九百五十八 志七郎、美の化身を目にし書の神を知る事
そんな訳で俺は禁書庫から出て何の許可も無しに入る事が出来る呪文図書室へと戻って来たのだが……ぶっちゃけ本棚の数が多すぎる。
学会の本部建造物内部の一室だから図書『室』と表現して居るが、この広さと本の量は前世に俺が通って居た三流大学の図書館よりも上なんじゃ無いか?
一応本棚には其々『火属性』とか『雲属性』と言った具合に、どの属性の魔法に付いて書かれた本が納められているのかは表記されているが、ソレとは別に『歴史』やら『娯楽』やらの棚が有る時点で呪文書だけが納められた図書室では無いと言う事が良く解る。
うん……こんな中から自力で目的の本を探すのは素人には不可能だ。
向こうの世界の様に書籍を検索するパソコンでも有れば、未だなんとか成るのだろうが、そんな便利な物はこの世界には無い。
更に言うならば図書館や図書室と言う場所は、全ての書物を公開された本棚に入れておく訳では無く、棚の空き状況や需要の関係から常時公開棚では無く、裏の書庫に保存される閉架図書と言う物も存在して居る。
その為、所蔵図書として存在して居るが本棚には無く、司書の方に書庫から出して貰う必要が有る本と言う物が有ったりするのは、割と普通の事だったりするのだ。
と、言う訳で先ずはこの図書室の本に精通して居るだろう司書の方に声を掛けようと、帳場の方へと足を向ける。
すると其処には……前世今生通して神仙を除けば、最も美しいと断言しても良いだろう女性が座っていた。
礼子姉上や智香子姉上に瞳義姉上それに千代女義姉上も、向こうの世界なら芸能関係の勧誘が放っておかないだろう美人さんでは有るが、言葉を失う程に美しいと表現するしか無い女性は、世界樹に侵入した時に会った女神様位じゃぁ無かろうか?
女神と言うだけならば天目山で会った一目様も美人では有ったが、彼女も浮世離れした絶世の美女と言うよりは体育会系の健康美人と言う感じで、その見目は豊満な母性の象徴を除けば人の領域に収まっていた様に思う。
ソレ以外に彼女に匹敵する程の美人と断言出来るのは、俺の記憶に有る中では真の姿を現した時の冥土長と、永遠の氷河で駱駝に乗せてくれた女公爵と呼ばれる女悪魔位だ。
夜空の様な黒と紺の間の様な綺麗な髪の毛は、図書室を照らす術具の角灯からの光を浴び艶やかな照り返しを見せ、整った顔立ちは向こうの世界で言うならば希臘神話の女神の彫刻の様だと表現するのが最も近しいだろうか?
魔法使いの着る物とはまた違う深い青色の法衣に包まれた肢体は、服の上からでも出る所は出ているのが何となく解る程で、顔の輪郭に余計な肉が見えない辺り引っ込む所は引っ込んで居るのだろう。
美の基準は個人の好みも多々反映される物では有るが、彼女達の様に『純粋に美しい』と言える存在の前には、個人の好き好きと言うのは本当に小さな物でしか無いのだと思い知らされる。
「あら? 貴方は学会職員の間で噂の『小さな魔術師』君ね。私は此の図書室で司書を勤めるマイン・ド・シーカーよ、宜しくお願いしますね」
此方の存在に気が付いた彼女は手にした本から視線を上げると、ふんわりとした雰囲気の柔らかな笑みを浮かべ、優雅に立ち上がると軽く膝を落とす様な礼をしつつ、そんな言葉で自己紹介をしてくれた。
「ひ、火元国から来たシーバス師の弟子で猪河 志七郎と申します、此方こそ宜しくお願い致します。それにしても貴方の様な美しい人が司書だなんて……貴方の任期中に学会に通う男達は本当に幸せですね」
……思わず本音がポロリと口から零れ出た、前世から通して俺は女性を自分から口説く様な台詞を口にした事は無い、にも拘わらずこんな言葉が出るとは自分でも想像すらして居なかった。
「あら、有難う。でも駄目ですよ人妻を口説く様な事を言っては。でもまぁ君の年頃だと年上のお姉さんに憧れるのは普通の事だとも育児書にも書いていたし、仕方の無い事なのかも知れないですね」
小さく笑い声を上げつつ、そう言って左手の薬指に輝く比較的単純な作りの指輪を見せるマイン先生。
「ああ、それと私は学会の教師と言う訳では無いですし、そもそも魔法使いでも無いので、師や先生と言った敬称は要らないですよ。でもまぁ貴方が私達の崇める書の神メティエナに帰依すると言うのでしたら、その際には高司祭と呼んで下さいな」
微笑みを崩す事無くそんな言葉から始まった彼女の説明に拠れば、書の神メティエナと言うのは賢神パルティナが人間との間に儲けた半神半人の存在で、純粋な神の様に生まれながらに永遠を生きる存在としての身体を持たなかったらしい。
その為、大人と呼べる程に成長した後には、世界樹の神々に神の子として認められ神の座に付いた事で老いる事は無く成ったが、膨大な時間を生きる内に頭脳は記憶出来る限界を越えてしまったのだと言う。
そうなると昇神した者でも、新しい事を覚える度に古い事柄が心太式に抜け落ちると言う『痴呆』にも似た症状が出る様になるのだそうだが、彼女は自身の記憶の一部を書物に転写する事で脳の容量確保に成功したのだそうだ。
その為、世界樹諸島に有るメティエナ大図書館には、古き神々の時代からの記録が大量の書物として所蔵されて居ると言う。
「メティエナ様の大図書館には及びませんが、此の大陸最大の神殿都市リスティアに有る図書館も、呪文書こそ無い物の蔵書量では此の呪文図書室以上ですからね。機会が有れば一度は覗いて見ると良いですよ。でも精霊魔法関係の論文なんかは此方が上ですけどね」
どうやら彼女は嫋やかな絶世の美女と言う麗しい見た目を持つのと同時に、書籍狂とでも言うべき性質の方らしく、本や図書館の事を話している時には更に輝かしい笑みを浮かべて居た。
「で、で! 態々禁書室から出てきて私の所に来たって事は、なにか本を探しているって事ですよね? 一体どんな本を探しているんですか? やっぱり呪文書? それとも小説? もしかして論文? ああでも艶本の類は此処には置いて無いですからね?」
うん、神秘的な女神の様な顔立ちなのに本の事に成ると圧が強い、更にその口から艶本とか言う言葉が出る衝撃は割と凶悪な物があるぞ?
なんというか……『残念美人』と言う言葉が向こうの世界には有ったが、彼女は正しくソレだろう。
「え、えっと、呪文書を探しているんです。米の飯を美味しく炊ける様な魔法が有れば良かったんですが、無ければソレを開発するのに参考に成りそうな呪文書や論文なんかが有ればそっちを読みたいです」
見た目と言動の差異に一寸引きつつも、俺は此処に来た本来の目的を彼女に打ち明ける。
「成る程、流石はお米の国と言われる東方大陸の更に東の果てに有る火竜列島から来た子だね。御飯を美味しく炊く魔法かぁ。んーソレ其の物では無いけれどソレに近い物が有った筈……うん、取り敢えず料理魔法の棚かなぁ?」
視線を宙に彷徨わせ口元に人差し指を当てて考え込むその姿は、俺が前世に見たどんな艶本よりも色っぽく見え、動かない筈の息子さんが少しだけ元気を取り戻した様な錯覚さえ覚えた。
……少なくとも前世の俺は夫の居る女性をどうこうすると言う、『寝取り』や『寝取られ』と言った区分けの作品は、創作でも余り好ましいとは思って居らず、今生でもソレは変わっていないと思う。
にも拘わらず、顔が赤く成るのを止められないのは、彼女が持つ美しさが『侵さざるべき物』では無く『性的な魅力の高さ』を秘めて居るからなのでは無かろうか?
うん……彼女に関しての事は、絶対にお連にバレ無い様に注意しなければ成らないな。
ついでに下半身に理性が無い事に定評の有る禿河の血を色濃く引いている武光の奴や、年齢的に性欲お猿さんな連中が血迷う事の無い様に俺が気を付けて置く必要が有るかも知れない。
そんな事を考えつつも、俺は書棚へと先導する為に立ち上がった彼女の形の良い尻に視線が向きそうに成って慌てて視線を逸らすのだった。




