第一話 一歳の誕生日
私は、ネイゲル家の長男として生まれた。喃語を喋り始める時期は世間一般の子供と変わらなかったが、以降ほどなく大人との意思疎通には事欠かなくなった。
私の面倒を見てくれる使用人たちは私を、天才、精霊の寵児、勇者の生まれ変わり、と褒めそやした。不要な修飾語がひとつ付いているものの、最後の説が最も正解に近いだろう。勇気をもって巨悪に立ち向かった覚えはとんと無いが、欲求に突き動かされて生きた記憶がある。どうも私は転生したらしい。
今日は一歳の誕生日であった。乳母のナタリーが、離乳食として出すには段階をいくつか飛び越えている誕生日祝いの食事を用意してくれた。
この特別費用は一体どこから出ているのだろうか。まさかナタリーが身銭を切ったわけではあるまいか、と不安がよぎる。それというのも、本来誕生日を最も喜んで然るべき私の母キーラは、母親らしい愛情を私にみせる素振りが日頃から全くないためである。
今日の誕生日にしても、母はナタリーにせっつかれて私の前に顔を見せたのもつかの間、笑顔を見せるでもなく目出度い場にそぐわない訝しむような視線を私に向け、薄気味悪い独り言をボソボソと呟きながらその場を後にするだけであった。子供である私の目から見て、母は容姿こそ美しかったけれど気色の悪い存在であった。
そして父のウリトラスと言えば、軍の多忙さのため家を空ける日が多く、もちろん今日も不在である。そんな両親が私の誕生日を祝おうなどと自分から言い出すとは考えにくく、費用すら負担していないのではないかと邪推してしまう。
乳母のナタリー、家事担当のアナ、それ以外の男手担当のマヌ。三人の使用人たちが親の代わりに私を祝ってくれる。彼らは雇い主に強いられるではなく、自主的に私を祝ってくれてはいるが、そこには多分に哀れみを併せ持っているようであった。
マヌが言うところによると、私を産んだばかりの頃の母は愛情に溢れていたらしい。父や祖父母から乳母を雇うことを勧められたもののこれを固辞し、母自身での育児にこだわった。
皮肉にもその鋭意が仇となったのか、生後間もない赤子をひとりで育てることに疲れてしまったのであろう。産後三か月頃から心を病んでしまった。教会や何か所かの医院に足を運び助力を求めても、『はっきりとした病気や呪いの類はみられない』と判断され、さしたる成果が得られずに終わる。
明るく勝ち気であった性格は鳴りを潜め、夫にも使用人にもきつく当たるようになり、不信に満ちた目を実の子供である私にまで向けている。
見かねた使用人たちは父に乳母を雇い入れることを進言し、産後四か月を目前にナターリアが新しく加わった。彼女はナタリーという愛称で呼ばれた。
出産前は乳母を拒んでいたはずの母は、ナタリーが来て以降、私の面倒を一切見なくなった。
心労の原因と思しき育児から離れた後も母の様子が大きく改善することはなかった。暴力や奇声ほどの自身を逸した行動を取ることこそないものの、鬱々とした所作のひとつひとつが家の雰囲気を著しく悪くした。
以前の性格を知るマヌとアナは、しばしば母が以前の明るさを取り戻すことを口に出して願っていた。
私は、前世の記憶を持っている、と言っても、誕生直後から外部のことを全て認識できていたわけではない。
新生児の未熟な視力がそこそこ安定してようやく周囲がまともに見えるようになり、雑音でしかなかった人間の言葉が言語として聞き取れるようになったのは、母が豹変し、育児担当がナタリーになった後だった。要は、此度の生で物心ついた頃には乳母が全て私の世話をしていて、実母が私を世話していた頃のことは全く記憶にない、ということだ。
病む前の母を見た記憶が無い私にとって、彼女が“元からそういう人”であったとしても、さしたる違いはないのであった。