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愛しのガマガエル

顔しか見ない男はいりません!

作者: 雨柚

 短編「誰か王様になりませんか?」「今さら求婚者なんていりません!」の続編です。

 一応、このシリーズはこれでお終いの予定。これ以上続ける場合は連載に切り替えます。たぶん続かない。活動報告に小話を掲載するくらいはするかもしれません。

 長い(1万6千字超え)うえにコメディ要素が薄いですが、楽しんでいただけたら幸いです。


 カルディア王国唯一の王女であるアリシアは、過去の国王たちにも引けを取らない立派な女王となるべく王太子としての政務の傍ら日夜勉学に励んでいた。


 王太子となる前から……自分が女王になるのではなく、婿を迎え王妃として国王を支えるのだと思っていた頃から学問には真面目に取り組んでいたため、女王になるための教育もそれほど苦ではない。もともと学問にしろ武芸にしろ、アリシア自身が何かを身に付けることが好きだったということもある。

 これまで、アリシアにとって自分を磨くことは恵まれない容姿を補うためのものだった。呪いが解けて絶世の美貌を手に入れても、彼女が努力家なことに変わりはない。






 書類にペンを走らせる音が室内に響く。窓の外はいつの間にか暗い闇に包まれていた。


 ここはアリシアの私室だ。今日の分の執務はもう終えているが、アリシアは机に向かっている。やることもやりたいことも山程あった。疲れていないとは言わないが、責任ある立場にいる以上苦労するのは当然のことだ。

 ……とはいっても、アリシアの苦労の原因は執務以外のことが大部分を占めているのだが。悩みの種であるあの面々のことを考えるのは精神衛生上よろしくないので頭の隅に追いやっておく。永遠に思い出さないようにしてしまいたいが、現状ではそうもいかないのが悲しい。


 今、アリシアは新しい政策の草案を練っている。草案を練るなんて初めてのことだし、上手くいくかなんてわからない。所詮は女だと重臣たちには一笑に付されるかもしれない。それでも、アリシアはこの政策が通れば今以上にカルディアという国が良くなると信じている。そう思えば、ペンを持つ手に力も入った。

 真剣な顔で書類に向かうアリシアに、傍に控える侍女たちの眼差しは優しい。なくなったら気づかないうちに淹れられている紅茶に、暗くなってきたからと足された明かりに、励まされているのを感じる。


「姫様ー、これで全部ですけど……どこに置きますかあ?」


 書類作りに没頭していると、横から間延びした声が掛かった。

 侍女のフィルだ。頼んでいた本を書庫から取ってきてくれたらしい。


「持ってきてくれてありがとう、フィル」


 書類から顔を上げて礼を……言いながら驚いた。本の山が、動いている。

 分厚い本ばかりそれなりの冊数を頼んだのだが、すべて一度で運んで来たようだ。小さい身体が積み上がった本で隠れてしまっていた。これでは前が見えないだろう。とくに長身というわけでもないアリシアより頭一つ分は小さいのに、まったく無茶なことをする。


「でも、危ないから一度で運ぶのはやめなさい。みんな、手伝ってあげて」

「はーい」

「かしこまりました」


 本棚を示すと、フィルの先輩にあたる侍女たちが空いた棚に手際良く本を並べていく。


「ありがとう、助かったわ。……もう遅いし、あなたたちは下がって良いわよ」

「えっ、でも姫様は……」

「私はまだやることがあるもの。あなたたちをそれに付き合わせるわけにはいかないわ。私のことは気にしないで」


 笑顔で首を振るが、侍女たちは皆一様に難しい顔だ。

 最近、睡眠時間を削って勉強や執務に没頭しているから心配してくれているのかもしれない。気遣わしげな周りの視線に、好きでやっていることなのだけれどと苦笑してしまう。アリシアの侍女たちは少々過保護だ。


「まだ寝ないんですかあ? 夜更かしは美容の大敵ですよー」


 心配そうにアリシアを見つめてくるフィルにアリシアは胸が温かくなった。本当に、うちの侍女は良い子ばかりだ。

 しかし、その後に続いた台詞はいただけない。


「明日も婚約者候補の方たちとのお茶会がありますし……」


 手元にあった書類がくしゃっと音を立てる。慌てて視線を落とすと、手に力が入ったのか書類はしわだらけだった。ぐしゃぐしゃになった書類に小さく溜め息を漏らす……これでは書き直しだ。

 一番近くにいた侍女が笑いながら、ついさっきアリシアがダメにしてしまった書類を片付ける。心得た侍女は新しい書類の用意までしてくれていた。それが侍女の仕事だと言っても、彼女たちには頭が上がりそうにない。


「こーら、フィル」

「ダメよ、姫様は現実逃避なさっているんだから」


 主人に対してなんという言い様か。

 だが、アレについて考えたくないから仕事に逃げることを現実逃避というなら、実際そうだろう。


「ぴゃ!? ……ご、ごめんなさいぃぃ」


 先輩侍女に指で額を弾かれ、フィルは涙目だ。その小動物的な可愛さに心が癒される。“フィルをいじめるんじゃないの”と窘めつつ、からかいたくなる気持ちもわかるなと心の中で思った。……アリシアは疲れが溜まっているようだ。


「でも、姫様。お忙しいのも、焦るお気持ちもわかりますけど……ちゃんと休んでくださいね。頼りにはならないかもしれませんが、私たちは姫様の味方ですから。いつでもあなたのお力になります」


 楽しそうに話すフィルたちを眺めていると、アリシアの乳母で母のようにも思っている侍女から耳打ちされた。

 思わず顔がほころぶ。


「ありがとう」


 王太子としての執務に女王教育。

 アリシアの忙しさはそれだけが理由ではない。アリシアの頭を悩ませ、心理的負担となっているのは父王と城の重臣たちにより決められた彼女の婚約者候補の存在である。

 そう、アリシアの悩みの種にして頭痛の原因であるあの連中。


 一人目はアリシアの幼馴染みの一人・マイス。

 宰相の父親を持ち、まだ年若くも国の政治に精通している。博学で、その知識量は学者を超えるとも言われ、自分よりはるかに年上の老獪な政治家とも渡り合えるほど弁が立つ。


 二人目は将軍の息子・ラグナ。

 彼もマイスと同じくアリシアの幼馴染みで、現在は騎士として国に仕えている。カルディア王国でも指折りの剣の腕を持ち、父親のことは関係なく上司からの信頼も厚い。度量が大きく、面倒見も良いため同僚や部下から慕われていた。


 三人目はアリシアの親友であるラムリアの兄・レスト。

 公爵家の次男で、突出した才能こそないものの文武に優れ、あらゆる芸術に造詣が深い。交遊関係が広く、やわらかな物腰と人好きのする笑顔で最後には自分の意見を通しているようなところがある。


 父王がアリシアの婿を国王とすると触れを出したのももう一か月以上も前のこと。

 呪いが解ける前までは結婚相手が見つからず、ほとほと困り果てていたものだが……変われば変わるものである。とはいっても、一番変わったのはアリシアの容姿に他ならないが。

 呪いが解けた今は山のような求婚者に頭を悩ませ、王太子としての責務を果たせ――早く婚約しろとせっつかれる日々だ。


 そして、誰の求婚も受け入れず、婚約者候補の誰かを選ぶわけでもなく……四人目の婚約者候補が現れたと思ったら、とうとう城の重臣たちに切られた期限が近づいてきた。


 四人目の婚約者候補は隣国であるノーラッド王国の第二王子・ディラス。

 剣術も体術も一流で知性が高く頭も切れる、文武両道を地で行く男だ。おまけに眉目秀麗とは、神様は不公平だと不満を漏らす他ない。巷では“完璧な王子”などと呼ばれているらしい。

 そんな彼もアリシアにとってはただの幼馴染み兼喧嘩友達に過ぎない。王族同士だが、アリシアが美形嫌いなだけに彼と婚約なんて考えたこともなかった。……けれど、考えなくてはならない状況に今、ある。



 ――――期限までもう半月もない。



   ◇◇◇



 今日でディラスの滞在も十日目だ。

 ディラスが来る前から騒がしかったアリシアの身辺は、彼が来てからというもの、さらに輪をかけて騒がしくなっていた。


「お前、次の舞踏会はどうする気だ?」


 婚約者候補たちに付き合って仕方なく庭園に出ていると、誰がアリシアに薔薇を渡すかで揉めている三人を尻目にディラスがそう尋ねてきた。

 お気に入りの薔薇園で騒がれてアリシアが機嫌の悪いことを知っていてさらに気分を害するようなことを問うのだから、彼の根性は捻じ曲がっているに違いない。アリシアとてお世辞にも性格が良いとは言えないが、悠々と隣を歩くこの似非完璧王子ほどではないだろう。これと同じくらい性格が悪いと周囲に思われているなら自分の態度を今一度考えなおさねばなるまい。


「……まだ、決めてないわ」


 嘘を吐いても仕様がないと、渋々ながら正直に答えるとやれやれとでも言うようにディラスが溜め息を吐いた。なぜだろう、この嫌味なほどに整った顔を無性に殴り飛ばしたい衝動に駆られる。


「二日後だぞ。こいつらを見て、悠長にしてられるなんてある意味すごいな」


 誰が選んだ薔薇が最も美しいか――アリシアに相応しいかで言い争っているマイスたちを見ての発言だ。言外に込められた意味なんて考えるまでもない。


 舞踏会は二日後。

 期限ギリギリに催されるその意味を、当事者であるアリシアが知らないわけがない。エスコート役に誰を選ぶか、目の届かないところで婚約者候補の男性陣が揉めているのも、城中で噂されているのも承知している。


「私は誰も選びたくないくらいよ。これ(・・)を見て結婚したいと思う女がいる?」


 騒音のもとに視線をやった。


「アリシアには私が選んだこの薔薇が似合います」

「いーや、俺が選んだやつの方が良いって! 色もいいし、艶もある」

「お二人とも、そんな取るに足らないことで争わないでください。姫は僕の薔薇を受け取りたいとお思いのはずですから」


 上から順にマイス、ラグナ、レストの発言である。

 “私のために争わないで”なんてアリシアは思わない。争うなら勝手にしろと言いたいくらいだ。見目の良い男性に取り合われて嬉しいという気持ちも湧かない。顔しか見ていない男なんてご免である。……そんな男しか婚約者候補にいない? ……なんてことだ。


「このうちの誰かと婚約しなきゃいけないと思うと頭痛がするわ」


 どうでもいいが、彼らはこの薔薇園の主が誰か知っているのだろうか。彼らがそれぞれ手折った薔薇はすべてアリシアのものだ。もちろん、そんなケチ臭いことは口には出さないが。心の中で“お前らの手垢がついた薔薇なんぞいるか!”と思うに留めるアリシアは、きっと心優しく寛大な王女に違いない。


「まさかそれには俺も含まれてるんじゃないだろうな?」

「まさか、まさか――そうに決まってるじゃない」


 ひとつ微笑みかけてやると、ディラスは顔を顰めた。今のアリシアの顔にまだ慣れないらしい。付き合いの長い幼馴染みの容姿が変貌したのだと思えばそれも仕方のないことだろう。

 しかし、同じ幼馴染みでもマイスとラグナは顔を赤くして惚けるばかりなので、ディラスの反応は新鮮で少し面白い。彼の美的感覚が狂っているとは聞かないので、醜女(ガマガエル)と呼ばれていた頃のアリシアの顔が好きだったなんてことはないだろうが、母親譲りのこの美貌がお気に召さない様子なのは確かだ。


「こいつらと一緒にするな。俺はお前を……求婚を断ったくせに手のひらを返すような、恥知らずな真似はしていない。これからする予定もない」

「そんなの私があんたに求婚してなかったからでしょ。してたらどうだったかわからないじゃない。だいたい、あんただって昔は“ガマガエル”だの“醜女”だの“埃をかぶったような髪”だの好き放題言ってたの、覚えてるんですからね」


 フンと鼻を鳴らすと、反論のしようもないのかディラスは苦々しい顔で唸った。

 ちなみに、“埃をかぶったような髪”とからかわれたのが一番腹立たしかったというのはアリシアだけが知っている事実である。これでも手入れはしているのだと、諦めていた容姿のことはともかく髪について揶揄されて泣きたくなったことは今も覚えている。いじめっ子(ディラス)の前で泣くなんて可愛げのあることはしてやらなかったが。


「今は……」

「今は思ってない、とでも言うつもり?」


 それこそ、マイスたちと同じ穴の貉だ。

 いや、この国の男性ほぼすべてが同じような態度なので、彼らだけを責めるのも酷なのだが。それでも、幼馴染みや親友の兄に対する目が厳しくなるのは仕方がない。市井の者になんと言われようと苦笑で済ませられるが、彼らの場合は自分に近しい分だけ腹立たしいものだ。……求婚を断りやがった恨みがないとは言わない。


「馬鹿か」


 今度はディラスがアリシアの言葉を鼻で笑う番だった。


「多少顔が変わったくらいで何を自惚れてるんだ。今だって俺はお前のことを、口が悪くて可愛げのないガマガエル並みの醜女だと思ってる」

「…………あら、そう」


 よし、その喧嘩買った。


 アリシアは優しげな微笑を浮かべながら口を開く。目の前の男をやり込めるために。魂を抜かれそうな美しい笑みだが、彼女の目は笑っていない。

 それに対するディラスも口角を上げ、不遜な笑みで応えた。迎え撃とうという気らしい。


 アリシアとディラス、二人の間で戦いの火蓋が切られた瞬間だった。



   ◇◇◇



 そんなこんなで迎えた舞踏会当日。


 舞踏会は夕暮れからなのでまだ余裕がある。

 誰にもエスコートを頼んでいないせいで“ぜひ自分に”とうるさい婚約者候補たちに捕まらないように注意しながら、アリシアは塔の階段を上っていた。今頃、男どもは侍女の言うことを間に受けて庭園にでも出ているはずだ。塔は庭園とは真反対に位置するのではち合わせしてしまう心配はほぼない。


 ここは魔法使いの塔。

 カルディア王家に代々使える魔法使いであり、アリシアにとっては友人でもある魔女が暮らす高い高い塔だ。塔の天辺に住む魔女・セシリアは父王(おやバカ)に言われてアリシアに呪いをかけた、ある意味この騒動の原因とも言える存在だが、呪いをかけられた本人はあまり気にせず友人としての付き合いを続けている。

 その理由としては、この件について悪いのは間違いなく父親だと思っているというのが大きいだろう。

 そんな国王は、最近娘に冷たくされて肩を落としている様子がよく見られるらしいが、アリシアには自業自得としか思えない。……せめてあの婚約者候補たちをどうにかしてくれたら、少しは優しくしてやっても良かったのだが。


「セシリー、ちょっと頼みがあるんだけど」


 塔の主に声をかける。

 なんだかんだでアリシアに対して罪悪感があるセシリアは自分の頼み事を断らないと知っていた。それに、彼女は悪戯好きだ――アリシアと同じで。




 アリシアは婚約者をまだ選んでいない。

 今日の舞踏会のエスコート役も選んでいない。婚約者候補の中からエスコート役を選ぶようにと言われているにも関わらず。

 選べなかったのではない、選ばなかったのだと知っている人間はアリシアの他にはごくわずか。


 マイスもラグナもレストも……ディラスも、どいつもこいつも!


 条件に大きな差はなく、一人を選ばなければならない理由も、一人を選んではいけない理由もない。

 悩みに悩んだって決まらないのなら、ボールでも投げて当たった相手に決めようかと思ったくらいだ。常識人のダグラスの目が怖かったので止めたが。

 親友(ラムリア)の意見も聞いたが、レストだけはないという話で終わった。アリシアにとってはマイスたちとレストに大差はないが、ラムリアにしてみれば自分の兄だけに腹に据えかねるらしい。“お兄様の求婚なんてそこらの犬に食わせてしまえばいいのよ”とにっこり笑っていた親友が少し怖かったのはアリシアだけの秘密だ。


 せめて、ガマガエルに愛を囁くくらいしてもらわないと割に合わない。


 それが、アリシアが城中の女性たちを集めて会議した結果だった。

 そのとんでもない企みを実行してしまう魔女が王女の味方であったことが、きっと婚約者候補たちの最大の不幸だろう。

 だが――ただ一人、それを不幸とも思わぬ者がいることにアリシアだけが気づいていなかった。



   ◇◇◇



 付き添いなしで会場に入ったアリシアに注目が集まる。好奇の視線に負けず、顔を上げて悠然と場の中央へと歩いて行く彼女はまさに女王然としていた。絵にも描けぬほど美しく、王としての威厳を備えた王太子に周りからほうっと感嘆の息が漏れる。


「さて、愛しいアリシアよ。付き添いがおらぬようじゃが、どういうことかこの父に話してくれるか?」


 予想外のことをしでかした娘に、国王・ヴォルカノンは優しく問いかけた。

 妻を早くに亡くしたせいか、彼は本当にアリシアに甘い。その方向性が間違っていることだけが残念だ。


 面白そうな顔でアリシアを見つめるヴォルカノンの様子からするに、彼女が何か企んでいることには気づいているらしい。彼には事前に言っておいても良かったのだが、巻き込むと調子に乗りそうなので止めておいた。それでいて、渋い顔で警護に回っている忠実な護衛騎士には話しているのだから、父親への信頼も知れようというものだ。

 ダグラスに話を通しているのは場が混乱することを考えてというのもあるが、悩みの種を生み出してくれた父王(おやバカ)への意趣返しというのが大きい。


「私は待っているだけよ、お父様」

「待つ? ……何を?」


 アリシアが澄まして答えると、ヴォルカノンは怪訝そうに首を傾げた。周りの貴族たちも似たような反応だ。

 周囲の反応に、アリシアはにっこりと微笑む。


「――魔女の訪れを」


 決して大きくはない声が、この場の時を止めるように響いた。

 その一言とともに場内の灯りが消え、辺りが暗闇に包まれる。気の弱い誰かが悲鳴を上げる前に、アリシアの眼前に光の玉が現れ、ひとの形をとった。


 塔の魔法使い・セシリア。


 この場にいる全員がそれを認識した頃、会場の灯りが元に戻った。視界の端では、慌てる騎士たちに事情を知っているダグラスが指示を飛ばしている。


「いらっしゃい、セシリー。私、あなたに招待状を送ったかしら?」


 女優でも何でもない王女の台詞は少し空々しく聞こえた。


「いいや、王女殿下。この私を招かないなんてずいぶんだね?」


 セシリアの見た目はアリシアやラムリアと同じくらいだ。しかし、彼女が魔法で年齢を変えられるということはこの国の者なら誰でも知っている。年齢不詳の魔女が国王より年上であることも含めて。


「お前に呪いをかけてやろう――再び、醜い姿となるように」


 ここは舞台だ。

 アリシアとセシリアはある目的のために役を演じている。

 これは最高に滑稽な喜劇。吟遊詩人ですら謳わないくだらなさで、当事者ならば笑えもしない。アリシアがそんな意味のない戯れに興じている理由は、たった一つ。


 醜いと評されるのには慣れている。それが呪いのせいだったとしても、自分でもどうかと思う容姿だったのだ。他人から見ればなおさらだろう。

 求婚を断られるのだって、困りはしたし多少は苛立ったが本当に怒っていたわけではない。王座なんて大層なおまけが付いていてもガマガエルを娶るのはご免だと思うひとがいても仕方のない話だ。ただ、そう考えるひとがアリシアの予想より多かっただけのこと。

 何より腹が立つのは……何より許せないのは、呪いが解けたときに求婚者が殺到したことだ。あまりに鮮やかな手のひら返しには拍手を送りたいくらいだったが、同時に無性に虚しくなった。まるで、己の価値が容姿にしかないと言われているようで。


 容姿以外に価値を見い出せるなら――月の女神ではなくガマガエルのアリシアでも良いと言うなら、たとえどんな相手でも婚約者に選んでやろうじゃないか。


「本当にいいのかい?」


 セシリアの声が間近で聞こえた。何かの魔法だろう。周りには聞こえないようにという配慮だ。

 気遣いに感謝しながらもそれを表には出さないままアリシアが頷くと、セシリアは心得たように杖を振るった。


「な……っ」

「うわっ、なんでまたあの姿に……」

「ひ、姫はいったい何を考えて……」


 マイスたちの反応に内心苦笑する。彼らはあまりにもわかりやすい。わかりやす過ぎるくらいだ。マイスは三歩くらい下がったうえに顔を蒼褪めさせているし、ラグナも顔が引き攣っている。レストは冷静に振る舞おうとしつつも腰が引けていた。


「失礼なやつらね」


 鏡を見なくてもわかる。

 今のアリシアの姿は母親に生き写しのあの姿ではなく、誰からも求婚を嫌がられる醜女の姿だ。呪いが解けてからまだふた月も経っていないのに、どこか懐かしく感じる。目の前に鏡があったら、ラムリアたちと“ああ、懐かしい”と言って笑うのに。


「さて、私の婚約者候補さんたち? この手を取ってエスコートしてくださるのはどなたかしら?」


 アリシアの言葉に返ってくるのは沈黙。

 この程度の男たちだと、そう言い捨てて身を翻そうとしたところで――手を取られた。思わず振り向いたアリシアの視線には、完璧なんてあだ名のついた嫌味な王子。


「お前の見た目が女神だろうがガマガエルだろうが、もっと醜い化け物じみた容姿だろうが気にしない。そう言ったら、お前は俺を選ぶのか?」


 ディラスの蒼い瞳がアリシアを射抜く。それは冗談とも思えぬ真剣さで、意識していなかった相手を意識するには十分なほどの熱を持っていた。


「……っ」


 手首を掴む力の強さに、自分を見つめる視線の強さに、思わずたじろぐ。


 まるで、アリシア自身を求めているとでも言うような眼。

 初めて、ディラスがアリシアの婚約者候補に名乗りを挙げた理由について考えた。いや、初めてというのは嘘かもしれない。ただ、そんなことがあるわけないと否定していただけで。


「……っ、ダンスの誘い方も知らないの?」


 唇から漏れたのはみっともなく震えた虚勢の言葉。

 動揺が透けて見えるような気がして、自分のことながら恥ずかしく思った。


「失礼」


 嫌味の一つでも言ってくるだろうというアリシアの予想に反して、ディラスはあっさりと彼女の手首を解放する。

 離れていった手に、わけもなくほっとした。少しだけ早まった心臓の音が、ディラスにしてやられたようで悔しい。

 そんなアリシアの心中を知ってか知らずか、ディラスは追い打ちをかけるように手を差し伸べてくる。


「どうか私と踊ってくださいませんか、姫君」


 きっとこれはお芝居の続きだ。

 そんなことを思ってしまうくらいに、完璧な仕草だった。傍から見ていたなら、王子様の相手がガマガエルだなんてもったいないと思ってしまうくらい。

 アリシアはいつでも強く在りたいのに、あまりにも出来すぎた王子は完璧には程遠い王女の心を弱くする。……劣等感を、植え付けてくる。


「アリシア?」

「………………」

「お前、ひとには言っておいて……誘いの受け方も知らないのか?」


 答えないアリシアをどう思ったのか、ディラスはふいに顔を近づけてきて耳元で囁いた。

 その言い方にカチンとくる。胸の高鳴りも、この場から逃げ出したくなるような気恥ずかしさも、もうアリシアの中にはなかった。あるのは見返してやろうという負けん気だけだ。


「私と踊ってくださいませんか?」

「――喜んで」


 そう言わされたのが腹立たしくて、踊っているときに足を踏んでやろうと思った。



   ◇◇◇



 三曲続けて踊るうちに、その倍は足を踏んでやった。

 痛みに顔を顰めながら“ダンスも碌に踊れないのか”と毒吐くディラスを鼻で笑って、アリシアはもう一度彼の足を踏んだ。しかも、(ヒール)で。


「っ、~~~っっっ!!!」

「ごめんあそばせ。いつもはこんなことないんだけど……パートナーのリードが下手なのかもしれないわ」

「お前……っ」


 よほど痛かったのだろう。少し目が潤んでいる気がする。

 それを指摘すると、ディラスはまたぎゃあぎゃあと喚いた。ちょっと前に彼が格好良く見えたのはきっと目の錯覚だったに違いない。それか、雰囲気に飲まれただけだ。


 いつものように言い合いを続けていると、曲が終わる寸前でアリシアの身体が光で包まれた。


「あ……」


 音楽が途切れる。

 光が収まると、周囲からの視線を感じた。おそらく、セシリアが魔法(のろい)を解いたのだろう。いつ解けるかは打ち合わせていなかったが、あの魔女のことだ。何か条件を付けていたのかもしれない。舞踏会の途中に解けるようにしていたのは、アリシアが元の姿で楽しめるようにという心遣いか。


「戻った?」


 とりあえず、ちょうど目の前にあった(ディラス)に確認する。


「……戻ってる。あんな大層なことしといてすぐに戻るなんて興ざめだな」

「ディラス……もしかして、あっちの方が良かったの? まさか、そういう趣味……?」


 ブス専というやつだろうか。

 子どもの頃からの付き合いだが知らなかった。


「そんなわけあるか!」

「ふーん」


 興味なさ気に返事をすると、ディラスは苛立ったように髪を掻き上げる。そんな仕草も様になる男だ。彼の眩いばかりの金髪を引っこ抜いてやりたいと思ったことが何度もある。それは自分の髪があまり綺麗じゃないからだと思っていたが、そうでもないようだと最近知った。


「アリシア」

「何よ?」

「お前……俺を選ぶんだろうな?」


 選ぶ、とは婚約についてだろう。

 ここまでくるとディラスがなぜアリシアと婚約したがっているのかわかってしまう。


 ディラスはアリシアが好きなのだろう。恋だとか愛だとか、そういう意味で。


 こう言うとひどい自惚れ屋のようだが、アリシアの見当違いではないはずだ。その証拠に、ディラスの顔はやや赤い。

 そういえば、以前から顔を赤くしていることがあった気がする。てっきり怒っているからだと思っていたが、違ったのかもしれない。こういうときに目を合わせようとしないのはいつものことだが、気恥ずかしいからだろうか。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。


「そんなに私と結婚したいの?」


 思わず、怪訝な目を向ける。

 容姿はともかく、こんな“口が悪くて可愛げがない”女に惚れるなんて物好き極まりない。


「なっ、誰がお前なんかと!! 寝言は寝て言え!」

「……じゃあ、何で婚約者候補になったのよ」

「べ、別に……いくらお前でも、あんな男どもが婚約者候補だなんて哀れだからな、俺なら……」

「………………」

「俺なら……お前を…………」

「私を、何?」

「……何でもない! お前みたいな女と婚約なんて相手の男が可哀想だと思っただけだ」

「さっきと言ってること違うけど」

「うるさい! 細かい女だな!」


 うるさいのはお前だ。

 そう思ったが、それを口に出すとさらに騒がしくなることは目に見えていたので出そうになる言葉をぐっと飲み込んだ。


 わかりにくいようで、わかりやすい男だ。

 ディラスがアリシアを好きだというのは勘違いではない、と思う。恋だとか愛だとかとは無縁の生活をしていたせいでいまいち判断がつかないが、ディラスは正直になれないタイプなのだろう。そういえば、昔から素直とは言いがたい性格をしていた。


 ――好きだっていうなら、言いなさいよ。


 決定的なその一言を素直に口に出したなら、アリシアはディラスを選ぶのに。

 彼だけを選ぶのに。


「ねえ、ディラス」


 甘えるような声というものを心がけながら、ディラスの腕にそっと触れる。さっきまで身体を密着させて踊っていたというのに、これだけで動揺を露わにするディラスが面白い。もっと早くに知っていたら、と思わずにはいられない。いつからアリシアを想っていたのか知らないが、もし知っていたら散々にからかってやったのに。


「私のこと、どう思ってるの?」


 言う気がないなら言わせてやる。アリシアはそういうタイプだった。


「………………」


 意外なことに、ディラスは無反応だ。いや、むしろ苦虫を噛み潰したような顔でアリシアを見下ろしている。

 マイスやラグナやレスト――顔しか見ない男たちならば速攻で落ちるだろうに。ディラスはこの顔が好きというわけではないようだが、同一人物なら美人に越したことはないだろう。迫られてなぜ渋面に、と不思議に思う。


「俺が魔法を使えないことに感謝しろ」


 いきなり、思ってもみない台詞を投げ掛けられた。


「はあ? ……何で私があんたに感謝しなきゃいけないのよ」


 この大陸に魔法使いなんて数えるほどしかいない。

 ディラスが魔法を使えたなら、すごいと思わないでもないが、使えないことに感謝する意味がわからない。とうとう頭がおかしくなったかと、胡乱げな目で見てしまう。


「もし魔法が使えたら、俺はお前に呪いをかけている。昔みたいな顔になるように……いや、もっと醜悪で、誰も好きになんてならないような見た目にしてるだろう」

「……何よ、あんた、そんなに私のこと嫌いなの? 幼馴染み甲斐のないやつね」


 やはり、アリシアの勘違いだったのだろうか。

 実は嫌がらせしたいくらいにアリシアのことが嫌いだった?


「そんなわけないだろ、むしろ逆だ」

「は? 何が?」


 嫌いの逆なら、単純に考えたら好きだと言っているようなものだ。だが、好きだと言うなら“もっと醜悪な見た目になるような呪いをかける”という言葉はおかしい。


「ほんと、鈍い女」


 いくら頭を捻ってみても、アリシアにディラスの言いたいことはわからなかった。理解できない、というのが正しい。


「フン、別にわからなくていい。お前にわかると思ってないしな」

「何よ、馬鹿にしてるの? 喧嘩を売ってるなら買うわよ」

「……どれだけ見た目が変わっても、お前自身は何一つ変わらないんだろうな」

「呪いは容姿だけだもの、性格は変わらないわ。それに、私は私よ」

「お前のそういうところが、俺は――」


 ディラスの言葉は歓声に掻き消された。遠く、輪の中心にヴォルカノンが見える。彼が何か言ったのだろう。


「え?」

「何でもない」


 聞き返すが、ディラスはそう答えるだけで、同じ言葉を口にしなかった。ムッとした顔からは機嫌の悪さが窺い知れる。

 アリシアがしつこく尋ねると、嫌気が差したのか“ちょっと風に当たってくる”と言い置いてバルコニーの方へと歩いて行った。


「何なのよ、もう」


 そう呟いて、どこか憮然とした様子のディラスを見送る。

 その苛立ちは彼の背を追いかけることができない自分に向いていた。


「怖い……のかしら」


 ディラスの想いを知ることが。

 彼との関係が変わることが

 そして何より――恋なんて不確かなもので繋がることが、怖いのか。


「アリシア」


 投げ掛けられた声に応えて振り向くと、ラムリアが立っていた。

 ディラスとのやり取りを見ていたのだろうか。彼女は気遣わしげな表情でこちらを窺っている。


「大丈夫よ」


 何が、とも言わずそんな言葉で誤魔化した。

 ラムリアに心配そうな眼で見られると、いつもみたいに抱きついて愚痴を言って慰めてもらいたくなるから困る。この場でそんな振る舞いはできない。それに、親友とはいえそこまで甘えるわけにもいかない。


「追いかけなくて良かったの?」


 ラムリアはディラスが去った方向に目を向けた。


「……ラムリアは、追いかけた方が良いと思う?」

「それはアリシアが決めることだから、私には何にも言えないわ。でも、もしディラス殿下との関係を変えたいなら――殿下を選ぶなら、お互いにもう少し話し合った方が良いとは思うけどね」


 ぐうの音もでないほどの正論だ。

 だから、だろうか。すんなりと思っていたことが口をついて出た。自分でも自覚していなかった本音がするりとこぼれ落ちる。


「怖いのよ」

「………………」

「あんなに想ってくれてたって知ってしまって……きっと私はその想いを返せないから、それが怖いの」


 アリシアは国と愛なら国を取る。そういう性格をしている。

 でもきっと、ディラスはそうじゃない。彼はアリシアとは違って、二つを天秤に掛けたとき国じゃない方を取るだろう。


「別に想いを返す必要はないと思うよ? いつか、アリシアがディラス殿下に同じだけの想いを返せるようになったら素敵だなとは思うけど……今、必要なのは想いを受け取る覚悟じゃないかな。少なくとも私はそう思う」


 “アリシアが望むなら私が背中を押してあげる”とそう言って冗談混じりにその場で背を押す真似をするラムリアに、アリシアはいつも助けられている。

 ラムリアが無二の親友であるように、アリシアにとってディラスは気兼ねなく何でも言い合える大切な幼馴染みなのだ。二人の間に恋や愛なんてなかった。そのままだったら、婚約したって結婚したって、二人の関係が本当の意味で変わることはなかっただろう。

 でも、気づいてしまったから。向けられる恋心を知ってしまったから、もう元には戻れない。


 アリシアはディラスに対して恋愛感情を抱いていない。けれど、それは今の話でこれから先のことは誰にもわからないから。


「ありがとう、ラムリア。私、ちょっと行ってくるわ」


 だからアリシアは、関係が変わることに脅えつつも一歩を踏み出した。素直じゃない王子様と新しい絆を築くために。



   ◇◇◇



 外はもう真っ暗で、空には星が瞬いている。バルコニーに出ているのは二人だけで、舞踏会の喧騒も今は遠い。

 二つの影が近づく。アリシアの訪れをわかっていて振り返らない男の背に声をかけた。


「ディラス」

「アリシア……来ると思わなかった」


 やっとこちらを向いたディラスの顔はなぜか苦しそうだった。


「あんたとはよく口喧嘩したりしてるけど……なんだかんだで、大切な幼馴染みだと思ってるわ」


 真っ先に口をついて出た言葉はアリシアの本心だった。

 言ったことはなかったし、わざわざ言う必要もないと思っていた。ディラスも同じだと思っていたから。それが単なる思い込みだと気づいたのはついさっきのことだ。


「知ってる」


 ディラスは言葉少なにそう返す。

 そんな、やや素っ気ないとも言える返答にもアリシアは怯まず、再び口を開いた。


「婚約者候補の中なら、あんたが一番マシだとも思ってる」

「だろうな」

「ディラスのことは、好きよ。幼馴染みとか友達の一人として」

「………………」

「でも、恋はしてない」


 ここで、“実は私も好きだった”と“ディラスに恋をしていた”と言えたなら、どれだけ良かっただろう。でも、ディラス相手に嘘や誤魔化しなんて意味がなくて。何より本気でアリシアを想ってくれているらしい彼の前で、偽りの愛を告げることなんてできるはずがなかった。


 ディラスはアリシアの言葉に驚くこともなく、一瞬だけ目を閉じる。そして、ややあって俯きかけていた顔を上げた。


「――知ってる。知ってるよ、そんなこと。今さら言われるまでもない。どんだけ昔から俺がお前のこと好きだったと思ってるんだ」


 そのとき初めて、ディラスの口から好きだという言葉が聞けた。

 言わせようという気はすっかり萎んでいて、残ったのは苦い気持ち。苦しそうに心情を吐露するディラスを見るのが苦しい。


「いつから?」


 ディラスは、いつからアリシアのことを好きだったのだろうか。


「知らん」

「何それ。自分のことでしょ」

「そんなもんだろ」


 そんなものだと言われても、恋愛経験なぞないアリシアにはわからない。誰もが醜女だと太鼓判を押す容姿は長いことアリシアをそういったものから遠ざけてきた。

 王族に生まれたのだ、結婚は政略の一つで相手は父が選ぶのだろう。父と母の結婚は大恋愛の末のものだったらしいが、醜いアリシアにはそれは当てはまらない。ずっと、そんなふうに思ってきた――恋なんて縁遠いものだった。


「………………」

「………………」


 会話が途切れる。痛いほどの沈黙が辺りを包んだ。

 何か言わなくては。焦るほどに思考は空回りして、言うべき言葉が出てこない。


「……カルディアの王位が欲しいんじゃないの?」


 最低なことを言っている。その自覚はあった。

 ディラスの気持ちを疑うような言葉だ。彼が性質の悪い嘘を吐くような男じゃないと知っているのに、どうしてか口からこぼれ落ちてしまった。

 言ってしまった言葉は取り消せない。後から悔やんでももう遅い。


「馬鹿か」


 しかし、予想に反してディラスはアリシアを馬鹿にするように鼻で笑っただけだった。


「王位が欲しいなら自国(ノーラッド)の王位を狙うさ。幸い、俺は第二王子だ。押し退けるのは兄上一人でいい」


 いつものように不遜に笑って、物騒なことを口にする。他人に聞かれたら困るようなことだ。


「俺がお前を好きだという理由は、王位でも……ましてや容姿なんかでもない」


 じゃあ、なぜ。

 その疑問は声にならなかった。声なき問いに、ディラスが答える。


「口が悪くて可愛げがないお前だから、容姿が変わろうと周りが変わろうと“自分は自分だ”と言えるお前だから――アリシアだから、惚れたんだ」


 ディラスの言葉は真っ直ぐに心に響いた。

 容姿で蔑まれて、容姿で持ち上げられて……そんなアリシアに、容姿なんて関係ないと彼は言う。それがどんなに嬉しいことか、きっとアリシアにしかわからない。容姿や身分以外に価値を認めてくれるひとがいた――それもアリシアをよく知っている相手だ――ことが、ただただ嬉しい。


「普通は可愛い子に惚れるものなんじゃない?」


 照れ隠しに憎まれ口を叩いてしまった。素直じゃないのはディラスだけではないらしい。


「俺は悪趣味なんだよ。子どもの頃からガマガエルしか目に入らないくらいには」


 それは確かに悪趣味だ。

 アリシアがそう返す前に、ディラスがそれを遮った。彼との距離が一歩近づいて、わけもなく焦る。


「なあ、アリシア。誰と婚約するか、まだ迷ってるんだろう?」


 心を見透かされたような気がした。

 アリシア自身はディラスを選びたいと思っている。ただ、その気持ちの中に迷いがないとは言えない。


「俺を選べよ」


 腕を引かれて、気がついたらディラスの腕の中にいた。数瞬遅れて抱き締められていることに気づくなんて間抜けな話だ。

 突然のことに動揺するアリシアを宥めるように頭を撫でられた。


 ああ、髪が乱れるから止めてほしい。


 アリシアがそう訴える前に腕の力が強まる。強く、強く抱き込まれて咄嗟に言葉を失った。


「生涯、お前を愛し抜くと誓う。この世界の誰よりも幸せにしてみせる」


 どんな顔でこんな台詞を吐いているのかと思うが、抱き込まれているせいでディラスの表情はわからない。


「だから、アリシア。お前の一生を俺にくれ――俺を、選べ」


 愛の告白。そう言って差し支えないものだった。

 離すまいと強く抱き締める腕に、ちらりと見えた赤い耳に、ディラスの必死さが窺えて何だか笑ってしまいそうになる。いつもは素直じゃないくせに。これを言うのにどれだけ勇気が必要だったのだろう。


「いいわよ」


 迷いはなかった。

 目の前の胸板を軽く押すと、少しだけ身体が離れる。考える間もなく投げ掛けた返答に、ディラスの方が驚いた顔をしていた。間抜けな顔だと心の中でからかって、アリシアはニヤリと笑ってみせる。


「仕方ないから選んであげる」


 ディラスはしばらく固まっていたが、ようやくアリシアの言葉を飲み込んだのか不満そうに眉を顰めた。だが、口元が笑っている。嬉しさを隠せない様子だ。結構、可愛いところがあるじゃないかとひっそりと笑った。


「おい。そこは“喜んで”って言えよ」

「………………」


 いつもの調子を取り戻したディラスはあまり可愛くない。


「まあ、別にお前が俺を選ぶなら文句なんてないけどな」

「………………」


 いや、やっぱりそうでもないかもしれない。


「アリシア?」

「……もう一回言いなさいよ」

「え?」

「今度は、“喜んで”って言ってあげるから」


 だからもう一度、愛の言葉を聞かせてほしい。

 他の誰かに向けたものではない、アリシアだけに向けられた言葉を。


「愛してる。俺と結婚してくれるか?」


 ああ、もう。なんでこんなときばっかり。

 跪いて求婚(プロポーズ)なんて柄でもないくせに、意外に似合っていて悔しい。


「――喜んで」


 でもこの返事は言わされたのではなく自分の意思で言ったから、足を踏むのは勘弁してあげようと、そう思った。



   ◇◇◇



 こうして、カルディア王国王太子の婚約者騒動は幕を閉じた。

 未来の美貌の女王の婚約者に選ばれたのはノーラッド王国の第二王子。王太子の支持者や国民たちはその慶事を大いに祝福したが、選ばれなかった婚約者候補たちは不満げにしていたという。彼らの妨害にあったり喧嘩したり、婚約期間中も結婚後もアリシアとディラスの間には騒動が絶えなかった。


 これは、呪いが解けたお姫様が王子様と幸せになる物語。


 ――めでたし、めでたし。


 最後はそんな言葉で締めくくられる、ありきたりな話。






 お読みくださり、ありがとうございました。

 以下、おまけ。



《 影の立役者たち 》

 舞踏会の裏側です。時系列としてはバルコニーのシーン辺り。会話文のみ。


①マイスとラグナとセシリア

「この結界を解け、セシリア!!」

「セシリアはあんな男がアリシアの夫となってもいいと言うのですか!」

「まあ、アンタたちよりはねえ。ディラスは素直じゃないけど一途だし……顔しか見ない男よりはよっぽど良い男でしょ?」

「過去に何度、ディラスがアリシアを泣かしたと思ってんだ! そんなやつにアリシアをやれるわけねえだろ!!」

「さあ、覚えてないね。ほら、私ももう歳だからさ」

「セシリア!」

「しっかし、幼馴染みってのは嫌だねぇ、昔のことばっかり言ってくる。……自分たちがアリシアにしたことは棚上げかい?」

「あれは……っ」

「セシリアが呪いなんてかけるからややこしくなったんでしょう。陛下ともども反省してください」

「ハッ、面白いことをいうね、マイス。誰にものを言ってるんだい?」

「確かに私たちは一度、アリシアからの求婚を断っていますが、呪いさえなければ……」

「黙りな。美人だとわかった途端に手のひらを返して……そんな男に引っ掛からないよう、あの呪いをかけたんだよ。まさかアンタたち二人がそんな男だったとは思わなかったけどね。同じ幼馴染みだってのに、ディラスとは大違いだ」

「セシリア…………。……悪かったよ」

「謝る相手が違うんじゃないかい?」

「……アリシアに謝ってきます」

「そうか……じゃあ、そうしな。私なら許さないけど……あの子なら許すだろう」

「なら結界を解いてくれ」

「では結界を解いてください」

「今はダメだ。アンタたち、ディラスの邪魔をする気だろう」

「「…………チッ」」



②レストとラムリア

「っ、離してくれ、ラムリア。あの失礼な王子から姫をお助けせねば!」

「ふふっ、お兄様ったら。人の恋路を邪魔しては馬に蹴られますわよ」

「じゃあ、兄の恋路を邪魔しないでくれ」

「好きな方がいるとアリシアを振ったのはお兄様でしょう? そちらに行ってくださいな」

「ラムリア……君、実は怒っているだろう」

「あら兄様、心当たりがないとでも?」

「……うっ」



③国王とダグラス

「離すのじゃ、ダグラス!! わしのアリシアが、アリシアが……っ」

「落ち着いてください、陛下」

「これが落ち着いていられるかあぁぁ……っ!!!」

「姫とディラス殿下に聞こえます。お静かに」

「むぐっ、~~~~っ」

「そろそろ娘離れなさらないと姫に嫌われますよ」

「………………」

「陛下」

「…………わかっておる」



《 本当のおまけ 》

 結婚後の、いろいろ台無し会話文。アリシアとディラス。やっと想い人と結婚できたのに不憫な彼。


「もう、死んでもいい……っ」

「言い忘れてたけど、後継ぎ作る前に死んだら別の男探して再婚するから」

「……絶対死なない」




 最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!


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[一言] 物凄く面白かったです! 「誰か王様になりませんか?」を読んで即座に作者のページに飛んで他作品全部読もうと思った位に そしたら続編が2つもあったので、これまた即座に読みました 次は他の作品を順…
[良い点] おもしろかったです。 婚約者候補は勝ってですね、なんでそれをいわてるのに反省しないですか? よく、また邪魔や求婚できますよね? この人たちにがつんとしてほしいです。 主人公沢山悲しい思いし…
[良い点] ディラスとアリシアの関係というか雰囲気好きです。 収まるところに収まった感じがします。 [気になる点] カ○ル「出番は!?」 [一言] 名前にいちいち興奮してました笑 素敵なお話をありがと…
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