九百八十九 志七郎、情報不足を後悔し罪を思う事
俺が出した指示を聞き、牧場の者達は状況がよく解っていないであろう子供達を除き、皆が一様に驚愕の表情を見せる。
「何故君達が態々そんな事までしてくれるんだ? ただ通り掛かっただけでしか無いと言うのに」
代表してその驚きの原因である疑問を口にしたのは当然牧場長を務めるジェームズ氏だ。
「寧ろ俺達が余計な事をしたから結果として彼奴が仕返しに戻って来る状況に成った、と恨み言を言われても不思議は無い位だと思いますが? ソレに我が祖国では『一宿一飯の恩義』と言う言葉が有りましてね、まぁ今回は一飯の恩義だけですが」
俺達が割って入らなければ、ジェームズ氏はあの男を撃ち殺して居たのは間違いないだろう。
奴が頭目を務めると言う傭兵団が近くに居ないので有れば、ソレで後腐れ無く終わっていた可能性は零では無い。
しかし彼奴が傭兵団と共に此方へとやって来ていて、配下の者に行き先まで告げていたならば、何時まで経っても帰らぬ頭目を心配した者が情報を集め其の死を知り、仇を討つ為に何の前触れも無く此の牧場が襲われていた可能性も十分に考えられる。
武光の持つと言う不幸になる少女感知能力……いや感知能力と言うよりは『誘蛾灯』の方がより実情に近いか?
兎角そんな感じの異能が本当に有るかどうか今一つ疑問では有るが、此処の娘さんが異国から来たばかりの武光に対して視線が釘付けに成っている様を見る限り、そうした能力が無くとも妙な麝香でも放っている可能性は捨てきれない。
「更に言うならば、俺達の国では『同じ釜の飯を喰った仲』と言う言葉も有りましてね。食卓を共にしたならばソレはもう只の他人では無く護るべき仲間と言えるんですよ。そんな人達が後から酷い事に成ったなんて聞けば美味い物も不味く成るって物です」
とは言え結果として娘を奪われる事に成るかも知れない父親に、ソレを馬鹿正直に伝えた所で逆に此方の協力を断られるだろう事も容易に想像が付く。
此処が火元国ならば『禿河の血』に纏わる逸話を知らない者は居らず、放置されて不幸に成るよりは救われて妾に成る方がマシと判断する者が大半だろうが、そんな事を知らない外つ国の父親に『助ける代わりに娘を妾に寄越せ』とは流石に言えない……。
「……其処まで言ってくれるなら協力してくれ。さっき見た所、君の騎獣は地獄の番犬の系譜だろう? ならその索敵力は並の盗賊とは比べるまでも無いし、防衛準備が整うまでに不意打ちを受けないと言うは何よりも有り難い」
四煌戌が『あの世』で働く死神さんからの貰い物で有る以上、ガチで本物の『地獄の番犬』の血を引いているのは恐らく間違いないが、彼が言っているのは此方の世界にも出現する魔物としてのソレの事だろう。
此方の世界に出現する魔物としてソレが居ると言うのは、寡聞にして覚えが無いがジェームズ氏が四煌戌を見て普通にそうと言うのだから、外つ国では普通に現れる可能性の有る魔物なのでは無かろうか?
うん、今度時間が有る時に図書室の司書であるマインさんに聞いて、江戸州鬼録の様な魔物図鑑の類を紹介して貰おう『彼を知り己を知らば百戦して危うからず』だ。
「周囲の警戒は兄者が四煌戌に乗ってやるとして、余は牧場の入り口で門番の真似事でもして居れば良いか?」
お忠と蕾が街に戻り俺が四煌戌で周辺を警戒するとなると、一人残る事に成るのは武光だ。
「入り口に拘らず周辺を見渡せる場所に位置取って、万が一にも傭兵団が仕掛けて来るようならば先手を打てる様に準備しておけ。とは言え初手で殺す様な事はするな、向こうに攻め入る名目を与える事に成るからな」
前世の世界の日本の様に『人の命は地球よりも重い』なんて価値観の無い、此の世界出身の武光は相手が『幕府の名を汚す悪』と判断したならば、其の生命を絶つ事に何ら躊躇する事は無い。
実際、彼が『暴れん坊御孫様』なんて二つ名で呼ばれる様に成るまでに、彼が斬った悪徳役人や禿河の系譜は両手の指を超える数に達している以上、今更人殺しをさせる事を厭う理由は無い。
それでも先手必勝で殺せと言わないのは、彼に『罪』を犯させる訳には行かないからだ。
武光が今まで斬った者達は、明確に『悪』を為した事をお忠がしっかりと調べ上げた後に禿河の家紋を掲げて自裁を呼びかけその上で尚も反抗して来た者が相手で、『正当防衛』と言える状況でしか殺めて居ない筈である。
正確な条件ははっきりと証されては居ないらしいが、世界樹に殺人の罪が記録されるのは『殺した相手が罪人では無い』とか『相手から仕掛けて来た戦いでは無い』等、様々な条件に合致した場合だけだと言う。
しかし犯罪組織に所属する『罪人側から仕掛けられた喧嘩』で相手を殺めてしまったにも拘わらず、『罪人』に成ってしまった例が実際に有るのだから、確実に『正当防衛』を主張出来る状況以外で彼を人類と戦わせるのは避けた方が良いと思うのだ。
ちなみに向こうの世界の日本では『正当防衛』が認められる範囲は極めて狭く、基本的に反撃した結果相手に怪我を負わせたならば概ね『過剰防衛』として扱われると思った方が良い。
現場の警察官としては馬鹿同士が阿呆やった所で喧嘩両成敗って事でサクッと終わらせたいと言うのが本音だが、法の番人の立場としてきっちり調書を取って検察に判断を投げるのが仕事なので、現場に接触した時点でなぁなぁに済ませる事は出来なかったりする。
正当防衛云々は現場判断で勝手に決める事は出来ず、其れ等を判断するのは検察と裁判所の仕事なのだ。
対して此方の世界での『正当防衛』は『相手が武器(拳含む)を向けたから反撃した』でも割と通ったりする事も有れば、上記したような『正当防衛が認められる筈の状況』にも拘わらず罪として魂に刻まれたりとその基準は曖昧模糊としか言い様が無い。
この辺は向こうの世界が『法治』なのに対して、此方の世界の殆どの場所が法律よりも支配者の意志が優先される『人治』だからなのだろう。
更に言ってしまえば、運悪く『神様が見ていた』から罪として記録された……なんて事もあり得るのでは無かろうか?
逆に向こうの世界の日本でも『バレない犯罪は犯罪じゃない』が割と横行して居たし、労働基準法や道路交通法辺りの法律を、全く犯さず完全に守っている人間なんてのは法曹関係の仕事をして居る者を含めて一人も居ないと思う。
仮にも法の番人を名乗る警察官が『罪の無い人間など居ない』なんて言葉を口にすれば、向こうの世界ならば大炎上待った無しだ。
……一寸話が逸れた、兎にも角にも万が一にも『罪』に成る可能性が有るならば、弟分よりも先に兄貴分である俺がソレを背負うべきだろう。
幸か不幸か俺は界渡りの切っ掛けに成った事件含めて色々と功績が溜まっているので、万が一にも此の一件で罪人と成ったとしても、ソレを打ち消す免罪符を発行して貰う事が出来る筈だ。
火元国ならば神々が発行する免罪符を使い『罪の記録』を態々消さずとも、奉行所で『罪を贖った』と言う記録を手形に書き込む事が出来るのだが、冒険者組合では情報の閲覧は出来ても操作は出来ないらしいのでその辺で違いが出るのだろう。
その辺の権限云々や技術云々詳しい事はよく解らないが、此の事も時間を作って図書室で調べて見る必要が有りそうだな。
「まぁ彼奴が手勢を近くまで連れて来て居なければ、今日明日襲われるって事は無いんだろうけどね。流石に彼奴も一人で仕掛けて来る様な事は無いだろうし、部下の所に戻ってそのまま此方に来るのが面倒に成って忘れてくれると良いんだけれどなぁ」
確かに部下を近くまで連れてきて居ないので有れば、態々手勢を率いて此処まで来る費用だなんだで、諦めると言う選択肢を取るかも知れない。
だが……希望的観測は外れる物と考え、人の上に立つ者である武士は常に最悪を想定して置く物だ。
「お嬢ちゃん達も一緒に街に行くって話だけれども私の馬は疾いわよ? 付いて来れない様なら置いて行くわよ」
俺達が話し合いを進めて居る間に御婦人らしいワンピース姿から着替えたのだろう、革の洋袴に上着其れ等と同じ色の帽子と言う『カウガール』を思わせる服装のマギーさんが姿を現したのだった。




