九百六十三 志七郎、前世の特技を披露し新たな魔法に思考巡らす事
「お連、悪いけれど俺は一寸本を読みたいから、先に寝ててくれるか?」
夕食を終え自室へと戻った俺は少しの間お連と談笑した後、そろそろ彼女が眠るべき頃合いだと見計らいそんな言葉を投げ掛けた。
PCの画面端に表示されて居る時計の時間は二十時と、前世の感覚で言うので有れば子供でも寝るには少々早い時間だが、どんな方法にせよ夜間の灯りは向こうの世界の電灯程に気安く使える物では無い為、日が落ちたらさっさと寝るのが一般的なのだ。
その分朝起きるのも日が登るよりも早いのが普通で、日が昇ったら武芸の稽古をする時間……と言うのが火元国でも、このお花さんの屋敷でも共通していたりする。
前世の経験から徹夜や夜更かし慣れして居るとは言え、今の俺は『寝る子は育つ』と言う言葉の通り、身体の健康な成長の為には十分な睡眠が必要なのだが、ソレでもネット小説限定とは言え読書が趣味の人間としては睡眠より読書を優先したい時も有るのだ。
「はい御前様。連はもう眠く成って来たので、本当に申し訳無いのですがお先に床へ入らせて頂きます。ちなみに今夜はどの様な物語を読むのですか?」
同じ部屋で暮らす以上、ノートPCの事はお連にはある程度話して有る為、彼女は俺がその中に有る物語を読むと思っているのだろう。
「いや、今日は図書室で借りてきた炊飯魔法の論文を読みたいんだ。大丈夫、寝てるお連に余計な光が当たらない様に読むから安心して御休み」
前世の俺は子供の頃には常夜灯程度の灯りでも眠れなかった物だが、警察官に成って朝晩関係無く事件の度に呼び出される生活に慣れてからは、日が高い内でも高鼾で眠れる様に成っていた。
夜は暗いのが当たり前のこの世界で生まれ育ったお連も、多少の灯りですら眠るのに邪魔だと感じる性質の様で、俺達の寝室は二人が寝る時には完全に闇に閉ざされる様にして居るのだ。
ちなみにこの部屋に備え付けられている『灯火の術具』は、『鬼の角』なんかの魔物素材に秘められた霊力を電池の様に消費する事で、向こうの世界の豆電球より少し明るい程度の光を出す物である。
正直な所、この術具の灯りだけで本を読むのは、目に良くないだろうと思う。
しかし油皿や蝋燭の様な小さな火を提灯や行灯の中で灯して明りにするのが一般的な、火元国の夜間読書に比べれば此処の術具は十分に明るいと言える物だ。
その辺は流石は学問の都足るワイズマンシティで使われている術具と言う事なのか、月明かりや蛍の光で本を読むより大分マシである。
氣で視力を強化すればその明りでも十分に本も読めるが、灯火の術具は部屋全体を照らす様に設置されて居る為、此れを使ってしまうとお連の睡眠の妨げに成るだろう。
ノートPCに保存されて居るネット小説を読むだけならば、画面自体が光ってくれるので暗い部屋の中でも問題無いが、今夜読もうとして居るのは紙の本なので明りは必要不可欠なのだ。
ではどうやってお連に迷惑を掛ける事無く本を読むのかと言えば……向こうの世界へ行った時に狸寺の備蓄品から分けて貰った手回し発電機に付いているLED電灯を使うのである。
此の電灯部分は照らす範囲を変える事が出来る様に鎧戸が付いて居り、此れを広げれば角灯の様に広範囲を照らす事も出来るし、狭めれば懐中電灯の様に光に指向性を持たせる事も出来る……と非常に便利な物だったりする。
此れとは別に単独で使える太陽光充電式のLED角灯をもう一個向こうの世界から持ち込んで居るが、アレは此の充電器の様に明りの調整が出来ず只々この世界ではあり得ない程の光をバラ撒くだけの物なので江戸の屋敷に置いて来ている。
正直そっちの角灯より充電器として持ってきた此方の方が便利使い出来るとは全く思ってなかったんだよなぁ。
ただ本来の用途である充電器としての性能は正直微妙と言わざるを得ない、一時間位只管回してもノートPCの充電量は一分程度しか回復しないのだ。
ただ電灯としては一時間も回せば三時間近く使えるので、単純にノートPCが必要とする電力が大きすぎるのだろう。
まぁノートPCの充電は天気が良い日に太陽光板の付いた鞄を鎧戸を開いた窓辺に置いておけば十分に充電出来るので、手回し発電機は本当に緊急用だと江戸の部屋で使っていた時点で割り切っていたが……。
「それでは御前様、御休みなさいませ」
そんな事を考えつつ俺が寝台に明りが当たらない位置に椅子と卓を動かして居る間に、お連は寝巻きに着替えた様でそう言って布団の中へと潜り込む。
「ああ、御休み」
静かにそう返事を返してから、俺は改めてLEDを点灯させ本に目を落としたのだった。
俺の本の読み方は自分で言うのも何だが極めて独特な方法だと思う、何故かと言えば自己流の『速読法』とでも言うべき物を前世の段階で身につけてしまっていたからだ。
学校の図書室や図書館なんかで借りた本を、出来るだけ早く読みたいが故に編み出した方法で、普通の人が一行ずつ単語を追いかける様に読み、慣れてくると一文づつ読むのに対して、俺は三行ずつ纏めて読む様に練習していった。
そして最終的に一頁丸々上から下へと視線を動かすだけで一気に読み込む事が出来る様に成ったのだ。
とは言えこの読み方では、大まかな物語の流れを把握する事は出来るが、細やかな文章表現なんかは流してしまうので、一度そうやって速読した後に改めて気になった部分を読み直すと言う感じなのである。
但しこの読み方が出来るのは縦書きの新書判位までの本までで、横書きが基本のネット小説では上手く行かずどうしても一行ずつ読む事しか出来なかった。
学生時代には紙の小説を色々と読み漁ったが、社会人に成ってからは専らネット小説を読んでいたのは、一つの作品をゆっくり長く楽しめるから……と言うのが理由の一つだったりする。
好きなネット小説が書籍化した際には是非買いたいと思った作品も幾つかは有るが、残念ながらその機会に恵まれる事無く前世の俺は命を落とした訳だが……。
兎角そんな訳で然程長い時間を掛けずとも、取り敢えず『精霊魔法に依る炊飯魔法の可能性と考察』と言う呪文書と論文の間の子の様な本を一読する事は出来た。
その本に書かれていた結論として『炊飯魔法』は既に半ばまで完成していると言える状態に有るらしい。
但しソレは己の意思で物事をある程度判断する事が出来る『霊獣』の力と知恵を借りた方法であり、純粋な精霊力の集合体で自意識と呼べる物を持たない下級精霊では同じ呪文で飯を炊く事は出来ない……と言う事の様だ。
精霊魔法学会では精霊魔法の名の通り、精霊の力で十全に効果を発揮しない呪文は『完成』した物としては扱われれないのが慣例の為、今の段階では飽く迄も『研究中の未完成呪文』と言う扱いに成るらしい。
つまり今の段階でも四煌戌や焔羽姫の協力のが有れば『はじめちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火をひいて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな』を実践する事は可能だと言う事だ。
単純に俺が使う分には今の段階のままでも全く問題無いが、折角学会に留学して居るのだから、俺も普通の精霊と契約する事を考えるのは有りだろう。
四煌戌は四属性全てを持つ四色霊獣と呼ばれる存在で、焔羽姫の方は火+風+土の三属性を持つ三色霊獣なのだから、焔羽姫に足りない水の属性を補える様に水の精霊と契約する事が出来れば、将来的に四色複合時属性の二重掛けなんて真似も出来るかも知れない。
論文では炊飯魔法を精霊の力で為すには、加熱を担当する火属性の精霊と温度管理の為に火と土の属性を合わせて熱属性の魔法を組み合わせる必要が有ると考察されていた。
普通は同属性の下級精霊と複数契約する事はしない為、火属性二体が必要となるこの魔法は、途中で研究が打ち切られた様な形になっている様である。
此れは一人でやろうとせず、二人の精霊魔法使いが協力する事で割と容易に結果が出せるんじゃぁ無いか?
もう一度頭から読み直し、そんな推測が立った辺りでノートPCの時計を確認するともう直ぐ二十二時と言う様な頃合いに成っていた。
明日も五時には起きて四煌戌達の散歩をする事を考えるとそろそろ寝ないと不味い時間である。
俺は一旦、考えるのを辞めるとサクッと寝巻きに着替えて明りを消し、お連の隣に身体を横たえたのだった。




