九十六 志七郎、戌と戯れ、世界を思う事
力強く踏み出した足が地を掴むと同時に、全身を鞭の様にしならせ大きく振りかぶった腕を全力で振りぬく。
「そーら、取ってこーい」
足腰肩肘それら全てが連動し生み出された力の全てが、最大限伝わるタイミングを見計らい俺はそれを手放した。
「わん! わん!」
「ばう! わう!」
「わおーん! おん!」
三者三様の声を上げながら四煌戌は放たれた矢のような勢いでそれを追いかける。
「「「おん!」」」
綺麗に揃った叫び声と共に、その体躯からは信じられないことながら1メートル近くの高さまで跳び上がり、見事に空中で骨をキャッチする。
そして着地と同時に殆ど勢いを殺さぬまま全力疾走で此方へと駆け寄ってきた、今回は御鏡がキャッチしたらしい。
「よーし、よくやったぞー。紅牙に翡翠もだ、ほらお前たちにもご褒美だ」
わしわしと両手で三つの頭を代わる代わる撫でながら褒めて、骨を取れなかった紅牙と翡翠にも同じ様な大きさの骨を与える。
ほんの数週間前までならば、三つの首が互いに身体の主導権を奪い合うような形で足を引っ張り合い、あんなふうに一直線に走っていく事は出来なかった。
同じような事は二首の犬――双頭犬でも起こる事らしく、仁一郎兄上や散歩の際に会った双頭犬を連れている人等に相談し、彼等から得たアドバイスを元に徐々に訓練を重ねた結果である。
今やっているのも、ただ遊んでいた訳ではなく狩りの訓練を兼ねた運動で、石喰い牛の骨を投げていたのだ。
どれか一つの首を贔屓しないとか、どの首がキャッチして持ってきても3匹を平等に褒めるとか、キャッチした首以外にも骨をあげるとか、兎に角3つの首が協力すれば良い事が有る、と繰り返し教えこむのである。
走ったり飛んだり出来る様になってからも、キャッチした骨を奪い合ったり、俺の所へ持ってくる前にその場で噛み砕き食べ始めたりと、中々上手くは行かなかったのだが、どうにかここ迄躾ける事が出来た。
結構な期間苦労し躾けたと思っていたのだが、兄上に言わせればこの子たちはかなり物覚えが良く楽な部類らしい、物覚えが悪い子はどれほど苦労させられるのか怖い話である。
兄上やお花さんとの相談の結果、この子たちはただ魔法を使う為の霊獣としてだけ育てるのではなく、ある程度猟犬の真似事が出来る様に育てるべきだ、と言う話になったのだ。
元来霊獣というのはその殆どが野生であり、優れた霊獣というのはやはり自然の中で強く育った者なのだと言う。
無論、この子たちの様に幼い頃に人間と契約をした霊獣が居ない訳では無いが、その大半は野生種程強い力を持たず、例外的に強い力を持つ者はその殆どが貧しい家庭の子と契約し、日常的に狩りを必要としていた場合なのだそうだ。
そんな訳で兄上の指導に従って、四煌戌に対して猟犬候補の子犬に施すべき訓練をしているのである。
最低限『待て』や『来い』『取って来い』が確実に出来る様になれば鬼切りに連れて行く許可も下り、それに参加する事でこの子たちの格を上げる事が出来れば、魔法を使う日も近づくと言うからには、頑張ってもらわねば成らない。
だが、通常一年程度で成犬となる普通の犬とは違い、霊獣である四煌戌は成犬と呼べるほどに成長するまでには大分時間がかかるらしい。
また、同種の霊獣はお花さんでも見たことも聞いた事も無いと言うので、実際どれ位まで成長するのか解らないので、成長具合を推し量る事も難しいのが現状である。
その為、焦って訓練を強行する様な事をしては、成長の妨げと成りかねないとも戒められているので、この子たちが飽きてきたら今日の訓練は終わりだ。
「よし、次行くぞ!」
「「「わぉん!」」」
とはいえ、おやつタイム兼運動タイムはこの子たちにとっても望む所と言った具合であり、疲れ切ってへばるか、骨の在庫が切れるまで繰り返すのでは有るが……。
「んー、志七郎君もわんこ達もかなり元気になって来ましたね。そろそろ座学以外の訓練も始めましょうか」
四煌戌の運動時間も終わり、午後の授業を始める段になってお花さんはそう言った。
どうやら、さっきまでのトレーニングを見て居たらしい。
ちなみに今日は体力切れでは無く骨が尽きたので、終わりにした所である。
明日からは、朝の散歩の距離をもう少し伸ばしても良いかもしれない。
と、そんな事より先ずはお花さんの話をちゃんと聞かないと……。
「今日から単属性最下級魔法の練習を始めましょうか。火、水、土、風の順番に習得してもらいます」
契約を結ぶ時は兎も角、魔法を使う際は術者に殆ど負担は無い、その分精霊や霊獣はその身に宿した言わば精霊力とでも言うべき物を消費して魔法を発動させる。
身の丈に合った魔法であれば、負担と言うほどの物では無いが、四煌戌はその身に宿した力のバランスが崩れた事で体調を崩しかけていたのだ、極力負担の少ない順番に魔法を覚えていくのが良いだろう、と言うのがお花さんの判断である。
力の量としては、土、火、水、風の順に強いらしいが、土の力は三匹全てが共有しているので、未だ万全とはいえない翡翠を慮っての事だそうだ。
呪文書の写本も単属性はもう終わり、今は複合属性に差し掛かかり、最下級であれば呪文もほぼ暗記出来ていた。
呪文書は西方語と言う英語にもよく似た言語で記載する様に指導を受けたのだが、呪文の詠唱その物は火国語で構わないらしい。
と言うか、詠唱自体は母国語で行われるのが普通なのだが、お花さんは世界を巡る旅の中でこの世界で主に使われる7つの言語全てで詠唱が出来るのだそうだ。
彼女の話では『意味不明な言語で呪文を唱える魔法使い』と言うのは、地域住民から恐怖の目で見られ排斥の対象になりやすいが、『自分達の解る言語での詠唱をする魔法使い』は概ね好意的に受け入れられやすいのだと言う。
では何故呪文書は西方語に限るのか、それは精霊魔法の本場であり総本山とも言える場所『精霊魔法学会』が西方大陸に有るからだそうだ。
「精霊魔法を極めるとなれば、魔法学会には一度は行くべきです。幸いこの子は四色ですから『転移』を覚える事も可能でしょう、そうなれば簡単に往来出来るようになりますよ」
四種複合『時』属性、その中位魔法である『転移』は、一度行った事の有る場所ならば、たとえ世界の端から端であろうとも一瞬で行き来出来ると言う、ファンタジーの中でもポピュラーな部類の魔法である。
複数の精霊や霊獣を組み合わせることで、複合属性の魔法を使うことは不可能ではないため、世界中で見れば『転移』の使える魔法使いと言うのは決して少なくはないのだそうだ。
当然ながらお花さんもその魔法は使うことが出来、今回の来火もセバスさんを連れて猪山藩の国元へとやって来たのだという。
それは密入国ではないのか? とその話を聞いた時には思ったのだが、関所破り同様に関所のない場所を実力で突破する分にはなんの咎めも無いのだそうだ。
海を渡って密入国やら密輸やらは有りそうな物だと思うのだが、火元国近海は魚竜と呼ばれる巨大な魚の巣窟で一寸やそっとの船が渡れる場所では無いらしい。
そう言われて思い出すのが、信三郎兄上と海に行った時に釣り上げた巨大魚『雷帝魚』である、あれだって近海で釣れる範疇の魚だというのだから、遠洋となればどれほど巨大な化け物が出たって不思議ではない。
「西方語と世界樹語は世界に出るには必須といえますし、魔法の勉強と平行して教える様に言われてますから、しっかりと学んでいきましょうね」
ニッコリとそう笑いながらそう言われ、俺は課題がまた目の前に積み上げられたのを感じ、少しだけ生まれ変わった事を後悔したのだった。




