九百八十二 志七郎、阿漕な戦国商人を知る事
「それにしても……良くもまぁ足下屋等と言う外聞の悪い名を名乗っているな。西方大陸西海岸……世界の端と言って良い此の地に支店を持つ事が出来る程の大店ならばもっと良い見世の名も有るだろうに」
世界の端と言うのは地図上で示される概念上の物では無く、此処から更に西へと行けば海の水が下へと落ちていく場所が有ると言う、本当に物理的な意味での世界の端だ。
コレは火元国の東側にも同様に世界の端が存在しており、此の街と火元国では文字通り世界の端と端に位置していると言える訳である。
そんな場所に支店を持ち利益を確保し続ける事が出来ると言うのであれば、その商売力とでも言うべき物は相当に高い事は容易に想像が付く話だ。
と成れば『足下を見る』と言う言葉と簡単に結び付くだろう見世の名は、外つ国ならば兎も角、火元国に有るだろう本店では大きな不利益を齎す物の筈である。
「流石は幼くとも御侍様で御座いますねぇ、外聞の類を気にするのは御武家様だけで無く、アタシ等商人も同じ事……去れど当店の名は太祖家安公より賜りし物故に、簡単に変える訳にも行かないんですよ」
足下屋さぶのそんな言葉から始まった話に拠ると、足下屋は火元国が後に戦国時代と呼ばれる事に成る以前には『下海屋』と言う名で武家を相手に商売をして居たと言う。
その当時の商売は『其の年の年貢を担保に品物を貸し付ける』と言う方法が一般的だったが、戦まで行かずとも領境辺りでは刈田狼藉と呼ばれる小競り合いなんかが頻発し、予定通りに年貢米が取れる事の方が珍しい程だったらしい。
そうなると武士の方は『無い袖は振れない』とばかりに平気の平左で借財を踏み倒し、商人はそうした『取り逸れの危険性』を上乗せした値付けで商売をせざるを得なく成る。
『払えなければ踏み倒せば良い』と考える武士達と、『取れる時には取れるだけ取る』と言う商人達の考え方は悪い方向で噛み合ってしまい、武士は商人の言い値を呑んで商売をするのが当然と言う風に成って行ったらしい。
勿論そうした踏み倒しを何度も繰り返した家は、何処の商家も取引をしようとしなく成り、武力で脅して商売を無理やり継続させたとしても、結局は他家に情報を売る等の内通が行われ、結果として何時かは御家断絶の憂き目に合う事に成る。
そうした商人と武士の綱引きが上手く行った結果が、後に各武家が贔屓にする御用商人と言う事に成るのだが、下海屋は敢えて特定の武家に肩入れせず、多くの商家から取引を拒否された『風前の灯』な武家を相手に『潰れる前に根こそぎ』な商売をして居たと言う。
武家側は他所から買う事が出来ないので踏み倒し前提で、他の商家の十数倍と言う前世で言う暴利価格で必要な物資を買い、合戦へと挑み一発逆転を狙うと言う訳だ。
しかし世の中そう簡単に博打が上手く行く筈も無く、多くの場合そうした先の無かった武家は戦に敗れ御家断絶と成るか、運が良ければ勝者の軍門に下る事で命を繋ぐ事に成る。
そして下海屋は手の者を貸し付けた武家の軍に潜ませ、戦に敗れたと言う情報を誰よりも早く手に入れると、野戦ならば敵軍が城を制圧するよりも早く城へと押し込み、価値の有る物を借財の形として根こそぎ奪ったのだそうだ。
籠城戦の場合には敵軍が領地を抑える前に、村々に残って居る米なんかを速攻で差し押さえて断絶ならばそのまま持ち帰り、軍門に下ったならば一旦は村に返すが、借財の棒引きなんかは当然しなかった。
「当時の火元国は今の様に天下泰平なんて言葉は夢の夢で、武家も商家も奪える物が有れば何でも武力で奪うのが罷り通った時代、我が先祖ながら良くぞまぁそんな恨みを買い続ける様なやり方で財を為した物ですわ」
危ない橋を渡り続けながらも、時には神宝に分類される様な希少な品を手に入れたり、神器や神剣なんかを差し押さえる事も有った……と、当時の当主が書いた日記には記されているらしい。
そうした物は只欲しがる者に売り払うのでは無く、京の都の公家……神宝院に、相応の礼程度の額で引き渡す事で『錦の御旗』とまでは行かずとも、朝廷に貸しを作り陰陽寮の実力者を護衛として借受たりして居たそうだ。
良くも悪くも乱世の時代だからこそ出来た商売の仕方で有り、恨み辛みを買ってもソレを暴力で押し潰す事が出来る様に立ち回ったからこそ、そうした外道とも言える商売で財産を作る事が出来たのだろう。
けれどもソレも戦国時代末期『六道天魔の乱』へと至り、地獄への坂を転がり堕ちる事に成る。
彼が融資した武家が六道天魔の軍門に下り、回収不能に成る債権が多数出たのだ。
例え相手が武士だったとしても、同じ人間ならば力尽くで解決する自信と実力が有ったからこそ成り立って居た商売だったが、相手が人間なんぞ一山幾らで蹴散らす鬼や妖怪を多数使役する天魔とも成れば取り立て等出来る筈が無い。
「さて困ったゾと言う状況に成って縋り付いたのが対六道天魔の急先鋒と成って居た家安公、去れど彼にはもう既に火元国中から選りすぐった無数の大店が支援を申し出て居り、我が御先祖様が商才を振るう余地は全く無かったらしいですわ」
当然と言えば当然だろう商人達には商人達の伝手が有る、下海屋が阿漕な商売で財を為しさらなる欲をかいた事で大損しそうに成った事も自業自得としか言い様が無く、義理も人情も無い商売をして居た彼を擁護しようと言う商人は誰一人居なかったらしい。
「そのまま損切りした所で其れ相応の財貨は残っていたんだし、真っ当な商売に鞍替えすりゃ良かったんですが、我が先祖ながら強欲な性分は捨てられ無かったんでしょうねぇ。彼は六道天魔方に商売を持ち掛けたんだそうです」
文字通りに其れをすれば、火元国に生きる全ての人間と世界樹の神々に対する裏切りで有り、神の権能で一瞬で『居なかった事』にされる可能性の有る行為だ。
しかし彼は六道天魔達と商売をすると言う名目で連中に近づくと同時に、禿河方に情報を流すと言う間諜の真似事をする事で、上手くどっちにも良い顔をする『蝙蝠』と成ったのである。
とは言え、六道天魔の方もソレを知っていて泳がせて居た節も有る……と言うのは、彼の日記に書かれて居た話で、六道天魔側も霞を食って生きている訳で無し、何処かから物資を買い入れる必要は有ったが故に切り捨てる前提で便利使いして居たのだそうだ。
そうして決戦の地と成る『跡ヶ原』へと六道天魔と其の軍勢を引き入れる事に成功した彼は、其のドサクサに紛れ六道天魔の拠点へと押し入り債権回収と称して、人の世界から失われた御宝を幾つも手に入れたと言う。
「とは言えソレは太祖様達を囮にして手に入れた様な物で、丸っと自分の物にしてしまえば後に残るのは、六道天魔すら下した歴戦の古強者達の恨み辛み……流石の御先祖様も諦めて証文通りの分以外は全て幕府に差し出したんだそうです」
その際に家安公は足下屋の先祖に対し『これから我等が築く泰平の世では人様の足下を見る様な商いは許さん、その事を心に刻み忘れぬ様に足下屋と見世の名を改めるが良い』と言われたのだそうだ。
「そんな訳で幾ら商売人としては縁起の悪い名とは言えど、太祖様から賜った物で有る以上、商売人を辞めるんでもなけりゃ末代まで伝えにゃ為らん名と成った訳ですわ」
そんな先祖の逸話が有るが故に、彼等足下兄弟は『暴利を貪る様な無粋な商いはしない』と心に決めて各地の見世を護っていると言う。
「そんな訳で名前は兎も角、商売人としては価格相応に信用出来る見世だから、他の大陸でも火元国由来の品が欲しかったら取り敢えず足下屋を探すと良いわ。私ももうお米とお味噌とお醤油の無い生活には戻れないものねぇ」
足下屋は此の地以外だと北方大陸最北端の街、南方大陸の帝都、東方大陸中心部に有るカズマ運河の畔、火元国の本店は京の都に有ると言う。
其れ等の見世が有る場所は何処も他に火元国の食材を扱う様な見世が無い場所で、火元人やお花さんが遠征する際には本当に重宝して居ると言う。
「火元国の品以外でもこの見世で頼めば、他の見世に取り次ぎもしてくれるし、組合と此処を押さえて置けば此方で稼ぐのにも支障は無いわね。後は自分で情報収集を重ねて火元国と此方の戦場の違いを体感して行けば大丈夫な筈よ」
予想外との遭遇も幾つか有ったにせよ、こうしてお花さんが案内してくれた事で、俺達は此のワイズマンシティで鬼切り者として活動出来る最低限の情報を手に入れる事が出来たのだった。




