九十七 志七郎、初めての魔法を使い火を放つ事
「精霊魔法は『召喚』『詠唱』『発動』以上三つの手順を踏んで使います」
お花さんはピンっと三本指を立てそう言った。
この説明自体は今までの座学でも習ってきた内容では有るが、初めての実践と言う事で念の為と言う事だろう。
精霊魔法とはその名の通り精霊の力を借りその力を行使する魔法である、その為まず最初は精霊やそれを宿す霊獣を召喚する、という工程から始まる。
俺と四煌戌の様に一緒に居るならば必要ない手順の様にも思えるのだが、その場に複数の精霊や霊獣が居たりした場合、その力が干渉し合い大規模な暴走が起こり得る為、必ず必要な事なのだそうだ。
特に四煌戌の様に1つの身体で三つの魂を共有していると、誰の力を使って魔法を使うのか、それを明確にする事は重要な事らしい。
「古の盟約に基づきて、我、猪河志七郎が命ずる! 『紅牙』よ我が言葉に導かれ、現れ出よ!」
お花さんが魔法を使う度にする様に、召喚の呪文を唱えた。
すると俺の足元で大人しく座っていた四煌戌達の身体から、唐突に炎が吹き上がりその身体を包み込む。
一瞬燃え上がった炎が消えるとそこには全く変わらない姿の四煌戌が居る、本来ならばあの炎と同時にたとえどんなに離れていても、一瞬で呼び寄せられるのだが今回は移動が伴わないので、こんな反応が起こったらしい。
召喚が成功した証という訳では無いが、その炎が消えると同時に、紅牙と俺の間に何かが繋がる様な感覚が有った。
この繋がっている感覚を『魂を共有する』と表現するらしいが、今の所はそこまで深い繋がりのようには感じない。
「召喚は成功ですね。まぁ此処で躓く事は殆ど無いんですけどね。苦しかったり辛かったりはしませんか? 召喚された精霊や霊獣は魂を圧迫しますから、キツイようならばもう少し方法を考えますけど?」
召喚された者の魂の一部が、召喚者の魂と繋がる為、強すぎる存在と契約、召喚すると稀に身体を乗っ取られると言う事も有り得る事なのだそうだ。
幸いにして、まだ大した力を持つほどに成長していない四煌戌、その三分の一にすぎない紅牙の魂は、俺にとって負担に成るほどではない。
「大丈夫です、問題有りません」
その事を端的に答え、意識を次の工程へと向ける。
「今回使うのは、火の最下級魔法『着火』です。その名の通り、燃え種となる物に火を付けると言う単純にして明快な魔法ですよ」
呪文書の一番最初に書かれているのもその魔法だ。
精霊魔法の呪文は高度で強力な物になれば成るほど長く複雑に成る、初歩の初歩で有る『着火』の魔法は効果が単純明快であるが故にその呪文もまた単純明快で、魔法の基礎を学ぶのに適した魔法の一つだと言う。
目を閉じ、一度大きく息を吸い込んで、心を落ち着かせる。
「そう、魔法を使う時は心を乱しては駄目です。霊獣の中に宿る精霊の力を感じ、呪文と共にその力を揺り動かすのです」
お花さんの言葉に小さく頷き肯定の意を示すと、俺は改めて口を開いた。
「契約に基づきて、猪河志七郎が命ずる。我が朋友に宿りし火の精霊よ、集い集いて力と成れ。火の司るは破壊と浄化、焔によりて浄化できぬ物無し」
ここまでは火の属性を扱う魔法、ほぼ全てに共通する呪文であり、ここ迄唱えただけで氣とは違う熱が胸の奥から溢れてくるのを感じた。
「うぉーん!」
どうやらそれは紅牙も同じようで、溢れ出す物が押さえられないといった風に高らかな遠吠えを上げる。
あとはこの熱に指向性を持たせ外に押し出す呪文を唱えるれば火の魔法と成る筈だ。
「清浄なる精霊の火よ、我が指先に集いて我の指し示したる物を燃やす火と成れ」
呪文は唱え終わったがこの段階では魔法は発動しない、最後の行程である『発動』そのためのキーワードを口にする必要があるのだ。
「『着火』」
「うぉん!」
その言葉を口にした瞬間紅牙が鋭く一つ鳴き、同時に胸の奥から溢れていた熱が指先へと集まり一気に抜けて行く。
ボッと音がして指し示した薪に火が付いた……気がした。
いや、確かに一瞬は火が付いたのだ、その証拠に薪の一部が黒く煤けている。
これは失敗……なのだろうか?
「んー、呪文に間違いは無かったですし、紅牙君とのシンクロニティにも問題は有りませんでしたね。『着火』の魔法としては間違いなく発動してましたよ。ただ……」
どうやら彼女は今回の失敗の原因が解っているらしく、失敗の要素となる物を一つづつ指折り否定していく。
「ただ?」
「わうん?」
そう俺がオウム返しで先を促すと、紅牙が同じように声を上げ首を傾げる。
そんな様子にお花さんは微笑んで改めて先を続けた。
「力の練り込みと放出が足りなかったですね。火が付いたと安心して力を抜いてしまったのと、紅牙君の力自体がまだまだ小さいのも原因ですね」
その話では紅牙の力が小さい為に一瞬で完全に火を付けると言う所まで行かなかったので、薪自体が燃えるまで力を送り続ける必要が有ったのだそうだ。
火の最下級精霊でも『着火』程度の魔法ならば一瞬で発動しきるらしいので、お花さんの指導不足と言うよりは紅牙に宿る精霊力が想定以上に育っていなかったと言う事だろう。
「まぁ、発動自体は成功したんですから、今日は喜んでおきましょう。ただ、この子達の負担を考えると、一寸カリキュラムを考えなおさないと駄目ですね―」
俺自身の問題ではない以上、努力してどうにかなる話ではない。
魔法使いへの道はまだまだ遠く長い先が有るようだ。
カン! カン!カン! カン……!
何処か遠くから金属を叩き合わせる様な音が聞こえ俺は目を覚ました。
時間帯的にはまだまだ深夜遅くの筈だが、けたたましく鳴り響くそれは俺だけでなく、屋敷に住む皆を叩き起こした様だ。
「父上、母上、これは何の音でしょう?」
縁側へと立ち暗い空を見上げる両親にそう問いかける。
いや、暗い筈の空が煌々とした赤い光に照らされている。
「これは半鐘の音だ、然程遠くない所で火事が起きた様だな。流石にここ迄火が来る事は無いとは思うがな」
空が赤く染まるほどの火災、となれば一軒や二軒燃えた程度では無いだろう。
考えて見れば前世の日本と違い消火設備等も整っておらず、鉄筋コンクリート製の建物等も無い、殆ど全てが木造の街である。
一度火が付けばそれを消し止めるのはそう簡単な事では有るまい。
「父上、我々に何か出来る事は無いのでしょうか?」
「江戸市中の事は幕府の管轄、要請も無く勝手に動く訳には行かん。焼け出された者達を一時的に受け入れる事位は道義として咎められる事は無いだろうがな」
この江戸には定火消と町火消と言う職業消火隊が設置されており、前者は武士が、後者は町人が配置されているのだそうだ。
基本的に武士の居住地での火事は定火消が、町人の地では町火消が即応するのだが、状況によってはそれらが協力して消火に当たるらしい。
それでもなお火の手が収まらない様な時、初めて幕府から大名に対して書状が送られ、その後改めて各藩の家臣達が消火に参加するのだという。
町火消が消防団、定火消が消防署、大名陣営が自衛隊と考えれば、そう簡単に動けないのも理解出来る気がする。
「ほれ、志七郎何をしておる、万が一が無いとは言い切れぬ、其方も避難の準備をせよ」
少しだけ考えこんでしまった俺に、父上がそう言って行動を促した。
「あ、はい」
とは言っても俺に出来る事は殆ど無く、精々文箱一つ分程度の私物を持ち出す事くらいである。
そう思いながら、文箱を手に広間へと移動すると、庭先へと誰かが馬に乗ったまま駆け込んできた。
「夜分に御免仕る、赤の魔女殿はご在宅か! 拙者は定火消の一角、香西家よりの使者に御座る、面会願いたい!」
それは我が藩の者では無い、定火消を任じられた家の者らしかった。




