九百七十四 志七郎、美食を堪能し息子心配する事
生姜と大蒜それと名前も分からない香辛料が使われた汁の絡んだ湯引きした牛肉は、汁の濃い味に負ける事無く肉本来の旨味が一噛み毎に口いっぱいに広がる逸品で、前世の日本でも四千円位は出さねば食べれない品だと思う。
……なんか某バラエティ番組の長寿コーナーでヤンキーに扮した芸能人が、料理の値段を当て合う奴に近い思考に成っているが、自分で出す訳では無い状況で普通ならば口に出来ない様な高級料理を食べる機会が有れば大概の人はソレを考えるのではなかろうか?
いやまぁ江戸の屋敷で普段食べている睦姉上の料理も、前世に普段食べて居た物と比べたら圧倒的に美味いし高級だと言う事も分かっているし、一部地域の人の様に値段が高いと知ったら旨く感じる様な味覚は持ってないんだけれどもね。
「今日の主菜は乾焼明蝦ネ! 運が良かたネ、コレ頭まで殻毎食べれる新鮮な蝦が手に入た時しか作れないネ、普段なら頭も殻も取った乾焼蝦仁に成る所ヨ!」
乾焼蝦仁は此方の世界へと戻ってくる最中に泊まった宿でも食べた覚えが有る、日本でよく食べられている海老のチリソース煮をもっと煮詰めて汁を少なくした様な料理で、あの宿で食べた奴は割とガツンと辛かった奴だ。
対して今回この見世で出された乾焼明蝦は頭も殻も着いたままの海老を揚げて、真っ赤な汁が僅かに絡んでいる……と言う感じで、やはり日本で食べるエビチリと比べると汁気が少ないのが印象的である。
殻が着いたままの海老と言うので一寸身構えた風な武光達だったが、俺が先に箸を付けバリボリと音を立てて食べて見せると、普通に食える物だと安心した様子で同じく箸を伸ばす。
単品で食べる前提の味付けに成っているらしく、馬鹿みたいに辛いと言う事は無く、頭や殻が良い感じの歯応えを感じさせつつ、身の甘さと味噌の濃厚さが引き立ついい塩梅の味付けだ。
コレは確かに頭付きじゃなければ味わえない独特の美味と言って良いだろうし、汁に負けない濃厚な味噌が詰まった海老が十分な量仕入れる事が出来なければ出せない料理だ、運が良いと言うのは確かにその通りだろう。
「甲魚湯ヨ! アチアチだから気を付けて食べるヨロシ。コレ食べるお肌プリプリに成て若返る……けど、皆若いから必要無さそうネ! でも美味しい間違いないヨ!」
大ぶりの海老を六尾程使ったソレを食べ切り、茉莉花茶を一啜りして口の中を初期化した所で、亀らしき物が入ったスープが出てきた。
コレは海亀だろうか? 俺の記憶が確かならば向こうの世界では海亀の類はどの種も絶滅危惧種に指定されており、一部の例外を除いて捕獲は認められていなかった筈だが、そうなった原因は人間が大量に食べた結果だった筈で、つまり海亀は美味しいと言う事だ。
そんな事を考えながらスープを一口飲んで俺は自分の勘違いに気が付いた。
向こうの世界で何度か食った事が有る……コレは鼇だ!
中に入っている足と思しき肉を齧り、ソレが間違いないと確信を持つ。
まる鍋は前世に京都方面の事件で合同捜査本部へと出向した時に、地元の刑事に連れられて一見さんお断りだと言う専門店で口にして以来、大好物に成った料理で都内でも同水準の物が食べれる店が有ると知ってからは度々通った思い出が有る。
……まぁ鼈で精を付けてもソレが役に立った事は一度も無く、結局は自室で艶本片手に空打ちするだけだったんだけどな。
しかし今の『息子さん』に元気が無く、ソレを回復させる為に精の付く物を色々食べる必要が有る今生の俺に取っては最良の一品と言って良いだろう。
「美味いなコレ……外つ国ではこんな美味い汁が出る生き物が居るのか……」
どうやら武光は鼈初体験だった様で、そんな台詞を漏らして居る。
「いやコレは火元国でも食べれる筈だ、甲魚ってのは火元国で言うならば鼈の事の筈だ……ですよねお花さん?」
冒険者として長年世界中を旅して来た上に、世界最強格の大魔法使いとして、各国の上層部にまで顔が効くと言う彼女ならば、当然鼈も食べた事が有るだろう。
「ええ、正解よ。火元国だけで無く東方大陸や南方大陸でも鼈は何処でも高級食材の一つに入るわ。まぁこのスープを味わって見れば何故高級品として扱われるのかは自明の理と言う奴でしょうけどね」
「ほう! コレが鼈か! 確かに火元国でも帝にも献上される品の一つにコレが有ると聞いた事が有るが……確かにこの味ならば朝廷御用の品と成るのも頷けるな!」
「お蕾とお忠もしっかり食べるのよ。白が言っていた通り、コレは女性が食べればお肌に良いし、殿方が食べれば精が付くと言われてる品だからね。まぁ精云々は貴方達には未だ早い話でしょうけれども」
俺の下半身の事情は、母上経由で花さんにも行っているとは聞いて居り、ソレを改善する為に必要となるだろう食材の調達には彼女も協力してくれる事には成っている……が、此処は日替わりの一式料理だけの店なので鼈が出てきたのは偶然だろう。
「アイヤー、皆食べるの早いね! 爸々が料理作るの追いつかないヨ! 取り敢えず次の料理出来るまで、コレで凌ぐヨロシ」
そう言って置いて行ったのは蓋の乗った小さめの蒸籠で、開けて見ると中には四色の焼売が入ってた。
パッと見る限りでは、一つは肉焼売、もう一つは皮の変わりに葉物野菜が使われた翡翠焼売と言う奴で、もう二つは見た感じでは恐らく海老焼売と蟹焼売と言った所だろう。
次の料理が出来るまで……と言う事は、コレは本来の一式には含まれていない品と言う事なのだろう。
この見世なら昼食時間と夕食時間の間に飲茶を楽しむ事が出来る様に成っていても不思議は無いし、その時に出す為の点心なのかも知れない。
手元の盃に入っていた茉莉花茶を飲み干してしまったので、烏龍茶をお代わりに貰い焼売を口にする。
「お待たせね! 帝王餐庁自慢の逸品、帝王炒飯ワイズマンシティ風ネ!」
そう言って配膳されたのは、長粒種の米が卵と油に包まれ金色に輝く美しい炒飯で、具材は人参と秋葵そして此の街では最も一般的な食材であるランチョンミートが入っていた。
恐らくはランチョンミートを肉として使用して居る事で、ワイズマンシティ風と銘打っているのだろう。
此処まで食べた高級中華としか言い様の無い品々に比べると、入っている具材は少々見劣りする物の様に思えたが……
「「「「美味!?」」」」
初めてでは無いだろうお花さんを除く俺達は一口食べるなり声を揃えてそんな言葉を漏らす程だった。
ランチョンミートに使われているだろう無数の香辛料と炒めたソレから染み出す脂、その味を計算入れて他の調味料を加減して居るだろう此の炒飯は、学会の食堂と同じ素材を使って作られているとは思えない程の味である。
なんと言ってもコレは脂の扱いが違うのだろう、学会の食堂で出されているパエリアの様な物も、此の炒飯と同じく長粒種を使っているが、あっちは味は染みて居るが脂っこい感じなのに対して、此方は油も脂も入っている筈なのにソレが全く過剰では無い。
ほんの少しでも過ぎれば諄く成るだろうソレを名人芸とでも言うべき見切りで加減して居るに違いない筈だ。
最初に一言思わず漏れた以上の言葉を発する事も無く、俺達は箸を動かし炒飯を綺麗に平らげた。
「最後は甜點ネ。今日のは珍珠椰奶ヨ」
白いスープの様な物に黒い粒々が入った小鉢と匙、コレは前世に食べた事が有る、タピオカ入りのココナッツミルクだ。
想像通りの味だが……向こうで食べた物よりも優しい甘さに思えるのは気の所為だろうか?
甘い物が出てきたと言う事は甜點と言うのは恐らくデザートを指す言葉なのだろう。
と言う事は、コレで一式料理を全て食べきったと言う事になる、味は満点を付けても良いが……正直食い足りないと思って居るのは、一同の顔を見れば丸わかりである。
うん、子供達の腹は俺も含めて随分と猪山に染まっているんだなぁ……と思わず遠い目をしてしまうのだった。




