第一話【2】
母は小さい頃に病気で死んでいた。ずっと男手一つで僕を育てていた父は、僕が高校を卒業してしばらくして死んだ。
母と同じ病気だった。
「高校卒業してそんな経ってない僕が、一人でやっていける気がしないし、父さん死んだって信じたくなくて、僕死のうと思ってたんだよね」
「それで、最初に見つけたのって俊だよね」
「そう。俊も死のうとしてたんだっけ」
「そうだよ」
当時俊は高校三年生の、丁度進路について本格的に活動しだす時期だった。
俊は進路が決まってなかった。
「なんか、歩道橋の方行ったら、学生服着た男の子が身を乗り出してるんだもん。めっちゃびっくりしたわ」
「そりゃ驚くよね」
「自分も死のうとか考えてたのに、思わず体が動いてたよ。俊を思いっきりこっちに引っ張って、『何してるっ!!』って叫んだの覚えてる」
懐かしい。俊の悩みはつい最近まで自分が感じてたものだったから、あの時の俊は本当に放っておけなかった。
一時期の悩みで命を落とすな。戻れないぞ。
ついさっきまで死のうのしてた人間のくせに、僕はどこの誰とも知らない俊にそう言ったんだっけなあ。勢い余って抱きしめちゃったし。
俊は何も言わずに僕を見てボロボロ泣いてた。
後から聞いた話、俊は死ぬのが怖くて、でも明日を迎えるのも怖くて、生きるか死ぬかを『自殺を止められるか、誰にも気にされず死ぬか』で決めてたらしい。
僕が抱きしめちゃったもんだから、溜め込んでた感情が一気に溢れ出てきたんだって。
僕は泣き止むまでずっと俊の背中を擦っていた。
それから、二人で行く当てもなく歩きながら、『どうして死のうとしてたの?』なんて聞いた。
俊は悩みを素直に僕に話してくれた。
僕も、その時は死のうとしてたことなんて忘れて、真剣に俊の話を聞いていた。……多分自分自身弱ってたところに、俊の真っ直ぐな悩み方を見て救われたんだと思う。
苦しいのも、悲しいのも、死にたいのも、自分だけじゃない。こんなに必死に生きて、苦しんでる人がいる。
力になりたいと思った。死ぬほど悩んでる、律儀な少年の。
それから二人でコンビニに行って、アイスを買った。暑い時期だったから、美味しかったなぁ。
それから、二人で明るい話をしながら歩いていた。暗い話は避けて、馬鹿なことばっかり話して、俊は目を赤くしながら笑ってた。
「それから、杜希にあったんだよね」
「うん。いつもの公園で」
「あの公園って、実はあの日初めて入った場所なんだよね」
「そうだったの? 知らなかった」
あの日、歩き疲れた僕達は、たまたま見かけた公園に入った。
そしたら、ベンチで足を抱え込むようにしゃがみこんでる杜希がいた。
「杜希ベンチでしゃがんでたよね」
「凄い不審だったよね、今思えば」
「まあ、不審だったから話しかけたんだけどね」
当時杜希は凄く荒れていた。
話しかけたら凄い怖い顔で睨まれた。
僕はちょっと怯えながら、『君どうしたの? 家には帰らないの?』と声をかけた。
そしたら、杜希は泣いた。
「恥ずかしいところ見せたよね」
「でも、そのおかげで今もこうしてやってるんだけど」
「まあ、それもそうだね」
杜希は家出だった。
当時高校一年生の杜希は親に優等生を求められて、完璧になることを強要されて、家にいるのが苦しくなって逃げ出したらしい。
体裁だけを求める親に苛立ちを覚えた。自分のことをこれっぽっちも理解しようとしない親に嫌気がさした。
そう言って泣きながら僕に縋る杜希は、凄く寂しそうだった。
きっと、誰かに自分の頑張りや努力を認めてほしいんだろうな。すぐにそう思った。
だって、親に完璧を求められてるんだったら、誰がこの子の努力や頑張りを認めてやるんだ?
そう思った僕は、『偉いね』って杜希に言った。
そうやって窮屈な環境の中で、今日まで必死に耐えてやってたんだろう、偉いね。そう言って杜希の頭を撫でた。
「僕、その後ずっと二人の後ろをつけてたんだよね」
「はは、あれは可愛かった」
「普通に考えてたらありえない行動だけど、その時僕はこの人達について行きたいって、それしか考えてなかったからさ」
「結局僕が話しかけて、三人で話しながらまたふらふら適当に歩いたっけ」
それで、公園から少し離れた人気のない道で、裕也と陽斗にあった。
陽斗はボロボロだった。
「陽斗、最初見た時はびっくりしたなあ。傷だらけだったよね」
「裕也は号泣だしな」
陽斗は酷いイジメにあっていた。
裕也と陽斗は昔から仲が良く、二人はいつも一緒にいたらしい。
ある日、大したきっかけもなく、ただ力の強いイジメっ子の『気まぐれ』で陽斗はいじめられるようになった。
裕也は力なく、それを止めることができずに苦しんでいた。
イジメに参加しないだけで精一杯だった。
でも、その日陽斗は凄い暴力を振るわれた。
ボロボロの陽斗を連れて、裕也はイジメっ子の元から逃げ出した。
明日が怖かった。
逃げたりしたら、二人とも何されるかわからなかったから。
「確か、二人の姿を見て慌てて事情を聞いてさ」
「うん、なかなか事情を話そうとしない二人を、ゆっくり待ったよね」
「それで、話聞いたらさ、僕カッチーンてきて。そういうの嫌いだからさ」
「想は嫌いそうだもんなあ」
「だって格好悪すぎだろ、そういうの。それで、僕は『それなら僕のところへ来い』って言ったんだよね」
「いつでも返り討ちにあわせてやるからって」
「はは、馬鹿だよな。初めて会った人なのに」
「でもそれ以来二人とも凄い想に懐いたよね」
「本当にイジメっ子連れて逃げてきたしね」
当時中学一年生だった二人は、力のある想に頼った。想は逃げ方を教えた。
学校で何かされる時は二人で力を合わせて乗り切った。何かされても二人なら、傷を分けることが出来た。
二人は想から逃げ方をしっかりと聞き、決して暴力に屈することなく、イジメから逃げた。
「懐かしいな、皆がそんなんだったから、僕死ぬどころじゃなくなったんだっけ」
「想はしっかり皆の様子を見に来てくれたよね」
「なんか、凄い……放っておけなかったんだよ」
なんでかわからない。自分が弱ってたからこそなのかな。
弱ってる皆を見て、凄く助けたくなった。
自分が皆を救いたいと思った。
今思えば、凄く無責任で、何様な行動言動ばかりだけど。
「想って優しいよね。今も昔も」
「何だよいきなり。照れるじゃん」
「ふふっ、本当のことだから」
杜希はそう言って笑った。
「何話してるんですかー!! ボクも混ぜて!」
「陽斗よしよーし」
「えへへ〜」
「陽斗は本当に可愛いねえ」
「ねえねえ、想。早くアイスちょうだいよ」
「俺も食べたいー」
「わかったから、裕也そんな僕の袖引っ張るなよ」
「……アイス」
僕は袖をグイグイ引っ張る裕也を引き離して冷蔵庫に向かった。
冷凍庫の扉を開けてアイスを取り出しながら、僕はさっきの杜希との会話を頭の中で繰り返した。
本当に、あの時の自分は無責任で何様って感じだったけど……。
僕は皆の方をちらりと振り返った。
……皆良い笑顔してるんだよなあ。
それが、結果なんだ。それだけでいいじゃないか。
「グレープとオレンジとイチゴとレモンとリンゴ。どれがいい? あ、僕はグレープ」
「俺オレンジ」
「ボク、レモンほしいでっす!!」
「……イチゴ」
「リンゴがいいなー」
俊にオレンジ、陽斗にレモン、裕也にイチゴ、杜希にリンゴのアイスを手渡し、僕自身はグレープを頬張った。
「美味しいねえ」
「幸せ〜」
いつの間にか誰かがつけてた扇風機の風が、心地良い。
僕は目を細めて、皆を眺めた。
「ねえねえ、世界はいつか終るらしいよ」
「なに、杜希。いきなり何の話?」
「ん、なんとなく……ちょっと前に聞いた話を思い出したの」
杜希はそう言ってふわりと微笑んだ。
「僕はね、もし世界が終わっても、皆との絆は決して断ち切れないと思うんだ」
杜希はリンゴのアイスを口に運びながら、優しい声でそう言葉にした。
「世界が終わるとしても、皆がいるなら怖くない。……そう思う」
「…………」
杜希の言葉に、皆も微笑んだ。
「らしくないな、杜希。そんな話するなんて。……まあ、俺も皆がいるなら、何があっても怖くないと思うぜ?」
「はいはいっ! ボク皆とずーっと一緒にいたいです!! 皆もずーっと一緒にいてください!!」
「……世界が終わるときには、皆一緒がいい」
「うん、それがいいね」
皆はニコーッと笑って、そんなことを口々に言った。
本当に可愛いやつらだよ。
僕は皆の笑顔を見ながら、胸が温かくなるのを感じていた。
「そういえば、裕也と陽斗、学校って今どうなってんの?」
「んー、閉鎖中です!」
「……病気の人が増えすぎて、まともにできないからずっと休み」
「今三年生だよね。高校最後の年なのに、大変だね。進路とかどうなるんだろ」
「ボクはその分皆に会えるからへーき!」
「まあ、進路とかそう言ってる場合じゃないみたいだよね。……どうにかなるでしょ」
裕也はそう言いながらも、少しだけ表情を歪めた。
ああ、悪いことを言っちゃったかな。こういうのは本人が一番心配なんだ。どうにかなるって思ってないと、やっていけないよな。
「なんとかなるよ、頑張れって!」
「ボク想にーちゃんみたいな大人になりたいです!」
「駄目だよ、僕みたいなの目指しちゃ」
「だって、想にーちゃん凄くかっこいいよー?」
「……直球に言うな。照れるわ」
「そーにーちゃんダイスキー」
「裕也は悪意があるよな」
僕は照れ隠しに裕也をペチペチと叩いた。それを真似して陽斗も裕也をペチペチと叩く。
俊と杜希がそんな様子を微笑ましそうに眺めていた。
「…………」
「……? どうした、杜希?」
「え、何が!」
「やたらぼーっとしてるから」
「……いや、こういう時間がずっと続けばいいなって思って」
「……そうか。俺もそう思う」
俊はそう言うと、再び三人の方に目を向けた。
だから、その時杜希が酷く寂しそうな顔をしていたのは、誰も気が付かなかった。