第三四話 隣村 一
首都を発つ当日、私たち三人を前にアリステルがいつものように任務のブリーフィングを始める。
「今回の目的地はバダテンの隣村だ」
「何ていう名前の村ですか?」
「正式な名前は無くて、昔からずっと“バダテンの隣村”と呼ばれているらしい。僕も行ったことがない。でも、村の存在だけは耳にしたことがある」
バダテンは首都からそこそこ離れた場所にある街だ。街の規模はあまり大きくなく、主要都市と繋がる街道はたった一本だけという、地理的にやや孤立気味の街だ。そのバダテンの隣にある村ときたら、首都からの移動には結構な時間がかかりそうだ。隣と呼ばれていても、実は歩いて山を三つも四つも越えなければならないかもしれない。
「その“隣村”で吸血種が問題を起こしているらしく、仲裁に当たるのが任務の一点。もう一点は、村で流行っている病気の診断と治療だね。バダテンは大都市ではないけれど、それなりに人口が多い。そして人口規模に対して教会とか医院の数が足りておらず、周りの村までは手が行き届かない。吸血種問題と医療問題、二つの対応に当たるのが今回の任務だ。詳しい内容はバダテンに着いてから調べないといけない」
「吸血種は倒すんですか?」
質問を装ったラシードの提案、もとい願望だ。ここ最近、筋肉に全力を出させる機会のなかったラシードは敵と戦いたくてウズウズしている。
「襲ってきたら戦わざるを得ないけど、多分そうはならないと思うよ。要請はあくまで仲裁だからね」
「その吸血種というのは、新法施行後にゼトラケインから移り住んできた吸血種なのでしょうか?」
「ううん。前からジバクマに住んでいたひとりらしい。そのあたりの証言もはっきりと事実確認が取れていないみたいなんだ。だから、証言の整合性を確かめるのも任務のひとつになる。では、説明は以上。早速移動しよう」
ブリーフィングは終了となり、私たちはバダテン行きの馬車に乗り込んだ。
バダテンに着いたら隣村に向かう前に憲兵の詰め所へ行き、捜査の中間報告を確認する。捜査を担当している憲兵たちはいずれも出払っていたが、先のブリーフィングよりは詳しく内容が記された報告書に目を通すことができた。
今回隣村で問題を起こしている吸血種はひとりの女性で、隣村を訪れる前はバダテンに滞在していた。女はバダテン滞在中に数名の人間と吸血契約を結んだ。その後、血を吸われた人間、つまり被吸血者と被吸血者の周囲の人間に病気が蔓延している。病の症状は、熱、咳、痰、鼻水、息苦しさなどだ。特に小児の罹患者は症状が重く出ている。捜査担当者は、吸血種の女が病気の拡散者と推測している。ただし、拡散が意図的なものかは不明だ。
後はアリステルから聞いた話と大差ない情報しか記載されていなかった。おそらく未報告の情報がもっとあるはずだ。情報保管場所は捜査担当者の頭の中である。
既報を確かめた私たちは詰め所を後にした。
バダテンからは徒歩での移動となり、整備の行き届いていない獣道のような細い道を歩いて隣村へ向かう。道中、吸血種について考える。
吸血種と一口に言ってもその種族は色々だ。ヒト型の吸血種は私が知っているだけでも数種類は種族があり、非ヒト型の吸血種はおそらく数十以上ある。生物学を修めた人間からすると、そもそも『吸血種』という括りが生物の分類として適当ではないらしい。
世界には虫型の吸血種もいれば、鳥類の吸血種、牛によく似た吸血種などもいる。例えば、ゼトラケインで最も一般的な吸血種である“ドレーナ”はヒト型の吸血種だ。ドレーナが虫型の吸血種である蚊と、非吸血種であるヒトと、生物としてどちらに近いか、と言われれば、素人目線でも、どう考えてもヒトに近い。それなのに、吸血行動を取る、という特徴だけで、蚊もドレーナも同じ吸血種に分類される。
ドレーナとヒトだとペアリングが成立しても子供は滅多にできないらしいから、種族としてはそれなりに遠いのだろう。外見上はゴブリンやオークなどの亜人よりもかなりヒトに近い。
外見的に目立つ違いは牙だ。吸血の際に役立つ鋭く尖った犬歯は開口時に激しく自己主張するため、会話するだけで吸血種と一目瞭然である。牙から毒を出して被吸血者を毒に冒し、さらに牙を通じて被吸血者に魔法をかけることができる。
吸血時に被吸血者が、この世のものとは思えないほどの究極の快感を得られる、というのは有名な話だ。この快感の程度にはヒトとドレーナによって色々と強弱がある、つまりは相性があるらしい。両手以外の場所から魔法をかけられる、というのは、魔眼にも近い特性だ。
吸血種は食料のひとつとしてたまに血を摂取しないと病気になる一方、血を摂取しすぎても病気になる。飲みすぎると病気になる、というのはヒトでいうところの贅沢病、痛風を思わせる。
飲み過ぎによって発症する疾患は以前、他にも色々とアリステルが講義してくれた。血を吸わない私は絶対にかかることのない疾患ばかりであり、あまり集中して聞いていなかったせいで、よく覚えていない。
ゼトラケインでは吸血に関してしっかりとした法整備がなされている。吸血種がヒト一名から年間に摂取してもよい血の量、被吸血者としてよい人数、被吸血者の年齢、被吸血者への報酬、吸血の仕方等など、細部まで規定されている。吸血される側のヒトとしては、直接牙を立てて吸ってもらうと痛みがないばかりか快感まで得られてとても良いのかもしれないが、それをやると吸血種からヒトに病気がうつる。だから、感染症を避けるため、消毒した清浄な小さいナイフなどでヒトの肌に創をつけてそこから血を滴らせ、吸血種は容器に溜まった血を飲む、という方式になっている。行為的にはもはや吸血ではなく飲血なのだが、慣例に倣い吸血の名称が今でも使われている。
気が利いた吸血種はナイフで創を作る際の鎮痛魔法や十分に血が集まった後に被吸血者に施す止血魔法、創を塞ぐための回復魔法を自分で習得して、被吸血者に使う。血を売ってでもお金が欲しい、という貧乏人はたくさんいるが、貧乏人は一般的に健康状態に問題があることが多く、そういった病人の血液や老人の血液は吸血種から人気がない。人気を博すのは若くて健康な女性の血で、味が優れているだけではなく、吸血種の健康面にも良い影響を与える、とされている。
吸血種から、吸血の対象として年間オファーが来る、ということは健康状態や身体管理が良好という公認が得られた、ということでもあり、ゼトラケインでは人間としてそれなりのステータスになるのだという。
ジバクマではゼトラケインほど細かい規定が無い。被吸血者の許可を得ずに無理矢理血を吸うと犯罪になる、という程度のものである。吸血を裁くにあたり個別法は制定されておらず、適用されるのは一般法である刑法、罪状はありふれた傷害罪だ。吸血が生存に必須な行動とはいえ、それを文化的、穏便になすのも文明人としてあるべき姿であり、よほどの事情がない限り基本的に量刑は減免されない。
日常生活に当てはめて考えると、勝手に人間の血を吸う蚊をはたき潰すのは、ジバクマの法的観点からいっても間違っていない、ということだ。
ゼトラケインだと、血を吸う前に蚊を潰すと犯罪になるのだろうか? そこまでは知らない。
今回、隣村ではどういう問題が起こっているのだろうか。伝染病に罹患した吸血種がウロウロして病気を広め回っている程度では、私たちに応援要請はこないだろう。相談の窓口になるのは軍や憲兵団ではなく、東天教や紅炎教の教会だ。もう少し複雑な問題が絡んでいるからこそ、私たちが出動している。
考えやすいのは吸血者と被吸血者間で交わされた契約に生じた齟齬だ。
契約の際に内容を文章に起こして書面化せず、口約束だけで契約を成立させた。しかし、約束よりも多く血を吸われた、とか、約束よりも支払いが少ない、などは、いかにもありそうな話だ。
それくらいの問題は、ヒト同士での日常生活や仕事の場で頻繁に生じている。同程度の問題がヒトと吸血種の間に起こらぬ道理はない。
こういった問題を小妖精で楽々解決できるか、というと、これが案外難しい。トゥールさんでもポーたんでも、つこうと思ってついている嘘は簡単に見抜ける。ところが、記憶間違いなどで本人が完全に勘違いしていると全く見抜けない。むしろ、召喚者である私が混乱させられることになる。
このあたりは審理の結界陣も似たようなものだ。集団パニックを起こしている場合は、全員が間違った記憶を持っていてもおかしくないため、私の能力も結界陣も限定的な効果しか発揮できない。
出来事全てを映像として残しておける、あるいは後から再現可能な魔道具なんてものがあれば、超級魔道具か精霊宝具として分類されるに違いない。
ポーたんあたりがそのうち進化して、そういう能力を身に着けてくれはしないだろうか。
下らないことを考えているうちに隣村に着いた。
ぽつんぽつんと小さな家が狭い範囲に十かそこら建っているだけの本当に小さい村だ。一年で最も寒い時期だというのに、広場では子供たちが元気に遊んでいる。パッと見回した限りでは大人の姿がどこにも見えないため、年長の子供に話しかけることにする。
よそ者であるアリステル班の存在に気付いた子どもたちは遊びを止め、こちらをじっと見ている。こういうときは女性のほうが受け入れられやすい。もちろん話し掛ける役を担うのはサマンダだ。私は形式的にサマンダの横にいるだけだ。
「こんにちは、僕たち。寒くないの?」
「遊んでれば寒くないよ。おばさんたち、だれー?」
答えてくれたのは、子供といっても五歳や六歳ではない、それなりに背の高い子だ。多分、私たちとは十歳と離れていないだろう。それが、いきなりこちらをおばさん扱いする。子供は残酷だ。
「国と首都を守る軍人だよ」
「軍人ってなにー!?」
「どっから来たの? ねえ、どっから来たの?」
「バダテン? バダテン?」
サマンダの笑顔が子供の警戒心を解いたのか、子どもたちがこちらに集まって高い声で一斉に質問をぶつける。興奮気味の子供たちをあやしながら、憲兵がどこにいるかを尋ねると、子供は一軒の家に案内してくれた。周りの家と見比べて特別な特徴のない、平凡な木造平屋だ。
ドアノッカーが見当たらないな、と思っていると、子供たちは家の中に入らず、裏手へ回り込んでいく。
「こっちこっちー!!」
子供のひとりが甲高い声で私たちを招く。
「あの子供たちの中に、この家の子供はいるのでしょうか?」
アリステルに意見を伺うと、アリステルは首を傾げて笑う。
「どうだろう。田舎はそういう部分、緩いことが多いからね。いずれにしろ、後々問題にならないように、家の人に断ってからのほうがいい。中にいるかなあ……」
アリステルはそう言って、手で家の扉をノックする。
数秒待っても、中からは何も返答が無い。
諦めた私たちは子供の声に従って家の裏手に進む。
そこにあったのは物置のようなボロ小屋だった。扉が開け放たれた狭い小屋の中には、檻の中に閉じ込められたひとりの女とそれを見張る憲兵がいた。
この女が吸血種なのだろうか? 問題を起こしているとはいえ、まさか檻に閉じ込めるなんて過激な対応だ。この微妙な時期に吸血種の反感を買うことになるのでは……。
椅子に座って女を見張る憲兵は疲弊した様子で、こちらに気付いても自ら名乗る様子がない。そこで、アリステルのほうから憲兵に名乗る。
「初めまして。私は首都防衛部隊中佐のアリステル・ズィーカと申します。今回の件で対応に当たっている憲兵の方ですね」
「ズィーカ……中佐……!? ひぃ!」
階級差に気付いた憲兵は座っていた椅子から慌てて立ち上がり敬礼する。
「大変失礼しました。小官は憲兵団バダテン支部所属のフランチェスカ・ビリーコヴァー上等兵です。どうぞフランとお呼びください」
フランは冷や汗をかき、卑屈な笑みを浮かべながら名乗った。フランの所作から、“媚び”の“メッセージ”をポーたんが拾ってくる。わざわざ読み取る必要のない、見てすぐに分かる“メッセージ”でも拾ってくるのがポーたんの通常営業である。
フランの見た目は、疲れが漂っているだけの平凡な女性憲兵だ。ポーたんが拾う“メッセージ”からしても、嘘をついている様子はない。
憲兵なのにフランはなぜひとりなのだろう。それなりの案件を対応するとき、普通は二人以上が組になって行動する。憲兵ひとりに難案件を背負わせなければならないほどバダテンは人手不足なのだろうか。あるいはそれほど簡単な任務だと思われたのか。
そんなはずはない。簡単であれば応援を要請するはずがないし、ましてや私たちに任務が下るなどありえない。
「フラン上等兵一名がバダテンに派遣されたのでしょうか?」
「いえ……上官がいるのですが……」
答えるフランはとても歯切れが悪い。
さあて、私の能力はどちらから使うか。
今回の調査対象として真っ先に候補に挙がるのは檻の中にいる女だ。精密な調査をする際に活躍するのはポーたんではなくトゥールさんだ。トゥールさん、ことソボフトゥルは、“質問”の合間だけではなく、“転写”の対象を変える際にも冷却時間が生じる。誰から調査するのか、しっかり考えて決めなければならない。
フランを名乗るこの憲兵は何か不審だ。檻の中の猛獣よりも、檻の外にいる狂犬から調査するべきだろう。
フランはこの場の最上級佐官であるアリステルに気を取られて周りに目を向ける余裕がない。アリステルの脇から魔力量測定魔法を使ってフランの魔力を計測する。
……うん。
フランは並の憲兵だ。これなら、冷却時間は気にするほどの長さにならない。
早速フランに対してトゥールさんの能力を使う。
名前は……本名だ。次に“質問”するのは……。
「軍人さん、軍人さん」
檻の中の女がこちらに話しかけてきた。
「後で話を伺いますので少々お待ちください」
アリステルが言葉と手ぶりで女に待つよう言うが、女はそんなことお構いなしにペラペラと喋る。
「そこの憲兵さんが私を無理矢理この檻に閉じ込めたんです。軍人さん、お願いです。私をここから出してください」
女は少し怒りの込もった口調で解放をアリステルに要求する。閉じ込められている割に必死さや悲壮感が無く、奇妙な違和感がある。
装いはお世辞にも清潔とは言い難く汚れが目立っている。しかし、貧乏そうには見えない。羽織った外套は見た目の温かさだけでなく可憐さがあり、品質の良さが見て取れる。
肌の色は一般的なジバクマ人によく見られる褐色で、話すたびに開く口には犬歯が目立たず吸血種には見えない。
少し待て、とアリステルが抑止を繰り返しても、女は一方的に、困っているんです、出してください、と要求を続ける。
憲兵からあらましを聞いたアリステルは、今度は女に向き直る。
「檻越しで申し訳ありません。私は国軍の首都防衛部隊に所属している中佐のアリステル・ズィーカと申します。貴女の口からも、どうしてこのような状況になったのか教えていただけますか?」
「いいから早く出してください。私は何も悪いことなどしていません」
アリステルが話し合う姿勢を見せても女は相変わらず檻からの解放にこだわり会話が噛み合わない。
さて、ここからはこの女の調査だ。フランは上官に関すること以外、嘘は言っていないようだ。もちろん、フランが語った調査内容の正確性は誰も保証できない。たとえ虚偽の証言はせずとも、誤認していることなどいくらでもある。
「どうしてここから出たいのです?」
「こんな場所に閉じ込められていたい人間がいますか。私はストレイチェク家の者です。今後、この件は問題になりますよ」
ストレイチェク家がどれほどの権力を持っているか分からないが、単に吸血契約がこじれただけで一方的に女をこの檻の中に閉じ込めたのであれば、女が名家出身ではない一般人だったとしても問題だ。
だが、フランが語った調査内容はそう簡単な話ではない。法的妥当性の有無までは断言できないものの、一時的な対応として女を隔離したのは誤判断にはあたらない。
「檻から出しても暴れずに、私たちにお話を聞かせてくれるのであれば、私の責任で貴女をここから出します。ただ、すぐには身柄を解放できませんよ。いいですね?」
「いいでしょう。私には何も後ろめたいことなど無いのですから。調べていただければ分かります」
アリステルに促されてフランが檻の鍵を開ける。
檻は大人ひとりだと動かすのが困難なほど大きく、とても頑丈そうだ。元々は人間用ではなく、ボア等の魔物を捕らえるためのものだろう。
檻から女が出ると、サマンダの周りで遊んでいた子供たちは叫び声を上げて全員どこかへ逃げて行った。
「さあ、お話を聞かせてください」
「こんな寒い場所で話も何もないでしょう。話が聞きたいのであれば、それなりの場所を用意してください」
檻の中に居ながらにしてあれだけの昂然だったのだ。檻から出ればなおのこと不遜になるのは自明だ。
「私はこの村に来たばかりですが、おそらくそんな場所は……。そういえば、教会はないのですか?」
「この村には教会も集会場も無いですよ。修道士が月に一、二度巡回に来るぐらいで、司祭が来ることはないですし、医者にかかりたいときはバダテンまで行くしかないと思います」
フランも事案対応のためにバダテンから一時的に出向してきている身であり、隣村に常駐している憲兵ではない。隣村のような規模の小さな生活共同体は社会資本を最寄りの街に依存していることが多い。
「困ったな。民家に侵入して勝手に使うわけにはいかないし、バダテンまで戻るのもなあ……」
アリステルが悩み始めたところで、家の表側からひとりの男がやってきた。
「あらっ、あんたたちは……あらー! その女、本当に出しちゃったの!? 入れる時、あんなに苦労したのに!!」
「当然です。入れられる理由がありませんから」
現れた男と檻から出た女の間で分かりやすく火花が飛び散る。
アリステルが男へ名乗ると、男の名前のほうはフランが教えてくれた。
その男はランドン・ネチャス、この家の主人だ。家から少し離れた場所で野良仕事をしていたが、女が檻から出てきたことを子供たちに教えられ、慌てて戻ってきたらしい。
「ネチャスさん。大変心苦しいのですが、こちらの女性からお話を聞かせてもらう間、ご自宅を使わせていただけないでしょうか?」
「家の中に入るのはいいけどさー、絶対子供たちが噛みつかれることのないように、しっかり見張っててくれよ?」
家主の許可が得られ、一同は民家の中に入る。隙間風が盛大に入り込んでいるせいか、屋内の温度はとても低く、扉が開きっぱなしだった外の小屋と大差ないように思われた。
アリステルは種火しか灯っていない囲炉裏端に女を座らせて事情を聴き始めた。
女は名をオローナ・ストレイチェクという。大きな商家、ストレイチェク家の次女で、種族はヒト型吸血種のヴィポーストだ。成人して家業に参加する前に見聞を広めるため、ひとりでジバクマ国内を行脚していた。
隣村に来る前に訪れたバダテンで、希少で美味な魚が取れる、という隣村の噂を耳にしたことで興味が湧き、ここまで足を伸ばした。
隣村に滞在すること数日、オローナは吸血のため、この家の主人、ランドンと契約し、噛みついて血を吸わせてもらうことになった。ところが、吸血時の激痛にランドンが耐えきれず、オローナはほとんど血を吸うことができなかった。
ランドンは、『金は要らないからもうやめてくれ』と頼んだ。オローナが求めているのはヒトの血の摂取であり、被吸血者に痛みを与えることではない。オローナはランドンの頼みを聞き入れた。その代わり、ランドンの妻か子供に血を提供させるよう要求したが、ランドンはオローナの要求を受け入れずに口論となった。
大声の応酬は小さな村全体に響き渡り、村人がランドンの家に集まってきた。気の良い村民数名が、代理に被吸血者となることを申し出たが、ランドンは親切な隣人たちに吸血時の激痛を警告した。
吸血契約とはヒトにとって基本的に悪くない契約だ。敵対でもしていない限り被吸血者の健康に支障が出るほど多量に血を吸う非道なヒト型吸血種は滅多にいない。ヒト型の吸血種に噛まれると被吸血者は痛いどころか快楽を得られる。病気をもらう可能性はそこまで高くなく、血を吸われる代わりに売血の報酬として悪くない額の金銭が得られる。
ここで重要なのが、吸血種による吸血は痛みを伴わない、という点だ。ランドンに代理を申し出た村人たちは誰も激痛を与えられるとは思っていなかった。警告に怖気づいて村人全員が身を引いたため、オローナは激怒した。
そして揉めに揉めた末、最終的にバダテンから駆け付けた憲兵によって檻の中に入れられ、現在に至った。
「何日あの檻の中に閉じ込められた、と思っているんです。これは不当逮捕ですよ」
オローナは息巻いている。怒っているのは間違いないのだが……どうにも演技っぽさ、不自然さがある。
同情を買おうとか、こちらを威圧して事を自分に有利に運ぼう、という明確な“意図”や“メッセージ”がある場合、ポーたんは絶対に見逃さない。しかし、オローナの不自然な挙措にポーたんは何も反応を示さない。これは一体……。
フランとオローナから一通り事情を聴き終えたアリステルは内輪で相談するため、オローナの見張りをしばしフランに任せた。
オローナから少し離れ、アリステル班だけで小声で話し合いを行う。
「班長、あの女性は――」
喋り始めた私をアリステルが遮る。
「ラムサスの調査結果を聞く前に、ラシード、サマンダ。今回の件は二人で解決してみよう。私はもちろん一緒に行動するし、重大な失敗を避けるためにラムサスの調査結果は私が確認する。手が必要な時は指示を出してくれ。私もラムサスも二人の捜査指示に従って動く。二人はこれから、私もラムサスもいない状況で、理解不能な事態に遭遇することもあると思う。云わば、これは卒業試験みたいなものかな?」
私はアリステルの知力の高さを改めて認識する。
オローナの証言内容だけからいえば、今回の件は事前の予想どおり吸血契約が少しこじれた程度のもの、“事件”に満たない“事案”でしかないのだが、オローナの証言は、フランが語った最新の捜査報告とは少々相違がある。
相違点以外にも、私は小妖精の能力で矛盾点をいくつか発見した。しかし、真相にはまだ至れていない。
アリステルは、私の発見した矛盾点を知らされずして、フランとオローナから話を聞いただけで、ある程度答えが分かってしまったのだ。だからこそ、こうやって二人に試験を課している。
取り敢えず、小妖精の能力で判明した情報をアリステルにだけ伝える。アリステルはそれを聞いても頷くばかりで、私にも答えを教えてくれなかった。
ラシードとサマンダは二人で相談を始める。
今日の卒業試験の受験者はラシードとサマンダの二人、アリステルは試験官、私は試験官補佐のようなものだ。私には解答権こそないものの、問題に挑戦する自由くらいはあるだろう。私はひとり、頭の中で推理を展開する。
私は小妖精の分だけラシードとサマンダよりも手にしている情報量が多い。“一対二”という数的不利を覆し、二人よりも早く真相を究明したいものだ。
無意味な競争心に駆られながら、得られた情報を脳内で整理する。
まずはフランたちが隣村とバダテンでかき集めた情報から反芻してみよう。
憲兵の介入が始まったのはオローナが隣村で騒ぎを起こしてからだが、事はもっと前から始まっていた。本当の始まりの地は、隣村ではなくバダテンだ。
オローナは隣村に来る前、バダテンでも既に問題を起こしていた。問題の内容は隣村とほとんど同じだ。街の住人と吸血契約を結んだはいいが、被吸血者が噛みつきによる痛みに耐えかねて契約を撤回する、という、ランドンの訴えと同じものだ。ただし、バダテンの被吸血者たちはランドンほど事を大げさにしていない。それにはひとつのとても分かりやすい事情がある。
問題は吸血時の激痛だけではない。被吸血者を中心に病気が広がっている。病気の症状は、咳、痰などの気道炎症状、そして性器とその周囲に現れる硬いしこりだ。
性器の症状は、バダテンで読んだ捜査報告書には記載されていなかった。フランのような捜査者だけが知る最新情報ないし裏情報というやつだ。
性器症状と呼吸器症状には広がり方に少々差がある。性器症状を訴える者は皆、直接ないし間接的にオローナと接触がある。それに対し、呼吸器症状はもっと広く伝播している。被吸血者の家族ばかりか、オローナと直接的にも間接的にも全く接触を持っていない人物もチラホラ同様の症状を訴えていることから、伝播力はそれなりに高いと推測される。
隣村にオローナが来たのは二週間と少し前だ。この村でオローナと吸血契約を結んだのはランドンだけ。ランドンは既に咳や鼻水などの症状を訴えていて、ランドンの家族にも隣家の住人にも症状が広まっている。
バダテンにはストレイチェク姓の吸血種がいない。調査範囲をヒトまで広げても、同姓の商家も無い。
一部の情報を除くと、フランの調べではこんなところである。
ここまでは私とアリステルだけでなく、ラシードとサマンダも全て共有している情報だ。さあ、ここからは私とアリステルだけが知っている情報がチラホラ出てきて複雑になる。
小妖精で分かった大事な点は、フランは捜査内容に関して嘘をついていない、ということだ。そしてオローナも意図的に操作を撹乱する類の偽証はしていない。フランとオローナの話における最大の相違点は、『オローナと被吸血者との性行為の有無』だ。
フランたち憲兵の調査によると、オローナは被吸血者たちと性接触を持っている。それに対し、オローナは性接触を否定している。これは犯罪隠しというより羞恥心とか自尊心の問題だ。本案件では性暴行の有無が焦点になっているわけではないため、相違が生じた理由の解釈には注意を要する。
バダテンの被吸血者たちが吸血時に痛みを与えたオローナを糾弾しない理由は簡単だ。被吸血者が全員男だからだ。男たちはオローナと吸血契約だけでなく売買春契約を交わした。おそらく、吸血契約で動く金銭を売買春契約で相殺決済したのだと容易に想像がつく。税金関連の話を抜きにすれば、これは別に違法行為ではないが、外聞の良い話ではない。
それに、性交中に行為の一環として噛みつかれたことを論って問題にする男が世界のどこにいる。たとえそれがかなりの痛みを伴ったとしても、別れた後に性器にしこりができたとしても、鼻水や咳が止まらなくなったとしても、憲兵沙汰にしようともしたいとも思わないのだ。憲兵から執拗に尋ねられたら、渋々答える、という程度のものである。
これらの情報からストーリーを組み立てるならば、バダテン以外のどこかの街に生まれを持つ豪商の娘、ヴィポーストのオローナ・ストレイチェクが旅をする中で呼吸器症状と性器症状を引き起こす病にたまたま罹患し、訪れた街や村で住民に病をうつして回った。また、吸血の際になぜか被吸血者に激痛が生じ、吸血契約がこじれた。それだけの事案でしかない。だが、真相は明らかにそんな単純なものではない。
今度は矛盾点を列挙しよう。真っ先に思いつく矛盾はオローナの見た目だ。ヴィポーストであればドレーナ同様、肌の色や犬歯がヒトのそれらとは異なっているはずだ。それなのにオローナは丸切りジバクマ人の姿をしている。
普通であれば、変装魔法でヒトの姿を取っている、と了解できるが、オローナに対してポーたんは全く反応しない。つまりオローナは変装魔法を使っていない。
ドレーナとヴィポーストの違いは、外側ではなく内側にある。得意な魔法の種類がドレーナとヴィポーストでは異なっている。変装魔法を得意としているのはドレーナであり、ヴィポーストは種族的に変装魔法を特別得意としていない。もちろんこれは傾向の話であり、ヴィポーストが絶対に変装魔法を使えない、ということではない。
後は性格的特徴も違う。ドレーナは比較的温厚で友好的なのに対し、ヴィポーストは気性が荒く好戦的だ。もちろんこれもただの傾向であり、乱暴なドレーナや優しいヴィポーストもいる。
外見的にドレーナとヴィポーストはヒトの目だと区別できない。当の吸血種たちからすると両者はそれなりに違って見えるらしいが、混血もありえるらしいから、ヒトでいうマディオフ人とジバクマ人との民族差程度のものなのだろう。
少し思考が脱線した。問題の本質は、ドレーナかヴィポーストか、という部分にはない。オローナはそもそも吸血種ではないように思う。外見もそうだし、それになにより、ドレーナでもヴィポーストでも、吸血で噛みつく際に被吸血者に激痛を与える、などという話を聞いたことがない。
念の為、私はトゥールさんに“質問”して確認を取る。『オローナ、あなたはヴィポーストなのか?』と私が問いかけると、“転写”によってオローナの姿となったトゥールさんは、『はい』と答える。
これはダメな質問だ。トゥールさんに、『はい』と答えさせてしまうと、次に“質問”できるまでの冷却時間が長くなってしまう。ただ、結果的に失敗だったとはいえ、私はトゥールさんが、『いいえ』と答えるはずの質問をしたのだ。
何はともあれ、これではっきりした。オローナは……。




