清貧について
皆様、この度は清貧が如何に悪辣な思想であるかを、私、ドン猿蟹の物語に耳を傾けていただけたなら幸いに御座います。
清貧の思想は、たしかに、自ら望んで行うかぎり美徳でございましょう。しかしながら、清貧の美に耽溺しすぎるあまり、その貧しさを他者に押し付ける。これはいけませんね。鬱陶しいことこの上ありません。
清貧の思想というものは、それを他者に強要すべく圧力をかけたとたんに一瞬のうちに悪徳に変化してしまう性質を持っているわけなのです。
平たく申し上げるならば、清貧は自主的である限り「武士はくわねど高楊枝」他人に強要すれば「贅沢は敵だ」となるわけでございます。この二つは現代社会において決してイコールではございません。しかしながら、わずかな刺激で容易に科学変異を起こすことは皆様の経験上、お分かりのことと存じます。
さあ、ここから私めは清貧の悪辣さを語っていきたいと思うのです。この化学変化、「武士はくわねど高楊枝」から「贅沢は敵だ」への堕天を起こさせる起爆剤というものは、そうですね十あるのうち五、六は『嫉妬』と呼ばれるワルの中でも一寸、名の知れた存在なので御座います。
生活保護者とパチンコ遊びを考えてください。ほんの少し前まで生活保護費の支給日にはパチンコ店でイベントを行っていたという話を、パチンコ狂いの知人に聞いたのですが、どうやら最近では批判もあったらしく、今では生活保護者がパチンコ何ぞで遊んでいるのを役所に見つかると、生活保護費を打ち切られかねないとの事です。
パチンコを遊んだことの無い方のために解説いたしますと、今様のパチンコというものははっきり言ってイスに座っているだけのもので御座います。ええ、本当にバカでも出来るのです。ただ、法律の関係上イスに座って、ハンドル(あれ本当はなんていう名前なんでしょうね)を握っている必要はあります。上手く出来ているものでハンドルを回すことで球が打ち出されるのですが、回した状態で1円玉などをつかってハンドルを固定しますよね。で、ハンドルから手を離すと玉が出なくなるんです。不思議でしょ?ですから、ハンドルを握ったままイスに座り続けるという能力は必要なんですが、ただ、それだけなんです。
確かに小さい子供には難しい事かもしれません。彼らにとってボンヤリ座り続けるなんて拷問にも等しい行為でしょうからね。ですが大人であれば、どんなバカにだって出来る事です。いや寧ろバカにこそ向いている所業といえましょう。
ですから、パチンコが出来るのであれば働くことも出来るはずだ。と仰る人もいますが、なぁに、彼らは働く能力が無いからパチンコ店でボンヤリしているので御座います。
【生活保護者はパチンコを打つべからず】
この金科条の背景に聳え立つ糞の山、それが“朝に星をいただき、夕に月を仰ぐ”かの悪名高き清貧の思想。そして、「俺たちが必死に働いているのに税金から出た生活保護費で昼真っから遊びやがって」という嫉妬の情念で御座います。
実を申せば、私自身、生活保護者がパチンコに耽る行為を好い事だとは思いませんし、上記の金科条の有する所の正義を認めざるおえません。ですが、反道徳主義を掲げる、このドン猿蟹に言わせれば、正義にこそ多量の毒物が含まれているものに御座います。
江戸時代であれば、「武士はくわねど~」と「贅沢は~」も二つの金言は等符号で結びつけることが出来たでしょう。
現代社会は資本主義の世の中でございます。現代社会の豊かさを支えるのは資本主義のシステムに他なりません。資本主義の根底をを支える思想、それは、【より豊かな生活を求める心を是とする精神】ではないでしょうか。もちろん、健全に資本主義を運用するには【公正なルールの遵守】もまた必要不可欠ではあります。
ドン猿蟹が申し上げたいことが、次第に見えてきたことと思います。
現代日本社会には、まるで真逆の考えが多く蔓延っていることにお気づきでしょう。【豊かさを求めることは不当な贅沢である】という思想と【ルールを無視し、労働基準法なんて何のソノ】というアレでございます。
以前、派遣会社を営む社長さんが、TVショーの討論番組で「労働基準法なんか守っていたら日本は国際競争にまけてしまう」と仰っていました。
ですが、例えばフットボールのワールドカップに日本代表がなかなか勝てないからといって、国内においてボールを手で持ってゴールポストに持っていく練習を繰り返したって、ワールドカップので戦績は決して上がりますまい。むしろ健全な成長を阻害するばかりでしょう。
このような考えの経営者がまかり通るのが現状で御座います。
もう、お分かりの事でしょう。
労働効率を向上させ、合理的で豊かな生活を享受するという、資本主義社会における正道を、邪な考えと退け、幸福への意志の成長を妨げているもの、それが清貧の思想でございます。
もちろん、冒頭に申し上げたように自分自身への戒めとして用いる限り崇高な精神であります。しかし、心に嫉妬を持たぬ人間が、果たしておりましょうか。
ドン猿蟹は申し上げます、日本人が数百年崇め奉ってきた清貧の思想を、捨てろとまでは言いませんが、引き出しの中にそっと仕舞ってみては如何で御座いましょうか。
そして、椎名林檎さんの歌ではありませんが『贅沢は味方』『欲しがります負けるとも』の精神を新たに神棚に飾ることを主張するものであります。