九百七十八 志七郎、価格と食材の格差を知る事
閑古鳥が鳴いていた……と言うと人聞きが悪いが、あの時点で俺達以外に昼食を食べに来ている客の居なかった帝王餐庁とは違い、此方の見世には数えるのも面倒に成る程の行列が出来て居た。
とは言え早飯店を思わせる見世構えの通り、料理の提供は可也早い様で此処から見る限りでは、行列はサクサクと前に進んでいる様に見える。
見世に掲げられた看板には『四天鳳王』と書かれているが、コレは漢字の方が当て字なのか? それとも西方大陸語の方が意訳なのか? 一寸分かり辛い。
ただその見世の名を記した看板には四羽の火の鳥が描かれている事から察するに、恐らくは何方でも通る様に意匠を凝らした物なのだと思う。
先に並んだ人達が帳場で受け取っているのは、向こうの世界の米国映画なんかで見る事の有る四角い紙箱に入った『何が』や、寒い季節には何処の便利屋でも売っているであろう『中華饅』の様な物である。
紙箱で提供されている品物が何なのかまでは一目では分からないが、列に並んでいる間に注文を決めれる様にと言うだろう、見世にもその周辺にも献立が描かれた張り出しが何枚も張られていた。
ソレに拠ると中華饅は『肉饅頭』と『咖喱饅頭』に『比萨饅頭』が有る様だが、残念ながら日本では定番中の定番の一つだった『餡饅』は無いらしい。
そして紙箱で提供されいて居る料理の方は、主菜と成る料理として『野菜とランチョンミートの炒め物』を『大蒜』『黒胡椒』『唐辛子』の三種類の味付けから選ぶ事が出来る様だ。
その下に主食として『白飯』『炒飯』『炒麺』『野菜盛り合わせ』のどれかを入れて出来上がり……と言う物らしい。
……うん、本気で米国風中華料理の持ち帰りぽい感じだが、コレももしかしたら向こうの世界から来た者の影響が有るんじゃ無いか?
考えて見れば火元国にだけそうした異世界人の影響が有るなんて都合の良い話は無いだろうし、逆に向こうの世界の日本人だけが此方の世界に来ていると言う事も無いのだろう。
ソレこそ三把刀に区分される技術を持つ者ならば、世界を越えたとしても冒険者として命を賭す以外の方法で生活を成り立たせて、地元の者と結ばれ此の地に骨を埋めて居ても不思議は無い。
料理の腕その物は料理人の精進の結果だろうが、こうした向こうの世界である程度成功して居ると思われる商売形式は自然発生した物の可能性も有るが、恐らくは向こうの世界から来た者の入れ知恵なのでは無いだろうか?
「お次の方、何をご注文ですか?」
と、行列に並びながら周りを見渡しそんな事を考えていると、店員と思わしきジーンズのホットパンツとタンクトップと言う米国風な格好の狐系と思わしき獣耳族の少女が声を掛けて来た。
どうやら並んでいる間に注文を取って、調理し帳場に付いた時点で受け渡しと支払いをサクッと済ませる……と言う方式らしい。
「私は良いわ、この子達の付き添いだから。さぁ貴方達は好きな物を食べなさい。一人前で足りないなら大盛りや特盛にしても良いわよ」
見た感じ一人前は小さめの丼物と言った感じで、大盛りは二人前の主食+主菜二種類盛り、特盛は三人前の主食に三種の主菜全種盛りだ。
まぁ具材は全く同じ物でしか無いが、同じ味付けで山盛りにされるよりは、味付けが変わるだけでも食べ易さに差は出るだろう。
「余は白飯三人前に具材全種の特盛で頼む」
「オラは炒飯と炒麺の合盛りに黒胡椒と唐辛子でお願いするだ」
「拙者は白飯と野菜盛りに黒胡椒と大蒜を頼むで御座る」
「俺は炒飯と炒麺に野菜の三種盛りで主菜も全種盛りの特盛でお願いするよ」
常人の三倍食うのが普通な猪山人の血を引く俺は兎も角、他の面子も見事に大食らいに成長して居るのは、育ちざかり食いざかりを家の屋敷で生活してきた影響だろう。
張り出しに書かれた値段を見るに、確かに帝王餐庁で支払った金額と比べれば誤差の範疇と言える額なので、俺も遠慮する事無く特盛を頼む事にした。
個人的には白飯ばかり食っていると脚気に成る可能性が高く成るので、他の物もしっかり食う様に言って置きたいが、区分的には丼物と呼べる様な料理で野菜もしっかり入っている様なので此処で言う必要は無いだろう。
しかし……ミェン氏が言ってた通り値段設定的にも料理の種類的にも、客層が被らない様にして食い扶持を奪わない様に配慮したと言葉に嘘は無さそうだ。
「アイアイ! 注文承りましたー! 此方伝票を持って帳場に着くまでお待ち下さい!」
注文担当の少女が鉛筆で記載した伝票を千切り取り此方に手渡して来る、彼女が持って居る黒い紙は多分カーボン紙でソレを使って手元にも同じ内容が転写されているんだと思う。
「貴方達はもう魔法が使えるし自由に外出しても構わないわ。外で食べるのなら何処の見世に行っても良いけれど、此処より安いお見世で食べる時は基本的に美味しい物は出て来ないと思って間違いないわ」
そう言うお花さんの言に拠ると、腹に入れば皆同じ……と考えるならば此処より安い見世は幾らでも有るが、早くて安くて美味い物を食いたいと思うならばこの見世の価格が最低線と言えるらしい
『早い美味い安いの三拍子』は某牛丼屋の宣伝文句だったが、この街ではこの見世がソレを体現して居る様だ。
そう考えればこの見世に行列が出来ているのにも納得が行く。
見た感じ並んでいる者達は皆身綺麗とは言い難い装いの者が多く、その殆どは労働者階級でこの見世の近くで土木作業に従事して居る事が容易に想像が着いた。
此処から遠い現場で仕事して居る者は外食するならば、此処より安くて不味い見世か高い見世で食事を取るしか無い訳か。
「ちなみにドン一家は歴史が古いだけ有って、この見世と同じ様な店舗を他の街区にも幾つか出店していて、他にも酒場なんかも何件か持っているわ。まぁ貴方達はその手のお見世に出入りするのは未だ早いけれどもね」
ミェン一家が高級飲食店一店舗で、一家に所属する冒険者以外の者達の食い扶持を確保して居るのに対して、ドン一家は幾つもの店舗で薄利多売の商売をして稼ぎを得ている様だ。
とは言え、使っている食材も含めて価格帯が大きく違うが故に客を奪われる事を恐れる必要は無い様にも思えるが、高級店を出している者が廉価店を出すのは然程難しい事ではないし、ミェン一家が経営拡大に乗り出す事を恐れるのは理解出来なくは無い。
高級料理を作る腕が有る者が安い食材を使って安い料理を作るのは、安い食材を使って安い料理を作った事しか無い者がいきなり高級食材を使って高級料理を作るよりも、圧倒的に簡単な筈だからだ。
分かりやすい例を上げるならば、本職の料理人が普通のスーパーマーケットで売っている食材を使って美味い家庭料理を作る事は簡単なのに対して、一般的な主婦が高級食材を使っても高級店の味を再現するのは難しい……と言う感じだろうか?
恐らくはミェン氏が作ろうと思えば、この見世で出している物と同程度の料理を同じ様な値段で作るのは簡単だろう。
けれどもこの見世の料理人が帝王餐庁と同じ食材を使って、同等の料理を作れるかと言えば……まず間違い無く無理だと思う。
帝王餐庁の料理はミェン氏と言う優れた料理人の腕が有ってこそ成り立つ名人芸と呼んで差し支えない料理だからだ。
「はい、次の方ー。伝票お願いします……はい、確かにお代丁度頂戴しました。量多く成っていますのでお気をつけてお持ちください」
お花さんが伝票と一緒に数枚の貨幣を渡すと、紙の箱では無く紙の大皿が四枚、割り箸を添えて出てきたのだった。




