九百九十一 志七郎、勝利条件を確認し策を練る事
偵察を終えた俺が牧場へと戻ると、恐らくは普段と変わらず仕事をして居るであろう牧童達の姿が有った。
どうやら俺が出掛ける前に話していた『集団で奇襲を掛けてくる危険性』は其程高く無いと踏んで居るのか、それとも単純に『生き物を相手にする仕事は人間の都合なんて関係ない』と言う事なのか……何方にせよ余り危機感を強く感じている様子は無さそうである。
「ジェームズさん、どうやら悪い想定は現実の物と成りそうですよ。ウチの子に奴の臭いを辿らせたら実戦経験が有ると思しき集団が野営して居る姿が有りました」
そう言って俺が見つけた野営地の場所を伝えると、
「其処は俺の爺さんが親父の弟……俺から見れば叔父さんの為に、もう一つ牧草地を整備して牧場を作ろうとした場所だ。残念ながら荒野牛の群れに襲われて牧草地は壊滅しちまったんだ。まぁ叔父さんは大きな怪我はしたが一命は取り留めたよ」
溜息を一つ吐いて、そんな言葉を口にする。
荒野牛と言うのは荒野兎同様に西方大陸西部の荒野に生息する動物で、魔物に区分される物では無いが群れを為すと下手な魔物なんか平気で轢き殺す極めて危険な生き物だと言う。
なおこの牧場で飼育されている牛は荒野牛を何代も飼育環境下で交配させ続けた結果、完全に家畜化された物で荒野牛程に野性的な警戒心も闘争本能も殆ど無く成っているそうだ。
まぁその辺は多分、猪と豚の関係に近い物なのだろう。
「兎に角、彼処なら確かに此処を攻める為の拠点とするのに最適な立地と言える……うん、君達の協力を得る事が出来て本当に運が良かった。下手をすると連中今夜にも夜襲を仕掛けて来る可能性も有るだろうしな」
ジェームズ氏は自分が知って居る場所が、敵対する者の拠点とされている事を知って危機感を高めたらしく、複雑そうな顔でそんな言葉を漏らす。
「そう言えば武光の奴は何処に居るんですか? アレも歳に似合わず並の大人よりも強い侍ですからね、此処の守りを任せる為に置いて行ったんですが……」
武光は冒険者組合の区分で言うサムライの水準には達して居ないが、火元国に置いては武士階級の者で有り侍と称して間違い無いので嘘は言っていない。
「ああ、あの子はサムライだったのか。どうりで剣士の様な格好なのに盗賊顔負けの器用さが有る訳だ。彼は牧場の納屋に余っている物を使って稜線に罠を仕掛けてくれているよ」
此のマクフライ牧場は施設の大半が、街道を進んで居るだけでは直接見る事の出来ない窪地に作られており、稜線の更に外側に私有地と公地を隔てる柵を立て其処に『私有地につき立入禁止』と記載されていると言う。
その柵が途切れ街道に面している場所が、俺達の通りって来た入り口前に有る来客用の厩で、其処以外から入って来る者は全て不法侵入者と言う事に成る訳だ。
とは言え普段はそうした柵の内側に幾つも対人用の罠を仕掛ける様な事はしておらず、有るのは荒野兎を捕らえる為の小さなくくり罠も、基本的には牧草地の周辺部分に仕掛けて有るだけだと言う。
その程度の備えだと先程話に出ていた荒野牛の群れが突っ込んで来る様な事が有ると、割と大惨事に成る様に思うのだが、基本的に荒野牛は警戒心の強い生き物で、何かに追われているとかそう言う状況で無ければ柵を突破して来る可能性は低いらしい。
……ソレだとさっき言っていた叔父さんの牧草地が襲われたと言う話と矛盾する様に思えるが、意図的にそうなるように仕向けた者が居たと言う事で無ければ、単純に運が悪かったとかそう言う話なのだろう。
「此処は入り口から魔物が攻めて来る事を想定して建物を配置してあるから、稜線超えさえ警戒すれば防衛自体は割と容易いと言える。どの建物も二階部分から入り口の方を銃で狙える様に成っているからね」
言われて辺りを見回すと、確かに厩舎や邸宅の窓は南側に有る窪地の入り口へと向いて居り、其れ等は射線を邪魔しない様に考えられて建てられて居る様に見える。
恐らくは各建物の二階窓の近くには、小銃とその弾丸なんかがしっかりと用意されているのだろう。
「俺の考えとしては夜襲の可能性は余り高く無いと思うんですよね。彼奴の目的は飽く迄も馬を奪う事でしょう? 夜間に乱戦なんて事に成れば大事な馬を傷付けずに人間だけを殺すのは難しいでしょうしね」
電灯の無いこの世界では夜の明るさは月齢次第な感じで、満月の夜ならば灯火無しでもある程度見えなくも無いが、新月の夜とも成ると氣を用いた暗視強化無しでは一寸先すら禄に見通す事は出来やしない。
普段から月を気にして生きては居ないので今日の月齢がどんな物かは解らないが、もしも満月だったとしても灯火無しで地の利を持たない場所に攻め入るのは、余程単細胞な馬鹿で無い限りはやらないだろう。
そして松明なんかの明りを持って夜襲を仕掛けて来た場合には、此処の備えがしっかり機能し灯火を狙い撃ちにするだけで、ある程度勝負は付いてしまう可能性が有る事位は、あの練度を見せていた戦闘集団ならば理解出来ているのでは無いだろうか?
更に付け加えるならば、下手に火を持ち込みソレを落としたりして厩舎に引火させてしまったりすれば、奴等の目的である馬を手に入れる事は出来なく成ってしまう。
「数の暴力にまかせて押しつぶされるのが一番怖いが、ソレをすれば向こうの目的である馬が手に入らなく成る可能性が高く成る……か。確かにそう考えると集団での夜襲よりも怖いのは手練の暗殺者系技能持ちが入る場合だな」
暗殺者と言うのは冒険者組合区分に依る職業の一つで、盗賊の技能に加えて戦士系の技能、更に薬師としての技術も持っている者だけが名乗れる上級職業とでも言うべき物だと言う。
其の名の通り暗殺を得手とする彼等は、闇夜の紛れて敵の拠点に忍び込み首領格の魔物を敵陣に気付かれる事無く始末する……なんて真似をする事も有るらしい。
猪山藩だと伏虎の義兄上辺りが、此方の区分で言えば暗殺者って事に成るんじゃ無いだろうか?
あの人は錬玉術こそ修めて居ない物の、火元国に古来から伝わる薬草術の心得は有るらしいし、鬼の砦を単独で落とした時も敵を全部倒すのでは無く、隠密行動ですり抜けて行って首領を倒して結束が乱れた後に殲滅戦をしたらしいしな。
「確かに単独でヤバい奴が忍び込んで来て住人を音もなく暗殺、その後改めて人を入れて馬を奪うって線の方がやり方として賢いかも知れないですね」
そんな顛末を考え、俺がそう答えると
「……火竜列島ってそんなに物騒なのかい? 馬を手に入れるって事だけを考えるなら、態々皆殺しなんてリスキーな事はせず、子供の一人でも抑えて人質にして此方が抵抗出来ない間に仲間を呼んで馬を奪うだけで良い……と思うんだけれども」
ジェームズ氏はドン引きしたと言わんばかりの表情で、俺を見下ろしそんな事を口にする。
皆殺しがリスキー? ああ、そうか『死人に口無し』が当たり前で、『バレ無い犯罪は犯罪じゃない』が罷り通って居た前世の感覚で考え過ぎてしまった。
この世界では罪を犯せばソレは世界樹に記録されるんだ、その記録が何処まで人が知る事が出来るのか何処まで人間の法律と同期するのか、まで詳しくは解らないが『殺人多数』よりは『馬泥棒』だけの方が軽い罪なのは間違いない。
「それに連中の拠点は南の国境から然程離れていない、馬を奪って拠点を経由しつつ南に抜けられたら、馬泥棒程度の罪じゃぁ追いかける訳にも行かないよ。まぁウチの牧場は間違い無く破産で結局首吊るしか無くなるけどな」
従業員含め十数人を殺し馬を奪っていった山賊ならば周辺の国と連携して賞金を掛け討伐対象として手配されるのは間違いないが、一人も殺める事無く馬だけを盗んで行ったならば被害額は兎も角として他国と連携を取って討伐する対象に成る可能性は低いと言う。
「おー兄者! 戻ったか! 余の方は稜線周りに鳴子と爆薬を仕掛けて置いたぞ。上手く掛かれば一方的に先制される事は無かろうて」
一寸待て鳴子は兎も角爆薬ってなんだ? つかそんな物を良く都合よく持っていたな……と、声を大にして突っ込みたいのをぐっと堪え、俺は武光に罠の詳細を改めて確認するのだった。




