九百六十 志七郎、治療拒否と根深い歴史的背景を知る事
取り敢えず手にした炊飯魔法に関する論文に目を通そうと本を開こうとした時、俺の脳裏を今日の予定が変わった理由に付いての事情が過った。
高司祭を名乗る事が出来る程の神職なのだと言う事は、高位の聖歌使いなのは間違いない筈だ。
ならば彼女が癒やしの奇跡を持って、あのイー・ヤン・ミーを治療すれば彼の口から直接犯人を聞き出す事が出来るのでは無かろうか?
と言うか彼女以外にもこの街に聖歌使いが全く居ないと言う事は無いだろうし、錬玉術が火元国に伝わるよりも以前から薬師と呼ばれる者達が調合する霊薬は有ったのだから、此処にだってそうした技術者が居ない筈が無い。
「今日学会の生徒が暴行を受ける被害が出てて、その件で色々と先生方が動いている見たいですけれども……マインさんはその辺の事情には完全に関わらない感じなんですか?」
精霊魔法使いでは無い彼女が、此の呪文図書室で司書をして居るのには何らかの事情が有るのだとは思うが、学会の職員で有る事には変わりは無いだろう。
「んー南方大陸の子はねぇ……色々と歴史的な事情が有って難しいのよね。私は正式な神殿が無い此の街では最高位の聖歌使いなのは間違いないし、一応は学会経由で治療の申し出はして有るんだけれども向こうから断られたのよね」
骨折は下位の霊薬や聖歌で治療する事は出来ないのは、智香子姉上からきっちり習っている。
多くの回復効果は新陳代謝の活性化の様な効果で回復する為、適切な骨接を行わずに其れ等を仕様すれば歪な形で骨が固まる事に成り、結果として後遺症を生む事に成るのだ。
しかし上位に区分される一部の霊薬や聖歌は、そもそも怪我を無かった事にする事で回復する為、例えソレが骨接すら難しい様な粉砕骨折だろうと綺麗に治す事は可能なのである。
ただ俺が作れる霊薬の中には其処までの効果が有る物は無く、自動印籠の中に幾つか入っている智香子姉上謹製の品だけだ。
けれども彼女の使う聖歌ならばソレが出来るだろうと思って聞いたのだが、帰って来たのは真逆の言葉だった。
いや……向こうの世界でも治療すれば十分に助かる様な怪我にも拘わらず、宗教的理由から治療を拒否し命を落とした者の話は幾つも聞いた覚えが有る。
「それは貴方が魔族だから……ですか?」
差別と言う割と繊細な問題故に聞くのに少々躊躇いは有ったが、彼女が何方かと言えば彼を心配して居る様な素振りを見せて居たのを見て、俺は思わずそう問いかける。
「うん、そうだね。南方大陸の人に取っては亜人は決して対等な存在じゃぁ無いんだよ。この辺の話は向こうの歴史を勉強しないと彼等が可怪しい様に思えるけれども……一寸待っててね」
俺の言葉に彼女は全く気にした素振りも無くあっさりと答えを返すと、寧ろあの酷い差別主義者にしか思えなかった彼の発言を擁護する様な言葉すら口にし、それから歴史と記された本棚の方へと去って行くと、数分も待たない内に一冊の本を手に戻って来た。
「この本が一番筆者の私感とか思想とかが入って無い、歴史的事実をきっちり列挙する形で書かれた奴なんじゃ無いかな? 歴史書って普通は勝者が自分に都合が良い様に色々と捻じ曲げて書くのが普通だからね」
そう言いつつ差し出された本の書名は『カシュトリス帝国建国記』か、書名の下に有るのは筆者の名だろう……ぶっ!? メティエナって書の神様じゃねぇか!
流石に直筆本って事は無いよなぁ? と、恐る恐る表紙を捲ってみれば、其処に書かれているのは恐らく活版印刷に依る物と思しき整った綺麗な西方文字の列。
多分この本は彼の神様の記憶を転写した本が所蔵されて居ると言う大図書館の本を写本した物を元に、活版印刷で出版した物なのでは無いだろうか?
「個人的に本はネタバレ無しで読んで欲しい派なんだけれども、流石にソレじゃぁ今回の被害者に成った子が可愛そうだから……」
と、マイン女史はイー・ヤン・ミーを擁護する様な言葉すら交えながら、この本の粗筋とでも言うべき物を語り始めた。
遥か昔の時代、世界樹の神々がこの世界に現れ『人間』『妖精』『獣人』『魔族』の四大種族を生み出して少しした位の頃の話だ。
個体毎に様々な能力を持つ魔族、長命種故に延々と鍛え続けられる妖精、短命なれど生まれながらに高い身体能力を持つ獣人、其れ等に対して特段に記すべき超常を持たない人間は『弱い種族』と見なされていたと言う。
その辺の事情は他の地域でも同様の筈なのだが、種族間の軋轢が南方大陸だけ極端に大きいのには当然其れ相応の理由が有る。
他の地域は『劣悪な環境』や『凶悪な魔物』と言った外敵が居た事で、どんな種族だろうと構わずに一致団結せねば生き残れなかったのだ。
対して南方大陸はと言えば、起伏の少ない地形で尚且つ温暖な気候は農業をするのに何の障害も無く、魔物の出現を抑え込む事が出来る異能を持った魔族が居た事で、魔物の被害も他の地域に比べて極端に少なかった。
其れでも初期の頃には『強い者が弱い者を護り代わりに弱き者は強き者に奉仕する』と言う火元国でも当たり前に有る『御恩と奉公』の関係が成り立っていた。
しかしソレも代を重ねるに連れて腐敗して行き、魔族>妖精>獣人>>>越えられない壁>>>人間と言う階層が固定化され、更に時代が進むと人間は完全に奴隷として扱われる様に成ったと言う。
ソレでも最低限度を弁えた扱いならば未だ良かったのだろうが、権力の毒に溺れ腐りきった魔族達の中には気分で人間を害する様な者まで出始めたのだそうだ。
そうした中で、後に初代皇帝となる男が『騎士魔法』の開発に成功すると、自身とその麾下に有る者に莫大な強化を掛けるソレを用いて、人間達は亜人の支配に反旗を翻した。
個としては亜人の方が圧倒的に強いが、騎士魔法を用いる事で軍としての強さを手に入れた人間は南方大陸各地で転戦を続け、一合戦毎に解放された奴隷達を自軍に組み入れる事でどんどん勢力を増していったと言う。
大凡二十年もの間、南方大陸の戦乱は続いたがソレに終止符を打ったのは、何方かの敗北では無く世界樹の神々に依る調停だった。
結果、南方大陸は人間の土地で有り他の種族は全て其処から出ていくか、そうで成ければ自分達が長年そうして扱われた様に奴隷として扱うと言う事に成ったのだそうだ。
その為、その時点で未だ財力や権力を有して居た者達は、未だ未開拓の地だった北方大陸や西方大陸へと渡って行き、残されたのは亜人の中でも比較的地位の低い者達だったらしい。
しかも可哀想なのは南方大陸に残り奴隷と成った者程、人間に対して寛容な態度で接して居た者が多かった事だと言う。
その結果に心を痛めた神々は天網と呼ばれるこの世界全体で護らねば成らない法を定め、ソレに違反する者が居たならばその地の権力者を通り越して、神々が直々に裁きを下す為に世界樹にもソレを刻み込んだのだそうだ。
そうした歴史背景を聞くと、彼等からしてみれば氣と言う異能を持つ俺達火元国の武士が『魔族』に見えるのだろう事は容易に想像が付いた。
考えて見れば火元国でも氣の纏えぬ町民階級の者を只人風情……と侮る様な物言いをする者は割と居るし、猪山藩の様な『混ざり者』を忌避する風潮の有る地域が有る事を考えると、決して他人事では無いんだな。
「近年に成って冒険者組合が大きな力を持つ様に成り、その庇護下に有る冒険者であれば南方大陸に行っても問答無用で奴隷にされる様な事は無くなりましたが、ソレまでは本当に酷かったらしいですね」
誘拐等で連れて来られた者を奴隷として売買するのは天網で禁止されて居るのだが、犯罪者の処罰や借財の形としての人身売買はその限りでは無い。
故に南方大陸では他の土地から渡ってくる亜人に対して法外な税を課し、ソレを払わなければ即奴隷とする……なんて事が罷り通って居たと言う。
そして厄介な事にソレを知っていて南方大陸へと亜人を連れて行く海賊なんかが今でも割と居るのだそうだ。
天網と言う奴は随分とガバガバな仕様の様に思えるが、その辺を厳格に設定してしまうと、今度は外界に生きる人類側が政治的な意味合いでの法整備が出来ないと言う問題に直面してしまうらしい。
「そうした歴史的背景が有るので、彼等を一概に野蛮な差別主義者と断じてしまうのは違うと思うんですよね。実際、奴隷に成る事が分かっていて同胞を見捨てた者達が私達の先祖な訳ですしねぇ……」
聖職者としての憂いなのか、それとも先祖の過ちに対する悲しみなのか、そう言いながら溜息を吐く彼女の姿に色気を感じてしまった自分に嫌気を感じつつ、俺は取り敢えず手にした二冊の本を借りる為の手続きをしたのだった。




