九百六十二 志七郎、異国風の夕餉を食べ逢引に誘う事
ひとっ風呂浴びて風呂炊き当番を済ませた後に食堂へと向かうと、今日の夕食は昨日の豪華海鮮丼が特別だったと思わせるには十分な西方大陸料理をおかずに麦混じりの飯を食うと言うモノだった。
いや正確には『飯も選べる』と言う感じで、地元民だったり東方大陸より東側の所謂『お米の国』の者以外は、麦か若しくは玉蜀黍辺りの生地で作られた薄焼き麺麭の様な物でおかずを包んで食べている。
無論火元国から来た者の中にも挑戦者気質を発揮して、米の飯では無くそっちを女中さんに頼んでいる者もちらほら居た。
そして俺はと言えば、何が何でも米の飯が無いと生きて行けない……と言う訳では無く、寧ろ前世には色んな所へと出張や研修に行く度に、地元の郷土料理なんかを探訪するのを楽しんで居た口なので、当然今日も飯では無く其方の方を頼んでいたりする。
「別に俺と同じ物を必ず食べる必要は無いんだぞ? お連はお連で食べたい方を食べたら良い」
俺の真似をしたがっていると言うよりは『俺に従っている』と言う方が正しそうなお連には、予めそう言って置いたのだが……
「いえ御前様、連も此方を食べて見たいです。上手く作れば手巻き寿司の様で楽しそうですから」
と、そんな言葉で俺と同じく薄焼き麺麭を頼んでしまった。
あんまり強く俺と違う事をしろ……と言うのも違う気がするので、それ以上は言わないで置くが、変に俺の考えや行動に依存する様な成長はお互いの為に成らないと思うのは、俺が一度大人に成った経験を持ってしまっている弊害なのかもしれないな。
ソレはさておき、運ばれてきた料理の内容は『みじん切りの野菜と挽き肉の炒め物』に真っ赤な汁が二種類に黄色の汁が一つ添えられた物で一つ。
恐らく真っ赤な汁は片方が赤茄子の汁で、もう片方は唐辛子を主原料にした所謂チリペッパーソースと言う奴だろう、そして黄色は一目で分かる洋芥子だ。
「お連、此方の赤い奴と黄色のタレは辛い奴だから余り多く入れるなよ? 山葵とはまた違った辛さだからほんの少しだけ舐めて見て、ソレを基準に自分の好みに合う量を入れるんだぞ」
山葵の付けすぎで川の向こうに有る綺麗な花畑を見た上で、氣にも目覚める位に辛さに弱いのは年相応なのか、それともお連が特別弱いのか……前世の味覚を割と引きずっている俺はその辺が今ひとつ解らなく成っているが、ソレでも忠告をする事は出来る。
「あ、其処の。済まんが発酵乳と牛乳は有るか? 有るなら発酵乳を牛乳で伸ばした飲み物を作って持ってきて欲しいんだが頼めるだろうか?」
ついでに辛い物を食べた時には発酵乳や牛乳が良いと言うのを思い出し、配膳の為に近くを通った女中さんに『ラッシー』を持って来る様に頼む。
向こうの世界の親友の祖父母がやっていた猫喫茶で出されていた咖喱は、子供の頃には少々辛すぎると感じた物だが、一緒に出してくれたソルトラッシーがその辛さを緩和してくれたのを覚えている。
あの店のソルトラッシーの作り方は極めて簡単で、発酵乳四に対して牛乳を一塩を一摘み入れて、後は泡立て器でダマが無くなるまで只管混ぜるだけだ。
確か親友が店を継いでからは、手で混ぜるのでは無く撹拌機で作る様に成ったと聞いた覚えが有る。
どうやらこの世界にも同じ様な手順で作られる飲み物は有る様で、女中さんは直ぐにソレらしき物を硝子の盃に入れて持って来てくれた、しかも俺の分も含めて二つだ。
お連に万が一の事が有ってはと思って頼んだ物だが、俺の分も有るならば一寸冒険してみるのも悪くは無い、激辛挑戦献立なんかに挑む程では無いにせよ前世の俺は割と辛い物が好きだった。
特に夏場には必ずと言って良い程に真っ赤な辛口の揚げ鳥を、お気に入りだった早飯屋で買って食べた物だ。
薄焼き麺麭の方も一寸千切って口にしてみると微かに感じられる玉蜀黍の風味から、コレは向こうの世界で言う所の『トルティーヤ』の様な物の様で、ソレに具材を包んで食べるならば『タコス』と言う事に成るだろうか?
こうした柔らかなトルティーヤでは無く、U字型に折り曲げた形で揚げた『ハードタコ』に具材を詰め込んだ形式のタコスは、前世の学生時代に一時期ハマってソレを出す都内の店に通い詰めた事も有った。
そうと分かるとチリペッパーソースに刻んだ香味野菜を入れたサルサソースが欲しくなるが、禄に野菜が採れないワイズマンシティでは生のまま食える清浄野菜なんて物は可也の贅沢品と言う事に成るのだろう。
そんな事を考えながら俺は敢えて少し大目にチリペッパーと洋芥子を入れ、ソレと均衡が取れる様に赤茄子の汁入れ、其れ等をよく和えてから薄焼き麺麭で包み口へと運ぶ。
うん、舐めてた……想像以上に辛い、辛いじゃなくて痛い、んでもソレを上回る旨味を感じるので、直ぐにソルトラッシーで流し込むのを躊躇う位には美味い。
「うわ!? コレ美味しいです! 連はコレ気に入りました、御飯じゃ無くても十分美味しいですよ御前様!」
どうやらお連は事前に忠告した事をちゃんと守って、自分の口に合う程度の辛さに抑えた様で、元気な笑みを浮かべながらそんな感想を口にする。
一皿目に出されたおかずは三枚の麺麭で綺麗に無くなり、丁度お代わりを頼もうとした時に二皿目のおかずと追加の麺麭が配膳された。
次のおかずは昼飯でも散々食ったランチョンミートと乾酪を一緒の皿に盛って熱しトロトロに溶けた熱々の奴を頂くと言う物らしい。
うん、コレは飯のおかずに成らないと言う事は無いだろうが、絶対飯よりも麺麭に合う奴だ。
絶対美味いと確信を持って言えるソレをたっぷり麺麭の上に乗せ、残っている赤茄子ソースも入れれば、包み比薩の様な味に……うん成った。
「うん、コレも美味いな。よしお連、ある程度授業が進んで自由に外出出来る様に成ったら、此の街の美味い物を食べに一緒に出掛けようか?」
猪山藩では余り食べない乾酪や発酵乳の様な乳製品に対しても、忌避感無く美味しそうに食べるお連を見て、俺はお花さんの屋敷の食堂や学会の食堂だけで無く、此の街の一般人が食べている物をお連と一緒に食べてみたいと思い、そんな提案を口にする。
多分、俺の予想が正しければ学会の昼食は比較的安価な部類の物だが、お花さんの屋敷で出される朝晩の食事は最高級とまでは言わずとも、そこそこの御値段のする料理店位の格の料理が出されているのでは無かろうか?
しかし俺的には地元の者が普段食べる様な見世位の格付けがされるだろう所で食事がしたいのだ。
料理が武芸十八般の一つに数えられ、自炊出来ないのは恥……と言う火元国の文化を軽んじる訳では無いが、他所の土地に行ったならばその土地の食べ物を食べたいと思うのは当然の事だろう。
恐らくソレも有るから『旅先での外食は恥では無い』と言う事にも成っているのだと思う。
実際旅先じゃぁ料理をする場所すら確保出来ない事も有るし、逆に平平に習った様に材料や道具を現地調達してでも料理をしなければ成らない時も有る、旅と言うのはそう言う物の筈だ。
今回の旅も決して観光旅行の様な遊びで来た訳では無い……が、学ぶべき事を疎かにしないので有れば、多少外国情緒を楽しむ程度の事はしても良いのだと思う。
……なんせ其れ也の年頃の者ならば、娼館に春を買いに行ったりして居るんだから、許嫁を連れて一寸食事に出掛ける程度の事に目鯨を立てる事が出来る野郎は殆ど居ない筈だ。
「はい! 御前様! どんな美味しい物が有るのか楽しみですね!」
二皿目の料理を平らげ、三皿目に配膳された竜髭菜と貝の炒め物を麺麭で包みながら、お連は俺の目から見ても愛らしいと思える笑顔でそう返事を返したのだった。




