九百六十四『無題』
武芸の腕前も氣の扱いも『未だまだにしてはまあまあだ』……と御師匠様から御墨付を頂き、あーしも志七郎様のお伴として西方大陸へと行く物だと思っていたが、御隠居様の鶴の一声で置いて行かれる事に成った。
「武芸はまぁ良し氣も並の侍程度にゃ扱えている。だが今のお前さんは未だまだ礼儀や所作が成っちゃ居ねぇ。そのまんま連れていけば志七郎の奴が恥をかく。その辺の仕込みと万が一の時に彼奴の足手纏に成らねぇ様に今の内に修行する期間だと思って置け」
確かにあーしは下町の孤児院を勝手におん出た与太者で、礼作法の類は禄に習った事も無い。
一応、盗人働きの際に世話に成った親分には上下関係をしっかりと守る為に、多少の敬語の扱い方は教えて貰ったが、ソレだって盗賊団の中での物なんで他所様で通用する物かどうかは怪しい所だ。
命の恩人で有りお仕えするべき人で有る志七郎様の恥に成るとまで言われて、其れでも我を通す事を選ぶ程にあーしは子供じゃぁ無い。
志七郎様が出港してからは御隠居様の言い付け通りに、朝の稽古の後は下屋敷に屯して居る中間者の若い衆に、御武家様に仕える者としての礼儀作法や所作を習い、その対価分を稼ぐ為に数日に一度は鬼切りに出る……と言う様な生活を続けている。
あーしの生活費や習い事の対価は本来は主で有る志七郎様が支払うべき物で、自分で稼いで来る分は全部小遣い銭にしちまっても良いとは言われたが、ソレをホイよってんじゃぁ男が廃るし、江戸っ子がするべきこっちゃ無い。
志七郎様からお下がりで貰った鎧兜はちっとばかり動き辛いが、ソレが有るから生命が助かったと言う状況も何度か有ったので、武芸の方も本当に御師匠様が言う通り『未だまだ』なんだろう。
但し屋敷の武器庫から借りて居た旋棍の方は、丁寧に手入れをした後お返しした……自分で集めた素材で今の身体に合わせた拐を作ったのだ、ソレも只真っ直ぐな棒に取手を付けた物では無く打突部分が刃に成った物をだ。
より正確に言うならば、利き手で有る右で扱う拐は刃物とし、逆手に成る左で扱う方は棒のままで防御と打撃に扱い易い様にと工夫を凝らして見た。
世の中にゃぁ打撃が効かない鬼や妖怪も居れば、斬撃や刺突が効かない奴も居る、なので折角両手に其々持つ形式の得物なのだから……と考えた末の決断だった。
実際、戦場で使ってみれば鎧を纏う事の無い獣系の妖怪を仕留めるにゃぁ、打撃よりも斬撃の方が圧倒的に早く、偶に遭遇した大鬼や大妖と言う程では無いにせよ今のあーしにゃぁ十分強敵と言える相手にゃ左の防御力に随分と助けられた物だ。
そうしている内に奥方様から武家の養い子として恥ずかしく無い教養も身に着けろ……と算術や文字と言った手習い事や、三味線やお琴の様な楽器まで習わされたのは、ちと想定外だったが、頭に氣を回す練習に成ったからまぁ良しと言う事にしよう。
そんな感じで二月ばかり経った頃だ
「ふむ……そろそろ本当に最低限見れなくは無い程度には成ったの。では次は志七郎の足手纏に成らぬ為の業を習いに行くぞ」
と、そんな事を御隠居様に言われ、米俵の様に担がれて、物凄い速さで空を走る事大凡一刻程……だと思う、兎角其れ位の時間氣を使って目を強化してすら周りの景色がすっ飛んで見える速さで移動した先は『裸の里』と言う所だった。
「志七郎の奴は此処で裸身氣昂法と言う業を二月掛からず物にしおった。まぁアレは常人では無い故にお主に其処までは求めぬし、身の回りの事は自分でやらねば成らぬ分、彼奴程修行に専念は出来ぬ故暫くは此処に居る覚悟で修行に励むのだ」
志七郎様が此処で修行をした際には、御隠居様の付け人だと言う忍術使いの方が身の回りの世話を全てしたそうで、本当に修行以外の雑事は一切無しで励む事が出来たらしい。
けれどもあーしは志七郎様付きの小者と言う扱いなので、そんな贅沢な真似は許され無いし、寧ろ志七郎様が旅をすると成ればその世話は自分の仕事である。
自分の面倒も見れない者が他人の世話等出来る筈も無い、此処での生活もまた志七郎様の下に仕える者としての修行の一環なのだとそう思う事にした。
「今のお主であれば豚鬼程度は十分倒せるが、鬼切りに出るのは戦場の気配を忘れぬ程度にして修行を第一に考えよ。滞在に掛かる費用は儂が出して置くでな。何時もの様に男が廃る等と申すなよ? コレは儂の大人の矜持から出す銭よ、儂に恥をかかすでないぞ」
大人の矜持から出すとまで言われ、恥をかかせるなと念押しまでされたなら、ソレに否と答える事はあーしの立場じゃぁ出来やしない。
恩返しを考えるならば、一日でも早く裸身氣昂法とやらを身に着けて帰り、志七郎様が帰国された際には足手纏等と言われぬだけの実力を身に着けて置く事だろう。
「はい、お気遣い痛み入りやす」
両膝を地に付けて座り両手の拳を地面に押し当て、額に土が付く程に深々と頭を下げつつそう返事を返す。
相手は主人の祖父で先代藩主様、対してこっちは何処の馬の骨とも知らない孤児の出で、しかも脛に傷を持つ元盗人だ、こうした場合に取るべき礼は最高位の敬意を示す必要が有る。
「取り敢えず適当に様子は見に来るから精々励むのだぞ?」
と、そう言って御隠居様はあーしが着ていた物を全部脱がすとお盆一枚を渡して来た。
何の冗談かと思えば、御隠居様も褌すら残らず脱いで、小さな黒い丸が先端に付いた棒で逸物を隠して里の有ると言う方へと歩いていく。
「え? もしかしてこのお盆で物を隠して着いて来いって事ですかい?」
本気か? あーし担がれてるんじゃぁ無いか? いや……確かに此処まで担がれて運ばれたが?
なんて事を考えつつも、あの悪名高い御隠居様がこんな下らない冗談の為に、態々こんな所まで出張る事は無いだろうと考え、疑問の声を上げつつも手にしたお盆で物を隠して着いていく。
するとその先には同様に全裸で大事な部分だけを棒やお盆に扇子なんかで隠した者達が、見える範囲だけでも両手の指に余る程に居る場所が広がっていた。
「おお! 猪山の御爺お久しゅう御座る。しかしソレは行けませぬ! 女児は例え胸が腫れて来る前でも、上も隠すのが我が里の仕来り、お盆一枚では無くもう一枚持たせねば此処は通せませぬぞ」
此処から先が本当の意味での裸の里なのだろうと言う場所まで来た所で、猿回しと思わしき比較的若い男の人にそんな言葉で呼び止められた。
……うん、自分の面の事ぁ誰よりも自分がよく知っている、女児にも見紛う様なってな面立ちなのは生まれた頃からの話で、だからこそ陰間茶屋に売り払うなんて話にも成っていたのだ。
「あーしは男なんですわ。んだからお盆は一枚で結構です」
服を着ていないと相手が御武家様なのか町人階級の者なのか判断が付かないが、大人相手と言う事で取り敢えずは丁寧な口調を心掛けて置く。
「ゑ!? 男!? ああ本当だわ、お盆の影から小さくて可愛い物がチラチラと見えてるわ」
苦笑いを浮かべてあーしの股間を指差しつつそんな事を言われた……。
「志摩よ、此処での修行は如何に隙を減らすかと言う物でも有るのだ。どの角度から見られても物が見られぬ様にきっちり隠し切る事が出来れば、ソレだけでも武芸の腕が一段上がると心得よ」
他の誰かに言われたならば冗談か、それとも馬鹿にしてんのか……と思うだろうが、御隠居様に限ってそんな事は絶対に無いと断言出来る。
「はい! 御隠居様。お言い付け通りにあーしは此処で修行し、志七郎様の足手纏に成らない男に成ります」
故に力強くそう返事を返す、
「うむ、では先ずは此処での師と成る者を紹介する様に、この里の長に会いに行くとするか。お主も御役目ご苦労だの、勝手知ったる他所の里ってな訳でいつも通り儂に案内は不要ぞ」
と、御隠居様は何処に何が有るのかを熟知した者の歩みで里の奥へとあーしを誘う。
その時は未だ知らなかった……あーしの師匠と成るお人が人並み外れた逸物の持ち主であり、美少年と美少女の双方を愛でる事の出来る衆道家で、ここでの修行の間ずっと尻の寒い思いをする事を……尻丸出しだけに……。




