2.
目を開けると、兄貴が僕の手を掴みながら眠っていた。
「ん?兄貴?」
「悠くん!?ごめんな…」兄貴は僕の顔を見ながら泣いた。
「兄貴!?」何で泣いてるの?
「ごめん…具合悪そうだったのに1人で病室戻らせたりしてさ…辛かったよな」
僕は兄貴の涙が苦手だ。
こう思い始めたのはいつだっただろうか…
-***-
僕は小さい頃から体が弱かった。
そんな僕に両親、そしてお兄ちゃんは甘くて、いつでも優しかった。
体調を崩せば誰かが看病してくれたし、みんな心配してくれた。
僕が小1の時、我が家にとびきり可愛い天使が誕生した。
それが『叶音』僕らの妹だ。
叶音の面倒を見るために両親は忙しくなった。
そのせいで僕が体調を崩しても、叶音の二の次だった。
少し寂しくて辛かったけど、叶音は可愛いし僕も大好きだから、仕方ないと諦めた。
そんな時、僕は倒れた。
両親は叶音の1歳半検診に、お兄ちゃんは大学に行っていたときだった…
朝から具合の悪かった僕は、学校を休んで家で寝ていた。
両親もお兄ちゃんも心配しながら、家を出て行った。
昼、喉が渇いたから、台所に行き水を注いでいると、いきなり胸を締めつけられるような痛みが僕を襲って、僕はその場に崩れ落ちた。
痛みは収まるどころか強くなり、僕は意識を保つことが出来ずに暗闇に吸い込まれていった…
起きると見慣れない場所で、両親とお兄ちゃんが心配そうに僕を見つめていた。
検査の結果、僕は心臓に病気があることが分かった…
それから、僕は色々なことを制限されるようになった。
糖分、塩分。そして水分。運動もしては駄目って…
全て僕のためだっていうことは分かってるつもりだけど、やっぱり制限されるのはきつかった。
特に熱があるときは喉が渇くのに飲めなくて…
体調が良いときも、みんなの体育を見学しないといけないことも嫌だった。
それでも、僕は幸せだった。
優しい両親とお兄ちゃん、それに可愛い叶音に囲まれて…
そんな幸せの絶頂期、僕らはどん底に突き落とされた。
両親が事故で死んだのだ。
僕は何がおこったのか分からなかった。
ただ動かない両親にすがって泣くお兄ちゃんの隣で佇んでいるだけだった。
「お兄ちゃん…?何で泣いてるの?」
「悠くん…ごめん。今だけは泣かせて」お兄ちゃんは僕を抱きしめながら泣いた。
それから、僕らは別々に暮らすことになった。
可愛い叶音はお母さんの妹に、頭のいいお兄ちゃんはお父さんの兄に引き取られることになったから…
でも、体が弱くて心臓にも病気がある僕なんて誰も引き取ってくれず、僕は入院生活になった。
主治医の先生や看護師さんは僕を哀れみの目で見るし、僕は優しい両親が居なくなったことを分かり始めて、どんどん辛くなっていった。
そんな中、僕の支えはお兄ちゃんだった。
お兄ちゃんは毎日毎日病室に来てくれて、僕の話し相手になってくれた。
そして、
「お兄ちゃんが大学卒業したら一緒に暮らそう?叶ちゃんも一緒に暮らそう」そう言ってくれた。
お兄ちゃんは大学が忙しくなって、毎日は来れなくなった。
それから僕は、精神的な支柱を失ったことで、具合の良い日が少なくなった。
ベッドの上で戻すことなんてしょっちゅうだし、誰も居ない中、発作をおこすことだってあった。
たまにお兄ちゃんが来ても、何にも話せなかった。
お兄ちゃんは咳き込む僕の背中をさすりながら、
「もう少し待っててね。もう少しで一緒に暮らせるから…」そう言ってくれるだけだった。
かなり具合が悪くて、動けないことがあった。
主治医の先生も、
「発作おこるかもしれないから、先生の目の届く部屋に移動しようか」そう言って僕を抱こうとした。
でも僕は嫌で、必死に抵抗した。
無理に動いたことで息がしにくくなったし、気持ち悪くなって戻してしまったけど、病室に留まることが出来た。
だって今日は叶音に会いに行く日だから…
僕の大好きな妹に会う日だから…
<蓮side>
僕がいつものように悠くんの病室に行くと、かなり具合が悪いみたいだった。
更に、汗をびっしょりかいていて、気持ち悪そうだった。
(今日叶ちゃんに会いに行くの難しそうだな…)
「悠くん、喉渇いただろ?」僕がそう言いながら水を持っていくと、悠くんはコップを取ろうとして、その場にぶちまけてしまった。
「お兄ちゃん…ゲホゲホ」悠くんは泣いてしまって、咳き込み続けていた。
「悠くん…辛いな」僕は背中をさすることしか出来なかった。
落ち着いた所で、僕は悠くんの頭をなでながら、
「今日は叶ちゃんの所行くの止めとくか…」そう言った。
悠くんは明らかに辛そうなのに、体を起こして、
「きつくないから…行くの!!」って見え見えの嘘をついた。
「きついだろ?今日は止めとこう?」
「嫌。ハァハァ…」悠くんの息が荒くなってきた。
これ以上言い合うのも辛そうなので、僕は
「先生に聞いてくる」そう言って病室を出た。
病室に帰ってくると、悠くんは外着に着替えてベッドに座っていた。
顔色も良くなっているような気がした…
「悠くん…大丈夫なの?」
「うん!大丈夫だから叶の所行こう?」悠くんは笑って僕の袖を引っ張った。
先生には、一応3時間なら外出許可だす。そう言われていた。
「分かった…行こうか」僕はそう言うと、悠くんは軽やかにベッドを降りて、僕の手を引いて病室を出た。
さっきまで、辛そうにしていた弟と全然違って、僕の手を引く悠くんは、まるでお正月にお年玉を貰いに行くような子供のように、わくわくしているみたいだった。
「先生じゃあね」ってお見送りに来た先生にも、笑顔で手を振っていた。
先生は驚いた様子で僕の所に来て、悠くんに聞かれないように小声で
「悠斗くん具合良くなったんですか?お兄さんが来るまでかなり辛そうで、いつ発作がおきてもおかしくなかったのに…」やっぱりそうだよな…
「僕が来ても辛そうでしたよ…でも外出許可を貰いに行った瞬間元気になって…無理してますよね、絶対」
「まー悠斗くん妹さんに会うのずっと前から楽しみにしてましたもんね…行かせてあげたいんで、一応体調が急に変わったら教えてください」
「あっはい…ありがとうございます」僕はそう言って、悠くんと一緒に病院を出た。
叶ちゃんに会うなり、『お兄ちゃん』を発揮している悠くんは、凄く可愛かった。
僕もだけど、悠くんは特に、叶ちゃんにデレデレだった。
そして、約束の3時間がたった。
「悠くん、病院戻るよ」
「えーやだな…」そう言って頬を膨らませた悠くんの顔色は、少し青白かった。
「約束だろ?顔色も少し悪くなってるし…」
「はーい」悠くんは渋々叶ちゃんに別れを告げて、僕の車に乗り込んだ。
少し走り出した時、悠くんがいきなり戻した。
「悠くん!?」僕はすぐに車を路肩に停めて、悠くんの頭をなでてあげた。
(やっぱり無理してたよな…)
僕は少し具合が悪くなっただけだと思い込んでいた…
洋服を着替えさせて、水を飲ませてあげると、その水さえも吐き出してしまい、そのまま咳き込んだ。
「悠くん…辛いな」そう言って僕は悠くんの背中をさすってあげた。だけど、悠くんの息はどんどん荒くなって、胸を思いっきり掴みながら肩で息をしていた。
発作だ…そう思った。
僕は焦りながらも冷静に、主治医の先生に電話をかけた。
先生には、救急車で迎えに行くより速いから、そのまま病院にきてほしいって言われた。
僕は先生に言われた通り、助手席を限界まで下げて、シートベルトも外してあげて、病院に急いだ。
病院に着いたときには、もう意識は無かった。
悠くんはそのまま集中治療室に連れて行かれ、僕は呆然と悠くんの行った先を見つめていた…
<悠side>
起きると、病院のベッドの上だった。
お兄ちゃんは泣いていた…
「お兄ちゃん?」僕がそう言うと、お兄ちゃんは
「ごめんな…本当にごめんな」そう言いながら僕の頭をなでた。
僕には、何でお兄ちゃんが泣いているのかが分からなかった。
でも、お兄ちゃんの涙は苦手だった。
自分を責めるような涙が…
あの時もあの時も、お兄ちゃんが僕の前で泣くときは、自分を責める涙だった。
だから『ごめんな』そう言って泣くんだ。
「何でお兄ちゃんが謝るの?僕が叶に会いたくて無理しただけだから…心配かけてごめん」
「えっ…?悠くん、叶ちゃんとも一緒に暮らせなくてごめんね。お兄ちゃんが不甲斐ないから…」
「そんなこと無いよ…お兄ちゃんのせいじゃ無いもん」
お兄ちゃんはバイトや勉強で疲れている中、時間を見つけては僕の所に来てくれる。
そんなお兄ちゃんには感謝しかない…
「お兄ちゃんもう少しで大学卒業するから、そしたら一緒に暮らそう?叶ちゃんも悠くんも一緒に…」
「うん!僕、お兄ちゃんと一緒に暮らしたい」僕がそう言うと、お兄ちゃんは泣きながら、でも笑いながら、僕に抱きついてきた。
お兄ちゃんが大学を卒業して、病院に就職が決まった。
そして、お兄ちゃんがおばさんたちに
「一緒に暮らさせてください。お願いします」って頭を下げてくれたおかげで、僕らは一緒に暮らせるようになった。
一緒に暮らすようになって、僕の体調はかなり良くなった。
やっぱり『病は気から』ってことだろう…
中学生になって少し反抗期になり、『お兄ちゃん』って言うのが恥ずかしくなった。
『兄貴』って呼ぶようになって少し寂しそうだったけど、仕方ないって諦めたみたいだ…
この前、大きな発作がおきて、僕は入院生活になった。
その時も、兄貴は
「ごめんな…苦しかったな」って自分を責めた。
***
「兄貴、もう泣かないでよ。僕のために泣かないでよ」
「悠くん…」
「僕が叶と遊ぶために無理したのが悪いんだよ…ごめん」僕はばつが悪くて、そっぽを向いた。
兄貴は僕の頭をポンポンしながら、
「心配したんだよ?もう無理しないで」そう言って涙を拭った。