九百九十三 志七郎、情報を精査し覚悟を決める事
武光が罠を仕掛けた事を受け、俺とジェームズ氏は牧場の敷地と外を分ける柵に『立入禁止』の看板に加えて『危険な罠有り、不法侵入者に対して安全の保証せず』と言う文言を追加して回る作業をする事に成った。
そんな感じでそろそろ太陽が傾き空が茜色に染まって来た頃だ、街に行ったマギーさんと蕾にお忠が戻って来たのだ。
「直接被害が出ていない段階で軍を大きく動かす事は出来ない。南回りを巡回して居る部隊を一つ二つ増やすのが精々だってさ」
早速、牧場の者達と共に食堂に集まって、それぞれで手に入った情報の交換を始めたのだが、マギーさんが口にしたのは市議で有りこの牧場の所有者でも有るドナルド・マクフライ市議のそんな発言だった。
より正確に言うならば、市議としての立場から軍に要請を出して防衛を行う事は不可能では無いのだが、他の牧場なんかの場合『被害が出てから軍に救援を求める』のが普通の為、今の段階でソレをやると『市議の立場を私的に利用した』と言う事に成るらしい。
では他の市議に陳情して同様の動きを促す事は出来ないのかと言えば、今度は此処でマクフライ市議の『ポテ党党首』と言う立場が邪魔をする。
ポテ党に所属する議員や友好的な議員に斡旋を頼めば、結局は『党首の立場を利用した』と見られる事に成るし、シーフー党に所属している様な政敵に当る者達に頼んだ所で、マクフライ市議の基盤を削れる機会に協力する訳が無い。
そんな訳で正規軍は国境周辺を警戒する部隊を多少増やすだけで、実際に事が起こるまでは静観すると言う事になる訳だ。
「拙者の方で集めた情報に拠ると、どうやらシガー・ドッグス傭兵団はきっちり正規の手続きを踏んで国境を越えて居る様で、政庁の方にその存在も居留地もしっかりと届け出が出ている様で御座る」
冒険者組合に顔を出した時点では他に精霊魔法学会位にしか伝手は無かった筈のお忠だが、彼女は彼女で空き時間を上手く使って他に情報を得られる手段を構築してたらしく、市政府が持っていると言う情報をあっさりと口にする。
「居留地の場所は俺も掴んで来たが、此処で間違いないか?」
俺はお忠に向かって牧場に有ったワイズマンシティ周辺の地形を記した地図の一点を指し示しながらそう問う。
「間違い無く其処で御座る。提出されている書類に拠ると人数は三十二人、内二つ名持ちの傭兵は頭の『いかれた狂犬』含めて三人だそうで御座る。皆、東の方で起こった戦争で名を上げた者達との事」
火元国で武士や鬼切り者が二つ名で呼ばれるのは『強い者の証』で有り名誉な事とされているが、ソレは外つ国でも同じで冒険者や傭兵に騎士なんかが二つ名を持って呼ばれる様に成ると其奴は手練の者だと思って間違い無い。
二つ名は単なる通称と言うだけでは無く世界樹にも登録される正式な物で、自分から勝手に名乗ってソレがバレたならばその者が実際にどんなに優れた能力を持っていても信用は零を割り込む程に落ちる事になる。
俺に付けられた『鬼切童子』も武光の『暴れん坊御孫様』も知られて居るのは当然火元国の中だけの物では有るが、世界樹に登録されている以上は神々や其れ等に仕える神職の者ならば照会する事は可能だと言う事だ。
なお他人の二つ名を騙るとソレは罪に成るが、架空の二つ名を名乗った所で罪とは見做されず、ただ単に『ホラ吹き』か『精神異常者』扱いされるだけである。
「二つ名持ちが三人か……余が仕掛けた罠で有象無象が少しでも消えてくれねば厳しい戦いに成るやも知れぬな。所でお蕾よ、お花先生の方からはこの件に関して何か指示等無かったのか?」
二つ名を持たない者が二つ名持ちに絶対に勝てないと言う訳では無い、二つ名は飽く迄も『過去にその名を冠するだけの偉業を為した』と言うだけの物で、絶対的な強さの証明と言う訳では無いのだ。
解りやすいのは猪川家の兄弟で武勇に絡んで為した偉業で二つ名を得たのは義二郎兄上だけで、仁一郎兄上の『鳥獣司』も智香子姉上の『錬玉姫』も何方も生産職としての功績で得た称号である。
勿論、二人とも並の武士よりも強いのは間違い無い事実だし、俺が二つ名を得たあの時と比べても、彼らが二つ名を得た時の方が強かったのも間違いない筈だ。
だが格が高い方が確実に強いと断言出来ないのとは同程度に、二つ名持ちだから絶対に強いと言う訳でも無いのである。
しかし今回の場合、相手は合戦の場を生き抜いて来た傭兵である以上は、まず間違い無く『格上の二つ名持ちを一騎打ちで倒した』とか『砦を単騎で制圧した』とか『一つの戦場で百人斬りを達成した』とか、そんな感じの危険な偉業を成し遂げている筈だ。
ちなみに二つ名を得る為にはそうした偉業を成し遂げるだけでは無く、ソレが世間に広く周知される必要も有る。
単独での鬼の砦攻略と言う伏虎義兄上の成し遂げた偉業も二つ名を得るには十分な物では有るが、本人がソレを喧伝する事を望まなかったので瓦版屋に情報を書き立てる様な事をさせず、それ故に彼が二つ名を持って呼ばれる様な事は無かった。
まぁその後に義二郎兄上との一騎打ちで得た名声で、世間から二つ名を持って呼ばれる様な流れに成ると猪山藩の者達は考えていたようだが、結局は『あの一朗』の息子なら勝って当然と言う様な空気が産まれ、結果的に彼が二つ名持ちには成らず仕舞いだった。
「お花センセからは、相手が妖刀さえ使って無けりゃ怪我なんてどうとでも成るから死ぬな……って言われただ。あとは万が一『罪』に成っても免罪符は買ってやるからソッチの心配もすんな、但し此方から先に手出ししたら駄目だって事だべ」
魔法が実在するこの世界では、四肢の欠損も神々の奇跡を代行する『聖歌』を用いれば修復する事が出来るし、それと同等の効果を持つ霊薬も存在して居る。
但し異世界の神々の権能を宿した妖刀に依る傷や、世界樹に登録されていない存在である土着化して居ない鬼や妖怪に『食われた』事で欠損した部位は、単純に回復させる事は出来ない。
その為、妖刀の傷で腕を失った義二郎兄上は北方大陸まで行って義腕を作って貰う羽目に成った訳である。
そして罪云々は万が一向こうから手を出して来たとしても『相手が罪人では無い』場合、人を殺めたと言う『結果だけ』が罪として世界樹に記録されてしまうと言う可能性の事だと言う。
基本的には向こうから殺しに来ているので有れば相手を殺めても『正当防衛』として罪には成らないのが普通なのだが、天網の隙間に刺さると言うか世界樹の構造的欠陥なのか、罪として記録されてしまう事が有るらしいのだ。
火元国ならばそうした冤罪とでも言うべき物は、奉行所で『削除』は出来ずとも『注釈』を入れる事で実質無罪に出来るのだが、外つ国では世界樹の記録を読み出す事は出来ても書き込む機能が使えるのは『大神殿』と呼ばれる場所だけなのだと言う。
なので先手必勝とばかりに先制攻撃を仕掛ければ、万が一にも傭兵団の中に『罪無き者』が居た場合に、此方が一方的に罪人と言う事に成ってしまう為に先制攻撃は禁止で、向こうから襲って来たのを撃退した結果の罪ならば免罪符を買ってくれる……と。
幾ら功績点も現金も只人が一生遊んで暮らしても困らない程持っているお花さんでも、ソレを無駄使いする積りは無いが、『結果として罪人に成ってしまった』ならば助けはする、と言う事だろう。
流石は『あの一朗』の母君、直接的な手助けをする気は一切無いらしい、と言うか『この程度は鼻を穿りながらでも解決出来るでしょう?』と笑顔で言う姿が目に浮かぶ。
「こりゃ今夜が一番危なそうだな。うん……皆聞いてくれ、今夜は腐れ傭兵達が攻めて来ると言う前提で寝ずの番をする事に成る。少し早いが家畜達を厩舎に戻して食事を取ったら仮眠を取ってくれ。西部の牧童の恐ろしさを教えてやろう!」
俺達の話を聞いて覚悟を決めた表情でジェームズ氏が、従業員達にそう告げると……他の者達も皆雄々しい表情で鬨の声を上げ、拳を天に突き上げるのだった。




