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歪む道「とける女王と研究所」

作者: lusus

 白い塊は、七つ目の太陽の微笑みで溶けてしまう。しかし七つ口の月の睨みで硬直もするため、満足な行動は出来ずにいた。これでは昼と夜のどちらにおいてもその生存は絶望的であった。やがて捕食対象とする生命が現れるのも時間の問題であろう。

 絶滅はおよそ確定事項であった白い塊が安住の地を見つけ、進化すら遂げたのは類稀なる幸運に恵まれたからだ。幸運に頼った生存を蔑む者はいない。いずれにせよ強者とは生き残った者のことを指す。力ある死者は、ただ死肉を弄ばれる以外に何ができようか。


 白い塊は巨大な建築物の内で最初に小さな写真を見つけ、その姿を模倣した。人の形をした白衣の女性。編み込まれた灰色の髪。それを複製し、思考の最小単位として活動を始めた。体の動かし方を知り、建物という箱庭の様相を探り出す。音と熱を発する箱、景色を描く輝きの板、意味不明な構造物。

 長い時の中でそこから文字を見出し、意味を理解し、この内にひしめく小宇宙を知り始めていた。程よい熱は彼女らの行動範囲を押し広げ、数多の知識は自我を生み出した。ただの蠢きに意味を伴うように。

 A101と符号された大部屋には彼女らの大半が存在し、わいのわいのとひしめいている。全て個体はある女性を模した姿のため、言語による間接的な会話を行うようになると齟齬が生じるようになった。そのため、各々で小さな特徴付けをすることで混乱を小さくした。

「貴女は本当にそれが好きなのね」

 大きな一人、手首落しは板に写る文字を指差しながら、小さな一人、トゲ髪に教育を施していた。その背後であやとりをしながら茶化すように紐付きは言葉を投げかける。

「ここで得られるデータは有限。核に近い私たちはともかく、トゲ髪のような末端ならリスク小さく外部での活動ができる」

「それって私たちの一部なんだけどさぁ」

 紐付きはあやとりで七芒星を作りながら転がる。手首落しはトゲ髪に身を寄せる。

「思考力を増殖し、リスクを小さくしている。問題ない」

「もだな」

 手首落しに応えるようにトゲ髪は言葉を発する。それを聞いて紐付きは苦笑するばかりだ。

「大丈夫なの?」

「発声は不要。インプットは十分」

「ふもまっ」

 真顔で誇らしげに数字列を指差すが、紐付きには理解しかねる記号でしかない。あの二人だけの小さな世界で成立する言語体系なのだろう。紐付きにその知識はないが、知る気もない。手首落し唯一の配下で、手塩にかけて育てているのだから問題なかろうが、傍から見れば不安というものだ。

 紐付きとゲ髪の顔が僅かに融け合い、情報交換を行う。言語を伴う会話をしないあたり、アウトプットは厳しいようだ。

「件のものができた。温度、座標の送受信装置でよかったか」

 寝そべる紐付きの上に倒れ込み、首飾りは手にした球体と直方体の金属塊を投げた。彼女は内部構造の調査と管理を好き好んでやっている核に近しい一人。他の個体に比べて紐付き、手首落し、首飾りは大きく、思考力に秀でている。その核はこの大部屋に吊り下げられている白い大きな結晶体だ。とにかく守らなくてはならないもの、それが核。

「ちょっと融合するわよ、どきなさい。そろそろ時間だから」

「時間だと? B系列の部屋は使うなよ。施設機能の動作実験をしているところだ」

「ここでしますよ~っと。はい、リボン付きの皆さんしゅ~ご~ぅ」

 紐付きは手を叩き、その度にあやとりが剣の形状へ近づいていく。溶けかかりや白い液の海に沈んでいるの、固体たちがぞろぞろと彼女の前に集まる。そのどれにも紐やリボンみたいなものが巻き付いていた。

「本日もー、演習を行いまーす。皆さんは味方ぁ、標的は私ぃ。巷では巨大生物がいるらしいので、それの模擬をしまぁす。聞く限り大したことないのですがね、一応やりましょうねぇ」

 リボン付きたちはざわめきつつも、体の一部や大半を盾や武器に変形させる。紐付きは大きくあくびをしながら、その体積を大きく増加させて、全身から武器を伴った腕を生やす。目を多数発生させて体の各所に配置する。蕩けていた足を凝固させ、ゆっくりと立ち上がる。

「別の場所に行く。騒がしくなる」

「まぷにっ」

 おどけた咆哮を合図に、リボン付きたちと紐付きの演習が始まる。それを余所に、手首落しとトゲ髪はそそくさと立ち去った。



「これの性能を教えよう」

 D203と銘打たれた部屋に二人はいた。そこには小さく膨らんだ鞄が置いてあり、窓は暗幕で覆われている。トゲ髪の胸元には金属の球体が埋め込まれていた。

「これは簡易的な位置情報装置で、温度の表示もしている。この表記が360に近付くほど警告音の間隔が狭まる。ちょうど私たちが溶けだす温度だ」

「こな?」

「うむ。陽光遮断の傘を持ち外出してもらうが、そなたには感覚があまりない。最優先は生存。情報収集は優先。ここを誤るな」

 トゲ髪は首をひねる、これは彼女にとっての肯定を意味する。

「外部には同様の言語を扱う生命が存在するはずだ。これを吸収し、持ち帰る事。思考の源たる脳は頭部にあるが、念のため全身を生きたままに」

 それを聞き、トゲ髪はいそいそと準備を始めた。自身の一部で象った装飾とは異なる服と靴を着込み、色覚のための顔料を瞳に混ぜ込む。思考回路の容量が足りないため会話は困難だが、懸念事項には該当しない。生命体の脳にあたる部位を身に浸せば、情報を抜き取れることは既に確かめられている。トゲ髪と手首落しの間は言わずもがな。

 単純な生存において、この建物に引きこれば不自由なく暮らしていけるが、それを望む者はいなかった。今外に出るのは早計だと首飾り、紐付きは唱えるものの、否定はしない。安全圏と生存圏がぴったり重なり、ただ一つしかないことの危険性を理解していた。

 いずれそうなるのなら、先に知っておくべきだ。というのが手首落しの弁だ。しかしその裏には抑えきれない知的好奇心が見え隠れしている。トゲ髪は目玉をぐりぐりと動かして、視覚と色覚を同期させていた。顔料は十分馴染んだのか、他部位への染み出しもない。

「よし。では外へ」

 手首落しはトゲ髪の冷たく固い頬を撫でると、外に通じる扉へ誘導を始めた。紐付きたちはまだ武器を手に暴れまわっている。その脇を通り抜け、彼女を見送った。



 時刻は昼。それ以外に表現する言葉は見つからない。七つ目の太陽は何処から見ても、どの時間であっても同じ場所にいる。トゲ髪は陽光遮断の傘を展開し、あたりを見やる。敷地外に続く道に沿って歩き続けていると、正面からこちらに向かってくる物体を彼女は観測した。

 知性体としてインプットされた姿は衣服を纏い、楕円型の胴の上部左右に腕、下部左右に足を有し、二足歩行をし、頭部には嗅覚、視覚、聴覚の受容孔が2ヵ所、味覚の感覚体が一つある……という定義だ。

 観測対象の頭はバイザーを装着しているため、視覚の受容孔は1。また、バイザーにより耳が隠されているため聴覚の受容孔は0。4本の足を持ち、先端にホイールがあるため2足歩行でもない。相違点は3点あるため、これは知性体に該当しない。彼女は以上の判断をもって、一切のアクションを伴わず探索を継続した。

 それから数kmと移動しない内に彼女は知性体を観測する。黒、灰、白の入り混じった服を着ている物体。隣には4つ目の非知性体がいた。近付くとこちらに反応し、にこやかに話しかけてくる。

「見たことのない奴だな。俺はアバロスだ、商品と流通経路の確保のために活動をしている者で……」

「へめると、かろぷたる?」

 理解可能な言語であり、知性体としての情報が確定した。

「あっ? お前もダメか」

 捕獲対象を見つけ、彼女は手を伸ばす。しかし彼の立ち去ろうとする動きを追えず、空を切る。近寄り、再び手を伸ばすと彼はめんどくさそうに振り払った。そこでトゲ髪は捕獲方法を何も考えていなかったことに思い当たる。暴力的解決を彼女は知らない。

 気付けば警告音が鳴っていた。傘の遮断領域から外れた腕が七つ目の太陽に微笑まれ溶けだしている。数値は292…308…341。全身から同じように、汗のように溶け出した液体が流れている。

 手を引っ込めると即座に数値は落ち、汗は固まった。その他に異常がないのを確認し、あの建物へ戻ることを決定した。



 長らく家を空けるのは不安だ。こうして戻り、扉を開けるその瞬間まで中の様相には無限の可能性がある。カビや胞子の楽園か、虫の天下か、変わらぬ平常か……。何が起きても不思議じゃないから、得も言われぬ恐怖は募るばかり。

 トゲ髪が最初にすれ違った物体は研究所の前で不安げに首を傾げていた。バイザーに表示されるパルス信号も悩ましい。しかし行動しなければ前進も何もないのだ。彼女は意を決して、玄関口の壁を叩いて制御盤を呼び出し内部映像を出力させる。

「うわっ……カビ?」

 区画閉鎖していた部分に変化はなかったが、しかし開けっ放しにした区画には白い物体がそこかしこを覆っていた。映像では蠢いてることも分かるが、この程度の体積なら自然なことだ。彼女はパネルを叩き、熱洗浄に関係する装置の状態、燃料の残量を呼び出そうとした。

「ここは流石に問題ないだろうな。ん?」

 奇妙な警告文が表示される。

―温度制御に関係する装置の使用を禁じ、ロックします。使用したい方は首飾りの許可を得てください-

 そしてパスワード入力画面が表示された。

「あいつ、みみっちぃ真似を。……トラップ無し、3桁……粗末にも程があるな、ついに耄碌したか」

 一笑に付しながら看板だけの警告を踏み倒し、熱洗浄プログラムを実行した。実際に施設内部の装置が稼働するには5分程度かかる。それまで他に何か異常がないかを探査すると、熱制御に関するものの直前にばかり警告文とロックが設置されていた。

 彼女が小さな違和感を覚えてるのも束の間、熱洗浄が開始したことを示す警報音が研究所内部から小さく響く。表記温度は290K、数秒もしない内に数値はぐんぐんと伸びていく。その時、トゲ髪が現れた。

「こぷとー?」

「今は入れないよ。まだ600Kだから、平気なら行ってもいいよ」

「くのっ!?」

 トゲ髪は彼女の言葉を受けて制御盤に詰め寄る。が、止め方が分からない。

「中に大事なものあったかい。じゃあ一旦冷やすよ」

 金属光沢のある鋭利な指で触れると、緊急冷却の文字と共に排熱が始まる。表記温度が380になった時点でトゲ髪は研究所へ飛び込んだ。全身が溶け、胸に植え込まれた球体は警報音を鳴らしながらぼとりと落ちる。

 A101を目指して走りながら、まだ僅かに融け残ったものから情報を取り込んでいく。その殆どは火を上げて消失する恐怖に怯えるばかりだった。何と無意味で無価値だろう。そう思いながら先を行き、一歩を踏み出す度に足が溶けていく。

 目指すは我らが核。あれが何のためにあるかは知らないが、晒してはならぬ弱点であることは根源的に理解していた。温度は十分下がっているが、どろどろに融けた下半身はぐちゃぐちゃのまま固まる。同じように目玉も蕩けているものの、頭の中にある予備を耳から取り出して眼窩を模る穴に突っ込む。

 腕で体を引きずり、まだ熱のこもるA101の扉を開けると、床と天井、あらゆる壁は煤で真っ黒に染まっていた。その中央にはゆるやかに固まりつつある白い物体。付近には見慣れた首飾りと、見覚えのある焦げた紐。トゲ髪は彼女らの残骸に触れ、その全てを吸収した。



「あったかい、大事なもの」

「……」

 トゲ髪は腕で体を引きずりながら、彼女の前に来た。

「あぬたの、おままえは?」

「ラウル。君は?」

「……ラボ。……ねぇ、いしよにいゆてもよい?」

「ああ、一緒にいていいよ。にしても」

 ラウルは顔に取り付けたバイザーを外し、ラボをまじまじと見つめる。

「ラボのこと、何処かで見た覚えがある」

 その顔は、ラウルにとてもよく似ていた。

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