。


 ゴブリンキングと成れる個体の条件だって不明だ。ゴブリンキングに成るのは群れの中で最強の個体、というのは、確かに考えられる説のひとつだ。しかし、種族は違うものの、毒壺にいたクイーンヴェスパは良い反証だ。あれは幼虫時代に特殊な環境に置かれることで変態時に働きバチではなく女王バチに成る。


 既に成体であるクルーヴァにいかに厳しい訓練を課そうとも、ゴブリンキングに成れるとは、私には思えない。現実的ではないと思ったからこそ、私は冗談めかして言うことができた。


 ただ、クルーヴァが強くなっていっているのは純然たる事実だ。確かにクルーヴァは私と戦闘訓練をこなしている。しかし、何ら特別じみた部分のない、普通の訓練だ。リリーバー基準で考えた場合、厳しい訓練にすら該当しない。


 他にクルーヴァがやっていることといえば、私に矢を射かけることと、フィールドで魔物に(とど)めを刺していることくらいのものだ。私や他のメンバーたちと違い、クルーヴァは魔物と交戦などしていないのだ。


 同程度の戦闘力しかない私と短時間、訓練をこなした程度で、ここまで急激に強くなる道理は無い。


 では、クルーヴァの異常な成長速度を説明する理由は、他にどんなものが考えられるだろうか。


 敵を殺すと強くなる。そういう魔道具も世界のどこかにはあるのかもしれない。けれども、そんな便利な物をリリーバーが都合よく持っているとも思えないし、クルーヴァの装備を私は全て見て、知っている。


 例えば、リリーバーがクルーヴァに持たせている剣は、闘衣対応でこそあれ、普通の剣だ。途轍もないユニークスキルを備えた剣ならば、ポーたんが能力の概要を読み取ってくれる。


 オルシネーヴァの宝物庫から頂戴した魔道具類にも、そういう効果を持つ代物は無かった。




 少し茶化す形となってしまった私の返答に、ルカはやんわりと(うなず)いて肯定する。


「ゴブリンが強くなっていくと、それだけでゴブリンキングに成れるものなのか我々も分かっていません。だから今、クルーヴァで試しているところです。言うなれば、これも実験のひとつです」

「あー。そうなんだ……」


 外すつもりで言った答えが、バッチリ正解していた。


 私が何と解答しようとも、既に確定している真相は変化などしない。そんなことは私も分かっている。


 しかし、私の安易な発言がリリーバーの邪悪な試みを現実のものに変えてしまったような気がして、そこはかとない後悔に囚われてしまう。


「それって危険な実験だと思う」

「本当にゴブリンキングが誕生すれば、少なくともヒトにとっては危険極まりないでしょうね。これを倒すべく編成される討伐隊は、ゴブリンキングと強化された取り巻きゴブリン、そして我々を同時に相手しなければなりません」


 陰湿な笑みでも浮かべて語りそうな目論見を、ルカは至って冷静な顔で述べる。


「しかし、我々にとっては必ずしも脅威になりません。仮にゴブリンキングが何らかの特殊能力によって我々の支配(ドミネート)から抜け出したとしても、ゴブリンキングと取り巻きのゴブリンたちを殲滅するだけであれば、我々にとっては然程(さほど)難しくないものと考えています」


 もしもゴブリンキングを操りきれなかったとしても、ゴブリンキングと取り巻き相手に遅れなど取らない。リリーバーはそう豪語する。


 リリーバーの戦闘観は私よりもずっと優れている。しかし、ゴブリンキング討伐となると、単純な魔物の群れとのパーティー戦ではなく、戦争における部隊戦闘にも近い様相を呈することになるはずだ。リリーバーが戦術思考、戦略思考に欠けている以上、その自信は根拠薄弱と評さざるをえない。


 自信過剰とは思っていない無自覚アンデッドがなおも語る。


「我々にとっての問題は、ゴブリンキングを作り出すことで生じる危険性などではありません。この方法でゴブリンキングを作り出せるかどうか、ゴブリンキングの取り巻きを我々に都合よく動かせるか、というところが問題なのです」


 リリーバーはゴブリンキングの特性で強化されることになる取り巻きゴブリンたちの操縦について心配している。妙なところを心配するではないか。


 リリーバーは対象を瀕死にさせることで、本来ならばドミネートという魔法を抵抗(レジスト)できる実力者を傀儡に変えることができる。これはクラーサ城で仮称ローマン隊長を傀儡化した際に事実となっている。あの時と同様の手順で取り巻きゴブリンたちを操ればいいだけの話だ。


 私は単純にそう思ってしまう。


 しかし、ドミネートを使いこなしているリリーバーは全くそう考えていない。リリーバーが懸念しているのは、傀儡の同時操作数の問題か、あるいは私のまだ知らない、全く別の問題か……。


 私にとって気がかりな点は他にもある。ゴブリンキングと化した後のクルーヴァがドミネートから抜け出したとしても、シーワやフルルはクルーヴァを問題なく倒せるかもしれない。では、他のメンバーはどうだろう。ヴィゾークやイデナのような魔法使いがゴブリンキングの物理攻撃に抗えるだろうか?


 クルーヴァがドミネートから抜け出してこちらに剣を向けた場合、超至近距離から戦闘が始まることになる。ヴィゾークたちは魔法を構築する時間的余裕がない。対抗手段は剣に限定される。ヴィゾークたちも剣を撃つには撃つが、ゴブリンキングを一閃できるほどの物理戦闘力があるようには思えない。良くて拮抗、悪いと競り負けてしまう。クルーヴァの矛先が私やルカに向いた場合、“事故死”が現実味を帯びる。


 極めて不快になってしまった予想から目を背け、リリーバーの予定について更に尋ねる。


「それで、その実験はいつまで続けるつもり?」

「クルーヴァの強さはまだシルバークラス程度に過ぎません。噂に聞くゴブリンキングはヒト換算でチタンクラスの強さがあるらしいですから、どれだけ順調でもクルーヴァがそれくらいの強さになるのは当面先の話です。今、言えるのは、実験は長期に及び、しかも期間未定である、ということくらいのものでしょう。ですが、クルーヴァ実験は我々の計画の添え物とか保険とか、そういった位置付けです。上手くいこうがいくまいが、本計画は本計画で遂行する……。そろそろ我々も行動を開始する予定です」


 ゴブリンキング作成実験も“本計画”とやらも私は初めて耳にする。これも私のほうから聞かなければリリーバーは教えてくれなかった。私は請われてマディオフに来ている身なのだ。リリーバーには私に尋ねられる前に自分から計画を説明してもらいたいものだ。


 ルカは私の表情から不満を察したのか、意味深に笑う。


「ここで計画の全てを語ってしまうと面白くないでしょう。もうしばらくするとマディオフに動きがあります。まあ、見ていてください」


 リリーバーはアンデッドなりに機を窺っていた。


 リリーバーが私にフィールドを彷徨(うろつ)かせて待っていたもの、それは“春”だ。


 ジバクマ出身の私からするとマディオフの吹きさらしのフィールドはまだまだ寒いが、ジバクマでもマディオフでも(こよみ)の上ではもう春だ。フィールドに残る、白と表現するには薄汚れた粗目雪(ざらめゆき)かさが日一日と減り、萌え出る新緑は世界の差し色となるに留まらず生息域を拡大している。緑の生命に誘われ、眠りに飽いて起き出す魔物の数は増加の一途を辿っている。フィールドの変化は(まさ)しく劇的だ。


 マディオフでは徴兵を終えた十八才の春、故郷に戻ってきた時から新成人と認められるという。リリーバーが、その新成人に紛れて街中に入り込もう、という算段を立てているのではないか、と私は推測する。


 リリーバーが変装魔法(ディスガイズ)の下に被っている死面(デスマスク)が私の説の根拠になる。


 フィールドでハントをしているだけならば、これほど念入りな変装は必要ない。ディスガイズだけで十分だ。確かにフィールドを彷徨(さまよ)っていれば、他のハンターと出くわすこともあるだろう。それでも、リリーバーは卓越した気配察知能力を持っているのだから、他のハンターを発見したら直ちに回避行動を取ればいい。移動力だって並外れているのだから、至近距離での離合(りごう*)とはならない。フードの下の顔をマジマジと見られる機会がそうあるとは考えにくい。




[離合――りごう。スレスレをすれ違うこと。特に車輌同士のすれ違いを指す。地域によっては、りこう、とも]




 アンデッドたちやゴブリンのクルーヴァだけではなく、私もルカも簡易ながら変装をしている。入念に変装しているのは、ヒト社会に入り込む用意に他ならない。


 私の偽装魔法(コンシステント)もリリーバーに合流してからずっと使い続けているため、かなり上達している。よほど上等な魔道具でも使われるか、私の偽装魔法(コンシステント)に対抗できるレベルの幻惑破り(アンチデリュージョン)の使い手に目を付けられない限り、アンデッドと見破られることはないだろう。


「そろそろサナには新しい偽装魔法(コンシステント)の使い方を習得してもらおうと思います。街に入ってから誰かに魔力量測定魔法で観測されてしまうと、我々が少々普通の集団と異なっていることを見抜かれてしまいます。そこで、魔力がシルバークラスのハンター程度に見えるように偽装してもらいたいのです」


 そうれ、私の推理の正しさを証明する要請を新種のアンデッドがしているぞ。


 得意な気分を顔には出さないように(こら)え、ごく冷静に返答する。


「それは習得するまでもなく、すぐにでもできると思う。ただ、その前に全員の魔力を確認させてもらっていい?」

「必要ならばどうぞ調べてください」


 一応、許可を得てから魔力量測定魔法ディスコーティアスステアリングでメンバーひとりひとりの魔力量を計測していく。


 こうやって私がリリーバーの魔力量を確かめるのは初めてのことだ。リリーバーがこれほど他者の視線に敏感でなければ、ジバクマでも定期的に計測していたであろう。


 どれどれ、ヴィゾークの魔力は……。


 おおお、凄い。これはブラッククラスと評してもいいのではないだろうか。ライゼンほどではないけれど、それでも途方も無い凄まじい魔力を有している。


 シーワもそうだ。ヴィゾークに比べると少し劣るだけで、この大兵もとんでもない量の魔力を蓄えている。


 イデナは、なり立てのミスリルクラスというところだ。


 フルルはまだチタンクラスだ。剣の技量があまりにも高いからミスリルクラスに該当するかと思われたが、魔力のほうはそこまで多くなかった。


 では、アンデッド最弱のノエルはどうだろう。


 ……。


 …………。


 ………………え?


 ヴィゾークやシーワの魔力を測定した時とは別種の驚きが走り抜ける。




 魔法を全く使わない、剣は不器量、食事量だけはメンバー随一の放逐直前アンデッドであるノエルは、予想を遥かに上回る魔力を秘めていた。私の心に生じた驚きは姿形を変え、今は疑惑の念になっている。


 これだけ魔力があるならバンバン魔法を使ってもよさそうなものだ。それなのに、ノエルはなぜ全く魔法を使わない。もしかして、使えない……?


 ノエルについて考えるうちに、リリーバーに起こったいくつかの出来事が脳裏をよぎる。


 つい先日まで存在意義の不明だったニグン( 二脚 )は、いつの間にか変化し、両腕が私の目に映るようになっていた。両腕の無かった二脚と両腕の有るニグンでは、ニグンのほうが本来あるべき姿、“真実”なるものに近いように思う。


 メンバーの滅びについても気になる。


 そもそも、なぜノエルや二脚はここまで生き残れている?


 毒壺最下層にリリーバーが初挑戦した時、犠牲になったのはウルドだ。ニグンはボス戦に挑戦せず下層に残っていたものの、ノエルのほうは最下層に下りていた。強いウルドが滅び、ノエルは滅びを免れた。


 選挙終了後にヒトの生活圏を荒らす魔物を討伐して回った時にしてもそうだ。魔法の練達であるマドヴァは滅び、二脚とノエルはまたも滅びを免れている。


 普通は弱いものから命を落としていくものだ。これはただの偶然ではない。非戦闘員のルカが他のメンバーから厳重に守られて生き延びているのと同様に、納得がいく理由があるはずだ。


 ……目に見えるものが真実とは限らない。一時の理解が正しいとは限らない。


 疑え。


 考えろ。


 掴み取る努力をしなければ真実には到達できない。




 ノエルを調べて受けた衝撃はおくびにも出さず、私は残るメンバーの魔力量計測を続ける。


 ニグンはチタンクラスの入り口といったところだ。私たちがアリステル班として活動し始めた頃の、病のあまり進んでいないアリステルと同じか、少し劣るくらいのものだ。


 ルカはシルバークラス下位だ。


 クルーヴァもシルバークラスだ。


 訓練時の強さから、クルーヴァはゴールドクラスだろうと私は目測していた。どうも私の見立てよりもリリーバーの見立てのほうが正確らしい。


 私はプラチナクラスだ。自分の魔力なのだから、魔法を使って調べなくても大体分かる。実際に調査することで、実感覚と事実が乖離していないと分かる。




 まとめて見ると、ミスリルクラスが四人、チタンクラスが二人、シルバークラスが二人、そしてプラチナクラスの私がひとり、だ。


 チタンクラス二人は、流れ者のハンター二人でまだ言い逃れられそうだが、ミスリルクラス四人は言い訳不可能だ。しかも、シーワとヴィゾークの二人は、見る人によってはブラッククラスと判定するかもしれない。


 私が最終的に二人をミスリルクラス上位と判定したのは、ライゼンとの比較があってこそ、だ。あまりにも強くなると、比較対象とか判定指標に乏しくなる。


 仮にマディオフ最強の人間が騎士ネイド・カーターだとしよう。ヴィゾークの魔力がネイド以上だった場合、マディオフの情報魔法使いがヴィゾークをブラッククラスと判定しても何らおかしくないのだ。


 ううーん、オルシネーヴァはこんなのと戦わされていたのだなあ。


 元敵国とはいえ、改めて考えるとオルシネーヴァ兵が不便(ふびん)に思える。


 アリステル班時代の私に置き換えて考えてみよう。ブリーフィング時にアリステルから、『今日はミスリルクラス四名、その他強者数名を擁するワイルドハントを討伐してもらう』なんて言われたら、冗談抜きに私は泣いてしまう。軍規違反で処罰されるのを覚悟でアリステルに食って掛かるかもしれない。


 想像の中の私を発狂させるリリーバーであっても、ここマディオフでは孤立無援だ。軍やハンターたちに目をつけられてしまうと、滅ぼされる可能性は大いにある。


 ここはジバクマではないのだ。人間と接触するときは慎重に慎重を期す必要がある。




 メンバー全員の魔力量測定を終えた私は、魔法に施す若干の修正のイメージを固める。


「うん。じゃあ、調整版の偽装魔法(コンシステント)を使ってみるね」


 全員にコンシステントをかけていき、それが終わったら成否判定のため魔力量測定魔法ディスコーティアスステアリングで一人ひとり魔力を確かめる。


 私の情報魔法とは別個にリリーバーはリリーバーで魔道具を使って偽装魔法(コンシステント)の効果を確認する。


「アンデッド感知の魔道具には反応が見られません。生命への偽装はいつもどおり上手くいっています」


 そちらはいつもやっていることだから簡単だ。でも……。


「こっちはちょっとダメみたい」


 偽装魔法(コンシステント)は私が調整したように正しく機能し、魔力量をしっかりシルバークラスに書き換えていた。ただし、魔力量が不自然なまでに全員綺麗に一致してしまっている。


 シルバークラスの範囲内で適度にばらけさせるべきだ。


 それならば、誰をどの程度の魔力量に偽装するかも覚えておいたほうがよさそうだ。誰が私たちを繰り返し観測するか分からない。観測の度に魔力量が毎回、上下に大きく変動してはおかしいだろう。




    ◇◇    




 調整後の偽装魔法(コンシステント)が安定して行えるようになった後、街へ向かう、ということになり、この旅初となる南下を開始する。今までは北上につぐ北上だった。


 ヒトにとって危険度の高い夜間というのは、一般的に行動を控えるべき時間帯である。そう考えると、『街に入る』という行動は本来日中に取られるべきものであり、許容されるのは遅くとも日没前後までだ。


 だが、新種のアンデッドと行動を共にしてからというもの、地方都市だろうが首都だろうが、街に入るのは深夜ばかり、それも潜入することが常態化してしまっていた。


 こうしてリリーバーと共に、日中に知らない街に入ろうとすると忌避感を強く抱いてしまう。


『まだ日が射しているし、人間が街の内外を出入りしている。確実に多数の人間に見られてしまう。こんな時間に街に入って本当にいいの?』


 人間として正常な行動を取っているはずなのに、逆に悪いことをしているような気分になる。


 密入国して、変装して、アンデッドとゴブリンを生命あるヒトに偽装させているのだから、どう取り繕っても盛大な悪事を働いていることに間違いはないのだが、私の忌避感は、そういう本当の悪事とはまた別の部分にある。


 ズレズレアンデッドと長く付き合っているせいで、私の感覚までズレつつある。更にズレると、ズレている自覚すら失われるだろう。


 ああ、やだやだ……。




 常識感覚が消滅の危機に瀕していることを嘆きながら私は街に入る。マディオフ入国後、初となるヒトの街は、フライリッツという名の、一昔前のマディオフとゼトラケインの国境に近い場所に位置する中規模の都市だった。

本作ではしばしばスラブ語族の言語、単語を参考にしています。「クールヴァ(kurwa)」という単語はかなり良くない意味合いがあり、一般的な人名ではないことを念の為ここに記しておきます。

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